Placere Non Trinus
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オンド卿(Sir Ando)は修道院を立ち去る用意を整えると、外套を羽織った。その背後には巨大な石造りの建物が聳え、彼が馬に鞍をつける間もその頭上にのしかかり影を落としている。オンド卿は急いで馬の腹につけられた袋に糧食と巻物を投げ込むとその手綱を引き、厩舎から視界が開け道の先が見える場所まで連れだした。

オンド卿はしばらく鞍にまたがり道を進み、教会の敵へ情報を漏らすかもしれない者たちの詮索の目の届かない場所へと到着すると馬を止めた。袋から巻物を取り出して、聖ブライト大修道院のマスキ司教の認印を捺された封蝋を破り書面を広げ、そこに書かれた布告に目を通す。

この文書を携行するもの――コンドラキ修道会に属する遍歴の騎士たるオンド・ル・ロシュ卿――は“黄の書”(the Yellow Book)として知られる邪悪な品を所有する人物あるいは集団の所在を突き止め捕縛する任務のため、Reaforten郡内の同修道会所属の26人の騎士を徴用する権限を有する。またこれらの嫌疑をかけられた人物を援助あるいは庇護した者も同様に聖なる財団の名のもとに拘留され、裁判にかけられた後刑に処されるものとする。ウェストモント公および聖ブライト大修道院の定めし大教会法法令に基づき、要注意団体条令第437条によって前記の騎士は…………

ここまで読むとオンド卿はふたたび巻物を丸めて袋に戻し、馬の腹を蹴って道を急いだ。


「黄の書には何が書かれているのでしょうか?」

「枢機卿、それを聞くのはちょっと気が早いんじゃないか」

「なぜ大河の子ら(the Children of the River)は黄の書の探索にその身を捧げているのでしょう?」

「知るかよ。お前は何か知ってるのか?」

年老いた男は落ち着かなげにため息をついた。「その、主よ、私たちの持つ知識はそのほとんどが憶測にすぎません。生存者は極めて少なく、彼らのもたらした情報も断片的なものです。――しかし、彼らの言葉によれば、黄の書は過去を書き直すものであるとか」

Dカーストに彼を操る男が“繋がる”と、その目が大きく見開かれた。

「ファック」

「何とおっしゃいましたか、主よ?」

「ああ、もちろん私はあんたたちが何について話しているのかわかってるさ。SCP-140だ。そいつの上に血をつけさせないようにすれば万事オーケー。Keterクラス、嫌な代物だよ」

枢機卿は片眉をあげると、召使に収容典礼書の関連する部分を開かせた。そのカルトについて知られていることはほとんどない。しかし教会評議会は彼らがGreat Breachの後に第17教会から独立し、それより黄の書の捜索をつづける組織であることを突き止めていた。その集団に密偵を送り込むのは不可能に近いが、財団の耳に届いた彼らの秘された儀式の模様を聞く限りでは、もし彼らが書物を見つければ嬉々としてそれに血をなすりつけるだろうことは想像に難くない。枢機卿は沈黙すると、しばし物思いに沈んだ。

「なぁ、酒はあるか?」


馬上の旅も4日目になっていたが、三人の視界にはいまだ一本の木さえも見あたらない。探求の旅を共にする新たな騎士を招集するため立ち寄るReafortenの街まではまだ二日ほどかかる。オンド卿は寓話や物語、あるいは伝説の中に300年前に主ブライトがこの問題についてどのように述べたか聞いていた。しかし心かき乱すことに、彼はまた大河の子らの関する恐ろしい話も耳にしていた。

コンドラキ修道会の騎士として、彼は今回のようなBreach以前の悪魔たちの再来に備えた訓練に一生を費やしてきた。聖なる財団への脅威となった悪魔を阻むことこそが彼の使命である。しかし、数多の戦いの中で経験を積み熟練の騎士となり齢39を数えた現在にいたるまで、彼は聖典に記されているような悪魔に遭遇したことはなかった。ぜんまい仕掛けの儀式(Ceremony of the Clockworks)に立ち会ったことはあったが、それが彼が真に現実を超越した現象を目の当たりにした唯一の体験だった。はたして大河の子らとその配下にあるという化け物たち(人、動物、怪物、不浄なるホムンクルスのように血の大釜より立ち現れるという鋼鉄からなる巨大な魔物たち?)と対面した時、彼はうまく立ち向かうことができるだろうか?オンド卿はチュニックの下へと手を忍ばせ、身に着けた聖ドミトリのメダリオンに触れた。聖ドミトリ、第一の騎士よ。彼は胸のうちで祈りをとなえた。私に待ち受ける試練に立ち向かう勇気を授けたまえ。わが剣を握る手を素早く確かで、敵を打ちのめすことのできるものとなさせたまえ。わが盾を私の心と同じく堅牢でどのような苦難をもしりぞけるものとしたまえ。昔多くのチェチェン人を前に騎士たちを率いたように、私を勝利へと導きたまえ。――そして、もしもこれが私の定められた時であるのならば、素早く、高貴で名誉ある死を与えたまえ。また、死のうちにも充足と休息とを与えたまえ。アーメン

オンド卿は手綱を引くと頭を低くし、砂塵を巻き上げながらReafortenへの道を駈けた。


「彼らは黄の書を用いてGreat Breachを防ごうとしているのでしょうか、主よ?」

「まあそうとも言えるな」

主席枢機卿(The First Cardinal)は椅子の中で居心地悪そうに身じろぎした。下着が汗で湿っている。財団の後援者や創設者に監督官、そして主なるブライトご自身までもが黄の書がふたたび現れることへの懸念を口にしていた。

「残念ながら聖なる財団は……今のところ……黄の書探索の手段を持ちません。また、聖典の収容に関する記述も不完全なものなのです、主よ」彼はためらいがちに言った。「しかしながら、大河の子らを軽んじてはなりません。彼らの指導者は悪魔たちの召喚に長けた人物であり、また評議会のほとんどは彼らが深刻な異教徒の脅威を排除するための聖戦に値する存在であるといまだ認識していないのです」

「黄の書を作りだした奴らはもっとひどいぞ。やつらの触ったものすべてを破壊しても140はさらにそいつらを作り出すからな。あっちの手に渡ったら最後、聖水も十字架への口づけも何の役にも立たない」

「かの書物はすでに滅んでいるか、あるいは我々の手に届かないところに隠されていると考えられています、主よ。しかし、Reaforten郡において大河の子らが活動しているとのうわさがあります――もしかすると、彼らは私たちの知らないその所在に関する情報を持っているのやもしれません。コンドラキ修道院の騎士を派遣し何か情報を得たなら対処するよう指示してあります。もっとも、そのようなことはありそうもないですが」

「そうか、またなにか見つけたら言ってくれ」

「光栄に存じます」

守衛が注意深い足取りで部屋の脇より進み出た。彼は鎖に縛られた男に近づき一礼すると、頭を低くしたまま華美な杯をさしだす。

「お飲物です、主よ」守衛が言った。「残念ながら貯蔵庫の管理人は不見識にしてご所望の「ヴォッカ」というものを存じ上げませんでしたが、これは今季最良のエールであると請け負っていました」

「当然そうだろうな」


旅の仲間は37人にまで増えていた。すべてコンドラキ修道会の騎士たちでありReaforten郡の精鋭だ。太陽が彼らの後ろから昇る中陣形を組み街の門をくぐってからまだ数時間しかたっていない。視界の遥か彼方には彼らの目的地である山麓の丘陵地帯が不吉に立ち並んでいる。オンド卿は、あたりの土地の所有者が、牧場の近くにある古い鉱山から奇妙な男たちが出入りしているのを見て、夜が更けてから調査のため坑道に忍び込んだ話を耳にしていた。彼はもぐり込んだ坑道の内部で岩の上で足を滑らせ怪我を負い、悪魔的な祭壇の上に倒れこんだ。そして、彼の主張によると、その時にできた手の傷口から血が引きずり出されて祭壇の上に乗せられた本の方に飛んでいくと、その最後のページがひとりでにめくられるのを目撃したという。地主は叫びながら洞窟を逃げだすと、急いで近くの神父にこのことを報告した。その後彼は聖典に従いイール神父によってクラスAの聖水で清められたのち解放された。残念ながら近隣の住人達はだれもその地主の所在を知らず(あるいは知っていても言うことをためらい)、オンド卿は彼を直接尋問することは出来なかった。

鉱山に着いたのは正午を過ぎたころのことだった。坑道の入り口は粗雑な柵に囲まれ、Reafortenのオーゴン公の緑と白の服を身に着けた男たちが見張っていた。騎乗の一行が柵に近づくと彼らは弓を引き狙いをさだめる。騎士たちが並足でオンド卿をかこむように並ぶと、卿は見張りたちに呼びかけた。

「オーゴン公の名において、門を開け!」

オンド卿が素早くマスキ司教の布告を示すと、見張りたちは恭しく門を開いた。騎士たちは鞍から降り、手近な杭に馬を繋いだ。その間に見張りたちは2週間前からこの門を監視しているが、その間この坑道に出入りしたものはいないこと、また地下から奇妙な音が発せられているが、その音の正体をたしかめるため坑道に入るほど勇敢なものはおらず調査はされなかったことなどを報告した。

「諸君、我々はこの日のために今まで訓練を積んできたのだ」オンド卿が口を開いた。「この中に黄の書があるかもしれない――しかしそれ以外に何が私たちを待ち受けているのかを知るものは居ない。警戒を緩めるな、剣は必要に迫られるまで鞘におさめておけ。そしてもしつま先を何かにぶつけたり関節に擦り傷を負った場合、何にも触らずすぐに退却するように。出来る限り迅速に探索し、撤収するぞ。コンドラキのために!」

武骨な男たちはオンド卿に応えて剣を掲げた。「コンドラキのために!」オンド卿は十字架に口づけ祈りを唱えると決然とした足どりで入り口に向かう。そして見張りたちの用意した松明を携え、騎士たちは鉱山を下るのだった。


「なぜ俺たちはここにいるのか考えたことがあるか?」

枢機卿は沈黙を守った。

「俺にも分からない。どう考えても、俺たちは皆死ぬはずだった。消え去り、破壊されるはずだったんだ。一人残らず。だがしかし、そうはならなかった。どうにかして、何かしらの方法で人類はいまだ元気いっぱいでやってる。驚くべきことにな」

「え…ええ、主なるブライトよ、どうやらそのようで……」

「サイト4の核爆弾が58が逃げ出した直後に爆発したと聞いた時ピンときた。昼日中に爆発したらしい、脱出できたものはいなかったそうだ。逃げ出せるだけの猶予がなかったってことだ。十分な時間がなかったんだ」

「そしてその時俺の頭は突然澄み渡り、はっきりと理解した。なぁぁぜいつも十分な時間がないのかを。もう使い切ってしまったんだ!偶然にも与えられた仮初の時を生きていると考えるのは辛いことかもしれないなぁ?この世界はいつでもお前の命を取りさる権利があり、いつ死んだとしてもそれまでは生きてこられたってことに感謝しなくちゃあいけないってことだからな、ああくそ。お前の妹が死んでぇ、それで次の日には死んでないって?いいや違うね!いいか、彼女は死んでるようなもんだ。みぃんなが神と残酷な契約を結んで彼女に特別に時間をあげて、いつ、なぜ彼女が死ぬのかだれも知らないんだからな。お前たちは来る‘べき’時より少し遅れてきた死に対してお悔やみのぉ言葉をかけることしかできない。俺たちがここに存在するってだけで最高の奇跡だがそれでも俺たちはぁここに存在しなくなるってことを、死を恐れずにはいられない」

「Breachのあいだにぃ何が起ったかはだいたい知っているだろう。宇宙は文字通りバラバラになった。そしてその破片が俺たちを押しつぶし、宇宙もろともに破壊しつくした。その最も…純粋な…混沌の瞬間に。でも、それでも俺たちは死ななかった。なんてバカバカしい話なんだ!分かってるとも」

「主なるブライトよ、さしでがましいようですが、わたしたちの傍らには神がついていてくださり、Great Breachの間も我らを護りたもうたのです」

「ああまったくその通りだろうよ。しかし俺たちがみぃんな借り物の時を生きてるってことには変わりない!140、黄の書、もし今誰かがぁあの本の上に脳みそぶちまけて世界が暗闇に押し込まれても、『くそ!まあでもこんなことが今まで起こらなかったのは幸運だったよな!』っていうだけだ!ハハッ、わぉ!ほんとにこれがこの世界が俺たちに与えた運命だってぇのか?何世紀も俺たちの庭をうろつく神が置いてった失敗作どもを守って保護して研究して、それで結局どうだ、奴らは俺たちをほとんど全滅させるとこだった!何世紀もだ。こう、ただ一言いうためだけに。『俺たちはかっろうじて死なずに済んだぞ。お前らぁ……さいっっこうに……よくやった!』」

最後の一文を言い終えるとDカーストは勢いよく床に倒れ、酩酊により意識を失った。さきほどの守衛がふたたび進み出ると、首飾りを外し注意深く箱の中にしまいこんだ。


騎士たちは鉱山全体を探索したが、祭壇は見つからなかった。それどころか何も変わったものはない。黄の書や大河の子らの痕跡1つ見つからなかった。

「もう書を手に入れ立ち去った後でしょうか?」騎士の一人が訊ねた。

「そうであれば、分かるはずだ」オンド卿が悄然とした様子で返した。「どうやら目撃者は酔っていたか幻覚を見たか、あるいはその両方のようだな」彼は疲れ切り、とぼとぼと光の方へと歩き出した。他の騎士たちもそれに粛々と従う。

それから6週間もたたないうちに、Reaforten第8公爵オーゴンはオンド卿とその騎士により手枷をつけられ領地から引っ立てられた。匿名の密告により彼らはレディエミリー・ラメントの邸宅を捜索し、カオス・インサージェンシー主導者からの振り込みと、町で働く200人を超える密偵の名前が書き込まれた帳簿を発見したのだった。警邏隊の隊長は尋問されると、闇にまぎれて不審な荷物を鉱山へと運び翌日にそれを持ち出す姿を目撃されるよう命じられた数十人の名前を吐いた。イール神父さえも罪に問われ処刑された。

黄の書、あるいは大河の子らの痕跡はいまだ見つかっていない。

Vos tantum currere in circulis donec te trinus.(ただ円を描き走り続けるだけ、いつか躓くその時まで。)1

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