これを読んでいる人がいるということは、僕の「遺書をしたためる」という初めての行いは無事に成功し、義躯の暴熱超過オーバーヒートによって僕の身体は消し炭になっているでしょう。そして貴方はきっと耳を疑う爆発の轟音か、はたまた目を覆うような閃光と爆炎によって野次馬根性で僕の部屋に来たのでしょう。はたまた警察官か天皇さまの憲兵さんに通報したのかもしれません。
ですが義躯の暴熱超過は所有者である僕が起こしたものであり、僕が死んだのはあくまでも僕の意思によるものであり、僕を恨む誰かの犯行ではありません。ましてや誰かが僕を追い詰めたわけでもありません。僕は僕の罪に追い詰められて、罪とこんな夜に心中するために死ぬのです。
天皇さまが夢を見始めて、この国は全てが楽に変わったと、人は言いました。帝の幸せそうなお顔と寝息がこの国を楽土にしたと、人は言いました。ですが、僕からしてみればそんなことはないように思います。
前進を緩やかにやめ、停止し始めたこの国では自慢話が多くなったと夏鳥のお客さまが言っていました。「帝の眠りを永遠のものにするために」官僚と憲兵は自分たちの手柄を自慢して、僕たち帝都に住む臣民は義躯のハイテクさ、召使いにしている自動人形オートマタがどれだけいるかで格が決まります。
みんながみんな、酔っぱらって酒を飲まないと眠れないのです。夢を見ないと停滞することすらできないのです。僕たちは、いや、この国はずっと夜にならないと壊れてしまうのです。
僕もみんなと同じで、誰かを見下さずに、優しさを貰って贈ってを繰り返したから今、こんな「下のほう」にいます。僕は帝都のナイト・バーでボーイをやっていました。金を下品に使わないと酔っぱらうことすら出来ない、可哀想な人たちの席に酒を持っていき、電脳網ネットワークでの中の女の子の感触だけでは満足できず必死に夢を見ようとする人たちのいた席の後始末をする、立派な仕事です。金払いは上流のお仕事にも引けを取りません。このお仕事のおかげで闇義躯でない、普通の義躯を手に入れることができました。立派な仕事です。
ある日、女の子がお店の従業員として加わりました。綺麗な顔で、すらっとした体躯で、両の腕に取り付けられた何世代か前の義躯のがちゃがちゃしたデザインが、彼女の女性らしいフォルムにあんまり不釣り合いなのにどうして、普通よりもずっと魅力的に見せているように思いました。
彼女のお仕事は店の中央のステージで踊ることでした。ひらひらとした服を着て、時には情熱的に、時には静かに踊る彼女は、ビッグバンドのジャズの音に負けないように、いつも何かを伝えようとしているように見えました。ですがお客さまは踊りを見ることはありません。かといって彼女を見ることもありません。酔っ払いが見ているのはただ、「こうでもしないと明日を生きることができない女がいる」という事実です。
だから踊りが終われば女の子は席に呼び出されてこう言われます。「金は払うから、うちで鉄屑の塊オートマタと同じように雇われないか」と。実際に提示された金額はここよりも羽振りが良いことが殆どで、女の子もその好機チャンスを狙ってここに雇われるのです。
ですがその女の子はどれだけいい条件や報酬を提示されても断り続けていました。不思議に思い僕はある夜にそれとなく何故なのか聞いてみました。
「私、踊っていたいの。きらびやかなステージで。人間のお客さんの前で。」
彼女はそう言って笑顔を返します。お酒も飲んでいないのにどこか夢見心地な笑顔で答えます。
僕はそんな彼女が好きになりました。もっと彼女を知りたい、彼女と話したい、彼女の踊りを見ていたいと思いました。それと同時にその笑顔は仮面で、心の隅っこにある妬み怒り澱みを僕だけにさらけ出してくれという歪んだ愛情も芽生えました。それからしばらくの間、僕たちは語り合いました。
彼女の両親はパライソ渡りのヱルマ教の信者であり、物心つく前に彼女の前から姿を消したこと。残された彼女はきたない鼠の子どもと幼い頃から揶揄されたこと、それでも親戚をたらい回しにされながらなんとかここまで生きてきたこと。
いろんなことを聞きました。彼女の名前も聞きました。それでもなぜ、踊りをやめないのか。それだけはわかりませんでした。僕らはお店のない日に改めて会おうという提案はせずに、いつも開店前と閉店後の僅かな夜に互いの話をしました。
いくつかの季節が過ぎた後に、彼女は死にました。反乱分子ヱルマ教の忌み子として、彼女は何もしていないのに憲兵たちに殺されました。風のうわさでは、彼女は女神ヱルマに召し抱えられるために、捧げものとして踊りを踊り続けていたために逆賊とされたとも言われました。
僕は悲しみはすれど、泣くことはできませんでした。その時は我ながら薄情だと自嘲的になりましたが、後になってそんな自分を嘲笑うことでもしないと最早酔っぱらって夢を見ることすらできなかったのだと、そう、わかりました。
四日前のことでした。店を閉めた後に幽霊が出ると女の子の間で噂になっていたので、従業員の中でかなりの古株になっていた僕が正体を突き止めるために朝まで店にいることになりました。もちろん泥棒の可能性もありますが誰が見たわけでもなし、どうせ誰かが面白がってついた嘘だろうと思っていたので、見張りを始めてから半刻ほどで身体は舟をこぎ始めました。
ふっと店の照明が消えて、ぱっとスポットライトがひとつだけステージの中心に灯りました。そこで、彼女が踊っていました。無骨な義躯をつけていない、ワイン色のドレスを着て、無音の中で千切れるほどに踊っていました。
頭の中が真っ白になって、その光景に釘付けになっていると、僕の義躯はいつの間にか拳銃を握っていました。夜に冷え切った機械の手が、手のひらを中心として熱いほどにたぎっているのがわかりました。
わかっている、ステージで踊っている幽霊はあの女の子じゃない。この拳銃で殺さなくちゃいけない。それでも。
それでも。
震える足でステージの上に向かいました。くるくると回る彼女に尋ねました。ですがまるで「わかるでしょう」と言わんばかりに、何かを伝えたいかのように、彼女は踊りをやめません。返答がなくとも僕は彼女に語り続けました。永遠に思えるほどの時間語って、彼女の踊りに見惚れて、やっと僕にもわかりました。
あの噂は正しかった。僕の認識も正しかった。何も間違っていなかった。
彼女は僕と違って優しいから、自分のためではなく誰かのために、踊りを踊っていた。
彼女は踊りを、女神ヱルマに見てもらいたかった。パライソに召し上げられれば両親に会えるかもしれない。
彼女は踊りを、両親に見てもらいたかった。パライソに両親がいなければ女神が見てくれなくても、両親が良い踊りだとある日褒めてくれるかもしれない。
彼女は踊りを、客に見てもらいたかった。酔っぱらわないと夢を見れない可哀想な人達に、少しでも夢心地を感じてほしかった。
彼女は踊りを、彼女は、ぼ
ぼくに
「はい。そうです。私はあなたのことを、愛しています。愛してるって、伝えたかったんです。」
気づくとあたりに火薬のにおいが充満して、彼女そっくりの幽霊がいた場所には濡れた後が残っていました。五感が夢から現実に引き戻されていくにつれ、僕たちの恋はたった今この瞬間を以って、ついに完成されたことを理解しました。
電脳通信メールも寄越さずに、何日も無断欠勤して申し訳ありません。僕はもう、上も下も見たくありません。このまま停滞していたい、この恋に酔っていたい。この夢から醒めないでいたい。
さようなら。僕は彼女に、人に向き合わずに、自分に酔っぱらっていたという罪に酔って死ぬんです。
さようなら。僕はいつか終わって夜明けに続いている、夜のことが嫌いでした。でも今は夜明けが分からなくなって、永遠に夢を見て眠ることもできそうです。
さようなら。