不正労働に非ず
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機械的な時計の作動音が部屋に響く。
複雑な機構を織り成すレトロな時計は己の存在意義を主張するかの如く。
一定の間隔で響く針の音が私の聴覚をただただ刺激する。

「…寝れない。」

同個室の簡易ベッドの上。
白衣を脱ぎ捨てただけの格好で転がる私はもう一度毛布を被り直す。
身嗜みも整えず、ロクにシャワーも浴びずにベッドに倒れ込んだ為か髪は乱れたままで。
眼の下にはビッシリとクマが刻まれた酷い顔。

「…あと2時間しか無いんですよ…お願いですから…」

そんな状態で私は毛布に包まりながら唸る様に声を絞り出す。
寝返りをうちながら、体勢を変えたり枕の向きを変えたり。
彼此1時間近く、この仮眠室ベッドの上で唸っている。
眠れない────なんとも最悪であるが、目が冴えているという奴だ。

「あー…折角の休憩なのに…。」

漏れた言葉と共に、身体を曲げて芋虫の様に毛布を被る。
最後に休憩を、休日を堪能したのはいつだろうか、と朧げな記憶を辿るのだが──────。

何故だかよく覚えていない。
疲労のせいかここ数時間の記憶すら曖昧だ。
それでも普段通りの勤務に従事していたのは確かである。
本来なら今も勤務時間中のはずなのだ。

というのも、実験に使用されるDクラス職員の補充や職員の交代時間。
オブジェクトの冷却時間の兼ね合いで唐突に休憩を頂けることになった。
サイト内において睡眠不足の職員による体調不良が多発したという。
仕事柄どうしても勤務時間が無視せざる負えない場合が多々あるが、
"職員間の体調管理も仕事の一環である。"
と、数日前よりサイト管理者による大幅な人事再編を実行したらしい。

より効率的な業務遂行の為である。
"注意一瞬、事故世界滅亡"
それが冗談でない我々にとっては福利厚生は重要なものである。
余った人員を適切な場所へ、人員不足は即座に補充し補填する。
その結果、私にはこの数時間程度の空き時間が生まれたらしい。

無理して働く必要もなく予定通り進めば急ぐ仕事でもない。
私と同じ業務ができる人間が休憩時間を終えて帰って来たのだから大丈夫。
というわけで、仮眠室で数時間の仮眠を堪能しようとしたのですが────。

「…失敗しました。これなら素直に残って仕事してたら良かったです…。」

休むついでに研究室の片隅に放置した愛用枕を持って来れば良かった。
遠く離れた研究室を想いながら後悔する。
仮眠室の枕は柔らかすぎるのか頭が沈みやすい。
時に数回枕の位置を変えてみるがダメでした。

不眠の理由は枕だけに非ず。
勤務中に同僚から頂いた睡眠打破のドリンク数種。
科学部門発の特製濃縮カフェイン剤。
未だに分解されず腹部で悪鬼の様に蠢いていた。

「うぅ…こういう事なら前に春眠博士のより良い睡眠方法聞けば良かった…。
900-JP-Jとかなんでうちのサイトにないんですかー。
こういう時便利じゃないですかー…もうZZZ-JP-Jは収容違反しちゃえよー…。」

無駄に思考が広がり出してきた。
普段は会わない他のサイトの人員や専門外のオブジェクト等。
そういったものを思い付くのは思考が目覚めつつある兆候である。
こうなったら最早眠りにつくのは不可能だろう。
かといって今研究室に戻っても仕事は無い。記録上私は休憩中なのだ。
人事再編の結果休憩中の人を働かせる程サイト-81██の人員は不足してない。
こんな疲労困憊な状態で今働けば、きっと現場にも迷惑だ。

──────時計を一瞥する。
時刻は既に午前4時37分。貴重な睡眠時間を無為な時間として消えてしまう。
ベッドの上では万有引力が狂うのか身体は重力の影響を強く受ける。
にも関わらず、眼瞼挙筋と眼輪筋のお陰で目蓋は元気に開閉出来てしまう。
こうなればレム睡眠すら望めないだろう。

「じゃあ…もうしょうがないですよね。」

私は残った体力で手元の連絡用端末を起動した。
画面をフリックし、十数字のパスワードを打ち込む。
暗闇の中で表示された白いウインドウを眺め、必要な文字を打ち込んでいく。

睡眠という行為は細胞の修復やら何やらの為に存在する。
それと同時に脳の過負荷予防と記憶の整理の為であるという。
今まで試した事はないのだが、理論上は可能であろう。

試してみる価値は、きっとある。


記憶処理装置使用申請書

サイト-81██ 科学部門-電子課
申請者氏名: 薄江木 梨花
ID :██-████-█████
記憶処理対象者氏名: 薄江木 梨花

以下の要望により、レベルC記憶処理装置の使用を申請します。

効率的な業務遂行の為


-サイト管理者 ██ ███

許可。分かってると思いますがこれ以上時間外労働による賃金は出ませんし、緊急時を除く医務室寝具の私的利用も許可できません。
貴女は覚えてないでしょうが、これで6回目ですよ。

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