虚構のオリエンテーション
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皆さんようこそいらっしゃいました。ああ、戸惑っていらっしゃる方もいるようですね。当然です。本来であれば今日のオリエンテーションは月杜博士が担当するはずだったのですが、えーっと、メモによれば……博士は体調が優れないようです。そういったわけで私、天宮が代理を勤めさせていただきます。改めてよろしくお願いします。

初日となる今回のオリエンテーションでは虚構災害の知識共有を行いつつ具体例を提示します。

皆さんは虚構災害についてどれほどの知識を持ち合わせていますか?そこのあなた、答えてください……ありがとう。その認識は間違っていません。虚構災害とは"特定の虚構を核とする異常現象"であり、異常現象の発生や異常実体の出現が現実への影響として確認されています。また核となる虚構の条件として"一定の認知度を有している"必要があります。必要な認知度が虚構ごとに異なる点や、虚構を創作する時に消費された存在の価値によって必要な認知度や災害の影響力が変化する点も確かに重要ですが触れるのは後々で良いのです。まずは"虚構を核とする異常現象"という認識を共有して下さい。

虚構災害の例としては次のようなものが挙げられます。"ある男性の結婚式に呼ばれなかった女性が書いた「1つの結婚式がトラブルによって悲惨な結末を迎える小噺」と非常に類似点の多い立て籠もり事件が結婚式場で発生した。"警察は男性の元恋人である小噺の執筆者を疑いましたが、その女性は小噺の内容が事件と酷似している点を除けば一切の関連性を持ちませんでした。

あなた方が採用された職場は財団における虚構災害関連の研究部署として最大規模であると言えます。ここまでの話を聞いて質問のある方は?蝶の髪飾りを付けているそこのあなた、どうぞ……なるほど。確かにその考えはもっともですね。私たちが守り暮らしているこの世界が虚構では無いのか、それはこの部門で働く者として抱いて当然の疑問と言えるでしょう。私は存じ上げませんが、そういった疑問を研究している部門もあるかもしれませんね。話を戻して、結論から言えばこの世界は虚構です。

落ち着いて下さい、みなさん。今のは冗談です。冗談ですが、ふざけているわけではありません。虚構が力を持つと知っている私でも冗談を言うことは出来ます。これが何故かと言うと、そもそも口伝では虚構災害が発生し得ないからです。虚構災害の核となる虚構の条件としてまず"何らかの媒体に記述されている"必要があります。ええ、知らなくても仕方ありません。これが判明したのはかなり最近の出来事ですから。メモを取っておくと良いでしょう。

大体の方がメモを取り終えたようですね。では次の話題に移ります。実は虚構災害について最近判明した事実がもう1つあります。それを当てられたら初日のオリエンテーションは終了です。

いいえ、いいえ、いいえ、いいえ、いいえ。どれも違います。流石にノーヒントでは難しかったでしょうか?私が新人の頃はこういった無理難題をノーヒントでも解決できる天才が周りにいたので、あなた方の中にもそういった逸材がいると思っていたのですが、どうやら期待外れだったようですね。笑う必要はありませんよ。今のは冗談ではなく本心ですから。

黙りこくっていたらいつか出られると思っているんじゃありませんか?その程度の人間に虚構部門への参加資格はありません。そんな考え方の持ち主はみんないなくなりました。死んだのではありません。虚構災害に敗北するというのは、多くの場合において死の安寧すら失われた永劫の地獄に囚われる事を意味します。あなた方もそうなります。

一番後ろの席に座ってさっきからそわそわしている方、扉が開くか確かめて頂けますか?……ありがとう。開かないようですね。この部屋には窓がありませんから、唯一の出入り口は扉だけです。ピッキングが得意だとプロフィールに書いてあったそこの方、開けられるか試してください……おや、扉が消えてしまいましたね。これはどういうことでしょう、答えは私が持っている本を見てください!ちょっとだけ読み上げてやりましょう。『……鍵開けの達人が扉に近付くと、それは音もなく溶けるように消えてしまいます。こうしてエージェント達は研修室に囚われ、答えることも出来ず問いについて永遠に考え続けるのでした。天宮博士は本を手に持って彼らをあざ笑っています』なんてことだ、どうすればいいんでしょう!?己が能力を総動員して考えろ!お前たちは何と向き合っているのか!?現実を犯しているバケモノの正体はなんだ!お前たちはどうする必要がある!?

答えはどうしようもない、ですよ。もはや何をしても無駄です。そもそも今こうして喋っているのは私の意思ではありません。カオス・インサージェンシーだか蛇の手だか、どこかの誰かが私たちをワナにハメたんです。部屋の外ではこれを送り込んできた黒幕が暴挙の限りを尽くしているでしょう。おっと?まだ諦めていない方がいるようですね。その拳銃で何をするんです?私を撃ちますか?それも良いでしょう。ですが、それは物語に何の綻びも生みません。分かったらさっさと銃を降ろしなさ──

『蝶の髪飾りが発砲炎を反射してキラキラと輝く、銃声と同時に真っ赤な鮮血が壇上に立つ女の腕から噴き出した。空中に放り出された文庫本サイズの本に向かって紫色の蝶が飛ぶ。彼は狙い過たずそれをキャッチすると筆を走らせた』

……ええ、ええ。正解です。ああ大丈夫、心配ありませんよ。彼は急所を外してくれました。取り敢えずみなさん、落ち着いて深呼吸したら席について下さい。あなたもですよ……そうそう、それで構いません。では、いまいち事情が呑み込めていない様子のみなさんにも答えを伝えましょう。虚構災害について最近判明したもう一つの情報は"核となった虚構の登場人物の行動によって虚構災害の影響は軽減できる"という事です。メモを取ってください。

今何が起こっていたのかと言えば、バッドトリップです。みなさんは机に塗られていた揮発性の薬剤を吸引して精神薄弱になったところへ私の誘導が重なり、虚構災害に巻き込まれたかのような幻覚を見ていたのです。ある方が昔オリエンテーションで幻覚剤を用いていたと聞き、私も倣うことにしました。深呼吸してもらったのは空調設備から送り込まれているエアロゾル化させた中和剤を吸い込んでもらう為です。気分が良くない方の為に言っておくと、嘔吐袋は机の中にあります。

実は先程見せた幻覚と同様の虚構災害は過去に発生しています。ある中学校の生徒によって書き上げられた監禁・拷問・殺人を中心とする凄惨な復讐譚がクラスメイトの手により教室中の生徒に晒された事で認知度のトリガーを満たし虚構災害が発生、授業中の教室は完全に封鎖されました。財団は教室への進入を試みたものの有効な成果を上げられず手をこまねいていましたが、事態はある生徒の英雄的活躍によって収束を迎えます。その生徒は虚構災害の影響によって教室にいた誰もが抵抗の選択肢を失っていた時、唯一の友人として凶行を止めたいという想いから暴君と化していた生徒に反抗したのです。財団は同様の証言が複数得られたことから仮説を立て検証を行いました。その結果、登場人物の行動によって虚構災害の影響を軽減する事が可能だと判明しました。

私が言いたいのはですね、みなさん。もしもあなた方が虚構災害の登場人物になってしまった時は組み上げられた筋書きに綻びを生み展開を変えようとしてください。嘘偽りの世界に閉じ込められる恐怖を決して忘れず抗う事を諦めないでください。それこそが虚構を打破し現実へと帰還する方法です。

出血が悪化しないうちに医療部門へ寄る必要があるので、これにて講義を終了します。お疲れさまでした。

月杜博士、調子は如何ですか?そうですか、ゆっくりご静養下さい。ちなみに私は全治1週間だそうです。別に恨んでなどいませんよ……話題を変えましょうか。今回のオリエンテーションには腑に落ちない点があります。体調不良としか知らされず詳細が分からないまま引き受けさせられた代理講師の役目、渡された白紙のメモ、あれは何が目的だったのですか?……それは確かに、書類を見ればわかるでしょう。しかし、誰かさんに頼まれて一芝居打ったお陰で暫く書類を捲るのも億劫なんですよ……幻覚剤を使ったのは私のアドリブ?それはそうですね。

……なるほど、そういう事でしたか。道理でメモに何も書かれていない様に見えたわけですね。火で炙れば見えるタイプのインク……ふむ。まあそれは置いておきましょう。それより、ここ2週間ほど無菌室に滞在していてオリエンテーション直前の連絡では健康そのものだった博士が、オリエンテーション開始直後に体調を崩し、メモに書いてあった通りの症状を示している。博士の仰る通りの状況が確立されていたなら虚構災害が発生したと見て良いでしょう。特殊なインクや認識災害処理などによって通常では見えない"隠された文字"であっても記述の条件を満たす可能性があると判明したのは収穫ですね。

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