雲一つないこの青空に、5年前のあの日のことが強く思い出されます。当時、私はここMCF立欧州大学の片隅で新しい自然EVE計測装置の開発に取り組んでいました。8月13日当時も実働試験の最中でしたが、突如機械が激しく不可解な反応を示し始めました。神格実体が出現しようとしているとは夢にも思わなかった私は試作機の故障を疑い、点検のため地下へと向かいました。爆発が発生したのはちょうどこの時でした。
2015年8月13日4時53分。私はこの瞬間を決して忘れません。轟音に身を跳ね、崩れてくる天井を避けながらなんとか地上へと這いずりあがると、数分前に私がいた研究棟は瓦礫に変わっていました。それどころか、何十年も前からそこにあったはずのキャンパス自体が、周囲の峰ごと、ほとんど何もなかったかのように変わり果てていました。呆然と立ち尽くすままに見た夏の太陽とえぐれた山の向こうで休眠に入った神格実体の姿、そしてやけに広い夜明け空が、真昼の青空が、夕焼けが、今なお鮮明に思い出されます。
爆発と神格実体出現に伴う混乱はバルセロナからスペインへ、そして欧州、世界へと波及し、約100日間の間に数百万もの尊い魂が犠牲になりました。もしもあの時地下へ行っていなければ、私もそこに名を連ねることとなっていたでしょう。私が今ここにいるのは、幸運であるとしか言えません。私の友人や恩師もまた、その多くが命を落としました。MCF立欧州大学では全教員・学生のうち約8割が死亡・行方不明となるか、重傷を負いました。
バルセロナ・フォアラッシュ爆発事件と、スペイン巨大神格存在出現事件によって命を落とされた方々へ深く追悼の意を表し、そのご遺族及び関係者の皆様にお悔やみ申し上げます。
さて、このような人類史上未曾有の大事件を経てもなお、むしろだからこそ、現在このスペインを、そして世界を取り巻く状況は複雑極まりないものとなっています。各々の思想と利己心とが絡み合い、また衝突し、多くの混乱を生じているのが現状です。
スペインにおいてはこれまでに存在した人種・宗教・階級・地域・信条・貧富などといった対立構造の中へ遺伝的な種族による対立が新たに名を連ね、ヒュマノ主義者とヌートリア主義者とが激しく争うようになっています。このような思想団体の一部は特に憲法改正以降カルト化・先鋭化し、言論のみならず暴力にも訴え始めました。そのために今日、多くの無辜の市民が犠牲となっています。
いくらその思想や信条が立派なものであったとしても、個人や団体がその目的を達成するために、暴力に代表される恐るべき手段を用いて、無辜の市民を攻撃・迫害し、社会を混乱と恐怖に貶めるような事態は、必ず防がれなくてはなりません。
その一例に挙げられる一昨年のマドリード事件は、復興しつつあったスペインの社会を根底から揺るがすものでした。王をはじめとする指導者層の一新は政治不安をもたらし、事件による治安の悪化とインフラの破壊は思想対立と過激団体の台頭を助長しました。
また昨年発生したアフリカ・南アメリカの混乱は今なお続き、先行きは全く見えない状況です。過激派夏鳥主義者や緑雀主義者は二大陸を天命の地と称し、各国を侵蝕しています。ルトリズミストの扇動者たちも対岸での混乱をいいことにホモ・サピエンスをはじめとする国民・滞在者の排除を声高に訴えています。
これらの事件はいずれも、前世紀における「超常」的な事象に由来するがために、この混乱の責をベール政策の崩壊に帰し、財団やGOCなどの正常性維持機関やそれと協力してきた国家を激しく批判する動きがあります。しかし私はこれに酒肴しません。彼らにも当然過失はありますが、しかしそれが全てではないのです。
確かに1998年の事件によってベールが露わになっていなければ、このような事態が訪れることはなかったでしょう。しかし、だからといって、ベール以前の世界へ回帰しようと試みるべきではありませんし、現実的ではありません。
パラテクノロジーは今日、もはや人類にとって手放すことのできないものとなっています。「超常」的なテクノロジーなしには、これほど早くスペインの復興はなされておらず、私が今演説をしている大学広場も、彼方に見えるサグラダ・ファミリアも再建されてはいなかったことでしょう。
確かにテクノロジーへの依存には注意が必要です。しかしながらそれは過去へ後退すべきという意味ではありません。我々には、困難な現実に対応しつつ未来へと前進する責務があるのです。そしてその未来を創るのは「私」だけではないのです。思想も外見も国籍も文化も異なる我々人類が、共に手を取り合い、時に対立しながらも、未来を作ることとなるのです。
私から見れば、ホモ・サピエンス至上主義も、ルトラ・サピエンス至上主義も、非現実的な妄執にすぎません。
今この場でこの演説をお聞きの皆さん、そして世界の皆さん。スペインにいるのはカワウソとホモサピエンスだけではありません。私は見ての通り、石像系の人間です。私のような伝承部族ですらない、「その他の種族」も確かに人類には存在しているのです。
私が自分のことを人類と自称するのに、今なお違和感を覚える方も多いでしょう。これまでに幾度も心無い言葉をかけられたことがあります。しかしそれでも私は自分が人類の一員であると自覚しています。
私には意識があります。知覚があります。家族がいます。友人がいます。私は今ここに生きています。どうして私が人類ではないと、いち「サピエンス」ではないといえるのでしょうか?
私には一つ願いがあります。私には全身全霊を賭して為したいことが一つあります。
かつて、数十年前のワシントンで一人の牧師が願ったのと同じように、いつの日か、ホモ・サピエンスと、ルトラ・サピエンスと、そして私のようなその他の異種族とが、一つの集団として、人類として、分け隔てなく、隔意なく、幸福に過ごすことができる日が来ることを願っています。子供たちが、その出自や思想自体とは無関係に、おのずから手を取り合って語らい、笑い合える日が来ることを願っています。
その未来を実現するために、私は我が人生と身体を以て、言語によって闘うことを宣言します。
我々は前に進まねばならないのです。その歩みが遅々たるものであろうと、曲がりくねった道筋であろうと、我々は前へ進み続けねばなりません。
この想いは本来、私の友人たちが語った願いでした。彼らもまた5年前の事件によって、命を失いました。けれどもその想いは、遺志は、決して絶えさせはしまい。私はそう決意しています。
改めてバルセロナ・フォアラッシュ爆発事件と、スペイン巨大神格存在出現事件によって命を落とされた方々へ深く追悼の意を表し、そのご遺族及び関係者の皆様にお悔やみ申し上げます。
このような事態を二度と起こさないためにも、我々は手を取り合い、スペインの標語にもあるように、さらに前へと進み行かねばならないのです。
この宣言と決意とを彼らへの追悼として、私の演説を終わらせていただきます。
2020. 8.13
マナによる慈善財団立欧州大学中央広場
マナによる慈善財団立欧州大学院
奇跡学修士 シシフォ・シエラ・ピノ