高天原にはもう隠れられる場所はないから、中津国に降りてまでここに籠った。太陽を喪う世界には申し訳なく思ったが、神の元締め、太陽を背負う役割を担い続けられる自信なんて、当の昔、神代のいずこかに消え失せたのだ。私のような天下を遍く照らせる神威は持たないとはいえ、八咫烏やオモイカネが何とかするだろうと思っていたし、そうしてほしかった。そうしてほしかったが──
「太陽以外の光源はありません」
いざその言葉を聞くやいなや、心のどこかが折れたような、そんな空虚な衝撃を受けた。
本来、私の孤独は私が願ったことであり、それが叶うのは願ってもないことだった。高天原の最高神たる私に、孤独など無縁だったから。他者に疲れない日はなかった。だから、こうした孤独は癒しのはずなのだ。きっと私を忘れて、他の者は今日も一日を過ごしているに違いない。これは私の理想のはずだ……
しかし、現実の私の心には「憩い」や「自由」といった鮮やかな言葉はなく、ただただ「虚無」「自嘲」といった灰色の言葉が堆積するばかりだった。
冷静に顧みると、私には「太陽は私の他におらず、私を代替することはできない」という醜悪な驕りがあった。それが単なる思い上がりだったのは、今この状況がまざまざと見せつけてくれる。あの言葉を聞いた直後の激昂は、ただ自分の太陽神としての誇りが傷つけられた怒りであって、決して疑問や不安がそうさせたのではない。あの時はただただ殺意のために「誰」と尋ねたのだ。神にあってはならない稚拙な感情、俗に染まった、最高神にあるまじき愚劣な心……それに気付いて、ますます私は自分が嫌になった。
私がうずくまっている間に私じゃない日が昇り、沈み、おそらく月読であろう明かりが暗がりを照らし、しばらくするとまた私じゃない日が暗がりを塗りつぶす。そのなかで、必ず一度だけ、ある人間が私に声をかける。
「すみません、少しお時間よろしいでしょうか?」
私は何も答えない。私の声も聴きたくないから。
「……そろそろ二年と少しが経ちますね」
私は何も答えない。私が動くことに嫌悪感を覚えるから。
「あなたが返事をしてもしなくても、僕はこの時間が最近好きになりました。どうしたら話しかけてくれるかな、そう考えてるときが一番楽しくて」
私は何も答えない。何も答えたくないという一時の気分が、いつしか意地に変わってしまったから。
「まあいいや、本題に入りますね……ここ最近、あなたのいる洞の光量と熱量が減少している理由は何でしょうか」
私は何も答えない。何も考えたくないから。
「……また明日来ます」
私は何も答えない。が、あの人間は哀れだと思う。私は何も答えないのに、あの人間は懲りずにこちらへ来る。きっと誰かに命じられているのだろう。「どうせ答えないだろうけど」という諦めが混じった命令を、あなたは懲りずに受けてここへ来る……その愚かしく哀れな姿に、同情を禁じ得なかった。
しかし、この洞の光が減っているとは、どういうことなのだろう。どのような気分でも、私が隠れない限りは絶えず変わらなかったというのに。まあ、それももうどうでもいいや。
「────だって、私はもはや『太陽ではない』のだから」
私の口から漏れ出た言葉は、私の全てを否定し、洞の中を暗闇に包んだ。
あれから幾刻も経たぬうちに、私の洞の中を「探査機」とやらが徘徊しはじめた。以前は蒸発していたそうだが、今では洞も私も関係なく這い回り、飛び回る。鬱陶しいが、今の私にはもう払いのける気力もなくなった。「明日来る」と言っていたあの人間はもう来なかった。腹は空虚になり、喉は風が良く通るようになった。あの日の出を三回繰り返すころには、視界も暗くなっていた。そういえば、あの人間は暗くなってから来てないな……あれももう諦めたのかな……
そんな意識が夢も現もつかなくなって、それでもかすかに強い光が視界に入る昼下がり、身体の内側が、唐突に熱くなった。視界の眩さばかりに眼が痛くなり、思わず顔をしかめる。
「あなたは、誰なのですか?」
ふと、そんな疑問が息を吹き返す。かつて私は太陽だった。その時代の思い出は消えない。そうだ、今の私は太陽ではなくとも、かつては太陽であったのだ!私が太陽でなくなったのなら、今の太陽へとその身を捧げ、新しい私として未来を託すべきではないか!?私の身体の火照りは留まることを知らず、宙へと浮き出す。洞を透き通り、外へと、空へと、天へと、宙へと!
私がいた大地の球は意外にも青く、振り返れば煌煌と輝く星がある。焼け落ちる身体はあなたの中へ、融けた身体はあなたの熱へ!汚くておぞましい私の心は、あなたの光で消しましょう!もう私が「在る」という事実に耐えられない!太陽よ、私を太陽に!すぐに私を燃して、天下を遍く見守ってください!
そして、私たちは一つになった。
結局、私の期待は完全にはかなわなかった。私は太陽だったものとして身をくべ、あとは未来に託すことしか考えていなかったが、意識はこのように残っている。私の身体は融けては実り、実っては融けてを繰り返している。熱さや苦しみはさほど感じないが、意識が消えないのは問題だった。これでは私の嫌な心が消えない。私が最も嫌いな場所はそのままだなんて、意地が悪いと思った。私はもう、考えたくないのに。
失望を抱えたまま何度も何度も焼かれて実って、何度も何度も融けては実って、それを億回繰り返したころ、たくさんの歌声が聞こえるようになった。太陽を称える讃美歌が聞こえるようになった。最初はおぞましい声に融ける耳を塞いでいたが、これが繰り返して聴くうちに心地が良くなってくるのだ。声こそ良いものではないが、心底太陽を愛している声だった。それに、太陽を崇める歌とは、名実共に太陽たる私を崇める歌なのだ。称えられて、崇められて嬉しくない者などどこにいようか?失望は、いつしかそれを上回る賛辞で消えてしまっていた。
しかし、この讃美歌でいっぱいの聴覚は、異音に聡くなった。
歌を唾棄する者がいることが、時間が経つにつれてはっきりとわかるようになった。財団と、GOCと呼ばれる人々が主だった。しかし、その恨みの声も、耐えるといつしか讃美歌に変わる。きっと歌っている者たちが彼らに太陽の良さを広めたのだろう。
次は、讃美歌に戸惑いが聞こえた。太陽に見られているという最上の栄誉を賜ったのに、それが不安に思えてしまう。そんな戸惑いだった。私はそれが腹立たしいことこの上なかった。まるで私が疑われているようで、私が太陽ではないなんて、忌々しい記憶を呼び出そうとするようで!結局、その戸惑いの原因は、私が雲に隠れている時に私を僭称する浅ましいものだった。原因がわかると、すぐに曇りない讃美歌が偽物を潰してくれた。
恨み節が途絶えたり、曇りなき賛辞に変わったりするときが、私の最大の愉悦になった。
────あぁ、そうだ。私は、褒めてほしかったのかもしれない。
しかし、そう考えるとやはり今が最高だ。私の思考は、そこで止まった。
讃美歌と恨みの声の戦争は圧倒的に讃美歌が優勢で、恨みは数えるほどしか残らなくなったある時、そこにたった一つ、渇望の声が混じっていることに気づいた。第三の声にすこし新鮮な思いがして、どこか少し懐かしい気がして、追ってみることにした。
基本は渇望、再会を求める声が、恨みの声の合間に聞こえる形で、時間が経つほど渇望の声が良く聞こえるようになった。そしてちらつく絶望で憐憫がそそられる。讃美歌にはそぐわない声だというのに、私は驚くほど惹かれていた。
今度は渇望が期待に変わっていった。賛美とは違う声だ。絶望の声は聞こえなくなり、恨みすら期待で塗りつぶす。変わった人もいるものだと思った。
結局、讃美歌に変わった。結局、期待も絶望も恨みも、全部全部私への賛辞へ変わった。最後、期待や渇望は全て消え去り、「最後こそあなたと話したかったんですが」と、妙に安らかな、しかし聞き覚えのある声が聞こえた。おかしい。私は耳を埋め尽くすこの歌が一番好きなのに、どうして空虚な気持ちなんだろう。どうして名残惜しく感じているんだろう。太陽の輝きに融かされる中で、一つ、思い出した。いくら私が無視しても、諦めずに、懲りずに私に話しかけていたあの人間のことを。
────まさか。
あの人間だったのか?あれは私を求めていた人間だったのか?太陽ではなく、私を?
「あ、ぁあ……」
あの人はずっと私を見ていた。太陽を見ていなかった。讃美歌はずっと太陽だけを見ていた。私なんて見てなかった。同じじゃない。違うんだ。私は、太陽にくべて勘違いしていたんだ。いや、もしかしたら、もっと前から……
「あぁああ……!」
気付くには遅すぎた。もっと早く、あの人間と話していれば、くだらない意地なんて張ってなければ、こんな下卑た心が無ければ、もっと違う未来があったかもしれないのに。
融ける身体を、ずっと強く後悔した。あの失望よりも、深く、強く。
ああ、そうだったのか。私が欲しかったのは、私を褒め称える歌ではなくって……きっと……
「やめて、歌わないでください……その歌をやめてください!!お願いですから……もっとあの声を……」
されども讃美歌は止まず、身体は融けて、また実る。
渇望しても叶わない。私の救いは、私が自ら絶ち切った。私の心は、いつしか止まった。