花を植えよう
超常社会であっても、生きていくのは難しくない。けれども、幸せになろうとすると、戦場で花を育てるような話になってくる。
他所よりも比較的マシな財団とて例外ではない。理不尽な事故、不注意、要注意団体の襲撃。サイトによって確率は違えど、リスク自体は消えないものだ。
そんな環境で非推奨とされる恋愛を始めて、不器用なりに足掻いてみたのは、一体どういうつもりだったか。私自身、あまり心当たりが無い。
研究員として割り当てられた席に腰掛け、モーニングルーティーンと化した机上の整頓を始める。少し前までは書類とマグカップしかなかったデスクには、いつの間にかキーホルダーやキャラもののボールペンが増えている。いや、いつの間にか、という表現は正しくない。見様見真似でカトラリーを使うようなデートを繰り返すたびに、思い出として買ったものだ。日付までは覚えていないが、どれも買った記憶がある。
私の出勤から12分後、彼女はいつもその時間に出勤してくる。亜麻色の髪を揺らして、売店で購入したサンドイッチを左手に握った状態で。
時計をちらりと確認し、入口の方を見た私は、普段通りの彼女と、普段と違う百均の袋に気付いた。
一体何を買ったのか。問い詰めるものでもないかと疑問を忘れようとする私に、彼女は近づいてくる。机に置かれるサンドイッチと袋に突っ込まれた左手は、私が無関係ではないと雄弁に語っていた。
「おはようございます。これ、もしよろしければ」
「おはようございます。これは、一体?」
「サボテンです」
「それは見れば……いえ、ありがとうございます」
小さな植木鉢と、植木鉢に見合う小さなサボテン。
軽い音とともに置かれたそれは、恐らくプレゼント。……嬉しくはある。嬉しくはあるのだが、やはり疑問の方が大きい。
「どうしたんです? 何かの記念日でしたか」
彼女は生真面目なタイプだ。今日が何かの記念日ならばプレゼントもあるかもしれないが、心当たりが無い。では、理由も無く? それこそ考えづらい。
意を決して聞いてみると、予想外の答えが飛んできた。
「いえ、来週から暫く出張することになったので。寂しくないように、と」
「なるほど。では、帰ってくるまでは枯らさないようにしますね」
「そう簡単には枯れませんよ。除草剤でも撒かなければ」
彼女は私のことを、子供だと思っているのだろうか。
触れてもそれほど痛くない棘を指先で突きながら、改めて礼を言う。
掠れた緑色の増えた机は、今までよりも少し人間味が増して見えた。
予定通り、彼女は約2か月の出張に行ってしまった。
地道なデータ整理作業の合間にちらりと見たサボテンは、まだ数日だというのに机に馴染んでいる。周囲に馴染むのが社交性なら、私よりも数倍社交的と言えるだろう。
そんな小さな変化が少しずつ積み重なってはいるものの、私の生活自体はそれほど変わらない。
仕事をして、食事をして、眠る。あえて変化を挙げるとすれば、口を開く回数が減って、休日の掃除が捗るくらい。つまり、ちょっとした余暇が増えたというわけだ。
まあ、彼女との時間を拘束時間だと思っているわけではないけど。
誰に向けるわけでもない言い訳を脳内で呟き、始業前のデスクでブラウザを立ち上げる。
検索窓に入力するのは、検索の旬は疾うに過ぎているであろう2単語。
『サボテン プレゼント』
遠いどこかで働く彼女に思いを馳せて、ふと意味が気になった。ただそれだけだ。
目についた単語を後ろに付け足しながら検索を進める。それでも、出てくる検索結果はあまり変わらない。
枯れぬ愛、情熱……彼女らしくもない。少なくとも、花言葉は判断基準に加えていないのだろう。同じく、魔除けというのも違いそうだ。
手入れが楽だと思ったか、本当に小さな置物感覚だったかだろう。らしいと言えばらしいが、気にして損したというのが素直な所だ。
後ろめたいことでもあるみたいにブラウザの履歴を消し、代わりにサボテンの育て方を調べていく。
現代のネットワークが速いのか、来るのが早すぎたのか。
始業までは、まだ十分すぎるほど時間があった。
詩集を買おう
「人生って、ゆとりが必要だと思うんですよ」
出張から帰ってきて最初の休日。書店の前で、彼女はそう切り出した。
2か月も会わなかったというのに、振る舞いは何も変わっていない。あの退屈な日々が夢か何かだったのではと疑うほどだ。
不満と呼ぶほどでもない感情を脇に置き、憎らしいほど普段通りの口調で言われた内容を反芻する。
私にとって本と言えばデータシートや技術書くらいで、実用性で選ぶものだった。だから、娯楽としての読書を――好きな分野を専攻しているのだから、現時点で既に娯楽ではあるけど――始めてみよう、ということらしい。言われてみれば、高校の国語以降は物語に触れていなかった。
書店のあまり立ち寄らない棚へと向かい、彼女に教わりながら本を見ていく。エッセイに推理小説、何やらウェブサイトに書かれていたらしい小説まで、幅広いというよりも雑多に感じるほど色々なジャンルの本が置かれている。気になった本を手に取り、書き出しや帯の宣伝文句を見ては戻していく。
「意外とちゃんと選ぶんですね。興味無いかと」
「せっかく買うなら、気に入るものを買いたいですから」
同意の返事を受け取りつつ、パラパラと中身を覗いた本を再び戻す。
店内をぐるぐると回り、棚を覗いては引き返す。その繰り返しの最中、詩集のコーナーに目が留まった。
読書といえば小説というイメージが強かったが、詩だって文章だ。小説でなくとも良いと確認を取り、棚に向き合う。
これだけ何人も、詩という形式で事実以外を記述しているのか。なんとなく、感慨深いものがある。
一冊手に取っては戻し、次の詩集も取っては戻し。そうしてここもダメだったかと肩を落とそうとしたとき、最後に手に取ってみた一冊の詩集に心を惹かれた。
特別その詩が良いのか否か、そういうことは分からない。ただ、なんとなく気に入った。
「これ……これにします」
「では私はこれを」
私が取ったのと同じ作者の詩集を手に取り、彼女はレジへと向かっていく。慣れた様子でポイントカードを店員に出しているあたり、結構この書店には来ているのだろう。
意外な一面を知ったような気分で詩集を受け取り、今さっき立て替えてもらっていた代金を渡す。
あんなに読書家だったなら、花言葉でサボテンを選んでいてもおかしくないな。
ふと鉢植えを思い出し、妙な気恥ずかしさを覚える。もしそうだったとして私は言われた側でしかないのに。
そんな内心に気付いたのかと疑うほどいいタイミングで、彼女は本の表紙を撫でながら口を開いた。
「詩はいいですよ。何度読んでも新たな気づきがありますから」
「そういうものなんですね。それにしても、意外でした。こんなに読書家だったなんて」
「活字中毒なだけですよ」
好きな小説などの情報を聞きながら、詩集を手元の鞄に仕舞い込む。
書店名入りのブックカバーに覆われた詩集は、なんとなく温かく感じた。
パンを焼こう
何時からかは分からないが、彼女と予定を合わせて行く場所は、いわゆるデートスポットではなく私の部屋になっていた。
家賃が良いというだけの理由で入り、すっかり馴染んでしまったサイトに併設された職員寮。寝るためだけだった空間に私以外の人間が居るというのは、何か見落としているような奇妙な感覚がする。
今日は、家のオーブンレンジでパンを焼くことになっていた。
買ったは良いが使っていないという会話から、クッキーかパンかを選んで、適当に決めた"また今度"が今日だったというだけ。何か特別なことがあったわけではない。
二人で合意しただけの、ちょっとした気まぐれだ。
「このレシピなら作れるはずなので、買ってきました」
「パンって、発酵させずに作れるんですか」
「そういうレシピですよ。こういう時短レシピは調べてみると楽しいので、おすすめです」
少し痛んだ茶髪――仕事の疲れのせいだろう――をヘアゴムで縛るのを眺めつつ、携帯を覗き込む。
強力粉にチョコレート、塩と砂糖。他にも色々あるが、表示された材料は、彼女が持ってきたビニール袋に入っていたものか、常備しているものばかりだ。
計量した材料をボウルに突っ込み、おっかなびっくり混ぜていく。提案した割に、パン作りは慣れていないらしい。私もそうだが。
1gくらいは構わない、なんて実験室では言えないことを口走りながら生地を捏ねる。
10分を超える格闘の末出来上がった生地は、もちもちと柔らかい。
小分けにした生地をクッキングシート上に並べ、レシピ通り予熱したオーブンへと投入する。あとはしばらく焼くだけだ。
強力粉で汚れた手を洗い、2人並んでベッドに腰掛ける。1人暮らしを前提とした職員寮は、2人で入るとなるとやや狭い。一時的に招くだけでこれなのだから、住むのは大分難しそうだ。
「……なんですか?」
「パン生地は、人の頬と同じくらいだと聞いたことがあったので」
「自分のでやればいいじゃないですか」
断りも無く頬に触れるという暴挙に呆れながら、すっかり様変わりした室内を眺める。
小さな本棚の中には、お気に入りの雑誌に紛れて、いつぞやの詩集が置いてある。まだ3割ほどしか読めていない。誘われて始めたスクラップブックは5日で飽きた。オフィスのデスクから部屋に移したサボテンは、心なしか大きくなっている。彼女のように触れることはできないが、日常に緑があるのは良いと聞いたことがある。彼女と過ごした時間が可視化される感覚も好みだ。
部屋と私に彼女の影響が増えていく。今も頬には水道水で冷えた指の感触があるし、これからも何かが増えていくのだろう。
2人で金を出し合って、サイトにアクセスの良いマンションを借りるのも良い。私たちが勤めるサイトは機密度が低いから、漏洩さえ気を付ければ外部から通勤することもできたはずだ。
「――なんて、どうですか? 同棲というよりはシェアハウスみたいな雰囲気になりそうですが」
「いいですね。サイトから1時間以内ならどこでもいいですよ」
「随分乗り気ですね」
「このペースで物が増えたら、そうそう引っ越しなんて出来なくなるじゃないですか。善は急げ、です」
楽しみですね。そうですね。
パートナーと呼ぶには少し余所余所しいような、私たちに限って言えば丁度いいような。そんなやり取りをしながら時間を潰していると、ようやくパンが焼きあがった。
室内に漂う小麦とチョコレートの香ばしい匂いは、どこかのショッピングモールで嗅いだことのある匂いだ。自然と空腹感を覚える。
オーブンを開けてみると、焦げなどは付いていない綺麗なパンが現れた。1つだけ、チョコレートがクッキングシート上に垂れている。ちょっと入れすぎたのだろう。
「いい具合ですね。先に食べますか?」
「いただきます」
チョコレートの溢れたパンを半分に千切り、口に運ぶ。
それなりに苦労したのもあってか、美味しさも一入。それを抜きにしても悪くない出来だ。
分かりやすく目を輝かせるのを見て、残る9切れのパンから4つ袋に詰める。彼女が持って帰る分だ。
「私の与えるパンは、世の命のために与える私の肉である、というのを思い出しますね。ここまで甘いのならしっかりタレに漬け込んだお肉でしょうけど」
「聖書でしたっけ? もう少しいいタイミングがあったでしょうに」
「すみません。思い出してしまったもので」
思い出すにしても、もう少しタイミングを考えてほしい。
いまいち空気の読めない、あるいは最適すぎた言葉が妙に記憶に残るような感覚の中。試食で個数が合わなくなったから、もう1つパンを割る。
結局合わせて、1人1つずつ。割る意味が無かったという無粋な感想をチョコレートの芳香に紛れさせる。
彼女のお蔭で、私の日々は色づいた。このパンもそうだ。それをどうお返しをすれば良いのか、私にはわからなかった。
それを私だと思って
その日、始業時間になっても彼女は来なかった。
珍しいどころの話ではない。彼女が連絡も無く、仕事に遅れるなんて。
嫌な想像に思考を引きずられて仕事に身が入らない状態で、書類を片付ける。データを纏める。
いつも通りの仕事だ。ただ、少し離れたデスクに、見慣れた亜麻色が見えないというだけ。
そうして迎えた昼休み。
給湯室の電子レンジの加熱を待っていた私は、葬祭部門に呼び出された。
問題は起こしていないはず。では、なぜか。嫌な予感が現実味を帯びる。
指定のあった小さな部屋に立ち入ると同時に手渡されたのは、1枚の茶封筒であった。書かれた文字は、遺言書。
「これ、は……」
「遺言書です。あなたも書いたでしょう?」
それは分かっている。財団で働き始めた頃に、同意書と一緒に書いた。
問題はその遺言書の主だ。すっかり見慣れた姓名。個人用の携帯で1番連絡を取り合った相手だ。いずれはどちらかの姓を名乗ろうと、言外に約束していた。
「心中お察しします。この人、出張の直前に宛先を変えに来たんですよ」
「……律儀な人ですね」
「ええ、本当に」
義務的な同意なのか、本音なのか。私には区別がつかなかった。
この場で読んでも良いか確認を取り、封を切る。
実は死を偽装していて、何かを伝えようとしているのかも。
ちょうど少し前に読んだ小説は、そういう展開だった。事実は小説よりも奇なりと言うのなら、それくらいあってほしい。
数え上げるように、祈るように1文字ずつ読んでいく。
1枚目の便箋には遺品の取り扱いや業務の引継ぎなどの、事務的な内容。2枚目の便箋には思い出の話。数年前……今の関係が始まってすぐのことまで、かなりの文字数で語られている。テーマパークに、終業後の誕生日パーティー。どれも覚えている。
出来の悪い小説を読むような気分だ。独善的で、それを読む人間のことなんて少しも考えていない。だというのに、綺麗に整ったボールペンの文字が、他人、よりにもよって私に読ませるものであると主張している。
時系列順に書かれた思い出は3枚目の便箋に突入する。その最後に見つけた、サボテンの4文字。ちょうど、出張前の話だろう。
花があれば、私が居なくても寂しくないだろうから。滅多なことでは枯れないから。花が咲いたら見てみたいから。
選定基準はそんなものだった。花言葉という単語はどこにもない。彼女の代わりに長持ちして、運が良ければ花が見れる。本当にそれだけの理由。一応、彼女なりの気遣いだろう。
もしも事故で死んだりしても良いように、遺言書を更新したらしい。そのマメさがあるのなら、なぜ戻ってからも書いてくれなかったのか。いや、そもそも気合いで生還するくらいはしてくれ。どうして足掻きもせずに死ぬ前提なんだ。
私の予想とは異なる挙動を繰り返す様が、どうにも彼女らしい。こんなに活発に動く人間の代わりに植物を据えるのは無理がある。
彼女らしいからと笑えるほどの元気は無い。けれども、その日常の延長線上の振る舞いが、私を勇気づけてくれているように感じる。
「すみません、ありがとうございました。彼女の仕事の引継ぎなどを済ませてきます」
「ええ、お気をつけて。今日は早退も認められるはずです」
「ありがとうございます。でも、大丈夫です」
遺言書を手に持ち、再びオフィスに戻る。
温めている最中だった昼食――彼女と焼いたパン――は、既に冷たくなっている。彼女の身体も、今はこの温度なのだろうか。もう少し冷たいかもしれない。
再び加熱時間を設定し、無機質な音とともに回転するパンを眺めていると、遺言書の最後の1文を思い出した。
それを私だと思って。
便箋の中程、どうにも中途半端な位置に書かれた指示語に、このパンは含まれているのだろうか。その答えをどう予測しても、私の願望でしかないように感じてしまった。



