プリチャード学院高等学校: 学際・教養科目『超常科学・超常技術史基礎Ⅰ』より抜粋 - 戦争と超常技術
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(高木 超常技術史基礎Ⅰ 超常科学・超常技術史基礎Ⅰ, 20██)

第七次オカルト大戦と第二次世界大戦

ヴェールの表で第二次世界大戦が始まる6ヶ月前、1939年の3月に第七次オカルト大戦は開戦しました。戦争に至るまでの数年間、アーネンエルベ・オブスクラトゥーレ協会内の協力者は、ソロモンの儀式と呼ばれる、人類における奇跡術の行使能力を任意に再割当する儀式を行使して、ナチス政権やその関係者に奇跡術の行使能力を独占させようと目論み、儀式を実行するのに必要な遺物を獲得していきました。超常ルネサンス後期の遺物収集競争は、第七次オカルト大戦の前哨戦でもあったのです。ナチスドイツが英国の宥和政策によって利益を増やし続けている時、オブスクラは遺物を手に入れようと奮闘し、最終的に他の超常団体と衝突するようになっていきました。一説によればJ.C.ランダル博士の死は探索の道中で遭遇したトゥーレ協会構成員によるものだとされています。改革派テンプル騎士団英国オカルトサービスが率いる連合国オカルトイニシアチブ(AOI/Allied Occult Coalition)は、オブスクラとその活動に抵抗するためにすぐに結成されました。

その初戦はプラハにおいて起こり、テンプルコマンド部隊に支援されるプラハのゴーレムはオブスクラ軍団を打ち破ることに成功します。規模としては少数のオブスクラ軍団は、この不利を覆すためにオカルトの軍事利用を積極的に押し進めましたが、これはAOIを中心とする超常組織連合体が、交戦をヴェールの裏側に隠しながら効率的に敵を排撃するために、超常技術を積極的に使用することの正当化に寄与しました。超常技術研究の第一人者となっていたプロメテウス・ラボは、その著しい超常技術の知識をAOIに貸し出したり、超常兵器を量産し、ヴェールの裏側での数々の勝利に貢献しました。しかし、ヴェールの表側ではナチス・ドイツは欧州を席巻しており、AOIは戦争の最後の年まで、オブスクラ軍団が準備を進めていた儀式の目的を完全に知ることはありませんでした。

それでも次第に表世界での戦況がドイツ不利に傾き始めると、これまで中立を決め込んでいた財団はAOI側から参戦し、ローマ教皇庁もライヒスコンコルダートの度重なる違反を理由に、密かに改革派テンプル騎士団などへの支援を開始します。ちなみに、後に超常技術の利用に関してパラテック産業と意見を異にする境界線イニシアチブが設立されたのも1944年のことで、成立にはエキュメニズム以外にも第七次オカルト大戦の影響があるという学説も存在します。1944年9月1日、財団機動部隊が儀式研究回収部隊指揮官であるコンラード・ヴァイスを捕縛し、オブスクラの目的がソロモンの儀式の再演であることが明らかになると、AOIはノルウェーにてその試みの妨害を進めます。そして1945年1月、財団とAOIは合同でオブスクラ軍団のソロモンの儀式の再演の試みを破却するため、オペレーション・イオン・ドーンを開始します。作戦は成功、オブスクラ軍団の残存部隊は敗走し、第七次オカルト大戦は終戦を迎えました。

アジア太平洋戦争とオカルト

アジア太平洋戦争においてもオカルトはその戦争の重要な一部でした。既に1931年の盧溝橋事件に端を反する日中戦争においても、軍と調査局は大陸各地において超常研究機関の巡検を行ったほか、大陸の土地や捕虜をオカルトの兵器化に当たっての実験場として活用したことが知られています。特に日中戦争は調査局の一大拠点が存在した満州と戦線が近いことから、後に述べる太平洋地域より多くの実証実験が実行され、戦争末期には実証実験と称した実戦投入が繰り返されました。また、参謀本部第2部第8課第13班<特種物資回収班>(三千機関)を始めとする軍特務機関が、欧州や東南・南アジアにおいて超常物資収集活動を始めとした諜報活動を戦前から行っていました。

太平洋戦争の緒戦において日本軍が拡大した占領地域では、すぐさま陸海軍の超常研究機関と調査局が巡検を進めました。占領地域の広大さを前に、両組織は戦争利用が有意に見込まれる事物に絞って巡検を行ったため、その対象には英国オカルトサービスの関連事象が多く含まれました。そのため、占領地域土着のオカルト団体の多くは、これを静観、あるいは積極的に調査局を支援しました。

軍と調査局は海を越えた先の、アーネンエルベ・オブスクライタリア王立異常事例研究院(RIDIA/Regio Istitvto Delle Italiche Anomaliæ)とも度々技術開発協力を進めたほか、連合国オカルトイニシアチブ(AOI)への攻撃を繰り返しました。また彼らは占領地域や海外において、国籍、人種、性別を問わず科学者やオカルト関係者を集めていました。陸軍特別医療部隊(負号部隊)には連合国側の国籍の構成員も確認されており、その中にはAOIが排撃対象にしていた者が事実上の亡命のために移籍した事例が含まれます。ただ、集められた個々の人員が構成員と実験体、どちらの扱いを受けていたのかは明確ではありません。

戦争の趨勢が米国に傾くと、日本軍の占領政策は現地民の抑圧の度合いを増していきます。英国オカルトサービスが一次撤退した中、調査局の巡検も土着のオカルト団体に及ぶようになり、日本軍に対する抵抗運動に彼らが次々と加わっていくことになります。軍の超常部署や調査局はヴェールを厭わない彼らの活動の抑止・鎮圧のために労力を割かねばならなくなり、調査局や軍の研究者らは特殊自治大隊(妖怪大隊)などの計画群の研究加速のために、満州国や内地に順次撤退していきました。しかし、米軍に対する戦線に踏みとどまった軍の超常部署や調査局の戦闘部隊は、数少ない彼らの研究成果と日本の超常ルネサンスの成果を的確に利用したため、米軍の超常技官はしばしばその対応に大いに苦しむことになります。

いずれにせよ、日本が大陸に築いた近代化済の超常資産は、撤退する軍・研究者による帳協定に基づく破壊処置を受け、更にはその後進出した連合軍の国家超常機関と正常性維持機関によって接収されたことで、現地出身の人員を残して粗方消失し、特に韓国ではその後現在に至るまで半世紀もの間、超常行政が財団に主導される結果を招くことになります。

冷戦とオカルトの軍事利用

第七次オカルト大戦において、連合国オカルトイニシアチブに超常技術とその知識を供給した、プロメテウス・ラボを始めとする超常技術供給者は、見返りとして多くの資金と超常事物に関する知識を取得しました。間もなく始まった冷戦は、彼らに次の市場を与えることになり、ヴェールの裏側において、軍参謀本部情報総局精神工学部局(GRU-P)ソ連国家保安委員会(KGB)特殊現象課東ドイツ国家保安省(MfS)第25局に主導される東側と、アメリカ国防総省のオカルト部門(ペンタグラム)とプロメテウス・ラボ等の超常企業に主導される西側は、白熱した核開発に匹敵するほどの超常的な軍拡競争を繰り広げることになります。既にオカルトの兵器化に対するタブーは失われていました。

その前哨戦ともいえるのが、米軍がドイツで展開したペーパークラフト作戦に代表される、先端科学者とオカルト関係者の獲得競争でした。アメリカやソ連にとって不幸であったことは、オカルト関係者に関しては「オーゼンベルク・リスト」は存在せず、人材の効率的な確保の高いハードルとなっていたことでした。日本においては、GHQに先立って、財団が日本進出を果たして蒐集院の吸収を進めており、乱立した研究組織群の存在も、連合国の妨げとなりました。また、一部の連合国軍高官が枢軸国の超常産業基盤の完全な破壊を主張していたことや、彼らに近いAOIの一部部隊が枢軸国側研究者とオカルト関係者の人狩りを実行していたことは、連合国側の国家超常機関への寝返りを抑止することに繋がりました。そういった中、国際超常コミュニティから一定の距離を置いていた財団や、ヴェールの裏側に地歩を固めていた民間超常団体(と後に彼らを多く抱えることになる世界オカルト連合)は、この獲得競争を優位に進めることができました。これは現在に至るまで、国家超常機関に対する財団と世界オカルト連合の優位を支えている一つの要因です。国家にも正常性維持機関にもまつろわぬ研究者らは戦後の混乱のなか、ヴェールの裏側のさらに奥、後に超常の飛び地となる場所に逃げ延びます。

戦前から多くの正常性維持機関や国家超常機関は、ヴェールの保全のために隠蔽・諜報分野で活用する目的で、ミーム工学・ギアステクノロジーに興味を持っており、その成果は既に広く知られていましたが、真っ先に兵器化の試みが見られたのもその知見があったミーム工学の分野でした。ペンタグラムは朝鮮戦争(1950-1953)の時点で、ミーム工学の成果を接近阻止・領域拒否(A2/AD)兵器としての音響ミーム兵器として結実させます。また反ミームに関する理論研究の結実は、ヴェール保全にも大きく役立ちましたが、米ソ両国はその成果を核兵器プラットフォームや地球軌道上の攻撃兵器の隠蔽に活用しました。米国政府の戦略防衛構想(スターウォーズ計画)には、複雑な奇跡論ルーンを利用した指向性運動エネルギー兵器を搭載した、高隠蔽・超常工学兵器衛星が含まれていたことが判明しています。また、米国政府は超常技術供給者と共同で、オペレーション・アレス・フォージと呼ばれる、オカルトベース兵器の開発と同盟国への販売を企図した計画を遂行していました。

また軍参謀本部情報総局精神工学部局(GRU-P)は、超能力研究・精神工学異常生物学の研究を進めました。プロジェクト・レッドラインと称される計画では、人々の精神を転向させマルクス・レーニン主義の教義に従わせる超強力なサイキック兵器を開発しようと試みました。また、広大な勢力圏の未踏の大地に巣くっていた異常生物の、医療利用や兵器化の試みも進められました。その試みの多くはある側面から見れば成功し、ソビエト医学の発展に貢献しただろうと推測されていますが、ネオ・サーキック・カルトとの接触の事例も存在し、GRU-Pは看過しがたい損害を得ると共に、今日のロシアにおけるネオ・サーキック・カルトの拡大に繋がったともされています。またGRU-Pは東ドイツ国家保安省(MfS)第25局などと共にプロメテウス・ラボを始めとした西側超常企業・研究機関に対する産業スパイ活動も行っていたとされ、その中には日本の超常企業も含まれました。ソ連国家保安委員会(KGB)特殊現象課は、ソ連のアノマリー及び超常兵器の保管と利用を司っていたとされています。いずれせよ現在に至っても、冷戦当時のGRU-PやKGB特殊現象課の動きは、現在ロシア当局と財団が共に危険視し、その収容において協力関係にある、サーキック・カルトに関わるものを除けば、詳細が判明していません。

第三世界においてはブラジル超常現象監督局(SBP/A Superintendência Brasileira do Paranormal)、キューバ国家対異省(MAC/El Ministerio de Anomalías de Cuba)、中華民国国家安全局第八処、中華人民共和国国家安全部異常十九局などが活動していましたが、中華人民共和国国家安全部異常十九局を除けば、冷戦の終結や冷戦中の政治状況の変遷、ヴェールのかく乱活動といった理由でいずれも消滅しています。

こうした国家超常機関によるオカルトの兵器化に対抗していた世界オカルト連合もやはり、プロメテウス・ラボなどの超常技術供給者と共同でオカルトの兵器化を押し進めます。プラズマ凝集砲、奇跡論式調律爆弾、奇跡論爆弾、指向性核エネルギー兵器、超重交戦殻(U-HEC/オレンジ・スーツ)などの強力な兵器は、名目上は巨大脅威存在に対する兵器でしたが、国家超常機関のオカルトの兵器化に対抗する政策の一環で開発されたことも事実で、抑止力として期待されていました。それらが実際に活用されたのは、不幸中の幸いか、「名目上の」事例ともいえるUAE-Brasil-78とNx-03の例に留まりました。また、米ソデタントの期間に当たる1963年に、米ソ間で結ばれた超常兵器利用停止条約は、連合を一時期安堵させることになりました。なお、連合は諜報活動にも超常技術を活用しており、生物や超常事物を探査するためのエーテル共鳴結像デバイス(1939年にセミョーン・キルリアンによって最初に発見されたエーテル共鳴結像の原理によるもの)や潜入要員の衣服を制作し、現在に至るまで改良を続けています。

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