閉蓋
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すべては、私たちに自殺用の薬を服用するように機械が勧告したあの瞬間から始まったんだ。機械は2019年9月13日14時10分42秒を指したその瞬間、CKを検知した。端的に言うなら、私たちは、世界の終わりを目前にしたんだ。それを悟ったのは、その時間軸が消失してからだった。

ここは、完全に世界から切り離された。ついさっきまで健在だった世界はあんまりにもあっけなくその姿を消し、この世界の外は文字通り何もなくなってしまった。ここから外の世界を知る手掛かりになる如何なる情報も手に入らない。手に入る手段は残されている。ボタン一つで世界中のインターネットにアクセスすることができるパソコンも、回線もある。半径数kmをもれなく映し出すセンサーだってある。もっとわかりやすく、扉を開ければ外にだって出られる。私たちはそうして情報を手に入れる手段を持っている。しかし、それらはまったくもって役に立たない。 多分、回線が切れる瞬間、データが中途半端に送信されたせいでこうなったんじゃないか?専門家じゃないからわからない。センサーは……センサー部に異常が発生しています、とエラーコードを吐き出すだけだ。扉は、まだ開ける気にはなれない。開けてしまったらもう戻れない気がする、というのがみんなの総意だった。

マニュアル通り、機械は職員をカフェに集め、安楽死用の薬品と、飲みなれたコーヒーを提供した。それは、実質的なこの施設の稼働終了を意味するもので。職員たちは思うところはあれど、みな死ななければならなかった。いや、それも正しくない。この処置はこの内側の現実が外側の現実に比較して、あまりにも隔絶した場合のみに取られるから。これは、最後の財団の慈悲だった。せめて、苦しまずに死ねるように。職員たちは、この薬で優しく死ぬ権利を得たのだ。この薬を飲めば、速やかに意識を失う。そして、呼吸が止まり、脳死に至り、そのまま体は自然に朽ちていく。飲んだ後にある、意識を失うまでのせいぜい40秒ほどが、人生最後の時間だ。

すぐに死ぬ人もいた。もう、おしまいなのは誰もが分かっていたから。ずっと私と仲良くしてくれていた彼女は、渡された薬をすぐさま水で飲み、深呼吸した。そしてゆっくりとコーヒーの香りを堪能し、一口飲んだ。そして、何を思ったのかコーヒーカップを天井へぶん投げた。思いっきり。周囲に散らばるコーヒーとカップの破片を見て、彼女は笑っていた。
椅子に座ったまま、意識をなくして、彼女は死んだ。そこに苦しみはないように感じた、しかし、私は同時に、死というものが軽んじられているようにも感じていた。

私は、彼女が放り投げたコーヒーを拭き、割れたコップを掃除して、自分の部屋に戻った。彼女は死んでしまった。目の前で人が死に、自分もそうなる事実に腹の底が冷えた。ひどく機械的に警告文を表示し続けるスクリーンを思い出し、底のない不安に落ちていくような不安を覚える。自分の座っている、まだ革の硬さを残す椅子が、やけに頼りなく思えた。

  死んでしまえば、楽なことは分かりきっていた。もう悩まないで済んでしまえるから。そう分かりきっていたんだ。


ほんの少しだけ、眠ったと思う。自室のベッドは質が良いんだ。枕にもかなりこだわった。寝ることは考えるうえで重要だから。椅子やペンも一級品だ。ずっと座っているこんな仕事だから、座り続けても腰が痛くならない方がいい。ペンだってそう。アイディアの走り書きは、筆が早くなきゃ、アイディアの方が先に消えてしまうから。ペン先はどこまでも滑らかで、インクを取り換えるたびに愛着が湧いていた。この人形は、このファイルは、このノートは。今まで本当にどうでもよかった、今までは当然すぎて掴みどころのなかった品々が、すべて、すべて、すべて、生きるために揃えたもので、自分が今から死ぬ事実に直面した瞬間に、すべて、すべて、すべてが惜しくなってしまって、それらを直視することが、生きたい気持ちに変換されていく。起きたばかりで脳が情報をうまく処理できない。ただ、自分の内側で感情が氾濫して、ひどくごった返していることが分かった。現実と、感情が融けあって、今にも泣きだしそうな気分だった。枕に突っ伏して、顔を擦り付けた。

少しだけ落ち着いた。そして、この感情が、すべて自分が死ななきゃいけないことから生まれていることに気が付いて、静かに泣いた。

……

枕が濡れて冷たいと感じた瞬間、体の中を迸っていた感情はすっかりとしぼんでしまった。どうにか、スリッパを履き、カフェへ向かった。

カフェでいつもの席に着いた。もう生きているのはほとんど自分くらいだった。死体を数えたわけではないが、きっとそうだと思う。骸たちは雄弁に、何も語らないことを告げていて。どうしようもない寂しさが、私に目を背けさせた。よろめきながら、目を瞑って、私は自分の部屋に戻る。置いていかれた事実が重くのしかかっている。それでも、薬に手が伸びることはなかった。

死体を片付けることも考えて、やめた。それはそのままの方がいい気がしたし、何より、死体に触れてしまえば、私はきっとその冷たさに魅せられてしまうと思った。それが、この期に及んで恐ろしかった。

自分以外の人間が完全に沈黙したカフェは、ともすれば自分しかいない自室よりも寂しかった。


何日間だろう。とにかく、それなりに長いに時間が過ぎ去った。まだ時計はしっかりと動いているけれど、それを見るのもくだらなく思えてきた。もう、あんな寂しい気持ちは御免で。カフェにはあれから一度も行っていない。

だから自然と、足は仕事場へ向いた。世界中の情報にアクセスできたはずのあの机に行く。
機械類は今日も元気に警告文を並び立てている。"CKが発生しました。周囲の現実は本現実との統合が不可能です。職員は指定プロトコルに従ってください。"意味が脳にしみわたり、理解するたびに背筋がぞわりと粟立つのを感じる。ああ、やっぱり世界は終わったんだな。そう思いながら、漫然と画面を眺めていた。

我に返るころ、目にはエラーコードが焼き付いていた。黄色い原色は目に優しくない。背もたれに思いっきり体を投げ出し、疲れた目を休めるように脱力。そうして、思考を宙に放り投げた。

放り投げた思考が、変な方向へ着地した。そうだ、扉を開けてみよう。

……

この施設の扉は厳重だ。核爆弾、奇跡論とかそういった類にはびくともしない。物理や魔術なんて比にならない、「概念的」な防護が施されているからだ。だから外からどんな力がかかっても開かない。開くのは、内側の人間が外に出ようとするときか、内側の人間が全員死んだときだけだ。

そして、今回は私が外に出ようとする。本当は全員にそれを周知しなきゃいけないけど、別に何だって良い。確かめる気もないが、きっともう、みんな死んでる。5分ほどコンソールを弄れば扉は開く。単純な作業をしながら、外にあるものに想いを馳せた。時間軸が壊れた世界に何があるだろう?

ガシャンガシャンと、私に知らされていないような機構がずっと動き続けている音がする。もう少しで扉が開きそうだ。扉が開きそうになるにつれ、さっき答えを出すことを見送った疑問が頭の中に何度も反響する。この先に何があるんだ?
答えは明確で、何もないのだと思う。如何なる力も、エネルギーも、物体もない。本当に何もないだけの、無色の現実性……いや、非現実性。

じゃあ。深呼吸して、脳内が一人でに呟いた。何もない世界に、何かある世界の人が入ったらどうなるんだろう? それは、誰も知らない問いだった。

扉が開く。そして、足を外に踏み出す。




扉を閉めた。

あの人はひどく塞ぎ込んでいたからそのうち死ぬだろうと思っていたけれど、まさか扉を開けて外に出るなんて思っていなかった。扉の外は、正しく無だ。何もない。外に出たらどうなるかなんて分かりやしないけれど、まともなことは起こらない。だから、外に出るなんて死んだようなものだ。

これでもう、この施設に残っているのは私だけだ。私以外はみんな死んでしまった。もしかしたらこの世界だってどうにか復帰させることができるかもしれないのに、すぐに死んでいった上司たちが何を考えているのかわからない。私たちは世界を守るべきだ。ライフラインは20年くらいは持つだろう。20年あれば、出来ることはある。

突き止めるんだ。あの瞬間、私たちには何があった?

……

今や、私に残されているのはあの時を迎える瞬間までの痕跡だけだ。一般的なインターネットから、財団のネットワーク、GoIの把握ができる限りの情報、ここに備え付けられた計器の記録、サーバーに記録されてる機密情報まで。使えるものは沢山ある。全ては存在していたはずの世界の資料だ。機密情報を覗こうと、咎める人間はもはや私自身しかいない。

間違いなく、今私は世界で最も真理に近い人間だった。何故なら、この世界にはもはや私しかいなかったから。はは。乾いた笑いが、キーを叩く音と重なる。

情報はただひたすらに膨大だった。とある1秒に記録された情報を全て読もうとしても一生が簡単に消えてしまうだろう。どの情報から手を付けるべきか考えたとき、第一に思いついたのはSNSの投稿だった。最後の1週間、1ヶ月、1年の投稿の中で、主張、ヘイトの向き先、僅かな違和感。それらから財団のAIが特筆すべきと判断した傾向をチェックする。そのほとんどは突飛なもので、普通なら全く見るに値しないもの。だからこそ、価値がある。玉石混交な情報から、背後の異常を見出す作業をするんだ。

……ただ、世界が有ったころの私が持つ情報には限りがある。とは言え、今から機密指定ファイルを漁り続けるのも非効率だろう。だから機械に読み込ませた。機密指定を全て取っ払い、AIに解析させる。何千、何万という違和感の情報がAIに取り込まれていく。そして、混沌としたSNSの情報から、異常との関連性を見出す。ホームランがよく出る、コインの出目がちょっと偏ってる気がする、あの雲が変な気がする。ただそれだけだったはずの違和感が、異常を用いて説明される。点と点が、今まで点と点でなければいけなかったはずの情報たちが星座になる。その様子を見て、希望がわずかに芽生えたのを自覚した。

その希望の目を逃さぬよう、私はその精査に手を加える。機械が情報を処理する中、私は機械に異常のサンプルをCKに関連しうるもの  時間軸に関する違和感だけに絞って指定した。すると思惑通り、情報量が数千分の一まで削減された。データの中から実例を一つピックし、私は最後の計測と適合しうるモデルを作成しようとすることにした。

……

何百、何千とサンプルが吐き出される中、数十例目でようやくこの手法があまりにも非現実的であることを認めざるを得なくなった。CKを起こしうる異常と関連がある投稿と限ってもなお該当しそうなSNSの投稿は10万を超していた。あまりにも、途方が無い。さらには、如何なる異常も、CKを起こすときにはこの施設に備えられた計器が分かりやすい傾向を示すはずにもかかわらず、全ての計器の最後の記録は正常値を示していた。計器が計測できるよりも小さな時間、規模で起きたCKなのか、或いは……或いは、なんだ? グルグルと頭の中を巡る仮説。その思考に割り込んだのは、機械のエラーメッセージだった。

"重度の認識災害が確認されました。すべての学習記録は削除されます。"

私はそのメッセージの意味を深く考えないことにした。考えないようにしてなお、恐怖が心の奥底から湧き上がる。偶然、自分が直接読まずにAIに読ませる選択をしたから生きていた。一歩踏み外した先が谷底だったかもしれないなんて、知らない方がよかった。手が固まる。安全だと思い切っていたこの施設の内側にすら、偶発的な死が存在することを思い知ってしまった。

脳にこびりつき、固まり切った感情を祓う。その方法として記憶処理剤を選ぶまで、時間は掛からなかった。


目を覚ますと、自分からの手紙を見つけた。記憶処理の結果として現れる、財団職員としてはもはや見慣れた、見覚えのないメモ書き。世界が滅んだことと、今まで検証を試みて失敗していった仮説のリストが載っていた。

特に印象に残ったのは、世界が滅んだ事実より、実証できなかった仮説の山より、手紙に綴られていたミミズのような「死にたくない」だった。


仮説、仮説を立てなきゃ。それさえあれば、どうにかなる。前進できる。仮説、仮説、仮説……CKの原因をどうやって特定するか。CKは様々な異常によって引き起こされうる。だがそのどれも、必ずここにあった計器が捉えるはずだった。つまり、CKが起こる直前、ごく直前までは正常で、予兆はなかった。

じゃあどうして、この施設はCKだって特定できたんだ?

計器は全部普通の数値だった。ずっとだ。仮説が浮かんでは消えて、浮かんでは消えた。それをしばらく続けて、私は計器のログを見ればよいのだと気付いた。

ログはものすごく単純だった。
"[機密]による過去改変が発生。これにより、当タイムラインは剪定されました。"

一番重要なところは機密指定によってわかりやすく隠蔽されていた。しかし、機密指定されているようなファイルなんてもはや無い。この施設にあるすべてのデータの機密指定なんてずっと前に誰かに引っぺがされている。だから、過去改変の原因となった存在を示唆するファイルは、開ける。そこに答えがあるはずなんだ。カチ、という弱々しいマウスの音が、耳朶の内を反響する。

空想科学?


ファイルを閉じる。読まなければよかった。

本当に気分が悪かった。自分が今まで自らの努力で勝ち取ってきたものは、いったい何だったのかと脱力せざるを得なかった。信じたくない気持ちが先に出てくるけれど、体の底の底まで染みついた"科学的"思考はこの空想科学を受け入れる他手段がないことをよく教えてくれた。

私は創作されている。

私だけじゃない。世界もだ。世界は常に創作されることによって形作られていた。だからこそ、あの瞬間計器たちは一切異常を示さなかった。このCKは、正常だったんだ。捜索の結果、私たちがいた時間軸が要らなくなってしまったから打ち捨てられた。消えてしまった!私たちがこうやって残っているのは、その正常の中にあらがう術を空想科学が齎してくれていたから。齎してしまっていたから。それがなければ、私達は消えていた。おそらく、いつも通りに。

私は想像しているよりも早く答えに辿り着いてしまった。つまり、世界は正しく滅んだ。

CKは上位存在による干渉で起こされ、不必要になったタイムラインは"自然に"消えるはずだった。その自然さにこの施設は抗ってしまった。私がこの施設にいてしまったがゆえに、私は自分で死ななければいけなくなってしまった。ああ、なんであんなに上司たちが簡単に死んじゃったのかが今になってよくわかった。あの人たちは知ってたんだ。私は、まだ知らされてなかっただけで。多分、この時間軸にいない自分は、のうのうと生きてるんだ。クソ。私が、どうして私だけが。時間軸が剪定  そう呼んで差し支えないだろう  されてしまった以上、内側の人間は取り残されただけなんだから、死ななきゃいけないんだ。そこまで教えてくれれば、こんなに悩まずに済んだのに。

どうしてなのかを考えている。何故、どうすれば回避できた?いや、多分回避できないんだ。今までも、何回も何回も、私は私の知らないうちに死んでたんだ。たまたま、死なない方を選んだだけで。なんで上司たちは教えてくれなかったんだ?教えてくれれば覚悟だってできた。ああ、いや、配置換えを願い出てたかもしれない。ああクソ。クソ上司どもめ。何が世界で一番安全な場所だ。上位存在の干渉のたびに私は「死ななきゃいけない私」と「それを知らないまま生き続けてる私」に分かれてたっていうのか。そしてきっと、まだ剪定されなかった私も、今後何度も、何度も、何度も同じような孤独に落ちるのだろう。

罵声を吐いて、捨てて、踏み潰した。空想科学がこの空間と結果を齎したのは間違いない。そのせいで私は私の知らないうちに何度も何度も何度も自殺することを強いられてたっていうのか。クソが。どうして、どうすれば。どうすればよかったんだ。

思考がループしていた。心がひどくかき乱される。どうすればよかったんだ?

とにかく考えないようにするため、何かにすがるように機能制限が取っ払われた機械たちの機能を漁り続けていた。カバーストーリの流布、外への攻撃兵器、データの全消去ボタン。どれも非常に有用だ。世界が残っていたなら、の話だが。そうして漁り続けていると"観測機器"を見つけた。観測?


上位存在によるCKで、改変された世界を見ることができる機能だった。なんとも趣味の悪い機能だ。クソッタレな上位存在が作り出した、歪めやがった私たちの世界をどうして見なきゃいけないんだ。でも、死ななきゃいけない現実から逃避するにはちょうど良い逃避先だった。

その世界は、なんというか、めちゃくちゃな世界だ。上位存在による改変先は1998年。ポーランドでの異常存在出現、それも馬鹿デカイ規模の。

それから、ヴェール政策の崩壊。今まで水面下に鳴りを潜めていたGoIたちの活躍、大規模なテロに進化し続けるパラテクノロジーたち。他人事としてみる分なら、そうだな、それこそ「創作物」なら、ものすごく愉快な世界だ。だが、他人事でもなんでもない。自分の見知った光景がひどく改変されていることに、守っていた世界がめちゃくちゃに蹂躙されたことに、少なからぬ恐怖を抱いていた。

この"観測"機能はリアルタイムに進んでいく世界を「神の視点」で見続けることができるものだった。今は1998年の9月ごろ。世界は徐々にポーランドの惨劇を受け入れつつあった。破産したはずのプロメテウス研究所は徐々にその財政を立て直し、メキメキと企業として成長している。その影響で発展途上国にはパラテクがかなり供給されている。安い労働力でありながらパラテクに対する偏見が少ない発展途上国の教育が施されていない層は、パラテク界隈にとってまさに天国のような環境だった。アフリカ諸国はパラテクを中心とした産業に力を入れていく方針を固めている。

"観測"で見ることができる期間は1998年から2019年までなら自由に。CKが起きた2019年9月13日14時10分42秒の直前までなら、世界中のどんな場所も見ることができた。

時間をかいつまんでみている。世界はかなり活発に動き回っていて、パラテクノロジーを世界は全面的に受容していた。そうじゃない奴らもいたけれど。それでも、世界は前に進み続けていた。ただ、私にとってそんなことはどうでもいい。最も関心が向いていたのは2019年9月13日14時10分42秒の直前の2秒だ。この2秒間の間、世界中の財団施設はCKの発生を検知していた。いろんな計器のデータを見てみたけれど、一般的な異常によるCKで間違いないようだった。上位存在によるCKじゃないから、私のような存在は生まれないで済んでいることに酷く安堵した。

ただ、CKの影響は多大だった。南アメリカ大陸、アフリカ大陸が私たちの世界の2019年9月13日14時10分40秒のものと全く同じものに置換された。多分、置換前にあそこの大陸にいた人たちはみんな消えてしまったと思う。すべて。私たちの世界でCKが起きた日時と2秒差で、この世界にもCKが起きたんだ。原因は、よくわからない。しかし、絶対に人為的なものだ。でも上位存在による改変じゃない。計器を見るに、計器に映る「普通の」異常によるものだ。だれが? それを知る術は何にもない。

この世界の人たちも大変だな。ただ、ぼんやりと哀れんだ。


この機能は私を飽きさせない。人を追いかければリアルな人間ドラマが大量に見れるし、機密が指定されていようと私には関係なく等しく覗くことができる。ずっと解決できなかったような問題だって、この世界のパラテクノロジーの大躍進によって解決されていた。もちろんパラテクノロジーによる大規模なテロなんかも起こっていたが、それに立ち向かう人々もいた。この世界の人々が紡ぐ物語は痛快で、それを覗き続けるのは楽しいものだ。この限られた時間なら、私は神にも等しい視野を手に入れている。

減っていく食糧、忘れることのできない安楽死用の薬の場所、カフェからずっと流れてくる死臭。目を背けて、21年限定の神になっていた。いつか向き合わなければならない問題は、ずっと遠く、棚の上に置いてあった。それが落ちてくるのは、少なくとも私にとってはずっと後のことと、そう誤魔化して。

食糧をまた一つ手に取る。缶詰の蓋は、きつく、固く、閉まっていた。

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