
ファイル: «プログレス» 総研
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__年間守秘
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この団体は1920年代にはすでに成立しており、科学技術の活用を目標としていました。その目標のもと «プログレス» 総研はソ連の理想主義的科学者らを団結させ、ソ連人民や全世界の利益を目指して、研究開発に従事していました。研究所はその活動により、至上の政治社会体制 すなわち、真の社会主義への到達を目指していました。«超人» の創造、宇宙探査、異世界へのポータルの開通、人類の脳の改良、«集合意識» や思考電子演算機の製作、地球外文明とのコンタクト、ユートピアモデルの構想、産業および農業における革新的技術、新たなる連絡・交通手段、未来型都市……。これらは «プログレス» 総研に所属していた純朴な理想主義者たちが、その活動を通して目指したものの一例です。ただこの研究所は広大なラボ・ネットワークを有していたにも関わらず、その成員数は████人を超えることはありませんでした。
«プログレス» 総研は時の流れの中で、本質的な変化を強いられました。スターリン体制時代には危険な軍事開発を余儀なくされていました。しかしフルシチョフが権力を握ったことで、弾圧されていた所員や、“輝かしい未来を打ち建てる者たるべし” という精神が戻ってきました。
危険で、生活における科学活用を企図していないことが明らかなアノマリーに関しては、同所が自ら破壊していたものもあれば、KGB・第3特別セクタースピツィアーリヌィ・セクツィヤ (SS-3と略称) のラボに流れていったものもありました。それらの発見や研究は非常に危険あるいは強大であったため、至急破壊あるいは機密指定すべきものでした。それまで危険なオブイェクトを封じ込める必要性がなかったことから、総研はSCP財団と比べ、異常オブイェクトの封じ込めおよび保管技術の開発状況において決定的に劣りました。
«プログレス» 総研が日々活動する中で、ソビエト政権と科学者らとの間の対立のほどは常に深刻化していました。同所による幾多の発明品は機密指定され、民生に送り出されることはありませんでした。最終的には、ソビエトの現実に、そして在りし日の志が失われてしまったことに失望した «プログレス» 総研所長・コヴァレフ研究員は、作戦オペラーツィヤ・“袋中なるは猫なりやコート・ヴ・ミシキェ” を立案・実行しました。同作戦中に大部分の研究者が失踪し、同所の管理文書アルヒーフや設備も消失あるいは破壊されました。
後年のKGBによる調査活動の結果、ソ連や旧ソ連構成国の一般の人々から «プログレス» 総研が姿を消す前に拡散した多数の異常機器や異常物品が押収されました。同所から行方不明となった所員は今までのところ見つかっていません。しかし多数の証拠から、国際的な異常物市場や個人の所有物に、同所の新発明品が稀に流通していることが断定されています。つまり、この団体は今も活動を続けているようです。こうした異常物は地球の人々に対する “ささやかな贈り物” なのだと考えられています。一方でこの団体自体はおそらく異次元に存在しており、そこで同所の初志を貫徹しようとしているようです。
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«プログレス» 総研に関する研究プロイェクト・オブイェクト:
SCP-1076-RU — Покрасить в черный
SCP-1088-RU — Из Москвы во Владивосток за 5 минут
SCP-1194-RU — Восстановленный ретранслятор
SCP-1320-RU — Номерная станция "ВРР-19"
SCP-1326-RU — Петля Sinus Iridum
SCP-1340-RU — Полуночный эфир
SCP-1352-RU — И не погасят ее холодные космические ветра
SCP-1373-RU — С.С.Д.
SCP-1390-RU — モスクワ地下240m
SCP-1404-RU — В миражах и снах мы видим море
SCP-1414-RU — Глубин далеких песнь
国外財団支部における «プログレス» 総研に関する資料:
SCP-5859 — The PENTAGRAM Papers
SCP-6756 — プラスチックを海に捨てよう
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この団体はカバーストーリーで偽装された研究所、ラボ、そして研究センターから成り、(公式発表では) 以下の9つの研究管理局ビューローを有する組織です。
管理局番号 | 局名 | ロゴ |
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第1局 | “時空” 研究局プラストラーンストヴォ-ヴリェミャ | 情報なし |
第2局 | “技術特異点” 研究局テフナラギーチスカヤ・シングリャルノスチ | ![]() |
第3局 | “叡智圏” 研究局ノアスフィエラ | ![]() |
第4局 | “理性と意識” 研究局ラズーム・イ・サズナーニエ | 情報なし |
第5局 | “社会と超人” 研究局ソーツィウム・イ・スヴェルフチラヴィエク | 情報なし |
第6局 | “宇宙開発” 研究局アスヴァイェニエ・ミローフ | ![]() |
第7局 | “遺伝学、優生学、生物工学” 研究局ギニェティカ、イフギェニカ、ビオーニカ | ![]() |
第8局 | “サイバネティクス” 研究局キベルニェティカ | 情報なし |
第9局 | “民生用品” 研究局シローカエ・パトリブリェニエ | 情報なし |
このほか、高度な専門性を有する課については識別可能性を期すべく、課番号の上一桁をその課の所属局と対応させていました。以下に例を示します。
- 第63課は (異次元に存在するものを含む) 地球外文明の探査や、それとのコンタクトに向けた準備に従事する課。
- 第81課は人工知能の開発に従事する課。
- 第101課はその実在性が不明瞭な下部組織。その目的および任務は所員の大半が知りませんでした。風説によれば、唯物論的科学ドクトリンに反する開発を担当していた課。
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1919年
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国人民委員令により、Vヴェー・Sエス・ヤロシェヴィチ同志を議長とする26名で異常遺物委員会カミーシヤ・ポ・アナマーリヌィム・アルティファークタム (KpAA) が設立された。同委員会の目的は以下の通りである。
- 皇族およびロシアのブルジョワジーの人々が保有するコレクションの捜索および収集。
- 帝国非常官房1の管理文書アルヒーフおよび物品保管庫の研究。
- 異常オブイェクトや超常能力を持つ市民の独自捜索。
1922年
8月17日、ソビエト社会主義共和国連邦人民委員会Vヴェー・Iイー・レーニン議議長の令により «プログレス» 研究所インスティテュートがOオー・Sエス・アナニエフ同志を指導者とする118名で創立された。この組織は異常オブイェクトや異常事象の研究、それらの生産、および科学としての応用を目指す改良を目的として設立された。当初は、様々な民生用途における広範な実用化が企図されていた。
1934年
全連邦共産党 (ボリシェヴィキ)2中央委員会書記長Iイー・Vヴェー・スターリンが研究所をソ連内部人民委員部 (NKVD) の管轄とした。
1935年
Oオー・Sエス・アナニエフが条項第███号に基づき、国家保安少佐Aアー・Vヴェー・クルグロフにより逮捕された。クルグロフが新たなる指導者の座に就いた。組織名も «研究所インスティテュート» という淡白なものにされ、その活動目的も根本的に改定された。科学者と士官が新たに募集された。かつて理想主義を胸に入所した所員の大半は重要度が低い部署へと異動され、危険性の低いアノマリーの取り扱いに従事させられた。ラボ、研究コンプレクス、バンカーといった施設の間に秘密裡のネットワークが形成された。研究の重点は異常技術の軍事利用および地政学的優位性の確立へとシフトした。
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3等国家保安委員コミッサールAアー・Vヴェー・クルグロフ 1941年、進攻するドイツ国防軍を前に 研究所の一連のオブイェクト群を 放棄したかどで銃殺刑に処された |
1937年
消費可能な人員や下級研究員に政治犯が使用されるようになった。研究所は統制を失っており、大半の研究施設はそれぞれ他の施設から切り離された状態で運用されていった。所員の中には粛清に遭う者もあった。
1941〜1945年
大祖国戦争中、疎開できていなかった異常オブイェクト█件が一挙にナチス・ドイツの手に落ちた。略奪された戦利品はアーネンエルベに渡った。刑事過失が認められたことから3等国家保安委員コミッサールAアー・Vヴェー・クルグロフは最高刑3を言い渡され、その後任は3等国家保安委員コミッサールPペー・Sエス・サヴェンコフとなった。研究所の研究成果はこの戦争においてソ連を勝利へと歩ませしめた。
1945年
ファシスト・ドイツの崩壊。研究所は戦利品として、武装親衛隊やアーネンエルベが抱えていた複数の異常オブイェクトおよび資料を獲得した。またこれらのドイツ組織に所属していた人員██名がソ連へ連行され、研究所に配属された。
1947年
研究所の所員が████名に達した。研究施設や補助施設は██件となった。また、米ソの緊張が科学研究を促した。
1956年
ソビエト連邦共産党中央委員会第一書記ニキータ・フルシチョフはKGB上層部に対し遺憾の書状を送り、「拷問室および地下室における非人道的行為を伴う実験の停止」を要求し、国民経済の向上に関する研究や宇宙探査に関する研究に心血が注がれた。改革の中で研究所もかつての名を取り戻し、これ以降は「«プログレス» 総研エヌ・イー・イー」と呼ばれるようになった。首脳陣の新方針により、危険なアノマリーのうち応用科学的重要性を有さないものは破壊が命じられた。弾圧を受けていた所員は名誉回復し研究所に戻ってきた。研究所は引き続きKGBの下に置かれた (それにあたってKGB・第3特別セクタースピツィアーリヌィ・セクツィヤ (SS-3と略称) が設立された) ものの、研究員Gゲー・Vヴェー・コヴァレフを非軍人出身の指導者として迎えることができた。そして «プログレス» 総研は議長・フルシチョフより特命を受けた。「この地球に共産主義を打ち建てる者のために、道を拓き案内する者たるべし」と。
1964年
«プログレス» 総研は█箇所の総合研究所と、██点の研究施設、および████の所員を結ぶネットワークとなっていた。総研の大部分の施設は閉鎖都市 «バルナウル-12» にあり、残りはソ連全域に点在していた。この間始まったプロイェクトとしては«輝ける世界スヴィエトルィ・ミール»、«地球型惑星: 金星ズィムリャ-ヴィニェラ»、«可変的現実拡張ヴェー・エル・エル»、«理性ラズーム-64» などがある。KGBや国防省の指導者は実際のところ、破壊するよう命じられたはずのスターリン時代のオブイェクトの大部分を密かに保存していた。そして彼らは研究所の一部を分離、秘密裡にKGB・SS-3へと合流させ、そこで囚人を被験者とする危険な研究を継続していた。
1965〜1985年
«プログレス» 総研の研究や発明の大半が大量生産および民生での活用を禁止された。彼らの発見は全てKGB・SS-3からの監督者により機密指定を受け、一部の研究は軍事に転用された。人々に自らの発明を贈り届けられず、しかも «秘密部門» の採っているやり方や研究内容に関して真実を知ってしまったことで、総研の指導者や所員らは失望した。欺瞞に満ち理想から乖離したソビエトの現実に辟易した研究者らは «雲隠れ» を企図した。この «雲隠れ» は、現存する書状やメモから «作戦オペラーツィヤ「袋中なるは猫なりやコート・ヴ・ミシキェ」» として知られている。
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«プログレス» 総研所長 コヴァレフ研究員 |
1985〜1988年
“ペレストロイカ” の開始に伴い総研とSCP財団とのコンタクトが随時行えるようになり、双方にとって有益な情報交換ができるようになった。研究所は危険な事象を封じ込める手法に興味を持ち、財団は総研の有益な研究成果についての情報を尋ねた。
1988年7月12日2時22分
アルタイ上空にて白い発光があり、公式マスメディアはこれを「珍しい気象現象」と説明した。現地に到着したKGB・SS-3資産はゴーストタウンと化した «バルナウル-12» を発見した。施設警備員のうち1名が、研究所の発明品によって麻痺しているのが発見された。警戒が敷かれた結果、他の研究施設でも上級研究員の失踪が発生していたことがわかった。さらには、研究所の管理文書アルヒーフの大部分、および異常オブイェクトや設備が消失あるいは損壊していた。
1988年
«生存» した総研所員 (平均従業者数の約34%) は皆逮捕され尋問を受けたが、今回の失踪には無関係であることがわかり、その後釈放され近くの科学機関での勤務に向かわされた。モスクワの研究所本部では小包が見つかり、数件の危険な事象の収容のための説明書が入っていた。また小包に加えて手紙も見つかった。研究所の主要な研究員217名の連名であった。手紙はソビエトの現実や、共産主義の理想からの逸脱、そして研究者らの成果への無関心を非難するものだった。
後年のKGB・SS-3による調査活動の結果、ソ連や旧ソ連構成国の一般の人々から «プログレス» 総研が失踪後に拡散した、多数の異常機器や異常物品が押収された。
1989〜1993年
研究所は解散された。その下部組織も解体あるいは関連機関の下に移された。1993年のコペンハーゲンでの会議では、かつてのソ連構成国の指導者ら、O5評議会のメンバー、およびGOC指導者が合意書にサインした。それによれば独立国家共同体地域において、
- アノマリー研究機関を全て廃止する。
- SCP財団ロシア支部を設立し、旧ソ連で何らかの形でアノマリーに関与した科学者の約30%をそこに加入させる。アメリカ合衆国、GOC、およびSCP財団は、財団ロシア支部の最初の10年間の存続を保証する資金を拠出する。
- 旧ソ連構成国の所有下にあった全ての異常オブイェクトはロシア領内に移送する。移送時の安全性はGOCが確保する。
- 各国政府はアノマリーに関して保有する情報を全て交換し、かつ自国領内におけるGOCの作戦行動 (紛失した異常オブイェクトの捜索など) を承認し、その際には包括的な支援を提供する。
1994年〜現在
«プログレス» 総研の所員は今も消息が掴めていない。しかし多数の証拠から、国際的な異常物市場や個人の所有物に、同所の新発明品が稀に流通していることが断定されており、この団体は活動を続けているといえよう。こうした異常物は地球の人々に対する «ささやかな贈り物» であるものと思われる。一方でこの団体自体はおそらく異次元に存在しており、そこで同所の初志を貫徹しようとしているようである。
最重要機密指定
コピー持出厳禁
機密解除待ち
機密解除済
公開文書
«プログレス» 総研原著者のショートコメント
総研に関する記事の執筆を考えてくださる方には以下を推奨します。
I ソビエトの科学的美観に没入すること。インターネット空間では、科学をテーマとしたソビエトのポスター、芸術的な壁画やモザイク画、あるいはユニークな建築構造の画像が非常に大量に見つかります。そして、当時の壮大な (しかし実現しなかった) プロイェクトを知ること。ソビエト (に限りませんが) の未来派4芸術家の作品 —— すなわち彼らの輝かしい未来の理想像から、インスピレーションを受けてみてください。
II 自著が描く時代の歴史や政局を理解すること。国家であれ独立機関であれ、どんな組織も機変します。静的な組織 = 死んだ組織 (あるいは真実味に欠く組織) です。この研究所とて例外ではありません。少なくとも3種の組織形態へとはっきり区分することができます。
- «プログレス» 研究所インスティテュート (1920年代から1930年代前半まで)。創造的思考が花開く激動の時代、ソビエト・アヴァンギャルド、国全体を覆う熱狂、そして人間の生活と社会の全域にわたる極めて大胆な改革事業。研究所の所員は、若くて野心的な科学者であった。彼らの目には、人間の思考の飛躍を妨げる障害などというものは見えてはいなかった。
- 研究所インスティテュート (1930年代後半から1950年代半ばまで)。改革の熱狂は衰え、ソ連はユートピア的社会事業を放棄した。粛清と弾圧は研究所をも襲い、その性格を根本的に変えた。新たに研究方針となったのは、極秘軍事開発だった。全ラボから隠匿された場所、地下鉄のトンネルの間へと隠された地下深くのバンカー —— そこに研究所の新たな隠れ家があった。戦後、KGB職員と今や研究倫理など持たなくなった科学者たちの仲間に加えられたのは «戦利品トラフィエイ» たる元ナチスの科学者らだった。
- «プログレス» 総研エヌ・イー・イー (1950年代半ばから1980年代まで)。«古参の» 科学者の名誉回復、そして在りし日の志の復活。科学、サイバネティクスキベルニェティカ、そして宇宙開発に対する果てなき信念。
III ホラー要素を磨き上げること。そしてそれを研究所やソビエトの実情に有機的に組み入れるよう最大限努力してください。この要注意団体は «すごいものを作る工場 (とはいえ誰もただ良いだけのオブイェクトには気にも留めないでしょうが)» に位置付けられているのではなく、グレーなソビエトを取り巻く、神秘的で苦渋に満ちた歴史を描くためのキャンバスです。
最後にもうひとつ。総研を描写するにあたって、伝奇物語とマンガ的 «デタラメ» との間の微妙なラインを超えないよう努力してください (Singularity5とYou are empty6が典型的な悪例です)。