企画案1964-301: “怠惰の本質”
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タイトル: 怠惰の本質The Essence of Indolence

必要素材:

  • スエード生地製の肘掛け椅子、色問わず
  • 同色のスエード生地、約4m
  • 後述する人物たちから採取した20cm×20cmの移植皮膚サンプル: コーカソイド男性1名。ヒスパニック女性1名 (サンプル採取時に存命でありテレビを所有していること) 。フィロ・T・ファーンズワース、ウラジミール・K・ツヴォリキン、ジョン・ロジー・ベアードのいずれかの男系親族。
  • 雄のウシ (Bos taurus) 、1頭
  • ゴム糊
  • 皮膚移植の実行に必要とされる全ての器具
  • 無菌環境
  • 精製綿、10kg
  • 形態変異処理を施した血液、O型Rhマイナス、1,000ミリリットル

要旨:
この作品は幻触特性を帯びたスエード生地製の肘掛け椅子1脚という形を取る。この椅子は、外見上の特徴とは裏腹に、あたかも生きた動物の肉で構築されているかのように感じられる。もしこの作品に医学的な検査を行えば、心拍、呼吸パターン、第三魂の近位波動といった生命活動の兆候を検出できるはずだ。

知覚力を有し、かつその時点で生きている存在が、この家具に“着席”し、同時に電源が入った任意の型式のテレビを“視聴する”と定義される行動を取る時、作品に注入された形態変異プラズマが活性化する。32時間かけて、着席した生物はその全体的な大きさや骨格構造 (もしあれば) を考慮に入れた上で、オリジナルの作品に似たデザインの家具へと変換される。この新しい家具は、オリジナルの作品と同一の特性を有する、呼吸する生きた家具だ。従って、展示には制限を掛け、来客が影響を受けないように障壁を設置しなければならないだろう。

実験的に同じデザインの装飾クッションを作っていた時、これらの作品は空腹を感じ、生かし続けるにはその種に応じた食べ物を定期的に給餌しなければならないことを発見した。死亡した作品は死後硬直状態となり、固い家具のように硬化して、同時に自らを防腐処理する。解剖はまだ可能だ。

意図:

「テレビが面白い時、それ以上に良いものはありません — 劇場も、雑誌も、新聞も敵いません。しかし、テレビがつまらない時、それ以上に悪いものはありません。どうぞ皆さん、放送が始まったらお宅のテレビの前に座って、そのまま丸一日、気晴らしになる本も雑誌も新聞も損益計算書も評価書も読まずにそこに居てください。放送が終了するまで画面に目を釘付けにしてください。そこに見えるのは、だだっ広い不毛の地でしかないと請け合います。そんな大袈裟な、と思う方々には、私からは是非やってみてくださいと頼むことしかできません」 — ニュートン・N・ミノフ、1961年

テレビ。本来は、様々な違いを抱える人々のためのマスメディア 兼 娯楽としての発明品だ。しかし、この生活向上を意図した試みは失敗に終わった。私が今まで見てきたのは、画面に目を向け、友人や家族を無視し、もう既に過密なスケジュールにだらだら過ごす時間を取り入れる大衆だけである。かつて魅力的で新規だったアイデアは、劣性の社会人としか例えようのない存在 — 即ち“カウチポテト”への急速な退化を引き起こすものと化した。

この作品を創作した唯一の動機は、この誤った発明と、それが我々に及ぼす影響を明らかにすることだ。我々は腰を下ろして寛ぐための家具と互角の役立たずになりつつある。ならば、実際に家具になってしまえばどうだろうか? 我々は働く人々が休息する座席とクッションに、彼らが我々と同じレベルに落ちないよう働き続けることを促す理想的な存在となる。それはモチベーションであり、社会人の出発点・休息地となるどん底に他ならない。

我々の社会において、家に座席とテレビを据え付ける以上の事をこなせない人間ほど軽蔑に値するものは無い。テレビは所詮、自分の人生を生きられない者たちのための偽りの生活に過ぎない。

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