企画案2004-013/2014-114/2024-072: “クールを失う”
評価: +18+x

名前: アレクサンダー・ゼンシ

タイトル: 苦闘はリアルThe Struggle Is Real

必要素材:

無し

要旨:

“苦闘はリアル”は無だ。マジで虚無だ。OK、この説明じゃちょっと誤解を招くかもしれないな。ある意味ではパフォーマンス・アートだろうか? 俺はまだ会場にいて、自分のブースに立ってるだろうが、それだけ。

俺は通りすがりの人々から不思議そうに横目で見られたり、もしかしたら時々近寄って来た奴に「それで、あなたの作品は具体的にはどういうものなんでしょうか?」なんて聞かれたりするかもしれない。それに対して俺は、今年自分がどれだけ沢山のプロジェクトに挑んできたか、そしてその一つ一つが如何にして大失敗に終わったかという独白を始める。俺が何につけても満足できず、スランプにぶち当たっていることを解説する。俺の苦闘の凄まじさが伝わること請け合いの熱演となるだろう。

意図:

創造性というのは抽象的な概念だから、時には一流の芸術家でさえもそれを見失うことがある。書きたい、描きたい、彫りたい、と思っていても、どうしても思い通りにならないことがある。大抵、俺たちが展覧会で称賛するのは、創作スランプを克服して光り輝く作品を作り上げることが出来た連中だ。当然だよな! 何かを、どんな物だろうと、創造するってのはそれ自体が成果で、評価されるべき偉業だ。

しかし、異常芸術アナートの栄光を世界に知らしめるための探求の途上においても、俺たちは束の間後ろに下がり、自らの想像力との戦いに敗れた者たちを讃える時間を取るべきだと思う。毎年数百人、事によると数千人もの芸術家が、ひょっとしたらだが、その壁に突き当たっているかもしれない。そいつらは枯渇している。想像力を最後の一滴まで使い切ってしまったんだ。

今回の展示で、俺の横にブースを設けられなかった奴らが認知されることを願っている。

回答: “苦闘はリアル”

アレックス、

不調続きなのは知っているが、君は10年前には奇跡を起こしてみせた。全ての作品が君の処女作のような評価を受けるわけではない — 賭けてもいい、それこそが君のプレッシャーになっている。こういう状況に陥ったのは君が初めてではないし、最後でもないだろう。

しかし、だ。我々の下に“発表したい声明があるので無を作品として出します”という企画案が大量に届くことぐらい、君だって分かっているはずじゃないか。皆、自分は“あらゆるものの欠落という芸術”の何かしら新規な解釈を持っていると考えているが、そんな事はあった試しがないんだ。どれもこれも展覧会に出るための言い訳としか思えない。

別に私は怒ってはいない。失望すらしていない。ただ、君に調子を取り戻してもらいたいだけだ。'94年の“落下の中の自由”は、君の中から自然と生じたからこその良作だった。無理して仕事に取り組むのは止めたまえ。

- 学芸員キュレーター

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