名前: アレクサンダー・ゼンシ
タイトル: 苦闘はリアルThe Struggle Is Real
必要素材:
無し
要旨:
“苦闘はリアル”は無だ。マジで虚無だ。OK、この説明じゃちょっと誤解を招くかもしれないな。ある意味ではパフォーマンス・アートだろうか? 俺はまだ会場にいて、自分のブースに立ってるだろうが、それだけ。
俺は通りすがりの人々から不思議そうに横目で見られたり、もしかしたら時々近寄って来た奴に「それで、あなたの作品は具体的にはどういうものなんでしょうか?」なんて聞かれたりするかもしれない。それに対して俺は、今年自分がどれだけ沢山のプロジェクトに挑んできたか、そしてその一つ一つが如何にして大失敗に終わったかという独白を始める。俺が何につけても満足できず、スランプにぶち当たっていることを解説する。俺の苦闘の凄まじさが伝わること請け合いの熱演となるだろう。
意図:
創造性というのは抽象的な概念だから、時には一流の芸術家でさえもそれを見失うことがある。書きたい、描きたい、彫りたい、と思っていても、どうしても思い通りにならないことがある。大抵、俺たちが展覧会で称賛するのは、創作スランプを克服して光り輝く作品を作り上げることが出来た連中だ。当然だよな! 何かを、どんな物だろうと、創造するってのはそれ自体が成果で、評価されるべき偉業だ。
しかし、異常芸術アナートの栄光を世界に知らしめるための探求の途上においても、俺たちは束の間後ろに下がり、自らの想像力との戦いに敗れた者たちを讃える時間を取るべきだと思う。毎年数百人、事によると数千人もの芸術家が、ひょっとしたらだが、その壁に突き当たっているかもしれない。そいつらは枯渇している。想像力を最後の一滴まで使い切ってしまったんだ。
今回の展示で、俺の横にブースを設けられなかった奴らが認知されることを願っている。
回答: “苦闘はリアル”
アレックス、
不調続きなのは知っているが、君は10年前には奇跡を起こしてみせた。全ての作品が君の処女作のような評価を受けるわけではない — 賭けてもいい、それこそが君のプレッシャーになっている。こういう状況に陥ったのは君が初めてではないし、最後でもないだろう。
しかし、だ。我々の下に“発表したい声明があるので無を作品として出します”という企画案が大量に届くことぐらい、君だって分かっているはずじゃないか。皆、自分は“あらゆるものの欠落という芸術”の何かしら新規な解釈を持っていると考えているが、そんな事はあった試しがないんだ。どれもこれも展覧会に出るための言い訳としか思えない。
別に私は怒ってはいない。失望すらしていない。ただ、君に調子を取り戻してもらいたいだけだ。'94年の“落下の中の自由”は、君の中から自然と生じたからこその良作だった。無理して仕事に取り組むのは止めたまえ。
- 学芸員キュレーター
名前: アレクサンダー・ゼンシ
タイトル: 木のための森Forest For The Trees
必要素材:
- 30インチ×40インチの画布 (所有済)
- アクリル絵具のパレット (主に各種の緑と青、所有済)
- 鮮やかな青のチョーク (必要、この色合いは意外と見つけにくい)
- 神経抑制因子、効力が原点との距離に応じて変化するもの (所有済)
要旨:
“木のための森”は単純な作品だ。パフォーマンスは (何とも有難いことに) 必要ない。ただ、この作品が望ましい効果を発揮するには、通常の2倍ぐらいの広さのブースが必要になるだろう。
物理的には、このアナートは森を描いたアクリル絵画でしかない。バーモント州の公園あたりか、もしかしたらアパラチア地方まで足を延ばして、そこからインスピレーションを得ても良いな。まだ具体的には決めてないが、重要なのは、間違いなく東海岸の近場の風景になるってことと、枝に止まったリスとか注意深く配置された葉っぱとかの、さりげなく近くで見ることを促すような細部描写が散りばめられるってことだ。
しかし、この作品の真の威力は見た目の美しさじゃなく (でも出来栄えは保証するぜ) 、鑑賞者がそれをどう考察しようとするかにある。通りがかった奴はこの絵画に目を惹き付けられ、その意味するところを推測し始めるはずだ。一体この控えめな絵の裏には如何なる意味合いが込められているのか? 好奇心に任せて近寄ってきた鑑賞者は、床に引かれた青いチョークの線を越えた後、絵画の芸術的な価値を認識できなくなる。絵画に仕込まれた神経抑制因子が、創造的思考や芸術性の認知能力を低下させるからだ。それらは鑑賞者の頭の中で働かなくなり、何かがそこにあるはずだと確信しても、それを発見することはできない。
ただし、お互い承知の通り、俺たちの鑑賞者ってのは好奇心旺盛だ。絵から離れようとしつつ、肩越しにふと振り返って一瞥したその時、彼らは最初に絵を見た際に抱いた思索を改めて一気に感じ取る。右脳に再び火が灯る。今まで噛み合わなかった細部がきちんと収まり、探していた答えが見つかるだろう。
意図:
木を見るためには、1歩下がって森を見つめ直すことが必要な時だってあるのさ。
表彰
賞: ブラムストック賞
目的: 作品に独自性を付加するのみならず、拡張された隠喩を通して作品のメッセージ性の重みを現実のものとするために、異常を利用した異常芸術家アナーティストを記念するため。
スピーチの書き起こし: 私はこの作品が本当に気に入った。あー、大いにね。こういうのを見るのが大好きというまさにそういうやつだな。これの魅力は単純さにある。つまりだ、よく使われる言い回しを上手い具合に文字通りアレンジしている。多くのアーティストは、もっと抽象的で捉え難いものを追求しがちだが、これはどうだろう? シンプルで素晴らしい。'94年のゼンシの作品を強く思い出させる。
ゼンシと言えば、これが他でもないゼンシ自身の作品であることも、この作品を素敵にしている理由の1つだ。創造力の枯渇に陥っていた男が、自分との闘いに向き合い、その果てに辿り着いたことがはっきりと見て取れるじゃないか。
よくやった、アレックス。
- 学芸員キュレーター
名前: アレクサンダー・ゼンシ
タイトル: 俺はモナ・リザの写真を印刷したI Printed A Picture Of The Mona Lisa
必要素材:
- レーザープリンター 1台 (所有済)
- 印刷用紙 (所有済)
- 鮮やかな青のチョーク (この作品には必要ないが、前回貰ったのを使い切ったから改めて欲しい)
要旨:
またパフォーマンスに挑戦するつもりだが、今回は小道具を持参する! 小道具があるとどうしても観客ウケしやすくなるからな。今日び、パントマイム芸人よりも俳優の方が多いのには理由があるんだ。
でもその通り、俺は自分のブースで、展覧会が始まるほんの1時間前ぐらいにモナ・リザの写真を印刷し、展示する予定だ。俺の落ち着いた態度からは若干の恥じらいが感じられるだろうが、然程強くはないだろう。あまり大袈裟に表現するのもアレだしな?
展覧会が進行するにつれて、通りすがりの人々は横目で俺を見るようになり、いずれはその中の1人が、俺は何処からどう見てもレオナルド・ダ・ヴィンチじゃないのにモナ・リザを描いたふりをしているのは何故なのかと訊ねるはずだ。こう促された俺は、創作活動という分野で万策尽き果てた奴らが辿ることになる悲惨な末路を嘆く独白を始める。何もかもが意味を成さなくなり、もう自分は二度と創作することはできないと確信し、挙句の果てには盗作に手を染めるという、くだらない余談だ。
俺の苦闘の凄まじさがまず間違いなく伝わること請け合いの熱演となるだろう。
意図:
創造的な苦闘は、時として人を思いもよらない行動に駆り立てる。大舞台で脚光を浴びるチャンスをもう一度掴むために、芸術的にも文字通りの意味でも、罪を犯してしまう。
俺は仲間のアートを盗んだアーティストの話を聞いたことがある。仲間を殺してそいつのアートを奪い取ったアーティストの話を聞いたことがある。仲間を殺してアートを奪い、その作品の神経抑制因子を弄り回してリミッターを一切合切取り除いたアーティストの話を聞いたことがある。
自分の主張を通して、それで賞を獲得するために、アーティスト仲間たちの未来を破壊したアーティストの話を聞いたことがある。
だから、俺が想像力の欠如を受け止められずに苦しむ芸術家の悲哀を独白する時、前回の展覧会には出展できたのに今年は自分のブースを持てず、観客の中に紛れている芸術家たちは皆、自分だけが苦しんでいるわけじゃないと知るだろう。芸術家の苦闘はとてもリアルなものなんだから。
回答:
何故これを提出したのか理解できない。僕には自画自賛としか受け取れない。
君があの賞を取れた唯一の理由は、君が全ての審査員と立ち会った他の芸術家たちの右脳を素揚げにして、例の“木を見て森も見よう”という稚拙な心情以外の“芸術的声明”を理解できないようにしたからだ。君は盗作する時でさえ、洗練された作品を盗もうとは考えなかった。
おかげで僕は学芸員キュレーターの役目を引き継がざるを得なかった。本当に残念だ。彼はこの仕事が好きだった。
君が満足していることを願う — 多少なりとも自尊心がある全てのアナーティストの展覧会で君を出入り禁止にしておいた。今年提出される企画案は記録的に少ないかもしれないが、君の作品はそんな冴えない集まりでも尚一層安っぽくしてしまうだろう。
全体として、君の行いはあまりクールじゃなかったね。
敬具、
後援者パトロンより