企画案2007-012: “佳く生きた人生”
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名前: アーチボルド・バーソロミュー・カーネギー四世

タイトル: 佳く生きた人生A Life Well Lived

必要素材:

  • 作者の両親が提供した1,000万ドルの元手資金。
  • 30年。

要旨: 1,000万ドルの少額融資を使って、生まれた時から定められた道を歩み、ヘッジファンドを立ち上げます。

私は自分の富をますます芸術に充てるようになりますが、片手には常に慣れ親しんだ贅沢を握り締めています — 私は臆病者であり、今後も臆病者のままだからです。私は芸術分野に対する自分の貢献度に不満を抱くようになり、もっとやれる事がないかと憤ります。そうこうしているうちに、私のキャリアは飛躍し続けます。私の個人的なヘッジファンドの業績はますます好調になり、金融業界での成功を追求するという選択が正しかったと証明されます。

私はヘッジファンドの帳簿を見て、自分の管理手数料の額を再考し、市場での損失が芸術活動への密かな寄与を隠してくれるはずだと考えます。ヴェールの裏側の芸術界の秘密を思い出します。闇市場の連絡先、俗世の関係機関から気取られることなくヴェールの裏へ資金を移動できることが分かっている人物へと接触します。

私はヘッジファンドの年間収益の1%の1%の1%を、ヴェールの裏側のアーティストたちに流し込みます。最初のうちは摘発とそれに続く罰則を恐れます。それが来ないと分かれば、私は徐々に大胆になります。ますます多くの資金を芸術へと振り向け、あらゆる媒体へと広げます。映画、音楽、ファインアート、演劇、異常芸術アナート。私は自分の活動をヴェールの裏側から移行させ、俗世における期待の星となります。

私は芸術の後援者として知られるようになります。私が寄与する富は、創作という行為の内に消え、真なる美の儚い炎となり、それ以上に取り戻せるものは残りません。私に投資された資金は、次世代の輝かしいアーティストたちを育むための薪となるのです。私の名声は急上昇し、私が奨励する美しさが私の遺産となります。

そして、もし私が逮捕され、関係機関が盗まれた資産を取り返そうとしたところで、何も戻ってはこないでしょう。それは全て美に転化し、色と音と光が織りなす霊妙なる世界へと還っていくのです。

意図: 富と権力の継承者として、私はこの人生のあらゆる岐路で、2つどころか数限りない選択肢を与えられ、しかも後戻りして失敗から学ぶ機会も認められることが度々ありました。

これが誰にでも当て嵌まる前提ではないと悟ったのは、ジュリアード音楽院に在籍していた頃です。私には富の恩恵が、無尽蔵に湧き出る金に支えられたセーフティネットがありました。しかし、芸術の世界では富の勢いが悪しき軋轢を生むことに気付きました。アーティストやミュージシャンの友人たちが薬物乱用に手を染め、どん底まで落ちた後に手の届かない高みを目指し、実家に帰って両親と顔を合わせるのを酷く恐れるようになり、やがてはショコラティエや、ハイアット・ホテルの経営者や、ハイテク起業家や、その他のありふれた労働者としての凡庸な生活を受け入れるのを目の当たりにしてきました。

勿論、一部の者たちは必然的に屈服しました — “普通”になることを選びました。アーティストとしての人生を捨て、親が用意した平凡で退屈な仕事に戻り、美の世界にこだわらない生活に満足したのです。しかし、他の者たちは更なる闇の中へと旅立ちました。狂気の世界へ。魂の中にある意味の門を通って、真の力が宿る秘められた世界へ。アナートの世界へ。そして、そこで何人かは、普通の世界に戻る代わりに究極の代償を払いました。彼らは俗世よりもむしろ死を選びました。

私は、自分が臆病者であることをまず以て認めます。

私は死ぬのが恐ろしい。

他の富裕層の御曹司たちと同じく、私も芸術的な素養をそれなりに身に付けました。6歳の頃から、絶えず窮迫している薄給の美術学校卒業生たちの一団に指導を受け、巨匠たちの画風で絵画を学びました。バレエはソ連の駐在員から、声楽は引退したブロードウェイ女優から習いました。ハリウッドの映画監督たちに会い、彼らの子供たちとパーティに行ったこともあります。自分で言うのは何ですが、芸術に対する研ぎ澄まされた鑑賞力と、芸術活動に参加する能力を培うことができました。

育つ過程で、私は世界の文化の総体を託され、鑑賞し参加する術を教えられました。恩師たちや教師たちが私に託した信念を無駄にするのは罪です。しかし、職業としてそれらに携わることは到底考えられません。私に課せられた人生の一部ではないからです。

それは、私に与えられた機会の総和を、私をここまで導いてきた道のりを無駄にすることになるでしょう。私は遺産相続を、更にその前には1,000万ドルの少額融資を受けることが決まっています。更なる富を生むはずの資産を無駄遣いし、私の理解し難いボヘミアンなライフスタイルに充ててしまえば、両親は失望するでしょう。私はいわば歪んで堕落した賢者の石です — 人生をエーテルに、意味と神秘と芸術の創造に捧げることもできたのに、私は金という貴金属に目を向けてしまった。自分自身を定命者の世界へと引きずり下ろし、かつて反逆者だった頃の象徴として金箔貼りの記憶だけを持っているのです。

アーティストとしての義務を怠ったという罪悪感は、私の中で年々募っていくでしょう。私は数字が増え、株や債券が値上がりするのを見て、生活苦に喘ぐ大学時代の友人たちを心の中で思い浮かべます。時が経つにつれて、彼らのことを考えるようになります。仕事帰りのハッピーアワーやオフィスのオープンバーが、深夜3時にバックドア・ソーホーで酔い潰れたことを思い起こさせます。ケタミンやコカインも同様に、大学時代の最も破天荒だった日々を想起させます。私はもう一度芸術に憧れを抱き始め、あり得たかもしれない出来事を夢想するようになります。

私は洗練された上流社会の美術展に出席し、美術界を外から眺めます。アーティストに会う時、私は彼らにとって後援者ではあっても、彼らの一員であることは決してありません。それは私にとって苦痛ですが、心の何処かでは受け入れるしかありません。私は彼らの小切手にサインし、寄付をし、彼らは私に感謝するでしょうが、彼らは私が理解していない、理解できないと信じるでしょう。

彼らは正しいでしょう。

私はそれを受け入れるのを拒み、静かに私の最高傑作に着手します。

私は、一線に立つ者となります。最も偉大な富の保証人となり、扉を開く者となります。アトラスとなって芸術の世界を支えます。たとえ背負った荷の凄まじい重みが魂をすり潰そうとも、私の血は銀として芸術に流れ、私の背後には新たなシルクロードが栄え、裕福な人々はそこに価値ある芸術への道を見出すでしょう。

このパフォーマンス・アートは全て私自身の資金で賄われるべきものです。出資の代わりとして、どうか私のパフォーマンスを、若かりし日々のボヘミアン的傾向への裏切りではなく、高貴な自己犠牲として捉えていただけるよう、お願いする次第です。

FROM: 批評家クリティック


カーネギー君、

君の言葉のうち、一つだけ信じられるものがある。

君は臆病者だ。

君はパフォーマンスすら含まれていない生煮えの企画案を持ち込み、タダで宣伝してもらう以上のことは何も望んでいないと言う。

はっきり言わせてもらう。これは企画案ではない。君が特権に慣れ過ぎたあまり、本来好きなはずの芸術を追求できないことに対する独り善がりの自罰行為だ。

率直に言って疑問なのだが、君は何故、芸術活動以外の人生を、貧しく、苦悩し、飢えたアーティストを救済するための神聖な重荷だと考えている後援者を望む者がいると思うのかね。本当にその見解が我々を正しく捉えていると思うのか? それに、私はこれまで、安全で気楽なキャリアを捨て去るべきかどうか悩みながらこの道を歩む者を数多く見てきた。提出者が富に対して抱く相反する感情を扱った企画案を何百と見てきた。どの企画案の裏にも、親の金との込み入った関係を断ち切りたいと願う信託財産持ちの子供たちがいた。

それらの中でも、これが一番腰抜けで惨めだ。

少なくとも、君には多少の洞察力がある。君は、思い描いた将来、小切手に署名する時でさえ、自分がアーティストの苦悩を理解しているとは誰も思わないだろうと考えている。今ここで断言しよう、君には理解できまい。

芸術とは犠牲を伴うものだ。芸術とは世界と意味を共有することだ。しかし、決定的に重要なのは、芸術とは意図と意志を要するということだ。君は容易な道を選ぶための — 最初から決まっていた人生を送るための — 全面的な許可書を希望し、それを“パフォーマンス・アート”と呼ぶことを我々に求める。努力を要しない選択を犠牲と呼べと求める。大勢の者が同様の決断を前にして美の人生を選んだというのに。

君がいつまでこんな事を続けていられるか、巨額の不正を働いてまで芸術に投資するのは単純に割に合わないと判断するまでにどれだけかかるかという疑問はある。しかし、それも大した問題ではないのだろう。君はその判断を毎日下さなければならないが、今でさえ遥かに簡単な事から目を背けることを選んでいる。

もっと中身のある企画案ができたら改めて来いと言いたいところだが、まぁ無理だろうな。

君は既に選択したのだから。

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