名前: ヴァレリー・シンクレア
タイトル: ドリンキング・ウィズ・ザ・ジョックスDrinking With the Jocks
必要素材:
- バナナ 1本 (所有済)
- タンジェリン 2個 (所有済)
- 半分に切り分けたパパイヤ 1個 (所有済)
- ボウル 2個
- テーブル 1脚
- 演者 2名 - 男性1名、女性1名
要旨: この作品はパフォーマンスであり、上演時間3分で、30分ごとに繰り返される予定である。パフォーマンスは以下のように進行する。
- 演者2名は手に果物のボウルを持ってテーブルに近付く。男性はバナナとタンジェリン、女性は半分に切ったパパイヤを運ぶ。
- 女性演者はボウルをテーブルに配置しようとするが、男性演者に妨害される。
- 男性演者は女性演者の手からボウルを叩き落とし、彼女を非難する。
- 女性演者は上演エリアを退出する。男性演者は自分の果物をテーブルに並べ、彼の男としての義務は完了したと宣言する。
- 男性演者は上演エリアを退出する。
意図: 食事は人間にとって普遍的な経験である。
それは地球のどんな片隅にいる誰であろうと、如何なる人生を歩んだ者であろうと、老いも若きも理解できるものだ。私たちは食物を仲間内で共有し、お互いに集めた恵みを食べるために集う。食事には見知らぬ者も家族も等しく集う。
家族。
私の父は非常に昔ながらの、男の中の男だった。父は自分が働きに出ている間、母親は家に留まって子供たちを育て、料理をするものだと主張した。父はテーブルに食事を並べるのは男の義務だとも主張した。父は断固としてそう言い張っていた。しかし、テーブルの上に置く食事が無い日もあった。父の収入だけでは十分ではなかったのだ。それでも、父は母を働かせようとはしなかった。
16歳になった頃から、私は自分の男性性に疑問を抱き始めた。父は当時勤めていた工場で私を働かせ始めた。そうすればお前も男らしくなるだろう、男の義務の何たるかを理解する助けになるだろうと父は言った。工場は父と同じような男たちで満ちていた。誰もがテーブルに食事を並べるために働いていた。それが男の義務だから。
18歳になった私を、父は自分と同じように専門学校に送り込んだ。私は父を喜ばせるために配管工事を学ぶのを強制された。結局のところ、需要のあるスキルを持たない男とはどんな奴だろう? きっとテーブルに食事を並べることができない奴だろう。それは男の義務だから。
しかし、私は様々な意味で男にはなれなかった。それでも、父の教えの要点は理解できたと思う。
この作品で、私はただ男の義務を演じているに過ぎない。
返答: ドリンキング・ウィズ・ザ・ジョックス
何故これを私のギャラリーに提出したのか理解に苦しむ。これはアナートではない。君がファーザー・コンプレックスを解決しているだけだ。私たちは全員ファザコンだとも、だからこそアナーティストなんかになっている。しかし、少なくとも私たちの大半は、実際にギャラリーに展示しても見苦しくない作品を考え付くことができる。
もし今後もこの手の初歩的なゴミを提案し続ける気なら、次回はアート・バーゼルにでも持ち込んでくれたまえ。
- 批評家クリティック