企画案2024-124: クールの死
タイトル: クールの死Death of Cool by ダレン・イヴリス
必要素材:
- 絞首刑に処された犯罪者の死体 1体 (所有済)
- 長さ30cmのベリリウム銅製の棒 2本 (1点のみ所有済)
- 蜜蝋またはパラフィンワックス 2000リットル
- 雄の成獣のヒツジ 1匹
- ステュクス鉄製または冷鉄製のアセイミー 1振り
- ヒトの血液
要旨: 人血は死体の周囲に儀式的な円環を描くために用いる。死体を蝋で覆い、ベリリウム銅の棒2本は死体の肩に刺し込んで5cmだけ外に露出させる。アセイミーを使ってヒツジを生贄に捧げながら、アーティストは以下の呪文を詠唱する。
“死が取り消されようとも、罪は取り消されませぬよう。執念と悪魔がこの死体を穢してくださいますよう。貴方様の王国の前兆が参ります。カーネーションの主人よ、貴方様の敵は屈します。”
正しく完了すれば、稲妻が金属棒に命中し、死体は半径3km以内のあらゆる人物を殺す奇異な深淵の怪物に姿を変え、効果範囲に如何なる生物も残らなくなるまで殺し続けるだろう。
意図: 私は昔からこの芸術運動を見届けてきた。Are We Cool Yet?を今のような素晴らしいものにした古く有名な創作物は全て研究してきた — 看守どもに捕獲されたその名高き“彫刻”から、名前を口に出す気にもならない恥ずべき分派を生んだ力強き“ミノタウロス”に至るまで。
前回の展覧会で、新人アーティストたちが公開した駄作の数々を見た私の衝撃をどうか想像していただきたい。例を挙げれば、“遂に目を覚ます”はAWCY?の黎明期に創られた驚嘆に値する美術とはまるで釣り合わない怠惰な作品を適当に提示しただけで、大衆を少し笑わせる程度の冗談に過ぎなかった。そこで私は自問した — この運動は死につつあるのか?
だから、私にとって最初の作品、展覧会にとって最後の作品、そして上手く行けばAre We Cool Yet?史上最後の作品を創作しようと決断した。傍に居る人間を皆殺しにして、最後にこの芸術運動の全力を、致命度を、そしてルーツを見せつけるための悍ましくも危険な展示だ。“クールの死”は運動の流れに逆らうカウンターカルチャーであり、その必要があれば運動の息の根を止めるだろう。“クールの死”はデイビッド・オーウェル、庭師ガーデナー、更には創作者クリエイターといった古典芸術への回帰である。クールの死は、クールの再誕となるのだ。
From: 批評家クリティック
To: ダレン・イヴリス
件名: Re:クールの死
小僧、失せろ。
全く。
これと同じ事が毎日毎日起きている。君のような落伍者が“ルーツへの再帰”を求めてくる。率直に言わせてもらおう、Are We Cool Yet?は芸術運動だ。我々は動いている。先に進む。自分自身を変革する。ああ、かつては鑑賞者を大量殺戮に走らせる認識災害絵画を描くだけでも興味深く、筋が通っていた時代があったとも。しかし今では状況が異なる。この手の作品は古臭く陳腐になったのであり、我々は新たな作品を、新たな刺激を、新たな意図を、新たな心構えを求めている。君やその他のたまたま悪い時期に悪い場所に居合わせたせいでヴェールのこちら側へ転がり込んだパラウォッチ仲間が人殺しモンスターで遊びたいなら、自分たちでやれ。
大体、初心者の君がこの類の儀式を執り行うのは絶対に無理だ。詠唱を終える前に身体が溶けて液状の肉溜まりに変わり果てるだけだぞ。