クレジット
タイトル: 企画案2024-529: "美への羽ばたき"
著者: ©︎Genryu
作成年: 2024
この著者の他の作品
http://scp-jp-sandbox3.wikidot.com/draft:7455630-93-6d6e
名前: コーナー・ビル
タイトル: 美への羽ばたき
必要素材:
- 私、コーナー
- 私の妻、ナタリー
- 美容整形装置「cocoon」
要旨: "美への羽ばたき"は私とその妻による公演作品です。観客が集まったところで、私が妻に対する愛を語り始め正式に公演開始となります。
私が愛を語り終えた後、妻には「cocoon」によって生まれ変わってもらいます。cocoonは蛹を摸したデザインが特徴的なカプセル型美容整形装置であり、日本生類創研が培ったノウハウを活かして開発したものです。昆虫の完全変態から着想を得ており、中に入った人間は液状となるまで溶解した後に望んだ容姿へと身体が形成されます。本公演で用いるcocoonは日本生類創研に依頼して特殊な調整を施していただいたことで、液状化した後は人ではなく同じ質量を有した1匹の蝶に形成されます。
醜さの象徴たる虫となってcocoonから這い出た妻を私は抱擁し、そっと優しく口づけをします。頭部から、胸部、腹部、足や羽に至るまで、愛を伝えるように。
最後、妻が羽ばたいていくことで幕が降りて終幕となります。
意図: この公演の意図は容姿を問わない愛の美しさを芸術的に表現することにあります。
知人によく言われるのです。芸術家は妻まで美しいんだね、と。一見してなんの変哲もない世辞に聞こえますが、私にとってはある意味で侮辱に等しいものです。何故なら、「妻の容姿が醜ければ結婚しなかっただろう」と私の愛を逆説的に否定されているように感じるからです。外見至上主義者と扱われては堪りません。
確かに妻は美しい……まさに芸術品です。私は芸術家として徹底的に美を求める性分であることから、知人の多くは妻の美貌こそが結婚の決め手になったと考えているようでした。しかし、それは誤りです。
私を惹きつけたのは容姿ではなく心……私の芸術を全面的に理解し、徹底的にサポートしてくれる献身的な精神なのです。彼女は私の表現したいことを汲み、求めることの全てに応じてくれます。本企画のような身体的リスクを伴うものも例外ではありません。公演後に元の姿へ戻るとはいえ、cocoonでの生体再構成は身体に多大な負担をかけることも考えられます。そんなものでさえ妻は笑顔で快諾してくれました。このような素晴らしい妻のことを思う度に、私の愛は溢れて止まらなくなります。溢れんばかりの愛を表現すれば、私の追い求める至高の美に近づくと考えたのです。
また、タイトルは昆虫学者であるカロール・ウィリアムズ博士が行った"死への羽ばたき"と呼ばれる実験がもとになっています。cocoonが繭を模していることに加え、この公演は私にとって実験であるとも言えるからです。妻が醜く変態した後、その愛が潰えないかどうかを確かめる実験……愛が不変であれば醜い昆虫に口づけさえも出来ると思うのです。これが、この公演に隠されたもう一つの意図になります。
私は本公演で愛を確かめ、表現し、そして証明したいのです。
宛先: コーナー・ビル
差出人: ミカエル・ケガガン
件名: 期待している
企画書に目を通させて貰ったよ。
良い意味でいつもの君らしくないじゃないか。
それ故に、多少の不安はある。この公演が本当に上手くいくのかどうか。
この作品を成功させて至高の美というものを見せて欲しい。
良い公演になることを祈っている。
宛先: ミカエル・ケガガン
差出人: コーナー・ビル
件名: Re:期待している
ありがとうございます。
今回こそ、非凡な作品になると確信しています。
期待していてください。
どこまでも美に貪欲な私の作品を。
宛先: ミカエル・ケガガン
差出人: コーナー・ビル
件名: "美への羽ばたき"について
先日の公演についてです。
まず、企画案通りの内容ではなかったことを謝罪させてください。日本生類創研の調整ミスで意図していない生体再構成が生じたことが原因です。後に確認したところ、あのcocoonは蝶ではなく蛾になるような調整がなされていたようでした。
ただ、そうだとしても筋書きを変更する必要まではないと考えたことでしょう。実際、蝶でも蛾でも企画書の内容であれば成立するので、そう思うのはもっともなことです。しかし、私が敢えてあのような展開に変更したのには理由があります。
それは単純明快です。
気色悪いと感じた。
妻のことを、心の底から。
私は醜さの象徴として虫をチョイスしたものの、蝶以上に醜悪な蛾になるのは想定外で、こんなものを抱擁……ましてや口づけするなど耐えられないと思いました。
蝶と蛾は分類的には同じだと聞いたことがあります。それならば、生物学に関して門外漢である私にとっては両者の違いなど「容姿の醜美」の違いしかないように思えるのです。そのたった一つの違いだけで潰えてしまう愛など美しくない。そんなものに芸術的な価値を、いったい誰が見出せるというのでしょうか?
結局、私は美に貪欲なだけでなく、醜いものの一切を許すことができない性分だった。より醜いとされる生物を選んだ方が当初のコンセプトを伝えやすいことは明確であるにも関わらず、虫の中でも比較的美しいとされる蝶をモチーフに選んでいたのはそれが理由だったのだと思います。
愛を確かめるという実験は失敗し、公演としても当初のコンセプトが台無しとなった……それが、内容を変更した理由になります。
変更後の内容に関しても説明させてください。
主題は変わらず、愛の美的表現でした。
あれらの行動には、より「愛」を美しく表現する意図があったのです。
発想の起点は「憎悪」。
醜いものを許せない私が抱いたものは嫌悪感だけではありません。醜悪な目の前の蛾には憎悪すら募りました。
そこで、ふと思いついたのです。
これに愛ではなく、憎悪をぶつけてみたらどうだろう?
まさに天啓でした。
外見至上主義を否定していた者が結局それに囚われていたという展開は皮肉なユーモアがありますし、かつてのパートナーへ唾を吐いて罵倒するのも加虐的な快感をもたらす効果があったかと思います。
中でも、最も注目していただきたいのはオルトルイズムの表現……即ち、徹底的に無抵抗を貫いた蛾の献身的姿勢です。あれは私の芸術を瞬時に理解し、繰り返す苦痛の中で最期まで無抵抗を貫きました。激しい憎悪をぶつけ続ける私に対して、一切の恐れを見せることなく。
蛾の頭部から胸部、腹部、足や羽に至るまでを引きちぎり、絶命させる。
死骸とその破片をcocoonに入れる。
そして、再構成された蛾をまた引きちぎる。
飛び散った血液までは戻せなかったので、残念ながら途中で失血死してしまいましたが……それでも、永遠の愛を表現するのには十分であったと考えています。
愛を最も美しくするものは憎悪である……それが、私の悟ったことになります。愛憎のコントラストこそが私の追い求めていた至高の美だったのです。
思わぬアクシデントによって当初のコンセプトは崩れたものの、実験的な試みが功を奏しました。あれの愛が私の憎悪によって際立つことで素晴らしい作品に昇華したと自負しています。
最後に、お義父さまへ感謝を述べさせてください。
私の芸術の為にあのような素晴らしい素材を提供してくださり、ありがとうございました。
宛先: コーナー・ビル
差出人: ミカエル・ケガガン
件名: Re:"美への羽ばたき"について
残念だよ。
あんな公演のために、ナタリーを消費してしまうなんて。
私の不安はどうやら的中してしまったようだ。
結局、また人殺しじゃないか。
"実験的な試み"?
好奇心で虫を殺すのは年端もいかない子供のすることと大差ない。あまつさえ、児戯にも等しいあれを芸術だと言い張るのは稚拙だと思うよ。
だいたい、醜い蛾を殺したから何だと言うんだい?
気色悪いから憎悪して殺す……それは至って普通のことだ。そんなありふれたものに愛を際立たせる力はないだろう。
加えて、メールの書き方で思ったことなんだが……君は狂気を演出すればcoolになると考えていないかい?
だとしたらナンセンスだよ。その発想こそ正気で平凡と言える。
狂気とはファッションではなく、パッションだ。
安易に装い見せびらかすと、実に陳腐でつまらない。
それを理解していないから、君はいつも同じ手法に頼りきりになってしまうんだろう。ここには作品のために他人を犠牲するような芸術家なんて腐るほどいる。殺せば面白いというものではないことを覚えておいてくれ。
厳しいことを言ってしまったが、これは君が立派に"羽化"する為に必要なことだよ。
今の君はまさに蛹だ。
まだ未熟で手も足も出ないだろうが、いつかきっと羽ばたいていける。自身が追い求める至高の美へと。
私はその日が来るのを、ずっと心待ちにしているのさ。
P.S.
予備のナタリーを君の家に置いといたよ。
私の妻をcocoonで上書きしておいたんだ。
足りなくなったらまた連絡して欲しい。
遠慮はいらないよ。
他でもない、君のためなのだから。
愛している。