公共広告: 認識災害とあなた!

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エージェント・ミルズは満月が射す下で、SUVのドアを静かにズシンと閉じる。家の灯りは点いており、潜在的なミーム拡散状況の対応時としては喜ばしい兆候だ。植物状態となっているならば、基本的に電気のスイッチにような複雑な電子インタフェースは使えないはずだ。

それゆえ、ミルズは気を緩めつつ玄関のドアをノックする。

2分後、ミルズの一瞬の安堵感は腹の底に沈みこむような感覚に消し去られる。郊外の小さな家の窓を覗いてみるが、ブラインドが閉まっている。

玄関前の階段に戻ってきたその時になって、ドアの下から何かが漏れているのに気付く。粘っている、赤い何か。

「クソ」ミルズは小声で吐き捨て、SCRAMBLEゴーグルを装着すると、腕時計の緊急ボタンを押した。


ティモシー・ディアリング三世、あるいは「ティミー」とみんなや母親から呼ばれている彼は、特に何ということもない一日を終えて学校から帰っていた。

一般的3年生の例に漏れず、彼も自分の電話に完全に夢中になっており、Tiktokのフィードをスクロールしていた。夢中になりすぎて、危うく特に交通量の多い交差点に突っ込むところだった。数人のドライバーが必死にクラクションを鳴らしてくれたおかげで、辛うじて臨死体験を免れたのだった。

彼らには残念なことに、その行いは反対に危険を招いてしまった。というのも、ティミーが道を渡ることに気を向けたとき、彼は間違ってコメントのリンクを踏んでしまったのだ。ご丁寧にも「イカレ野郎に気をつけな」とまで書いてくれていたのを。

振り返ると、彼はすぐに何かおかしいことがわかる。

だがもう手遅れだった。彼はもう異常な形とデザインの組み合わせを目にしてしまった。そしてそれは既に彼の前頭前皮質を通して働き始めていた。


幸いなことに郊外の家のドアはアメリカではありにありふれた悪名高き薄っぺらの合板であったため、ミルズは簡単に破って入ることができた。

だがしかし、蹴り開けた瞬間に彼を出迎えた光景を見て、機動部隊を待たなかったことを深く後悔した。

SCRAMBLEゴーグルの遅延ピクセル化された画面越しでさえ、ほぼ全面にこびりついた血と内臓の光景は彼の胃をかき乱すには十分だった。

指は反射的に鼻をつまんで閉じるが、それでも銅の刺激的な味がフィルターを通して口へとたどり着いていた。

もう一方の手はサイドアームを引き抜き、エージェントは家の中を忍び足で行き始めた。


こんな感覚はティミーには初めてのものだった。まるで目の奥の脳が痛くなるような。誰かが引っ掻いて頭蓋骨から出ようとしているような。

もう少しで泣き出してしまうところだった。もう少しで。

そして小声で、何かをつぶやき始める。

「認識災害を見たら、とってもショックを受けたら、『CLOKS』を思い出すのが一番大事……」


ミルズはキッチンから調べ始める。恐らくは母親と思しき女性が、点いたままのコンロの上に顔を下にしている。カウンターには、その血で何かが描かれている。

SCRAMBLE装置が血まみれのイメージをぼかしてくれたので、ミルズは安堵のため息をつく。

エージェントは左手でしっかりと鼻の穴を塞ぎながら、銃を持った手を床にできた大きな血だまりに伸ばしてコンロを消す。それが哀れな女性の顔にどんなことをしたのか、あからさまに見ないようにしながら。


「ティミー!」母親がキッチンから呼ぶ。「お昼いる?」

彼は黙って首を振り、母親の目を見もせずに、できるだけ速く、できるだけ目立たないように部屋へと続く階段を上る。

母親は彼が階段を上るのを目で追う。彼の振る舞いは妙だったが、8歳ということもあり、ただ肩をすくめて通り過ぎるのを見送った。


ミルズは周囲を見回し、女性の顔くらいの高さまで腰をかがめてから、また見回そうとする。彼女は明らかに素早く視覚的認識災害の効果に陥っていたので、見たのが何にせよそれは即効性で、彼女の立っているまさにその場所で見たに違いなかった。

窓を見て初めて、彼はSCRAMBLEが背後から何かをぼやけさせていることに気付いた。

彼は悲惨な現場から目を背け、慎重に階段へと向かっていく。


ティミーは後ろ手にドアを閉めて、鍵をかける。追加の対策として、見た映画を真似して椅子をドアに立てかける。

更に見た動画に倣って、彼はブラインドを閉じ、念のためドアの下にタオルを押し込むまでしてからベッドの上に座り、静かに555にダイヤルする。


階段の一番下には、家主である男性の死体がある。その妻が見たものと同じ認識災害が彼の血で階段に殴り書きされている。血の残りは身体の下に溜まっており、恐らくは走り書きのメモが完成した後も抜け出ていくのを止められなかったのだろう。

ミルズは男性の血の痕を目で追い、階段を降りる父親の動きを逆から追跡していった。


「オーケイティミー、ドアはロックしたね?」

「うん。つ- 次はどうしたらいい?」

「もうすぐ電話は切るけど、そしたら電話とパソコンからバッテリーを抜いてほしいよ」

「無理だったら?」

「そしたらベッドの下に入れるか、ハンマーで壊してね」

「そ- そんなこと許してもらえるかな?」

「ティミー、ご両親には話し合っておくよ。信じて、怒られたら私を責めてくれていいから。それで、その後はただ待ってて、いいかな? 君はよくやってるよ」

「わかった。あー。やる。見たのがどんな感じか知りたい?」

「駄目! クソ、アレックス待って、この子は本当に見せようとしてるわけじゃ-」

向こうからカチッと音がして、電話は途切れた。


階段の上、血の痕は廊下まで続いていて、描画が増えてSCRAMBLE装置が作動するところでのみ遅くなっていた。

ありがたくも、血の痕も部分的に開いたドアのところで終わっていた。


ティミーはパソコンのプラグを抜いて、8歳なりの全力でクローゼットに引っ張り、その上に電源を切った携帯電話を投げ込んで、それからカバン、毛布、おもちゃで覆って埋めた。

更に念のため、いくつかのおもちゃからも電池を抜いて山積みの奥底へと押し込んだ。


中に何があろうと大丈夫なように胃を準備して、ミルズはゆっくりとドアを押し開ける。


ティミーはベッドの上に座って、強まっていく頭の中の痛みから気を逸らそうとしている。

不幸にも、その痛みは彼自身のものではない考えに、誰かや自分自身を傷つける考えに形を変えていた。

彼は痛みに圧倒され、自分自身の叫び声も、それに応えて叫ぶ必死でドアを開けようとする両親の声も、遠くでうなる警察のサイレンも聞くことはできなかった。


部屋に生きているものは何もいなかった。

ただ血だけがある。ただ…… とてもたくさんの血が。どうしてこんな小さな子供からこれ程の血が出てくるのだろうか?

ミルズは身をかがめ、静かに手を伸ばしてその目を閉じさせた。

11歳の女の子がこんな目に遭っていいはずがない。


8歳の、痩せ細り、目は充血し、表情はなく、そんな少年が病院で車椅子に座っている。

彼の両親、背後で聞こえる秩序だった会話。

「あなた方は幸運でしたよ、奥さん。あれはレベル1認識災害にすぎず、大人の脳でしたら数分で破壊してしまうでしょうが、このような小さな子の頭は我々よりも強固なのです。ティモシーくんの電話が彼の命を、そして間違いなくあなた方の命を救ったのです」

「……でもこの子は大丈夫なんですか?」

看護師は動きを止め、クリップボードを再読する。「……そうは見えないのはわかりますが、大丈夫です。そのはずです。記憶処理療法は小さな子の精神には良くないですが、先ほど言ったようにあなたのお子さんはタフで、我々も早めに発見できました。きっと大丈夫です」

その言葉に母親は泣き崩れ、彼を腕の中に抱きしめる。彼はすぐには何も言えないが、一粒の涙がゆっくりとその顔を流れ落ちる。



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こんにちはみんな! 私はスキッピィ、認識災害の専門家だよ! 私の仕事は君たちとその家族の安全を守るため、みんなに基本的な安全対策を教えること!

賢いみんななら知ってると思うけど、外の世界はとっても危険なの。外にはいろんな犯罪者や泥棒がいるんだけど、でも今日はそれとは別の危険についてお話しするよ。

「認識災害」っていうのを聞いたことがある子はいるかな?

認識災害は、それを知ってるだけで誰かの身体にダメージを与える可能性のある情報だよ。認識災害は写真、映像、絵画、音楽とか、どんなものにも発生する可能性があるよ。

今はそういう認識災害はめったにないから、それを見ないか心配しすぎる必要はないよ。出くわしちゃう人はとっても少ないの。でもヴェールが剥がれてから認識災害は一般的になっちゃったから、認識災害を見ちゃったときにどうしたらいいか一人一人知っておくのが大事なんだ。

認識災害を見たときにどうするか忘れないよう、CLOKSって言葉を覚えておいてね。

Cは「落ち着くCalm」。認識災害はいろんな形で現れるけど、ほとんどの場合見たら変な感覚になってくるの。一番よくあるのは、誰かが脳の中をフォークで突っついてるみたいな感覚なんだけど、燃えるような感覚とか、圧倒的な恐怖感とかもあるよ。こういう風に感じたときに一番大事なのは、落ち着いていること。もし痛くても、CLOKSの残りを完了させられるように落ち着いているのが大事だよ。

Lは「戸締りLock」。落ち着いたら、自分が閉じこもれる部屋を探して。これは、認識災害の発生源との間になるべくたくさん物を置くことで、認識災害が君に影響するのを遅らせられるからだよ。どっちかの側から鍵をかけるのにキーが必要な部屋があると一番理想的なんだけど、少なくとも内側から鍵をかけられるようにはしてね。できたら、閉じこもる前に鍵を取って、自分がそれを持っていることを確実にしてね。認識災害に簡単に入ってこられたくはないよね!

Oは「指示Orders」。部屋に閉じこもったら、財団認識災害ホットライン、555に電話してね。財団の担当者が君を助けるエージェントを派遣して、認識災害について具体的な指示を出すよ。財団は経験豊富だから、君のケースだって前に聞いたことがあるかも! 例え変な風に思えても、担当者の言うことに正確に従ってね。

Kは「切るKill」。ホットラインに繋げなかったり、担当者との電話がいきなり切れちゃったりしたら、仮想デバイスを全部切ることが大事。デバイスの電源を切ってね。スリープモードに入れるだけじゃ駄目だよ、完全に使えなくして。簡単にできるコンピュータがあったら、バッテリーを抜いて壁からプラグを抜いてね。アップルの製品なら、電源ボタンを10秒間押し続けて、緊急シャットダウンをするか訊かれたら『はい』を選んでね。みんな覚えておいて、君が独りになれば、認識災害が人を傷つけるのが難しくなる。デバイスが簡単に切れそうにないなら、少なくとも手の届かないどこかに置いておいてね。

Sは「留まるStay」。もし電話が途中で切れちゃっても、財団は君の状況に良く気付いてるから安心して。君にできる一番大事なことは、その場に留まること。そうすれば、財団は簡単に君を見つけて、感染と戦える。たとえ変な風に物が見え始めても、それは認識災害の影響で見せられてるものだから、動かないことが大切だよ。

じゃあみんな、これを覚えるための歌を学ぼう!

認識災害を見たら、とってもショックを受けたら、『CLOKS』を思い出すのが一番大事!

Cは落ち着いて、Lはドアの戸締り。

Oは指示を聞いて、それから待って、まだあるよ!

Kはデバイスを切る、Sはじっと留まる。

もっとあったはずだけど、君たちはみんないい子!

忘れないでね、頭が燃えてるみたいなときは、スキッピィの言うことを聞いて、CLOKSを使ってね!




これらの公共広告は、財団、米国連邦政府、そしてあなた方視聴者の出資で放送しております。
感謝を申し上げます。








青年は期待を込めた目で、彼の提案を上司が読み終えるのを見つめていた。「2つ言うことがある。1つ、技術的な話になるが、この公共広告は認識災害というよりミーム災害についてのものだ」

「気付いていますよ。問題はですね、子供たちは既に"ミーム"についてかなり偏った定義を持っており、その呼び方をすると混乱させてしまうのではないかが心配なんです」

上司は僅かに頷く。「それは結構。2つ目の質問は、お前の言う『CLOKS』がミー- 認識災害から子供たちを本当に守ってないことには思い当たってるか?」

青年は困惑して上司を見る。「あー、何をいまさら? レベル3認災以上のものは見たら植物状態になるか殺人狂になるかしかないんですよ。CLOKSは子供を守るものじゃありません」

上司は苛立ちを見せて彼を睨む。「おいおい、これは大衆を認災から守るための公共広告のはずだぞ。CLOKSはただ感染した子供を親から引き離して暗い部屋に閉じ込めてるように……」男は声を弱める。

青年のほろ苦い表情を見て、上司はその示唆に気付く。「えぇ、既に認災にかかってしまった人を守ることは、少なくともずっとは、できません。我々にできるのは、被害者に他の人に感染させないよう説得することだけです」

「……」上司は思索を巡らすように見える。「アメリカ中の子供に、感染したら暗い部屋に閉じこもって、脳が内側から焼かれてる間にも親が助けに来られないように説得したいというのか」

「そうやって感染を防ぎ、認災アウトブレイクのダメージを削減するんです」

「……子供に何をしようとしてるか親に知れたら暴動が起きるぞ」

青年は僅かに唇の両端を持ち上げる。「そのための残りの"大人用"バージョンの公共広告です。スキッピィは子供にどうしたらいいか教えて、ティミーとミルズは大人にCLOKSを子供が聞かなかったらどうなるか見せるんです」

上司は顔をしかめ、提案書をもう一度めくり、ため息をつく。「……承認。一週間毎日午後9時から午前7時の間のどこかで完全版をアダルトスイムで放送しろ。青少年支援のとこのジャネットには電話して子供用のを全国の子供公共広告で流すよう言っておく」

「……それとスキッピィも?」

「あぁ、AIADに行ってスキッピィをツアーに雇っていいか訊いてこい。このスキッピィだぞ。兄貴じゃ子供がトラウマになるからな。それとスキッピィが何を言い回ってるか理解してるよう確実にしておけ。60ミニッツでいきなりスキッピィがなんで子供を部屋に閉じ込めてるか尋ねてくるなんて悪夢みたいなPRはお呼びでないからな」


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