今思えば、あの老人は自分でそれを解くために、私たちを遠ざけたのではなかった。私たちに解かせまいとして私たちを遠ざけようとしていてたのだ。彼はみすぼらしい格好をしていた。警察が彼を確保しようと追いついたとき、髪はボサボサ、服もボロボロで、あの呪われた箱を持っていた。あの老いたろくでなしが爆弾でも持っているのではなかろうか、少なくともどこかから何かしらのものを盗んだのではないか、と思った市民に通報されたのだ。彼は追い詰められ、わけのわからないことを叫び、警察に銃をつきつけた。その後、私たちがパラメディックを呼ぶ時間もなく、程なくして彼は死んだ。
当時の私はただの助手研究員だった。なぜそれが財団の感心を引いたいたのかすらまともに覚えていない。ただフィールドエージェントが持って来て、どうすれば解けるかを調べろ、と指示されただけだった。実際に取り組んでみると、どうやったら解き方を知ることができるかについてすら、何もわからなかった。それは一辺30cmの完全な立方体で、何千ものルーン文字が表面に刻印されていた。それは不気味に美しかったが、だれもその理由を言い表すことができなかった。 ただ開け方を見つけなければならないということだけしかわからなかった。解かなかればならない、と。
解き方の発見には、100人ほどの研究者と10年の歳月を必要とした。 最も優秀で輝やかしい財団の知能が、その秘密を解き明かすためにこのプロジェクトに異動した。数億ドルもの金額が設備につぎ込まれ、このプロジェクトを滞りなく実行するために他の仕事はすべて保留となった。10年が経ち、私たちは期待を胸にふくらませて最後のピースがはめられるときに立ちあった。
その次の日に何が起きたかは正確には覚えていない。しかし私は3日後に最初の個体が降ってきたということは覚えている。それはロシアのツンドラに猛烈な衝撃を与え、4関節の足で、ありえないほど速く滑空し、私たちが到着するまで目につく人々を狩りまくる悪夢の生物へと変化した。 おおよそ30名のエージェントが犠牲となった。
日が経つにつれ、もう2個体がブラジルとオーストラリアに着陸した。 3つの機動部隊が投入されたが、帰還したのは4名のみであった。それらの個体は死んだが、その情報は報道機関に流出した。週末に4つ目の個体がサンフランシスコに降りてきたとき、全世界が「何か恐ろしいことが起きている」と悟った。
3週目の終わりに最高指令部と連絡が途絶するまで、およそ100個体が地球に着陸した。財団の機動部隊は完全に圧倒され、世界の警察や軍は怪物を払い除けることができなくなった。残された記録の断片をたどると、やつらは私たちの死体を食べていることがわかる。
味方は残り少ない。世界の隅の暗がりで隠れている。多くの大きなサイトが数週内のうちに放棄され、戦闘なしにやつらの進入を許している。やつらはどうにかして食べた死体から情報を吸収し、私たちが隠れている場所を見つけるために使っているらしい。最後まで生き残れるのは誰も知らないところを見つけることができた人だろう。あのパズル自体、それを解けるほど私たちが賢くなったときにやつらを引き寄せるビーコンとなる鍵だったのだ。やつらは人間の知性を餌にして、私たちを食いつくした。
私たちは何年も外に出ていていない。食事と水が不足しつつあり、遅かれ早かれ外に出て探さなければならない。怪物がいる外に。未来、もしこのメッセージを見つけたら、胸に刻んでおいてほしい。いつの日か自分の家の玄関の外にでもパズルが現れるかもしれない。解きたいという気持ちをおさえろ。見て見ぬふりをせよ。解くのは割りに合わないことだ。