Q9ALT #2 "Hero MUST be Alive"
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[2014/10/23 21:41]

深夜の劇場、そのメインホール。場に不似合な機動部隊の男が二人と、五十余の無人の観客席を挟んで俯きがちにステージに立つ仮面を被った男が一人。ステージライトがそう広くないそのホールを入り口側に位置取る二人まで照らしている。

「どうする、誘われてるぜ。ここから撃つか?」
「やめろ熊澤、隊員たちの行方が分からないんだ。下手な刺激はするべきじゃない」

彼ら二人が話し合う間、仮面の男はその装飾だらけの真っ赤な衣装をカチャリとも揺らさずじっと佇んでいる。誘い込まれているのは明らかだったが、彼らは二人でその誘いに乗るかどうか決める他無かった。通信機なんてものは劇場のエントランスをくぐった時には二人を見放した。

「真面目だなぁ、金本隊長よ。行方知れずなんて言うが俺ぁもう生きてねぇと思うんだけどなぁ」
「全ての可能性を捨ててはいけない。特に──」
「"救える可能性がある命はすべて救え"だろ?わかってるって……やっぱ財団向いてねぇと思うな、アンタ」
「……わかってるさ、そんなこと」

数言の作戦会議ののち、はっきりと結論を出さずして自然と無口になった二人が同時にステージへ歩き出す。古びた絨毯が二人の足音を飲み込み、その場にじっとりとした緊張感を漂わせる。客席の最前列に辿り着くと刹那に見合ってひとつ頷き、ステージの両端に設けられた階段から仮面の男を挟み込むように手分けしてステージに登っていく。二人が完全に舞台に登りきると仮面の男がカクンと顔を上げた。手にしていた自動小銃を反射的に構え向ける二人、熊澤は仮面の男へ半歩にじり寄り、金本は何か勘づいたように客席の方へ目配せした。

「おっと……動くなよ、って言って聞く訳もねぇか」
「……熊澤、客席を見ろ」

いつからそこに居たのか、客席の最前列に人影がある。全部で10人、劇場に入ってすぐに2人を残してどこへともなく消えた隊員たちだ。眉一つ動かさず、マネキンのようにただステージを見詰めている。

「この仮面野郎、あれで人質にでもとったつもりか?」
「……いや、きっと見たままの"役"なんだろう。人質じゃない、観客だ……熊澤、足を動かしてみろ。俺のは動かない」
「……んだと?」

金本の言葉でようやくその身に起きた異変に気付いた熊澤はその11.4インチの靴をなんとか動かそうとするも、靴どころか膝から下ごとビクともしない。かと言ってなりふり構わず引き金を引こうにも指先も蝋で固められたみたいに動く気配がない。早い話が手遅れだと理解した直後、ホールにけたたましいブザーが鳴り響く、カーテンコールだ。眩いステージライトは落とされ、仮面の男のみを照らすスポットライトに切り替わる。男は掠れた甲高い声で徐に語り始めた。

「さぁ!今宵皆様に御覧頂きますのは二人の男の物語。同じ道を歩みながらも志はまさに光と影、いつどこで違えてしまったか、二人が分かり合える日はまたと来なかった。孤独なヒーローは悲しみを背に、古き日には友だったその仇敵のため、今こそ戦う道を選びます!さあ、第一幕の開演です!」

無表情の10人が機械的に全く同じリズムで拍手を起こす。スポットライトは仮面の男から二人へと切り替わった。足が動く、手も動く。だが目配せをしても2人の足並みは揃わなかった。

「ぐっ……なんだよ、これ、体が……」
「……」

熊澤は己の意思に関わらずめきめきと嵩を増す肉体で全身の激痛に苛まれ蹲り、対する金本は沈黙を貫いたまま熊澤に銃口を向ける。その銃は彼が最初手にしていた自動小銃のそれではなく、コミックじみた独特の形状をした拳銃に変形していた。スポットライトの加減で表情は見えず、機動部隊の正装には似合わない臙脂色のマントが風を受けず彼の背を覆っている。

「金本、お前……」
「……逃げてくれ、熊澤」

次の瞬間。耳を劈くような銃声と共にステージの床板が捲れ上がる。そこに立っていた熊澤はその巨躯から想像もつかないような、喩えるならネコ科動物を彷彿とさせる跳び方でステージの上手側に退いていた。気付いた頃にはステージに仮面の男は居らず、そしてそのままステージを降りようとした熊澤を不可視の壁が阻む。彼は再び銃を構える金本と向き合う必要があるという現実を突き付けられた。

「ったく、何がどうしたってんだよ……っと!」

間もなく飛んできた二発目を地面スレスレまで体勢を下げることでこれまた間一髪で躱し切って見せる。その体はもはや当初の激痛を忘れていた。熊澤の考えている事は二つだった、一つは"俺たちはこのステージで何を求められているのか"、そしてもう一つは"俺たちは生きて帰れるのか"……二番目は考えるだけ無駄だと悟り、前者の答えを見出すために彼のなけなしの脳のリソースを全て割く。

「頭使うのは俺の仕事じゃあ無いんだよっ!」

取り敢えず殴ってから考える、単純な行動理念だが、彼がその体との付き合い方を直感的に理解している証左でもあった。低く屈んでいた姿勢から膝をバネにし地面とほぼ平行に前っ跳びして1歩で金本を射程に収めた彼は、左腕で金本の銃を持つ手を払い牽制しながら右拳を胴体目掛けて放ち金本を真っ直ぐ後方へ突き飛ばさんとした。迷いのない一連の連携、しかし金本もまたその身体能力が強化されているようで、掌底が鳩尾を捉える直前に強引に足先の力でバックステップを繰り出し射程を逃れた。

「っと、お前の動きも大概だな……金本、お前さっき"役"がどうとか言ってたな。俺はそう利口じゃねぇからそれを字面通りに受け取るが……だとしたらさしずめ、これは劇、ヒーローショーで……俺が悪役ヴィランなんだろう。ヴィランがヒーローに勝つのは違うわな、ともすれば……」

"俺は負ける必要がある。"男が導き出した結論とは裏腹に、その体は三発目の銃撃を考える前に避けていた。しかし思考もまた行動に全く影響を及ぼさなかった訳ではなく、彼の攻撃を避け続けていいものかと逡巡した一瞬が弾避けという神業を不完全なものにした。脇腹を掠めた弾丸がその口径に見合わない破壊力を伴って熊澤の胴体を砲弾のごとく抉って見せたのだ。

熊澤は堪らず絞り出したような悲鳴を上げる。アドレナリンなどでは到底誤魔化し切れない激痛が鮮烈に彼の脳に警鐘を鳴らす。それでも"これでいい"、そう自分に言い聞かせ、その場に蹲ってしまいたくなるのを食い縛ってよろめきながらも何とか立ち続ける。ここは舞台だ、ならばそのルールに従うのが道理。そんな結論と共にこの数秒間の攻防で彼が捻りだした急拵えの"台詞"を吐き出した。

「ゲホッ……やるな、金本……随分強くなったじゃあないか。見直したぞ……だが!次もこう上手く行くと思うなよっ……」

極力演劇らしく、役者らしく振舞い、傷口を右手で抑えたまま後方へ力強く飛び退いた。熊澤にはこうするのが正解だという確証はなかった、だがこれで上手く行くかもしれないという根拠のない期待があった。彼の直感か、或いは劇場の影響を受けていたのか、大胆にも行われたその逃避行はすんなりと認められ、彼は透明な壁に阻まれる事無く上手の袖幕の向こうへとその姿を隠すことができた。金本もまた彼にそれ以上の追撃を加えようとはせず、ただ銃を下ろして上手側をぼうっと眺めているばかりだ。

「あばよ、金本!次は全力で相手してやる!」

締めくくるようにそう声を上げた直後、2人を照らしていたスポットライトはぷつんと落とされ……熊澤の体は元の人間のそれに戻った。一先ず何とかなったのだと、そう頭で理解した直後に訪れる強烈な倦怠感、それに身を任せ倒れ込む彼の視界におぼろげに映ったのは彼や金本の元へ駆け寄る隊員たちの姿だった。

[2021/11/16 01:02 BB-3111]

『第三目標撃破!もう一匹はそっち行ったぞ黒山!』
『行ったぞじゃないんですよ!前衛なら前衛らしく僕達後衛に楽させるのが筋ってもんでしょうよ!』

熊澤の拳に腹を貫かれながら埃臭い暖炉に叩き込まれた青白い女を囮に逃げ出し、たった今その黒翼で窓の外へ飛び立たんとした痩躯の男の腰元を、熊澤が投げた暖炉の排気筒が背中側から真っ直ぐと貫く。その一撃で腰から下を失った男は残った上半身を巨大な蝙蝠に変貌させ、錐揉み回転で墜落しながら館の外に待機していた工作員の黒山に死に物狂いの牙を剥いた。

「2人とも気を付けて下さい、作戦ポイントに第一目標が接近しています!」
『わかってる、心配するな!合流される前に黒山が片づける!』
『あんたなぁ!』

Q9ALTに来て1ヵ月。このサイトの全てを理解することはまだできていないが、とりあえず作戦チームの一員としてはだいぶ馴染めてきた。だから作戦中に隊員が口喧嘩しながら敵を片していく様なんかじゃもう動じなくなってしまった。

『ああもう、大人しく……死ねっ!』
『うぉっ、危ねぇ!上に向けてトーチ撃つ馬鹿が居るか!』

黒山は迫ってきた蝙蝠に使い捨て熱光線照射装置インスタント・トーチを向け、上空に仰角60°で青白いレーザービームを放つ。瞬く間に爆散した蝙蝠は青黒い血肉となって黒山に降り注ぎ、光線は館を斜めに貫きながら夜の曇天に飲まれていった。

『うげぇ、きったないなぁ……あ、第二目標撃破です。みりゃわかるでしょうけど……あぁクソ、シャワー浴びてぇ』
「浄化装置はちゃんと用意してありますから今は我慢してください、それより第一目標が来ます!」
『来る来る言う割に来ねぇぞ?どこに居るんだそいつ』
「えっと、館から見て南方向、黒山さんたち後衛部隊が待機する北側と館を挟んでいる状態です。我々を警戒しているのでしょうか」
『まぁこんだけ派手に館を荒らして部下を皆殺しにしたんだ、慎重にもなるだろうよ』
『ペッペッ、苦っ……あぁそれで、どうしますか?』
『それじゃ、私が行くよ』
空鳥あとりさん!向こうは済んだんですか」
『うん、問題なくね。消耗も大したことはないかな、特殊火器は使わなかったし。ちょっと青壁1を使い過ぎたぐらい?』

住宅街エリアで殲滅作戦を執っていた空鳥小隊が熊澤小隊に合流してきた。心配こそしていなかったが想定より早い決着に少し肝を抜かされた。ちなみに小隊とは言っても空鳥以外の姿はない。

「それならお願いします、やり口はいつも通りですか?」
『そうだけど、やり口って言い方は酷いんじゃない?』
「こう見えて根に持ってますからね、僕」
『やれやれ、器が小さいとモテないよ?』

空鳥はそのまま一人で館の南側へと回る。手にはわざとらしく拳銃が一丁、ろくに構えることもせず南に広がる林へ侵入していく。

『それで、お山の大将はどこ?』
「5m前方で空鳥さんを待ち構えてます。注意してください」
『はーい……っと、見~つけた』

第一目標、或いはお山の大将は筋骨隆々の巨躯を黒いローブに隠し、真紅の双眸で空鳥を睨みつける。受け取った前情報で奴はヴァンパイアと呼ばれていたが、こうしてみる限りはデーモンなどの呼称の方がしっくりくる。空鳥がさらに歩み寄ると彼はようやく口を開いた。当然奴に通信機はついていないが、幸い空鳥の通信機が彼の声を拾っていた。

『……吾のしもべはどうした』
『全員片づけたよ、君で最後だ』
『吾は奴らとは違う。お前一人如きにほんの少しでも後れを取ると思うなよ』
『こんなところでコソコソしてたくせに……でもそうだね、確かに私ひとりじゃどうにもならない』
『……なんだと?』

困惑の色を見せる標的を無視して拳銃を曇天に向ける。空鳥の口角がにんまりと吊り上がった。

『よーい、ドン』

パン、と無意味に拳銃を鳴らす。

忽ちカモフラージュが解ける。

獲物の眼に空鳥"小隊"が映る。

彼らは既に引き金を引いていた。

◇🦇◇

[2021/11/17 20:10 AE-2102]

「お疲れ様、亙君。今日もバッチリだったね」
「ありがとうございます。何とか慣れてきましたよ」

此処はサイト-Q9ALT、原因不明の人類喪失世界デッド・グリーンハウスに建てられた、世界を跨いで世界の危機に駆け付ける財団内部組織だ。僕はQ9ALTの新人指揮官であり、今日も今日とて或る世界、或る国の窮地に出向き救援作戦を執行してきたところだ。

「今回で何度目の作戦になるっけ?」
「ええと……ここにきてすぐの1件を含めると5回目になりました」

僕達が直面するケースは多岐にわたる。今回のように露骨に親玉が居てそいつを潰せばいいと分かり切ってるパターンばかりではない、例えば前回は……

◇🦈◇

[2021/11/11 13:27 AC-4092]

インドネシア、バリ島。東南アジアきっての観光地であるはずのその島には悲鳴とアンモニアの雨が降り注いでいた。島の中央に設けられた作戦拠点の中から僕は声を荒らげる。

「南西から8体と北から11体の魚影が……ああもう、どうしてジンベエサメが空を飛ぶんですか!こういうのってもっとこう……ホオジロザメとかそういうのじゃないんですか!?」
『飛んじまったもんは仕方ないだろ!つべこべ言うな!』
「少しは疑問に思ってくださいよ!」

その前は……

◇🎃◇

[2021/10/31 22:26 BA-2976]

アイルランド、ダブリン。ハロウィンの夜はどこぞのカルトの馬鹿が主導した1000人規模の反魂儀式のせいで"帰省ラッシュ"の大混乱に陥っていた。

「儀式主導者の排除成功を確認しました!でもやっぱり霊的実体もゾンビも沈黙する気配が全くありません!」
『そんなこったろうと思ったぜクソが。連中め俺たちに丸投げしやがって、どうしろっていうんだよ!』
『いいから作戦拠点の2km圏内に全員引きつけろ!儂が纏めて祓っちゃる!』
「無茶言わないでくださいっ!」

さらにその前は……

◇🔪◇

[2021/10/23 21:00 AA-5306]

イギリス、ロンドン。その世界の霧の街は百年以上の時を超えて再び殺人鬼の恐怖に陥れられていた。僕は現地サイトの"依頼者"とモニター越しの情報共有を行う。

「それで、貴方達がたかが殺人鬼の一人で手を拱くとは思えないんですが」
「いいや、一人じゃあない。千人だ。ジャック・ザ・リッパーが千人出た」
「……???」

「……って、やっぱりおかしいですよ!」
「ん?何が?」

Q9ALT、生活エリアA-1。その一角に位置するバーは仕事上がりの職員たちのたまり場となっていた。カウンター席を占領した作戦チームの片隅に座った僕は酔い気に任せて抱え込んでいたその不満をぶちまけた。

「色々です!毎週のように死線に立たされているのもそうだし、そもそも言うほど世界規模じゃない危機でも呼び出されるし……あと、当たり前のようにアノマリーを拾って帰って来るのも訳わかんないですよ!」

僕がそう声を荒らげて指さす先には空鳥の膝の上に座らされている色白な少女、僕に邪険にされて機嫌を損ねたそれはいっちょ前にいーって顔で威嚇して長い犬歯をむき出しにして見せた。

「いいじゃん、可愛いし。ほれほれ……」

空鳥が少女の頭を撫でると敵意むき出しだった少女が一転、猫被りな笑顔を見せ目を細める。少ししてちらりとこちらを見返してニヤリと挑発した、その仕草だけ見ればただの小生意気な子供なのだが……

「これっぽっちもそういう話じゃないですよ!半人半鬼ダンピールなんですよわかってます!?」
「わかってるよ~……というか、伝承通りならダンピールってヒトの味方なんだよ?まあそれに、もし大々的に私たちを裏切ったらその時は殺しちゃえば問題ないじゃん?」

空鳥は先程までの甘やかし方から一変、さらりと"裏切ったら殺す"宣言を突き付ける。すっかり気を許して油断していた少女が目を丸くしながら青ざめた。その反応を見て空鳥は愉快そうに笑いながら少女をぎゅっと抱きしめる。少女は腕の中でさらに真っ青になっていく、まったくいい気味だ。

「それで、他の疑問にも答えた方がいいかな?」
「ええ……んっ、お願いします」

すっかり小動物的な振舞いを見せる少女の有様を肴にジントニックを呷りながら話題を戻す。それで数分前の僕はどんな不満を垂れたんだっけか。

「まず初めに依頼が立て込んでるって文句だったよね、これはきっと亙君も頭では理解してるだろうけど、一つ一つの世界が連携を取ってるわけじゃあないんだから私たちが多忙かどうかなんて彼らにはわからないの。だから酷い時なんて一日に二件の依頼を受けることもあるんだから」
「まぁ、そうですよね……多忙だからって救えるものを見逃すわけにもいきませんし……」

正直、これは彼女の言う通り聞くまでもなく自明なことだった。それでも文句を言いたくなるくらいには一か月で神経がゴリゴリに擦り減っていた。どの程度深刻かと言えば、今までてんで興味がなかった酒にこんだけがっつり浸っているくらいには深刻だ。他の職員たちを見る限り慣れるほかなさそうだが……

「それで二つ目に"そこまで深刻じゃない"って話だったね、じゃあこれは依頼主の立場になって考えてみようか。別世界の財団を名乗る電話越しの謎多き集団に世界の危機を任せたいと思う?」
「……藁にも縋る思いで、ってことはあるでしょうけど……まぁ、あんまりあてにはしたくないですね」
「そう。だから私たちの小手調べをするためにも"そこそこやばい"案件を私たちにぶつけてその実力を計ってるんだよ、彼らは」
「まぁ……彼らから見たらそう、ですかね」
「私たちから見てもこれは決して悪い事じゃないよ、世界の危機に立ち向かっても私たちの得にはならないからね」
「あー……支払い能力、でしたっけ」
「そう。私たちは原則、依頼を引き受ける報酬として資材や食料を受け取っているのは知ってると思うけど、世界規模の危機に陥ってるような世界の財団を助けたとしてもそんな報酬を満足に支払える余裕が彼らにはないんだ。ないものねだりはできないから、私たちにとってそういう依頼はボランティアと等しくなる。だから支払い能力のある世界からの依頼は積極的に受けて損はない訳だよ」

世界を救う大役を担っているわりに世知辛い話だ、まぁこれだけ大掛かりなサイトを財源、というかまともな経済活動そのものすらなしにやりくりするにはそれ相応の努力が必要なのだろう。

「あー、それにアレもありますしね、特例避難区域。規模がどの程度の物かよく知りませんけど、この世界でそんなものを維持するとなると中々労力が要りそうです」
「ん?……ああそっか、まだ亙君は行った事なかったっけ。そうだね、いい機会だし明日あたり見学に行ってくるといいよ、勿論仕事の一環としてね」

特例避難区域、この世界におけるそれは他所の世界から避難してきた人々が事実上半永久的に住まうコミュニティだ。存在はもちろん把握していたが、実際に出向いたことはなかった。

「さて、そうと決まれば私は先にお暇しようかな、サクッと後方支援部に話を通してくるよ。あ、君も道中にある精密検査棟に寄って届けなきゃいけないから一緒に来てね、ダンピールちゃん」

それなりに飲んでいたはずの空鳥はまるきり素面かのようにすっくと立ちあがり、すっかり空鳥にビビっているダンピールの少女をお姫様抱っこしてバーを後にした。どうやらもし僕が今後あの少女と関わることがあったとしても、少し先の事になりそうだ。

施設呼称: 特例避難区域204
 
通称: エリアJP
 
施設分類: C(異常存在の取り扱いなし)
 
所在地: 別紙参照
 
説明: エリアJPは特例避難区域の第204号施設です。特例避難区域とは異常事件の被害により居住区域を喪失した民間人を一時的または半永久的に隔離保護するための施設の総称で、とくに特例避難区域204~218(以下、対象区域)はAE-2102に建造されたサイトQ9ALT直轄の施設であり、独自の運営方法が執られています。
 
対象区域に保護されるのは主に別世界に由来する難民であり、リスク隔離原則に基づいた半永久的な保護の対象です。計15か所の対象区域はAE-2102世界各地に分散して配置されており、そのうちの1つであるエリアJPはAE-2102における日本に該当する地域に位置するQ9ALTに隣接されています。
 
対象区域にはそれぞれ12名以上のQ9ALT所属職員が配備されており、簡易的な行政機関の役割を担っています。詳細な職務内容は特例避難区域運営手引きp.47~を参照してください。

[2021/11/18 14:00]

「エリアJPへようこそ、君が噂の新人指揮官くんだね。私は相貝あいかい、役職は執務官……まぁ、役所の職員をイメージしてくれたらいいよ」
「鳥飼です、どうも……え、噂になってるんですか?」

中央管理センターと呼ばれるこの地区の中枢となる施設に訪れると、小柄な女性が僕と同伴の橘を出迎えてくれた。差し出された手をおずおずと握る。

「そうね、なんでも迅速果断で奇想天外、一往直前、容姿端麗……いや、見た目はまだまだ青臭いわね。まあとにかく凄い子が来たって空鳥ちゃんが」
「空鳥さん……」

ああなるほど彼奴の仕業か、心の中で頭を抱える僕をよそに話は続く。

「さて、それで此処に来るまでに敷地内をちょっと歩いたと思うけど……どう?君の目にはどう映った?」
「ええと……なんというか、まるで普通の街ですね。田園都市といいますか……少なくとも避難区域って感じは全然しなかったです」

エリアJPの実際の姿は僕を驚かせるに十分なほど"普通"だった。背丈の高い建物こそ無いが、どこからどう見ても普通の街だ。避難所なんていう辛気臭い雰囲気は微塵と感じられない。

「でしょう?もちろん本物の街そのものと比べちゃうと色々と足りないものはあるけど、一次産業からサービス業まで幅広い職業がちゃんと存在して、他のエリアと連携しながら紛れもない"社会"を回してるのよ」
「にわかに信じられない話ですね、良く実現に漕ぎつけたものです……この世界に文明の跡が残されていたからこそといった感じでしょうか」
「間違いないね。建て替えた施設は多いけど、インフラは元あったものをそのまま使っているよ。電気ガス水道、必要なものは全部ここにある。流石にテレビは使い物にならないけどね」
「なるほど……まぁ、詳しい話は追々聞かせて下さい。とりあえず今は手続きを先に済ませたいです」
「ああそうだった、私は君たちに滞在許可証を出さなきゃいけないんだったね。すぐ済ますよ、君にはこのエリアJPの良さをたっぷりと知ってもらわなきゃいけないからね」

相貝はエリアJPに好感を示す僕にここぞとばかりにその良さをアピールしてくる、これも彼女の仕事の一環なのだろう。だが……僕の目的もとい使命は、生憎と社会見学ではない。

[2021/11/17 18:34]

「侵入者の捜索、ですか」
「そう。Q9ALTの観測機器は私たち以外の何者かが別世界からこの世界の、しかもQ9ALTの近辺に渡航してきた形跡をキャッチしたんだ」

ヴァンパイアの一件が片付き帰還した直後、バーでの打ち上げに向かう前に自室でその支度をしていたら空鳥が押しかけてきて、出し抜けにそんな話題を振ってきた。

「僕らが居ない間にって事ですか」
「そうだね、だから私たちでその侵入者を探す必要があるの。Q9ALT内部に潜入してる可能性は私が追うから、亙君にはエリアJPの捜索をしてほしいんだ」
「エリアJPですか、確かに僕の能力は広域の捜索に向いてますけど……エリアJPの外に潜伏してた場合はどうするんですか?」
「それならそれで事の緊急度が下がるからね、腰を据えて対応していくよ……それから。この任務はトップシークレットだよ」
「……というと?」

空鳥は人差し指を口元に当て、不意に真面目な表情を見せる。普段からそういう面持ちでミーティングや任務に当たってほしいものだが、まぁ話の肝がどこにあるかはわかりやすくて助かる。

「侵入のタイミングといい侵入ポイントといい、別世界の人間がぶっつけ本番で侵入してきたにしては出来過ぎてる。Q9ALT内部に内通者が居る可能性は視野に入れて然るべきでしょう?だからこの話は報告してくれた観測部門の子と私と君しか知らないんだ」
「確かに……そうですね、目的がどこにあるのかは一先ず置いておくとして、スパイの存在は大いにあり得ると思います」
「でしょう?それにね、実のところ私たちが別世界の何者かに狙われた事件が過去に起きてるんだ」
「狙われた、ですか。具体的に何があったんですか?」
「狙撃されたんだよ、熊澤がね。エリアJPのある施設を訪れている時に肩をぶち抜かれたんだ。着弾点を大きく抉るような銃創からみてパラテク絡みの武器が使われてたのは確実、となれば相応の技術を持った何者かが犯人、という事になる。別世界から来たと考えるのが妥当でしょう?だからその事件を受けて別世界からの侵入を観測できる装置を開発して今に至るの。亙君はどうして熊澤が狙われたと思う?」
「そうですね、犯人の目的がわからない以上断言は出来ませんが……我々の戦力を削ぐためでしょうか。僕達作戦チームの人間は驚くほど十人十色ですが、その中でも戦闘、特に破壊力に特化した能力は熊澤さんしか居ませんし、もし彼を失ったときにその戦力を補充することも難しい。仮にその敵対存在の目的がQ9ALTそのものに打撃を与えることなら、まず熊澤さんを狙うのは納得できます」
「私も同意見だよ、馬が合うね?実際その狙ってきた誰かさんが熊澤を脅威とみなしていたのは人を見る目があったと言わざるを得ないね、銃の腕は足りなかったみたいだけど」
「えっと……どういうことですか?」
「避けたんだよ、熊澤。弾が部屋の窓ガラスをぶち抜いた瞬間に反応して急所を外してみせたんだ。おまけに今じゃ傷も完治して後遺症はゼロ。信じられる?」
「凄い人だとは薄々思ってましたけど……いや……ちょっとにわかには信じられないですね……」
「だよね、私も流石に軽く引いたよ。とまぁそんな訳で私達が誰かに狙われてるのは確実で、誰が敵とも判らないから御内密に、ってこと。わかった?」
「ええ、わかりました……成程、だからわざわざ僕の自室に来てまで話を始めたんですね」
「いや?それは単に君の部屋を見てみたかったからだよ。私の能力があれば隠し事ぐらいどこでもできるし」
「……」

……とにかく、僕のするべきことはエリアJPの事を全く知らない職員のふりをして、エリアJPの隅から隅まで能力で洗い浚い捜索する事だ。ちなみに侵入者かどうかを見極めるのは僕の裁量に委ねられている、余りにも不安だ。もっと不安な問題点を挙げるなら……

「ここは児童施設"さくら舎"、親を持たない子供たちはこの施設から学校に通うわ……って、大丈夫?なんだか顔色が悪いけど」
「いえ……大丈夫です、気にしないでください。ちょっと疲れてるだけですから」

……そう、他でもない僕の体力が無限ではないという事だ。ただでさえ任務を終えたすぐ翌日だというのに、休憩を挟まずに能力をかれこれ3時間ほどぶっ通しで使い続けている。正直、目前の相貝の説明はもはや殆ど頭に入ってない。かと言って事情を説明する訳にはいかないので、適当な相槌だけ忘れずに辛うじて会話の体裁を保っている。

「ねぇ、本当に大丈夫?」
「ごめんなさい、心配かけちゃって……」

橘が不安そうに耳打ちしてきたが、一応彼女にも秘密にしておかなくてはならないため打ち明けることはできない。彼女のことを疑っている訳ではないが、全職員に対しニュートラルに見ておく必要があるのは確かなのだ。
と、そんなやり取りを交わしながら案内についていくと施設内のやや広い部屋に通された。部屋には十数人の子供と床に散らばった玩具、プレイルームというやつだろうか。子供たちの何人かがこちらを見るなり駆け寄ってきた。

「こんにちは!お兄さんも"きゅーきゅーおると"のひと?」
「あぁ、こんにちは。そうだよ、僕は鳥飼っていうんだ。作戦チームに勤めてるよ、宜しくね」
「作戦チーム!ぼく知ってるよ!くまちゃんがいるところだ!」

小さな子供と話すのなんていつぶりだろうか、どんな感じで接すればいいのかイマイチ感覚が掴めないが取り敢えず最大限に物腰柔らかく答えてみた。幸いそこまでおかしな返しはせずに済んだようで会話は普通に続いた。

「……くまちゃん?」
「こらこら、"くまちゃん"じゃなくて"熊澤さん"でしょう?ダメよー、大人の人にあだ名なんて使ったら!」
「えー、でもくまちゃんもくまちゃんでいいって言ってたよ?」

相貝が少年を窘めたことでようやく彼の言っていることが分かった。そりゃ名前は熊澤だが"くまちゃん"なんて可愛らしい名前が似合うような男ではないだろうに、子供のネーミングセンスはよく分からないものだ。本人も満更でもなさそうなのが僕を何とも言えない気持ちにさせる。

「もう、あの人もキッパリ断ってくれればいいのに。教育に悪いわ……」
「なんだとー!くまちゃんは凄いんだぞー!つよくてでっかいんだ!」
「へぇ、大人気なんですね。なんだか想像つかないな、熊澤さんが子供たちに優しく接してるところ」
「……まぁ、間違いなく金本の影響があるでしょうね」
「金本?誰ですかそれ」

本人が聞いたら普通に怒りそうなことをうっかり思ったまま口にしたら、相貝の口からボソッと聞いたことのない名前が出てきた。少年はその間にもあれこれと熊澤の事を彼なりの語彙で必死にプレゼンしている。

「あの人の……古い同僚よ、とても子供好きだったの」
「あぁ……お察しします」
「きいてるのかー?もしもーし?」
「うん、大丈夫。ちゃんと聞いてるよ」

わざわざ過去形で話しているのだ、"そういう話"なのだろう。子供たちもいる手前、深堀りせずに話を切り上げた。

「とにかく!くまちゃんはすごいヒーローなんだ!わかったか!」
「ヒーローか……確かに、少しはしっくりくる……かも?」

ヒーロー。僕は"まぁ子供が考えることだな"くらいにしか思わなかったが、その言葉を聞いてほんの一瞬、相貝がひどく悲しそうな表情を見せた気がした。
と、そこへ施設の職員の男が反対側の扉から現れた。部屋に入るなりキョロキョロと辺りを見渡している。彼の姿を見て相貝がそちらへ歩み寄っていく。

「どうかしましたか、真鍋院長」
「あぁ、高橋君のお母さまから連絡があってね。彼がここへ遊びに来てるだろうからそろそろ帰るよう伝えて欲しいらしいんだ」
「ん?はっしーなら今日は来てないよ?」
「……なんですって?」

[2014/11/1 09:00]

「どういう事だよ、金本だけ復帰できないって……」

サイト-8147、第二病棟。ようやく歩けるところまで回復した熊澤のもとへ届けられた一報は彼をベッドから飛び起こさせ、その傷跡の鋭い痛みをぶり返させた。彼にそれを報じた同サイトの機動部隊支援部に勤める相貝は、起き上がったそばから蹲る彼の背を擦って落ち着かせる。

「理由は一つ、彼があの劇場の内包オブジェクトに指定されたからよ」
「んなっ……おかしいだろ!それを言ったら俺だって……」
「ええ、そうね。他の10人は兎も角、貴方の体にはまだ異常性が残存している。でも所詮は身体強化よ、制御も出来ている訳だし、作戦行動に支障はないと見做されたわ」
「あいつは違うってのか?」

熊澤の抗議は尤もだった。異常性を持つ職員など、探すまでもなくゴロゴロと転がっている。中には本当に職員をさせていいのかと疑いたくなるような職員だっている、そんな中でわざわざSCiPとして扱われなくてはならない理由とは何か、彼はそれが解らなかった。

「ええ、わかりやすい能力を取り上げるなら身体強化の他に装備品の改変能力が確認されているわ。これ自体はさほど問題ではないのだけど、残念ながら彼には精神汚染も確認されたの、具体的には過剰な正義心ね。ちなみに忠誠度テストも黄色信号、能力をまだ隠し持っている可能性も否定できないわ。そして……最も決定的なのはこのデータ」

そう言って相貝が手渡したのは1枚の検査報告書。現場職の熊澤にその学術的な内容の大半は理解できなかったが、最後に簡潔に記された結論の一文だけはすぐに理解できた。

「"金本被験者は非意識的確率異常発生源運命を引っ掻き回す危険因子であると認定された"……あぁ……」

熊澤から最初の語気で抗議する活力が抜けていく。彼をそうさせる程にその報告書は決定的だった。確率操作は現実改変の最も典型的な一例だ、それを財団が許容しない事など、研修初日の新人でもわかる事だった。

「……もう分かったでしょうけど。彼は貴方の比じゃないくらいあの劇場の影響をモロに受けてしまったのよ」
「なんで、あいつだけ……」
「アノマリーに道理を求める方が間違いよ、と口で言うのは簡単だけど……納得はできないわよね」

相貝の言葉を最後に訪れる沈黙。熊澤は勿論、相貝にとっても大切な同僚であり友である男が収容されようとしている、それは単に同僚が死ぬよりよっぽど堪えるものがあった。

「……あいつと話がしたい、今すぐにだ」
「すぐには無理よ、もう彼は正式に収容対象になってしまった。相応の申請を通してからじゃないと……」
「いや、その必要はない」

沈黙を破った熊澤が立ち上がろうとするのを相貝が細腕で何とか抑え込む。そんな攻防のさなかに相貝の背後から2人にとって聞き覚えのある声が割り込んできた。振り返ったそこに立っていたのは他でもない、金本だった。

「どうして、ここに……」
「話をしに来た」
「そうじゃなくって、どうやって……!」
「よせ相貝、そんな事で時間を使うな、俺はこいつと話さにゃならねぇんだ」

驚くほどすんなりと金本がここに居るという事実のみを飲み込んだ熊澤は身を乗り出して金本をじっと見据える。金本もまた、目を逸らすことなくそれを受け止めた。

「どこへ行く気だ、金本」
「……ここにはもう、俺の居場所はない」
「どこへ行くんだと聞いている!」
「また会える。ただやり方を変えるだけだ」
「話をしろ!金本!」

声を荒らげる熊澤と対極に終始無表情の金本、しかし相貝はその唇が密かに噛み締められ小さく震えていたのを見逃さなかった。彼らがそんな噛み合わない応酬を繰り広げていると、異常を察知した職員達が病室になだれ込んできた。

「すまない、熊澤……俺はまだ、人を救いたいんだ」
「金本!」

金本が二人と職員たちの前から忽然と姿を消す。ここに来るときもこうやって抜け出してきたのだろう。熊澤の叫びはただ病室にジンジンと響くだけだった。

「……お前の居場所がここじゃない事なんて、ずっと前から判ってただろうが……」

要注意人物報告

財団記録部門作成


登録番号: PoI-6349
 
個人名: 金本 義 kanemoto yoshi
 
脅威レベル:
 
状態: 収容失敗/逃走中
 
説明: PoI-6349は2014年までサイト-8147に機動部隊長として勤務していた人物です。2014/10/23に発生した作戦行動中のインシデントにより異常性に暴露し、収容対象となった際に存在を秘匿していた転移能力を用いて逃走し、以後確保に至っていません。
PoI-6349は以下の異常な性質を保有していることが確認されています。
 
・身体能力の強化能力: 筋骨格など身体の外見的変化を伴わない。
・装備の奇跡論的変形能力: 一般に少年向けコミックなどで"変身"と称される衣装変化に類似する。
・転移能力: 詳細な転移条件等は不明。
・精神汚染: 極端な正義心、および財団への不信感。なお、入職時の金本 義の忠誠度テストは最高評価だった。
・潜在的確率異常: PoI-6349を中心に確率異常を伴うHm値の上昇が確認されている。詳細な影響力は不明。
 
以上の異常性質を踏まえ、財団はPoI-6349を積極的収容対象とし、金本 義が所属していた機動部隊ひ-7("ヴィジランテ")をその収容任務に任命しています。詳細な作戦記録は別資料を参照してください。

[2017/12/24 17:09]

戦線に復帰した熊澤ら11名に課された任務はかつての仲間の収容だった。財団の技術は金本を追跡することが出来なかったが、熊澤だけは違った。彼が隊員を連れて作戦に出動すると、金本は決まって作戦ポイントに現れ、そして熊澤らが到着する前に出し抜いて場を制圧してしまっていた。故に彼らが通常通りの作戦に取り掛かる機会はまず無く、代わりに現場へ先回りしている金本の確保を試みる、それが通例だった。

初めのうちは言葉による交渉が行われた。それを数度繰り返して無駄だとわかると上層部は交渉抜きに彼を確保するよう指示を出し、それでも金本を制圧できないとわかると指示は少しづつ過激になっていった。終いには三年の時を経てなお収容できない金本に躍起になった上層部は確保という名目すら忘れ、彼らのプライドのままに金本を武力で排除する命令を下した。当然、旧友を殺せと言うに等しいその命令を熊澤らが素直に飲むわけもなく、彼らがなあなあで作戦を失敗し続ける誤魔化しの日々が続いていた。

上層部はそれを決して容認はしていなかった、しかし熊澤たちの代役はおらず、彼らが毎度繰り返す子供騙しの"ヒーローショー"をただ黙殺する他なかったのである。しかし、その日は違った。このふざけた茶番にケリをつけるべく"秘密兵器"を用意し熊澤たちに突き付けたのだ。

「携帯型世界間渡航装置……?」
「そうだ、尤もまだ試作機だが。君たちじゃどうにも奴を殺せないようだからな、いや、殺さないと言うべきかな?どちらでもいいが、ならば殺さなくとも良い、その代わりに平行世界へ追放してしまえ。殺すわけじゃあないんだ、それくらいなら出来るだろう?」

サイト-8147、管理官室。大上管理官に呼び出された熊澤は"試作機"と呼ばれた野球ボール程度の大きさの球形の装置と、それがちょうど収まる口径の銃身を持つランチャーを手に取りながら説明を受ける。こんな簡素なもので人ひとり別世界へ渡らせる事ができるなど到底想像もつかない代物だった。

「……実行はいつだ」
「装置が完成し次第、だ。技術部門曰くお前が右手に持ってるその砲弾は完成していて、後は発射機構を実装するだけだそうだ。一品モノだからな、丁重に扱えよ」
「わからねぇな、どうしてあいつの為だけにそこまでするんだ」

確かに確率異常は並外れた脅威だ、それはわかる。しかし財団に明確に敵意を向けて攻撃している訳でもない金本にそうまでして執着する理由は彼に理解できなかった。どちらかと言えば、彼からしてみればそこらの異常な職員と大した差はないとまで感じていた。

「それは大きな誤解だ、熊澤。俺はな、奴を特別視はしちゃいない。あくまでも契機と捉えている」
「契機?何のだ?」
「お前はおそらく、金本が他の異常職員らと何ら変わりないと考えているのだろう。その通りだ、俺からしたらどいつもこいつも等しく"人でなし"だ、職員じゃあない」
「……あんた、自分が何言ってんのかわかってんのか?」

ひとつのサイトを受け持つ管理官ともあろう男が、おおよそそれにあるまじき発言をした。質の悪い冗談ではなさそうなその言葉に、熊澤は憤りより先に畏怖を覚えた。大上はさも当然のことを言ったまでと言わんばかりの表情で話を続ける。

「サイト-8165の指揮官……伊勢山という男なんだが、そいつがとあるプロジェクトを立案した。"サイト-Q9ALT建設計画"、手頃な平行世界に拠点を建てて他所の世界を助けるなんていう随分と大掛かりな計画だ。わざわざ他所様を救おうなんてのは全く以て下らない話だが、俺はそれとは別の利用価値を見出した」
「……何の話をしてるんだ、お前は?」
「拠点を建てるなら人員が必要になる。ならばこそ丁度いい機会だ、俺はこのサイトの人でなし共をそこへ島流しにしてしまおうと思う。この構想を通す契機として、"異常存在を平行世界に送ることは効果的な処理方法である"という前例があった方がより良いだろう、それが奴だ」

熊澤は然るべき言葉が出てこなかった。目の前の、前時代的という言葉では片付け難い男の発言に何と反論すれば会話が成り立つか判らなかったのだ。

「ちなみに言っておくが、サイト-8147のプロジェクト加入は決定事項だ。奴を仕留め損ねたとしてもQ9ALT計画は実行に移されるだろう。逆に、奴を仕留めてさえくれれば君には幾らか"便宜"を図れる。そこら辺を理解して賢く動いてほしい、何か質問は?」
「……お前の目には、俺も人でなしに見えてるのか?」
「ああ、勿論」

技術番号: ART-1149-JP
 
個体数: 1
 
保管場所: サイト-8147
 
使用手引: ART-1149-JPは現在開発段階であり、実験外での使用は認められていません。
 
説明: ART-1149-JPは擲弾型世界間渡航装置とその発射機です。擲弾型装置をART-1149-JP-A、発射機をART-1149-JP-Bと呼称します。渡航先の選択はART-1149-JP-Aの製造段階でのみ可能で、最大で40dBの世界間距離を渡航する事が可能です。なお、試作機の渡航先は文明の喪失が確認されている平行世界であるAE-1921に設定されています。また、研究段階での渡航時の身体影響評価はC(影響可能性あり)となっています。
 
ART-1149-JP-AはART-1149-JP-Bに装填しアクティベートする事で励起状態となり、その状態でART-1149-JP-Aに強い衝撃が加わると装置が起動し、ART-1149-JP-Aを中心に半径2mの球形の空間が指定された平行世界へ転送されます。ART-1149-JP-Aの接続は双方向的ですが、その起動にART-1149-JP-Bが必要であるため実質的に一方向的な転移となります。
 
現在、ART-1149-JPは励起状態のART-1149-JP-Aに強い衝撃を与える事無くART-1149-JP-Bから発射する方法が確立されていない為、発射機構が未完成の状態です。また、構造上ART-1149-JP-Aの内蔵電源を取り外すことが出来ず、ART-1149-JP-Aの充電および再利用が難しい点も課題となっています。

[2017/12/24 20:02]

「それで、それを本当に撃つつもり?」
「……まだ、迷ってる。だからお前に相談しに来た」

サイト-8147、カフェテリア。吹きつける木枯らしが野晒しのテラス席を2人だけの密談の場に作り替えていた。世間はクリスマスイブとはいえ、ここからじゃ街灯一つない田舎の暗闇しか見えないのだからそれも当然だろう。他の職員は暖房に守られた壁の向こうで思い思いの休息を取っているはずだ。熊澤は相貝に管理官室での一部始終を一息に話し終えてからとうに冷めているカフェラテを呷る。それをココアのマグに両手を添えたままの相貝が聞き届けたのち、直球で核心を突く質問を投げ掛けた。しかし熊澤の返答は相貝の想定していたものではなかった。

「だから私に、って……どういう事?」
「お前だろ、金本に情報流してたの」
「……どうしてそう思ったの?」

ココアを飲もうと持ち上げかけた相貝の両手が熊澤の言葉で凍り付く。彼女は短い沈黙を許したのち質問を質問で返した。

「消去法だ、あいつに情報を流そうとする奴なんて俺かお前しか居ないだろ。そして俺じゃない、となればお前だ。勿論、あいつが自分で情報を掴んでた可能性もあるが……あいつはそういうコソコソした事が出来ない馬鹿真面目野郎だ。お前が渡してる情報だって向こうが寄越せと頼んできた物じゃあない、ただのお前のお節介だ……違うか?」
「……こんな事で、"私のこと理解してくれてるんだ"って喜びたくなかったなぁ……」

相貝のその言葉は白状したに等しかった。この3年間の、どのタイミングで気付かれていたのか。それを彼女に推し量ることはできないが、どうあれ旧知の仲を騙せていると思いこんでいた己を恥じざるを得なかった。

「お前の方が、今のあいつについて詳しいはずだ。だからお前に聞きに来た。あいつは……俺がアレであいつを撃ったとして、ちゃんと避けてくれると思うか?」
「……熊澤は金本に避けて欲しいんだね」

熊澤には、2つの選択肢と3つの結末が見えていた。初めに熊澤が撃たない、或いはわざと外すという選択肢、これを選んだなら金本は平行世界送りを免れるが、大上の命令に背いた熊澤はQ9ALT計画の実現と共に真っ先に島流しにされるだろう。次に熊澤が金本を撃つという選択肢、大上がそれを理解しているかは定かではないが、金本がその気になればあんな大きさの擲弾を避けられないはずもないだろう。せめても実弾程度の弾速と精度がないと話にならない。ともすれば後は、金本がそれを避けようとするか否かで結末は変わってくる。もし金本が避けたなら、金本は当然この世界に留まり、また熊澤に下される処分も撃たなかった場合に比べれば幾らか希望が持てる。だがもし金本がそれを避けなかったら。金本は平行世界に送り込まれ、代わりに熊澤はこの世界に留まることが出来る……少なくとも交渉上は。

「あいつは馬鹿真面目だが馬鹿ではない、どういう行動を取ったらどんな結末を招くか、わからない筈はないだろう。そしてあいつは、自分の事より他人の事を優先できる大馬鹿野郎だ。もしあいつが俺の記憶にあるあいつと変わってないのなら、俺の為……いや、この世界の為に弾を受けてしまう未来しか見えないんだよ」
「……良いんじゃない?」

相貝の予想外の返事に熊澤は唖然とする。怒りを顕にするべきなのだろうか、とおおよそ怒る前の人間ではない冷静な逡巡さえあった。

「何を、言ってるんだ……?」
「金本を平行世界に送る、それでいいじゃない。管理官の言う通り、別に殺すわけでも捕まえる訳でもないのだから」
「簡単に言ってくれるなよ、あいつがこの世界から居なくなるんだぞ!?」
「全てが上手く行く方法なんて存在しないのよ、でもよりマシな道を選ぶことならできる。よく考えて、熊澤。ただ別れるだけ、ちょっと違う道を歩くだけなのよ……」

相貝は熊澤にというより、自身に言い聞かせるかのようにそう語り掛ける。対する熊澤は黙して苦悩し、糊で固められたみたいに動きが鈍い唇を何とか開き、急拵えの決断を言葉にした。

「……わかった、わかったよ……俺はあいつを撃つ。あいつは俺たちの前から居なくなるだけ。死ぬわけじゃない、死ぬわけじゃない……」
「何も今決断する必要はないのよ……って、私が言うのは狡いわよね。とりあえず、今は戻りましょ。こんな話を続けてたらそのうち凍え死んじゃうわ」

息苦しく悴んだ空気に耐えかねた相貝が立ち上がる。それを追うように熊澤も立ち上がった。しかし屋内へ戻るドアのノブに手を掛けた相貝が首を傾げた。

「ん、ドアが開かないわ。鍵は掛かってないみたいだけど……物が置かれてるのかしら?」
「そんな馬鹿な話あるか?退いてみろ、俺が開ける」

先程までの辛気臭い会話からの落差でどんな反応を見せればいいかわからない2人。取り敢えず交代した熊澤はドアを力任せに押し開いた。ズズズ、と何かを引き摺る音。熊澤は扉を回り込んでその正体を確認した。

「お、おいおい……どうなってんだこりゃ……」

扉の前に立ち塞がっていたのは、ドアノブを握り締めたまま背中を切り裂かれ絶命した職員の死体だった。その死体だけじゃない。カフェテリアに居たであろう職員達が悉く息絶えている。どの死体も外傷は乱雑な切り傷、明らかに異常事態であった。こんな惨状にもかかわらず警報ブザーが鳴っていないのが不気味さを掻き立てる。それはつまり、強襲を受けた彼らに壁掛けの赤いブザーを鳴らすだけの猶予すら無かったという事を意味していた。熊澤は考える前に迷わず能力を行使しその身を臨戦態勢に転じる。

「何、これ……」
「もう一度外に出てろ、相貝。そしてあいつに連絡を取れ……すぐに此処に呼ぶんだ」

そう端的に命じて相貝をテラスに押しやり扉を閉め直す。机を蹴散らしながらカフェテリアを駆け抜け、カウンター横の警報ボタンを指先で弾いて鳴らしてからまだ見ぬ敵を追って廊下に飛び出した。血の跡でもあれば追いやすかったが、生憎そんなものはない。ブザーを鳴らさなければ聴覚に頼ることもできたかもしれないと今更後悔する。どこへ向かえば出会えるか判らないのなら向かうべき場所に向かおう、そう考えた熊澤は最上階の管理官室を目指す。手始めに非常階段へ続く鉄扉を周りの壁ごとぶち破った。

「クッソ、せめぇな……」

人間向けの非常階段は今の彼にはせせこましく、何とか身を屈めて登るほかない。タイミングを見計らって能力を起動するべきだったと今更後悔するが、引くにも引けず肩を擦りながら登っていく。なんとか最上階へ辿り着いたのち、出口の扉に腕を突く。

「こんな空間じゃ勢いをつけらんねぇのが辛い……な……」

バタン。一つ下の階の扉が力任せに開く音が非常階段に反響する。職員が避難してきた?否、それが意味するところは一つだった。

「やべぇ、スグに出ねぇとっ…………がぁっ!?」

扉の音の直後に走る背中への激痛。それに身悶えした事で辛うじて扉が壊れ踊り場から脱した熊澤は、廊下を転げるような乱れたフォームで駆け抜けながら斬られたのが背中で本当に良かったと逡巡する。彼にそう思わせるほどには背中に受けた傷でありながら深手だった。前面を切られていたらどうなっていたか、そんな恐ろしい想像を働かせる余裕はなく、また目的地を変えるつもりも無かった。敵の姿すら確認していないのは些か焦りすぎだが、兎にも角にも次の一撃を食らう前に管理官室に転がり込んだ。

「チッ、無人か……つくづく鳴らさなきゃよかったぜ」

管理官室の扉を突き破り、ようやく敵の方へ向き直る。あわよくばいけ好かない大上管理官を巻き込んでやろうという魂胆もあったのだが、とっくにどこかへ逃げおおせた後だったようだ。逃げた先で無事かどうかは兎も角、この場に居ないという事実に熊澤は少しばかりがっかりした。

「さてさて……どこから何しに来やがった、お前」

初めて視認したその敵は身長170cmほどの人型、やや女性的な体つき、全身を覆う白い外殻は甲殻類を彷彿とさせる形状だが、その右腕は蟷螂を思わせる刃物状の器官になっていた。差し詰め先程はアレで斬られたのだろう、血が刃を汚さぬ程のスピードで。口はついているが発声器官があるかは定かではない。その手で扉を開閉するほか、身動きが取れない獲物を狙うという知性がある事も警戒に値する。

暫し睨みあい、先に動いたのはタイムリミットのある熊澤だった。もはや技量を探る段階には無い、その一撃で仕留めるつもりで猪突猛進した。狙うは殻の隙間、即ち喉元。拳の大きさからして正確に喉に叩き込める見込みは無いが、顎ごと砕くつもりで迷わず左拳を振り抜く。

しかしかの敵は考えうる限り効率よく最速で突き出されたその正拳突きを"しゃがみ"という人体の構造上抵抗が働き速度に欠く筈の動作で余裕をもって躱す。そうして機動力の差を見せつけた直後には右腕の刃が熊澤の腹を横一文字に掻き切っていた。

「がぁっ……根性ォ!」

熊澤は速度で劣るぶんその十分すぎるほど丈夫な巨体で不利を補うべく引き手を手刀にして懐に潜り込んでいる敵の側頭部へ振りぬく。左足で敵の右足を踏み付け、突き出していた左拳は引き込んで頭の反対側に添えて逃げ場を無くす。幾ら機敏でもない逃げ道を逃げることは出来ない、手刀は耳元へクリティカルに叩き込まれた。

「……硬ぇ!クソがっ……」

ココナッツぐらいなら造作もなく割れる熊澤の手刀が呆気なく弾かれてしまう、まるでボウリング玉でも相手にしているかのようだった。それにより熊澤の渾身の一撃が己に通用しないと理解した敵は回避を前提とした立ち回りを放棄するかのように左腕で熊澤の脇腹を掴み、右腕の刃で熊澤の腹を真っ直ぐと貫いてみせる。その刃渡りは彼の巨体を貫通させるに足りなかったようだが、それでも攻撃の手を止めさせるには十分だった。

「痛ぇじゃねえか……はっ。でも、捕まえたぜ」

熊澤の左手が敵の右腕を掴んだ。敵が彼の手を止めたのではない、彼が敵の手を止めたのだ。そのまま右手で敵を突き飛ばし、その勢いを使って左腕を伸ばして刃を引き抜く。敵が硬くとも重くはない事は、この数秒の対峙で既に読めていた。左手で掴んでいた敵の右腕に右手も添え、足幅を広げ深く構える。

「外傷だけが怪我じゃあ……ないんだぜっ!」

胸を張り、息を吸い、大きく両腕を振り上げる。後は餅搗きの要領だ。

ガシャン。床に叩き搗けられた敵は甲冑のような質感の音を立てた。悲鳴は上げない、やはり発声機能は無いのだろうか。少なくとも熊澤にはそんな事を冷静に分析する余裕は無かった。

「オラァ!ウンとかスンとか言ってみろよコラ!」

熊澤はトチ狂ったように敵を床へ壁へと叩き付ける。初め丁寧に両手で掴んでいたのが右手だけになり、ハイな高笑いがとめどなく込み上がってくる。力を全力で行使すると理性を失う、それは熊澤自身も知らない代償だった。金本に全力を振るったことなど無かった事がこんな形で跳ね返ってくるなど、誰が予想できただろうか。
そしてその代償は、間もなく彼に牙を剥いた。

「黙りこくってんじゃねぇぞ虫ケラがぁ!」

熊澤は感情のままに敵を壁に投げつけた。そう、手放してしまったのだ。そして不幸なことに、敵はよろめきながらも起き上がって来てしまった。後は言わずもがな、理性無き獣が狩人に勝る道理はなく。敵は再び熊澤の懐に潜り込み、今度こそかの刃が熊澤の腸を曝け出させた。

先程までの暴れぶりから一転、静かに片膝をつく熊澤。最後まで警戒するように部屋の反対側まで退いて、彼が確実に斃れるのを待つ敵の姿を見ながら、急激にクールダウンした彼の頭に理性が息を吹き返した。

「あぁ……何をやってるんだか。何しに、ここに来たのか……すっかり、忘れてやんの」

左手を赤黒い床に、右手を右膝に。がくりと項垂れた口から血反吐が撒き散らされる。何とか視線を切らさまいと彼が顔を上げた直後、彼の視界を二本の脚が遮った。直後に3発響く銃声、白い甲殻に罅が走った。
臙脂のマント、奇形の銃。反対の手にもう一つ銃。呼び出したのは何分前だったか。

「……金本」
「熊澤の目当ての物は、これで合ってるか?」

金本が手にしていたもう一つの銃、ART-1149-JP或いは擲弾型世界間渡航装置と呼称されるそれは間違いなく熊澤がここへ来た当初の目的だった。

「そうだ、だが……」
「俺が実力で倒せるなら、それで構わないだろう?」
「そういう話じゃない!」
「わかってる、お前が言いたいのはこれが未完成って事だろう。発射できないから銃ごと直接ぶつける必要がある、そうだな?」

"俺が実力で倒せるなら"、そう仮定した金本だったが、敵はそれが幻想であると知らしめるかのようにその外殻に入った罅を塞いでみせた。熊澤が先程多少なりとも与えたダメージもきっと修復済みなのだろう。金本が現実離れした必殺技など持ち合わせていない事は熊澤も知っている、そこから導かれる結論を金本は既に行動で示していた。

「本当にわかってるのか!?」
「しつこいぞ、それに熊澤だってやろうとしてた事だ」
「お前と俺とじゃ立場が違うだろうが!」

金本の手によってアクティベートされた発射装置が青く光を放つ、それを見て熊澤の語気はより強まった。彼らが何をしようとしているのか掴みかねているような敵は二人の言い争いを静観している。仕掛けはせず、かといって退くつもりも無いようだ。

「立場が違う……か、頭では理解しているが、熊澤に言われるのはやはり辛いな」
「っ……そんな話をしてんじゃねぇ!よく考えろ金本!他でもないお前が!財団の為にそこまでしてやる理由はあるのか!?財団がお前に何をしてきたか解ってるのか!?」
「それは違うよ、熊澤。俺は財団のために行動してるんじゃない」

金本は終始、熊澤に背を向けたまま顔を見せることは無かった。しかし彼の顔が見えずとも、熊澤には彼の次の台詞が容易に想像できてしまった。

「確かに俺がやる理由はないかもしれないし、確実に成功する保証もない。でも全ての可能性は捨ててはいけない。特に、救える可能性がある命はすべて救う。それだけだ」

……金本の姿が消え、敵の背後に現れる。銃身を握り締め、敵が振り返るより早くそれを敵に叩きつけた。

青白い閃光が視界を奪う。

金本と敵の姿が、周囲の床や天井ごと消えてなくなる。後には熊澤だけが残された。

時間切れで萎んでいくその体には、拭いようのない無力感だけが残されていた。

[2021/11/18 16:22]

「本当に良かったの?引き受けて。調子悪そうなのに」
「まぁ、僕より適任は居ませんから……」

結局はっしーこと高橋少年は施設のどこを捜しても見つからず、端的に言えば行方不明だった。どうやら此処ではこういった事件はそう起こることではないようで、院長含めその場の人達には強い動揺が見られた。僕には例の目的もある、ともすれば僕が彼の捜索を自ら進んで引き受けるのはごく自然な話だった。

「鳥飼君がそういうならいいんだけど。私はどうすればいい?」
「そうですね……じゃあ、橘さんは高橋君の目撃者が居ないか聞いて回ってもらってもいいですか?僕の能力じゃ視覚情報しか得られませんから」

少年を捜すだけなら橘に付き添ってもらうのは聊か非効率だ、いざ侵入者を見つけたとなったらその時に呼べばいいだろうからここは別行動をとることにした。橘は最後まで不安そうな表情を隠さずに僕の前から去っていった、事が済んだらきちんと説明して謝らなくては。

「さて、どうしようかな……先ずは歩いてから考えようか」

居るかどうかわからない侵入者を捜すよりは取り合えず居ることは居るだろう子供を捜す方が心持ちはずっと楽だが、その両方を捜す必要がある以上負担は増している。子供の方だけでも早いところ決着をつけなくては。

施設を出て一先ずはエリアJPの中央を走る主要道路沿いを歩く。視界を一本裏手の通りくらいまで見通せる広さに保ち、見落としが無いようゆっくりと睨め回す。正直なところ今の集中力で完全に見落としなくというのは難しいものがあるが、それでも普通じゃない行動を取っている人間の挙動は案外目立つものだ、相手が潜伏のプロでもない限りはまあ見つけられるだろう。

「暗くなってきたな。人が減ってきて探しやすくなったと捉えるべきか、はてさて……」

[2021/11/18 18:51]

結論から言うと、虱潰しより多少なりともあたりをつけて探すべきだったと言わざるを得ない。まだ人通りのある商店街の、ちょうど中腹辺りに存在するゲームセンター。その二階のメダルゲームコーナーに何事もなかったかのようにゲームに没頭する高橋少年の姿はあった。心配して損したというべきか、大事じゃなくてよかったというべきか……兎に角、捜索は30分ほどで終わりを迎えた。店の入り口の自動ドアを抜け、強すぎる冷房と特有の爆音の洗礼を浴びながら階段を昇っていく。二階に着くと冷気、爆音に加え喫煙室から漏れる煙草臭で三重苦となったのち、程なくして通常の視界に少年の姿が見えた。ゲームセンターに入り浸るには些か齢が足りないであろうその少年の肩を後ろからポンポンと叩いた。

「っひゃいっ!?ななな何ですか!?」
「随分と熱中してたみたいだね、高橋君。今、何時か知ってるかい?」
「えっと、えっと……」

少年は辺りを見渡して時計を探す。しかし彼から見える位置にそれはない。フロントの壁に掛けられているものがこの空間で唯一の時計だった。彼は概ね僕の言いたいことを察したのだろうか、とてもバツが悪そうにしている。

「もう7時前だよ、君の家の門限は5時半だそうじゃないか。お母さんが心配していたよ」
「ご、ごめんなさい……えっと、お兄さんは執務官の人?」
「そのお手伝いって所かな、だから別に怒ったりはしないよ。さ、帰ろう。ところでどうして一人でゲームセンターなんて来たんだい?」

少年は僕と目を合わせず視線をあちこちに散らしながら口ごもっている。よく見ると酷い汗だ、とても冷房で肌寒い店内に居るとは思えない様相だ。何というか、追い詰められているかのような……

「僕、僕……ご、ごめんなさいっ!」
「あっ、君!」

彼は何を思ったか階下へ向けて一目散に走り出す。不意を突かれた僕はそれに咄嗟に反応することができず、少し遅れて追いかけようと視線を少年の逃げていった方へ向ける……その途中。階段横、薄いスモークが張られた喫煙室に佇んでいた長身の男と目が合った。偶然じゃない、間違いなくこっちを見ている。そしてその右手は男が着込んだ季節外れの背広の懐から引き抜かれんとしていた。

「鳥飼君!隠れて!」
「た、橘さん!?」

階下から駆け上がってきた橘が僕とその男の間に割って入るように飛び込んでくる。

直後に鳴り響く銃声。

その銃声がゲームセンターの騒音と他の客の悲鳴に飲み込まれたのち、その場に残ったのは腹に風穴を開けた橘の姿だった。

空鳥とのやり取りが不意に脳裏を過る。

"亙君はどうして熊澤が狙われたと思う?"

"仮にその敵対存在の目的がQ9ALTそのものに打撃を与えることなら、まず熊澤さんを狙うのは納得できます"

……考えてみれば最初からおかしかった。僕たちの内情を知ってる人間が、都合よく僕や空鳥の能力だけ把握してないなんてことある訳ないじゃないか。侵入を観測する手段がある事を知らない訳がないじゃないか。空鳥がこうやって僕を使って探させることだって予想がつかない訳がないじゃあないか……!

嵌められたんだ。僕も空鳥も、奴の掌の上だった……!

「こいつは……ハナから僕を殺しに来ているっ!」

名前: 橘 咲 Tachibana saki

クリアランス: レベル1

所属: サイト-8165 サイト-Q9ALT

役職: FA,機動戦闘員/Cクラス

専門: 潜入調査,暗殺,前衛接敵

身体: 身長168cm/体重59kg/1991年生/女

人物: エージェント・橘はサイト-Q9ALTに所属するフィールドエージェントです。2012年にサイト-8165のフィールドエージェントとして潜入調査を専門に活動したのち、[! クリアランスレベルが不足しています]により異動命令が下されサイト-Q9ALTに転属しました。

エージェント・橘は異常性保持者であり、体組織の高度な自己再生能力および限界環境下での生存能力を有します。エージェント・橘はその異常性を活用して"肉を切らせて骨を断つ"戦法を好む傾向にありますが、これは他のエージェントや彼女自身の精神状態に対し悪影響であるため繰り返し訓告・戒告を受けています。しかしエージェント・橘はこれを頑なに受け入れない為、他の職員は作戦スポットにおける彼女の独断専行を固く制限して下さい。

「橘さん!大丈夫ですかっ!」
「……」

喫煙室を出た男は立ち並ぶゲーム筐体を盾に逃げ惑う僕に向けて連続して発砲し、その一発一発が冗談みたいに筐体を大破させていく。そうして床に倒れる橘の横を駆け抜けて素通りしようとした直後、男の次の一歩は空を蹴ることとなった。

腹を穿たれたはずの橘が男の右足首を掴み、くいっと勢いよく男から見て後方へ引っ張ったのだ。次の刹那には体幹だけで起き上がった橘がバランスを崩した男の右手首を裏拳で弾き、拳銃を奪い取って見せた。すかさず男の腹を蹴りその反動を用いて飛び退いて反撃を牽制し、銃口を男へ向けた頃には彼女の服の大穴から見えるのは腸や血肉ではなく、彼女の白肌と臍だけだった。

「……っと。いたた……私が大丈夫なのは鳥飼君も知ってるでしょう?」
「そう、なんですけど……まだ慣れないです」
「やれやれ……それで、あんたは何者?いや、その顔、どっかで見たような……」
「……チッ」

橘が軽く首を傾げた直後、倒れ込んでいた男が俄かに体から青い光を放つ。何をする気かと2人が身構えた直後、男は舌打ちを残してフッとその場から消えていなくなってしまった。

「動くんじゃな……っ!消えた……」
「逃げられた、みたいですね……」

一先ず難は逃れた、と言っていいのだろうか。僕は物陰から出て橘に駆け寄る、すると彼女の目が大変もの言いたげに僕を睨んでいるのがわかった。おおよそどんなことを詰められるかは察して余りある、取り敢えず僕からは何も言わずに橘の言葉を待った。

「気付いてなかったでしょ、鳥飼君」
「ええ、まさか喫煙室に潜んでたなんて……」
「それもだけど、そうじゃない。どうして私がここに来れたと思う?鳥飼君と別れてからずっと後をつけてたんだよ」
「え……」

全く気付いていなかった、幾ら不審な人物以外には注意を払っていなかったとはいえ、同僚が居れば気付いて然るべきな筈だが。動揺を隠せない僕の反応を見て橘は呆れたようなため息をつく。

「ああ、やっぱり気付いてなかった。もしかしなくても相当疲れてるでしょ、君」
「うぐ……」

何も否定できない、元を辿れば僕の能力に全幅の信頼を寄せすぎた空鳥のせいでもあるが、流石にそんな風に人のせいを主張できるほど図太い神経はしてないので小さく唸って消極的肯定の意を示す。

「そして何か大事なことを私に隠してる。これは君一人の問題じゃないのかもしれないけど……兎に角、こうして私も一枚噛んだ……いや、一発食らったんだからもう説明してくれてもいいでしょ?」
「……はぁ、わかりましたよ。でも取り敢えず戻って報告するのが先決ですよ」

彼女の主張は尤もだし、独りでこれ以上何かを為せる気もしなかった。だから僕は観念して橘に事の経緯を話すことにした。現場の諸々の処理をたった今駆け付けたエリアJPの職員に丸投げして階段を降りると、階下に騒ぎを聞きつけ群がっていた住民たちの中に高橋少年の姿があった。そういえば少年は結局どういう経緯でここに居たのだろうか、先ほどの振る舞いを見る限り少なくとも偶然ここに居た訳ではなさそうだが……

「ああ高橋君、怪我は無いみたいだね」
「お、お兄さん……」

余程やましいことがあるのか、やはり少年はまだどこかオドオドしている。さてどうやって聞き出そうかと少し悩んでいたら、少年は急にポロポロと泣き出してしまった。僕は橘と顔を見合わせ、そして何とか少年を宥める。少ししてようやく落ち着いたようで説明を始めてくれた。

「えーっと、何があったのかな?」
「僕……おどされたんだ、あのおじさんに……」
「あのおじさんって、喫煙室に居たあの?」

少年はこくりと頷く。やはりというべきか、少年は彼自身の意思でここに居たわけではないようだ。話の続きに耳を傾ける。

「さくら舎に遊びに行くとき、僕はいつもこのお店の前を通り過ぎるんだ。それで今日も通ったら、あのおじさんに呼び止められて……銃をちらっと見せてきたんだ。それで、"お前を探す大人が来るまでここで遊んでいろ、さもないとお前と母親を父親と同じところに送ってやる"って……」
「君の、お父さん……?」
「……僕のお父さん、ここに来れずに死んじゃったんだ……」
「あっ、ごめん……辛いことを言わせちゃったね」

またも泣きそうになる少年を慌てて宥める。皆が余りにも普通に生活していてつい忘れがちだが、彼らは紛うことなき難民だ。うっかり聞き返してしまった自分の軽率さを反省し、そして同時にかの敵への憤慨がふつふつと湧いてきた。外道だ、少年の心の傷に平気で塩を刷り込む所業、まだ敵の全体像は全く見えていないが、悪と呼ぶに不足ない連中である事だけはしっかりと理解した。そして説明を終えた少年に罪悪感がぶり返してしまったようで、言葉に詰まったのち何度も謝罪を繰り返し始めた。

「ごめんなさい、ごめんなさい……」
「大丈夫、落ち着いて。ほら、僕もこっちのお姉さんも無傷だから……ちょっと服が破けただけで」
「……ほんとに?」
「うん、見ての通り元気さ。ね?」

橘に一瞬睨まれた気がしたがまぁ橘とて大人だ、直ぐ少年の方へ向き直りめいっぱいの笑顔で取り繕う。すると少年の気持ちも随分落ち着いたようで、対応しに来たエリアJPの職員に大人しく誘導されていった。それを見届けてから、改めてゲームセンターを後にした。

「……と、いう訳なんだ。だからその、隠してたのは……」
「あー……うん、大丈夫。事情はわかったよ。もう怒ってないから。それから……君、空鳥にちゃんと怒ったほうがいいよ」
「……?」

『うん、その通りだよ。私は彼の狙いが君である可能性は把握してたし、その上で君を餌にして彼を誘い出すつもりで君を送り出した、Q9ALT随一のボディーガードをつけてね。無事戻ってきてくれて何よりだよ』
「何よりじゃあないですよっ!こんなの作戦じゃない!」

橘と中央管理センターに戻ってきた僕は真っ先に空鳥に連絡を入れた。襲撃に遭ったこと、橘が庇ってくれたお陰でなんとか無事だったこと、侵入者に逃げられたこと。それらを伝えた結果空鳥から返ってきたリアクションは"だろうね"だった。橘のさっきの言葉の意味をその一言で瞬時に理解し、今に至る。空鳥の声に悪びれる様子は全くない。尤も、彼女が真面目に謝っている様子なんて一度も見たことがないが。

『んー、作戦というより謀略だよ』
「ええそうですね謀られまくってますよ敵にも味方にも!どうしてこう変なことしないと気が済まないんですかあなたは!」
『変なこととは心外だね、一応これでも熟考の末の結論だよ。君に作戦の真意を伝えなかったのは別に断られるかもしれないと思った訳ではなくてね、単に君がピュアで嘘が下手くそだか──』

僕はみなまで聞かずに電話を切った。もういい、当分は仕事の話以外はシカトだ。

「さてと、こんなもんかな。どう?結構似てるでしょ」
「お、描けたんですね。どれどれ……おぉー、似てます似てます。上手なんですね、似顔絵」

僕の隣でスケッチブックに先ほどの男の似顔絵を描いていた橘が、ちょうど完成したようでそれをこちらに見せてきた。その顔は刑事ドラマで見るような精巧さで、まさにその道のプロを思わせる。

「まぁ、エージェント研修の必修技能に含まれてるし……」
「へぇ、そうだったんですか……あれ?にしては絵心が微塵とないエージェントの知り合いは何人か見てきたような……」
「……絵心というのは、努力だけじゃどうにもならないものなのよ。あんまり触れないであげて……」

と、そんな話をしていると事後処理に奔走していた相貝が僕たちのいる部屋に戻ってきた。冷蔵庫を勢いよく開き取り出した水のペットボトルを傾けてから、キャップを締めつつ似顔絵を覗き込んでくる。

「お疲れ様、2人とも災難だったね。それで、橘ちゃんのお腹を撃ち抜いたのはどこの極悪人かし……ら……」

似顔絵を覗き込んだ相貝の言葉が詰まり、表情が凍り付く。その理由がわからずどう声をかけるべきか迷っていたら、相貝は金縛りにでも遭ったみたいに消え入りそうな声で呟いた。

「金……本……?」

「つまり、4年前に敵対生物と一緒に平行世界に飛ばされたはずの金本さんという人にそっくり……って事ですか」
「そっくりなんてレベルじゃない。この似顔絵は金本の顔よ、間違いないわ」

暫し言葉を失って心ここに在らずといった雰囲気だった相貝が、はっとした様子で僕に掻い摘んで金本という人物について説明をした。それに並行して橘がQ9ALTに連絡を入れたところ、熊澤が間もなくすっ飛んでくるそうだ。

「それで、その金本さん(仮)に対し考察を巡らせるとしたら、どんな可能性が挙げられるでしょうか」
「……まぁ、良くあるケースだと平行世界の同一人物とか」
「よくあるんですか?」
「うん。君もそのうち会うかもよ」

説明するだけしてまた遽しく出ていってしまった相貝に代わり橘がそう答える。自分と同じ顔をした別人なんて、会ったところでどんな反応をしたらいいというのだろうか。

「次に彼が紛れもなく本人で、洗脳されてるパターン。もしそうなら裏で糸を引いてる誰かがどんな意図でそうしたのか、考える必要はあるだろうね」
「洗脳……仮にそうだとしたら、それを解除する手段はなくはないですね」

速い話が記憶処理だ、何も忘れさせるだけが記憶処理の取り柄じゃない。人為的な精神汚染の除去なども記憶処理の役割の一つだ。もっとも、取り除ける汚染とそうでない汚染はあるが。

「最後に全くの別人説、金本の仕業という事にしたい誰かの息が掛かってるとかで刺客を変装させた、とか」
「仮にそうだとしたら動機が見えてきませんね。金本さんという人の人物像に傷をつける事で何かしらの損失を受ける人が見当たりません」

取り敢えずあり得る可能性は列挙してみたが、正直どれも推察の域を出ない。かと言って確証を得る方法も見当たらなかった。金本(仮)がもう一度現れたりでもしない限りは進展はないものとみて間違いなさそうだ。

「いいや、間違いなく金本だ。偽物なんかじゃあない」

部屋に入って来るなりそう断定してきたのは少し前にQ9ALT本部を出たばかりの筈の熊澤だった。耳の先まで真っ赤になって息も上がっている、全力疾走でここまで来たようだ。本当なら先日の作戦の能力の反動で動くのもままならない筈の彼をこうまで突き動かす金本という男は一体何者なのか、俄かに興味が増した。

「熊澤さんがホントにすっ飛んできた……じゃなくて、無茶しないで下さいよ!……いやそれも後でいいや、えっと、そう、どうして、彼が熊澤さんの知る金本さんだと断言できるんですか」
「橘が奴から奪い取った銃、さっき実物を確認してきたが、何の変哲もない普通の拳銃だった。あれじゃ人間の体にどでかい風穴は空けられない。つまり、奴は銃を、或いは銃撃を何らかの手段で強化していた事になる。そしてそのやり口はまさに金本のもつ能力とピッタリ一致する、金本が能力で強化した銃が金本の手を離れると普通の銃に戻る性質ともな」

橘に無言で押し付けられた椅子に座り込みながらそう力説する熊澤、しかし彼の口ぶりはどうにも金本が本物であることを前提としたその裏付けに聞こえる。まるで、本物であって欲しいと願っているかのような。僕にはそんな風に聞こえた。

「……まぁ、じゃあ一旦は金本さんが本物であると仮定しましょうか。どの道どっちかに仮定しないとそれ以上論じることもできませんしね。となると浮かんでくる疑問は大分して3つですね」
「なぜ生きてるのか、どうやってこの世界に来たのか、どうして襲ってきたのか……って感じ?」

ペットボトルを傾けるのに必死な熊澤に代わり橘が割り込んで答える。無口な方だとばかり思ってたが彼女、わりと喋りたがりなのか?

「そうです、後ろ二つの疑問は黒幕が居ると仮置きしたら一つの疑問に挿げ替わりますが。なぜ生きてるのかに関しては、そもそも金本さんが別の世界へ飛んだ時のことを詳しく知りませんから」
「情報が無さすぎるね、やっぱ本人が来てくれたら一番手っ取り早──」

橘がそんな冗談を口走ろうとしたその時だった、僕が背にしていた部屋の壁が突如として炸裂し、部屋に爆風が雪崩れ込む。轟音がセンター中に響き渡った。
疲弊した熊澤が合流した所への急襲、全く予想できなかった訳ではないそれをまるで考慮せずのうのうと議論を練っていた自分を刹那的に恥じた直後、僕の意識は頭部に直撃した瓦礫によって奪われてしまった。

「やあ、久しぶり。随分派手にやられたみたいだね」

病室、だろうか。病床が二つ、その一つに僕が横たわり、もう一つに誰かが腰掛けて僕に語り掛けている。窓の外には絵筆を濯いだバケツみたいに混沌とした配色の空が広がっている。
彼が出てくるのはおおよそひと月ぶりだ、今度は何を言いに来たんだろうか。

「用だけ済ませて帰れ、って顔に書いてある。仕方ない、内気な君のためにも端的に話そうじゃないか」

男は二本指で摘まんだ小さなフォークをゆっくりと振りながら話を続ける。いつの間にか僕の口に無味な塊が頬張られていて、無心に顎を閉めるとシャクッと噛み砕けた。

「君が先程対峙した、そして再び対峙する彼。君はきっと彼を何とか捕らえて話を聞き出そうとするだろう。それに賛同する仲間もいるかもしれない……でも、残念だけどそれはお勧めできない」

この男は彼の何を知っているというのだろうか、モソモソと咀嚼を続けながら露骨に訝しむ視線を向けた。

「別に君が知らない事を何か一つでも知ってるわけじゃないさ、ただの見解だと思ってくれればいい。でも……彼を生かした先に君の思い描く救いは無いだろうね。彼の事はきっちり殺して、きれいさっぱり忘れてしまう、その方が君たちは救われる筈さ。繰り返すが、ただの見解だけどね?」

ただの見解と念押す割には確信めいたものを腹に抱えて断言するような言い回し、真意は掴めなかったが、そこに悪意は感じられなかった。

「ま、君がどんな選択を取ったって君を咎めはしないさ、僕は君と話がしたいだけだからね」

まだ言ってたのか、そんな感想を心の中で零して布団を頭まで被る。もうここに居る意味はなさそうだ。

「おい、鳥飼が起きたぞ」

目を覚ますと病室のベッド、窓の外は鈍色の空が広がっていた。僕の隣のベッドに熊澤が腰掛け、橘が丸椅子に座っていた。ベッドサイドテーブルにはカットされたリンゴがこんもりと深皿に盛られている、下の方は褐変が始まっているのを見るに、橘は相当な時間僕を看ていた事になる。一頻り見渡してから体を起こそうとして、全身が思うように動かない事に気付く。

「動かないで。傷が広がる」

言われてみれば全身に包帯が巻き付けられている、どうやら並ならぬ怪我をしているようだったが、麻酔が抜けてないのか痛みは感じない。

「よく生きてましたね、僕。それであの後どうなったんですか?」
「どうもこうもねぇ、センターは大破して怪我人多数、奴は爆弾を設置するだけしてさっさと退散した様子がカメラに映っていた」

つまり、こちらが痛手を受けただけで向こうの情報は何も増えていないという事だろう。文字通りの骨折り損だが、くたびれてる場合はない。

「でも、これでハッキリした。あいつは私達戦闘員だけじゃなくて、このセンターの人間にも平気で手を出した。もう情報を集めて云々言ってられない、次は殺すよ」
「待てよ、あいつが本物だったらどうするんだ」
「論点が違う。私は本物でもそうじゃなくても殺すって言ってるの」

橘の意見は真っ当なものだった。脅威は排除する、至極当たり前な思考だが、熊澤にとっては話が変わってくるのだろう。

「それはお前だから言えるんだろ!」
「私以外に言わせても同じ。熊澤は生きていて欲しいみたいだけど」
「当たり前だ!お前に何がわかる?」
「わからないよ何も、どうしてそんなに金本に執着してるの?」

確かにそこは些か疑問だ。財団職員にとって同僚との別れは切っても切り離せぬもの、ここまで諦め切れない理由は何処にあるのだろうか。

「あいつは……生きてなきゃダメなんだよ、あいつ、あいつは、財団には勿体ないくらい……」
「……らしくない、端的に言いなよ。金本は熊澤の何なのさ」

歯切れの悪い熊澤にやや尖った言い方をする橘。いつもなら諫める所だが、今回ばかりはやけに頼りない熊澤の襟を正すためにもそのまま見守ることにした。

「……あいつは俺と正反対な奴だった、論理的で、馬鹿真面目で、呆れるほど正義漢で、とにかく俺に足りないもんを全部持ってるような奴だった。あいつの剛直さが俺の支えだったんだよ……」
「それで?殺されかけてでも助けようとする理由を感情論で押し切るつもり?」
「あいつは俺たちに必要なんだ、うんざりするくらいの正義感が……ヒーローなんだよ、あいつは」

ヒーロー。彼がその単語を金本が過去に得た異常性を指して言っている訳ではないのは明らかだった。

「……余計に感情論に偏った。話にならない、鳥飼君も何か言ってあげなよ」
「僕は……彼を、金本さんを助けて、何かが良くなる可能性があるなら……殺してしまうのは早計だと思います」

僕が出した結論は、橘が期待しているものではなかった。でもこれはある意味僕がQ9ALTに居る理由でもある、譲れなかった。

「鳥飼君まで……そんな可能性まで追ってたら埒が明かないよ?」
「全ての可能性は捨てるべきじゃないんです。人の命が懸かってるなら、特に。僕たちは可能な限り全ての命を救わなきゃいけない、違いますか」

僕がそう主張すると橘は露骨にうんざりした顔を見せる、綺麗事言ってるんじゃないと言わんばかりに。そして熊澤は僕の論説に加勢するかと思いきや、驚いたような表情を見せたままフリーズしたように黙りこくっている。

「違くないよ、でも多くの命を救うために斬るべき命は斬らないといけない。現実はそう出来てる」
「必要な犠牲なんてものは──」
「いや、いい」

僕の反論を遮ったのは熊澤だった。さっきの唖然とした表情から一転、何か腹を決めたような表情をしていた。

「いいって何ですか」
「もう、いいんだ。たった今目が覚めた」
「……?」

彼の言っている意味は分からない、だが彼のやけに清々しい表情を見ていると執拗に追及する気分にもなれなかった。

「奴が金本だろうがなかろうが、殺す。俺が、責任を持って殺す」
「……本当にいいんですか?」
「ああ……ありがとうな、鳥飼。少し、救われた気分だ」

「本当に良かったんですか?」

熊澤と橘が病室から出ていってから、入れ替わりで相貝が入ってきた。僕らのやり取りをずっと廊下で聞いていた彼女に対し、口を出さなくてよかったのかと問い掛けた。

「うん……私は確かに、熊澤が心配でQ9ALTまでついてきちゃった訳だけど……実を言うと、熊澤ほど過去に囚われてはいないの。だから熊澤が過去と決着をつけると決めたなら、引き留める理由はないわ?」
「意外ですね、少なくとも、僕の目には……どこか期待してるように見えますが」
「期待、ね……君、的確にズルい言葉を持ってくるね?」

昼間の孤児院で見せたあの表情と、今の語り草、それを照らし合わせた結果僕が彼女に感じたのは熊澤が金本にトドメを刺さないんじゃないかという期待だった。熊澤は何か覚悟を決めたようだったが、彼女にはそれがない事も併せて考えるに、彼女はおそらく殆ど心の準備が出来ていない筈だ。

「その通りだよ、鳥飼君。心のどこかで、全てが丸く収まる未来もあるんじゃないかって期待してる……夢見すぎなのは分かってるんだけどね」

相貝が遠慮がちに笑って頬を掻く。僕はただ目を逸らすしか出来なかった。

とても叶いそうにない望みでも、抱かざるを得ないのは誰もが同じらしい。

名前: 志鷹 忍 Shidaka Shinobu

クリアランス: レベル1

所属: サイト-8170 サイト-Q9ALT

役職: 機動戦闘員/Cクラス

専門: 狙撃

身体: 身長174cm/体重81kg/1981年生/男

人物: 志鷹戦闘員はサイト-Q9ALTに所属する狙撃手です。2002年にサイト-8170に入職したのち、2017年にサイト-Q9ALTの正式稼働開始に伴い本人の希望で転属しました。

志鷹戦闘員は狙撃専門に志願した際、その理由を"戦場を走り回るようなことは勘弁だから"と回答した事からもわかる通り極度の運動嫌いであり、加齢とともにその腹囲にそのツケが現れているため、是非とも危機感を持ってもらいたいです。 - 森野医師

[2021/11/19 9:42]

エリアJP総合医療センター、第二病棟。空室だらけのその病棟で、僕と熊澤は同じ一室に入院していた。片や重傷、片や筋肉痛。まるで異なる療養理由の2人の共通点は"狙われている"というただ一点だった。

「何度もしつこいだろうが……無理はするなよ、鳥飼」
「……わかってます」

僕が深手を負った今、三度目の襲撃は間違いなくある。それに備えるべく僕は療養中のフリをしている熊澤の横でかれこれ半日ほど目を閉じたまま能力の行使に集中していた。無論、とうに無理をしている。だがそれ以外の一切に意識を向ける必要がないため辛うじて維持できていた。図らずしも今後の能力との付き合い方の参考になったが、当分はこんな無茶したくない。

「いや……今の台詞は余計だったな、悪かった」
「……いえ、無理をしてるのはみんな同じですから」

熊澤は数時間前からずっとこんな調子だ。時折中身のない話を投げ掛けてきては引っ込めるを繰り返している。

落ち着かない気持ちは当然わかる、旧友かもしれない男をその正否がわからぬままに殺すのだ。どんな心持ちで臨めばいいのかわかるはずもない。

「なあ、鳥飼。もしお前なら──」
「熊澤さん」
「す、すまん」
「そうじゃないです……来ましたよ」

とてもじゃないが答えたくない質問を件の刺客の来訪が遮ったことに、不謹慎な話だが"助かった"と思ってしまった。敵の姿は他の建物の屋上、おおかたこちらを狙撃するつもりなのだろう。僕が常時監視してることまで織り込み済みか否かはわからないが、兎にも角にもこちらから行動に起こさない理由はない。手元に握った状態で固定されている無線機のスイッチを入れた。

「志鷹さん、梅井ビルの屋上に目標が出現しました」
『おーよ見えてる見えてる!しっかし人を撃つのなんていつぶりだかなぁ。やっぱデカい的は狙い甲斐がないんですよ、撃つんならやっぱこんぐらい小さい的の方が気が引き締まるってもんですわ!』
「良いからサクッと撃って下さいよ!目標がもうこっち狙ってるんですから!」

やたらとペラが回る彼を急かしつつ、こっちが気付いている事を悟られないよう座して待つ──などと考える間もなく志鷹の弾丸が目標の銃を弾き飛ばした。相手が人間かどうかもわからない以上、頭を撃って殺せるとも判らないため先ずは武器を封殺するというのは今回の作戦通りだった。

「着弾しました!目標、ビル内部へ退避したようです。転移は連続行使できないんでしょうか」
「かもな……」

目標は階段の踊り場に留まっている、転移のクールタイムを稼いでいると考えると自然と納得がいく。願わくばこの時間を使って熊澤に心の準備をしてもらいたいものなのだが……

「熊澤さん、備えて下さい」
「……わかってる」

ハッキリ言っててんでダメだ、いつもの大胆不敵さがどこにも見当たらない。だがどう声を掛ければいつもの熊澤に戻せるというのだろうか、答えが出る前に目標が動いた。

「目標が転移しました!着地地点は──」

着地地点がどこか知るのに、能力を使う必要もなかった。

「彼がゲームセンターで姿を晦ましたのと同時刻、何者かが別世界へ渡航した痕跡が観測されたんだ。彼が別世界へ逃げたとみて間違いないだろうね」

エリアJPに来た空鳥は、いの一番にその報告をよこしてきた。熊澤と橘と4人でそれを共有する。

「彼が侵入して来たのが昨日で、襲撃と逃走が今日。昨日襲わず今日襲ってきた理由を考えると……世界間渡航は連続して使えなくて、それでヒットアンドアウェイを確実にするためだとするのが一番しっくりきますね」
「そう、私も同意見。じゃあクールタイムはどのくらいかって考えたら、多分1日前後なんじゃないかな」
「まあそう考えるのが自然ですよね、となれば襲撃は明日以降……ですかね」
「たぶんね。そして亙君は既に彼の顔を知ってる、彼は再侵入してから1日も潜伏なんて出来ない。とすれば次は侵入直後に君だけは何が何でも仕留めて、それから潜伏を図るのが筋だよ」
「つまり、侵入してきたところをこちらから叩けば……」
「彼は受けて立たざるを得ないだろうね」

「……金本」
「熊澤さん!備えて!」

目標は二人の病室に現れる。奇抜な短剣を握り締め、間もなく僕の病床へジリジリと距離を詰める。
熊澤は目標を見据えたまま動かない。

「まずは、お前から──」

ぼそりと呟きながら僕の病床へ駆け寄らんとした目標の体が壁際に弾き飛ばされる。そうさせたのは既に能力を起動した熊澤の右ストレートだった。余りにも唐突に動き出した彼に、目標ばかりでなく僕もまた驚かされた。

「熊澤さんっ!?」

彼に求めていた動きはそれで間違いないのだが、余りにも唐突な変わりように困惑が隠せない。

「悪いな鳥飼、心配かけた。今判った……あいつは金本だ」
「えぇ、何を根拠に……!?」

片手で血の滲む側頭部を抑えながら目標が立ち上がる。その視線は僕ではなく熊澤を睨みつけていた、まだ戦意は失っていない。熊澤は振りぬいた拳を戻し目標を見据えてどっしりと構える、格闘家がとるようなファイティングポーズではなく仁王立ちと称した方が近いだろう。

「根拠なんてねぇ、だがこの目で見たらわかる。奴は間違いなく金本なんだよ……だからこそ。だからこそ俺が殺す。他のやつには任せられねぇ」
「熊澤さん……」

熊澤に纏わりついていた言語化しがたい不安感が、金本を金本だと確信したことで急激に晴れたようだ。目標を金本だと断言できる理由は納得できないが、かといって彼の決意に茶々を入れることも僕には出来ない。

「俺から銃を奪って、ほんの少しでも出し抜いた気になってんじゃあない!お前らの能力は判ってるんだ、これ以上後れを取ると思うなよ!」
「……御託は終わったか?ったく、お前はそんなキャラじゃないだろうが……よっ!」

熊澤は丸椅子を片足で蹴り上げて手で掴み、それを勢いよく振り抜き力任せに投げつける。金本は熊澤が投げたのを見てから横っ飛びにそれを回避し、丸椅子は窓ガラスを突き破って外へ落ちていった。

「そんな攻撃が俺に当たると──」
「甘ぇよ」

金本の挑発が熊澤に遮られた直後に上がったのは金本の小さな悲鳴だった。その太腿に果物ナイフが刺さっている、丸椅子はただの陽動に過ぎなかった。

「う、上手いっ。椅子と一緒に握り込んでおいて椅子を投げた後に手首のスナップだけで投げた……!」
「一々解説すんなよ鳥飼、こそばゆいぜ」

彼のナイフを握って隠せるほど大きな掌と、その力業で罷り通りそうな外見と実力があるからこそ成り立つ搦め手だ。すかさず追撃に入ろうとする熊澤、しかし金本とてそう簡単にやられてやる気はないようで握り締めていた短剣を熊澤の心臓目掛けて投げつける。

「弾……んやっぱナシだ、おっかねぇ。しかし良かったのか?貧弱なお前を救う数少ない武器だぜ?」

拳で弾き飛ばそうかと一瞬逡巡した熊澤だったが、寸前のところで回避に切り替え金本への接近を諦める。壁に突き刺さったナイフが勢いそのままに隣の部屋へ過貫通していったのを見るに正解だったと言わざるを得ない。

「その程度の武器、直ぐにでも……」

金本はその場に立ち竦んだまま何もしない。否、何もできなかった。

「直ぐにでも、何だ?」
「……お前ら、何をしたっ!?」
「転移して取りに行くんだろ?ほら、やってみろよ。できねぇよなぁ?」
「貴様っ……!」
「舐めんなよ、こちとら転移能力者なんぞ腐るほど相手してんだよ」

この部屋には転移を封殺する特殊補強が為されている、これもまた例に漏れず他の世界から得た技術らしい。銃を奪ってから部屋に誘い込む、金本はその計画通りに嵌ってくれたという事だ。

「諦めろ金本、もう逃げらんねぇぜ!」
「……チッ」

金本の判断は早かった。転移が出来ないのなら物理的に逃げればいい、そう目論んだのか勢いよく地を蹴り全速力で後退する。しかしナイフの刺さったその足で熊澤の猪突猛進から逃れられる筈もなく──

……待て、金本は武器の即時強化能力を持っていた筈だ。これまでの戦いからもこの金本が従来の金本同様の能力を持っているとみて間違いない。

ならどうして、金本は足に刺さったそのナイフを手に取らない……?いやそもそも、なぜ予備の銃すら持ち合わせていない……?

「……熊澤さん!近づいちゃダメだ!そいつは──」

──確実に仕留められる距離まで誘っているんだ!

僕の言葉は彼らの刹那的攻防には間に合わない。

熊澤が彼自身の間合いまで到達すると、金本はそれを苦し紛れに制すかのように右の掌を熊澤に向ける。

……直後、爆発声が鳴り響いた。

「く、熊澤さん……?」

黒煙に満たされる病室、僕の能力で辛うじて外郭は捉えられた熊澤の姿は拳を振り翳した姿勢のまま静止し、対する金本は右掌に空いた正円形の穴から硝煙を細くたなびかせていた。

「一体何……を……」

状況を掴むことに必死な僕は金本が何をしたのか把握しようとして、余りにも"今更"な気付きを得てしまった。

僕の能力は建物の内部も断面的に捉えることが出来る、ならそれを人体に対し行ったなら?一度も試した事の無かったそれを、恐る恐る試す。するとどうだ、金本の体内は人体の構造を削り押しのけ異物が支配しているではないか。右腕の中には砲身、皮下には装甲、腰元には正体不明の球形の装置、そして黒く不定形な何かが彼の全身で蠢いている。

僕が後ほんの少し早くそれに気付いていたなら負わなかっただろう火傷と裂傷を前面に被った熊澤を見上げながら、金本は果物ナイフを左手で引き抜いて即座にその形状を変化させた。先ほど投げつけたのと同様な短剣になったそれを右手に持ち替え、その首目掛けて振り翳した。

「さよならだ熊澤ぁ!」

確信めいた引導の台詞、しかしそれに結末は伴わなかった。

「なっ、てめぇこの野郎っ……!」

気付いたら僕はベッドを飛び出し、金本に体当たりを繰り出していた。麻酔が抜けたばかりの、歩くことすら儘ならない筈の体が、誰かに投げ出されたみたいに金本に飛び込んでいき、彼の攻撃をほんの一度ばかり妨げて見せた。どさっと床に着地する衝撃で、同時に全身に激痛が走る。もう腕一つだって動かない。

「けっ、そんなに死にたいならてめぇから殺してやる……」
「熊澤さん!起きてくださいっ!熊澤さん!」

僕は床に倒れ伏したまま顔だけでも必死にもちあげ、未だ動かない熊澤へ懸命に声をなげかける。金本は今度はそんな僕へ短剣を振り翳す。

目を逸らすのも恐ろしくて出来ずにいた、その時。熊澤の双眸がギラリと赤く燃え上がった。

「テメェの相手は……俺だっ!」
「熊澤!?お前──」

次の瞬間、金本の右腕は熊澤の左拳により上に弾き飛ばされ、振り翳した短剣は呆気なく彼の手を離れ天井に突き刺さってしまった。

「ありがとな、鳥飼。ちょいと……ほんのちょいとばかしトびかけたがよ……これしきで……これしきの事で俺の怒りが止められると思うなよ!」

怒り、少なくともこれまでの攻防には表れていなかった筈のその感情を吐露する熊澤が右アッパーで金本のガラ空きのボディを殴り上げその躰を浮かせる。

「責任もって殺すっていった手前よぉ……ちったぁ理性的に、賢しく戦おうかと思ってたが……やめだ。もう俺は我慢しねぇ!どうかしちまったテメェを拝まにゃならんこの怒りをっそのまま叩き込む!」

左の手刀が右肩にめり込む、金本が地面に叩き付けられた。すかさず鶏を絞めるみたいに左手で首を掴んで持ち上げて鳩尾に右拳を叩き込む、金本は絞り出したような悲鳴を上げた。そのまま金本をふわりと宙に抛る……

「……あばよ、金本」

顔面。熊澤の拳が金本の顔面を拉げさせる。直後、スイッチが入ったように雄叫びを上げながら立て続けに右肋、喉仏、金的、下顎……絶え間ない連撃を力任せに撃ち込み、もはや反撃の見込みがない金本を徹底的に叩きのめしていく。僕には彼の雄叫びが号哭に聞こえた。

熊澤の最後の右拳が胸元に真っ直ぐ突き刺さり、金本を窓の外へ弾き飛ばす。

金本が落ち視界から消えた後の景色を、拳を突き出したままの背中が息を切らしながらただぼうっと見詰めていた。

「目標の身柄を中庭に発見しました。これより死亡確認に移りますよっと」

予め医療センター内外に分散して配備されていたQ9ALT工作員の一人である黒山が中庭に大の字で倒れる金本の姿を発見する。全身が拳で殴ったとは思えないような打撲傷、裂傷に塗れているが、四肢と首は繋がっている。既に鳥飼から金本が人間たり得ない身体を持っている事を聞かされている黒山はインスタント・トーチを構え、じりじりと歩み寄る……そうしてあと10mほどの距離まで近づいた瞬間だった。

「ううう動くんじゃねぇ!」

金本の全身の傷口から真っ黒なゲル状の物体が意志を持ったように、いや、意志と発話能力を持って飛び出してきた。どこに口があるのかわからないが、赤黒く光る核がそのゲルの中に浮いているのは黒山にも見えた。

「鳥飼が"何かに取りつかれてるかも"とは言ってたけど……まんまじゃないか」
「まっまま間違っても撃とうとするなよ、俺がそれより早く金本を殺ぉす!」

やたら人間味のある語り口の黒ゲルはまるで自身が金本ではないかのような脅迫をする。黒山からすれば金本を無理して生かす理由もないのだが、それでも少し考えたのち即刻射撃するのはやめて対話を試みる。

「殺すって、そもそも生きてるのか?」
「瀕死だ畜生め、し、しこたま殴りやがって。だがっ!殺すのは一瞬だ!」
「それでお前は何なんだよ」
「テメェにそれを教えてやる義理はねぇ!」
「じゃあこれだけ答えろよ、お前はそいつを操って俺たちを襲わせたのか?」
「そうだ!良いのか?お前が下手に動いたら俺に操られてただけの可哀ソ~なこいつが殺されちまうんだぜ!」
「……だそうですよ、志鷹さん」
『了解ですよぉ!』

直後、赤黒い核は針の穴に糸を通す一射により瞬く間に砕け散った。黒ゲルは自立力を失いべちゃっと金本の体の上に撒き散らされる。

「目標、確保成功。すぐに医者、と……あとあれだ、技師も呼んだら良いんじゃないですかね」

[2021/12/5 17:48]

金本の治療は困難を極めた。何せどこからメスを入れても装甲が顔を見せるし、それを取り外すのに成功しても本来人間にあるべき器官があれこれ足りない為どの傷が彼を重篤な状態に追いやっているのかも判然としなかった。
しかしそれでも数多の異常患者を相手してきたQ9ALTの医療オペレーターと手術室に入ったこともないメカニックのタッグの奇跡的な執刀により、彼はその命を繋ぎ止めたのだった。勿論、彼のもつ潜在的な確率異常のおかげかもしれないが。
彼が目覚めたのは作戦から16日後のこと、早速彼に事情聴取が行われたが、彼は"2017年の事件の日より後の事は何も憶えていない"と頭を抱えるばかりだった。

熊澤もまた傷は深く、結局のところ退院は僕と同時期までもつれ込む見込みとなった。尤も、熊澤の事だから僕を置いてさっさと退院してしまうのだろうが。
金本が目を覚ましたその日、食事を一人でとれるようになった僕と熊澤の病室を訪れたのは相貝だった。当然、金本についての報告である。

「そうか、あいつが目覚めたか……」
「そして何も憶えてない、と……金本さんに寄生してた黒いアレの残骸からも何もわからなかったんですよね?」
「ええ、金本を差し向けてきた何者かが居ると仮定したとして、その誰かさんの情報はハッキリ言ってゼロね」

この世界に敵が乗り込んでくるという未曽有の事件は多くの謎を残したまま一先ず区切りを迎えた。損害は少なくなく、また第二の刺客が送り込まれる可能性もあるが、それでも。

「だが、金本が帰ってきた。死んだと思ってた金本が、一度は殺す気で戦った金本が帰ってきたんだ」

熊澤は拳を握り締め、その言葉を噛み締める様に呟く。勿論その喜びは察して余りある。

「ところで実際、熊澤さんはあの時本当に殺すつもりで戦ってたんですか?」
「当たり前だ、そこは自信を持って言える。結局は殺しきれなかったがな」
「でも殺す気でやったからこそ金本を瀕死に追い込み、金本を操っていた奴を引き擦り出せた。何がどう転がるかわからないものですね」
「人間万事塞翁が馬とは言うけれど……それ、指揮官が言っちゃうの?」
「あはは……それもそうですね、でも、全力で取り組んだのが報われたんだと思えばちょっとポジティブになれません?」
「はっ、物は言いようだな……でも、そうだな。お前はそれでいいのかもしれん、馬鹿みたいに真っ直ぐな人間にしか救えないものもあるんだろう」
「……それ、ほんとに褒めてます?」
「おうよ。今回の件で確信したぜ、お前は……」
「……?」

熊澤はそこまで言って一瞬躊躇い、僕が首を傾げるのを見て目を逸らしてから言葉を続けた。

「……お前は間違いなくヒーローだよ、俺たちの」


[2021/11/19 16:02]

「それで、空鳥さん。僕に謝ることありますよね?」
「んー?感謝こそされど、糾弾されるような覚えはないなぁ?」

熊澤が金本を倒したその日、熊澤の手当が終わったことを鳥飼の病室に伝えに来た空鳥を、鳥飼は可能な限り鋭利な視線で追及する。その理由は一つだった。

「重傷者を投げ飛ばすとはどういう了見ですか!居たなら最初から助けて下さいよ!」
「いやいや、私だっていい感じに横やり入れるつもりだったんだけどね?熊澤が"他のやつには任せられねぇ"って言うんだから、邪魔しちゃ悪いじゃない?」
「開き直らないで下さい!もっと早く介入してくれたら熊澤さんの怪我がああも酷くなる事はなかったかもしれないんですよ!?」

そう、鳥飼はよくよく考えればおかしな話だと気づいていた。火事場の馬鹿力にしたってあの状況で彼が一人で金本に体当たりできる筈もない。"見えざる手"に導かれたと考える方が余りにもしっくり来た。そしてその見えざる手はすんなりと己の行いを認めて見せた。
チッチッチ、とわざとらしく舌を鳴らす空鳥。鳥飼のベッドの端に腰掛けながら話を続ける。

「それは違うよ、亙君。熊澤は自分の手で金本を倒すことで過去と決着をつけようとしたんだ。私が茶々を入れたらそれは成り立たない、一生心に澱を残したまま生きていくことになる。だからホントにやばくなるまで手出しは出来なかったし、いざその時にもその場にいた君を利用せざるを得なかったんだ。君はあの時、熊澤に"お前ならどうする"って訊かれたのを答えられなかったけど、私ならあの答えは一つだよ。熊澤がそうしたように、友かもしれないからそこ全力で打ちのめしていたさ、他でもない自分の手でね」
「……それは熊澤さんの身の安全より大事な事だったんですか?」

空鳥は一つ頷く。

「己の信条を貫けるのは財団の中じゃこのQ9ALTの特権だよ、亙君。向こうの世界じゃそうはいかない、でもこの世界なら、己の命に代えてでもそれを貫く権利を得られるんだ。 ……これは君に向けても言ってるんだよ、亙君」
「僕に、ですか」
「そう。君は前に、"指揮官として人を救うためにここに居るんだ"って言ってたけど。君は果たして、命を賭してでもその信条を守り抜けるかな?」

鳥飼の胸元を人差し指でツンツンとつつきながら、いつもの試すような物言いで問を投げかける。鳥飼はその問いに間を開けず答えた。

「もちろんです、今日だってその覚悟で挑みましたし……これからも、何度だって示し続けますよ」

空鳥は彼の迷いない返事に"そっか"と端的に返す。

"少しは躊躇って欲しかったな、そうでもないと……"、喉まで登ってきたその想いを、サイドテーブルのカフェオレと一緒に飲み下した。

















[2021/12/11 1:16]

「……すまない、熊澤。俺にはまだ……全てを打ち明ける勇気が足りないんだ」

深夜の病室。青い病衣を身に纏いその窓辺に立つ金本は誰へともなくそう零し、ふっと夜闇に溶けて消えた。

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