「つまり、彼らの目的はAA-2101への復讐で。その標的が私達Q9ALT、と。ふむ……」
空鳥は僕らが持ち帰った情報を一頻り聞き終えてから黙り込んでしまった。橘とエステルを連れて帰ってきたというのに、Q9ALTの会議室の空気はひどく重苦しかった。改めて金本と再会を果たした熊澤でさえ、それをそっちのけにして唸るばかりだ。それもそのはず、今回の一件は僕達が遭遇してきたどんなケースとも全く異なるものだった。
「それでお前は俺達から逃げていたのか。金本」
「そうだ」
「わからねぇな」
「……なんだと?」
だしぬけに口を開いたのは熊澤だった。"わからない"、その言葉の意味するところを金本が問いかける。
「奴らの目的が俺達への復讐で、AA-2101にも非が……まぁ、無い訳じゃないかもしれんと言うのは確かに問題だ。だが、お前が負い目を感じる理由は何処にあるってんだ?」
「わかってるのか?俺のせいでこんな事になってるんだぞ?」
「別にお前は悪かないだろ。そうなるなんて知らなかった訳だし」
「だからって……」
金本の困惑は尤もだった。幾ら故意ではなく、また緊急の場面であったとはいえ。多くの人間が犠牲になっているらしきその事件を前にして、"自分のせいじゃない"と言うのは余りに無茶だ。それに僕にとっても重なるところがある。だから余計に熊澤には賛同できなかったし、金本へフォローを入れるような言葉も思いつかなかった。
「悪い悪くないは兎も角として、私達にはまだ情報が少なすぎるね。どんな対応を取るにしても、判断材料を集めたいかな」
「判断材料か、どう集める?何を以て集まったとする?」
「おい待て、なに話進めようと──」
「じゃあずっと足踏みしてろってか?」
熊澤はおろか空鳥までこれと言った動揺を見せていない。他の作戦チームの面々は多かれ少なかれ困惑の色を示しているのを見るに、僕や金本の感性が狂っているわけではない筈だが……と、熊澤の言葉で刹那に空気がピリつく。
「熊澤さん、何もそんな言い方しなくたって──」
「いいや、はっきり言うぜ。金本も鳥飼も、くだらねぇ事でうだうだ悩み過ぎだ」
「くだっ……人が死んでるんですよ!?」
"くだらない"。熊澤のその台詞でふいにQ9ALTここへ来た当初の事を思い出す。僕みたいなのを指揮官として受け入れた時点で、そういえば彼らは普通じゃなかった。僕はたまらず反論の語気を強めてしまう。
「それがなんだ、香典でも用意するか?」
「お前なぁ……!」
「これは詭弁でも何でもないんだぜ。本当に立ち止まる理由がねぇんだ」
「それにしたって態度ってもんが──」
「そこまでだ」
熊澤と金本の口論じみてきた会議を制止したのはたった今会議室に入ってきた後方支援部の青木だった。
「救援依頼が入った。緊急度は……まぁ、今すぐ国や世界が滅ぶって訳ではなさそうだ」
「オーケー。じゃあ取り敢えず金本の話は保留にしようか。それで……」
手早く話を畳んだ空鳥が、びしっと金本を指さす。
「金本、君はいつまで私達と一緒にいてくれるのかな?」
◇
世界番号: CC-3001
世界間距離: 91dB
調査進捗: 未達成
説明: CC-3001は特異な空間異常が20世紀以降恒常的に発生している平行世界です。現状、CC-3001についての情報はART-2041-JPを通じたCC-3001の財団に相当する組織との情報交換でのみ得られています。
CC-3001は他世界で消失した物体および生物を誘引する異常な世界間引力が働いています。その結果CC-3001の地球表面は無秩序に物体が堆積しており、正常な社会環境が形成できません。
CC-3001における財団は資金提供元をもたない組織であり、漂流物から資源を確保して地域住民の生活圏拡充および異常存在への対処(主に排除)を行うことを主活動としています。
「つまり、その"奇妙な拠点"が現れて以降、明らかに現地人ではない人物の目撃情報と資材の消失が相次いでいる、と。今に始まった話ではないが、最近はその動きがやけに活性化しているから乗り込んで調査してほしいというのが救援依頼の内容ですね?」
「そう。わざわざ依頼が飛んでくるって事は、彼らには潜入調査出来るほどのリソースがないと見ていいだろうね。協力したリターンはあんまり期待できないかな」
先の会議で抱いたわだかまりを一旦胸の奥に押し込め、空鳥と青木と僕の三人でいつも通りプレミーティングを行う。話を聞く限りではどこからどんな邪魔が入るかも判らないため、何もない荒野よりずっと厄介な案件に聞こえる。
「距離的に使える渡航装置も限られる、少人数作戦を強いられるだろうな。多くて4人だ」
一度に乗れる人数に限りがあるなら往復すればいいと言いたいところだが、生憎とQ9ALTが保有する殆どの渡航装置は連続使用が出来ない。渡航先で緊急事態に遭遇した時に全員が一度に退避できないのはまずい為、一度に渡航できる人数が作戦チームの編成人数という事になる。物資のやり取りだけならもう少し自由が利くらしいが、物ばかり寄越したって人員が投入できなければ何の意味もない。
「金本さんもあんな調子ですしね……」
空鳥に問い詰められた金本は結局、別行動を申し出た。"俺にお前たちと戦う資格はない"だそうだ。そう言い張る金本に反論しようとした僕を制したのは他でもない熊澤だった。僕には熊澤が止める理由が解らなかったが、金本が"これまでとは違い連絡には応じる"と誓ったのを信じることにし、諸々言いたいことを飲み込んで引き下がった。
「どうする?亙君。誰が適任だと思う?」
「橘さんには当分無茶させられませんし、潜入なら……」
僕は少しだけ悩み、端末で作戦メンバーのオーダーを組んで2人に見せた。
◇
「つまり、8170の技術部門に探りを入れて欲しいという事だね?」
『そうです、金本の転移事故が過失にしろ故意にしろ、私達は視界をクリアにする必要がありますから』
「ふむ……諸々了解した。じゃあそれも調べておこう」
『ありがとうございます……ん?それも、と言いますと?』
「いやなに、杞憂ならいいんだがね……まあ、追って連絡しよう」
︙
名前: 黒山 鼡 Kuroyama Nezumi
クリアランス: レベル1
所属: サイト-Q9ALT
役職: 特殊工作員/Cクラス
専門: 偵察,危機管理,潜入調査
身体: 身長168cm/体重61kg/1991年生/男
人物: 黒山工作員はサイト-Q9ALTに所属する特殊工作員です。2019年に座標不明な平行世界からAA-2101に漂着したのち、一時的にサイト-8165にて保護対象とされていましたが、職務の付与と元の平行世界への帰還を切望したため、その達成に最適な環境の提供としてQ9ALTでの雇用が決定し、同年12月に配属されました。
黒山工作員は漂着前の世界において財団に相当する組織に加入していましたが、その組織はAA-2101における財団とはその理念、活動内容共に大きく異なります。その組織は秘密結社を自称しており、構成員は財団に比較して少数であり、その全員が高水準の潜入技術を有しています。また構成員の大半はエージェントに相当する役職であり、異常存在に対し収容活動を行わないため、研究員に相当する職員はごく少数に限られます。彼もまたその組織の一員として標準的な能力を有しており、高い潜入技術と危機管理能力、およびAA-2101における機動部隊の要求能力をクリアする身体能力を備えています。
︙
「僕が隊長ですか?珍しいですね、鳥飼君が指揮を執るようになってから初めてじゃないです?」
「正直、僕は貴方の実力をイマイチ知らないんです。黒山さん」
僕が会議室に集めたのは作戦チームの黒山とエンジニアの五木、それから後方支援部の服部の3人だ。
「まあ、これまで僕が鳥飼君に同行した作戦ではずっと後衛ばかりでしたもんね」
「はい。ですが今回は調査でありいつもの殲滅ではありませんから、純粋な潜入能力が求められるんです」
「潜入ねぇ……ご期待に沿えたらいいんですけど」
黒山は自信なさげに返した、謙遜か不安かは判断しかねる。彼がQ9ALTにやってきたのはちょうど2年前、僕が作戦記録に目を通した限りこの2年間で潜入調査に該当するような作戦はなかった。腕が鈍っている可能性を危惧しているのかもしれない。或いは単にいつも通り飄々と煙に巻いているだけかもしれない。
「あー、その。ホントに不安ならまた編成を練り直すので……」
「いや、大丈夫です。ただ……」
「?」
「僕に任せてくれるなら、僕のやり方でやらせてください。その……そうだね。少しばかり、鳥飼君の肌には合わないかもしれない」
◇
技術番号: ART-2981-JP
個体数: 1
保管場所: サイト-Q9ALT
使用手引: ART-2981-JPは手続きALT-6に基づき渡航許可が下りた場合にのみ使用できます。使用の際は装置内の質量、体積が渡航距離ごとの基準値を超えないよう細心の注意を払ってください。
説明: ART-2981-JPは有効高さ2.0m,内部底面積3.2m²の筐体型世界間渡航装置です。実地運用が認められた渡航装置の中では四号機に当たることから、サイト-Q9ALTの職員の間では"四号"や"マルヨン"などの通称で呼ばれています。ART-2981-JPは外部依存型内部インターフェースを持ち、出発点と渡航先の世界の大まかに任意な座標を指定して双方向的に接続します。渡航の際の身体影響評価はB(適正な使用下では影響なし)で、安全に渡航可能な世界間距離の最大値は105dBであるとわかっています。他の渡航装置に比べ長距離を渡航できる代わりに最大積載量は比較的小さく、またインスタント・トーチをはじめとする熱力学兵器等の特殊危険物を持ち込むことができないといった注意事項が存在します。具体的な制約は別途資料を参照してください。
「初めまして、Q9ALTの皆さん。私は鳥飼、この地域一帯を取り仕切る……まあ、リーダーみたいなものだと思ってください」
「……」
「どうしました?」
「いや……その。どうしたも何も……」
目の前でさも当然のように右手を差し出す男、一回り年上に見えるその男の面影は見覚えがあるどころの話ではなかった。
「ああ、そういえば別世界の自分に会うのは初めてですっけ?鳥飼君。いや、わかりやすく亙君って呼んだ方がいいですかね」
「おお!何となく私に似てるなと思ったらなるほど、そういう事でしたか。では改めてフルネームで……私は鳥飼翔かけるといいます。翔と呼んでいただいて構いませんよ、亙さん」
平行世界にも自分が存在する事がある、そういえば前にそんな話を聞いたばかりだった。助け舟を出してくれた黒山も他の2人も特に驚いた様子を見せない辺り、時たまある事だという話は誇張ないのだろう。
「わ、解りました、翔さん。ええと……それで、サイトは何処に?それとその服装は一体……」
こんな話で足踏みさせるのは申し訳ない、他の疑問を投げかけることにした。着地地点からここまで、サイトが見当たらないどころか、辺りは見渡す限りの瓦礫の山であることについて触れる。ゴミが積み重なっているだけなら兎も角、建物の上に建物が平積みになったりしている有様だ。サイトらしきものは見当たらない。服装というのは登山着の事を指している。
「サイトと呼べるものはもうここ四半世紀存在しません。キャンプと呼んだ方が相応しいですね、はは……ついて来て下さい。ご案内しますよ」
僕は黒山と顔を見合わせる。言うが早いか翔は―瓦礫の山から見て相対的に道と呼べる―道を進み、ある地点で瓦礫の中へ分け入っていく。そうして瓦礫の中の建物の扉を開くとその先には、外観からは想像もつかない程に整然とした屋内空間が広がっていた。あちこちから年季を感じるが、それでもパッと見て通じるものがある。
「おぉ……セキュリティ施設、ですね」
「旧サイト-8165です、もはや箱だけですが……」
なるほど、話が掴めてきた。"ここ四半世紀存在しない"という先程の話と鑑みるに、もとは僕がいたAA-2101のように正常な世界だったのだろう。それが何らかの要因で漂流物の溜まり場となって現在のようになったようだ、それでもこのサイトが形を成しているのはそれ相応に優れた建造物であった証左と見ていいだろう。
「現在、私達は異常存在の確保は行えていない状況にあります。ですが何処にどんな異常存在が漂着して、それがどんな影響を及ぼしているか。そしてそれらを加味した上で現地の皆さんをどう誘導したらいいか。そんなことを判断して先導するのが今の私達の仕事です」
「ふむ、調査が最優先事項っていうのは僕が元いたとこと近いですね、あっちでも収容……というより対処は他所に任せていたので」
黒山が意外にも共感を示す。中々に聞き捨てならない話ではあるが、他所の世界の事情に首を突っ込む気はない。
「という事で調査に関しては私達のエリア全域に掛けて全力で行っているので、些細な変化にも目敏く気付けるんです。まあ変化と言っても、基本は物が増えるばかりです。故に物が消えたとなれば直ぐに異変だと判りますし、明らかに組織的に行動している人間がいることも、私達の管理下に無い拠点が存在することも直ぐに気付ける訳です。そして私達の監視網が鋭敏であることは、このエリアで暮らす人たちが知らない筈もないんです。つまり今回の件の何者かは、私達の監視の目を認知していない他所者か、認知していながらも敢えて活動しているかのどちらかだと推測できる訳です」
「何れにせよ……その、こういう言葉を使うのは躊躇われますが。万全とは言い難い環境にある翔さん達の手に負えない可能性が高い、と」
「ええ、その通りです。言葉を選ぶ必要はありませんよ、皆さんの力を借りる必要がある事は私達が一番知っていますから」
翔の言葉に無力感などは感じられない、はきはきと答える様に違和感すら覚える。生まれたときからこの有様ではこの苛酷さに慣れてしまうものなのだろうか。
「さて、それではミーティングに入る前に。件の拠点を皆さんに見に行って貰いましょうか」
「え、安易に近付いて大丈夫なんですか?」
「いやぁ、近付くまでもなく見えますから」
再び顔を見合わせる僕と黒山。翔は入ってきた扉と反対側から部屋を出ていき、階段を昇っていく。僕達はそれに遅れてついて行く。そのまま3階に到達すると窓の外を指さした。ガラスの嵌ってないその窓枠から外を見ると……1kmほど距離が空いた場所に塔があった、建物同士が無秩序に積み上げられた塔。高さで言えば正常な社会における一般的な高層ビル程度のものだが、周囲に瓦礫の山しかない中に建つそれは余りに異彩を放っていた。
◇
「食べるもんはどれだけ詰めてもどうせすぐ無くなるし、それよりは……」
深夜二時、天井から吊るされた豆電球の橙が薄暗く照らす四畳半。少年は押し入れから引っ張り出してきた父親の仕事鞄に家出の支度を詰め込んでいた。Tシャツ、ナイフ、携帯ラジオ。それから割る音を響かせるのが怖かった貯金箱をそのまま。
「他に何かあったかな……」
黒山少年は"古い家"の出だった。武家の直系であるのをいいことに既得権益で栄えたその家は、ただその利益に甘んじていれば良かったものの、それには留まることはなく。武家としての血を絶やさぬことに心血を注いでしまっていた。
そしてそれは、一人の少年をこうして齢十五の逃避行に走らせるには十分だった。
「あ……」
ふと目に入ったのは掛け軸の膝下に飾られた長短の刀、それこそが黒山少年にとっての嫌悪の象徴であり……当然、この逃避行には断じて連れていけない存在でもあった。
「……いいや、行こう」
平成の時代にもなって、何が剣術か。鍛錬に駆り出されるたび彼はそんな言葉を心の内に反芻していた。のちの──此処の他に別世界がある事を知り、それらの世界に比べこの世界に秩序が些か欠如している事を知った──彼は、この世界における剣術がまだ幾ばくか価値あるものだった事を知るが、それを今の彼に期待するのは土台無理な話だった。
︙
「おっと、悪いね君。急いでたんだ」
小汚いコートの少年と肩をぶつけたサラリーマンは、一言軽く謝りを入れるとそのまま往く道を急ぐ。その右手に持つ鞄に切れ込みが入っている事には気付いていない。
少年は吸い込まれるようにビルの隙間に早足で消えていき、陽の光が届かなくなった頃合いに袖口から黒い長財布を取り出した。
「お、カードもある。止められる前に使っとこう」
黒山少年は泥棒になった。そこらの不良少年なら、あるいはより確立した秩序のある世界に生まれていたのなら、彼の非行は早くに咎められ、社会による彼の人生の軌道修正が済んでいた事だろう。しかし彼には才能があった。人の目を盗み物を盗り、夜道を逃げ雨風を忍ぶ才能が。或いは積み重ねがあった、身に染みついた鍛錬の蓄積が。それが彼をより暗闇へ追い立てた。
「おお、ここに居たか」
「……また貴方ですか」
少年が戦利品を検めていた所に現れたのは少年よりは幾ばくかまともな清潔感の青年。名を松田というその男は、例えるなら田舎のヤンキーをそのまま大人にしたような風貌だ。
「ショバ代なら貴方の部下に渡したところですよ」
「だからそんなの要らないっての……あいつらにホイホイと小遣いを握らせないでくれ」
少年は露骨に男を敬遠する。直ぐにでも立ち去らないのは不和を嫌っての事だが、松田とて彼を無理に引き留めるつもりはなかった。松田はこの街で幅を利かせている窃盗団を纏める人間の一人だった。盗人だとは思えないようなお人好しで、鞄一つでこの街に来た少年にたびたび付き纏っていた。
「貴方達の仲間になる気もないです」
「何も四六時中拘束するって訳じゃないんだ。俺は単に心配なんだよ、お前みたいなのが浮浪者に紛れて寝食してるのは見てられないんだ。お前自身、今のままで良いのかよ」
少年は自由を手にした、初めそれは確かにとても魅力的だった。しかしそのうち寝床に差す暗闇の妙な居心地の悪さが勝りつつあった。或いはそこらに転がる浮浪者に嫌悪感を示しているのかもしれない。いずれにせよ、少年は松田にそんな心境を見透かされた気がしてほんの少し気に食わなかった。
「極端な話、寝泊まりに使ってくれるだけでいいんだよ……な、頼むよ」
「……確かに、僕の今の生活はあまりいいものでは無いです。でも……」
「お前に余計なことはしないよう他の連中にはちゃんと言い聞かせる。偶には飯だって奢ってやるよ」
松山の熱烈なアプローチで彼は漫然と、今の暮らしが孤独という問題を抱えているのだと考えた。浮浪者ならそこら中にいるが、他人は幾ら居たところで孤独には変わりないのだ。孤独であることに苦痛は無かったが、不便であることは否定できない。
「……寝泊まりだけですからね」
「よし来た!ありがとよ、えっと……あー、名前を知らなかったな」
「じゃあ……ネズミで」
「ネズミ?偽名か?」
「ええ、ネズミ。好きなんですよね、僕。あいつらは小さくても強く生きてるんです」
彼を窃盗団の一員に仕立て上げたのは、その孤独を解消する一手段に過ぎなかった。しかし彼はそこで初めて、己が他者と比べて才能と呼べるものを持ち合わせている事に気付くことになる。
︙
サイト跡から離れた瓦礫の中にひっそりと設けられた急ごしらえの作戦室に、僕と黒山、それから服部が集まって最終ミーティングを行う。五木は渡航装置の元でスタンバイしている。
「えーっと……本当にその服装でいいんですか?」
「ええ、昔取った杵柄と言うやつですよ。なんだかんだしっくりくるんです」
スリーピーススーツにブリーフケース。一見すればお勤めご苦労様ですといった風貌だが、その実は前の世界における彼の勝負服らしい。前に話だけ聞いていたが、実際に彼がそれを着ているのを見るのはこれが初めてだった。
「わざわざQ9ALTの技術部門にストレッチ素材で仕立てさせたんでしたっけ」
「させたとは人聞きの悪い。彼ら、普段なかなかやらない事に掛けてはノリノリで引き受けてくれるんですよ」
「確かに、渡航装置を作るのと比べたら随分と気楽な仕事なんですかね」
「……それに、フォーマルな服を着てると余計な事を思い出さなくていいんですよね」
肩をすくめて自嘲的に笑う黒山、珍しく過去に触れた黒山に僕はとりあえず食いついてみる。
「何か服に良くない思い出でもあるんですか?」
「いや、そういう訳じゃないですけど……まあ、あれです、家出してヤンチャしてた時期があったんで。ラフな服着て仕事するとその頃の自分を思い出してイタタってなるんですよ」
「あぁー……なるほど」
気まずそうに語る黒山を見て"触れない方がよかったな"と軽く後悔しつつ話を流し、通信機器を手渡す。
「服部さん、通信機器のセッティングはもう大丈夫ですか?」
「ええ、バッチリです」
服部はぐっと親指を立て、丸眼鏡をきりっと正す。まだ表情に活力があるが、じきに目元に隈が見えだすだろう。僕と同じで気力を消耗するタイプの能力者だ。実はその辺りに密かな親近感を覚えている。
「じゃあそろそろ、行ってきますね」
「ええ、くれぐれも気を付けてください。僕のナビゲーションはきちんと聞いて行動はいちいち慎重に……って、さっさと出てかなくたっていいじゃないですか!」
黒山は薄暗い作戦室を唯一の光源である窓から出ていく。ちょうどそれと入れ違いで翔が作戦室に入ってきた。
「おや、もう行ってしまいましたか」
「そうですね、何か伝えるべきことがあったなら無線を繋ぎますけど……」
「いや、大丈夫ですよ。むしろ君と話がしたいんです」
彼は見たことのないペットボトル飲料を僕に差し出し、そこらの適当な瓦礫に腰かけた。
「僕と、ですか。作戦に何か不明な点でもありましたか?」
「作戦の事じゃなくて、君の事です。そっちの世界で君がどんな事をしてるのか……まあ、興味本位ですよ」
成程、別世界における自分にあたる存在が如何なる暮らしをしているのか、興味を持つのは当然だろう。しかし生憎、彼に胸を張って話せるような経歴は持ち合わせていない。おまけに今は僕達の活動を揺るがすような大問題に直面しているさなかと来た。思わず何を話すべきか言葉に詰まる。
「畏まる必要はないですよ、どうせ君も訳アリなんでしょう?」
「え……」
「いやなに、似た者同士のシンパシーというやつですよ。それを掘り返す気はないですから、もっと他愛ない話を聞かせてください」
"似た者同士"、目の前の随分と穏やかな面持ちの男からそれに相応しくない表現。それが本意か慰めかはわからないが、とにかく今はそれに甘んじることにした。
◇
「聞いたか?ネズミのやつ……」
「ああ、松田さんと一緒についに市長の家からかっぱらってきたんだろ?」
窃盗団のルールは一つ、この街で盗みをやらないこと。それ以外のルールはここに存在していなかった。だから隣町の市長邸に乗り込むなんて事も許されてはいたが……それを実現はおろか想起する者すらこれまで一人だって居なかった。それをやってのけたのは黒山と、その才能を早々に見抜いた松田だった。
「さあお前たちの仕事だ、きっちり足がつかねぇように売っぱらって来い」
「この量となると……しっかりばらけさせた方がいいっすね、了解です!」
松田に促されるままワイワイと盗品売却の計画を立て始める団員たち。しかし黒山は並べられた戦利品を眺めながら松田の隣で少し訝しげな表情を見せた。
「どうしたネズミ、浮かねぇ顔して」
「ああ、いや……一つ足りなくないですか」
皆の前で言うのは憚られる、そんな風に口元を手で覆いながらひそひそと松田に問いかける。黒山は戦利品を逐一記憶していた。だから並んでいるそれらの中に一つ消えている物がある事にも目敏く気付いていた。しかし松田はそれが想定外だったのか、露骨にぎょっとしたような表情を見せた。それから一つ咳払いをし、黒山を真似るような仕草で"内密に頼むよ"とだけ返した。
「……わかりました」
黒山鼡はきわめて鋭敏なセンスを持ち合わせていた。盗みのセンスという意味合いは当然のこと、人付き合いの面でもその才を見せ、窃盗団の中で関わるべき者、避けるべき者を的確に見極め、その劣悪なコミュニティのなかをしなやかに生き伸びていた。故に……その歪ながらもどこか手に馴染む生活の終わりも、誰より早く悟った。
︙
「動くな、全員その場にゆっくりと跪け」
「何だ、お前ら──」
銃声が響き、薄汚いアジトに鮮烈な赤色が撒き散らされた。その場にいる誰しもが、悲鳴を上げる事すら能わずに竦み上がっている。4人の黒服はアジトの入り口に陣取ったままコソ泥連中を無感情に見据える。
「これは譲歩だ。お前達は全員殺したって一向に構わないのを、譲歩してわざわざ生かしてやると言っているんだ。解ったなら今すぐ床に座るんだな」
「ただいま……って うぉっ誰だ──」
「待て、そいつは殺すな。ブツの場所が分からなくなったら面倒だ」
始めは噂だった。"松田が奇妙な道具を使いだした"、そんなアバウトな噂。その巷談が出回りだすのと同時期に、窃盗団の収穫は著しい右肩上がりになっていった。団員たちはそれを吉兆と捉えた。より良くなる明日を信じてやまぬまま……突然訪れた"秘密結社"の襲撃で明日を迎える権利を失った。
「成程なぁ、ここ最近知らない顔をよく見かけるとは思ってたけど……」
黒山は感嘆交じりのため息を漏らし、望遠鏡から顔を離す。鞄には詰められるだけの金を詰め込んできた、彼らにはもう必要ない物だろう。
荒らされゆく古巣を遠まきに眺めながら、彼は他の団員達を悼むことはなく。ただ此度の暮らしの欠陥は何処にあったのかを思い返し、それが自他の才気の乖離であると考えた。彼らが己と同等に優れていれば、恐らく自分はこうして暮らしを失う必要は無かったのだろうと、そう結論付け……次の居場所を決めた。
「これで全員か……いや、ガキが居ないぞ」
「おい松田、お前が逃がしたのか?」
「ネズミを……?ちがう!た、確かに朝はここに居たんだ!どっか……出かけてるとか、そういうの、あるだろ!」
「僕ならここですが」
「……ネズミ!?」
黒山少年は、さも当然のようにそこに立っていた。
︙
『こちら黒山、作戦開始地点に到着。これより侵入を開始しますよっと』
「こちら鳥飼、到着確認しました。1階に巡回警備などは居ないようですが……監視カメラが散見されます」
『カメラ?どっから電気拾ってるんです?』
「建物内で賄っているものと見られますが……正直なところ、ただでさえ混沌とした構造物なので全容は理解出来てないです。異常技術が絡んでいそうではありますが、それ以上は何とも」
実際、このビル……いや塔と呼ぶべきか、この塔の連中がどの程度の異常技術を有しているのかは全く判っていない。瓦礫の陰に隠れて建物の中を窺っている黒山が、内部の人間に察知されていないという確証すらない状況だ。更に言うと建物としての構造はめちゃくちゃだ。別の階からしか入れない部屋や廊下を挟まず隣接した部屋などが乱立しており、僕の能力でそれを見ることは出来ても僕の頭脳ひとつでマッピングをするのは余りに難儀だ。
『じゃあ警備室の場所は判りますか?』
「それなら……ええと、3階にありますね。そちら側から見える筈です、あの青緑色の壁の……」
『ああ、見えます見えます。あそこね……分かりました、じゃああそこから潰しましょうか』
「異論ありません……ってちょっと、黒山さん!?」
黒山は塔の壁際まで寄っていくと、軽くペタペタと壁を触る。何をしだすかと思えばバッグを腰元の留め具に引っ掛けて壁の取っ掛かりを掴み……ひょいと登り始めた。猿のようにとはいかないが、明らかに登り慣れているのが見て取れる。
『通信は繋いだままにしといてくださいね、万が一奴らに勘付かれたような素振りがあったら教えて欲しいので』
「……潜入調査ですからね!忘れないで下さいよ!」
ああ、こういう時にすんなり引き下がれてしまうようになったのは完全にQ9ALTに来てからの悪影響だ。"少しばかり僕の肌には合わないかもしれない"とは言っていたが、少しばかりなんてもんじゃない。わざわざ悪目立ちしかねない方法をとってまで大胆にショートカットする理由が何処にあるというのか、僕の能力ならカメラの位置ぐらい把握できるというのに。
「どうやら日頃から苦労しているようですね」
「ええまあ、随分慣れてしまいました」
黒山からの連絡で世間話が中断されてそのまま僕を見守っていた翔が、終話を待って労う言葉をかけてきた。刹那に振り回される日々を思い浮かべながら、それを肯定する。しかし今になってみれば、そんな気苦労は大したことは無かったと言えよう。今直面している問題は苦労というベクトルで表現できるものですらないのだから。
「不可解を許容できるようになるのは決して悪い事じゃないですよ、亙さん。もっとも、指揮官ならストッパーとしての役割が機能しなくなってはいけませんけどね」
「耳が痛いです……」
「私が君くらいの時も、どうしても理解できないものに無駄に頭を抱えたものですよ」
「理解できないもの、ですか」
キュッとペットボトルの蓋を閉め、足元に置いた翔がゆったりと立ち上がり、窓に手をかけ塔の方を見遣る。
「私の上の世代の人達の事です、私が生まれたときには世界は既にこの有様でしたが……そこに生きる大人たちはまだ在りし日を覚えていました。今を生きている私達に求めているのはそんな過去を取り戻すこと、ただそれだけでした。つまるところ、私が若かったころの大人たちは懐古主義者だらけだったんです。私は財団の施設で生まれ育ちましたから、思想の強い大人たちが余計に多かったですしね。とにかく、彼らが私達に出来もしない期待を向け続けている理由がその頃の私にはまるで理解できませんでしたし、私はそれにうんざりしていました」
「……」
急に饒舌になった翔に返す言葉がパッと出てこず、沈黙する。ほんの少し視線を落としながら話を続けた。
「いや……全く理解できなかったというのは正しくないです、すいません。……私には、能力があるんです」
「能力、ですか」
「ええ……空を飛べるんです、いや、飛べたんです。今はもう、この通り」
翔は再びこちらへ向き直る。その背中から機械仕掛けの鋼鉄の翼が現れた。鳥の翼を模したそれは錆び付き、目一杯に広げようと動かすたびにギイギイと不快な擦れる音が響く。
「さっき、大人たちが期待を向ける先を私達としたのも、適切ではなかったかもしれませんね。彼らは私に、とりわけ熱い期待を注いでいました。ええ、勿論、空が飛べたところで何も解決する事は出来ませんとも。それでも、この大きな翼が悩める人々を導けると、彼らはそう妄信していたんです……こんなもの、何の役にも立たないのに」
「翔さん……」
やはり、彼は僕の本質は正反対のようだ。力に驕った僕と、力を恨んだ彼。訳アリなんて言う共通項では括ってはならない。そんな結論に至った僕は余程顔を顰めていたのだろう、翼を収めた翔は慌てて取り繕うように笑った。
「ああいや、こんな空気にしたかった訳じゃなかったんですが。はは……話が下手ですいません。大事なのは私が何で悩んでいたかじゃなくて、最終的に自分の中で納得がついているという所なんです」
そう語る彼の顔は確かに悩みを抱えた者のそれではない。翔は窓枠に腰かけながら話を続ける。
「今すぐ理解できない事でも、それを拒絶せずに向き合い続ければふとした瞬間にそれを納得できる瞬間が来るんです。だから……今あなたが何を抱え込んでいるにしろ、もう少しだけ向き合い続けてみて下さい」
「えっと……ありがとうございます」
「急にこんな話をされても困りますよね、すいません。まあ、聞き流してくださいよ」
「いえ、そんな……」
こちらから相談を吹っ掛けた訳でもないのにいつの間にか励まされている状況がいまいち飲み込めなくて曖昧な返事をしてしまった、しかし……彼の言葉は確かに僕に必要なものだった。"向き合う"、僕は一人で悩み込む前に、僕達の置かれている状況に動じる気配のない空鳥や熊澤と、或いは作戦開始早々に独断専行する黒山と、向き合うべきなのだろう。今はとりあえず、黒山と。
「黒山さん」
『聞いてますよっと』
「警備室には非武装の男が2人います。片方は窓際で煙草をふかしているのですぐわかると思いますが、もう片方は窓から侵入した場合に死角になっているので気を付けて下さい。あー……恐らく、力技で侵入するのでしょうし」
『ああ、忠告ありがとうございます。なんだ、てっきり慎重にいけと口酸っぱく言うものだとばかり』
これが彼が考えたうえで選んだ行動なら、きっとそれは良い選択なんだろう。彼と向き合う為に、先ずは信じてみることにした。
「いえその……ほら、出発前に黒山さんのやり方に任せると言ったのを思い出しただけです」
「素直じゃないですね、亙さん」
「翔さん!」
『ほらほら、そうと決まったらちゃんとナビゲートしてくださいよ?じゃないと……それっ!』
男が話し声を聞き窓から顔を出したその時、黒山は一気に窓へ身を乗り出しその胸倉を掴むと側頭部を窓枠に力強くぶつけさせた。唐突な攻撃に朦朧とする男を床に放り捨て警備室に侵入する。四つん這いになった男の頭部を間髪入れず蹴り飛ばすと、何事かと死角の椅子から立ち上がったもう一人の男の口に四本指を突っ込んでそのまま壁に叩きつけた。悲鳴を上げることも許されず昏倒するその男を尻目に監視モニターの制御盤と向き合った。
『っと、こうなります』
「……ああもう、任せて猛烈に後悔してますよ!」
◇
「自分から戻って来るとは丁度いい、そこに座ってろ」
「それはいいですけど……貴方達はもっと周りに注意を払った方がいいでしょうね。そうすれば……まあ、当たり所は最悪じゃなくて済むかもしれません」
「何の話を──ぐへぇっ」
少年がどっかりと胡坐をかいて座った直後、黒服たちは天井からの奇襲によってほぼ同時に頭部を強打され、その場に倒れ伏す。天井には黒服たちの立っていた位置の真上に一辺約1m半の四角い穴があけられていた。彼らを襲ったのはアジトの薄っぺらな天井板だったのだ。
「ゲホ……お前、一体どうやって……」
「内緒です、大人はこういうのを企業秘密というんでしょう?」
「少し……違う気が、する……」
少年は手早く彼らの武器を取り上げると、そのまま流れるように彼らの懐を漁る。そうして1枚のICカードを取り出した。
「ふむふむ、"秘密結社SCP"……秘密結社って自分たちのこと秘密結社って名乗るんですね」
「ほっとけ……」
「でもまあ、いいや。ここにしよう」
「何の、話だ……?」
黒服たちは混濁とした意識の中、得体のしれない少年の話に辛うじて相槌を入れる事しかできない。
「僕を貴方達の仲間にして下さい。特別扱いは必要ありません、ただ僕を名簿に入れるだけでいい」
「馬鹿、言うな。そう簡単に……」
「断ったら貴方達を一人残して残りは殺します。それからイエスというまで拷問します」
少年は臆する事も躊躇う事もなく言い放つ、お前を殺すと。それが若さゆえの命への価値観の未熟さであると言い聞かせるには、少年の瞳には幼さが足りなかった。
「……答えは?」
「……イエス」
「それは良かった。今手当しますね。ほら、松田さんもそこで呆然としてないで」
「へぇっ!?あ、お、おう、わ、わかった」
天井板を二人がかりで退かし、彼らを壁際に長座位で座らせてやる。
「お前に……ひとつ、忠告してやる」
「聞きましょう」
黒服の一人は捨て台詞のようにそう切り出した。
「組織が真に俺達に求めているのは強さでも忠誠心でもない、任務を必ず遂行するという確約のみだ。それが出来ない奴に居場所はないと思え。理解できるか?お前がどんなにツワモノだろうと、任務ひとつシクったらそこらのカスとなんら変わりねぇんだよ」
「なるほど、つまり……僕は初めて、他人の為に働く訳だ」
黒服の男は、その発言が暗に彼自身をもカスに内包している事にも気付かずそう吐き捨てた。しかし少年の反応は至って飄々としたものだった。
「……少しは重圧、感じて欲しいもんだが」
「いいえ?むしろ俄然楽しみになって来ましたよ、新しい生活が」
︙
「確認なんですけど黒山さん、本当にそれが最善だと思ってるんですよね!?」
『ええ最善ですよ、案外手薄ですし。寝てるのを隠せそうな部屋なら腐るほどありますから』
黒山は監視カメラを止めて警備室を出たのちも、初志貫徹のスタイルで敵を無力化しては隠すを繰り返していく。一応、調査任務の名目は忘れていないようで無力化するたびに彼らの所持品を漁っていたが、彼らの持ち物からは身分証の一つも出てこなかった。また内装は事前調査通りの無秩序さで、寝室を抜けた先が廊下を挟まずにダイナーだったり、その先に電車が真っ二つになったものが部屋として扱われていたりした。こうして崩れず建っているのがつくづく奇跡であるとしか思えない。
『この調子じゃ、僕がこいつらの服をパクって素知らぬ顔で歩いたほうがいっそ確実かもしれませんね?まあ今回はよしときますが』
「油断はしないで下さいよ……おっと。黒山さん、次の廊下で一つ下の階に降りてみて下さい。少し、気になる部屋があります」
『そういえば調査任務でしたね、これ。上に向かう事しか頭に無かったです。ってのは冗談ですが、分かりましたよっと』
「あなたって人は……降りた先に一人いますから気を付けて下さいよ」
黒山は僕をわざわざ不安に思わせるような揶揄いを挟んでからカビて軋む木板の階段を耳を疑うほど静かに駆け下り、降りた先のムーディなリビングで寛いでいた女を勢いそのままに鞄で殴り倒した。何でできてるんだあの鞄。
『この部屋ですね……む、鍵がかかってますね。珍しい、この先に何が見えてるんですか?』
「倉庫……だと思います。やけに物が多くごちゃっごちゃとしていたので、何らかの明確な目的がある部屋なのかなと」
『事実、施錠されてますしねぇ。鍵自体はお粗末なものですが……っと。こんなの目隠ししてても破れますよ』
軽口が止まない黒山、一言二言駄弁るうちに解錠してみせた。
「お見事ですね、うちで働きませんか?前の時代の人達が残してった開かずの金庫がわんさかあるんですけど」
「翔さん……?」
「ああいや、冗談ですよ?貨幣なんてあっても使えませんからね」
『ほら、入りますよ?いいですか?』
「おっとすいません、お願いします」
黒山は先程殴り倒した女を倉庫に放り込み、扉を閉める。倉庫の中は暗かったが明かりは点けずにペンライトを取り出して用いた。倉庫に並ぶ品々は僕からだとしっかり識別できない程に整頓が行き届いておらず、実際に部屋を漁っている黒山も渋い顔をしている。
『ふぅむ、ぱっと見はガラクタですが……全部タグが貼ってありますね。バーコード的なのが。恐らくこれできちんと管理されているのでしょう』
「ガラクタ……そういえば、事前の打ち合わせで資材の消失が相次いでいるって言ってましたよね、翔さん?」
「ええ。あの場では資材という表現をしましたが、実際のところ貴方達から見ればガラクタと呼称して相応しいものでしょうね」
『ともすればクロですか、一先ず物資の消失の件については』
「はい。あとはこれをなぜ彼らは集めているか、ですが……打ち合わせ曰く、持ち出された物資は法則性がないとの事でしたよね?」
「そうです、手あたり次第と言う表現が相応しいですね」
『でもそれはおかしいですよ』
暫しガラクタをあれこれと手に取って吟味していた黒山がぼそりと呟いた。
「と、いうと?」
『僕は鑑定士じゃないんでパッと見でこれが何か完璧に解る訳ではないんですが、それでも訓練は受けてるんでだいたい何に使う物なのかは大抵の場合判るんですよね。それで、なんですが……ここにあるもの、全部兵器ですよ』
「!」
黒山の話を聞いて改めて建物内を上から下へ見通す、倉庫らしき部屋はそこしかない。他の物は廃棄したのだろうか、だとすればつまり──
「無差別に物資を回収していたのはブラフで、実際には兵器の収集という明確な目的があった。という事でしょうか」
「私も同意見です。ともすれば動機は幾らでも考えられます……どんな動機だとしても、おそらく看過できるものではありませんが」
翔の意見にひとつ頷く。彼らにどんなきっかけがあっていま兵器の回収に走ったのかは知り得ないが、どうあれ調査だけで済ませることは出来なくなったと考えてよさそうだ。
「黒山さん」
『聞いてますよ』
「そこにある兵器は安全に破壊可能ですか?」
『自信は無いですね』
「そうですか……わかりました。確信がないならそのままにしておいてください」
『了解です。それでどうします?』
「調査を続けましょう。叩けば埃が出る事はよく判りましたから、まだ何か知れることがあるはずです。それから……彼らへの、装備使用を許可します」
『そりゃ何よりです、これで──』
黒山は鞄から拳銃を取り出す。他にも様々な装備が詰め込まれているのが垣間見える。
『仕事がしやすくなった』
◇
「あれ?セロシア先輩どこ行くんすか、今からオレと任務っすよね?」
「ああ、今日の相方は君でしたか。もう済ませたんで、上がってくれていいですよ」
「え?え?ちょっ……」
「何だお前、セロシアのお供は初めてか?」
コードネーム"セロシア"、もとい黒山鼡は困惑する後輩を尻目にさっさとオフィスを歩き去っていく。そこへ入れ替わるようにやってきた黒山の同僚が後輩に声を掛け追及を遮る。
「初めて、っすけど……」
「アイツはな、仕事してるとこを人に見られんのが大嫌いなんだ。だから予定の時間より早くひとりで乗り込んで、さっさと片付けちまう。まあ実際それを可能にするスキルもあるし、俺たちは安心してアイツに丸投げできるって事だ。ああ安心しろ、上の人間も事情は解ってるからお前が減給食らったりとかはないさ」
ほへぇ、と間抜けな感嘆をもらす後輩は、手持ち無沙汰になったところを見越した黒山の同僚にそのままカフェテリアへ連行されていった。
「ああ、何だかな……」
黒山は一人で黙々と書類を仕上げながら深い溜息を吐き捨てる、その吐息をデスクに飾られた小さなディスプレイラックが被った。ラックには彼の実績を物語るピンバッジがぞろぞろと並べられている。
黒山の才能は秘密結社においても忽ちに明るみとなり、正当な評価を下されるまで時間を要さなかった。それは潜入技術という一点のみには非ず、交渉の場においても存分に発揮され、その手腕が重用された。しかし黒山がそんな評価を与えてくる彼らに感じていたのは倦怠感に他ならなかった。新たな舞台で新たな仕事と仕事仲間を手に入れたというのに、高く評価されているのに、なんだか妙にしっくりこない……そんな日々を送っていた。
「これでよし……と。立候補が通ればいいんだけどな」
だから黒山がその船──平行世界の財団と繋がる異常船舶──に乗る役割を買って出たのは、そんなもやついた思いを整理するためでもあった。或いは単に、新たな刺激を求めていたのかもしれない。かくして自分たちとまるで異なる組織である平行世界の財団に触れた彼は、はじめこそ彼らに不和を感じていたが、そのうち彼らならこの不完全燃焼な日々を変えうるのではないかと期待を胸に秘めるようになっていた。
──船が襲撃に遭ったのは、まさしくそんな時だった。
︙
「その部屋を抜けたら一度階段を下りて、西側に2部屋進んでから2階層上がってください」
『了解ですよっと、しかしホントにただ登るだけでいいんですかね?』
黒山との数言の相談の後、僕達は最初にそうしていたように兎に角上を目指すことを目標に定めた。そうするべき根拠はないが、高塔の心臓は最上階と相場が決まっているだろう。
「分かり易く特徴的な部屋があればそこに誘導できるんですが、少なくとも僕の能力では見つけられなかったので……一番厄介なのは、この建物が蛸足の一本に過ぎない場合ですね」
翔の話によればこの建物はある日突如として現れたらしい、ともすればこの塔を別の世界からコントロールしている可能性だって大いにあり得る訳だ。もしそうであるならこの調査は有益な情報が何も得られず終わる未来も考えられる。黒山は階段を駆け下りたのち、隣接された床屋と居酒屋を縦断しながら僕の提示した最悪のパターンに眉をひそめた。
『その可能性はあんまり考えたくないなぁ……こうも大きな建物じゃなきゃあ、虱潰しも現実的なんですが』
「ですね、この建物はその点非常に不可解です。外敵の侵入しか想定されてないように思えます」
先程から頻繁に人に出くわしているという事は、この建物で人が恒常的に活動しているという事に他ならない。にもかかわらず建物はこの有様だ。彼らがここで何をしているにしろ、まともに機能するとは思えない。彼らだけが使える移動手段でもあるのだろうか。
『僕が前の世界で対峙したことがある連中だと、他人を瞬間的に招集できる能力を持ってるやつとか居ましたよ』
「その手の能力者が何かしら居るのは間違いなさそうですね……あっ、次の部屋に2人居ますね。片方は扉開けてすぐのとこに居るので気を付けて下さい」
黒山は短く返事してから次の部屋、会議室と思しきそこに乗り込む。部屋の片隅で珈琲を飲んでいた男にすぐさま発砲し、そちらに意識を向けられた女の側頭部を掴んで壁に叩きつけた。初めに女が床に伸びて、遅れて麻酔が回ってきた男が珈琲を撒き散らしながら机に突っ伏した。
『片付きましたよ。それじゃ……あー、道順はどうでしたっけ?』
「次の部屋で階段を昇ってください。2階層登れるはずです」
『やっぱりそうですよね?僕の記憶は間違ってなかった』
「……?」
『気付きませんか?この部屋、今入ってきた扉しかないんですよね』
「あれ……?本当だ。部屋が繋がってるように見えてたんですけど……すいません、すぐ迂回路を探しますね」
黒山の言う通りこの会議室には隣接する階段がある部屋との間に扉が無く、その部屋に辿り着くには一度引き返して別の部屋を経由する必要があった。
「それじゃあ1つ部屋を引き返してから北側の扉を開くと西側に伸びる廊下があるので進んでください。その突き当たりの南側の扉を開くと階段の部屋に辿り着けます」
『北側の扉?それはおかしいですよ。さっきの部屋は東西にしか扉が無かったはずです』
「いや、しかし……」
『しかしもへったくれもないですよ、鳥飼君……僕はファミレスなんて通過してない!ここは確かに居酒屋だった!』
「それは……つまり」
会議室から一部屋戻った黒山はファミレスと思しき飲食店でそう訴える。正直なところ僕は道順を追うので手一杯で、本当にそこがもとは居酒屋だったのか確証は持てなかった。だが……
「もしそれが本当なら、僕達の侵入は既に気付かれていて──」
『──たった今、妨害を受けているって事になります!』
︙
「次の部屋を北に!そこから東に廊下を進んで──いや、ダメです。また書き換えられた!」
『連中、こっちが気付いたと判ったらいよいよ容赦がなくなってきましたね……』
僕が指示を飛ばした傍から向かう先の茶の間はワインセラーに変貌する。黒山は薄ら黴臭いその部屋に一歩踏み込んでは歯軋りと共に踵を返した。
敵の妨害の正体はこの建物の間取りの改変と見て間違いなさそうだ。模様替えとでも言おうか、ゆく先々で部屋が全く異なる部屋と置き換えられ、黒山がこの迷宮から抜け出すことを延々と阻んでいる。かれこれ10分以上はこうして塔の中をぐるぐると迂回させられ続けているが、妨害の手は止まるどころか露骨さを増している有様だ。
「しかしなぜ彼らはこんな回りくどい真似をするんでしょうか、より効率的な手段が他に幾らでもある筈なのに」
『そうできない理由があるから、ってとこですかね……一度、落ち着きましょうか』
黒山は走る足を止め、袖口で軽くにじんだ汗を拭い、ギシッとベンチに座り込んだ。公園を模したと思しき空間だが、そこに広がるべき空の代わりに打ちこまれたコンクリートの壁と天井が得も言われぬ閉塞感を演出している。
「すいません、黒山さん……それに亙さんも。私は今回の件を甘く見過ぎていたようです。ここまで危険な目に遭わせることになるとは……」
『気にしないで下さい。僕らはこの程度のリスク、百も承知でここに来てますから。それにもっと厄介な目にもいっぱい遭ってきた。そうですよね?亙君』
「ええ……勿論です。僕が何とかします」
この状態もいつまで続くか判らない、早急に状況を整理する必要がある。横目に見た翔の顔も憂いの色が濃くなっているように見えた。
「例えばそこら中に居る人間を戦力として送り込んだり、或いは入口も出口もない部屋を作り出して閉じ込めたり。より効率的な手段は存在するはずなのになぜそうしないのか」
『少なくとも愉快犯ではないと仮定すると……』
「能力の制約、でしょうか。何らかの条件を満たさないとこの塔を改変できないとすれば、現状にも納得がいきます」
『いや、まだ納得いきません。そうまでして僕を直接的に排除しない理由が解りませんよ。さっき見た通り、兵器を隠し持ってるような連中なんですから。奴らの持つ手札が塔の改変だけな筈がない、にもかかわらずそれらの未知の手段を行使する気配がない……つまり彼らの目的は僕の排除じゃないと考えるのが妥当です。少なくとも今のところは』
僕は端的に肯定を返しつつ思案する。しかしこれまで経験したパターンに当て嵌めようにも、どうも合理的な結論に結びつかない。僕が黙して考え込んでいるうちに黒山は何を言うでもなくベンチから立ち上がる。休憩は終わりだと言いたいのだろう。落ち着こうと言った手前ではあるが既に焦りが見え隠れしている。いっそ真っ向から襲われた方が冷静になれるというものなのだろうか。ともかく彼が動き出したいというのなら止める道理はない、僕は改めてルートを模索し始める。
「それじゃあ取り敢えず次の部屋に入ったら、そのまま階段を昇って……あれ?」
『ん?どうかしました?』
「いや、その……妙なんです。階段が、示し合わせたように真っ直ぐ上に続いてて……最上階付近でやけに大きな部屋に続いています」
『それは、つまるところ……』
「端的に言えば、誘われてます」
◇
「初めに言っておきましょう」
だだっ広く縦長の広間、黒山はその一辺から銃口を向けている。拳銃の向く先には長髪を後ろで一つに束ねた西洋人の男がひとり、拳銃の一つも構えることなく立っていた。男は黒山と対峙して直ぐ、真っ先に口を開き流暢な日本語でそう切り出す。
「君をここまで好きに歩かせたのは、そうせざるを得なかったからじゃあない。君に理解してもらうためですよ」
「抵抗は無駄だとでも?」
「それが半分、もう半分は私に君を傷付ける意志はないという事です」
銃口を突き付けられている事実にまるで恐れる様子もなく、男は胡散臭いにやけ面にゆったりとした歩調で黒山に歩み寄る。それに対し黒山は一切の警告を経由せずに発砲したが、銃弾は男に着弾する事なくそのまますり抜けて後方の壁に着弾した。
「随分と乱暴ですね、でもこれで君はこれ以上弾を無駄にする必要はなくなったわけだ」
「……何が目的なんです?」
「よくぞ聞いてくださいました。いやね、私は君の事を高く評価してるんだよ」
男の不誠実な薄ら笑みが一転、ぱあっと万遍の笑顔を見せ、より饒舌に語りだした。そのさまに黒山は一層怪訝な顔を顕にしながらひときわ強くグリップを握り締める。
「僕の何を知ってるのか聞かせてもらいたいものですけど」
「それはそれは隅々まで知っていますよ。そういう力なんです、私。君がどんな戦い方をし、どんな判断を下すのか……そして君が、どこから来たのか。ねぇ、セロシアさん」
「……!」
黒山の表情に隠しきれない驚きの色が見える。そして無意識的に半歩引き下がった直後、黒山の視界前方にいた男の姿はフッと消え、黒山のすぐ背後に現れる。
「ああ逃げないで、怖がらせる気はないんです。ただ……そうだね、この部屋に見覚えはないです?」
「……」
「あるんですね、それもそのはず。皆まで言う必要はないでしょう?」
彼らの対峙しているこの長方形の空間。その長辺には無数の扉、水密扉が整然と並んでいた。
──それは2年前に黒山がAA-2101にやってきた時に見た光景そのものだった。
アイテム番号: SCP-2079-JP
オブジェクトクラス: Euclid
特別収容プロトコル: SCP-2079-JPは現在、財団が行方を捜索中です。
説明: SCP-2079-JPは異常性を保有する船舶です。船内へ続くハッチが20箇所存在し、その水密扉の全てがそれぞれ異なる平行世界と接続されています。これらの──
──2019/6/7 13:21 第10回会合で太平洋沖を航行中だったSCP-2079-JPが正体不明な小型船の襲撃を受け大破しました。襲撃犯の特定には至っていません。このインシデントにより護衛にあたっていた小型船二隻とその乗組員6人を喪失し、13名の平行世界の職員が行方不明になりました。SCP-2079-JPの残骸はその場で消失しており、その行方は判明していません。このインシデントから生還した2名の平行世界の職員は、現在財団の保護下にあります。
「そんな気はしてましたが、勘違いじゃあ無いんですね……動くんですか?このハッチ」
「一部は修繕に成功しましたよ、君の居た世界へ繋がる扉もね。周期的な無人稼働の機構は取り払い、単純なポータルとしての役割に改修したんです。その方が便利でしょう?」
がちゃり、水密扉の一つがひとりでに開く。その向こう側はここと地続きではない世界が見えていた。
「……つまり。この船もこの世界に流れ着いていて、お前らはそれをこの塔に組み込んだと」
「そういう事です。結構重宝してるんですよ?」
ばたん、再び独りでに閉じる。デモンストレーションの意図があるのだろうが、黒山はその扉をほんの一瞥しただけで、至近距離のその男から視線を外そうとはしない。銃口は男の体に手応え無くめり込んでいる。やはりこの男はここに実体を持たないようだ。
「左様ですか、それで?僕を帰してくれるとか言うつもりなんです?」
「ええ、そうです。話が早くて助かりますよ」
万遍の笑みを崩さないまま男は答える。
「君は強い。確かに派手な力を持っている訳ではないが、それでも君を排除するには相応の労力を要する事だろう。ならば、君を然るべき場所に帰した方が早い。君にとっても悪い話じゃないだろう?」
「……ずいぶん高く評価してくれるんですね」
「私はね、強い人間が好きなんですよ。リスペクトしているとでも言いましょうか。君のように才気あふれる若者を、そうしない道があるにも拘らず殺してしまうなんてのは余りにも勿体ない。それに、君もまたこの拠点の皆さんを殺める事無くここまで来てくれた。ならば皆もきっと私が君を逃すことを許してくれることでしょう」
「敢えて殺さなかったのは、亙君がそれを嫌がるからなんですけど……」
男が再び身を移し、ある扉の前に位置取った。直後、その扉が勿体ぶるようにゆっくりと開いていく……
「さあ、選んで下さい。ここで私達と戦うか、この扉から帰るか」
「この塔を出るという選択肢は?」
「ありません。もしそうすればあなたは再び私達の脅威となるかもしれませんからね。それに対しこの扉からお帰り頂けるなら、後はこの扉を使えなくしてしまえばいいだけです」
「……僕がここから帰ったとして、他の連中は?」
「出方次第といった所でしょうか。君を失った彼らが尻尾を巻いて逃げてくれればそれでよし。そうでないならば対応せざるを得ません。ですがいずれにせよ、私がどなた相手でもここまで丁寧にお相手するだなんて思われたくはないですけどね」
「だから、ジャミングなんてしたわけですか」
「その通り。やはり君は聡明ですね」
そう、この広間もとい船に到達した時から、黒山の持つ通信機には一切の受信が無かった。黒山から発信できる機は今に至るまで無かったが、試したとて恐らく結果は見えているだろう。
「……嘘ばっかりだ」
「はい?」
ぽつりと吐き捨て、銃を握っていない左手で腰元に引っ掛けていたバッグの留め具を外す。
「答え合わせが必要か?」
「是非とも聞かせて貰いたいものですね、私が君にどんな嘘をついているというのか」
「良いですよ、それじゃあ先ずは授業料だ」
バッグに右手を拳銃ごと突っ込み、すぐさま引き抜く。引き抜く動作が完了するより前に一発、発砲音が鳴り響いた。反動で持ち上がった右手には新たな小型拳銃、そこから放たれた弾丸は男の右肋をすり抜ける事無く捉えていた。男はにわかに顔を歪め、片膝をつく。実体を持たないと思われたその躰から、ドクドクと青み掛かった銀色の液体が流れ出していた。
◇
「君は元の世界に帰りたい、そう言っていたそうだね。しかしこの保護施設にいる限りその願望は達成されないだろう」
「……そんな気はしていますよ」
僕が元の世界に戻る手段を失って半年、特例避難区域と銘打たれた箱庭で苦も楽もない乾いた日々を浪費していた所に訪れたのは、伊勢山という男だった。聞けば僕をここに押し込めた連中の管理職の一人らしい。
「しかし君は大人しく保護下に置かれているばかりで逃げ出すこともなければ、訴えかけることもしない。勿論悪い事じゃないんだが、理由は気になるところだね」
「僕は別に、仕事をしていないことに苦痛を覚える質でもないので。たとえここの外に出たとして途方に暮れるのは目に見えてますからね。宿無しはもう懲りたので」
僕の返答を聞いた伊勢山は隠す様子もなく考え込む素振りを見せたのち、何か氷解したとでも言わんばかりに小さなため息を漏らし目を細めた。
「ふぅむ……そうだね。思う所は幾つかあるが、ここはさっさと要件を伝えるとしようか」
「というと、何の用で来たんですか?」
「スカウトだよ」
そう言って伊勢山は懐から長4の茶封筒を取り出して傾け、中からころりとピンバッジひとつを取り出して見せた。
「黒山鼡、君にはQ9ALTのメンバーになって貰いたい」
︙
「言いたいことは判りました。けど、本当にいいんですか?僕みたいな部外者を入れて」
「構わないさ。彼らは君の力を必要とするだろうし、君が求めているものも彼らが持っている」
"求めているもの"。回りくどい言い方だが、要するに渡航装置とやらの事だろう。いずれにせよ、僕には断る理由がないのは確かな事だった。
︙
技術番号: ART-1933
個体数: 120
保管場所: 別途資料を参照
使用手引: ART-1933は主に後述の該当アノマリーの無力化に用いられます。
説明: ART-1933はART-994(対霊的実体排除装備"リアリスト")の後継装備、"リアリストⅡ"です。本装備はテレキル銀を主原料とした対霊的存在弾(ART-1933-A)を射出する専用装備であり、ART-994が要注意団体から押収した改造品のデリンジャーであったのに対し、ART-1933はハイスタンダード・デリンジャーをベースに独自設計されているため、財団内での技術継承および生産体制が確立されています。
ART-1933-Aは霊的存在の実体化を一時的に誘発して着弾した後、極短時間で対象の実体化を解除し同時に弾頭を非実体化する事で弾頭の物理的除去を不可能にし、対象を持続的に内部から融解します。
男はその場にどっかりと座り込み、半ば挑発の色を残したまま黒山を睨めつける。
「全く酷い事をする……安くないんですよ、この体は」
「まず一つ。お前は僕の事を見透かしたような物言いをしていたが、あれは嘘っぱちでしょう。お前が並べ立てた情報は調べれば判りうる事だし、現に僕がこうしてお前を倒しうる手段を手にしていた事にも気付けなかった」
黒山は銃を向けたまま片手で通信装置を弄り、繋がらないことを確かめる。
「つまり私が予め君の事を知っていたと?」
「十分あり得る話ですよ。僕らはそれなりに目立つ仕事をしていますから、お前たちが相応にアンテナを張り巡らせていれば僕らの活動はどこかで知る事になるでしょう。そして兵器をコソコソと集めて回るようなお前たちが、僕らをマークしない筈がない。徹底的に調べ上げる筈だ」
男から流れ出る粘性の液体は水溜まりを拡げることなくゆっくりと昇華していく。声を発するのも辛くなってきたのか、男は是も非も言わずに顎で"話を続けろ"と指図した。
「二つ目。僕がここに至るまで散々弄んでくれたのは僕を傷付ける意志がどうこうを伝えたかったからじゃあない、時間稼ぎがしたかったからだ」
「ほう……なぜ、私達が時間を欲していたと?」
「それを断定する事は出来ませんよ、するべきでないと言うべきですかね?多くの可能性を視野に入れておくに越したことはありませんから」
この答え合わせ自体に意味はない。黒山は今まさにこの答え合わせを以てして時間稼ぎをしていた。男がこの時間稼ぎに乗じてくれなくなったその時、如何様に立ち回るべきか。それを練るための時間稼ぎだ。
「でも時間稼ぎがしたかったのだと仮定すれば、お前がここまで俺を誘導し姿を現した理由にも説明がつくんですよ。恐らくお前の時間稼ぎの目的はもう達成したんでしょうね。だからお前は用済みになった僕をさっさと片付けようとしていて……ふむ、そう考えるとさっきの僕を高く評価しているだ何だの御託は嘘じゃないという事になりますね」
「漸く信じてくれたようで何よりですよ……おや」
ジジッ、通信機器に着信が入る。ノイズ交じりの声が聞こえてきた。
『……繋がった!どうよ!この程度の妨害私の敵じゃあないんですから!』
『ああもう、鼻血出てるんですから無理しないでくださいよ服部さんっ!黒山さんは聞こえますか?』
「ええ、聞こえてますよ。こっちの状況説明は必要ですか?」
『大丈夫です、視界は維持できていましたから。何らか特殊な能力を持った個体と遭遇して制圧に成功したところ、ですよね?」
「まあ……概ねそんなところですね」
「そうですか……黒山さん、その人に通信機を近づけて貰えませんか。僕は彼と話がしたいです』
「いやそのままで結構。十分聞こえているよ」
「……だそうです」
通信は繋がったとはいえ、黒山がこの場を脱する方法が見つかった訳ではない。鳥飼は交渉でこの場を切り抜けるべく対話という選択肢を選んだ。それに男は文字通り消え入りそうな声で応じた。
『それじゃあ単刀直入に言います。僕達には、即座に追加導入できる戦力があります。全面衝突になりたくなければ、今すぐ黒山さんを帰還させてください。そうすれば僕達はこれ以上貴方達と関わることはしません』
その脅しは口から出任せに等しかった。実際には黒山を直ぐに救い出せるような都合のいい戦力など持ち合わせていなかったが、相手からすればその事実を確信するのは難しいだろうと踏んでの交渉だ。
「その交渉は、本当に彼の為になるのかい?」
『……どういう意味ですか』
「ついさっき彼は意図して説明を省いたようだが、ここには彼をもとの世界へ返すためのゲートがあるんだ。つまり彼を君たちの元へ戻すまでもなく、彼はたった今目標を達成できる状況にある。この問いは君に向けてもしているんだよ、"セロシア"。君は目的を見失ってはいないかい?ただそこの扉から帰るだけでいいというのに、ほんの些細な嘘を吐かれたというだけでヘソを曲げて私を撃った。ああ、しつこいようだが、この体を失うのは私にとって本当に大きな損失なんだよ」
男は掠れた声でなお饒舌に語り続ける。鳥飼と連絡がついたことでほんの少し気が大きくなった黒山は、この男に正真正銘止めを刺して黙らせてやろうかとも逡巡した。しかし鳥飼が居るからこそ慎重になるべきだとぐっと思い直して引き金に掛けた指の力を抜く。
「目的、か。……一つ、さっき気が付いた事があります」
ぽつり、黒山はどこか言葉を選んでいるような覚束ない語調でそんな話を切り出した。
「お前は、僕の目的は元いた世界に帰る事だと言っていた。確かに僕もそう思ってましたよ、さっきまで。でも、どうやらそうじゃないかもしれない」
『……黒山さん?』
「おかしいとは思ってたんだ、僕自身。お前が言った通り、僕はただ帰るだけで良かった。でもそうしなかった。それだけじゃない。僕はQ9ALTここに来てから今日に至るまで、一度だって帰るためにアクションを起こしてこなかったんだ。ただひたすら、作戦に参加し続けるばかり。それに僕は疑問を持ってこなかった……そう気付いたら、自然と帰りたい気持ちはすっかり消えてなくなったんです。でも、それじゃあ何を。僕は今、何を求めてるんですかね?」
黒山はその、他人に問うよりはむしろ自分自身に問いかけるべき疑問を宙ぶらりんにして独白を終えた。それに微妙な沈黙を挟んだのち、もはや3割方が気化したその躰で男は言葉を紡いだ。
「……なるほど、つまり私が"君は帰りたがっている"と言った時点で私の謳う力がハッタリだと見抜かれてしまった訳だ。いやはや、全く誤算だ。しかし……今となっては、些末な誤算だと言わざるをえまい」
彼の言葉が終わるや否や、塔の上階から機械の稼働音が強烈に鳴り響いた。それに続いてドンッと尻切れな衝撃音が塔を揺らし……それに遅れる形で遠方から爆発音が聞こえてきた。
「答え合わせと行きましょうか、ね」
◇
「まず一つ、君は私が予め君の事を知っていたと推理した、これは正しい。褒めてあげましょう」
「鳥飼君!応答してください!鳥飼君!」
通信機の向こうから聞こえてくるのは劈くようなノイズ音だけ、先程の轟音は間違いなく鳥飼たちが襲撃を受けた証左だった。
「次に、私が時間稼ぎをしたかったという推理。これも正しい。私は確かに時間を必要としていたよ。ちなみに君の侵入に気付いたのは君があの倉庫に入った時さ、あの部屋に誰かが入ったら私の元にアラートが届くようになっていてね?」
「……」
得意げに語る男。今にも消えてなくなりそうな躰だが、声には活力が戻りつつあった。
「ですがその次の推理は残念だけど不正解ですね。君を此処へ招いた時点ではまだ、私の目的は達成していなかったのだから。さて、目的は何だったと思う?」
「……通信の発信源の探知、か」
鳥飼たちが襲撃された現状、その答えを導くのは黒山にとってそう難しい話ではなかった。
「ご明察。君の通信機の向こうの彼らは身を隠していたからね、私達が持つツールではその壁に阻まれて弱まった電波を辿ることは出来なかった。だから君を此処に招くというそれらしい理由をつけて通信を妨害した。彼女……服部さんだったかな?が通信の強度を高める能力を持っている事も掴めていたからね。そして狙い通り彼女はより強力な電波で通信を試みてくれた。あとは不意に妨害を解除すれば探知し放題という具合だよ」
「……じゃあ、あの御託はやっぱり嘘っぱちな訳だ。お前は僕の事は都合のいい道化としか見てない」
黒山は取り繕うことなく片手を鞄へと突っ込み、当てもなく探る。その行為は中身のない焦燥にほかならず、男もそれを妨げようとはしなかった。
「ふむ、君はそれを敢えて気にするのか。少し意外だね。それで、何か現状にささやかな希望を与えてくれる代物は見つかったかい?」
「いいや。……でも、僕が何を求めてたのかは何となく解ったかもしれない」
「へぇ。良ければ聞かせてくれますか、この躰にはもう時間がないんでね……おや」
不意に通信機からのノイズが鳴りやむ。そしてそれに続くようにして、聞き馴染みのある声が聞こえてきた。
『……黒山さん』
「鳥飼君!?」
︙
「……ゲホッ、何が……」
黒山の傍らの男との駆け引きの最中に突如として爆発を起こした作戦室。何らかの攻撃を受けたのは確かだが、不可解なことにこの体には負傷らしい負傷は見当たらない。周囲には視界が働かない程に砂埃が巻き上がっており、たまらず僕は咳き込んだ。直後に誰かの手が僕のその口を塞ぐ。
「……!」
その手の主は翔だった。……そこでようやく、僕と翔、それと服部が何か金属質のドームのようなものに包まれている事に気付いた。
──翼だ。
翔の背から広がる二枚の機械仕掛けの大翼が僕らを包み込んでいて、それは力尽きたようにボロボロと崩れ落ちていく。散らばった残骸は黒々と変色し、グリスの焦げる臭いを漂わせている。
「翔さん……?」
「やっと、肩の荷が降りました。ずっと煩わしかったんです。さあ、静かに別の場所に身を隠して。次がいつ来てもおかしくはないのですから」
翔は小さな声で、嫌にはきはきと語り掛ける。その顔は項垂れ、視線は合わない。
……彼の体を背中から瓦礫が貫いていた。
「……ごめんなさい」
僕は理解していた、これ以上の言葉は必要ではない。ましてや、謝罪は尤も相応しくない。
「良いんですよ……この力で、何かを変えることは出来ませんでしたが。誰かを守ることは出来たんですから。ほら、行って。私に、守りきれたと思わせてください」
僕は服部と顔を見合わせる。ほぼ同時に、同じように躊躇いがちにこくりと頷き、砂煙の中を這うように歩き出した。
振り返る事は出来なかった僕の背に、ガシャンとひとつ大きく崩れる音が浴びせられた。
︙
「良かった、無事だったんですね」
『……黒山さん、僕、分かったんです』
鳥飼は突拍子もなく語り始める。黒山は一先ずそれを黙って聞き届ける。
『黒山さんは、多分。居場所が欲しいだけなんです。僕には黒山さんが前居た場所がどんな場所だったか、わからないですけど……それでも、戻りたくないって思うならそこはきっと、黒山さんの居場所にはなれないんだと思います』
「……」
『Q9ALTぼくたちならきっと、黒山さんの居場所になれる筈なんです。僕達は黒山さんの力になれるし、僕達も黒山さんの力を必要としている。だから……今は僕達の為に、戦ってくれませんか』
︙
黒山がQ9ALTに来た時、初めに抱いた感情は"気に食わない"だった。
此処の面々は何らかの才能に恵まれていたり、或いは単純に、きわめて素直な意味合いでの"実力"で己より優れていたり。これまで自分より優れた人間にそう出会って来なかった黒山にとって、そんな秀才たちはどうにも虫が好かない存在だった。
だから黒山はわざと砕けた態度をとってみたり、ささやかなちょっかいを出してみたり。そうやって秀才たちの人間味を引き出してちょっとした優越感を得ようとしていた。
そんなどこかネガティブなモチベーションの元に成り立つ生活だったが、不思議と居心地は悪くなかった。
否、"悪くない"ではなく……楽しかったのだ。
︙
「彼はそう言っているようだが?」
もはや首より上しか残ってない男が黒山に問いかける。
「鳥飼君、1つ聞いてもいいかな」
『はい、言ってみて下さい』
「君は今、この瞬間にも僕の力になれるのかい?」
『……作戦ならひとつ、思いついてます』
「そうですか……ならきっと、Q9ALTここが僕の居場所なんでしょう」
鞄に入れたまま止まっていた手を取り出し、踵を返す。この船にも、そこの男にももう用はなかった。
「はぁ……最後に二つ、訂正させてもらうよ。私はね、本当に強い人間の事をリスペクトしているんだ。だから君を逃がしてやりたいという気持ちにも偽りはなかった。そして……私はどうやら見当違いをしていた。君は軟弱だ。君は己の個として生きる力を否定し、繋がりに甘んじた。つくづくがっかりしたよ……今の君に、生かす価値はない」
黒山は振り返る事も立ち止まる事もせず、来た道を戻るようにただ扉を開いた。
◇
『現状、僕達はいつ来るとも判らない追撃から逃れるべく物陰を移動しながら連絡を取っています。これがいつまで維持できるか分かりませんから、伝えるべき事だけ伝えて通信を切らせてもらいます。良いですか?』
「鳥飼君がそう言うんだ、きっとそれが最善なんでしょう」
船室を出ると階下へ延びていた階段は既に書き換えられており、来た道を引き返す事は出来なくなっていた。幾つか部屋を巡るも、妨害の手法は船室に入る前と変わっていないように思えた。
『見ての通り妨害は続いてます、が。彼らはこの回りくどいやり口をあえて続けています』
「さっきあの男は"そうせざるを得なかったからではない"なんてほざいてましたが……」
『口八丁と見ていいでしょう。じゃあどんな要因でこれを強いられているのか、僕はやはり能力の制約だと考えてます。断定するのは危険ですが、今はそんな悠長なこと言ってられませんからそう仮定して話を進めます』
「異論ありません」
通信を受け取る最中にも黒山の元には続々と追手が送り込まれている。黒山の技量をもってすれば何の能力も持たない彼らの追撃をいなして反撃する程度の事は造作もないものの、それでも銃弾には限りがある。今使っている麻酔銃以外も用いるにしたってそう長くは持たない。
『まず初めに扉のない部屋にでも閉じ込めればいいものをそうしない点、これは恐らく能力に部屋を孤立させることが出来ない制約があるんだと思います。とすれば完全に閉じ込められる可能性はなくなる訳です』
「希望的観測ですが……それが打開策に繋がるなら飲みましょう」
『そしてもう一つ。黒山さんはここに至るまで自分が居る部屋を直接書き換えられた事が無かったはずです。そしてこれは僕の能力で見る限りでは、これまで無力化してきた敵の居る部屋も同様でした』
「……!つまり……」
鳥飼の説明を受け、早くも彼の言わんとする所を理解した黒山はたった今片付けた3人の男のうち2人の首根っこを両手でそれぞれ掴んだ。
『この能力には"生身の人間ごと部屋を入れ替えることがない"というもう一つの制約がある、僕はそう考えました』
「つまり無力化した敵を一人づつ部屋に転がしていけば……」
『能力は次第に機能しなくなるはずです』
「……気が遠くなるような話ですね。それに、連中に無力化した人間の回収に走られたら……」
『その点も大丈夫です。これまで観察してきた限りでは制約がたぶん、もう一つあります』
「と、いいますと?」
『一度に置き換えられる部屋は、おそらく一組みだけです。ともすれば黒山さんが動き続ける限り、彼らには人員を回収に回す余裕は無いでしょう』
「……妙な説得力がありますね。いいでしょう、分かりました」
彼の論説に対し黒山が率直に抱いた感情は安堵だった。鳥飼の推理が本当に正しいかは判らない。だが、ここまでの論理をこの短時間で組み立ててみせたという事実が、彼の指示に命運を託す事への強い強い後押しとなっていた。
「信じさせて貰いますよ、鳥飼君」
通信を切る、此処からは彼一人の戦いだ。これまで何度も潜り抜けてきた単独行動。しかし黒山はこれまでのそれらとは一線を画すような、己の背中を支える何かを確かに感じていた。
◇
技術番号: ART-1762-DE
個体数: 製造管理システムを参照
保管場所: 別途資料を参照
使用手引: ART-1762-DEは規定の手順に則り想定消費量の算出・提示を行うことで申請に応じた個体数が支給されます。
説明: ART-1762-DEは即席防弾障壁"ブラウワンド"です。ドイツ支部から各支部へ技術提供があった異常技術で、日本支部に於いては主に"青壁"と呼称されています。ART-1762-DEは装置起動後約3秒で展開される1.5m×1.5mの簡易的な障壁であり、爆発等を伴わない一般的な対人用兵器に対しては十分な耐久性能を発揮します。他の即席障壁と比較して非常に安価で生産できるほか、破損時の破片の飛散が少ないなどの利点を持ちますが、耐久性能に関しては前述の最低限の要求性能のみを有します。
ART-1762-DEはサイト-DE91をはじめとする各支部の複数の生産ラインで恒常的に生産されており──
青壁はこれで最後、さてどうしたものか。
通信を切ってからどれ程時間が経っただろうか。ここに至るまで塔が僕を縦横無尽に走り回らせていたのが、遂に上方向へ移動を強制されることがなくなってきた。とはいえ消耗戦であるのも事実。たった今もっとも雑に使える障壁は使い果たし、非殺傷の弾数も半分を切っている。殺傷能力のある弾丸では今の作戦を全うできる可能性が低いのを鑑みると、可能なら一人一弾未満で片づけていきたいところだ。
今自分がどのあたりの階層を降りているのかすら知り得ない現状、この消耗ペースが理想的か否かも測れない。段々と自分の中に不安がにじみ出てきた、が……
「……良かった、どうやらここが最終防衛ラインみたいですね」
階下へ繋がる梯子を飛び降りたところに待ち受けていたのはこれまでのような生身の人間ではなく、一機のパワードスーツだった。十六畳間の書院を漆喰の壁で囲ったこの空間において、仁王立ちするそれは余りにもミスマッチな威圧感を醸し出している。これより先へは進ませまいという意志がその立ち姿から見て取れた。
「やあ、また会いましたね」
「……!その声は、さっきの……」
やや電子的なノイズが交ざっているが、それで聞き紛う事筈もない。彼奴相手ならわざわざ生かそうとする必要もない。先手を譲るまいと武器を持ち替え──MP7を取り出した直後には白塗りの鉄拳が目と鼻の先に迫っていた。
「速っ……!その見た目でインファイターかよ!?」
「弾幕で蹂躙されるよりはずっとマシだとは思いませんか?」
ぼふんっ、とスーツに仕込んであったエアクッションが目一杯に膨らみ、直後に叩き割られる。そうして稼いだ一瞬で真横に飛び退いて辛うじて距離を取った。すかさず銃口を向け直して反撃を企てた……が、その鋼鉄のボディには軽い凹みがつくばかりでまるで効いちゃいないように見える。跳弾で抉れた畳を見るに、銃の故障でもなさそうだ。
「壁が仕事してくれるなら、マシなんでしょうけどね」
「おや、試してみますか」
僕が赤壁──青壁よりはずっと丈夫だが、それ1枚作る予算でMacBookの最新機種が買えるくらいのそれ──を兎角に並べ立てるのを、彼奴はベニヤ板でも割るみたいに次々と叩き割っていく。
「試すだけ無駄だった、なんて言ってくれるなよ」
「言いませんとも。無益に相手をこき下ろすのはポリシーに反しますから」
「さっき"がっかりした"だの"生かす価値はない"だの抜かした癖に良く言うな」
次の手を試さねば。その一心で減らず口を何とか維持しながら再び鞄に手を伸ばす……が、そこへ彼奴の腕が伸びてきて、僕の鞄を奪い去った。
「君の手間を減らして差し上げましょう」
「より徹底的に無力感を味わせてやろう、の間違いか?」
鞄をひっくり返してガシャガシャと装備を振り落とし、それらを足で踏み潰す。そうして空になった鞄をこちらへ投げ返してきた。どさりと重たい音をたてたそれを僕が拾い上げるのを、彼奴は敢えて何もせず許した。とことん嘗められているらしい。
「君たちの振る舞いを見るに恐らく、この塔のカラクリをある程度は理解したのでしょう。そして私達がそれを認識している事も君達からすれば十分に察せる話だったはず。ならば君たちは、"なぜ敢えて敵を送り込んでくるのか"という所にも疑問を持つべきだった」
「僕を十分に消耗させることで"引き返す"という選択肢を奪う為、でしょうね」
「その通り」
奴の猛攻を掻い潜って退路を強行するべきだろうか?いや、あの機動力から逃れるのはまるで現実的ではない。そもそも、さっきから部屋を見回しても次の部屋に続く扉が見当たらない。……ならば。
「しかし本当に拍子抜けですね。調べた限りでは君は"姿すら見せず始末する仕事人"とまで囃されていたというのに、全く平凡だ」
「……どうしてだと思います?」
僕の無駄口に、彼奴は攻撃の手を止めて耳を貸す。余裕綽々といった風体が癪に障るが、好きにそうさせてやればいい。
「どういう意味かい?」
「なぜ僕が同僚の目をも忍んで仕事をしていたのか、という話です」
「ふむ、君は奥の手を持ってるとでも言いたいんですか?」
ああそうさ、持っている。だけど僕が言いたいのはそんな事じゃない。
「……僕は臆病なんですよ、自分の限界を他人にさらけ出すのが怖いんだ。だから、僕はいつだって僕のベストを隠してきた。今もそうさ、"ここが僕の居場所だ"なんて言っておきながら、どこかから僕を見ているであろう鳥飼君に奥の手を見せてしまう事を恐れている」
「君のその言葉が時間稼ぎのハッタリではなく、真に怯えているのだとしたら……君は本当に弱い人間なんだろうね。つくづく私に見る目が無かったと思わざるを得ない」
真実というのはいつだって二重底だ、暗闇に手を突っ込んでまさぐる位じゃ真相を掴む事なんて出来やしない。
「ああ、僕は弱い。ここ最近痛感してるところさ。でも弱いなりに成長だってしてるんですよ」
僕が元の世界に帰りたがっていたことも、僕自身すら気付いていない偽りの真実だった。その裏に隠れた僕の本音に僕が気付いた時、鳥飼もまた全く同じ真実に辿り着いていた。そう、彼はとっくに僕の核心に触れているんだ。ならば、これ以上曝け出すことを恐れる必要が何処にある?
「見せてくれるんですか?その成長とやらを」
「僕には居場所が必要だ。それ自体がお前を失望させるに足りるのかもしれないが……彼らを失望させない覚悟ならたった今できた」
空っぽになった鞄の底の切れ込みに指を差し込み、其れを引き抜く。僕の旅路に頼んでもないのに付き纏ってきた其れを。
「……脇差?」
「父さんの仕事道具ですよ。生憎と当時は泥棒駆け出しでね、パクれたのはこれ一本だったんですよ。でも……」
倒れ込むように重心を前へ。同時に脱力した一歩を踏み出し、振り下ろすその瞬間に全身の筋肉を一意に躍動させる。体に染みついた、この黒山鼡という人間の全力。
「中身のない木偶の坊を壊すぐらいなら十分です」
「これは──」
鋼鉄の巨人はその右腕を落としてぐしゃりと畳にめり込ませる。彼奴が何か言いたげだったから、それを遮るように追撃を振り上げた。ほんの一瞬の浮遊感を経たのちに左腕も右に同じく相成った。ついでに脚も切り崩してやる。
「……全く愚かだね、君は。これほどの力を、"恐れ"なんてもので覆い隠していたなんて」
「ありのままの自分なんてものを見せつけられるのはほんの一握りの命知らずだけですよ、僕は人よりほんの少しばかり臆病というだけなんです」
「その割には君、随分楽しそうな顔してるじゃないか」
げんなりとした男の言葉で初めて、僕は自分が笑っている事に気付いた。まるで無自覚だったが、どうにも血は争えないらしい。
「はぁ……私は君をどう評価するべきなんだろうね?分からなくなってきてしまったよ」
「何でも測りたがるのがいけないんですよ、目に物差しでもついてるんですか?」
彼奴の戯言に付き合ってやりつつ、床に散らばった装備品の残骸を確認する。残念ながらひとつ残らず使い物にならなさそうだ。
「さて……君はこれからどうするつもりかな?君が私に感けている間に私の部下が着々と無力化された者たちを回収している訳だが」
「心配要りませんよ、道なら見えてます」
屑鉄に背を向け、壁と向き合う。そのまま深く腰を落として構えを取った。
「お前がなぜ銃器も爆薬も使わずに戦ったのか。手加減なんてのは考え難い、ともすればお前は部屋を壊すのを避けていたんだろう。なぜか?部屋を壊したら塔の改変に支障をきたすからだ」
男は暫し沈黙したのち、大きなため息をついた。
「降参だよ、頼むから大人しく帰ってくれ」
カチャリ。脇差は鞘に納められた。
「出口はそこの掛け軸の裏さ」
「成程、まるで忍者屋敷ですね」
掛け軸を乱雑に引きはがすと隣の部屋への扉が現れた。それをくぐると階下へと真っ直ぐ続く階段が姿を現す。
「ま、解っているとは思いますが小細工はしない方がいいですよ」
「しないとも。君の癇癪でこの塔を失うのは余りに惜しい」
脇差を片手に階段を早足で駆け降りると、間もなく一階が見えてきた。どうやら随分と下層まで戻って来てはいたらしい。
「しかし勿体ぶらずに戦うというのは気分がいいものですね、根拠のない全能感が湧いてきます。気分はさながら……風車を前にしたドン・キホーテといった所ですかね?」
愉快そうに鼻息を鳴らし、ほんのひと時鞘に手を掛け握り締める。
それから浮足立つように塔を後にした。
◇
「そうですか、彼は……」
「遺体の回収に向かいたいところではありますが……僕達は、帰還を優先しなくてはなりません」
僕達と合流した黒山は、瓦礫にどっかりと座り込んで遠巻きに見える塔を眺めている。特殊迷彩に包まれた渡航装置は間もなく帰還の準備が整いそうだ。
「まあ、そうでしょうね。ここの人達への連絡は済ませたんですか?」
「ええ……彼らが翔さんの死を受け入れるには、少し時間が必要そうです。しかし驚きました、まさか黒山さんが刀を扱うなんて……」
「脇差は正確には刀じゃないんですけどね……まあ勿論、刀も扱えますよ」
正直なところ、彼が刀を扱うという事よりそれをひた隠しにしていたという事に驚いた。確かにどことなく掴みどころのない人間だとは思っていたが……ともあれ彼の事を少しだけ理解できた気がする。これが向き合い続けるという事だろうか。
「それで奴らは一体全体何者だったんでしょうね?」
「具体的な実態は掴めませんでしたね、彼らは当初の想定よりずっと攻撃的でした」
僕達の任務は彼らの調査だったわけだが、結局得られた情報は彼らが兵器を集めている事と僕達を認知していた事ぐらいなものだ。これらの情報を伝えたとして、この世界の人達は何をどう対処できるというのだろうか。……この調査任務に意味はあったのだろうか。
「まあ、今となってはそう重要なことではないですけどね」
「……理由を聞いても?」
「どの道奴らは僕らの脅威になりえる、そうですよね?」
「はい……?」
要領を得ない答えだ、彼は何を言っているのだろうか。それから、さっきからずっと塔の方を眺めているのは一体……
「おっ、そろそろ限界みたいですね」
「限界って?……ん?あの塔、傾いてきてるような……」
「瓦礫に身を隠した方がいいですよ、破片が飛んでくるかも」
元より歪なバランスの下に成り立っていた塔はおもむろにその身を傾け始め、その勢いは緩やかに増していき……どぉんと鈍く轟く破壊音と共に瓦礫の山に叩きつけられた。数秒遅れて届いた砂嵐の吹きすさぶ中、黒山のさぞかし愉快そうな笑い声が負けじと響いていた。
……どうやら僕は、黒山の事をまだ理解できそうにない。
◇
「お帰り、鳥飼君。どうだった?」
「作戦は……成功したとは言い難いですね」
「そっか、まあ全員無事で帰ってこれたのが何よりさ」
CC-3001から帰還した僕達は、そのままの足で会議室まで呼び出された。そうだ、次は僕達の直面してる問題に向き合わなくては。……そういえば熊澤や空鳥と言い争ったんだったか。崩れゆく塔があまりに衝撃的だったせいか、あの時の怒りはすっかりどこかへ吹き飛んで霞んでしまっていた。
「それで、世界間通信装置でんわが繋がってるみたいですけど?」
『お久しぶりだね、Q9ALTの皆さん』
管理官の伊勢山の声だ。空鳥が時折やり取りをしていることは知っていたが、こうして直接連絡を取るのはここに来る前ぶりだ。
「私が依頼していた調査の結果が出たらしいんだ」
「調査というと?」
『そう、サイト-8170の技術部門に探りを入れてくれと頼まれたのでね。まあ結論、クロだろう。彼らは当時金本が使ったとされる転移装置の情報をデータベースに一切残していなかった。それが装置の不具合を隠しての事にしろ故意の改造を隠したにしろ、財団の内部組織としてのあるべき姿ではないのは確かだ』
「……」
熊澤がそれをしかめっ面で黙ったまま聞いている、一切の反応は見せない。
『そして、此処からは私が独自に調べた事だが……その前に熊澤君、当時の事について幾つか聞かせて欲しい』
「……おうよ」
漸く口を開いた。もしかして緊張している、のだろうか。
『事件当日は12/24、つまりクリスマスイブだった。そうだね?』
「ああそうだ、人が少なかったからよく覚えてる」
「……人が少ない?」
「8170は重要度が低いサイトだからな。クリスマスイブだとか、そういう折々はサイトメンバーの半分くらいは休みになる」
初めて聞く話だ。僕が居た8165は異様に忙しいサイトだったのもあってかまるで聞き馴染みがない。
「でも昔からあった訳じゃないんだよ。いつ頃からだったかな……」
『2013年だ、そしてこれは私がQ9ALTの計画を明らかにした年でもある』
「……!」
「偶然……ではないのかもしれませんね」
『そしてこれは、その事件の死亡者リストだ。何か気付く事は?』
送信されたリストに目を通す。直ぐに言いたいことは理解できた。
「全員が異常性保有者……ですね」
『その通り。そして先程、熊澤君は休暇を与えられる職員を"サイトメンバーの半分くらい"と表現したが、あれは不適切だ。正確に言い表すと異常性保有者以外の全職員、となる。この事実は対外的には敢えて明記せず、熊澤君が言った通り"職員の約半数"という言葉で濁していた。そして熊澤君の口ぶりを聞くに、サイト内でも敢えて暈した表現をしていたのだろう』
「えーっと、つまり……?──って熊澤さん、どうしたんですか急に立ち上がって……」
熊澤は椅子を鳴らしながら立ち上がり、呆然と立ち尽くす。その拳が小刻みに震えていた。
「……大上」
『心当たりがあるようだね』
「大上満、8170の管理官の奴は異常性保有者に対する差別思想を抱いている」
『成程、そういう事だったか。彼はそんなことを君に口走っていたとはね』
熊澤と伊勢山はまるきり納得したように話を進めていく。僕もそれに必死に追いすがるように話を整理し、言葉に捻りだした。
「つまり、その襲撃事件があったのも、転送事故が起こったのも、何らかの画策が……?」
『……金本君の記憶は果たして、本当に彼が見聞きした記憶なのかな?』
「記憶処理……!元よりあり得ない話ではなかったのに、すっかりその可能性が頭から抜け落ちていました。いや、とはいえ……」
「それだけじゃないよ」
どうにも都合がよすぎる気がして納得しきれない僕に空鳥が割って入る。
「橘とエステルが赴いた先での襲撃、あれはAA-2501の連中で間違いなかった。そうだね?じゃあ……ついさっき鳥飼君たちを襲った彼らだって、同じ連中の可能性は大いにあるんじゃあないかな?彼らは私達の事を詳しく知っていたんでしょう?」
「……!なるほど……彼らは僕達以外にも大いに危害を加えうる存在に見えたので、僕らへの復讐を目的としている2501の人達とは結び付けられなかったんですが……確かに、2501の人達が想定と全く異なる目的を持っていると考えると、むしろ関連付けない方が不自然です」
空鳥はこくりと一つ頷く。僕が口にした結論に、その場の誰しもが異を唱えなかった。
「調べましょう、僕達で、2501彼らを。僕達は備えなきゃいけない」
……悔しいが、空鳥や熊澤の言う通りだった。僕達はより多くの情報をかき集める必要がある。
僕達は、表層の真実に惑わされていたのかもしれない……もっとずっと、大きく暗く影差す何かと相対しているのかもしれない。
︙
「すまない、こっぴどくしてやられたよ……ベストは尽くしたんだけれどね?」
長髪の男が電話口でげんなりとした声でそう答える。
「でも収穫はあった。あの、鳥飼という男。あれは中々魔性だよ、舌先三寸でひとを唆す才能に満ちている。いや、そこに居るだけで人が唆されていくと言うべきかもね。自覚がないというのが更に素晴らしい、天性の人誑しだ」
鳥飼の名を出しながらころりと顔色が転じ、さぞかし愉快そうに口元を歪める。
「是非とも欲しいね、彼は。……ああ、とても欲しい」