異世界アルバイター座布田
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1. Fxxk'n Quest Saved 4U

[2022/07/15 サイト-81██, ███研究室]

「はじめんさ、異世界とか興味ない?」
「座布田です。興味ないです」
「明後日の昼からだから、早いこと荷物まとめておけよ」
「興味ないですってば」

相も変わらず足の踏み場もない研究室、その主たる男──或いは俺の上司──飯尾唯は、いつものノリでいつも以上に馬鹿げた話を振ってきた。

「いやほら、俺こないだ出張で博多行ったろ?そのとき全くたまたま偶然スケジュールに余裕があったから、大阪と名古屋に途中下車して主要サイトに挨拶回りしてきたんだ」
「初耳ですし、お土産も貰ってませんが」
「おいおい、異世界行きのチケットなんてプライスレスだぜ?それはそれとして博多通りもんと月化粧となごやんは買ってきたけど」
「何をどうしたらそこまで偏らせれるんですか」

そもそも俺はそんなに白餡が得意じゃない。あんなの甘い油の塊だろ。そして上司が──出張から帰ってそのままと見える──バッグから取り出したのは、ヨレヨレの個包装に包まれた菓子を1個ずつ。買ったんじゃなくて旅館の着き菓子を持って帰ってきただけと見える。

「まあ話を戻すと、名古屋に降りた時に立ち寄ったサイトの管理者──伊勢山って爺さんなんだけど、ちょうど特殊な条件で人材を探していてね」
「……どんな条件ですか?」
「クラス2職員かつ、あらゆる機密には触れておらず、いきなり振られた仕事にも順応できて、今すぐに駆け付けられる人材」

指折りながら羅列したその条件は、もはや俺を俺という言葉以外で迂遠に表現したようなもので。

「はぁ……それで、異世界がどうこうってのは」
「異世界──いや、財団ここらしい言い回しをするなら平行世界だな、その存在はお前も知ってるよな?」
「ええ、知ってますよ。研修期間中にそこら辺の話は聞きますし。だから並行世界に渡る方法があるのも知ってますけど、再現性がないから技術としては確立してないとかじゃありませんでしたっけ」
「……まじか。それ鵜呑みにしてるの、多分財団中探してもお前だけだぞ」
「え……」
「渡航技術は存在するし、財団で仕事してれば普通はそれくらい察しがつく。驚くべきはその技術を他でもない財団が持ってるってところだったんだが……参ったな、思ってたよりお前がピュアボーイで話のテンポが崩れた」

なぜか心底がっかりされている。きわめて不本意だ、当たり屋も大概にしてほしい。

「あー……それで、だ。伊勢山管理官はこの世界と隣り合わせの……あー、説明めんどくせえ。とりあえず行ってこい」
「待ってください、何も理解できてないし、まだ行くとも言ってない──」

[2022/07/17 名二環高速道, 社用車内]

「"世界間渡航は奇跡論的技術であり、再現性はない。"……オリエンテーションで流布されるこの通説を鵜呑みにしているやつはまず居ないが、他でもない財団がその技術を持ち合わせている事実を知るのは一握りだ。意図してそれが隠されている理由は幾つかあるが……最も代表的な理由は、世界間渡航が普及すればそれに応じて平行世界から"よからぬもの"を持ち込んでしまう確率が上がるから、だ。触らぬ神に祟りなしって所だな」

運転席に座った名前も知らない無精髭の男が、ルームミラー越しに後部座席の俺に話しかける。俺が心底渋い顔をしていると、それに慣れているかのように勝手に話を進める。

「財団の役割はこの世界の正常性を護ることだ、そのためにヨソの世界のことは見て見ぬふりをする。これは本部で公式に決定されて久しい……そして、お前のこれからの仕事はまさにそれと相反する事だ」
「別の世界で、さらに別の世界を救う仕事、でしたよね」
「そうだ。この世界では表向き、並行世界には不干渉って事になっているが、生憎とそれじゃうまく立ち行かない。よその世界を脅かしている脅威が、世界間を跨いでくるなんてこともあるからな。それを防ぐって名目で救援部隊が組まれているんだ」
「……なるほど」

何を隠そう、あの上司はあろう事か本当に説明をまるごと端折ってきたのだ。仕方なく荷物だけ纏めて今日を迎えた俺は、職場へ赴く送迎車の運転手に説明の続きをしてもらう羽目になっていた。てっきり何も知らない側の人間だと思っていたが、語り口はやたらと達観していて、窓際族の臭いがする。

「だが、他の世界を救うためにこの世界が共倒れになったら元も子もないだろ?だから別世界に拠点を構え、そこを起点に他の世界を救う。それがサイト-Q9ALTの、お前にこれから出向いてもらう拠点の役割だ」
「……その拠点が共倒れになるのはいいんですか?」
「ふっ……まあ、行けばわかるさ」

ルームミラー越しの視線が"わかってないな"と言いたげで、そこはかとなく腹が立つ。

「まあ最も、前までは体よく流刑地に仕立て上げられていたんだが……ここ最近事情が変わってな。俺も晴れて三途の川の渡し守から、無駄にクリアランスが高いだけの一般送迎ドライバーに栄転したところだ」

"給料は据え置きだけどな"と付け加えつつ、ICを降りて下道へ。わかっちゃいたが、重要機密を収容しているとあって、まるで人けのない随分な田舎だ。カスみたいな土産を買って帰ろうかと思っていたが、あまり期待できない。

「ちなみに、ドライバーになる前はどこで──」
「おっと悪い、うっかり急ブレーキを踏んじまった」
「……なんでもないです」
「さて、もうじき着くぞ。……荷物は忘れるなよ、後から運び込むには手続きに6日は掛かる」

ロータリに着いた送迎車から降りて四重のセキュリティを通過すると、背丈の倍程度はある鉄扉の前に立たされた。こうした"いかにも重要です"といった雰囲気を醸し出す扉と対面するのは初めてじゃないが、この扉からは殺意を感じ取れない。そんなものを嗅ぎ分けられるようになってしまった自分にうんざりしつつ待っていると、その重厚さに反して全くの無音で扉が開いていく……

「お前がどういう経緯で"臨時配属"なんて珍妙な立ち位置になっているのかは知らないが、お前が無事に仕事を完遂できるよう祈ってるよ」
「……祈られてしまうような職場なんですか?」
「悪いな、癖なんだ。……ほら、さっさと行きな」

2. サイト-Q9ALT

技術番号: ART-1103-JP
 
個体数: 1
 
保管場所: 隔離サイト-81Q9
 
使用手引: ART-1103-JPの使用はサイト-8147,8165,8170のいずれかの管理官の承認が必要です。使用者は1回の使用につき1名に限定されます。
 
説明: ART-1103-JPは有効高さ4.2mの門戸型世界間渡航装置です。渡航先を選択することはできず、識別番号AA-2101(以下、本世界)とAE-2102(以下、亜世界)のみを双方向的に接続します。渡航の際の身体影響評価はA(影響なし)を示していますが、亜世界から本世界への渡航はリスク隔離原則に基づき原則認められていません現在、原則改正に伴い先行的に規制が緩和されています。
 
AE-2102は本世界と世界間距離のきわめて短い平行世界です。物理法則、地形、生態系において本世界と完全に一致しますが、ヒトおよびヒト指向性アノマリーのみが存在せず、人工物は推定で本世界における2015年時点の状態で放置されています。この原因は判明していませんが、そのアクセスの容易さから現在の亜世界はサイト-Q9ALTと特例避難区域204~218が設置されています。
 
サイト-Q9ALTは別世界における財団との連携および人類の保護を主目的とするサイトです。サイト構成員は特殊処分規則に則り異動を命じられた職員で構成されており、世界間渡航を可能とする他の技術装置および作戦行動を補助する各設備を有しています。サイト-Q9ALTは現在、大規模な職員再編が計画されています。

[2022/07/17 サイト-Q9ALT, 応接室]

「説明は以上になります。なにか質問はありますか?」
「えーと……まあ、追々、理解します」
「そういう反応になりますよね、わかります。僕の時も概ねそんな感じでした」

扉を抜けた先で俺を出迎えた──同い年ぐらいに見える──小柄な男は、俺を応接室に案内してそのままこのサイトの説明を始めた。そう長々と説明されていたわけではないが、それでもこの隔離サイトの置かれている状況は複雑で、SFの資料集でも読まされているような気分だった。

「座布田さんに参加してもらう作戦の詳細についてはまた後程説明させて頂きますが……そうですね、作戦実行までまだ数日はありますから、それまでは他の作戦メンバーとの交流に時間を使ってください。具体的には、簡単な作戦に同行してもらおうかなと」
「簡単な作戦……ですか」
「はい。これも大切な仕事ですよ。如何せん、ここの人たちは……その、良くも悪くもクセが強いので」

明朗快活に語っていた男が僅かに苦笑を浮かべる。どうやらこの男も"振り回される側"の人間らしい。

「ええと、覚悟しておきます」
「ああ、そんな肩ひじ張らなくていいんです!みんないい人たちではあるので……とにかく!短い間ではありますが、よろしくお願いします」

男が手を差し伸べた拍子に、裏返しになっていた職員証が表向きになる。……"専門: 作戦行動指揮"。

「よろしくお願いします──鳥飼さん」

差し伸べられた手を取り、握る。銃の持ち方を知らない手だ。

名前: 座布田 創 Zabuta Hazime

クリアランス: レベル2 役職によって3まで許可

役職: 流動的(アルバイト)

専門: なし(アルバイト)

身体: 身長172cm/体重55kg/1999生/男

人物: 座布田アルバイトはPoI-8882-JP"久留間逸輝"の無力化作戦後、財団に保護され職員として雇用されました。

座布田アルバイトは知識の吸収が非常に早い一方、特定の業務を連続して行うことを苦手としています。よって現在、彼の性質を活かすため彼自身が提案した"財団内限定アルバイター"という立場が採用されています。座布田アルバイトは財団ではなく各部門に都度雇用され、時給が支払われることになっています。

[2022/07/18 AB-41901, GoI"公正手袋委員会"活動拠点]

「……で、これのどこが"簡単な作戦"なんですか?」
「世界の命運握ってないんだ、易いもんだろ!」

赤と黒のツートンが徹底された異色の地下闘技場。サイレンと銃声で耳が壊れそうな花道ランプを、バックステージから飛び出した巨人──名前は確か、熊澤とかだった筈だ──が突き進んではタレットを叩き壊していく。形ばかり被ったヘルメットは既にハチの巣だが、その常識はずれな肉体には──バックステージから隠れて観察する分には──掠り傷ひとつついていないように見える。

『ああもう、また全容が判らないうちに突っ込んで……すいません、カバーに回って貰ってもいいですか?』
「カバーと言われても……」

"簡単な作戦"もとい"異常性保有者を捕らえて戦わせている地下闘技場に正面から突入して叩く蛮行"を開始してはや6分と20秒、地上のエレベーターホール制圧に割いた20秒を除けば6分。いや、エレベーターに乗っていた時間を加味すればさらに短いか。まさに興行の最中だったその現場の悪趣味な観客は半数以上が流れ弾に斃れ、控室や事務所の制圧に向かったメンバーからも次々と制圧完了が報告されている。そして──事前の打ち合わせでは最大の脅威が予想されると言われていた──アリーナでは、肉弾戦車が一人でリング近辺を荒らし回っている。中央のリングは金網で囲われ、その中に居る2人の男は何が起こったかも理解できないまま立ち竦んでいるばかりだ。

『前情報によれば、中央の金網には脱走ないしは侵入を防ぐための仕掛けが施されているようです。在り来たりな想像をするなら電流とかですかね。ともかく、それがあるうちは中の人たちを助けられないですから、その解除をお願いしたいです。リングの下に装置らしきものが視えるので、それの停止を試みてください』
「つまり、あそこまで駆け抜けろという事ですか?」

弾幕は先行した熊澤が粗方片付けたが、とはいえ既に反対側の花道から戦闘員らしきものが押し寄せているのが見えている。露骨に武装しているものはまだいいが、その用意すらないものが後ろに控えているのを見るに、つまり"そう言う事"だろう。とてもじゃないが、生身──といっても差し支えない、ごく一般的な装備──の人間が突っ込んでいい前線ではない。

『間もなく別のエリアを制圧していたメンバーが駆けつけてくれます。そちらに意識が向いている間なら、案外堂々と突っ込んでも問題ないものです。とりわけ……その──』
「俺ぐらい影が薄ければ、ってことですね。了解です」
『……頼みましたよ』

"否定はしないんだな"と内心毒づきつつも、それに納得してしまう自分もいた。その冷笑を偏光のフェイスシールドで覆い隠し、直後に二階席から防弾ガラスを叩き割って流れ込んできた蝙蝠の群れを見届けた。あんな見た目だが、一応援軍のはずだ。生き残りの観客の混乱がピークに達している、駆け出すなら今だろう。

「無茶苦茶やりやがって……」

バックステージから花道の真横の観客席に飛び込み、花道を陰にして観客──と、その死体──を掻き分けて中央を目指す。つい先程すれ違った観客が、落ちてきた高天井用照明にぐしゃりと潰される様を視界の端で捉えた。どこが問題ないんだよ。

『あっ、2人ほど敵戦闘員がそちらへ吹き飛ばされたみたいです。まだ息はあるようなので気を付けて』
「吹き飛ば……あー、あれか」

特大アーチを描きながら視界前方に墜落する影が二つほど、それらは観客をクッションにして着地を果たした。なるほど、喫緊の脅威は鳥飼が察知して報せる仕組みらしい。つまり報せられた後はこちらの対応能力に委ねられているという事でもある。とんだ迷惑だ。

「格好つかないから、あんまりやりたくないんですけど……仕方ない」

俺とて平平凡凡なりに、生き抜くすべはある程度身に着けてきたつもりだ。例えばこんな人込みで、ほんのひと時視界から外れられればいいのなら──

『四つ足ですか……なるほど、確かに遠くからは捉えづらいですし、射線にも入りにくいですね』
「子供だましですけどね……っと、こんなところに」

途中、何度か観客に蹴っ飛ばされたり踏みつけられたりしながらもアリーナ中央まで辿り着くと、リングと観客席の間の段差にスタッフオンリーと記された金属扉が据え付けられているのを見つけた。どうやら観客席から這い上がってリングに駆け寄る必要はないらしい。

背負っていたマスターキーでケースハンドル錠を手早く叩き壊し、その破壊音でこちらに気付いた連中が銃口を向けるより先に扉の向こうへ体を滑り込ませる。無理やり閉め直した扉が、弾痕でボコボコに歪んでいく。

事前に使い方を教わっていた青いキューブを扉に張り付けると、それが展開されて簡易的なバリケードに変貌した。その障壁に背中を預け、視線を向けた先には聞いていた通りの機械室。おそらく、真上のリングのギミックを制御しているのだろう。

「それで、何をどう操作したらいいんですか?」
『すみません、わからないです』
「……はい?」
『僕に視えるのはそこに装置があるという事実だけです。何をどうすればいいかまで視ることは出来ません。操作方法を割り出してもらうか、あるいは──よりシンプルな解決方法もあります』
「……」

ふたつ、解ったことがある。ひとつ、作戦の大半は俺たち前線の人間の判断に任せられているということ。ふたつ──大抵の事なら、横着を働いたって許されるという事だ。

空間を見渡し、今入ってきたのと正反対にも出入口があることを確認し、それからこの部屋の中央に爆薬を仕込む。まもなくバリケードが破壊され、追っ手が入ってきたので、反対側の扉から部屋を出て、手元のスイッチを押す。

直後、爆発音と共に地面がずんと揺れる感覚がした。彼らからすればこの程度、横着のうちにも入らないかもしれない。

「……目標装置、破壊完了しました」
「ようし、よくやった!」

間もなく飛び込んできた熊澤が、金網の檻を体当たりでこじ開けて見せる。

後の事は、おおかた俺抜きで片付いていった。

名前: 熊澤 威 Kumazawa takeru

クリアランス: レベル2

所属: サイト-8147 サイト-Q9ALT

役職: 機動戦闘員1/Cクラス

専門: 前衛接敵,障害物除去

身体: 身長198cm/体重86kg/1989年生/男

人物: 熊澤戦闘員はサイト-Q9ALTに所属する機動戦闘員です。2011年にサイト-8147の機動部隊員として正規配属したのち2014年に作戦行動中の異常性暴露により異常性保有者に認定、以後2017年まで暴露原因となったオブジェクトの収容プロトコルに携わったのち、オブジェクトの無力化認定に伴い異動命令が下されサイト-Q9ALTに転属しました。

熊澤戦闘員は筋力・敏捷性に対する身体強化能力を持ちます。強化の度合いは能力使用時の熊澤戦闘員のコンディションに依存し、その強化持続時間も同様です。また強化能力の持続時間が切れた後はコンディションに関わらず重度の筋・筋膜性疼痛症候群により行動不能に陥り、平均して3日間24時間は自立した行動が不能になります。

3. おかしいヤツら

[2022/07/19 サイト-Q9ALT, 小会議室202]

聞いた話では、このQ9ALTというサイトは既存のサイト跡地を居抜き工事したものだという。ともすれば、この──会議室に"小"を付けただけでは違和感を拭いきれない──サシ専用の対話空間は、もともとどんな役割を持っていたのだろうか。俺が真っ先にイメージしたのは尋問室だが、目の前に座る鳥飼からその手の威圧感を感じることは無い。

「昨日はお疲れ様でした。どうでしたか?作戦に加わってみて」
「あー……そうですね。率直な感想を言っても?」
「どうぞ。僕らにはそれが必要ですから」

俺の言い回しは、その後に苦情が続くことをあからさまに示唆したものだったが、鳥飼は穏やかな顔色をそのままに聞き届ける。糾弾されることに慣れている人間特有の落ち着きを感じる。

「ハッキリ言って無茶苦茶でしたよ。財団に来る前のことを思い出しそうでした」
「来る前、ですか」
「ええ……まあ、無茶な連中に振り回されるのはこれが初めてじゃない、という事です」
「あはは……監督不行き届きで申し訳ないです。これでもなるべく手綱は握っているつもりなんですが」

鳥飼の指揮には、手綱を握るというよりむしろ、好き放題にやられることを想定したうえで組み立てているイメージを抱いた。ことQ9ALTここにおいて、それは悪い事ではないのだろう。もとよりはぐれ者集団だ、お行儀のいい作戦行動などハナから期待されていないものと見える。だが──俺ははぐれ者と呼ばれるには値しない。いつぞやの俺の言葉にするなら、まだおかしくなれていない。

「それで、本当に俺は必要なんですか?どうにも、呼ばれた理由がわからないんですが」
「勿論です!説明が前後してしまい申し訳ないです、座布田さんをお呼びした理由を説明させて貰いますね」

鳥飼は待ってましたと言わんばかりにタブレットを取り出し、画面をこちらへ向ける。液晶には、四方をコンクリ塀に囲われた都市の空撮写真が表示されていた。塀の内側は混沌とした増改築を繰り返した無秩序で構成されており、対する塀の外はまるで何事も無いかのように、ごく在り来りな整然とした街が展開されている。

「これは?」
「今回、座布田さんに潜入していただく"自治区"です」
「自治区?」
「はい。この画像は世界番号BB-15101の要注意団体"レイト・クイーン"が不法占拠する"エラリー自治区"を撮影したものです。座布田さんには、この自治区の独裁者を拘束して貰います」
「……拘束」

鳥飼の柔和な表情が氷水でシメたみたいに神妙になったかと思えば、中々物騒な単語が飛んできた。

「はい。前々から向こうの世界の財団はこの自治区をマークしていたようですが、最近になって活動が急変したようで」
「というと?」
「元は単に閉鎖的な支配区域を作り出しているだけだったのが、敵対勢力の排除に乗り出したそうで。現時点で、その写真に写っている全域は実質的な支配下にあります」
「……塀の外も、という事ですか」
「そうです。財団を始めとする超常組織をピンポイントに制圧する事で、一般人には支配構造の変化を察知される事すらなく勢力圏を広げているようです」
「なるほど……一般人を人質に取られているも同然だから、大々的な武力行使は出来ない、と」
「理解が早くて助かります。そして……その制圧に用いているとされる異常性が、座布田さんを呼んだ理由に直結しています」

何となく話の流れで察するに、俺は単騎で潜り込まされるらしい。俺のことを買っていると言うべきか、無茶ぶりに慣れ過ぎていると言うべきか。

「エラリー自治区は、言うなれば"心が読まれる区域"です」
「……」
「そういう顔になるのは解るんですが……すいません、説明を続けさせてもらいますね。実際、具体的にどういった原理や条件で、誰にどこまで思考を読まれるのか。そこまで判明はしていませんが……我々Q9ALTは、言ってしまえば機密の塊です。見るものすべてが機密と言って差し支えないでしょう」
「まあ……そうじゃなければ、ここに至るまでほとんどの時間を隔離されたまま過ごすことにはならないでしょうね」

実のところ、俺はここに来るや否や来客用と銘打たれた独房──もといVIPルームに案内され、任務の時間以外で他のメンバーとの交流はなかった。別に、その扱いの異端さに疑問はなかったが、いざ理由を明かされると合点がいく。

「はい。そこで座布田さんの出番になります。我々は、貴方のことを"機密に触れておらず、なおかつ適応能力において右に出るものはいない人選"と聞き及んでいます。この作戦は、まさに座布田さんにしか頼めないのです」
「……あー、そう言っていたのは……」
「飯尾さんですね。きっと失望させないとお墨付きをされてましたよ」

あの野郎。

「つまり、俺はその自治区に潜入し、作戦がバレている状況でそれを遂行する必要がある、という事ですか」
「はい。もちろん必要に応じてサポートはしますが、基本的に単独行動を取っていただくことになると思います」
「……作戦の大枠は掴めましたけど、あの、本当に現実的だと思って言ってますか?思考が読まれる状況での作戦なんて、余りにも無謀に思えるのですが」
「勿論、無策に突っ込んでもらう訳ではありません。座布田さんには、"ショートカット"をしていただきます」
「ええと、つまり?」
「記憶を読まれようと関係ないくらい、最短距離で本拠地に突入してもらうという事です」

ショートカットの方法は知らないが、なるほど合理的だ。突入後の俺がいきなり危険に晒されることを除けばの話だが。

「おっしゃりたいことは解ります。実際、座布田さんをサポートする手段は複数用意してあるのですが……」
「できれば、ここで説明したくない、と」
「はい。信用してもらう他ない、という感じです」

随分都合のいい話だ。と毒づくのは簡単だが、対応するべき異常性が異常性なのでもどかしい部分も理解できる。だがやはり、ハイそうですかと納得してやれる心持ちでもない。何かの形で納得が欲しい。

あいつらと、こいつら。無茶苦茶なのは変わりない──なんなら、あいつらの方が酷かった──のに、なぜ許せないのか。

「なら……せめて、挨拶回りくらいはさせてもらえませんか。俺は、貴方たちにまだ、命を預けられないです」

あいつらのことを理解できていたとは到底言えない。だけど、俺はこいつらの事をあまりにも知らなすぎる。

[2022/07/19 サイト-Q9ALT, 第一宿舎棟]

宿舎棟と銘打たれたエリアは、整然とした中庭の一本道を挟むようにして宿舎や軽食店、売店などが並ぶ生活圏となっていた。聞いた話では並行世界から受け入れた難民で経済を回しているらしいが、この風景もその社会構造の賜物なのだろう。交流の場として設けられたのは、その並びに設けられたカフェだった。カランコロとドアベルを鳴らすや否や、小さな背丈がこちらに駆け寄ってきた。

「あ!フルフェイスのひと!」
「座布田です。あとフルフェイスは普通に標準装備なんですけど」
「でも着けてるひと見たことないよ?」

人形に命を吹き込んだような白髪金眼の少女。異邦人と思しき風貌と裏腹に、コミュニケーションに困らない程度に流暢な日本語が俺と彼女との架け橋になっている。彼女を落ち着いた足取りで歩いて追ってきた癖毛の女性が、眠たげな視線をこちらへ向けつつ少女をひょいと拾い上げた。

「エステル、まずは自己紹介でしょ」
「そうだった。私はエステル!ダンピールだよ」

ダンピール……半人半鬼だったか。昨日見た蝙蝠の群れはこの少女だったのだろう。

「……まあ、端的なのは悪い事じゃないけど。あ、私は橘です。昨日の作戦にも参加してたんだけど、会う機会はなかったわね」
「あの時はほとんど単独行動してましたから」
「私もエステルのストッパーに専念してたし、仕方ないんじゃない?」

自己紹介の端的さに苦言を呈したとは思えないような雑な紹介を済ませた橘は、エステルが彼女の肩によじ登るのも構わず会話を続ける。見かけによらず肉体派なのかもしれない。

「ストッパーじゃなくてバディ!タチバナは私のバディだよ、Ζάμπια!」
「座布田です。仲がいいのは伝わりました」

もっとも、ここが財団である以上、ただ単に仲よしこよしという話ではないのだろうが。

「ナカヨシなだけじゃないよ!相性もピッタシなんだから!」
「エステル、相性はピッタシじゃなくてバッチリのほうが自然。あー、何というか、この子は夜間に異常性が活発になるんだけど、私はその逆なの。だからお互いにカバーし合えるから、タッグで作戦に投入されることが多いというか。まあ、それを差し置いても、突っ走りたがるこの子の手綱の握る役目は必要だから」
「……なるほど」

どうやら、ここまで異常性をおおっぴらに活用している体制だからこそのシナジーがあるらしい。俺には到底無縁な話だし、これからも無縁であり続けてほしい。今更おかしくなる気はないし、本当ならこんな冒険はまっぴらごめんなのだ。

「いつまで入り口でくっちゃべってるんだ?」
「あー……ええと、熊澤さん、でしたね」
「おうよ。昨日は怪我無く帰ってきたみたいだな」

30cm近い身長差をものともしない大声の巨漢が早く座れと急かしに来た。昨日あれだけ大暴れしておいて、他人を気に掛ける器量は持ち合わせているらしい。その器量を戦術にもフィードバックしてもらいたいものだが、どうにもこの感覚を持っているのはこの場で俺だけのように見える。

「ええまあ、多少蹴飛ばされたぐらいです」
「ま、そんぐらい怪我のうちに入らないな!」
「はぁ……」

そりゃ、あんな異常性を持っていれば蹴られるぐらい痛くも痒くもないだろう。いや、それを抜きにしたってこの体躯に繰り出した蹴りがまともにダメージを通せるとは思えない。

「……っと、さすがにまだフラつくか。橘、肩貸せ」
「こんな所で無理して……また金本に世話焼かれるよ」

熊澤がその巨体をよろめかせたかと思えば、知らない人名が出てきた。流石に彼らも話していい事、いけない事は事前に確認を取っているだろうが、それでもなお情報はとめどなく流れ込んでくる。

「金本……確か作戦メンバーには居ないですよね、その人」
「お、もう俺たちの名前を憶えたのか。案外マメだな」
「金本は……まあ、訳あって別行動してるの。基本、こっちから呼ばなきゃ来ないんだけど……熊澤が無茶したりすると、狙いすましたように来るの。つっけんどんな奴だけど、それでも熊澤のことは気になって仕方ないんでしょうね」
「よせよ、あいつは俺の子守りかっての」
「まあ、どっちがどっちのお守りかは判ったもんじゃないけど。ああ、座布田君は気にしなくていいから。さ、座って座って。何を話してよくて、何を話しちゃダメか、忘れないうちに」
「あー、失礼します」

招かれるまま、貸し切りになっているカフェの一番奥のテーブルに座らされる。先日の作戦に駆り出されていた面々が概ね揃っていた。が、欠けているメンバーがひとり。

「ん?そういえば鳥飼さんが居ませんね」
「ああ、鳥飼君なら明日の作戦の支度とかで来れないらしいですよ」

俺がテーブルを見渡して呟くと、偶然隣になった男がそう答えた。俺と似た背丈の、髪を後ろで束ねた体育会系の雰囲気を漂わせる男。確か工作員の黒山だった筈だ。いや、受け取った資料に工作員と書かれてはいたが、昨日見た限りでは刀を振り回していたように記憶している。

「そうだったんですか、作戦に出る俺より忙しそうだ」
「ま、働きたがりなんですよ。お蔭で空鳥あとりが道連れでサボれないから丁度いいですね」
「空鳥さん、ですか」

空鳥 なつめ。メンバー表で名前は見たが、そういえば一度も対面していない。確か幻覚を見せる能力者だと記憶しているが、正直名前だけでは男か女かも判別がつかない。話の流れからして、責任ある役職に居るのに不相応にテキトーなところがある、といった所だろうか。どこぞの誰かを思い出す人物像だ。

「そ。まだ会ってない?まあ鳥飼にちょっかい出すのが仕事みたいなものだから、会えなくても気にしなくていいですよ」
「そう、ですか……なるほど」
「んん?何か思う所がありそうですね」

僅かに詰まった俺に、黒山は躊躇わず切り込んでくる。見た目通りのストレートさだ。思う所はここに来る前からずっとありまくりなのだが、それはそれとして、今思ったのは。

「いや……何というか、相方のいる人が多いなと。言葉を選ばないなら、癖の強い人たちばかりですから、その長短を補いあえる人間を見つけるのは自然なのかもしれませんけど。何というか、俺にはないので、そういうの」
「それは……別に癖の強さがどうこうじゃなくて、そういう人柄ってだけじゃないです?」
「……うぐ」

うぐ。

「ほら、あそこにいる二人──柿鶴さんと雲雀田さん──は、Q9ALTここに来るまで普通の機動部隊員でしたが、その頃から変わらず仲良しですし。ザムザさんが人とそこまで深い関わりを持たないタイプのコミュニケーションを形成してるっていう、それだけの話ですよ」
「座布田です。割と痛い所を容赦なく突いてきましたね……」

いや、言い訳がましいが、あちこちへ出向いている以上ある一定以上の関係値は作り難いのだ。だからこれは全て飯尾のせいだ。そういうことにしておく。

「いやいや、悪い事だなんて言ってませんよ。もしそうなら、これは自虐になってしまいますから」

黒山は"そうでしょう?"と適当な他の人間に話を振ると、"ま、まぁ……"と距離を詰め切れてない人間特有の返しをされていた。どうやら"やや浮き"の部類の人間であるという自負に偽りはないのだろう。好感が持てる。いや持ててたまるか。

「僕はむしろ尖ってた頃の方が孤独でしたよ。今も相棒なんて居ませんけど、昔はそれ以上に孤独でした。だから、人としてのおかしさが縁を作るなんてことはありませんし、そもそも切っても切れない縁を作るのが全くもって正しいって訳でもありませんよ」

黒山の一見すると軽薄な口調は、それでも"知ったような口を利くな"と一蹴し難い何かを纏っている。言外の蓄積を肌に感じるとでも言おうか。

「それこそ、こんな挨拶回りがあるだけでも、一緒に仕事はできるでしょう?信頼とそれ以上の絆は全くの別物です。僕は今くらいの"仕事仲間"にちょうど満足してますし──貴方も、別に今の仕事に不満がある訳じゃないでしょう?」
「それは……そうですけど」
「何だぁ~?こんな真っ昼間から説教か?偉くなったなぁ黒山ぁ!」

俺が黒山と話し込みだしたのを見て他のメンツと駄弁っていた熊澤が、こちらへ茶々を入れてきた。頃合いを見計らっていたのならとんだお人よしだし、何も考えずぶった切ってきたならとんだKYだ。

「おっと、確かにちょっと何様が過ぎましたね。ごめんなさい。つい、ね」
「あー、その、もう一つだけ聞いていいですか?」
「お、何ですか?」
「皆さん、お互いの事をどのくらい深く知ってるんですか?いや俺はどの道そんなに深掘りできないんですけど、参考までに」

俺の質問に、即座の返答は無かった。代わりに、その場にいた全員が、それぞれにお互いを見合わせて──黒山が代表するかのように答えた。

「いいや?全然知りませんよ。誰も彼も腹の底まで知ってる奴なんて、ここにはひとりも居ません」

[2022/07/19 サイト-Q9ALT, 装備保管室]

カフェでの一件は、俺に釈然としない感情と漠然とした納得をもたらしたまま俺を宙吊りにした。今はその感情を整理しつつ、明日のメインミッションに向けて装備を整えているところだ。整えるといっても、こんな取っ散らかった思考では一向に整わないのだが。あちらもこちらも立っていない。

「大丈夫ですか?ずっとその棚と睨めっこしてますけど」

見かねた職員──エンジニアの五木とかそんな名前だった気がする──が、俺に控えめに声をかける。顔のえらの辺りや、額の真ん中、それから首元などに蛇の鱗のようなものが点在している。まあ獣性保有者ほどありふれた異常性も中々ない。よく見る類いの異常性だが、それが有用に働く職員は一握りだ。大抵は𝕖スモールE、つまるところ"不自由な個性"止まりだろう。かくいう彼は……まあ、わざわざ探りを入れる気はない。

「ああ……まあ、正直、どんな作戦になるのか想像もつかないんで、選びようがないといいますか」
「それもそうですよねぇ、まあ、ボクがおすすめするのはここら辺ですね~」

どことなく舌足らずに聞こえる口調で語りつつ、棚から装備を降ろしていく。ぱっと見がただの背広に見える、服飾部門の技術の粋とも言える防護装備や、その背中にすっぽりと収まるマスターキー。投げて展開するバリケードに、マウスピース型の防毒装置。恐らくQ9ALTがこれまで経験してきた作戦の蓄積が形になるとこうなるのだろう。選択に迷いがない。

「後は、拘束任務ならここら辺はマストとして……ちゃんと、殺傷能力のある装備も持っておくべきですよ。ここら辺は目の前で人が死なないのでオススメですね~」
「……少し、考えます」

服でも勧めるみたいに戦術装備を並べる五木。その異質さにやや及び腰になっていると……ふと、ひとつの装備が目に止まった。

「やるじゃん、新入り」

「……」
「あー、座牟田さん?」
「座布田です。決めました……これにします。小さい方の」
「あ、了解です。確かに無印よりはこっちのⅡの方がコンパクトで取り回しは良いと思いますよ~。使い切り式なので気を付けてくださいね~」

ペンライトの形をしたそれを手に取る。何となく、思い出が俺を生かしてくれる気がした。

4. タイムラインの向こう

[2022/07/20 エラリー自治区, 中枢街区]

「運が悪かったな、ちょうど懐が寒かったんだ」
「てめぇ……」

天下の往来で頬をおさえ倒れ込む大柄な中年男。それに目もくれず、ボロボロの長財布を漁る長身の女。彼らに視線を向ける者は居ても、それに割って入ったり、あるいは然るべき場所に報せたりする者は居ない。

「お、曲がりなりにも長財布だな。恥ずかしくない量は入ってら」
「こんな事、許されると思ってるのか!?オレはB-4街区の管理人だぞ!すぐに処刑人がてめぇを捕らえに来る!」
「オッサン、中枢は初めてか?ここじゃその一張羅は何の威嚇にもならねぇし、むしろ私みてぇなのを寄せ付けるだけだ。お前の服を汚した不届き者をしょっ引いてくれるのは、お前のシマの中でだけだ。身の程知らずを守ってやるほど、お偉いさんは暇じゃねぇよ。わかったらサッサとおうちに帰りな、壁際の大将さんよ」

痩せこけた財布を水溜まりに投げ捨て、それに男が伸ばした腕を女はグシャリと踏みつけた。ぎゃあと啼き喚く男の悲鳴が、月光の乱反射する曇天に吸い込まれていく。無秩序に増長したネオンライトの街で、夜空を見上げる者は居ない。

故に、その夜闇に紛れた濡羽色に気付く者は居ない。

[2022/07/20 エラリー自治区, 中枢街区上空]

「──!──!」
「何~?聞こえないよ!そろそろ着くんだから、準備してね!」

俺の悲鳴は空を切る音に呑み込まれ、黒翼の少女は構わず急降下していく。金色だった瞳は赤く濁り、耳元まで裂けた口から覗く牙が彼女の本性を物語っている。

『二人とも聞こえますか?敵の本拠地はその区画の一番背の高い建物です。既にターゲットの姿も確認できていますから、当初の予定通りエステルはすぐ回収できるよう低空で待機してください』
「おっけー!さあ、突っ込むよ!」
「待て!突っ込むって、もしかして直接──」

直後、体が重力を失う。ガラス張りの向こうの、煌々とした照明に吸い寄せられた羽虫のように、背広フルフェイスの怪人が大窓に叩きつけられ──それを盛大に打ち砕いた。これのどこが潜入なんだと冷静に憤る余裕もないまま、ゴロゴロと床を転がる痛みをぐっと食いしばり、背広の袖口に取り付けられた"ピン"を取り急ぎ引き抜いて──

「うわっ!?何が起きた!?」
「何も見えん!何だ!状況を確認しろ!」

俺がその部屋の全容を確認するより先に、閃光が部屋を包む。どうやらスタングレネードが仕込まれていたようだ。もっとも、俺は入ったらすぐピンを抜けと指示されていただけで、それが何かは知らされていなかったが。幸い、勧められるまま着けていたフルフェイスがきっちりと五感を保護してくれた。

「……こいつか」

4人の男がそれぞれの反応で目や耳を押さえながら悶える。ターゲットの、名前も知らない五十路の男も例外ではなかった。ならば話は早い、さっさと眠らせてしまおう。

「!」

俺が麻酔銃を向けた直後、ターゲットは転がり込むようにして机の陰に身を隠す。まだ視覚も聴覚も回復してない筈だ。となれば──

「思考を読むだけじゃない、俺の位置まで正確に把握してるのか……!」

言うなれば、普通に声帯で発音するようにして思考が聞こえているのだろうか。だとすれば護衛がこれだけしか居ないのも頷ける。喧しくて仕方ないのだろう。

などと冷静に分析している場合ではなく、護衛が立ち直るより前に奴を止めなければならない。こちらの位置を把握しているなら、逃げられない距離まで詰めるしかないのは判り切っている。

「あっクソ、待てっ……なんでそこまで正確に動けるんだよ!」

ターゲットは正確に遮蔽物を確保しながら、部屋を抜け出す方へ駆け出す。俺の位置を掴んでいるにしたって、部屋の中の家具の配置をこうも正確に把握できているのは余りに異質だ。いや、これは──

「……俺が部屋を認知してるから、それを経由してレイアウトを把握してるのか?」

そんな情報処理が人間の頭で可能なのか?と疑うまでもなく、鳥飼がまさにターゲットと同類の人間であることに気付いた。

「ご明察。ま、気付かれたところで問題はないがな」
「止ま……らないよな。畜生」

もうじき視覚が回復してしまうだろう。その前に取り巻きを黙らせなければ、今度は俺が追い込まれる。廊下に出て完全に俺の視界から外れたそいつを追う前に、麻酔銃を護衛達に向けた。

「とりあえずこいつらはここで寝かしとくとして、後は──」

追うべきか否か判断しかねていると、思考に割り込むように通信端末から着信が入った。足を止めざるを得ないようだ。

「……聞こえますか、鳥飼さん。ターゲットを取り逃しました」

『財団、ですかね』
「ああ。監視サイトの制圧を深刻に捉えたようだな。このタイミングで反撃に来るのは想定内だったが……想像以上にアグレッシブな方法で来たな。別時空からの刺客とは……」

下りのエレベーターの中、五十路の男は額の汗を拭いながら型落ちの携帯電話を耳に当てる。あとは喉の渇きをどうにかしたかったが、生憎と一刻も早い逃走が彼の最優先事項であった。

『お迎えは必要ですか?』
「いいや。向こうには鷹の目が居るようだ。君たちが動けば、儂の逃げ場がその分減ってしまう」
『なら……どうするおつもりで?』
「接敵する脅威は実質一人だ。なら迎え討った方が早い。儂を囮に、奴を捕らえる」
『では、処刑人を向かわせましょうか』
「いや……"トリニティ"をこちらに回せ」
『良いのですか?確かに彼女は腕が立ちますが、所詮は傭兵です。あまり、信用に値しませんが』
「構わん。儂からしてみれば、忠誠より金で動く人間の方が信用できるし──こと今回は、面白いものが見れるだろう」
『面白いもの、ですか?』
「ああ。まったくの偶然だがな……少しは、儂の憂さ晴らしになるだろうよ。ふふ……」

『座布田さんの思考が読まれている以上、十中八九僕の能力は理解しているでしょう。座布田さんが単騎なことも把握しているはずです。ターゲットを追跡すること自体は可能ですが……誘い込まれている可能性は極めて大きいです』
「まあ、ですよね……どうしますか?」
『二択ですね。罠と分かっていても進むか、エステルに回収してもらって体勢を立て直すか。立て直すにせよリスクはあります。向こうにどの程度の情報が漏れたか判りませんが、再突入は今回ほど簡単に行かないでしょうから』

どうやら、援軍を送り込む選択肢はハナから用意されてないらしい。なら……逃げ回るだけ自分の首を絞めるだろう。

「追います。少なくとも、射線が通るような街ではなさそうですから」

大破した窓から下界を眺める。複雑に入り組んだ街並みは歪に増築された建物に覆われ、ほとんど通行人を視認することが出来ない。この調子ならたった今の襲撃ですら、下界の多くの人間は気付いていないかもしれない。

『……わかりました。最大限のフォローはします』
「まあ、そうしてください。それじゃ」

我ながら、蛮勇だとは思う。別に任務の成功は絶対じゃない、さっさと諦めてしまったって他の選択肢を用意してくれるだろう。だが……彼らはQ9ALTだ。臆病に生き延びるより、少し大見得を切るぐらいで丁度いい。おかしなヤツらの為のチームなのだ、少しはおかしくなってやろう。

通信機をそのままに、袖口から伸ばしたフックを床に引っ掛け、窓から飛び降りる。背広の肩のあたりから、カチカチと減速機が悲鳴を上げる音が聞こえた。

[2022/07/20 エラリー自治区, B-2街区]

背広フルフェイスの怪人が、ネオンライトをギラギラと反射しながら通行人を掻き分ける。俺をすれ違いさま疎む視線こそあれ、騒ぎ立てる奴は居ない。この自治区に住む人間の価値観形成の歪さを感じるが、今回はその歪さに助けられている。

そこらの案内書きを見る限り、この自治区は街区なる区分で分割されているらしい。碁盤の目でA~D、1~4にきっかり16等分され、中枢街区がB-2、B-3、C-2、C-3街区に跨っている形だ。上空からみた無秩序さと裏腹に、都市基盤は整然としている。

こうした区画整備の理由を推測するなら、やはりここが"心が読まれる区域"と呼ばれることと繋がりがあるのだろう。先程遭遇したターゲットの反応を見る限りでは、どうにも能力が属人的に見えた。とてもじゃないが、奴の読心能力だけでこの街の全てを管理できるとは思えない。となると──

「鳥飼さん」
『はい、聞こえてますよ』
「鳥飼さんの視界で、この街区を巡回している人間を探すことは可能ですか」
『巡回……ですか』
「はい。俺の予想が正しければ、この世界における読心は個の異常性じゃなくて外付けデバイスだ。これだけ厳密に区分けしているなら、各区画に最低でも1人、読心能力者が居るはずです。そいつらが各区画を巡回している可能性が高いだろうな、と」
『……』
「鳥飼さん?」
『いえ……その、流石だなと』
「……はい?」
『実は、先程の接敵の時点で、ターゲットの体内に"装置"らしきものが埋め込まれているのが視えていたんです。敵の特性上、座布田さんに話すとこちらがそれに気付いていると悟られてしまうので、黙っていたのですが……』
「……なるほど」

確かに理には適っているのだが、やはり事あるごとに情報の壁を感じるのは居心地が悪い。別に今回に限った話ではないのだが、Q9ALTに来てからはとりわけ、だ。

『ちなみに、もし僕がその"巡回者"を見つけたとして……それを、座布田さんに順に片付けてもらうことは可能ですか?』
「ターゲットに真っ直ぐ向かわずに、という事ですか」
『はい。僕の予想では、個としての戦力をもつ人間を巡回者にはしていないと考えています。独裁を維持するうえで、読心能力をもち武力まで持ち合わせた部下を置いておくとは思えませんから。おそらく実際に行動を起こすのは、巡回者とは別の人間だ』
「だから巡回者なら見つけ次第一方的に叩けるだろう、という事ですか」
『そういう事です。今後、すんなりとターゲットの捕縛まで事を進められれば必要のない心配ですが、そうでない場合を考えると、事前に監視の目は摘んでおきたいです』

ずいぶん荷が重い上に、"お前の仕事が上手くいかない事を想定している"宣言に等しい提案だ。だが──自分の身の丈は、自分が一番理解している。

「わかりました。それが最善と判断したなら、そうさせてください」

言われた通りに仕事をこなす。それがアルバイターの役目だ。

『おっと、この街区の巡回者を見つけました。このまま歩くと接敵してしまうので、一旦引き返してください』
「わかりました。それで、結局どう片付けますか?」
『そうですね……愚直に叩いてもいいんですが、ここは万全を期しましょうか。座布田さん、作戦前にお渡ししたイヤホンは取り出せますか?』
「あー……そんなのもあったような。確か……ありました。ずいぶん小さいですねこれ」

言われるままに取り出したのは、肌色の小型ワイヤレスイヤホン。遠目にこれを着けていると見抜くのは限りなく難しそうだ。

『はい。元はシンガポールの一般企業が開発したものですが、細工を施してあります』
「一般企業……何の目的で作ったのやら」
『判りませんが、少なくともカンニング事件で問題になった経歴はありますね』
「……それで、これを着けてどうするんですか?」
『とりあえず着けてもらえれば。あ、ヘルメットは外して頂いて構いません。ベルトに引っ掛けられるフックが付いてると思うんで、そこに括っておいてもらえれば』
「はぁ……分かりました。まあ、俺に内容を伝えたら相手に読まれ──」

イヤホンを着けた、その直後。劈くような耳鳴りと共に俺の意識は不連続になった。

『そのまま前進です。右手はポケットの中に入れたままですよ』

雑踏は、害意なき全てを受け入れる。耐え難い酒気を放つ老人、足元に小銭を期待する浮浪者、前も見ず騒ぎ道を塞ぐ若者たち。その中に混じった、多少目元が虚ろなだけの青年など、特段に注意を引くものではなかった。

『少し左側に寄ってください。あの花柄のおばさんと左からすれ違うくらいに。そうです、その調子』

とりわけ、彼ら──巡回者達からすれば、特に警戒するべきは、明確な悪意を孕んだ不届き者であり……その頭脳に膨大な情報が注ぎ込まれる彼らにとって、茫然自失の放浪者など、存在しないに等しかった。

『そろそろ出す準備をしてくださいね。ペースはそのままに……さん……に……いち……ゼロ!』

だから、すれ違いざまにその男が、右ポケットから取り出したボールペン程度の大きさのスタンガンを腹に押し当ててくることなど、予見どころか、反応すら不可能であった。

くぐもった悲鳴を上げ、ぐったりと項垂れたところを、ようやく意識を一意に定めた彼──座布田が、顔から着地しないよう支え上げた。

「っとと……あれ、俺、今何してました?」
『ええと……説明を聞くのと、何も知らないまま続けるの、どっちがいいですか?』

[2022/07/20 エラリー自治区, A-3街区, 喫茶"コーキ"]

一先ずの休息の地をそこに定めた五十路の男は、マスターが注文を聞くより前に、卓上のカトラリーから柄の長いデザートスプーンを取り上げ、ひらひらと見せる。それを見た初老のマスターが、冷蔵庫からタッパーに入った黒い固形物を取り出した。

「人の精神をかき乱す、最も効率的な方法は何だと思う?」
「……心が読める前提ならば、トラウマを刺激する事、でしょうか」

五十路の男は背の高いグラスに詰められたキューブ状のコーヒーゼリーに、隣に沿えられたミルクを掛け流す。そしてマスターの凡庸な返答に溜息で返した。

「トラウマやコンプレックスというものには、自然と防衛本能が働くものだ。刺激されることを想定している、とでも言おうかな。執拗にそれを攻撃し続ければ、いずれ精神にヒビを入れることが出来るだろうが……効率的とは言えん」
「では、どのような?」

ミルクはコーヒーゼリーと混ざり合うことなく、その表面を撫でるばかりだ。男がスプーンでそれを突き崩してようやく、白と黒はその境界線を違える。

「その正反対だ。そいつにとって最も美しい思い出を、徹底的に穢してやればいい。侵されると思ってもみなかった聖域を、土足で踏み躙ってやるのさ」

半分ほど残ったミルクを、氷水の入ったグラスに注ぐ。未だかつて濁りを受け入れたことのないその透明は、不純な白色を瞬く間に受け入れてしまった。もはや、グラスを揺らすまでもない。

「……些か、行儀が悪いかと」
「ふふ、ここは儂の城だ。構うものかね」

[2022/07/20 エラリー自治区, A-1街区]

ここまで数人の巡回者を片付けてきて、判明したことが幾つかある。まず一つ、この巡回者たちは"目"と呼ばれ、鳥飼の推測通り武力を持ち合わせていないという事。二つ目に、"目"とは別に、表立った権威としての"管理人"が各街区に配備されているが、そいつらは完全に裸の王様だという事。そして三つ目に、"目"から連絡が行くことで動き出す"処刑人"が複数人存在するという事。そして最後に、忠誠心ある"処刑人"とは別に、彼らの出るまでもない些事を片付けるのが仕事の"傭兵"も点在するという事。

支配構造はそう複雑ではないが、純粋に物量差が苦しいところだ。"目"を潰すだけならともかく、処刑人とやらに出くわすのは是非とも御免蒙りたい。幸いにも、今のところは鳥飼のナビゲートにより回避できているのだが──

「ああ、居た居た。カッチリスーツにバイクヘルメット、お前で間違いないな。"直ぐに追ってくるだろうから始末しろ"って言うから待ってたのに、全然来ねぇんだから。迷子にでもなってた?」
「……!」

その声は、確かに頭上から聞こえてきた。15度ほど傾いた信号灯、"止まれ"の赤を示したソレの上に、ヤンキー座りで乗っかる彼女が居た。

『座布田さん、敵襲です!しまった、今の今までこちらを探している様子は無かったのに……!』
「……久留間、さん」
「あぁ?お前、どこかで会ったか?」

やたら背の高いシルエットが、雑に束ねた後ろ髪を揺らす。彼女の人指し指が、当然のように俺を指した。

5. 五"指"満足

我ながら、決断は早かったと思う。いや、多くを考えるより先に、偶然手が動いてくれたと言うべきかもしれない。いずれにせよ、余計なことを考えてしまった今、右手に握りしめた麻酔銃から2発目が飛んでいくことは無かった。

「お、左手を狙ったな?やっぱり私の事を知ってるらしいな」

そして感情を乗せず飛んで行った1発目は、彼女の周りをハエのようにぐるぐると飛び回るばかりで、一向に彼女へと辿り着くことはない。

「んで──私を知ってるなら、この弾がどこに行くかはよく解ってるよな?」

直後、俺の視界は放射状のヒビに覆われた。痛みはないし、額から血が滴ることもない。

「あん?そんなヘルメットひとつブチ抜けないってことは、コロシの弾じゃねぇな?それ」

そして俺の生存は、より俺を窮地に立たせたらしい。ろくな反撃が来ないと踏んだ彼女は、次の瞬間には視界から消えて──

「気持ち悪ぃな、お前。"目"の連中のお仲間か?」
「あの夜も、同じように蹴り込まれたので」
「ホントにキモいよお前」

咄嗟に鳩尾を覆った左腕が悲鳴を上げる。それとほぼ同時に彼女の脇腹に押し当てて引いた2発目は、マズルから出てくることすらなかった。……それに安心している自分が居る気がした。

「色々言われた記憶はありますが、キモいと言われたのは初めてかもしれませんね」
「てめぇで勝手に浸ってんじゃねえ!」

そんな軽口を叩いているべき状況ではないことぐらい理解している。だが、あの日の彼女の顔をした、あの日の彼女より万全な彼女を前に、採るべき次の手が何も浮かんでこなかった。"こいつは別人だ"と頭では理解しているのに、体がそれに追いつかない。ましてや、手にしているのが銃では。

幸いにも、彼女は俺を心底気味悪がって勢いよく突き飛ばしてくれた。彼女にあのまま首を捩じ切らせる選択肢を取らせなかったのは奇跡と言っていいだろう。

「いいや、浸らせてもらいますよ。何年振りの再会だと思ってるんですか」
「だからお前は誰なんだよ!」

俺が勝手な幻を追いかけるほど、彼女は徹底的に俺を否定するだろう。……そうして、早く俺をこの幻から引き上げてくれ。

『悪いけど、付き合いきれないかな』

突き飛ばされた俺が立ち上がろうとする刹那、通信端末から聞き覚えのない女の声がした。その直後──意識外の方角から、銃声が響き渡る。

「……っ!一人じゃねぇのかよ!話と違ぇじゃねぇか!」

彼女は完全に意識外からの攻撃だった筈のそれを当然のように受け流し、銃弾は家屋の壁に鋭い弾痕を刻み込んだ。

「……あ?どこ行った、あいつ?」

銃声のあった方を向いた彼女が、再びこちらを向く。しかし彼女と目が合わない。間違いなくここに居る俺を、彼女は"見失って"いた。

「さ、逃げるよ」
「……!?」

俺の視界を遮るように、最初からそこに居たかのように。見知らぬ眼鏡の女が目の前に現れた。

[2022/07/20 エラリー自治区, B-1街区]

「ええと、助かりました……でいいんですかね?」
「そうだね。喫緊の危機を脱したという意味では、君を助けたつもりだよ」

適当な家屋に上がり込み、流れ作業で家主を眠らせたその女は、懐から通信端末を取り出した。俺の持っているものと同型だ。Q9ALTからの援軍……という事だろうか。てっきり、寄越すつもりはさらさらないと思っていたのだが。フルフェイスを外した俺に対し、彼女は見定めるように眼鏡を正す。

「初めましてかな?私は空鳥 棗。君がここらの"目"を片してくれたお蔭で駆け付けられたよ」
『ごめんなさい、座布田さん。最初から、援軍は送り込む予定だったのですが……』
「例の如く、ですか?」
『例の如く、です』
「でも、期待を予め裏切っておくようで悪いけど、大々的に戦力を追加投入できるわけじゃないからね。君はここまで、処刑人にはノータッチで来てしまった。いくら"目"を無力化したとはいえ、大人数で動けばその分──全くもって戦力不明な──処刑人に見つかるリスクを高めてしまう」
「そう……ですか」

つまり、この作戦が俺主軸で動く事は変わらず既定路線のようだ。……ならば、俺が彼女と向き合う事もまた避けられないのだろう。

「うん。そして、君も解ってるだろうけど……あの敵とも、もう一度向き合わなきゃいけないよ」
「……敵」
「そう、敵だ。何を動揺しているのかは知らないけれど……いや、当ててあげようか。君はあの敵と顔馴染みだ。違うかい?」

顔馴染み、言い得て妙だ。顔以外は別人なのだから。顔と、性格と、異常性と、戦い方──それだけが記憶の中の彼女と一致するだけなのだ。俺がうまく返せずいると、空鳥は勝手に話を進めた。

「図星のようだね。それもあの顔の女に相当な禍根があると見える」
『またこのケースですか。一度、因果律系の異常を疑った方がよさそうですね』
「ま、その話は追々ね。それで、どうなの?」
「禍根……と呼べるようなものではないです。多分これはもっと、一方的な……」
「ん?片思い?それともワンナイト?」
『空鳥さん!』

俺が引いたつもりになっていた一線を、空鳥はずけずけと踏み越えてくる。これが任務中じゃなければ、さっさと切り上げて喫煙室にでも籠城していたところだが。いや、この女は平気でそこまでついて来そうな感じもする。

「あはは、ごめんごめん。でも案外、馬鹿に出来ない質問だよ。顔が同じだけの、関わりのない人間。そうだと解っていても、勝手な因縁を見出してしまう。」
「……まるで、自分の事のように言いますね」
「……」

俺が少しばかり感情的になってやろうかと迷って吐いた言葉は、彼女の軽薄な笑みを瞬く間に冷え上がらせた。

『……空鳥さん?』
「亙君、彼に彼女と向き合わなきゃいけない理由を説明してあげてよ」
『え、あ、はい。ええと、久留間さん……でしたよね。彼女を、こちらから送り込んだ人員──それこそ、空鳥さんとか──に対処して頂くこと自体は可能です。でも……自分の手でケジメを付けなかったという事実は、一生座布田さんに付き纏います』
「……それは……」
『はい。他でもない、僕が通った道ですから。それが同じ顔の他人に過ぎないからこそ、他人ですら目を背けたという、負のハードルを己に課すことになるんです。それはいずれ、自分のすべての選択、すべての行動に、期待を持てなくします。漫然とした無気力に縛られたことはありますか?自分に期待を持てないと、深い絶望にも浸れないんです』

鳥飼の言葉に、悲哀は感じられない。しかし軽薄なわけでもなく、むしろ、より真っ直ぐと見据えてくるような、そんな言葉。

「鳥飼さんは──」
「ダメだよ、亙君。誰彼構わず優しくしたら」

鳥飼の言葉に耳を傾けようとした俺を、今度は空鳥が遮った。"楽な方に流れるな"と、そう言いたげに。

「亙君も気付いてるんでしょ?彼には、そんな事より致命的な問題がある」

彼女は片手で俺の目元を覆い、もう片方の手で俺の懐をまさぐる。その意図が掴めず、探る手を止めようとした手に、懐から取り出したソレを握らされた。そのままグイと手首を掴まれ、目元を隠していた手が外されて──

「お前、人を撃てねぇんだろ?」

久留間の顔、久留間の声をしたソレが、俺の手に握らせたコロシの銃を、己の胸に押し当てていた。

「……離せ」
「そのツラを見て確信した。お前が見たのはこんな光景か?それともこうか?こんなのもあるかもな?」

彼女の右目があった場所が窪み、そこから血がとめどなく流れ落ちる。瞬きをする間に、今度は彼女の喉にぽっかりと穴が開き、向こう側が覗ける。

「やめろ」
「いいや、止めねぇよ。これはお前の弱さだ。私が居なくなったって、お前の中にこれは残り続ける」
「違う」
「何が違う?お前はそうやってうわごとを並べてたら私に勝てるのか?」
「うるさいっ!」

引鉄を引いたのは衝動ですらなく、ほんの手元が力んだだけに過ぎなかった。掛けたつもりのない人指し指が、確かに握り込まれていた。

「なぁんだ……撃てるじゃない」
「え……あ……」

狐につままれたように立ち竦んでいた俺の耳に、空鳥の声が届く。そこに彼女の幻影は無く、俺の手に握られているのは──或いは空鳥に撃ち込まれたのは──これまで散々使ってきた麻酔銃だった。

「大丈夫。さっき会った彼女も、私も、本質的には変わらない。君の知る人とは、顔が同じだけの別人。ちょっと向こうの方が、演技が上手いだけ。君は向き合えるよ、自信を持って……」

そのまま、彼女はどさりと倒れる。胸元ど真ん中に麻酔を打たれたのだ、むしろここまで耐えていた方が異常だ。

『……座布田さん、聞いてくれますか』
「はい……聞いてますよ」

畳みかけるような一幕に、後れを取っていた理性がようやく追いつき始める。この一部始終を静観していた鳥飼が、満を持して言葉を続けた。

『まずは、ごめんなさい。空鳥さんが、何かしらの"荒療治"をするだろうなとは読んでいたのですが……想像以上に、踏み荒らすようなやり方で。僕の方で制止できず、申し訳ないです』
「まあ……その、文句がない訳じゃないんですけど……ただ徒に、俺を刺激しに来てた訳じゃないのは分かったので。一先ずは、それでいいです」
『ありがとうございます、助かります。それで……ここからは、在り来たりな話にはなってしまうんですが。久留間さんのことや、銃を撃てないこと。それを今すぐに全て解決することは不可能です。当然ですよ、今すぐ解決できるなら、これまで引きずっては居ないはずです。でも……この作戦が、座布田さんの中で、落としどころを見つける為の第一歩に、足掛かりになれたなら、この上ないと思うんです』

確かに、在り来たりな言葉だ。これまでを受け入れ、これからを見据えるための原動力になるような言葉ではない。だが……

「鳥飼さんは──もう、乗り越えたんですか」
『はい。僕はもう、僕のための時間は十分に貰いましたから。だから今は、人の為にこの力を、言葉を、経験を使いたいんです。……力にならせてください、座布田さん』

……空鳥にされたことは、正直言って差し引きマイナスだ。発破を掛けたかったのだろうが、それ以上に、俺と彼女の間に"相容れない壁"を作った。彼女は信用ならない。だが──鳥飼は、あの楽しそうに苦笑する笑顔は、信頼してもいいと思えた。こんな風に強くなれるなら、多少はおかしい奴らに振り回されてやってもいいと、そう思えた。

「……あ」
『えっと、どうしかましたか?』
「いや……ようやく、納得がいって」

昨日のカフェでの、黒山の言葉。お互いの事をどこまでも理解している訳じゃないという、彼らの関係値。それでQ9ALTが成り立っているのは、彼らが皆、それぞれを"自分の力で立てると信じている"からなのかもしれない。それぞれが抱えた膿を取り除けていなくとも──それを探るまでもなく──痛みを覚えた体でも、真っ直ぐと立ち上がれると、そう信じているのかもしれない。ならば……俺も、それに倣うことにした。

『納得……?』
「鳥飼さん」
『は、はいっ!』
「俺は別に、俺の中の問題を、鳥飼さん達に解決してもらうつもりはありません。でも……俺はアルバイターです。大仰な仕事は出来ませんが、振られた仕事ぐらいは熟してみせます。相手があの人の顔をしていようと、それは変わりないと、今そう決めました」
『!』
「俺があの護衛をどうにかします、指示をください。戦いようはあるんですよね?」
『……ありがとうございます!』

ふと気になって、麻酔銃の弾倉を検める。ちょうど、弾は撃ち尽くしていた。

6. Quest 2 Go Beyond

『なるほど、物体の運動エネルギーの操作ですか……物理法則を操っているとなると、消耗は相当のはずですが』
「実際、向こうの世界で俺が出会った久留間さんは、能力の制御に必要な指を失っていたせいで、相当の無茶を働いていたみたいです」
『しかし、今回はそれが制御下にある、と……』
「そうなりますね」

冷静に考えれば考えるだけ、俺の私情など抜きにしても難敵すぎる。敵にするとここまで厄介だったとは。

『ふむ……能力を連発させて消耗を狙う方法を考えましたが、非制御下でも最低限戦えているのを鑑みると、向こうが消耗するまで座布田さんが持たなさそうですね』
「無茶言わないでください」
『となれば……能力を無視して無力化できる方法を考える必要があります』
「でも、空鳥さんの奇襲ですらそのまま躱されてしまいましたけど」

俺の知る久留間さんは、狙撃手による奇襲に対応できなかった。しかしこの世界の彼女は別だ。完全に視界の外だった銃撃を、視線を向ける事すらなく弾道を逸らしてみせた。

『なら……より根本的な解決を目指しましょう』
「根本的?」
『はい。今持ってる装備を全て、出して並べて貰ってもいいですか?アレがあるなら……もしかしたら』

[2022/07/20 エラリー自治区, A-2街区]

「おっ、かくれんぼは終わりか?」
「あまり、時間は掛けられないので」
「ふぅん、何だか知らんがハラ決めたって顔だな」

道を覆うようにして突き出した民家、その雨樋。そこに足を掛けた彼女が逆さに俺を見降ろしていた。隠密にこちらを付け狙う気配が無いのは、ハナから探し出す事を諦めていたのか、或いはそういう指示があったのか。後者なら既に新しい監視の目が流れ込んできている可能性もある。できれば考えたくないものだ。

『その兵器は使い捨てですから、確実に当てられる瞬間に使ってください!』
「わかってます……サポート、お願いします」

技術番号: ART-4007-JP
 
個体数: 随時生産
 
保管場所: 隔離サイト-81Q9
 
使用手引: ART-4007-JPは特殊兵器取扱規則に則り運用されます。また、ART-4007-JPは必要数に応じて随時生産されます。常備個体数は12本で、保存期間2年を超過した個体は特別廃棄管理物として処理されます。
 
説明: ART-4007-JPは単発使用型熱光線照射装置"インスタント・トーチⅡ"です。ART-4007-JPは2022年2月に"インスタント・トーチ"(以下、無印)の小型版として開発され、2022年4月より試験的な実戦投入が開始されました。全長15cm、直径3.5cmと、無印と比較して体積比で約70%の小型化に成功した反面、照射領域は約38.5cm2と、無印の25%ほどに縮小しており、継続照射時間の面でも大きく劣ります。
 
無印の運用上の課題であった筐体の高熱化および融解は出力の抑制により解消されましたが、安全装置を解除せず発射を試みた場合に、類似した熱暴走が発生する現象が確認されています。そのため、依然として使用者は規定の耐熱グローブの装着が義務付けられています。

まあつまり、"物体の運動をぶつけるのではなく、熱エネルギーと光エネルギーの塊を直接ぶつけてやろう"という作戦だ。それ自体は確かに試す価値があるだろうが、問題は──

『繰り返しますが、非殺傷による無力化を"努力目標"とすることは許可します。ですが、座布田さん自身に危険が及ぶなら──』
「覚悟を決めろ、ですよね」
『……健闘を祈ります』
「おにごっこの次はにらめっこか?私がそんな気長に待つと……あぁ?」

ぼふん。忽ちに沸き上がった白煙が往来を包み込む。通行人が混乱の渦に呑まれ、我先にその場から逃げ出さんともみくちゃになる。怪我人くらいは出そうな騒ぎだが、この際構ってはいられない。

「チッ、めんどくせぇな」
「……」

彼女はその煙を煩うように、彼女の周囲の煙の流れを操作する。煙のない空気を巻き込み、自身の周囲から順に視界を確保した。

「あん?なんだ、この匂い──っ!」
『吸った吸った!バッチリだよ、ぜんっぜん気付いてなかった!』
「ありがとう、エステル。狙われる前に逃げなよ」
『はぁ~いっ!』

建物が軒並み、道に陰を差す形に出張っている兼ね合いで煙は低い空間に留まり、つまるところ煙のない空気はその上からしか取り込めない。だから──そっちの空気に細工をした。先の戦いで、ヘルメットに穴が開いてなくて本当によかった。小細工を成功させたエステルは、イタズラを働いた悪ガキのようにケラケラと笑い、蝙蝠の群れになって上空へ逃げて行った。全く自由な奴だ。

「ナメたことしやがって!」
「っと、そう来ますよね」

彼女は即座に視界を放棄し、白煙の中に着地する。既に壁際まで退避しておいたので、手当たり次第に通行人を掻き分けている彼女からは幾ばくか時間を稼げそうだ。彼女が受けているであろう指示が俺の捕縛か始末かは定かではないが、今のキレ散らかした彼女に捕まったら問答無用で挽き殺されそうに見える。

「確認なんですけど、吸入させたのって神経麻酔で間違いないんですよね?」
『そのはず……ですけど。元気ですね。投与量が足りなかったにしたって、もう少し大人しくなってくれそうなものですけど』
「勘弁してください……」

撒く薬品を間違えたのかと思うような猪突猛進で、次から次へと通行人を跳ね飛ばしていく。流石に死人が出るような立ち回りではないが、それにしたって人を傷つける事に躊躇いがなさすぎる。そんな混乱のさなか、肝心の俺はもはや路上におらず。通りに面した建物に入り、四つ足で窓から身を隠しつつ階段を登っていた。後は彼女が隙を見せたところをトーチで撃ち抜くのが俺の仕事だ。

殺さずに、彼女の武力を解除する。一射のうちに両手を撃ち抜けと、そう言われているに等しい。冷静になってみると、そんなことは本当に可能なのか甚だ疑問だが──そうする他ないという自負が、その疑問を黙らせている。

煙の中から聞こえる破壊音を注意深く観察しながら、右手に嵌めた耐熱グローブを締め直す。落ち着いて、機を窺うだけ──

「あぁクソ、めんどくせぇ事しやがって……!」
『……座布田さん!まずい!』
「鳥飼さん?」
『彼女、麻酔のせいで手元が定まっていない!』

鳥飼の警告が聞こえた、その直後。俺の体が──いや、彼女の周囲の空間の、固定されてなかったもの全てが地球の引力に逆らって浮かび上がった。同時に絶叫も宙に舞う。

「げほっ、て、天井があって良かった……」
『座布田さん!来るっ!』
「そこだな?」
「あ──」

もはや、防御姿勢どころか、着地すら許されぬまま──俺は天井に押さえつけられながら、逆さまの彼女に跨られていた。全速力で着地──いや、着天井とでも言うべきか──した彼女の運動エネルギーを、スーツで賄いきれずに俺の背骨が悲鳴を上げる。

「久りゅっ──」
「このっ、手間かけさせやがってっ」

明らかに戦略的でない、憂さ晴らしの右拳が俺の左頬を打ち抜く。かねてから短気だとは思っていたが、こうして激情を向けられるとそれが特別に際立つ。

「ああくそ、頭がガンガンいいやがる。うぜぇ真似しやがって……おまけにお偉いさんはお前を生かして連れてこいだとよ。気に喰わねぇなっ、ああ!?」

右肩、鼻っ柱、こめかみ。乱雑に、立て続けに繰り出された拳は容赦こそないが、しかし精彩を欠くものだった。ギラギラと血走る眼差しは、記憶の中のどの彼女とも違った。

「久留間、さん」
「んだよ!」
「虎乃さんは、どうしたんですか。スィノさんも……」
「あ?誰だ?知らねぇよそんな奴ら」

俺を騙そうとしているようには見えないし、そもそも騙すような冷静さがあるようにも見えなかった。

……何と言うか、心底安心した。

「……ああ、よかった」
「なんだよ、気持ち悪い事言いやがっ──おっと、そうはさせねぇよ」

俺が左手でトーチを握り締め、彼女に突き出す。彼女は俺がそれを使う隙を与えない。まもなくトーチは俺の手を離れ、彼女に奪い取られた。

「これがお前の切札か?ペンライトにしか見えねぇが……まあ、没収だ」

彼女は取り上げたそれを一瞥し、躊躇いなく鉛筆みたいにへし折った。俺がわざわざ、左手でそれを握っていた理由にも気付かずに。2

忽ち、彼女の手中が紅く煌めく。

「あなたは、やっぱり久留間さんじゃないです」

少なくとも、俺の過去はそこになかった。

7. さよならアルバイト

「いてっ」
「ぐぁっ」

急に重力の存在を思い出した体が、間も無く床に叩きつけられる。今度は彼女を下敷きにする番だった。窓の外がどうなっているかは……できれば確認したくない。それより先に確認するべきは──

「あー……くそ。動きやしねぇ」

彼女の両手は、融解した耐熱合金が癒着して黒く焦げ付いていた。もはや手指としての機能を失っているように見える。そして彼女は能力で強引に体を動かしていたようで、それを失った今、麻酔で鈍った体を動かすすべを失っていた。

『もう!あんなことになるなら言ってよザブタ!あと少遅れてたらトマト投げ祭になってたよ!』
「え……むしろ間に合ったんですか、救助」
『ココが違うの、ココが』
「どこを指しているのか知りませんが……ええと、鳥飼さん?」
『鳥飼です!標的の無力化成功を確認しました、お疲れ様です!その人も一応回収するんで、目を離さないでいてくださいね』
「えーと……それで、この後はどう動きますか?本題のターゲットを追わなきゃいけない訳ですけど」
『ああ、それなんですけど──』

[2022/07/20 エラリー自治区, A-3街区, 喫茶"コーキ"]

コーヒーゼリーは残骸が僅かに残るばかりで、白濁した混合物は手付かずのまま汗をかいている。五十路の男には、淡々と壁掛け時計を睨みつける他に為す事が無かった。

「……遅いな」
「"目"が何人か無力化されたようですが。本当に動かなくて宜しいのですか?」
「構わん。所詮は単騎、しかも不殺の甘ちゃんときた。儂の下へ辿り着いたとて、奴には何もできんよ。"目"どもは事が済んだら介抱してやれ」
「それは否定しませ──」

マスターがそれに相槌を打たんとした時、彼の言葉は──落ちてきた天井に遮られた。

「ぐぁっ……何が、何が起きた!?」
「まあ、貴方の敗因は──心が読めれば、全てを掌握できると思い込んでたところでしょうね」

軽薄そうな男の声が、落下した天井越しに2人を踏みつける。下敷きにされた五十路の男は、奇跡的に──あるいは恣意的に──無事だった上半身を起こさんとしながら、空から──認識可能な範囲の外から──降ってきた男の顔を拝まんとする。

「誰だ、貴様……」
「どーも、工作兵の黒山って言います。ま、心が読めるならこんな自己紹介は要りませんよね?」

黒山は相棒打刀を床に突き立て、ターゲットの男に手早く手錠をかける。男がどんなに睨みを効かせようと、心が読めるだけの老体に出来る事など何もなかった。

「有り得ん……こんな、こんなバカげたこと……」
「スーツの趣味は良いですけど、うわごとは三流ですね。心なんて読めなくても戦況は掌握できるんですよ?むしろ、心が読めるせいで見えてないものの方が多そうだ」
「……ふん、言ってろ」
「あ、もしかして処刑人が来るのを期待してます?ならますます滑稽ですね、あんな奴らで僕の相手になると思ってるなんて」
「……」

五十路の老人は、あんぐりと開いた口を閉じられないまま、そっぽを向いて連絡を取る黒山を眺めるしか出来なかった。

「え……じゃあ、"大々的に戦力を追加投入できるわけじゃない"っていうのも嘘だったんですか?」
『そうですね、重ね重ね申し訳ないです。この作戦自体、"座布田さん単騎の無謀な戦い"というブラフだったので。これはあくまでも、Q9ALTの作戦だったんです』
「……なるほど」

なんだかすっかり踊らされていたようだが、まあいい。作戦は上手くいったようだし、俺も……まあ、多少は実りがあった……筈だ。

「ったく、重てぇな……もう指一本動かせねぇんだから、さっさと退いてくれ」
「むしろまだ起きてたんですか、貴方。頑丈ですね」

少なくとも、俺の下で伸びているこの女には、何の感情も湧かなくなった。これはきっと、成長……いや、前進と呼んでいいものだろう。

「それで……結局、お前は誰なんだよ。私の事、知ったような口をききやがって」
「ああ、人違いでした」
「はぁ!?」
「なんで、まあ、もし。貴方が……うっかり俺と人違いするような、誰かと出会ったら。適当に、あしらってやってくれると嬉しいです。そいつは、俺じゃないんで。……俺はただの、短期バイトです」

[2022/07/21 サイト-Q9ALT, ゲート・エントランス]

「ザブタ、もう帰っちゃうの?」
「次の仕事がありますから、予定通りに帰らなきゃいけないんですよ」
「むぅー……」
「珍しい、エステルがこんな懐くなんて」
「あー!タチバナまた子ども扱いした!」

作戦が終わるが早いかQ9ALTに戻ってきた俺は、翌朝には荷物を纏める羽目になっていた。契約書を読み返すと、確かに"雇用期間: 作戦完了まで"と記されている。俺に全くたまたま偶然スケジュールに余裕がある事などあり得ないのだ。

元の世界へと戻るゲートまで見送りに来たのは、エステルと付き添いの橘、それから俺の知らないところで美味しい所を全部持って行ったらしい黒山の3人だった。わざわざ大勢で見送られるのもこそばゆいので、あえて殆どのメンバーには挨拶をせずにここへ来た結果、嗅ぎつけた3人である。

「でも実際、凄いバイタリティですね。一日くらいサボって帰ってもいいでしょうに。僕ならそうしますよ」
「そういう訳にもいきませんし……そろそろ、松屋の味が恋しいので」
「なるほど、なら仕方ないですね」
「まぁ……鳥飼さんぐらいには、声を掛けて来ても良かったかもしれませんね。お世話になりましたから」
「鳥飼君にも何も言わなかったんですか?水臭いですね~……いや、その必要は無かったみたいですよ」

黒山の視線が、俺の後ろへ向けられる。バタバタと走る足音が聞こえてきた。振り返ると、やはりと言うべきか鳥飼がこちらへ走って来ていた。

「ああ、よかった、間に合った!」
「走らせてしまいましたか、すいません。昨日はありがとうございました」
「いえいえ!僕は通信機越しにしか役に立てませんから、あれくらいお安い御用です!」

よっぽど急いできたのか、彼は軽く袖で汗を拭い、息を整え……改めて、しゃんと背筋を伸ばす。

「また、何かあったら呼んでください。今度は騙しっこなしですよ」
「あはは……善処します。それにしても、ちゃんと面と向かって会えてよかったです」
「……はい?」
「作戦前は、情報統制のせいで会わせて貰えませんでしたからね。このまま直接会わずじまいになってしまうかと……」
「えっと、何を言って……」

俺が鳥飼の言葉の意味するところを理解できないまま、鳥飼に手を取られるままに握り交わす。

……拳銃タコのある、戦場を知っている手だ。

「……またね?座布田君」

俺の耳元で、揶揄うような声が囁いた。

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