蛇と焚書のカルテット: 第一頁 - 逃避と追撃
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廊下を覆い尽くす大量の血液の表面に、頬に大きく返り血を浴びた青年の顔が映っている。

濁った鏡面が原因なのかその表情はてんで投影されないままであり、当の本人も自分が今どんな顔をしているのかなんてさっぱり解っていないらしい。少なくとも血のプールと、一つの死体の向こう側で立ち尽くす少女が笑っていないことだけは確かだった。

先刻吹き飛ばされた照明の破片群がカーテンの隙間から差す月光に照らされ、ごく普通の一般住宅には似合わない、やたら幻想的な空間を構築している。しかしながら血生臭い異様な空気は一向に増すばかりであった。

壁の向こう側から響いてくる原付バイクのエンジン音が、掠れかけていた青年の意識を瞬時に回復させた。青年はその右目に深々と突き刺さったボールペンをゆっくり抜き取る。破裂した眼球の破片がベットリと付着したそれを足下に落としながら振り向き、闇の向こう側、玄関のドア付近に佇むもう一つの人影に語りかけた。

「『レンジより百歩蛇へ通達。状況終了、対象の死亡を確認。証拠画像を送信する。』……“理由の無い殺し”は金輪際封じる。そうだな?」

「……うん。」

「ここのVERITASヴェリタスは今のところ俺の術式で誤魔化せているが、目撃者を見逃す以上は今後の安全も絶対に保障されない。……すぐに逃げるぞ、ラムダ。止血を頼む。変装ミームは解いてくれ。」

自らを“レンジ”と名乗る、血塗れの宅配業者の制服に身を包んだ青年は、暗闇から返ってきたやたら子供っぽい声に一度軽く頷き、自分の後ろで立ち尽くしている少女へと──血肉が滴る市販品の大型ネイルハンマーを一振り、汚れを飛ばしたのち腰部のホルスターに収納しながら──静かに告げた。

「数分もしたら人が来る。後はお前の好きにしろ。」

レンジは出血の止む気配のない右目を抑えながら、暗闇の向こう側で自分を待つ相棒、ラムダの元へヨロヨロと歩み出した。彼が先程まで纏っていたはずの制服は、いつの間にかボロボロの、灰色のウィンドブレーカーへと変化しており、その至る所から弾傷由来の血液がポタポタと零れ落ちている。

横浜市の住宅街を煌々と照らす月明かりが、廊下の中央で幽霊のように直立する少女の顔の輪郭をゆっくりと象る中、ラムダは突如として呟く。

「──しおり?」

夜は相も変わらず更けていく。

「──二日前、GOCエージェント、焚書者2004号“双刃ダブルブレード”の討伐を担当、これを実行した後突如としてその消息を絶った“白狩り”レンジ、“液体障壁”ラムダ・シナフス、以上二名の行方は依然として完全に不明となっている。……帰還猶予時間もすべて経過したため、これを以て両名の“百歩蛇の手 逃亡者リスト”への追加条件は満たされた。登録への異議を問う。」

古びた石造りの──およそ教会の礼拝堂に酷似した構造の──出入り口や窓が一切存在しない大きな空間にて、『異議無し』の掛け声が短く重なり響き渡る。

自らを“百歩蛇の手”と名乗るこの異様な一団は、東京都足立区の廃ビル内にポータルを置くポケットディメンションの一区画にて、午前四時二十分という早朝から物議を交わしていた。声の主の容姿はおおよそ人の形を保っている者もいれば人そのものとしか形容できない姿の者もおり、逆に『人型』ですらない者も数名在席していたりと、実に多様である。

──各国の方面隊から盥回しに遠ざけられ極東の首都圏に流れ着いた、“蛇の手”屈指の問題児の吹き溜まり、過激派の骨頂と恐れられるこの組織の会議も、事の都合上今回は一段とザワついている。

壇上にて資料のページをめくり次の行程を確認している、さながら大企業の秘書のような風貌の、パンツスーツをカッチリと着込んだ女は小さく咳こみ、はっきりした、透き通るような声で20名あまりの構成員へと告げた。

「新たに登録された二名は百歩蛇の手罰則要項における『審判』の過程を通過していないため、本時刻を以て然るべき対処を決議する。意見のある者は挙手の後これを述べよ──」

「──追放一択なんじゃねーの?」

前席の背もたれに両足を乗せハイボール缶を握る──ミリタリーチックなのかパンクロックなのか些か判断しかねる衣服を纏った──体格の良い男が、二秒前の指示を無視しつつ口を開いた。その表情は地球に存在する全生物に喧嘩をふっかけているとしか思えないほどニヤケている。

「ヅェネラルの旦那も内心そう思ってんなら四の五の宣う前にさっさとアイツらを捨てちまうべきだと思ってるよ。いかなる狂犬であれど主人の手に懐かねえ犬はさっさと消すに限ると──」 

「──あの……」

尤もらしい意見を順を追って述べつつも終始ヘラヘラしている男のすぐ前の席から、弱々しく別の声が上った。

「……パヴェルさん、その、踵で僕の髪の毛踏んでます……地味に痛いんですが……」

「……何だァ龍三郎。俺様の踵に文句あんなら口出す前に不意打ちの一つもしたらどうだ?」

首をすくめて小さく「すみません……」と答えた学生服の少年はすごすごと手を挙げ、後ろから投げかけられた「学校の授業じゃねーんだぞガキ。」という軽い罵倒に背中を蹴られながらもはっきりと意見を主張した。

「……追放には反対します。あの人たちは百歩蛇……あるいは日本方面隊の最高戦力とすら評される、それも組織への忠誠心がしっかりと根付いていた二人組です。今回のロストも、おそらく何かしらの事情があるはずなんです──」

「お気持ち表明はキモいぜ龍三郎。希望的観測やら根拠の無い憶測やらをこういう場で語って良いのは小学生までだってことを自覚しとけー。」

「パヴェル、そこまでにしておくべきだよ。」

中央の通路を挟んだ向こう側の席に静かに座り込む、不明な文化圏の伝統装束に身を包んだ耽美な顔つきの青年が、酒に浸りながら会議そっちのけで龍三郎を虐めるパヴェルを宥めた。──舌打ちをしながらハイボールを啜るパヴェルを横目に、青年もまたしっかりと手順を踏んで意見を出す。

「同じく、少なくとも追放には反対する。そもそも今回の彼らの消失は明確な“逃亡”と判断するに相応しいものではないと思っているよ。任務完了報告の後の通信途絶を、“何らかのイレギュラーによるトラブル”すらすっ飛ばしていきなりそう判断するのは少々早計が過ぎるかな。 ……30名近くのGOCエージェントを撃破しているような人材は現実改変者以外に限定すると彼らくらいしかいないものだと認識している。彼らの損失が今後の百歩蛇の存続に大きく関わるはずだ。血の掟をねじ曲げてでも切り札は保護しておくべきだと思うよ。」

「30人殺そうと首領直々の命令を年間4回以上無視するような馬鹿二人をここに置いておけるかよ。組織の存続に関わる話ならこの組織における“掟”の遵守が如何に大切であるかも踏まえてから話しやがれ。なぁ龍三郎? お前からも何か言ってやれよ。」

「え、あ、」

「……ケッ、腰巾着が。自分の意見を出しきったとたんにすぐこれかよ。アレンのケツにくっついて回るのは勝手だがな──」

「パヴェル。龍三郎に強く当たりすぎだ。」

「やんのかテメェ。自分の腰巾着の管理くらいしっかりしとけ。キャンキャン吠えさせんな。それともガキの躾方を一から教えてやった方が良いのか?」

「右腕をしまうんだ。ディメンションごと僕を吹き飛ばすつもりか?」

会場は早くも動揺の渦に飲まれた。右腕の肘から先をさらけ出し、これをさながら小銃の如く左腕で支えメンチを切りながら立ち上がるパヴェルと、困った表情を顔に張り付けつつも足を肩幅に開きながら続けて立ち上がるアレン。二人の間に運悪くも着席していた構成員らは恐れおののき、はたまたこの奇怪な状況に呆れながら順次離脱を始めた。

加入当初から組織の最大脅威たるGOCエージェントを殺し続けた凄腕のヒットマン二人組が、揃いも揃って任務達成の後逃亡。誰がどう見ても不可解な事態であり、その不可解な事態への対処を巡りまた不可解な分裂が発生している。彼らへのしかるべき処罰を求める者と、その莫大な人的価値から規律を無視してでも組織に留めておくべきと唱える者、両者の間に段々と亀裂が走り始めていた。その両陣営の代表とも言えるパヴェルとアレンは相変わらず臨戦態勢を解く様子もなく、壇上にて司会進行を務めていた女もいつの間にか机に肘を付きながら呆れかえっている。

「──丁度良いな。サシで殴り合うのはコレが初めてか。」

「サシも何も君と殴り合った記憶は一つもないんだけどな。……吸気口を閉じて座ってくれないか? まさかとは思うけど最大出力でやるつもりなのかい?」

「付き合い長ェんだ、俺が力ずくじゃねえと言うこと聞けねえ男だってのはお前も知ってるはずなんだがなぁ。……さっさと御自慢の詠唱でも開始したらどうだ? こっちゃいつでも始められるぜ。」

「落ち着いてくれ。死人が出かねない。」

「喧嘩買われて興奮しない馬鹿がいるか?」

「買った覚えも毛頭無い。……本当に君の腕を吹き飛ばさないと事態の収拾がつかないのか──」

『──座れ。』

──いつになく険悪な雰囲気に染まった会議室の壇上から、突如としてその一言は放たれた。張り詰めていた空気は凍り付くような静寂に一変し、人影と秘書以外の全員が一斉に姿勢を正しながら着席する。

壇上より一つの人影が現れ、その浪々とした声を続けて放った。

「奴らの追放を検討しこれを第一に奨めているのは儂だ、アレン。異論はあるか?」

「我が意のままを申し上げてもよろしいのでしょうか。」

「先程の口上以外に何かあると申すか?」

「GOC、或いは財団……我々に仇為す各組織に彼らが捕縛された場合、こちらの情報が漏洩する可能性もあります。あの二人は組織の保護無しでは生存できません。それ故に……仮に彼らが健全であろうと既にどこかで拘束されていようとも、必ず、少なくとも一度は確実に彼らを回収する必要があります。せめて追放に関する決議はその後に。」

「ふむ、尤もな意見だな。だが追放は確定した。貴様らもある程度は知っておろう参加当時からの彼らの任務遂行記録、及び通常任務時の素行、思考データに基づく判断、並びに儂個人の意志による決定である。異論は認めん。」

アレンは少しばかり目を大きくしながら、この絶対的な処分決定宣言に絶句した。人影の声は更に続く。

「しかしながら情報漏洩の危険性というのが大いに存在しておるのもまた揺るがぬ事実、それ故ただの追放など愚の骨頂と言うもの。この場合別の手段を以て処分を執り行うほか無し。」

人影はその姿を少しずつ光の下に曝しながら、静止を維持していた秘書風の女へと告げた。

「シエスタ・シャンバラ。貴様にこの二名に対する処分の命を任ずる。手段は問わない、いかなる手を用いてでも一度奴らの動向を把握し、情報の漏洩を防げ。要項はこれ一つのみだ、後はすべて一任するぞ。……会議はこれにて終了とする。各自の職務へ戻れ。」

「御意。」

パンツスーツの女、シエスタは短く答えるや否や、最前列席にて沈黙を保ち続けていた自らの部下を四名ほど引き連れ、颯爽と部屋の奥の暗闇へと進む。他の人員も無表情のまま次々と同じエリアへと進み、煙のように消えていった。

「ケッ。まーたお得意の強行採決かよ。」

パヴェルもまた一言小さく吐き捨て、握り潰した空き缶を放り投げながら群衆の後へと続く。

残されたアレンは龍三郎の視線を背に浴びながら、半ば叫ぶような声で壇上の人影に問いかけた。

「……いささか理解しかねます。」

「可決された事案に文句を叫ぶよう育てた覚えはないぞ。」

「本案件に関しては余りにも横暴が過ぎると言うもの……何故あなたが彼らの追放、否、“抹消”に躍起になるのか、理由をお聞かせください、ヅェネラル。」

完全に壇上に姿を現した百歩蛇の手首領“将軍ヅェネラル”は、胸元にバラバラと張り付けた──元はGOCエージェントが所持していたのであろう──数10種類の勲章やネームタグを輝かせながら、異様な光を放つ隻眼でアレンを貫きつつゆっくりと語った。

「……お前なら既に知っているものだと思っていたが、とんだ誤解だったようだな。」

「どういう意味でしょうか。」

「ラムダが先月より百歩蛇の脱退を望んでいたという事実だ。本当に何も聞かされていないようだな。」

アレンは自分の耳を疑ったが、ヅェネラルは意にも介さず話を続ける。

「レナーデ・クローデル……お前の女の名だ。忘れているわけでは無かろう。あれとの接触を境にラムダの思考も少しずつ変容していったのだ。加入当初こそ“自身の確実な保護”という条件を飲み、冷徹に、非情のままに敵を屠る殺戮兵器であったものを、今やこの儂へ『必要な犠牲』、『無意味な殺し』、『殺戮の意義』などと、絵に描いたような戯れ言を抜かすようになった。蛇に似合わぬ“人間性”を獲た獣など最早牙ですらない。ただの“障壁”だ。」

無言のアレンを尻目に、ヅェネラルは更に続ける。

「もう一つの問題として“白狩り”レンジが大きすぎる。お前も幾度と無く肩を並べて戦ったのであれば知っているであろう。奴自身の協調性の無さを。忠誠心の圧倒的欠如を。常軌を逸した戦闘技能と、異常としか形容できない希薄な目的意識を。……そして、ラムダの意向のみを遵守し、奴ら二人の生存そのものを第一目標に据える信念を。」

「……」

「たとえ我々が不安因子たるラムダへその牙を剥こうとも、レンジは我々がかつての仲間であるという事実すら無視して攻撃して来るであろう。焚書者を幾度と無く屠ってきたあのネイルハンマーでな。……そもそもお前や儂が“仲間”と認識されていたのかは甚だ疑わしいが、兎にも角にも奴らは危険すぎる。その手腕が如何に稀少であろうとも、一騎打ちともなればこちらが瞬殺されるような、儂ですら扱えない駒を置いておくこと事態が問題だ。」

「……あの二人は百歩蛇の手による生活面での支援無しには生存できません。五行結社系列最下層の呪術師の家系から捨てられたVERITASシステムを無効化する術式しか持たない男と、視聴覚性ミームフィールド展開装置を持たない限り自らの容姿を人として周囲に認識させることのできない液体金属生命体……彼らのような“異常を持つ弱者”の保護こそ、我々蛇の手の大きな目標の一つではないのですか?」

「自惚れるな。少なくとも儂は“弱者”を求めていない。……元より、排斥されて当然の弱者共に善意に基づく救いの手を差し伸べる暇などこの組織にただの一つも無いという現状は、最古参の一人たるお前が一番よく知っているはずだ。」

こちらが口を開く度にそれを完膚無きまでに全否定してくるヅェネラルを、アレンは内心、少しだけ嫌いながら沈黙する。

ヅェネラルは少し声を落としながら、間を置いて続けた。

「“精霊主”アレン・ミナカタ、“駆動傀儡くどうくぐつ”パヴェル・バシレフスキー、“魔刃”シエスタ・シャンバラ……雛山とかいう奴もいたな。もはや百歩蛇の牙はレンジとラムダ・シナフスの二本一組だけではない。今例として出した者達で事足りるその時期が来たということだ。飼い主の声を聞かず、果ては無言で逃亡するような犬は最早必要無い。日を経るごとに扱いづらさを増すような出来の悪い飛車が墜ちようとも駒はいくらでもおる。」

「……」

「単刀直入に言うが、お前の女もその弱さ故に死んだのだ。あれ自身の弱さに罪はあった。それだけのことだった。奴らもまた、我々に順応できないという一つの弱さを抱えていたまでだ。弱者は必要ない。シエスタの任務に同行し、奴らを殺せ。できないようなら通常任務をこなせ。」

「雛山は僕……」という龍三郎の呟きをかき消すように、ヅェネラルは更に声を落としながらその言葉を放った。後方でオロオロと立ち往生する龍三郎には目もくれず、老兵はその姿を煙のように消す。

「──あの人は……私の恋人である前に、あなたのご息女ではありませんか。」

アレンはただ静かに、立ち尽くしながら俯いていた。

「──ごめん。最後の最後でこんなことに付き合わせちゃって。肉片での止血は成功してるっぽいからあまり傷口は弄らないでね。」

「問題ない。お前の行く先に俺も行き、必ず二人で生き残る。そういう約束だ。……それにしてもあの野郎、まさかサイン用のボールペンでこんな傷負わせてくるとはな。お前がいなけりゃあのまま失血死していた。」

横浜中華街の片隅、玄武門付近の細い路地裏にて座り込む男女二人組──レンジとラムダは、近場のコンビニで調達した牛すじおにぎりを貪りながら、一般人が大量に行き交う観光地であるという状況そのものを自らの盾としながら潜伏を続けていた。当然ながらすぐ横で蠢く雑踏の中に敵の気配はなく、その空気は至って平和である。

「──2004号……あるいは”双刀ダブルブレードか。お前の言うとおり、レナーデの仇討ちで殺しも一回打ち止めにするつもりだったんだが。まぁそう上手くはいかないと思うぞ。少なくとも“意味のある殺し”だけはずっと続く筈だ。」

「……何人殺してきたんだっけ、私たち。」

「無関係の人間も含めて46人。お前がやったのは17人。今更どう罪を償おうとも地獄行きは確定しているな。」

「あはは……八人越えた辺りから数えるの忘れちゃってたな……」

「そんなもんだろ。一々数えればそれだけ心も磨り減る。損しかしないのならそんな事するだけ無駄だ。」

レンジは、全身の包帯を服の上から擦りながらおにぎりの包装を丸め、空のビニール袋の中に放り込みながら話しを続けた。

「……満足したか?」

「うん。レナーデがこんな事を望んでいるのかは別としてね。」

「ふむ。」

「レンジは?」

「お前なら解ってるだろ。」

「……本当に私以外の人間に興味ないんだね。」

「ああ。」

「ああ、って……」

レンジは怪訝そうな顔でおにぎりを食するラムダの髪の毛をクシャクシャと撫でながら、右目の傷を指でなぞり、視界の不良に眉をひそめた。二日前焚書者2004号により潰された右の眼孔には、現在応急処置としてラムダの体を構成する未知の金属製物質、『肉片』が埋め込まれている。

「さっきも言ったとおりだ。理由のある殺し……少なくとも俺たち二人が生存するための殺しは今後もやるし、やらざるを得ない。現に何時シエスタあたりが殴り込んできてもおかしくないからな。」

「まぁヅェネラルなら確実にあの人を仕向けるだろうね。私たちが抜けた今じゃ殆ど組織内最強みたいなもんだし。」

「あとあのデカい男だな。」

「えと、パヴェル?」

「そう、そいつだ。アイツも恐らく来る。ずっと俺たちとの戦闘を望んでいたからな。」

「えっ、そうなの?」

「……俺がヅェネラルに説教されてるときも常に臨戦態勢を解かなかった。こちらへの殺意をわざとぶつけてくるような奴だ。必ずこの騒ぎに乗じて勝負を挑んでくるだろうな。……で、そんな奴らと殺し合う羽目にはなるが、覚悟はできてんのか?」

知らなかったのかと言わんばかりにレンジは振り向き、意外そうな顔をするラムダに質問をした。ラムダは一瞬無表情になるが、瞬時に答えを返す。

「──できれば殺したくない。」

「言うと思ったよ。」

レンジは呆れながらネイルハンマーを取り出し、鋭く磨かれた釘抜きをなぞり、呟く。

「お前の意志に俺は従う。お前の行く先に俺は行く。……それでも仮にお前の命が危険に曝されるのであれば、いかなる掟を破ろうとも俺は敵を殺す。誰であろうとも、この手で。」

不安げな表情で眺めてくるラムダそっちのけで、レンジはネイルハンマーに反射する自分の右目の包帯を眺め、更に強くグリップを握りしめた。自らとその相棒を長年保護し続けてくれた者達が今後宿敵となろうとも、彼にとってみれば何一つの問題も無く、更に言えば彼らに対する何かしらの、悲しみや寂しさといった感情すら、一切存在しなかった。彼の脳裏に焼き付いた信念はただ一つ。“二人の生存”のみである。

「──そういえば昨日から聞こうと思ってたんだが。あの女、“栞”って誰だ? 知り合いか?」

レンジはネイルハンマーを自作したホルスターに再収納し、しばらく間を置いてからラムダに問いかけた。ラムダは唐突な質問に戸惑い少しばかり沈黙するも、ゆっくりと答える。

「……同級生、だよ。例の潜入先の、GOCフロント企業の高校で仲良くなった人。」

レンジは予想外の答えに若干戸惑いながら、俯くラムダを眺め静止する。雲は一向に晴れないままである。

「俺様も行ってやるぜ、シエスタ。」

「……必要無い。」

午後四時過ぎ、相も変わらず人を馬鹿にしたような表情でヘラヘラと近づいてきたパヴェルに、シエスタは眉を顰めながら返した。シエスタの部下はまた午前中に生み出されたような険悪な雰囲気が構築されるのかと内心焦りながら事の行く末を見守っている。

「冷てえなぁ、俺じゃ力不足か?」

「この任務はヅェネラル直々に承った物だ。人の手は借りん。」

「“いかなる手段を用いてでも”というニュアンスの箇所もあったなぁ?」

「その“手段”に貴様の加勢という候補は無い。……正直に、『あの二人と本気で殺し合いたい』とでも答えたらどうだ? そっちの方が潔いぞ。」

二人以外の全員が息を飲む中、パヴェルは数秒の沈黙の後、先ほどのものとは全く別の──そのままの意味で『人を喰ってそうな』笑みでカラカラと返答した。

「ケッケッケッケ……バレてんなやっぱ。まぁその通りだ、会議じゃ尤もらしい御託を並べて追放処分を押し通すよう躍起になってたが正にその通り、ぶっちゃけると俺はずっと前から理屈抜きであいつらとガチの殺し合いがしたかったんだよ。理由は単純、あの二人が『ギリギリ俺様でも倒せそうな強さ』を持ってるからだ。手足千切れた雑魚の頭吹っ飛ばすよか、こういう奴らとの、一瞬たりとも気を抜けねえ命の駆け引きの方が各段に楽しいんだわ。俺の唯一の生き甲斐と言っても過言じゃねえ。」

「……」

「──こいつァ言うなれば生涯一度きりのチャンス……どうせお前も出会い頭にぶっ殺すつもりなんだろ? あいつらを。ラムダはともかく、レンジに関しちゃずっと前から毛嫌いしてたもんなぁ?」

目の下のクマを歪ませながら、パヴェルは無言に徹するシエスタへの言葉を続けた。

「──なら俺にも少しは遊ばせてくれよ。“白狩り”の名が伊達じゃねえことはお前だって知ってんだろ?現実改変や異能の類すら使わずお前の親友の仇を近接格闘でぶっ殺しちまうレベルの野郎相手に、お前一人の腕が通じるとでも思ってるわけじゃあるまいに。」

「……勝手にしろ。だが私は他の重要任務も同時に課せられている身だ。邪魔だけはするなよ。」

目を閉じながら背を向けるシエスタに、パヴェルは特徴的な高笑いと大きな拍手を浴びせながら追随した。別々の理由ではあるものの“殺害第一”という点に関しては完全に意見が一致したのか、いつの間にか二人は足並みをそろえて外部へ繋がるポータルを目指していた。

一行がそれぞれの武器を点検しながら進む最中、突如として、耳を貫通するような轟音が彼らの直下から響き渡った。

──その数瞬後に低い機械音、否、分隊支援火器の射撃音が轟く。仲間の声や応戦音は未だ確認できないが銃声の数だけは段々と増えていく。

まったく想定していなかった緊急事態が現在進行形で自らを、逃げ場の無いこのポケットディメンションを揺るがしているらしい。直後に掠れるような叫び声がスピーカーを介しアジト内に木霊する──

「敵襲! “目”より各位へ伝達! 白装束の焚書者四名、一階第四ポータル管理室より来襲、二名死亡! 繰り返す、白装束四名来襲、二名死亡! 図書館へのポータルは現時刻において使用不能となっているため脱出は非常に困難なものと想定される! 防衛の失敗は我々全員の死を意味する! 残存するすべての隊員はその総力を以てこれを叩け! 応戦せよ!」

事の重大さは想定を遙かに越えていた。よりにもよって永遠の宿敵たる世界オカルト連合極東部門が、国内最大にして最強と唄われた百歩蛇の手拠点を探し出し、早くも二匹の蛇を瞬殺しているらしい。襲撃者の数がたったの四人と言えど、構築から二十余年、一度たりとも敵を通すことの無かったポケットディメンションに突入するような連中ともなるとまったく以て油断ができない。下手をしたらこちらの全力を以てしても全員が殺される。

シエスタ自身、焚書者を20人以上殺しているとは言えども、彼らが白装束ホワイト・スーツを纏っているとなれば一対一の戦闘に持ち込まれた場合自分には勝ち目がないことを自覚していた。

グズグズと何かを考えている暇はない。それに、こちらも完全なる無策というわけではないのだ。状況は最悪だが、ここで拠点を制圧された場合自分の命の保証も無い。

それぞれの武器を手に指示を待つ四人の部下へ、短く指示を送り、腹を括った。

「迎え撃つ。追随しろ。」

煙が立ち込めている階段へ向かうや否や、シエスタは飛び降りるようにこれを移動した。各階に蔓延する煙は階段を降る毎に濃くなり、銃声と悲鳴もまたその厚みを増してゆく。途中までその後に続き移動していたパヴェルもまた

「面白ェ事になっては来たがお前に死なれたら多分俺様も助からん、東棟から詰めるから死ぬんじゃねえぜ。」

と背中を預け、途中から別のルートを目指す。

この先に待ち受けている地獄を知りながら、彼女はその身を混沌へと投げ出した。

「──おわッ!?」

「西村ァッ! 畜生、今助けに──」

「罠だ石巻! 戻れ、戻れ!」

「出てこいこの野郎ォッ! クソッ何も見えねえ──」

シエスタが現場に到着した時点で、既に五匹の蛇が戦死していた。廊下一面が仲間の血と体液に染まっており、どこもかしこも建物と肉の焼け焦げる臭いで充満している。一階全体に熱が籠もっているせいで、突入した瞬間から全員の滝汗が止まらない。この環境下でよくも敵はフルフェイスのヘルメットなんかを被れるものだと、暑さで少し鈍った頭の中でシェスタは考えた。敵の姿は一向に確認できないままである。

──直後、自分の真横で対戦車ライフルを構えていた部下の一人が、ゆっくりと崩れ落ちた。シエスタの意識は完全に体に引き戻され、彼女の体に回避行動をとらせる。身を屈めながら部下の頭部へ目をやると、さっきまでその形を保っていた顔面が、黒く、赤く、深く抉れていた。脳漿と大量の血液が床に零れる中、自分のすぐ後ろでもう一つの短い断末魔が花開く。生肉を床に落としたような音が響き、間髪入れずにもう二回同じ音が続いた。

シエスタは身を翻しながら近くの壁に飛び込み隠れ、声を荒らげ叫ぶ。

「……貴様らの目的は何だ! 」

当然答えるはずもないと解っていながら、彼女はそれを聞き出さずにはいられなかった。余りにも唐突すぎるのだ。仮に焚書者2004号の仇討ちであるにしても早すぎる。まだ奴が死んでから二日間しか経っていないのに。

そして、ここに到達した経緯も未だに解らない。専用の護符を所持し、なおかつ使用者の血液を用いた複数の奇跡論的儀式を通過した者でしか門を叩くことすら許されないセキュリティシステムをどんな方法で突破してきたのか、今はすべてが謎であった。眼前で繰り広げられる殺戮劇が現実のすべてである。

──数十メートル先の無機質な壁を破壊しながら、突然二人の白装束と二匹の蛇がなだれ込む。四つの人影は火花と衝撃波を散らしながら交わり、そして叫んでいた。

「──ふはは……畜生……何で……呪詛汚染済みのネイルガンも融解釘バットも通じねえのかよ…………クソが……何なんだよお前……何なんだよォォオオオオオオオオッッ!!!」

大型バッテリーと大出力コンプレッサーを背負い、右手に改造済みの釘打ち機ネイルガン、左手にどす黒い血の色に染まった木製バットの残骸を持つ、作業着と工員帽を纏った金髪の女が叫びながら突進する。

軌道上にて待ち受ける一人のGOCエージェントは、胸部のマガジンポーチから取り出した紙製の札を握り締め一言呟いた。

『──“さく”。』

直後、ネイルガン女の体は背中から勢いよく裂け、手榴弾とほぼ同等の爆発と共に四散する。壁面や天井に残骸が撒き散らされ、焼け焦げた灰色の通路が一瞬にしてゾンビ映画のワンシーンのような光景に早変わりした。燃え尽きた呪符を捨てながら、白装束は飄々とした声を放つ。

『……やっぱ音声入力式の術式起動は好きになれまへんわ。ラグがあるのか無いのかハッキリせん。それにしても……何や、割と呆気なく片付くもんですな。前にぶっ殺したトカゲ頭の兄ちゃんが強すぎただけかもしれんけど。』

呪符使いの白装束が余裕そうな素振りで二枚目の札を取り出す中、もう一人の中肉中背の白装束が、右手にボロボロの割り箸、左手に湯飲みの残骸を握る仮面の男に容赦なく弾丸を浴びせ、背後より高速回転しながらブーメランのように迫り来る一貫の握り寿司を片手で叩き落とした。呪符使いの白装束は感心するように口笛を吹きながらも少し制止し、自身のバイザーにそっと掌を当てる。

『──あー、どうです班長、VERITASによれば向こうの棟からえらいおもろい身体持っとるガタイのええ兄ちゃんが来とるっぽいんですけど、ボクが足止めときます?』

もう一人の白装束は無言で頷き、ライフルを構え短く弾幕を展開する。呪符使いの白装束は先程パヴェルが先行して向かっていたエリアへと身を翻し、颯爽と突入した。

『……ほんじゃ、モノのついでに何人か狩ってきますわ。死なんといてくださいよ班長殿。』

無言に徹する白装束はたった一人でこのエリアに潜む残存兵力を相手にするつもりらしい。

生かして返すわけにはいかない。上等だと言わんばかりにシエスタは左腕の腕輪に口を寄た。

「奴の魂を捧げる。期限は──」

──刹那の轟音、残りの声をかき消す様に、突如としてシエスタの背後の壁は崩れ落ちる。目を丸くして固まる彼女のすぐ隣から、彼女が常に信じ続ける、唯一にして絶対の男が、粉塵と熱を帯びながら現れた。胸一面に貼り付けられたら勲章群は相変わらず趣味の悪い輝きを放ち、銀色の、雄の獅子のような髪の毛は一段と逆立っている。

ヅェネラルはライフルを構える白装束を睨みつけ、不敵な笑みを浮かべながら声を放った。

「人の城で暴れるのがよほどお好きなようだな客人。ここまで派手に踊られるとは想定すらしていなかったぞ。……貴様らのような不作法者を招き入れた覚えは微塵も無い。即刻お帰り願おうか。」

「……ヅェネラル。」

「下がっていろシエスタ。こいつは儂が殺す。」

ヅェネラルは戦闘態勢に入るや否や、刃の反りが微塵もない特徴的な形状の、日本刀のような刀を、左の掌に張り付けた護符から出現させ右手に握り、敵が断続的に放つ弾丸をこれ一本ですべて逸らしながら悠々と進んだ。

白装束はヘルメットの中で目を見開いているであろう、中年期もそろそろ終盤であろう初老の男が、音速を越える小さな金属塊を一本の刀で、それも片手で弾いているのだ。まず怯えないはずがない。

──というのはあくまで“普通の人間”の間での話であり、彼らもまた自分たちとは違う意味で人間ではなかったらしい。正体不明の白装束は人類の叡智の結晶たる最新鋭のライフルを投げ捨て、直後に両腕の装甲から、不明な紋章が薄く彫り込まれた大型の、歪曲した黒いブレードを展開した。ヅェネラルはその目を見開き、そして呟く。

「……何故生きている、2004号。」

一瞬事態の把握に手間取ったシエスタも、その言葉の内容を理解するや否や大きく戦慄した。レンジとラムダの二人が殺したはずではなかったのか。二日前に送信された画像には、確かにあの忌々しい男の無様な死骸が写っていた筈なのに。

──しかし、目の前で異形の亡骸を踏みつけ、両腕から煌々と照り輝くブレードを展開しているホワイト・スーツの揺るがぬ立ち姿は、なにをどう否定しようとも、一年前に唯一の親友であるレナーデを、数々の戦友を屠った悪魔、焚書者2004号そのものであった。

『──2004号? ……ああ、俺のコードネームか。』

バイザーの裏側からスピーカーを介して響くその声に、ヅェネラルは脂汗を流しながら切っ先を合わせ、構える。動揺しているのはシエスタだけではなかった。焚書者2004号はゴキゴキと首の骨を鳴らしながらブレードを振り払い、そしてゆっくりと歩み出す。

『痛かったよ。何せフルスイングで振りかざされる鈍器にこめかみをブチ抜かれたんだからな。脳味噌も、致死量を遥かに越える量の血も垂らしながら死んだよ。……お前がヅェネラル・プレシオル・リノプタルだな。俺を殺した男は──』

台詞が終わる前にヅェネラルは駆け出し、弾丸を超える速度の袈裟斬りを跳びながら放った。衝撃波が床や天井に亀裂を生み、直後に真空へと空気が集束する、乾いた音が響き渡る。吹き飛んだ蛍光灯がスロー再生された水滴のように、光を反射しながら血のプールを照らしている。

──刀の軌道上に2004号はいなかった。そのさらに直前、飛び退きながら両手首に内蔵された障害物解体用高出力レーザー発射装置を展開していた焚書者2004号が、モーター音と共に緑色の細い光を二本放つ。空中で回転し、間一髪これを回避したヅェネラルの下に、2004号がクラウチングスタートのような加速を用いて飛び込んだ。甲高い金属音が複数回響きわたり、火花と粉煙と怒号、破砕音が連続して響き渡る。動く度にどこかの床や壁や柱が、ひび割れ、火花を散らし、粉砕されていく。

「──ヅェネラル!」

ここで自分が加勢しなければ首領が死ぬ、首領が死ねば残された全員が死ぬ。シエスタは脊髄反射で立ち上がり左手の指輪に口を寄せようとするが、どうにも体に力が入らない。それどころかとてつもない激痛が下腹部に響く。

先ほどのレーザー攻撃の一つが、知らぬ間に自分の左足を貫いていたらしい。負傷箇所の肉がスラックスごと溶けたあとに瞬時に固まったせいか、太もも全体が重度の火傷に似た、黒い傷跡を描いていた。

もはやこの状況下で彼女にできることは、撤退か傍観の二つに一つのみであった。ヅェネラルは眼帯を直しつつ立て続けに迫り来る攻撃を防ぎ続けているが、2004号の手首から時々放たれる高出力レーザーと、隙を突くように放たれる拳銃による連続至近距離発砲、そしてホワイト・スーツの内部に組み込まれた人工筋繊維が生み出す──大振りの、一発一発が鉄筋コンクリートを粉砕する威力を持つ──居合い切りに似た攻撃が、確実にヅェネラルを弱らせていた。

『──お前も呪符専門の呪術師と聞いていたが、まぁ随分と他愛のない腕だな。もう限界か。』

「…………舐めやがって、そろそろ首を切り飛ばしてやる。」

『今更宣言されても困るな。それより俺を殺した男というのはどこにいる?』

どうにも2004号は自分の仇の現状を知りたいらしい。攻撃の手を止める度にそれを聞こうとしているのが伺える。が、ヅェネラルには答える義理もなければ得もなかった。呼吸を整えた老兵は再度刀を構え、2004号もまた装填の完了した拳銃を左手で構えつつ右のブレードを展開、腰を引きながら次の攻撃の準備を整えた。

二人の間に静寂が走り、この場にいる全員の視界に存在する、すべての事象が停止する。

「──ぐぁ……ッッ!」

拳銃弾を叩き斬った音の直後、ヅェネラルは右肩を抑え膝を着く。さらにその直後、ヅェネラルの腕が胴体から離れ、どす黒い血液と共に床へと零れ落ちた。失血は止まらない。刀は肉塊に握られたままである。2004号の左手首から青い煙が立ち上り、プシューッという短い排気音が響いた。拳銃はこの奇襲のためのブラフだったらしい。

この戦闘を瞬きすら忘れて眺めていた残党数名の配置を既に検知していた2004号は、右手首のレーザーの一閃ですべて斬り伏せ、そしてヅェネラルに歩み寄った。運良く攻撃を免れたシェスタは、ただ呆然と目の前の地獄を角膜と脳裏に焼き付け続ける。実力のみで組織を指揮し、如何なる悪路をも意に介さず進み続けた、自らが信じる不動の暴君が、たった一人の“人間”を前に膝を着いている。

『──何回も聞かせるな。死ぬ前に答えろ。俺を殺した男はどこにいる?』

「……ッ!」

『答えろ。』

「…………あの二人は……既に……儂の──」

『一応確認のために聞いとくが、名前は“レンジ”と“ラムダ”で間違いな──』

今までの中でも一番大きな衝突音が突如として響く。ヅェネラルは振り上げたその左手に二本目の刀を握っていた。

いつの間にか床一面に展開されていた大量の護符群から、同タイプの無数の刀が音を立てずに出現し、バイザーに一撃を食らったばかりの2004号を囲む。すべての切っ先は一定の距離間隔を保ちながら、ゆっくりと2004号へと向き直り、そして静止した。

「力を溜める必要があったから右腕は諦めた。……90秒でケリを付ける。来い。」

ひび割れ、少しばかり中の様子が顕わになったバイザーの中から、鈍く、暗い光が差し、ヅェネラルを照らす。ヅェネラルの眼光もまた一層輝き、そして──

「──“夢幻刀”、八十八式ッ!」

『破砕光砲出力最大! バッテリー強度は無視しろ! ……VERITAS! 指定したアーティファクトのエーテル値を登録、すべて追え!』

二つの人影は残像を生みながら衝突、離脱を繰り返した。ぶつかる度に火花と衝撃波を放つ戦闘領域へ、浮遊する刀が魚のように突っ込み2004号を刺し貫こうと加速する。が、ホワイト・スーツの肩から放たれたスモークディスチャージャーにこれらの攻撃は一瞬にして妨害された。

それでも尚戦闘音は続く。衝突音の感覚は狭まり、煙の隙間から吹き飛んでくる刀の破片や血液、そして無数の勲章が、崩壊寸前のひび割れた廊下を更に劣化させた。最早煙の向こう側で何が起きているのかを知る者は、2004号とヅェネラルの二人以外存在しない。

──戦闘開始から54秒後、スモークが粗方晴れるタイミングで激戦の決着は決まった。左腕を二つのブレードで断たれたヅェネラルは、蛍光灯と炎の逆光を背に両腕を振りかざすホワイト・スーツを両目に焼き付けながら、その首を斬り飛ばされたのだ。

彼の死亡と同時に無数の刀が轟音を引き連れ床に散らばり、さながら戦国の世の戦場跡地のような異様な情景を作り上げた。もはや瓦礫の中で立ち尽くしている者は焚書者2004号の他にいない。

シエスタは呆然と、ただ呆然と、目の前の現実を見つめていた。血に染まったブレードが、濁った鏡面が、自分の顔を映している。

最早彼女が信じたすべては存在しなかった。ならば今為すべき事は一つ。信じた男の遺志をこの手で全うするのみである。気合い一つで無理やり立ち上がったシエスタは、このポータルの上層階に位置する、ヅェネラルの私物であった書庫へとゆっくり歩み始めた。何故か後方からの銃撃は一向に発生しない。

「儂の身に万が一の事態が発生した場合、これをお前に託す。」

二日前、レンジによる焚書者2004号殺害の報が入ったその直後。突如としてヅェネラルから授かった密命に、シエスタは困惑していた。ヅェネラルは続ける。

「困惑するのも無理はないが、奴の死も確定したため頃合いだと判断してな。……これは一種の、書物の形をなす“鍵”だ。詳細に関しては伏せておくがいずれお前にもすべてを話す時が来るであろう。万が一儂が倒れた場合は、第一優先でこれを回収しろ。唐突な依頼ではあるが頼んだぞ──」

──今は亡き首領の声を忘れまいと脳裏で何十回もその言葉を反芻しながら、シエスタは満身創痍ではあるもののヅェネラルの書庫へと到達する。見上げれば外観からはまったく想像も付かない量の数万冊のハードカバー本が、複数の、黒く、重厚で、ひたすら巨大な本棚に、きれいに収納されていた。

シエスタは部屋の中央に位置する机に収まっていた探し物を、丁寧に懐に仕舞い込み、そして短く、一人の男の死を噛み締める。たった数分前までそこにあったモノが、突如として訪れた脅威に踏みにじられ、消えた。この現実だけが、ずっと自分の中で反響している。同じ人間に二回も奪われた事実が自分の心を壊し続けていた。

──絶望に打ちひしがれゆっくりと元来た道へと引き返そうとするが、既にこの書庫の入り口にも硝煙が差し掛かっていた。敵は最早すぐ側にいる。この状態での逃亡は自殺に等しいが、この場に留まり続けることも死を意味する。

それでも、まだ策は尽きていない。どれだけ大きな絶望に心を削られようとも、シエスタは死なない。死ぬわけにはいかない。一つの遺志が、空っぽの、死にかけの彼女を動かした。

シエスタは光を失った瞳のまま、今にも消えそうな声で腕輪に呟く。

「…………半年以内に一人、適当な人間を捧げる。力を。」

刹那、全身を一塊の黒い霧が覆うや否や、シエスタは羽の生えた、全長20メートルを優に越える大蛇へと変貌する。黄金の大蛇は炎上し続ける各階層を破壊しながら、大量の本を撒き散らしながら最下層へと到達し、手薄となっていた基底現実転移用ポータルへとその身を投げ出した。

脱出とほぼ同時に彼女の変身は解け、同時にその意識も掠れ始めた。遠くから響くエンジン音への不安と共に、シエスタはゆっくりと、その目を閉じる。

「──これから恋昏崎あたりにでも逃げようかな。あとは遠野妖怪保護区とか……どう?」

「……どんな場所なんだ?」

「えー……図書館やヅェネラル管轄の資料に滅茶苦茶載ってたじゃん。本当に文字を読まないんだから……」

中華街の一角にて昼飯代わりの胡麻団子を食するレンジに、ラムダは呆れながら追随する。片目のみの視界にもようやく慣れてきたようで、レンジ自身もかなりスムーズに体を動かせるようにはなっていた。胡麻の一粒一粒を袋の中から拾いながら、レンジは答える。

「逃亡先が見つかるまでは横浜に潜伏するしかないだろ。何にせよGOCか百歩蛇がこの街を包囲しているとなると迂闊に動けない。あとは……図書館だな。どの派閥にも属さず図書館内で寝泊まりしている蛇もそれなりにいるらしい。誰にも見つからないような未探索エリアを探し出すのなら時間もかからんだろ。安全な逃亡先の文献も拾える。」

「……決断はまったくしないのに頭だけは私より働くんだよなぁ。」

「失礼な物言いだな。どうする?」

「そのプランを使う。まずは今日の宿と服を探そう、レンジ。昨日の変装でだいぶ使っちゃったから、ミームフィールド展開装置も充電しなきゃいけないしね。旅は始まったばかりだ。」

「……了解した。行こう、ラムダ。」

二つの人影は、足取りを早めながら曇り空の下を進む。

彼らは未だ自分の運命を片鱗も知らぬままであった。

──これは復讐の物語である──

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