蛇と焚書のカルテット: 第四頁 - 撃墜と連鎖

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最後にヘリに乗り込んだときの部下たちの顔を、覚えている。
ヘリコプターを叩き壊した翼ある金の蛇の姿を、覚えている。
霧のように広がり降り注いだ血の温かい匂いを、覚えている。
墜とされたヘリから蛇のように煙が昇る光景を、覚えている。
生きたまま双翼を捥がれるような激しい痛みを、覚えている。

死ぬまで忘れることはないだろう。全てが魂に灼きつき、絡み付いている。その熱さに追い立てられるようにして、彼は空を駆けていた。


神奈川県横浜市鶴見区、大黒埠頭。夜明け前の昏い空を、一機の マークⅢ超重交戦殻オレンジ・スーツが旋回していた。戦闘機さながらの翼を背負って地上を睨む姿は、既に壊滅した6331排撃班が名に冠していた大鷹によく似ていた。

オレンジ・スーツに搭乗しているのはかつて6331排撃班"オオタカ"の班長であった男である。今となっては無意味な肩書きだ。配下であった仲間たちは、翼ある蛇によって墜とされ、殺された。生き残ったのは彼一人。飛ぶ前の前哨戦で負傷して、地上から指揮を執る羽目になっていたのだ。

「ご安心を。班長抜きでも我々はうまくやれると立証して見せましょう」

自分を地上に置いて飛び立とうとする副班長の言葉に、自分は「わかった、信じている」とだけ返した。頭が傍らにいなくとも班は動くのだと、信じたかった。そのことに悔いはない。彼らは自分抜きでもベストを尽くしていた。自分があのヘリに乗っていたところで死体が一つ増えただけだろう。だからこそ悔しかったし、部下がやり遂げられなかったことを自分がやらなければならないと思っていた。

行き場のない怒りと悲嘆を抱え、彼はぐるぐると島の上空を廻り続ける。彼は敵を探しながら、敵に見つけられることを待っていた。民間人相手の、最低限の偽装工作は施しているが、蛇の手には通じないだろう。奴らは頭上を這い回る影に気づくに違いない。

逃げるにしても、一度は地上に出て来なければならない。籠城を選べば、同行している評価班が潜伏先ごとあぶり出す。彼が空に陣取っている以上、戦闘は必定であった。

もちろん、そうなれば敵は全力でこちらを墜としにかかるだろう。百も承知の上で、彼はそれを志願していた。そして単騎出撃の願いはあまりにも簡単に受け入れられた。未知なる敵地に送ることが出来る、事実上の捨て駒が欲しかったのではないか、と彼は思っている。配下をまとめて失った人間はさぞ都合が良かったことだろう。その扱いに不満はなかった。唐突に班長の役を担わされた旧友にそんな事はさせたくない。

飛び続けるうちに、オレンジ・スーツに備えられたカメラが一つの人影を捉えた。パンツスーツの女が、物流センターの屋上に立ってこちらを睨み上げている。地上で目に焼き付けたのと変わらない姿だ。そう来なくては。湧き上がる激情をどうにか抑え込み、その隣のビルへと降り立つ。彼が翼を畳むのと同時に、凛としたよく通る声で女は告げた。

「ここまで来てもらってなんだが、我等が拠点は広大なれどその門は狭い。その身体を細かく分けてからお入り願おうか、巨人殿」
「人の皮を被ったバカデカい蛇が笑わせる。細切れになるのはお前だ、紛い物」

静寂が訪れ、二人の間を一陣の風が吹き抜けた。目の前の女は黙って金の腕輪に唇を寄せる。彼はその様を睨みながら安全装置を解除した。システムはオールグリーン、すぐ撃てる。あの黄金の翼ある蛇を仕留める瞬間を、右腕が待ち侘びている。

「下がってろ。夜明け前に焼き尽くす!」

評価班への宣言を上書きするように、女は腕輪に告げる。

「五分以内に奴の魂を捧げる!力を!」

黒い霧が巻き起こり、その内側から赤い虹彩が光った。五分とは侮られたものだ。彼は即座にその瞳に向かって最大火力の砲撃を撃ち込む。黄金の鱗がいくつか飛び散った。間髪入れず、牙を剥きだした蛇がこちらに飛びかかってくる。動きは鈍っていない。

当たり前だ、今の一撃で沈むような奴に自分の部下がやられる筈がない。驚くことなく、彼は蛇のあぎとを掴んだ。牙を突き立てられるのに構わず左腕を開いた口に捻じ込み、内側から撃つ。

轟音と呻き声。こちらの攻撃は確実にこの女に届いている。次の一手に移りながら、彼はこのまま火力で押し切ることを決意した。

しかし、押し切られることを敵が許容するはずもなく。

二発目を撃ち込もうとした瞬間、蛇の尾がぶうんと唸った。咄嗟に腕を引き抜いて後ろに跳ぶ。目の前を金色の尾が掠めた。サーモグラフィーは高温を示していないが、尾が掠めたスーツの表面は炙られ焦がされたようにうっすらと黒みを帯びていた。どうなってるんだよこの化け物、という呟きが零れ落ちる。届くはずのない呟きを受けたように、蛇は翼を広げた。呼応するように、オレンジスーツは大きく踏み込み格闘を再開する。


水平線はまだ暗く、夜明けにはまだ遠い時刻。

二つの怪物の激突を、沈みゆく月が照らしている。

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丸く肥えた月が眼下に沈んでいく。その様を男は窓からちらりと見やり、すぐさま手元に視線を戻した。蛍光灯の光の下には、作りかけの呪符たちが広がっている。

世界オカルト連合、兵員宿舎。自衛隊の駐屯地に偽装された建造物の一角は排撃班のメンバーたちに割り振られている。

ヤシオリのルルは一人、黙々と消費した呪符の補充に勤しんでいた。天地部門が組み上げた量産品や一点オーダー物も有難く使ってはいるが、やはり自分の手で作り上げたものは手に馴染むし、安心できる。それに、彼はこうして一人静寂の中で作業に打ち込む時間が気に入っていた。

一枚一枚、丁寧に磨った朱墨と愛用の筆で呪符を書き上げてゆく。黙々と筆を滑らせ、最後の一枚にとりかかろうとしたところで彼は手を止めて言った。

「そんな所で突っ立ってるくらいなら入ったらどうです? ろくにお茶も出せませんけど」

筆を置いて振り返る。数秒もしないうちにドアノブがゆっくりと下がり、開いた扉の隙間からマガタが顔を覗かせた。静かで速い足音だったから何となくナギかと思っていたが違ったらしい。キョウという班員は人の足音が聞き分けられると聞いて試してみたが、流石にそう簡単にはいかないか。

「なんや、君か」
「入ってこいって言ったのはお前だろ。邪魔したんなら悪かったな、単に光が漏れてたから何してるのか気になっただけだ」
「ああ、なるほどね。いやいや、邪魔ってことはありませんよ」
「水を飲みに起きたついでだったんでな。すぐ戻る」

机の反対側に置いてあった椅子を示せば、マガタはそう言いながらもどかりと座った。そうして、飲みかけのペットボトルを片手にしげしげとこちらの手元を見つめている。そんなに見つめられてもあと一枚しかないのだが。

「こういうのは珍しいんでしたっけ? 元は物理集団やったと聞きますし」
「ああ。リーダーがな、今のナギみたいな斬り込み隊長。あいつは元々その背後のサポート。オレたちはそう変わらん」
「ボクはリーダーの背後の役を継いだって訳ですよね」

ああ、と答えてからマガタはしばらく口ごもった。最後の呪符を書き上げて促すように視線を向けると、睨み返すようにまっすぐにこちらの目を見据える。最初に会った時も思ったが、どうもこの男には人の目を正面から見る事に一切の躊躇いがない。

「うちのリーダーは案外繊細なんでな。戦場じゃあよろしく頼む」
「君の心配はしなくてええんです?」
「それはキョウがするからいい」

臆面もなく彼は言い切った。まあ、キョウが何かと班員らのことを気にかけているのは新入りの自分も気づいているが。呆れ混じりにルルは問いかける。

「もしかしてそれ言いに来たんですか?」
「いや、今思い出した。ここに来たのは単に何してんのか気になっただけだ」

一切目を逸らす気配がないあたり、嘘ではないらしい。先に目を逸らしたのはルルの方だった。

「さいですか。ま、君に比べれば誰かて繊細やろしな」
「どういう意味だテメェ……」
「そのまんまの意味ですよ。まあ、残りを仕留めたら落ち着けるんとちゃいますか、みんな」

あの後、複数の排撃班の攻撃を掻い潜ってあの拠点から逃げ出したヅェネラル隊の残党は4名。アジトから回収された名簿と死体の照合により、彼らの名は全て判明してある。そして、その中に彼らのリーダーを殺めた下手人である”レンジとラムダ”の名がない事も。彼らの名は名簿から既に消され、代わりに「逃亡者リスト」の最後尾に記されていた。攻めいった拠点に直接の仇はいなかったという訳だ。

「そうだな。あと6人。根絶やしにすれば、それでカタが付く」
「6人根絶やし、ねえ。一緒に行動してると思います?」
「ないだろうな。だが、実行犯とその仲間だ。逃がす手はねえよ」

あまりにも簡単に、マガタは断言した。その様があまりにもまっすぐだったから、ルルは「道理やな」とだけ返して書きあがった呪符をまとめにかかった。

新リーダーが全員を仕留めないという選択を選んだらどうするのか、とは問えなかった。あの時、一瞬とはいえ確かにナギは学生服の子供を仕留めるのを躊躇っていた。その子供は今も残党の中にいる。実行犯は既に逃亡し、それを命じた指揮官は既に死しているのだ。実行犯を仕留めたあたりが落としどころ、ということになる可能性はあるだろう。リーダーが選ばずとも上がそう命ずるかもしれない、とルルは思っている。世界オカルト連合が対峙するべき超常存在はいくらでもある。残党は別の班の担当になる可能性だってあるのだ。

まあ、自分が心配してもしかたのないことだ。思考を打ち切って呪符をまとめ、片付けにかかるとマガタが意外そうに言った。

「なんだ、もう終わりか」
「完成って訳やないんですけどね。今晩の行程はこれでおしまい。次の行程は昼やないと出来んのです。興味があるんやったら見においで」
「オレのことガキかなんかだと思ってない?」
「どうやろな。ま、もう戻ったらどうです? 夜型じゃないでしょ君」

いかにも”オレは釈然としていません”という顔をしながらもマガタは「そうだな」と立ち上がった。

「あんたもとっとと寝たほうがいいぜ。夜明けまではまだ時間もあるしな。おやすみ」
「そうさせてもらいますよ。おやすみなさい」

マガタが部屋を出ていくのを見送りながら、筆と硯を洗う。洗い終えてから、これからの星の巡りを占うように窓の外の夜空に視線をやった。

空のほとんどは雲に覆われ、月はほぼ沈み切っている。

暗い空だった。

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暗いな、と思った。
暗いというか、ろくに何も見えない。
ディスプレイモニターの大半が光を失っていた。
相手も似たような状況だろう。それだけがささやかな慰めだ。

オレンジ・スーツと翼ある蛇の泥仕合は一時間近く続き、両者は満身創痍の状態であった。蛇の片眼は潰れ、翼は片方が捥げてもう片方が根元から折れている。相対するこちら側も、左腕と右足は使い物にならない。通信システムはほぼ壊れ、水冷システムの調子も悪い。酷く暑いコックピット中で、眩暈が始まっていた。

これ以上は戦えないだろう、ということは明らかであった。

「クソ、刻限を越えたら魔法は解けるのがお約束ってもんだろ……」

かつてオオタカの班長であった男は霞む視界で前を睨み、機体内で呟く。五分以内と相手が宣言したのだから五分で打ち止めかと思っていたが、何も起こらないのだ。時間が経とうとも、蛇はオレンジ・スーツに単身で太刀打ちできる出鱈目な強さを保ち続けた。

変身が解けるとしたら、相手が死んだ時か、あるいは自分が死んで契約が履行された時だろう。評価班にそう教えられるまでもなく、彼はそれを感じ取っていた。魂がここに縛り付けられている。

(──ま、それがなくたってここから逃げる選択肢はねぇんだが。ここにヤシオリを呼ばなくてよかったよ)

こんなものに縛られるのは自分だけで充分だ、と強く思う。その一心で動く手足をどうにか使い、相手に近づく。それよりも速く、金の蛇が這い寄る音が聞こえた。彼は瞑目して息を吐く。そうだ、それでいい。そうして俺を殺しに来るがいい。それでお前は終わりだ。

単身で勝てない事は早々に判っていた。巨大な単独の的はあまりにも相性が悪い。だが勝てないという訳ではない。対処する手段はある。堅実なのは散開して小回りの効く機体で挑む事。あるいは、蛇に変身する前か人間に戻った後を叩く事。

ぎちぎちと長躯がオレンジ・スーツに巻き付く。機体が軋む音を聞きながら、彼はうっすらと笑った。

負ける訳ではない。仇を討てない訳でもない。決着がつくのは自分が死んだ後になるだけだろうというだけの事だ。

逃がした評価班を通じて、増援は呼んであった。この地区には既に腕利きの狙撃手を複数名配置している。指定された魂が捧げられ、契約が果たされれば標的は疲弊した人間の姿に戻るだろう。そこを仕留めれば終わりだ。彼は仲間たちの腕を信頼していたから、その結末を疑うことはなかった。時間稼ぎとしての終わりの見えない戦いを続けることが出来た。

機体がついに限界を迎えた。悲鳴のような破壊音が響く。暗闇に閉ざされゆく視界に、あちこちが欠けた金の鱗が映る。肉体が押し潰され、激痛に歯を食いしばる。痛い、早く終わらせてくれ、と理性を無視して本能が叫ぶ。

死への恐怖は訪れなかった。オオタカが墜とされた時点で自身の心も既に死んでいたからだろうか。それとも、勝利への礎として死ぬと自分で判っているからだろうか。おそらくは両方なのだろう。薄れ行く意識の中で、仲間に会えるだろうか、という希望が頭をよぎった。迎えが来る瞬間が待ち遠しくすら思えた。

全身を機体ごと締め上げられる。

口からごぼりと血液が溢れた。その血がどこまでも冷たい。霞む目を見開き、自分の胸元を見つめる。

胸の奥が酷く冷たい。見えない何かに縛り付けられている。冷たい鎖が、自分を絡めとって地の底まで墜とそうとしている。

悪魔が嗤う声を聞いた。

暗闇に紅い双眸を見た。

肺が破れているのに、短い悲鳴のような音が喉から漏れる。

待ち望みすらしていた死の瞬間。
彼はオオタカの魂が何処に捧げられたのかを知った。

オレンジ・スーツを中身ごと破壊したのち、蛇はずるりと横に滑り落ちた。黄金の鱗が霧に溶け、その中から酷く弱った女の姿が現れる。誰かが一撃を加えずとも死にかねないだけの傷を負っていた。

しかし、彼が信じた銃声は響かなかった。

代わりに響いたのは、軽薄にして奇怪な足音。彼を知る者なら、注意を払わずとも誰だかわかっただろう。

「まったく。俺様だってこんなデカいのとやりあってみたかったってのにさァ」

声の主、パヴェル・バシレフスキーは動かぬオレンジ・スーツを爪先で小突く。

「一騎討ちだって言うから自重してやってんのに、あっちからそれを台無しにして来ようとはね。行儀ってもんがなってねえよな、焚書者さんたちはよォ」

その靴は彼のものではない血に彩られている。

「ま、全部殺しといたから安心しな。おい、生きてるか? あーあ、どんだけ寿命を捧げたんだか」

軽々しく言いながら、既に意識のない首領の頬を遠慮なく叩く。

「って聞こえてねえか。ま、アレンならどーにか出来んだろ」

さしたる興味もなさそうに、彼はそう呟くと、カラフルなピアスの片方を外して口元にあてがった。通信用の呪具である。

「おい、二人組の追跡の方はもう手を打って戻ってんだろ? 治療の準備しとけ、新リーダーが死にかけてる。戦わねえ腰抜けなんだからその位は役に立って貰わねえとな」

感情を押し殺した短い「了解」の声を聞くやいなや彼はピアスを戻し、彼女を乱暴に担ぎ上げて悠々と歩み去った。


月は沈み、日はまだ昇らない。

夜明け前の最も暗い中に、破壊されたオレンジ・スーツが取り残されて横たわっている。

そこに備えられた録音装置だけが、遠ざかる足音を捉えていた。

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長い夜は明け、やがて太陽が水平線を眩く照らす。その光が届くより先に、ナギはメッセージ受信を告げる端末の光で目を覚ました。起床時間にはまだ早い時間だぞ、と思いながら起き上がる。

新調された班長用の連絡端末は光がうるさい。光量を抑えるやり方がないか、あとで班長同士になったライバルにでも聞こうかな、と寝ぼけた頭で考えながら端末に手を伸ばす。連絡は2件あった。古い方から目を通していく。

1件目は以前聞かされた"ヤシオリ班長の密命"についてだった。どうやら、向こうが仕掛けてくる前から班長は百歩蛇の手と明確な敵対関係を持っていたらしい。

曰く、百歩蛇の手の首魁はあまりに危険なアーティファクトを保有していたらしい。詳細はわからないが、本の形をしているのだという。班長はずっとそれを破壊するべく、"詳しくは明かせないがこの件においては信頼できる情報提供者"と協力して動いていたのだ。添付文書には班長が独自に調べていたことや、その過程で首魁の娘を死なせたことなどが細かく綴られていた。

そのアーティファクトは、先日落とした拠点からは見つからなかったらしい。つまり、生存したメンバーあるいは逃走したメンバーが保有している可能性が高いということだ。至急これを突き止めよ、そのためには全メンバーを殺害することが推奨される、という命令と6名の標的リストをもって1通目のメッセージは締めくくられていた。

6名すべてか、と思案しながら2通目のメッセージを開く。2通目は続報だった。

残党4名の新しい拠点が見つかった、と記されている。どうやら奴らは大黒埠頭に作った隠れ家を拠点として、あちこちを探し回っているらしい。"逃亡者リスト"の2名の行方についても何らかの情報を持っているようだから泳がせたほうがいいだろう、との方針が記されていた。

また、残党の新リーダーについての情報が記されていた。シエスタ・シャンバラとかいう女。ヅェネラル隊の最高戦力と推測される、凶悪な力の持ち主。上位の悪魔との契約により、翼のある巨大な黄金の蛇に変身するらしい。オレンジ・スーツ一機に比肩しうるだけの強さがある、という情報を半信半疑で眺める。そんなやつがあのアジトにいただろうか、と思いながらその戦闘能力に関するやたら仔細な情報にざっと目を通していく。リストの最後には、それを判明させたオレンジ・スーツの搭乗者として見覚えのある名が載っていた。その人間が殺されたという事実と共に。

端末を取り落とすところだった。

ナギはまじまじとその名を見つめ、「オレンジ・スーツ一機に匹敵」の文字列とデータを見返した。実際には画面に表示した、という方が近いかもしれない。何も頭に入っては来なかった。

データを流し見していた自らの迂闊さを呪う。あまりにも仔細な時点で気づくべきだった。これは調べて判った情報ではない。試して得た情報だ。自分が眠っている間に。

なんで俺たちを呼ばずにやったんだ。
どうして起こしてくれなかったんだ。

そんな文句が頭の中を駆け巡ったが、言うべき相手は既にいない。2回目だからだろうか。喪失を理解するのは早かった。怒りよりも悲しみの方が大きい事を自分で不思議に思うだけの余裕すらあった。悲しみと言うよりは喪失感というべきなのだろうか。ああ全員殺さなければならないのだな、ということだけが奇妙に頭の中に木霊している。

自分を殺したやつらはまだ生きているぞ、と頭の中でリーダーの声が言った。
俺の仇を討ってくれ、無念を晴らしてくれ、と頭の中でライバルの声が言った。

もちろん幻に過ぎない。これはただの逃避だ。死者の声が自分に聞こえるはずがない。わかっていても、虚ろになった胸の中ではその声がよく響いた。

全員を仕留めなければならないし、何より自分がそうしたい、と思った。片方の場所は判明しているのだ。大黒埠頭に攻め入って島ごと焼けば全部綺麗に片付く。しかし、そうしてはならないと報告書は告げている。そうしてしまえば逃亡者リストの2名の行方はわからないし、そうなるとリーダーの仇が討てない。しばらくの間は、奴らがどこにいるのかを知ったうえで泳がせておくしかないのだ。

足元に、胸に、冷たい何かが絡みついているような気がした。それが自分を戦場へと引っ張っていこうとする。2つの方向に、ばらばらに。

がらんどうの部屋の中でどれほど堂々巡りをやっただろう。けたたましい足音がそれを止めた。顔を上げれば案の定、そこにはマガタが立っていた。遅れてキョウとルルが顔を出す。

「レンジとラムダは中央図書館に来る。蛇の奴らが、焚書者に伝えろって、警察に、全部の」
「は?」

マガタが一気にまくしたてるが、興奮しすぎていて何もわからない。怪訝に問い返すとキョウが端末を片手に「警察への通報だ」と言った。続けて再生ボタンを押す。静まり返った部屋に女の声が響いた。

『焚書者どもに伝えろ、レンジとラムダは中央図書館にやって来る』

直接の仇を差し出してきたか、と思った。それで、終わるとでも思っているのか。こちらは全員仕留めると心に決めているのに。

「分かった。行こう、中央図書館に」
「行くのか」

意外そうにマガタが言った。反対すると思ったのだろう。自分とて、昨晩なら反対していた。

「あいつらが俺たちに仇を差し出す動機はある。あれだけ痛めつけられた後だからな。ただの罠であっても、それならそれで敵の居所は掴める。……リーダーの仇の、だ」

最後の言葉を強調すれば、それ以上の反論はなかった。ただ、自分に視線が集中しているのを感じる。誰の目も見返さないまま彼は告げた。

「市街戦になる可能性が高い。ブラック・スーツの確認をしておいてくれ」

了解、と揃った返事がどこか遠いものに聞こえた。

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