少年SCP団のトレジャー・クエスト
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1.

██県新瑞あらたま市の中央には、市街を南北に貫く、まっすぐで幅の広い川が流れている。二級河川、多々楽川たたらがわ。現代ではそのように呼ばれている川は、古くから大切にされた水源でありつつ、市民たちになじみのあるいこいの地でもあった。それだから、平らで緑豊かなその河川敷かせんじきは、今の時代を生きる新瑞市の少年らにとっても定番の遊び場なのだ。

その河川敷に、チビ・ノッポ・太っちょの3拍子びょうしそろった3人組の少年たちが集っていた。夏の盛り、青々と茂りまくるススキの葉に埋もれた野原の真ん中で、キョロキョロ落ち着きなく周りを見わたしたのはチビの少年だ。ノッポと太っちょの少年は、少し遠くの草かげからそれをじっと見つめている。どこかはりつめた空気の中、肩に背負った布製のリュックサックをゆらして少年らが熱中するのは、いわゆる"普通"の遊びではなかった。

「ねえチックン。ショータくんは……」
「ポッポ君、静かに。今に分かるよ。」

チックンと呼ばれたノッポの少年はメガネをずり上げ、ポッポと呼ばれた太っちょの少年を手で制する。その視線は、今しがたショータと呼ばれたチビの少年と、"その奥"に向けられていた。

ショータが見上げている場所には、吹けばすぐにもつぶれそうな、1軒のオンボロな木製の小屋が建っていた。小屋には気の利いた装飾どころか窓の1つさえ無く、ただ不気味で無骨なベニア板の扉だけがその真ん中に据えられている。ショータが注意深く戸を開き、蝶番ちょうつがいのきしむ音を立てながら中へ飛び込んだ時、チックンはようやく押し殺していた息をついだ。

「ついに見つけた……宝のありか!」

   やがてこの地で、少年らの宝探しの冒険は幕引きとなる。


1-1.

「冒険してぇー。」

それよりも少し前。ショータのすっとんきょうな声が部屋に響いたのは、夏休みも半ばに差しかかった8月の日のことだった。めいめい課題図書を読みふけっていたチックンとポッポは、はたと手を休めて、顔を見合わせる。ひとまず2人は本を置き、流行りの折りたためる携帯ゲーム機を握りしめて寝転がっているショータへと目を向けた。

「どうしたんだい? ヤブから棒に。」
「いやよ、今ドラクエのファイブやってたんだけど。このゲーム、お宝集めて博物館作るクエストがあるのよ。今年の夏休みは小学生最後じゃん? なんか俺らも、そういうクエストしてぇな〜って。」

なあんだ、ゲームの話か……。とは言わずとも、そう言わんばかりにチックンは閉口した。ショータは3人の中で1番夏休みの宿題に後ろ向きだが、こういった俗な欲望にはすこぶる前向きなのである。6年間を通して一貫するその姿勢には、思わず苦笑もこぼれてしまうというものだ。と、一方のポッポはそれと対照的に、ふにゃりと笑顔をほころばせていた。

「いいねえ、お宝探し。ぼくら今年は、色んなとこ行って、おいしいご飯にカワイイ動物もいっぱい見つけたもんね。またやりたいなあ。」

ニコニコと、過ぎゆく夏の日々に思いをはせるポッポ。幸せそうなまん丸の笑顔を見て、しかし当のショータはビミョーな顔をする。

「そりゃーそれもそうだったけどよ、そうじゃねーんだ。もっとこう……一かく千金! みたいなヤツが欲しいのよ。」
「えーっ、お金? 本物のお金なんて、きっと町を歩いてでも見つけるのはむつかしいよう。」
「そりゃおめぇ、現金が町中にドンと落ちてるワケないだろ。もっとこう……例の怪異譚みたく、ビックで隠された、値打ちのある物がなんかしらあるだろ。そういうもんをどっかから見つけたいのよ。」
「そんな……手がかりもないのに、ムボーだよー。」

ショータの無茶振りはいつものことだが、ポッポはまじめに困ったなという表情を浮かべて慌てていた。確かに、彼ら少年ら    人呼んで『少年SCP団』  (自称だが)   は、オカルト同好活動にいそしむ、通常とはちょっと違った小学生だ。常識に反するような、摩訶不思議な体験だって1度や2度ではない。それでも、それはあくまで子どもの世界でのこと。今までの短くないオカルト活動の中でだって、1万円以上の大金など見たこともないのだ。そんな自分たちにお宝探しなど、どだい無理な話なのでは、と思うのも自然だろう。

しかしその時、後方に光るメガネがあった。

「宝探しね……。うん、できるよ。」
「なに、本当か!?」
「うん。実は2人に、ちょうど見せたいと思ってたんだ。」

やおらチックンは立ち上がると、部屋の片隅に転がしていた手さげ袋を漁る。大量の本とプリントと筆箱をかき出すと、果たしてその中から1枚のA3用紙が現れた。紙を広げるその上で、チックンが不敵に笑っている。

「じゃーん! これが、"宝の地図"さ!」

それは市販の、新瑞市を描いた2万5千分の1の縮尺の地図だった。唯一売り物と違うところは、ところどころ地図の上に赤い点が描かれている点だ。その点は誰かがペンで書き込んだもののようで、すぐ側には住所とそこに建つ建物の注釈が(きったない崩し字で)添えられていた。

「この赤い点が、お宝のありか?」
「の、候補だね。」
「おいチックン。これがお宝候補だって、どうして言えるんだよ?」

いそいそと宝の地図に群がってきた2人は、そろって怪訝な表情を浮かべる。その疑問に満ちた視線を尻目に、チックンは得意げな顔をしてこたえた。

「最近、大人の男の人が行方不明になったってニュース、知ってる?」

ポカンとした顔を、ショータとポッポは互いに見合わせる。チックンは家で地元の子ども新聞を購読しているので、このような時事ネタには2人よりも詳しいのである。

「その新聞によると、市外から観光に来た若者1人が、人知れず行方不明になってしまったらしい。表向きにはそれだけだけど、ネットのうわさでは、彼は"宝を探しに来て、そのまま消えてしまった"んだって……!」

ショータはまだ半ば疑いの目を向けているが、ポッポに限ってはこれだけでぶるりと身を震わせていた。(この少年、図体のわりには肝っ玉が小さいのである。)いつもよりちょっと仰々しいチックンの喋りは、確実に少年らを非日常へと誘いつつあった。

「で、この前塾帰りにコー兄さんの家に寄った時、その話をしてきたんだ。」
「ああ、なるほどな。確かにこういう話題、コー兄さんはメッチャ喜びそうだもんな。」

コー兄さん、こと深野 航ふかの こうとは、少年ら3人の家の近くに住む大学生のことだ。かつてひょんなことで少年らと出会ってから、少年らのよき友人兼師匠のようなポジションに位置している。その性格は気さくかつ(少年らよりも少年じみて)好奇心旺盛なのである。この場の誰もが、嬉しそうにチックンの話を聞く姿を容易に思い浮かべることができた。

「で、ここからが本題。実はコー兄さん、事件の前から新瑞市の"宝"のうわさを耳にしてたみたい。ネットで調べると、どうやら本当に宝、現金や貴金属を拾ったって人たちがいたんだって。その人たちの体験談や目撃情報を集めて、怪しい建物を集めた地図を作ってくれたんだ!」

そこまで言い切り、チックンは視線を手元に向けた。3人の視線は、大人のお兄さんの力を借りて作られたアイテムへと注がれる。大人の力は、時に少年らの世界においてパワーバランスを破壊するまでに強力で、魔法のような力を発揮することさえある。もとは文房具屋さんで数百円で売っていたであろうこの地図も、コー兄さんの手を介したとあっては、少年らの見る目も変わってくるのだ。

「ってことはよ……。点の1個1個の信ぴょう性は低くても、数撃ちゃ当たるどれかに、お宝があるかもってことか……?」
「それって……なんだかワクワクするねえ!」
「そうでしょ。なんなら僕は、夏休みの自由研究をこれにしたって良いくらいだと思うよ。夏の思い出に、調査してみる価値は十分にあると思うね。」

にわかに活気立ち、熱を帯びる室内。気温が上がったかのように感じられたのは、かたわらの黄ばんだ扇風機が止まってしまったからではない。少年らの夏の冒険はいつでも始めることができて、今日という日だってそう思い立つだけで何度目かも知れない冒険のスタート地点になりうるのだ。それをよく知る少年たちは、勢い勇んで部屋の真ん中で円陣を組み、興奮に沸き立つそれぞれの顔を突き合わせた。

「少年SCP団、宝探しの冒険に出動だ!」

おー! 元気な3少年の声が重なって、夏の日差し照る室内にこだました。


1-2.

灼熱の日差しが降り注ぎ揺らぐアスファルトの上。突き刺さる真っ赤な鉄骨たちの隙間からは、この空間で唯一冷たそうにきらめく青い水面が覗いている。ここは、新瑞市の中央に位置する多々楽川に架かる橋の上。少年らの冒険の幕は、この多々楽大橋から切って落とされるのである。

「それじゃ、復習すんぞ。」

人通りのない幅広の歩道のど真ん中に、大判な宝の地図が広げられる。けして行儀が良いとはいえない行動だが、しかし少年らの誰もそれを咎めようとはしない。少年らの瞳は川面のきらめきに負けないくらい輝いていて、ついぞ周りなど見えないと言わんばかりに紙面へ縫い止められていた。

その紙面には、全体を大きく3分割する線が鉛筆で描かれている。

「チックンは、地図の右側。ポッポは、左側。そんで俺は、下の方に行く。赤い点の所にあるビルか家か小屋に着いたら、中か周りに怪しい物が無いか調べる。これでいいか?」
「うん、分担で効率良さそうだと思う。もし何か見つけたら、夕方のチャイムで集まった時にまた報告し合おう。」
「結構遠い点もあるねえ……。今日1日だけじゃ、終わんないかも。」
「俺なら1日で全部回れるね! 新瑞市中を走り回ったってへっちゃらだぜ。」

盛り上がる3人の装備には、それに見合うほど十分な気合が込められていた。みんなそれぞれリックサックを背負って帽子を被り、腰には水筒をぶら下げている。1番巨大な大人用リュックを背負うショータに至っては、懐中電灯やらおやつの袋やら、いつ使うのかと聞きたくなるようなガジェットをジャラジャラと括り付けて持ち歩いていた。まるで修学旅行かというような騒々しさを少年らは奏で、その音色がまた少年らの心を掴み、さらに自らを昂ぶらせるのだった。

「じゃ、この橋を中心に3手に別れるとしよう。」
「みんな、またねえ。気をつけてねえ。」

チックンは橋の右方向、ポッポは橋の左方向に、大きく手を振りながら歩いて行く。2人が見えなくなるまで手を振って、それに飽き足らずジャンプしたり忙しなく動いていたショータは、1人になって初めて自身の冒険する方角に目を向けた。突き抜けるような輝く青空に、緑の河川敷が何処までも続いている。冒険の始まりの時はいつだって明るく熱を帯びていて、ショータの身も心も熱く燃え上がらせるのだ。夏の日差しなど、希望の熱量に比べればでもない。

「ようし。いっちょお宝、ゲットしてやりますか!」

そして自慢の健脚を翻して、ショータは橋を駆け始める。右に、左に、開けた景色は何処までも続いていて。このまま無限の彼方へだって冒険は続いていく、そんな根拠のない確信に似た予感さえする。見れば歩道はぐんぐん後方へと飛び、もうすぐそこまで橋のたもとが迫っているようだ。橋を越え、未知の世界へと突き進んでいくのだ。それは一瞬のようにも、永遠のようにも感じられた。足が、今軽やかに境界線を踏み抜いて。そして。

「ん?」

急ブレーキを掛け、止まる。橋のたもと、その端にある欄干の上からは、河川敷の草原の様子がよく見て取れた。ショータが見たのは、その奥の、海のように黒々と緑の茂った吹き溜まりのような場所だ。目を凝らして、日差しの中に浮かぶ、闇のような濃い緑に絡めとられた”ソレ”を見て、ショータの瞳は大きく見開かれた。

ショータの宝探しの冒険は、そこでふつりと、幕引きになった。


2.

2-1.

「で、3日経ってもお宝は見つからない?」
「お宝だけじゃありません。今やショータ君も見つからないんです。」
「ふむ?」

年季の入った木造住宅の一室、タワー型コンピュータの冷却ファンがうなる畳張りの部屋の真ん中で、チックンとポッポが座り込んでいた。それぞれ正座と体育座りで過ごす姿は、しょんぼりとした、と形容するのがふさわしい有様だ。そんな2人の正面には、椅子にどっかり腰を掛け怪訝な表情で思索にふける、この部屋の主の姿があった。

彼の姿は、怠惰を身にまとったようだと言い表わせるだろう。椅子に深く沈んだ猫背の姿勢。ジャージ服に寝癖の目立つ髪に無精ひげ。極めつけに、手垢でところどころ汚れた、酷く度の強い黒縁メガネ。そんなだらけた大学生風の青年のまなこは、しかし見開かれて爛々らんらんと輝いていた。(単に視力が低すぎて目付きが悪いだけかもしれないが。)

ポッポが、おず、という風体で口を開く。

「ショータくん、あれから宝探しに来なくなっちゃって。せっかくコー兄さんから、地図をもらったのに、その。ごめんなさい……」
「そうなんですよ、コー兄さん! それどころか、一度ショータ君家からこっそり尾行しようとしたんですけれど、出るなりすぐどこかへダッシュして行っちゃったんです。後でそのことを聞いても、はぐらかされちゃって。僕らには何か、知られたくないようなふいんきでした。」
「ははあ……それは、すでに宝を見つけてしまったんじゃないのかい!?」

ガタリと音を立て、コー兄さんと呼ばれた青年が椅子から身を乗り出す。彼の瞳はより一層、興味の色に輝いていた。

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コー兄さんはまくし立てる。

「宝探しを途中で辞めるヤツって2種類いると思うんだ。実は大して宝に興味がなかったヤツと、"既に目的を達成したヤツ"がね。」腕組みからの、深い頷き。「ショータ君はかなりガメつそうだから、絶対に後者だと思うね。」何か思い当たる節があるのか、確固たる響きでそう呟いた。

チックンとポッポは、思わず顔を見合わせる。

「えっと。でも、今までこんなことって無くって。お宝見つけたら、すぐに教えてくれると思ってたんです。」
「うーん、それはどうかな? 宝は人を変えると言うからね。少なくとも、ショータくんが2人に何かやましい隠し事があるのは確定的に明らかなんじゃないかい?」

早くショータ君を見つけて、話を聞いたほうがいいよ。そう言うと、コー兄さんは再びどっかりと椅子に腰を掛けた。チックンとポッポはワタワタと落ち着かない様子。確かにそうなのだ。ショータが2人に隠れて何かするなど、けして短くない小学生人生の中でそうそう無いことだった。よっぽど知られたくないのか、はたまた別の事情があるのか。しかし、どちらにしても答えは変わらない。答えは、ショータを捕まえて、直接本人に白状させる他無いのである。

心の内では、半ば分かりきっていたこと。だからこそ、2人はコー兄さんを訪ねたのだ。

「コー兄さん、折り入ってお願いなんですが……。宝の地図を作ったコー兄さんなら、ショータくんが宝を見つけた場所が、推理できるかもと思ったんです。僕らのショータくん探しに協力して貰えないでしょうか。」
「ぼ、ぼくからも。よろしくお願いします!」

深々と下げられた頭。ほんのわずかばかりの間があって、そのてっぺんがポンと撫ぜられた。

「モチロンじゃん。力になれるのなら、いくらでも協力するよ。お兄さんに任せなさい!」

宝探し、改め、ショータ君探しの開幕だ! 楽しそうに意気込むコー兄さんの姿は、2人にはキラキラ輝いて見えた。ショータもきっと見つかる。そんな希望の光の粉が、2人の頭上に降り注いだ。


2-2.

バサリ。大きな音を立てて、机の上に広げられたのは例の宝の地図(の、原版)だった。すっかり探偵気取りの澄ました表情で、コー兄さんがまばらに生えたあごひげを撫ぜる。

「それで、宝探しは地図を3分割して分担したんだね? 普通に考えれば、地図に記されたポイントのどこかに、ショータ君の行き先があると思うんだけど。」

そういうコー兄さんの両脇から、チックンとポッポの神妙な顔が覗き込む。

「でもチックン、ぼくらもそう思って、全部のポイントを探したよね?」
「うん、まんべんなく探したはず。それどころか、商店街の人とか、町外れの駄菓子屋のおばちゃんとか、色んな人にも聞き込みしたんです。それなのに、誰も見かけてないって言ってた。」

一体、どこに行っちゃったんだろう。チックンの漏れ出るような呟きを後に、2人は難しい顔をしてうなだれる。一応、これでも2人は並の小学生よりは活動的だ。2人の思いつく限りの捜索は、ここに来るまでに済ませてある。それなのに、どこに行けども手がかりはまるで出ない。不自然なまでの情報の空白には、2人も違和感を感じていた。

「ふむん、それは不思議だね。あの地図のポイントは、どれもなんやかんやで人目に付いてもおかしくない位置にあると言うのに。」

その違和感を、コー兄さんは見逃さない。瓶の底のような眼鏡の奥が、鋭く光る。

「むしろ……逆に考えるべきじゃないか? つまり、"いるはず"と思う場所こそ、"いない"場所と思った方が良い。現にショータ君は3日も隠れ仰せて、誰にも見つかってないんだから。むしろ、このポイントは避けるべきだよ。」

少年らの視線が、地図の上に落とされる。ここ3日間、ショータの行きそうな場所を追って、地図の点と点を縦横に駆け回ってきた。足で稼ぐしらみつぶしの”怪しい”へのじゅうたん攻撃にやっきになっていたが、まさかそんな視点があったとは。2人の可愛げのある脳みそが、静かに回転を始めた。

2人が考え始めたのを見て、コー兄さんはニヤリ笑みを浮かべる。そしてやおらペン立てから赤ペンを取り出すと、宝の地図の上に鋭く突き入れた。

「宝候補のポイントは、市の町外れに多い。この辺りはチックン君やポッポ君も調べただろうし、むしろ可能性は、ここから離れた場所にあるんじゃないかな。」

地図に、点を中心にしたバツ印が書き込まれていく。

「市から離れ過ぎてもいけない。市外近くまで行ってしまうと電車かバスが必要だけど、ほら。ショータ君って、ケチだろう? お小遣いが減る公共交通機関は、きっとハナから使わなかっただろうね。」

細長いバツ印が、地図の端の方に足される。

「反対に市の中心街に近すぎても、可能性は低いだろうね。ほら、商店街にも聞き込みしたんだろう? 市街地はどうしても人の目が多い。君らは過去の色んな事件のお陰で顔見知りも多いんだろうし、ここは外れるだろうね。」

地図の中央付近に、大きなバツ印が描かれる。地図の余白は、あとわずかだ。

「最後に、君らの証言を足す。ショータ君は、自宅を出てすぐダッシュでいなくなったんだよね? 出だしから全力疾走したということは、ショータ君の脚力で走り続けて疲れ切らない範囲内に、目的地があった可能性が高い。とすると……」

ショータの家を中心に、きれいなマルが描かれる。無数のバツとマルが交錯し、地図が真っ赤に染められていく。その赤の海は、自ずと島のような空白の領域を浮かび上がらせた。

あっ、とポッポの丸い声が上がる。

「ぼくらのスタートした場所!」
「なーるほど……まさかゴールが、スタートの場所にあるなんて。確かに盲点だったねぇ……」

3人の目に飛び込んできた、その場所は。

「「多々楽川の河川敷!!」」

宝探しの冒険の開始地点にして、終着点。少年らの宝探しの冒険は、やはりこの地に帰結するのである。

ニンマリと、満足げに2人を見やるのはコー兄さんだ。地図に残された地点は、多々楽大橋のすぐ側のみ。そうと分かれば気もそぞろ。チックンとポッポは顔を輝かせて、コー兄さんの差し出した地図を掴み取った。

「ありがとうございます!!」

深々とおじぎすると、2人は地図を片手に一目散に駆け出す。バタリと部屋の扉を閉じ、ドタドタ階段を降りる音、ガラガラピシャリと玄関の引き戸が締まる音がするのを、コー兄さんは嬉しそうに見送った。


2-3.

少年らが飛び出して行ってしまうと、部屋の中は途端にガランとしてしまう。室内は彼らの熱が置いていかれたように蒸し暑く、コンピュータのファンが回る音だけが鳴り響いていた。

一仕事終え、椅子にみたび腰掛ける。世代的に接点の無い彼ら小学生の一団と交流を深めているのも、こうした若々しい刺激の甘美に酔いしれられるからであった。ネットサーフィンによるオカルト情報収集くらいしか取り柄が無いと考えるコー兄さんにとって、あの3人は昔の自分を見るように親近感があり、3人いる点で昔の自分より羨む存在でもあった。そんな彼らのことは大切に見守りたい、と先輩風を吹かせるのも彼にとって愛おしい時間の1つだ。

「後輩って……いいねえ。」

机の隅に追いやられていた温い麦茶を片手に、独りごちる。かく言う彼は大学1年生であり、講義に顔を出せば下級生の後輩として扱われる身分にある。そんな彼にも慕ってくれる後輩がいる。そのことの、なんと嬉しくもありがたいことか。少年らの行き先を心に浮かべ、閉じた扉から反対側のモニターに視線を移して、自然に笑みがこぼれた。

1人の部屋に、軽快に麦茶の氷が解ける音が響いた。

はずだったのだが。

「せーんぱいっ。」
「わあああああっ!?」

ドタンガシャンと、椅子と机がぶつかり合って音を立てる。すんでのところで椅子から転げ落ちるのを阻止したコー兄さんは、勢い良く後ろを振り返った。そこには果たして、夏だというのに黒いセーラー服を身にまとい、けらけら楽しそうに笑う少女が立っていた。胸元に翻る赤いリボンが視界に突き刺さる。その後ろで、扉はいつの間にか音もなく開いていたようだった。

「の……ノックしたまえよ、チャコ君!」

有村 久子、通り名はチャコ。市内の高校に通う現役の女子高生にして、極道の一門"有村組"の一人娘。彼女の艷やかな黒髪のロングヘアーに、特徴的な色素の薄い灰色の双眸は、どこか人間離れした美しさを感じさせた。それに加えて、名字に冠する"有村"の文字の圧。近寄りがたいと思われることの方が普通、なのだが。

「ふふ、気づかなかったみたいですね。今回はちゃんと玄関から入って、先輩のお母様に許可を貰ってから部屋に入りましたよ。」
「かーさん……くそう、また顔パスで通したんだな。一声掛けてくれてもいいものを。」
「邪魔しちゃいけないもの。例の少年らでしょう? 超常と向き合う有望な若人との交流は、私らには貴重な機会ですからね。」

一見、縁もゆかりもなさそうな2人だが、その交流はとみに軽快である。それもそのはず。彼らは、他者とは一線を画す"特別な関係"で結ばれているのだから。

「確かに彼らもゆくゆくは……なんて思うけど。どう? 最近のオカ研は。部員増えた?」
「秘されたヴェールの裏では、少数派が大いに暗躍しているものですよ、先輩。私は長として、キチンと探求を続けているの。」
「まだ部長、ってことは3年生の入部はナシ。まあこの分だと1年生もナシか……」
「そうね。」
「そうね、って君ぃ……。チャコ君、来年大学受験でしょ? 僕の代の時の君が最後の入部生なんだから、なんとか万年存続の危機から脱させてくれよ〜……」

頼むよ〜、と懇願するコー兄さんの姿を見て、チャコはクスリと笑った。彼らは、元・同じ高校の先輩・後輩の関係である上、同校のオカルト研究部(昨年部員数2名、今年部員数1名)の前部長・現部長の間柄でもある。コー兄さんの在校時、すなわち昨年から2人はこの調子なのである。以来、コー兄さんの高校卒業後も、どういう訳か時たま彼女は家に訪ねて来るようになったのだ。

コー兄さんのようなタイプの男性にとって、この状況はさぞ奇跡的なことだろう。

「ほんっとに奇跡だと思うよ。今でもハッキリ思い出せる……チャコ君が突然部室に現れて、あまつさえその場で入部してくれた時のこと。よくもまあ、2年とちょっとを僕1人でやってきた弱小部に決めてくれたよね。」
「そうですね、でもアレは必然でした。その後の怪異は先輩と一緒にいられたからこそ対処できたというものですから。」
「いやあ……。僕はワタワタしてただけで、いつの間にか解決してたから、運が良かっただけだよ。」
「いいえ、アレらは重要でした。それに……」

ふっと、彼女は目を細める。その瞳は澄んでいて、どこか遠くを見ているようで。コー兄さんはなぜか胸がチクリとするような気がして、その瞳から少し目をそらした。

「あだ名で呼んでくれたのは、先輩だけだったから。」

思いの外、飄々とした声だった。目線を戻せば、いつもと変わらない表情がそこにある。さっきの感覚は何だったんだろう? と不思議に思っていると、またチャコはけらけらと笑いだした。

「それに、今ではもっと楽しめてるんですよ。先輩だけでなく、前途有望な少年らも見てますから。」
「少年って……ああ、チックン君やポッポ君らのことね。ちょうど入れ違いだったけど、よく鉢合わせなかったね?」
「経路が少し違った、のかもしれないですね。それにしても……一体、何の話をしていたんですか?」

微笑む笑顔。いつもの表情。だというのに、どこかゾクリとするのは何故だろうか? そんな心のどこかに引っかかるかすかな違和感を尻目に、コー兄さんはチャコに、これまでの経緯を語り始めた。行方不明事件のこと、異常現象を扱う電子掲示板での噂、宝の地図、ショータ君のプチ失踪。そして、彼らが多々楽川河川敷に向かったこと。一通り話すのを、チャコは静かに聞いていた。

「……と、言うわけで。彼らはショータ君と一緒に、宝も見つけてしまうかもね、ってワケ。」
「ふぅん……。そうね、私もあの少年らなら、宝の小屋を見つけられると思うわ。」

でも、とチャコは続ける。少し、空気が張り詰めた気がした。

「ねぇ先輩。過ぎた欲望は、人の身を焦がすわ。時に好奇心は猫をも殺す。少年らは、大丈夫?」

表情は変わらない。笑っているのに。またゾクリと感じる不思議な感覚。コー兄さんは、それを肌で感じつつ、最初慌てて言葉を継ごうとした。それでも真に迫った彼女の灰色の瞳を前に、やがてオカ研元部長として冷静さを取り戻し、少し悩んでから言葉を口にした。

「この世に"絶対"なんてない。大丈夫、かは正直彼ら次第かも知れないね。」

でも、と続きの言葉を紡ぐ。

「ネットを見ても、多々楽川河川敷についてはこれといった投稿が無いんだ。だから今のところは問題ないと、思う。」

もし何か見つければ、彼らに連絡してみるよ。そう言い加えると、チャコの凜とした佇まいが少しゆるんだような気がする。彼女は少しだけ緊張を解いたようで、嬉しそうに微笑んだ。

「そう。それはよかった。先輩が優しい師匠で、少年らもきっと喜ぶことになりますよ。」
「うん。彼らのためなら協力は惜しまないさ。知ってる? 今じゃ彼ら、『少年SCP団』なんて珍しい名乗りを上げて活動してるんだ。彼らならきっと、上手くやるよ。その時のちょいとしたお手伝いができれば、僕も嬉しいかな。」

椅子の上ではにかむコー兄さんを見て、チャコは目を細めて微笑みを浮かべた。そしてそのまま、チャコの視線はコー兄さんの背後に向けられる。

「あ。」
「ん?」
「先輩、見て。」

ついと、彼女の白くてほっそりとした指が眼前に近づき、肩越しに後ろの点灯したモニターを指差した。少しドギマギしたコー兄さんも、つられてそちらを見る。そこには、コー兄さんがいつも根城にしている、超常現象愛好家たちの集うWebサイトがあった。

「ん、僕このタブ開いたっけな。」

マウスを手に数度のスクロール。そのページは、過去に投稿されたスレッドのアーカイブのようだった。

「新着記事は常駐して見てるけど、このページは初めてだな。チャコ君、これが一体どうしたんだい? ……チャコ君?」

コー兄さんが振り返ると、果たしてそこには誰もいない。ガランとした畳の部屋に、ファンの音だけが響いている。扉はいつの間にか音もなく閉じられていた。

「あっれ……? チャコ君、また消えるように帰ったなあ。」

気を取り直して、机に向き直る。彼女は昔から神出鬼没だ。ちょっとすると不可思議な出現と消失も、彼女との付き合いがあるコー兄さんには日常のことだった。

だから、彼がすぐさま日常に、すなわちネットサーフィンでのオカルト情報収集に戻ったのも、ごく自然なことなのである。そして、それこそが彼の中で功を奏するのだ。

「これは……」

マウスを動かす手が、ピタリと止まる。画面に擦りつかんばかりに目を見開いて読みふけったかと思うと、やおら机の引き出しから紫色の携帯電話を取り出す。そして、慌てたような手付きで、何処かへと電話を掛け始めた。



3.

3-1.

そして舞台は、多々楽川の河川敷へと巡る。風にざわめくススキの海の底には、謎の小屋とショータ、それを密かに注視するチックンとポッポだけが存在していた。

今、蝶番のきしむ音と共に、ショータが小屋の中へと消える。それを見届けてから、チックンとポッポはうなずき合い、忍び足で小屋の入り口へと歩みを進め始めた。まだ、扉は外側へと開け放たれている。

小屋の周りはススキの葉に覆われていた。側面や正面、扉の真ん前に至るまで、みっしりと濃い緑に覆われている。そこには人足の跡も、人足による禿げた地面も見当たらない。恐らく人間には使用されていないのだろう。そんな小屋の入り口に、チックンとポッポが静かに顔を覗かせた。

ガサガサ、バサバサ。小屋から漏れ聞こえてくるのはそんな音だ。見れば、ショータは小屋の中でこちらに背を向けてうずくまり、何かに夢中になっている。小屋の床は土と枯れた雑草の混じった荒地だったが、地面に置かれたものはショータの陰に隠れて判別できない。それらに触れているであろう音からは、紙かビニールの擦れるさまが想像された。

チックンとポッポは入り口の枠に手を付き、もう一度顔を見合わせる。一体、ショータくんは僕らに秘密で、小屋の中で何をしているのだろうか? 疑問は言葉にはならず、チックンの鋭い視線へと変えられた。深く、息を吸い込む。

「ショータ君!」
「うわあ!」

ドサリ。何かを取り落とし、大慌ての様子でこちらに振り返るショータ。その表情は蒼白で、見つかった悪事を言い訳する小さい子どものように、唇をわななかせ、パクパク開いたり閉じたりしていた。

その大げさな反応を見て、なおのことチックンとポッポの頭は?のマークで埋め尽くされる。距離を詰め、2人は小屋の中へと追求の歩みを進めた。

「ショータ君探したよ。一体、こんな小屋で何してるんだい?」
「えっと、2人とも、これはその、違くて。」
「コレって、その手に持ってるののこと?」

ポッポの指差す先で、ショータが何かを強く握りしめる。それは、A4のプリントくらいの大きさの何かだ。

「バッ……違、そんなんじゃねぇよ!」

ショータは必死に隠そうとしているようで、すこぶる怪しい。チックンが疑りの目でショータに近寄ると、ショータは身をよじるようにして後ろ手にそれを隠そうとした。それが良くなかったのだろう。床に置かれていたショータの大きなリュックサックに手が当たり、大事なブツを取りこぼした。結局、ショータの秘密は2人の前にまろび出ることとなる。

巨乳である。金髪でビキニを着たグラマラスな女性が、ほとんど紐に近いわずかな布を手で取り去ろうとしている。そんな写真が表紙にデカデカと示された薄手の雑誌。健全な少年少女諸君の宝物。つまり、エロ本。

それを見た少年らの反応は、三者三様だった。

「キャー!」
「わあああ!」
「あっ……ふーむ。」

ガタン、バタム。そんな音と共に、3人は暗闇に包まれてしまった。中でもとりわけ取り乱したポッポが顔を真っ赤にして、入り口の扉を閉めてしまったのだ。

「お、おい! 急に閉めるなって!」

ショータの慌てた声が何処かから響く。そこはもう、思いもかけないほど一部の光も無い闇に沈んでしまったからだ。

ポッポの半ベソのような震え声が、ややあって続く。

「ご、ごめん。だって……子どもは見ちゃダメな本でしょ、それって。誰かに見られたら怒られちゃう……」
「それを言うなら、確かにもう安心だね。物理的に見えなくなった。」

チックンの、呆れたような苦笑混じりの声が響く。それにしたって辺りは暗い。3人は、お互いの居場所もわからないので手探りで位置を確認し合わなければならない。手と手が触れ、どうにか全員がすぐ近くにいるのが分かるのが救いだった。

「……それにしても、真っ暗になったねぇ。せっかくショータ君の秘密が明らかになったのに、これじゃ何も見えないよ。」
「うう……頼む! 見なかったことにしてくれ!」
「もう見えないから、大丈夫だよお。」

てんでんばらばらに喋る3人。声を上げるのは、暗闇に対処する意味合いもあっただろう。わずかに鎌首をもたげた闇への恐怖は、少しの刺激で少年ごとき飲み込んで仕舞えるのだから。

「ひとまず、扉を開けようぜ。」

それを意識してか無意識にか、ショータがやや焦ったような、大きめの声を上げる。それに応えるように、チックンが動き出す気配があった。

「うん、今探してるとこ。外から見ると狭い小屋に見えたけど、意外に広くて見つからないねぇ。と、あった!」

硬い、ガコンという音。その後に続いたのは外の眩しい光、ではなく静寂だった。

「開かない……」

その呟きを皮切りに、声にならない少年らの悲鳴が闇の中で響きわたった。


3-2.

「ど、どうしよう。ショータくん、チックン、ぼくたち、閉じ込められちゃったの!?」

泣きべそに近い震えた声が小屋の中でこだまする。かたやチックンの出す音であろう、ガチャガチャと扉を開けようとする音が何度もする。暗くて誰も見えないが、ポッポが大きな身体で縮こまって泣いているであろう姿と、チックンが静かに焦りを募らせメガネの奥で目を見開いているであろう姿は、容易に想像ができた。

「クソッ、このぉ!」

鈍い音がして、小屋がきしむ。ショータが小屋に蹴りを見舞ったのだ。惜しむらくは、それがチックンのいる扉の方とはてんで別の方向から聞こえてきたことだ。あちこちからショータが身体をぶつけているであろう硬い音が反響するが、どれも手ごたえはないようだ。

そんな壁を蹴る音が2週目に入ったあたりで、扉をいじる手を止めて思案していたチックンの声が響いた。

「待った。ショータ君、懐中電灯持ってきてたよね?」

あ! ととぼけた声が小屋の奥の方から上がる。ショータのリックサックは他2人のものより格段に大きく、そして無駄が多い。その無駄の1つが、白昼の野外探索に無用と思われた懐中電灯なのだ。その無駄を気にしない無鉄砲さが活かされることになろうとは。

「持ってる持ってる。持ってきてるぜ。リュックのところにあるはずだ。」
「早く点けてよ。暗いの、いやだよう……」
「ちょっと待ってろ、すぐ点けるからよ!」

いそいそと(見えないから足音でそう推測するしかないが)中央付近に置き去りにされたリュックサックに駆け寄るショータ。果たして、その中にはショータの両親が災害避難時に使おうと買っていた、べらぼうに大きく強力な懐中電灯がある。その硬質で無骨なシルエットを指越しに感じ取り、ショータは口角を上げて笑みを浮かべた。これだ!

「ショータ君、ちょっと待った。まさか、電池が切れてるとか、そんなベタなことはないだろうね?」
「バッカおめぇ、当たり前だぜ! 電池だって、こんなこともあろうかと今朝入れ替えたばっかなんだよ。見てな!」

3人の視線がショータの勇ましい声の方へと集中する。まるで本当の宝を見つけた時のように、ショータは懐中電灯を高々と掲げ、スイッチをひねる。その瞬間、待ち焦がれていた輝かしい光が、みすぼらしい小屋と、少年らを明るく照らし出した。浮かび上がるショータのドヤ顔を見て、ポッポの顔が明かりに負けないくらい明るく輝くのが見えた。その刹那。

ブツッと音を立てて、空間は闇の中に再び沈んだ。ポッポの悲鳴も再び響き渡る。デジャヴ。

「……ショータ君。電池入れ替えたんじゃなかったのかい?」
「あ、ああ。でもよ……豆電球が、切れたらしいや。」

その……すまん。そんな消え入りそうな小さな呟きを、受け入れたのは静寂だけだった。何も見えない、聞こえない、完全なブランクスペース。

その無に違和感を覚えたのは、互いに付き合いの長い少年SCP団の面々だからであろう。

「あれ、おかしいぞ。おーいポッポ君、いるのかい?」

そう、静かすぎる。いつもなら怖くて泣きじゃくっていてもおかしくないポッポだったが、今この瞬間には何の音も聞こえない。あるべきものがそこにないというのは、時にないはずのものがそこにあることよりも恐ろしいのだ。

「っかしいな。デカいから手探りでもすぐ探し当てられると思うんだが。」
「大丈夫かな、気絶なんてしてないといいけど……と、ポッポ君!? どうしたの、そんなに震えて!」

チックンが枯草だらけのチクチクした床を這ってポッポを見つけた時、彼の巨躯は並大抵ではないほど震えていた。ダンゴムシのように固く丸まったであろうシルエットは、怖さが度を過ぎたホラー映像を見てしまった時のポッポの姿を思い起こさせる。何か恐ろしいものに気づいてしまったのか? 彼の荒い呼吸から命に別状はないことに胸をなでおろしながら、しかしチックンの心は親友を苦しめる未知の恐怖に怯えを見せ始めていた。

「お、おい。どうしたんだよ。何か見たってのか?」
「ポッポ君、落ち着いて。大丈夫だから……。今は何も見えないし、出れないけど、きっと何とかなるから。」

2人はポッポに寄り添うように、その手を震える丸い背中に押し当てる。冷たい暗闇の中でそこだけが温かく感じられる。それがきっかけだったのか、ポッポの震えは落ち着き始め、代わりにいつもの泣きべそが返ってきた。

「ごめんね、みんな……。ぼく、怖くって。さっきショータくんの、後ろに……」
「ちょ……俺のうしろぉ!?」
「何か見たんだね!? ポッポ君、落ち着いて、何かあったのか話してくれないかい?」

2人の寄り添いは、半ば抱き着くような状態に近くなっている。それはもはや、震えるポッポを抑え込むようにも、語られる恐怖を押さえつけるようにも見えた。

やがてほとんど震えの止まったポッポは、ポツリと漏らすように呟いた。

「さっき、一瞬明るくなった時にね、ショータくんの身長よりおっきなベロみたいなのが見えたんだ。」

ベロ? ショータとチックンは、思わず顔を(そこに相手がいるであろう方向に向けて)見合わせた。幽霊や妖怪の類でもなく、生物の体内器官である舌が、なぜ小屋の中に? しかもそれは、ショータの身長よりも大きかったという。ショータの身長は同級生とは比べるまでもなく小さなものだが、それでも1メートルはゆうに超えている。それほど大きい舌など、この陸上に存在しているのだろうか。もしあるとすれば、それは。

「それだけ大きな口が、僕たちのすぐそばにあるってことだよね……」

静まり返る小屋の中。何も見えず、互いの息遣いしか聞こえないこの空間では、居もしない怪異がうごめきひしめき合うのも容易に想像できてしまう。得体の知れない小屋に閉じ込められたこの状況で、その恐怖を認め打ち勝つのは容易ではないのだ。その事実を打ち払うように、チックンはかぶりを振った。

「明るくなったのは、一瞬のことだからね。もしかしたら見違いということもありうる。今は慌てるべきじゃないよ。落ち着いて、脱出の手段を考えなくっちゃ。」

その声は、いつもより張り上げられている。けして負けないように、闇に置いて行かれないように。その声を、ショータとポッポの2人も追いかけ、静かに、うんと声を上げて肯定した。

「とはいえ、こう暗くっちゃ脱出口も見えねぇよな……。ポッポ、明かりとか、何か頼りになるもの持ってきてないか?」
「うんと……明かりはないけど、冒険に欠かせない食べものは持って来たんだ。食パンに、カップラーメンに、缶詰セットもあるよ。コンビーフも良いけど、ニシンのオイル漬けがパンに合って、おいしいんだあ。」
「食いもんばっかじゃねぇじゃねぇか! んなんでどうするんだよ。」
「でも、食べものは大事だよ。もしここから今日出られなかったらって思ったら……うう、ショータくんはなにかご飯持ってきた?」
「俺? 俺は……メシはねぇけどよ、まあ菓子ならあるぜ。ポテチに、マシュマロに、ガムもある。まあ、明かりが無いんじゃピクニックにもならないと思うけどな……」

意気消沈、といわんばかりにショータがため息をつく。この暗闇の中では、何をしようにも何も見えない。脱出しようと留まろうと、何はともあれ明かりの確保が最優先に思われた。しかし、頼みの綱の懐中電灯は、電池が新しいだけの大きな文鎮と化しているのだ。

その時、チックンの頭が冴えわたる。ここが漫画なら頭上に出現した電球で辺りが明るく照らされるところだ。興奮した面持ちで、チックンは手を振り回した。

「明かりが無ければ、作ればいいんだ! ショータ君、ポッポ君、みんなの力を合わせれば、明かりが作れるよ!」
「作れるったって……どうすりゃ良いんだよ? 誰も豆電球なんか持ってきてねぇだろ?」
「僕らの持ち物を組み合わせれば、電球はムリでも、ランタンくらい作れると思うんだ。ポッポくん、ニシンのオイル漬けがあるって言ってたよね? 油は燃えやすいから、火種さえあれば、即席のランタンが作れるはずなんだ。」
「ぼくの缶詰を燃やすの? でも……チックン、火種なんて、どこにも無いよ。ライターも、子どもは危ないからって持たせてもらえなかったんだから。」

ショータも頷く。ライター、チャッカマンといった火器は、少年らから最も縁遠いツールだ。当然子ども1人が持ち出せるものでも、どこかで買えるものでもない。親に怒られてしまう火の気は、少年らにとってはタブーに等しい領域だった。火種も無いのに、燃料だけがあって、いったい何になるというのだろうか。

しかし、そんなタブーなぞ、チックンの控えめに灰色な脳細胞の前では無力なのだ。チックンはニヤリと口角を上げた。

「大丈夫。ライターもチャッカマンもいらないよ。ただ僕らは、自力で火を起こせるんだ。ショータ君、君の懐中電灯と、ガムがあればね。」

とうとうショータは、目を丸くして固まってしまった。

ショータとポッポは、不安げな面持ちでチックンの声のする場所を取り囲む。チックンは、ポッポからオイル入りの缶詰を受け取るとフタを開け、ねじったティッシュペーパーを漬け込んだ。確かにこれで、火種さえあれば簡易的なランタンになる。そのことは他の2人にも容易にわかるのだが、どうにもそこから、電球の無い懐中電灯と、ただの板ガムとで火を起こせるのかがわからなかった。

そんな2人を尻目に、チックンはショータから懐中電灯とガムを受け取った。カサリと音がして、ガムの包み紙が開けられる音がする。

「ガムは、実は必要ないんだ。僕が用があるのは、この包み紙のほうさ。」

だからあげるね。そんな声と共にガムがショータの手に戻される。ショータはちょっと困惑したが、他にすることもないので、ポッポの脇腹を小突いてそれを与える。ポッポは、そのガムを美味しそうに頬張った。

そうこうしている内に、チックンの包み紙を触る手が止まる。

「よし、できた。暗くて見えないから手探りだけど、なんとか折れたと思う。」

チックンが輪郭をなぞる。その銀紙は、細く折りたたまれた形状の上、真ん中が針のように更に細くよじられた形状をしていた。電球の、フィラメントのようだ。そう思うと、なんだかこの明かり造りがうまくいくような気がして、チックンの顔は自然にほころんだ。

「後は、懐中電灯の出番だ。とはいえ、実はこれも電球や本体はいらない。この中身さえあれば良いんだ。」

フタを回し、外す。チックンが重たい大型の懐中電灯を振ると、果たして中からは新品の単一電池が転がりだした。チックンはそれを大事そうに手に取ると、細くした銀紙の両端を持ち、電池の+極と−極に押し当てた

するとどうだろうか。3人の視線の集う中、銀紙の細くなった部分が通電して熱を持ち、本当にかすかにだが光りだしたではないか。

「おおっ」

誰ともなくどよめきが上がる。チックンは冷静に、その豆粒のような火種を切らさないように、ゆっくりと油に浸したティッシュペーパーへ押し当てた。少しずつ、焦げくさい匂いがあたりに漂い始める。息をするのも忘れ、訪れた永遠にも感じられた静寂は、やがてティッシュに光るオレンジ色の条線を持って打ち破られた。線はみるみる広がり、やがてティッシュの4割ほどを焼いたところで、ハッキリと目に見える炎になった。

黒の背景の中、オレンジ色に輝く、少年ら3人の顔が照らされる。3人の笑顔は、ランタンに灯る宝石のようなきらめきよりも明るく輝いていた。


3-3.

手製の小さいランタンだというのに、この安らぎは何だろう。揺らめくオレンジの炎を見つめながら、へたり込み、身を寄せ合って安堵の表情を浮かべる。3人はしばし束の間の安息を享受した。

そうしていると余裕も出てくるというもの。目が慣れてきた頃、それぞれは小屋の中へと目を向ける。床に散らばるエロ本と数個の空の木箱以外、特に目ぼしいものは見当たらない。後は少しの土と大量に生え散らされたカラカラの枯れ草があるばかりだった。

「なんでえ、やっぱり普通の小屋じゃねぇか。ポッポ、でっかいベロなんてねぇぞ?」
「ほんとだねえ……見まちがいだったのかなあ。」

首をひねるポッポの肩を、チックンの手がポンと叩いた。

「なんともなくて良かったじゃないか。扉が開かなくなったのも、きっと単に強く閉めて壊れちゃっただけだよ。」

蝶番のとこを照らせばきっとすぐ直せるよ。そう少し大声を上げたのは、暗い雰囲気を吹き飛ばして発破をかける意味もある。小さなランタンでは未だに仄暗い小屋の中であっても、チックンは周囲に目を配るくらいの余裕を取り戻していた。他2人もそれは同じようで、てんでバラバラにのそのそと辺りを歩き始める。

「でもようチックン。俺の蹴りでも壊れないんじゃあ、相当こじれてるんじゃねぇかな。まだ薄暗くって、よく見えないなぁ。」
「ピッキング、鍵開けを試す必要がありそうだね。明かりを増やして、もっと扉周りを照らして見ようか。」
「ぼくの缶詰、もっといるかな。全部あけて、ここに置いとくねえ」

ポッポがもそもそリュックを漁ると、出るわ出るわの大量のオイル漬け缶が取り出されてきた。20はあるんじゃないかという量に、ショータとチックンは圧倒されてしまう。量も凄いが、これを持ち歩いて平然としているポッポの怪力ぶりも凄まじいというものだ。

パキュ、ポキュ、と、缶を開ける音が小屋の中に響きわたった。

「はふう、あと少しであけ終わるから、待っててねえ。これ油以外全部食べなきゃだよね、大変だなあ。」
「んなもん捨てってもよくねえか?  こんなに食える人間なんていないぜ。」
「扉をこじ開けるのに時間がかかるから、少し食べててもいいんじゃないかな。でも、誰かに手伝ってほしいくらいだねぇ。」

パキ、ポキ、と音が続く中、3人の控えめな笑い声が混じる。その穏やかな旋律は、あと残り一つの缶をポッポが掲げた時に途切れた。

バキョッ。

明らかに異質な硬い音。3人は目を点にして、おずおずと音のした方を見る。ポッポが呆然とした顔で腕を掲げている。その手に、缶詰は握られていなかった。

「ポッポ、缶はどこやった?」

ショータの少し焦った声に、しかしポッポはぽかんと手を見つめるばかりだった。やがてポツリと、漏らすように報告が返る。

「取られちゃった……」
「は? だ、誰に?」

ポッポに駆け寄るショータを尻目に、チックンの心中には急速に暗雲が立ち込め始めた。オイル缶ランタンの火は小さい。硬い音のした時、3人は小さな火を囲もうとすぐ側に居たのだ。

チックンは静かに、しかし急いで残りのオイル缶にも火を灯し始めた。

「チックン、何してるんだよ?」

気づいたショータが不安そうに声をかける。チックンは返事をせず、もくもくと灯りを増やしている。その表情は真剣で、頬には冷や汗すら流れているようだった。

「嫌な予感がするんだ。」

ポツリとチックンが呟いたのは、灯り点けも残り2割といったところに差し掛かった頃だった。

「ショータ君、ポッポ君、離れないで。缶を取ったのが誰でもないなら、ここに僕ら以外がいるのは明らかだ。」
「お、俺ら以外? 周りを見てくれよ、何も無い小屋じゃねぇかよお。」
「見た目には、ね。擬態、透明化、異次元。見た目ではわからないのが、怪異だよ。今までもそうだったよね? 僕ら、今まさにヤツらと遭遇してるのかもしれない。それも、とびきり危険なヤツに。」
「でっ、でもお。怪異っていっても、まだ怖いやつと決まったわけじゃない、よね?」

ポッポが震えながら聞いたのは、そうであってほしくないからだ。チックンは黙って頭を振った。

「悪意が無いなら僕らから隠れないと思う。今まで黙ってたのも、きっと、待ち構えて、僕らを狙ってたんだ。」

罠だ。その時チックンは唐突に閃いた。こんな河川敷の真ん中に、一体何の用があって小屋が建てられた? 小屋の周りは足の踏み場がないほど草に覆われていて、誰かに使用されている形跡もなかった。小屋の中も土と枯れ草がむき出しだった。小屋が、小屋の上っ面だけが、"何もない草原に突然現れた"のだとしたら? カタカタと身体に震えを感じながら、脳裏に渦巻く疑問を追い掛けた。一体、何が、何のために。

「食事だ」

手元に握る魚の缶詰を意識した瞬間、チックンは自然にそう呟いた。チラと横目でエロ本を見る。床に散らばるショータ君の宝物。宝探しに来た人々の失踪。小さい頃、祖父に連れられ、美味しそうなエビを針先に付けて海に放り込む釣りを楽しんだ記憶が蘇る。宝は、エサだ。待ち構えて、僕たちを誘い込むための。

だとすれば、その捕食者は

「あいたっ」

なんとか火を灯し終わった時、すぐ側で警戒していたショータが頭を押さえて声を上げる。すぐに続けて、コツン、カランという乾いた音が響く。3人は、恐る恐る足元に転がったものを見た。

缶だ。引き裂かれ、アルミの内面がギラリと剥き出された、ボロボロの缶。傷だらけの塗装からは、それがかろうじてポッポの持ってきた缶詰だったことが伺える。その中身は、1滴も残さず空っぽになっていた。

3人は誰ともなく、蒼白な顔を突き合わせる。ゴクリと唾を飲む音まで聞こえそうな緊迫の中、空気が重く粘度を増したように感じられる。静かな風鳴りのような、ゴロゴロという音まで聞こえ始めた。少年らはその音に聞き覚えがあった。片割れの太っちょがよく発する、食いしん坊のお腹の鳴る音に似た音。グルル、とでも形容できそうな低い振動は、3人の頭上から来るようであった。

少年らは、ゆっくり、上を見上げた。

「ぁぁああああぁぁあああああ!!」

黄ばんでギラリと光る鋭い無数の牙、脈動して絞り蠢く赤黒い歯肉、開いた空隙の奥に覗く3人を丸呑みできるほどの肉々しい舌。口だ! 小屋の天井が、途中からそっくりそのまま口になっていた。それは少年らに牙を剥いていた。

「「「ワ           ッ!!!」」」

少年らの悲鳴が、小屋の雄叫びに負けないくらいの大声で発せられた。


3-4.

「クソ、このっ!」

先に動いたのはショータだった。ブウンと風切音がして、草野球で鍛えられた強肩が火を吹く。その先の空中では、無骨で巨大な豆球を切らした懐中電灯が天井目がけてすっ飛んでいた。

が。バシンと音を立て、投げつけられたそれは肉の壁に埋もれてしまう。ぎゅるぎゅるとイトミミズに似た無数の肉の紐が絡みつくと、あっという間にがらんじめに締め上げられ、バギンと嫌な音を立ててひしゃげてしまった。「マジかよ」敵の怪力を眼前に、ショータの蒼白な顔から引きつった声がこぼれ出た。

「こっ、来ないでぇ!」

ポッポの情けない声が響く。2人が急いで振り返ると、肉の触手がポッポの豊満な身体めがけて絡みつこうとしていた。

「やめろ!」

ゴリュリと鈍い音がして、軟骨が砕けたような嫌な感触がショータの手に伝わる。とっさにリュックから引き抜いた木製バットは、正確にポッポの足元に迫る触手にヒットしていた。触手が後ずさり、壁に吸い込まれていくのが見える。

「ショータ君! 右!」

チックンの叫びに、右を見もせずフルスイングをかます。バゴンと重い感触と音にショータが顔をしかめてみれば、ちょうど木箱と肉塊が融合したような異形の物体が、バットの先でゆらゆら揺れていた。

「なんじゃこりゃあっ!?」
「擬態だ! ショータ君、ポッポ君、小屋全体が、小屋に化けた肉の怪物だったんだよ!」

何処から取り出したか、百科事典を手にペチペチ触手をはたいていたチックンが叫んだ。

「ギタイっ……ぜ、全部の壁と天井が敵ってことかよ!」
「それと残りの木箱3つも! 多分、小屋の中の人工物全部、僕らを食べようとする怪物だ!」
「いやあああああっ!」

チックンの鋭い叫びに、金切り声を上げてうずくまるポッポ。その巨体をベチンと叩くショータの手があった。

「言ってる場合か! 木箱から来るぞ! ポッポ、何処でもいいから俺を放り投げてくれーーーっ!」

ショータの気迫あるシャウトに電撃を受けたように立ち上がるポッポは、なきべそでろくすっぽ前も見えてないと言うのに、ショータの身体をむんずと捕まえて天高く放り投げた。ショータは、三方の木箱が触手に転じ、同時に襲い来るのをしっかりと見ていた。こんなの、野球のボールよりは遅いはずだ!

「ウラァーーーーーーーッ!」

投げ上げられた勢いをバネに、ショータの身体が竜巻のごとく空中でグルンと回る。その手にはしっかりとバットが握られていて、襲い来る触手全部にフライ級の打撃を与えた。怯んだのか、触手には一旦壁際まで後退していく。

「今だ! 中央に集まれ!」

ずでんと地面に打ち据えられ、げえっと痛ましい声がショータの喉からこぼれる。そのすぐ真上に、蒼白なチックンの顔と、泣きじゃくるポッポの顔が突き合わされた。ショータが跳ね起きる。3人は誰ともなく、互いに背を預けて四方の肉壁を見た。さっきより、肉が分厚くなりこちらに迫っているように感じる。

「マズいよ、囲まれた上に、壁が迫ってきてる!」
「ぼ、ぼくら、お肉にぺしゃんこにされちゃうの?!」
「んなもん見りゃわかるよ! なんか弱点とかないのかよお!」

ショータの怒鳴り声を背に、周囲に視線を飛ばすチックン。周りは肉、肉、触手、土、枯れ草、肉、泣きじゃくる友の顔、肉ばかりだった。

しかし、チックンのフル回転した小さな頭脳は、その瞬間のわずかな違和感を弾きだした。先程から、襲い来る触手の動きが少し緩慢ではないか? まるで、少年らに近寄りがたいとでもいうように。

争いでずり落ちかけたメガネは、3人の背後にぐるり視線を向ける。チックンは、その先にあるものを見逃さなかった。

「これなら!」

チックンはにじり寄る触手に背を向け、3人の背中合わせの背後にしゃがみこんだ。チックン! 2人の悲鳴に近い呼び声が響く。背を向けたのをこれ幸いといわんばかりに、チックンの無防備な背中目がけて触手が飛びかかったからだ。バギンボキボキと、チックンの背骨が逆方向に折り畳まれる、そんな様が脳裏をよぎった。

「これを見ろ!」

しかし、そうはならない。ギッと音を立て触手が後ずさったからだ。それを見て、ショータとポッポは目をみはる。歯を食いしばり腕を突き出すチックンの手の上には、ボウッと燃えるオイル缶の炎が灯っていた。

「やっぱり! こいつら、火に弱い。みんな! 火を持つんだ!」

その号令に、2人は弾かれたように缶を手に取る。その先端に灯る火をかざすと、確かに近づいてきた触手は怯み、近づけると逆に後ずさっていくようだった。

「す、すごいよチックン! お肉が逃げてくよ」
「しっかし、こんなちっこい火じゃジリ貧だ! キャンプファイアぐらいデカくならねぇか!?」
「わかってる! でも、他に燃えるものなんて」

そこまで言って、キャと声が上がる。ポッポが地面の凸凹に足を取られて尻もちをついたのだ。

ポッポ! と2人が声をあげようとして、その声が止まる。ポッポの周りの触手がサーッと引いていくのが見えたからだ。どういうことだと目をみはると、ポッポの手から滑り落ちた火は、メラメラと地面に野放図に生えた枯れ草に引火していた。触手は、その炎から逃げ惑っていたようだった。

顔を見合わせたショータとチックンは、声も出さずお互い頷く。そして2人は、足元のオイル缶と火種をいっせいに投げつけ始めた。

「ギャッ」

少年らは初めて、小屋の悲鳴を聞く。枯れ草はカラカラに乾いていて、ちょっと火種と油をぶつけるだけでメラメラパチパチと燃え上がった。あっという間に、3人の周りは炎のカーテンに包まれる。触手は逃げ惑うように身をくねらせ、こちらには近づいてこられないように見えた。

「ハンカチ!」

チックンの鋭い声に、3人は一斉にポケットからハンカチを取り出し、口元に当てた。室内火災の煙を吸うとどうなるか、少年らはビデオと避難訓練でみっちりと学んでいたのだ。

腰を屈めて姿勢を低くすると、薄煙の下の層から、揺れる炎の間に、一条の白い光が見えた。

「扉だ!」

チックンの泣き出しそうな声を背に、弾けたようにショータが飛び出す。中腰のまま、片手にはハンカチ、片手にはバットを握りしめ、忍者のように扉へ飛びつこうと走る。

その瞬間を小屋は見逃さなかった。

「ショータくん、危なあい!」

太い触手が炎の合間をかいくぐり、ビュと音を立ててショータの腹に絡みついた。ギリリと締め上げられ、ショータのバットはあと一歩扉に届かない。

「イデデデデデッ!」

バシンバシンと、しっちゃかめっちゃかバットで触手を殴りつけるが、締めつけは緩まらない。ぐええと声にならない声がショータの小さな体躯から絞り出される。その刹那、バッと巨体が炎の合間から身を踊らせた。ポッポだ。ポッポは太い触手にひっしとしがみつくと、うあーっと黄色い声を上げて力任せに引っ張った。

体感永遠、実測3秒ほど格闘があり、ミチミチ音を立てながら、ポッポのしがみついた触手が少し引き剥がされた。そのわずかな隙間から、白く縮み上がったショータが軟体動物のようにズルリと這い出てきた。ハンカチを真っ赤な顔のポッポに押し付け、急いで引きずってチックンの側に駆け戻る。触手はふらふら辺りを探っているようだったが、むき出しの扉を見つけたのか、ビタンとそこにへばり付いた。その周りに細い触手が集まり、一度は見えた扉がみるみる肉のカーテンに埋もれ始める。

「クソックソッ、あと少しで出口だったのに! もう一度行かせろ!」

蒼白が怒りですっかり真っ赤に戻ったショータの顔を、険しい顔のチックンが見つめた。

「ダメだ。」
「なんでだよ! もういっちょう火を放てば、今度こそ」
「だからダメなんだ! 火が、弱まってきてる!」

ハッとして、ショータは周囲に目を凝らす。油と違い、枯れ草の燃えるスピードは早い。一時は小屋中を埋め尽くすほど広がった炎の渦は、今やその大半が黒や灰の間にわずかに光るのみになっていた。衰える火勢の中、今か今かと火が消えるのを待ちわびる触手どもが蠢くのも見える。ジリリと、肉壁が盛り上がり、広がった少年らのテリトリーを再び奪い去ろうと動き始めていた。

「ど、ど、どうしよう。ぼくたち、どうすればいい?」

3人は再び背中合わせになり三方を睨みつける。バットや百科事典やしっちゃか振りかざした拳も、段々相手を怯ませるに留まり有効打に欠けるようになってきた。火勢はますます衰え、今にも壁と触手が3人めがけて飛びかかろうとしている。押し寄せる肉の圧に、もはや3人は押しくら饅頭の状態だった。

「どーすりゃいい、チックン、なんか無いか?! 火種になりそうなもの!」
「そうは言っても……! オイル缶も、草も、今燃えてるので全部使い切った。もう、燃えるものなんて……」

そこまで言って、チックンの声が尻すぼみになる。「お、おい」ショータが目を配ると、じっと視力の低い目を凝らして足元を見ているところだった。

「いや……これならあるいは……」

チックンがバッと顔を上げる。「ショータ君、これだ。これを燃やすしか、生き残る道は無い。」その今までになく真剣な表情に、戦いの最中であってもショータは一瞬気圧される。ショータはチックンが指差すものを、ゆっくり見つめた。

「げげっ」

自然にショータの口からそう漏れたのは、それがショータにとっての宝物の1つだったからだ。つまり、何冊もうず高く積み上げられた、エロ本の数々である。エロ本が、火勢をかいくぐり少年らの足元に転がり、扇情的なその中身をまろび出していた。

「ショータ君、辛いかもしれない。けどこれだけの争いの中、コレは無傷なんだ。きっと、写真とか、細かい模倣はできなかったんだよ。つまりこれは、本物だよ! 本物の紙だ!」

見れば既にチックンの手には、最後と思われるランタン缶が握られていた。ぽたりぽたりと、垂れた油の雫が紙面にシミをつくる。ショータもまた確信していた。これは、擬態じゃない、本物のエロ本だと。

だからこそだった。

「い、嫌だ!」
「頼むよショータ君! もう燃えそうなものはこれしかないんだ。油をかけて燃やせば、きっと扉が浮き出すはず。」
「でもよ! せっかく、せっかく見つけたエロ本なんだ! 見たこと無いカラー写真から、海外のまでたんまりあるんだぜ!? こんなの、何処でも見たことない、人生初めてのお宝なんだよ。な? こんなの二度と絶対手に入りっこねえんだ! それに、それに……俺、まだほとんど読んでねぇんだよう……」

燃やしたくない! いや燃やす! そんな押し問答が続く。その陰ではポッポが半べそどころか全べそをかいていたが、懸命に大きな腕を振り回し続けていた。だが、とうとう限界だ。1つ、また1つと、枯れ草の火が消えていく。その灰の合間を、ヘビのように触手が四方八方から這い回り近づき始めた。

「ショータくんチックンくん! もう、時間がないよう!」

ボロボロ涙を流す金切り声を聞いて、やいやい言い争っていたショータは頭をかきむしった。

「ああもう分かったよ! 命あっての物種だ! 燃やしてくれえーーーーーッ!」

それを聞き、チックンは「ありがとう」と呟いて、そっと火種を手放した。その下に油がぶち撒けられ、オレンジ色の火がぶわりと広がる。あっという間に、エロ本は火の海となり、全てを焦がすような激しい炎へと変わっていった。

そうなると、たまらないのは小屋の方だ。

「ギャアアアア!」

みるみる内に触手がのた打ち回る。エロ本から上がった火柱が天井を舐め、小屋の口内を直接炙ったからだ。悲鳴と共に小屋全体がギシギシ震え、やがてサーッと四方の肉壁が後ずさりし始める。

やがて、やがて一筋の光が少年らを照らした。埋もれていた扉が再び現れたのだ! 少年らのススだらけの顔は明るく輝き、全員が一気に扉へと駆ける。今度こそ3人がすがりついた扉はみすぼらしい木の感触がした。その扉の隙間から漏れ出す眩しい光に、少年らは感涙する。あと少し、あと少しで……!

3人の手が、扉に添えられる。背後でのたうちまわる肉共を背に、少年らは頷きあい、グッと、全身全霊をかけて最後の扉に力を込めた。やがて、ゆっくりと、扉は外へと動き始め、眩い光が少年らを包み込み……!


4.

4-1.

「そこで何をしている!!」

一瞬、少年らの思考は怒鳴り声で停止した。それより少し遅れて、必死にすがりつきこじ開けようとした扉が既に開かれていることと、目の前に険しい顔でこちらを睨む、警官姿の若い男性が立っていることに気がついた。扉の取っ手は彼が握っている。他ならない外から、既に扉は開かれていたのだった。

「来なさい!」

3人の身体がいっぺんに掴まれ、凄まじい力で外へと引っ張られる。眩しすぎるほどの待望の光が少年らの顔を照らすが、もはやそれを喜べるような状況ではない。端的に、そのおまわりさんは、かなり怖かった。

半ば強引に引きずられる格好で、小屋から少し離れた木陰まで移動して、4人はようやく立ち止まった。なおも険しい表情で目を凝らす姿を見て、ようやく後ろを振り返る猶予が生まれる。そこには荒れ狂う肉塊の姿は無く、ただのオンボロ小屋と、火が消えた後のくすぶった薄黒い煙だけが漂っていた。

「私は、東町交番の五十嵐いがらし巡査だ。」

鋭く、しかし冷静な声。慌ててそちらに向き直る。五十嵐巡査と名乗った男は、若々しく整った、しかし鉄仮面のように表情の読めない顔で、じっと少年らを見つめていた。

「正直に答えなさい。中で、何があった?」

怒っているのか、怒っていないのか、わからない声色。少年らの誰もが、自然と背筋が伸びるのを感じた。ススキのそよぐ、かすかな静寂。

おずおずと、か細い声で口火を切ったのは、少年らの中では1番冷静なチックンだった。

「ごめんなさい!」言葉を挟む余裕も与えない内に、勢いよく頭を下げて声を上げる。「僕ら、テストの答案を燃やしていたんです。」

五十嵐巡査は、顔色1つ変えず聞き返した。「燃やしていた? あの小屋で?」
「はい。点数が悪くって。親にバレたら困ると思って、たまたま見つけた使われてない小屋に入って、燃やしました。」

後ろで顔を見合わせたのはショータとポッポだ。だが、少年らの少年SCP団としての今までの経験から、大人に出くわしたときの対処法はしっかりと心得ている。少年らの示し合わせに言葉は無用だった。息を継ぎ、3人は本当にかすかにうなずいた。

「「「ごめんなさい!」」」

キレイにハモった声が、河川敷に響く。少し大げさなくらい大きく、悲痛な謝罪の言葉は、しかしこれまでの圧倒的なまでの危機的状況から、真に迫った声色が滲んでいた。

五十嵐巡査は、仁王立ちのよう姿勢で、黙って腕を組んで3人を睨めつけた。

「……なるほど。他には、何もなかったと?」
「は、はい。」
「そうか。」

無言の圧力とはこのことか。真夏の炎天下とは思えない、深海のような重く冷たい空気が少年らを蝕む。じっと注がれ続ける視線がトゲのように突き刺さるのを感じる。こちらの事情を話してから、ピクリとも動かないおまわりさんの姿勢と表情は、今まで出会ったどんな大人よりも真剣で、空恐ろしいもののよう感じられた。これは、この瞬間から死ぬまで永遠に続くのかも知れない。

だが意外にも、次の言葉がかけられたのはすぐのことだった。五十嵐巡査の姿は一ミリも動かないままだったが。

「分かった。このことは親御さんには言わないでおく。だから、すぐに帰りなさい。そしてこのことは、なるべく他の人には言わないように。」

分かったね?と掛けられた言葉は、その姿からはまるで結びつかないほど、優しい声色だった。それが逆に不気味で、喜んでよいやら、怖がるべきやら、少年らの誰もがその心中をざわつかせる他無かった。

誰も何も言えないでいると、それを渋っていると受け取ったのか、五十嵐巡査はチラリと小屋を伺った。そして踵を返して近づくと、ただの小屋に戻ったその場所から、ポイポイポイと少年らのリュックサックを引っ張り出した。それらを片手に軽々運び、全員の手にむんずと握らせる。かと思うと、次の瞬間には再び元の鉄面皮に直立の姿へと戻った。優しさ、なのだろうか。どちらかというと、少年らには帰宅を促す圧に見えてならなかった。

「わ、わかりました。それじゃあ。」

誰が声を絞り出したかも思い出せない。短くただ口から漏らすようにそう呟くと、脇目も振らず、少年ら3人はその場に背を向けた。去り際、川の土手の短い階段を登るところでちらりとショータが振り向くと、身じろぎ1つせず直立不動のまま、こちらに視線を向ける五十嵐巡査の姿が見えた。その瞳はこちらをじっと捉えているようだったが、この距離ではその色までは伺えない。少し、身震いが出た。

「……行こうぜ。」

ショータが歩き出す。黙って、チックンとポッポも頷き、その後に続いた。

後には、動かない五十嵐巡査と、動かない小屋だけが残された。

4-2.

「……行ったな。」

少年らの背が土手の向こうに消えたのを見届けて、五十嵐巡査は素早く踵を返した。軍人のような規則正しく迅速な歩法で、歩を進める先にあるのは例の小屋だ。

扉は、まだ開かれている。注意深い者が見たのであれば、その扉の一部がえぐれ、かすかに痙攣しているのが分かっただろう。五十嵐巡査は、一部の躊躇もなくその扉から中に侵入すると、ぐるりと小屋の内側を見渡した。

「中央で焚き火。変異前か、あるいは直後だったか。」

その鋭い視点が、でこぼことした壁面に向けられる。ツカツカと歩み寄り、次の瞬間には紫色に瞬く一閃がある。眼にも止まらぬ速さで引き抜かれていた警棒は、なぜか刃も無いのにその壁を容易に引き裂いた。

「ギッ」何処からともなく悲鳴が上がる。断面は、痙攣する肉のぬたつきがあらわになっていた。その傷口に、五十嵐巡査は臆面もなく手を突っ込み、凄まじい力でこじ開ける。

「……あの少年たち、運が良かったな。」

手に力が込められる。その壁の内側には、血と唾液のような粘液の中に、はっきり”人間の死体”と分かる物体が収まっていた。死体の四肢は無く、ゆるりと解けた末端はそれが溶けて消えゆく最中にあることを伺わせる。それは10も20も壁の中でうごめき、剥がれ落ち、意思を持たないまま肉壁のぜん動に身を委ねていた。

だが五十嵐巡査は、そんな死体には眉1つ動かさず、その死体袋の下方を一瞥した。その底には。

「……なるほど。疑似餌の、コピー元という訳か。」

比喩でなく、本物の眩い光できらめく、金銀財宝と呼んで差し支えない貴重品の数々。金の延べ棒や宝飾品、現金や有価証券、カメラやコンピュータなど希少で高価な電子機器の数々。それらが、外から差す細い光の中に浮かび上がり、死んだ肉の中で輝いていた。

「下らん。」

吐き捨てるような呟き。それで興味を失ったのか、はたまた目的を果たしたのか。五十嵐巡査は壁から手を離し、踵を返す。一直線に扉まで向かうと、そのまま小屋を抜け出した。

「クリア。」

外へ抜ける瞬間、何処へともなく発された声。その裏で、小屋は傷口を開いたまま、静かに震えていた。

ざり、と川砂利を踏みつけ、五十嵐巡査は小屋に背を向け歩き出す。ちらりと動かない小屋を一瞥すると、ようやく彼はほうと息を吐き出した。

「それにしても、焚き火か。偶然だろうが、良い線だ。だが……惜しかったな。」

歩みを止めることなく、腰に下げた無線機を取り上げる。その表情は、ほんの少しだけ緩みを見せていた。

「そう、何よりも火力が足りない。」

素早くボタンをプッシュする音。短い電子音。歩みが止まることは無く、慣れた手付きで彼はそれを口元に寄せた。

撃てファイア

プシュ、と小さな音が四方から聞こえる。その刹那、バウと形容できるような轟音と共に、小屋が爆炎に包まれた。

   ギイいいいいいいいい!!!

そうとしか言い表せない形容しがたき絶叫を上げて、小屋が身をよじって燃え盛る。彼はそれを、ただじっと見つめていた。

「……これぐらいじゃなきゃ、ヤツらは倒せない。」

歩みを再開し、再び無線機を手に取る。

GOC極東支部の五十嵐です。発見個体の粛清を遂行しました。手順通り焼殺を確認次第、一般への通報を行います。オーバー。」

口をつぐみ、前を向く。無線機を腰ベルトに戻した彼の手は、そっと彼の胸元から、1箱のタバコを取り出した。そのパッケージには"Peace"の文字が踊っていた。

背後の業火と比べ物にならないくらいに小さな火が、ポケットから取り出してきたライターに灯る。その火はタバコの先端に移り、吐き出された真っ白な煙の中に溶けて見えなくなった。

「あの少年たち、怖がらせてしまったかな……」

その小さな呟きは、炎の爆ぜる音に混ざりかき消される。背後の小屋は、まだ燃えていた。


5.

「しっかし、よくぞ生還したなあ。」

ブイーンとタワー型コンピュータのファンが音を立てる。昼間の熱気が残る畳張りの部屋の真ん中で、ぐんにゃりと座り込む少年SCP団の面々たち。その正面の椅子の上で、声の主たるコー兄さんが感心した様子で頷いていた。

ずりりと正座のチックンが顔を出す。

「ちょうど良くおまわりさんが来てくれて、扉を開けてくれたんです。あの扉、たぶん食虫植物とかの弁みたいなもので、外からしか開かず、中の人を閉じ込める構造だったんだと思います。開けてくれたのは、ホントにベスト・タイミングでした。」

チックンの状況説明に、コー兄さんはあごひげを撫でてニヤリと笑った。

「なるほどね。ちなみに、そのお巡りさんの交番に通報したのも、場所を教えたのも、僕なのさ。不審な動きの少年たちが居るはずって、匿名でね。」

えーっ。少年らのすっとんきょうな声が、部屋にこだまする。目を丸くして、なぜ、どうして、と呟く様に、コー兄さんはワハハと笑みをこぼした。

「いやあ、ちょうど運良くこの記事を見つけたのよ。コイツを見て、もしやと思ってね。一刻を争うような嫌な予感がしたから、通報して援護を求めたってワケ。一般人とはいえど、警官の装備なら太刀打ちもできると思ったし、実際助けになったみたいだからね。」

うんうんと、腕組みをしての深い頷き。どこか遠くを向いた目は、よく見ると安堵に緩んでいるようだった。ほう、と重たい息が吐き出される。

「結果的に読みが当たって本当良かったよ。話を聞く限り、君らの言う小屋の正体はコイツでビンゴだ。」

そう言って、コー兄さんはモニターを指差した。ギシ、とチェアを揺らして前を譲ってくれる。少年らは、先程までの疲れは何処へやら、我先にモニター前に殺到した。そこには、インタネット上に公開されたWebサイト、その中の1つの記事が表示されているようだった。

黒い背景に、チェスのルークのようなロゴが浮かぶその記事を見て、3人は口を揃えてそのタイトルを呟いた。

「「「何処からともなく納屋が来る?」」」

「「……って、"納屋"ってなに?」」

ハモった声で首を傾げたのはショータにポッポだ。その間に、ズレてもないのにメガネをクイと直したチックンが割って入る。

納屋なや、というのはね。屋外に置いておく、物置小屋を指す言葉なんだ。ひとくちに小屋といっても色々な用途があるから、その内の1種類を指すのが"納屋"というわけさ。」
「なるほどよう。で、その納屋がなんだってんだ?」
「ええと、それはね。コー兄さん?」

援護射撃を求めると、コー兄さんはコホンと咳払いを1つした。

「詳しくは記事を読んでみて欲しいけど、要するには"納屋に擬態した肉食のナニカ"がいるという体験談だね。この記事では普段は納屋としてじっとしていて時たま狩りに出るようだけど、君らの遭遇したのは、擬態と疑似餌に特化した亜種というところなんじゃないかな。」

ぽかんとした表情を見せる少年らの前に、指一本が立てられた。

「つまり、君たちは食べられる寸前の哀れな子羊だったってことだ。」

それを聞き、3人の肝は縮み上がった。小屋の死闘は記憶に新しく、その時の恐怖はありありと思い出せる。その記憶が"食べられる""死ぬところだった"と大人から太鼓判を押され、改めて空恐ろしく感じたのだった。

そんな3人の凍った背筋はつゆ知らず、コー兄さんは記事を見てふうむと嘆息した。

「にしても、実に惜しいな……せっかく"ホンモノ"が出たっていうのに、物的な証拠は何一つ残らずじまいか……」

その言葉を聞き、少年らの頭上には?のマークが浮かぶ。命からがら逃げ出したとは言え、小屋はおまわりさんの背後で確かにたたずんでいたはずでは?

その怪訝な表情に気づいたのか、今度はコー兄さんが目を見張った。

「知らないの? あの納屋、キミらが出てった後、不審火で全焼したらしいぜ。」

そういってツイとWebサイトにアクセスして見せてくれる。それは新瑞市のローカルニュースサイトで、確かに河川敷で火災があったことが取り上げられていた。幸いにも死傷者は無しとのことだが、火元の原因は不明で処理されているようだ。

という一連のストーリーを見て、少年らは顔を見合わせた。全員がヤベ……という表情に冷や汗を浮かべている。消えたと思ったあの火は、実は消えていなかったのだろうか。少年らとしては正当防衛を主張したいところだが、"納屋と死闘したために火を放ちました"なんて、基本的には誰に言っても信じてもらえないだろう。誰ともなしに、おずおずと言葉が口をついて出た。

「大人の人には秘密でお願いします……」

そのしおらしくなった3人の姿を見て、コー兄さんはふっと目を細め、項垂れた頭にぽんと手を乗せた。

「大丈夫、秘密にしておいてあげるよ。お兄さんは君たちを信じてるからね。」

そしてニカッと笑みを浮かべた。

「それに、秘密にしたいであろうショータ君の性癖まで暴かれてしまったみたいだからね!」

カッとショータの顔が真っ赤に染まる。ええ、ちがくて、とかなんとか、普段の騒々しさとはかけ離れた小さな声でどもりが聞こえる。

すぐ横でチックンのメガネが光った。

「うん。あの納屋の習性からすると、用意される宝は獲物の好みを反映してると思う。つまり……」

"巨乳かあ……" ショータ以外の誰もが脳裏にそう思い浮かべていた。ショータはというと、恥ずかしいやらイラ立つやらで感情が乱れたのか、うぎーっとか言いながら地団駄を踏んでいる。

「チェッ! 結局見つかったから全然読めずじまいだしよう! こんなことなら宝探し中とか嘘つかずに、こっそり家に持ち帰って読むんだったぜ!」
「ショータくん、大人に見つかるから、やっぱりまずいんじゃない?」
「ふふふ、そうだね。ショータ君の宝はそっとしておくに限るよ。結局のところ、僕たち少年SCP団としては、ひと夏の宝探しの冒険が1番の宝だったのかもしれないね。」

和やかに〆のムードに入り微笑む他3人を見て、ショータはすこぶる面白くない。他のメンバーはそうでも、結局自分だけお宝を燃やされてしまったのだ。それもこれも……全部あの納屋のせいだ!

「あのクソ納屋、もっぺん燃やしてやるーっ!」

ワハハハ! そんな賑やかな声が部屋に反響してこだまする。……その部屋の窓の外では、涼やかな夏の夕暮れ空が広がっていた。その夕闇に秘された茜色の向こうに、絞り出したような、かすかな叫び声が響き、やがて消えていった。



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