話にオチをつけるのは得意な方だと思っていたが、いざ己の人生を締めくくるとなると、何も書くことが浮かばないのは不思議なものだ。無人の文具屋からかっぱらってきた、一点もののうつくしい万年筆を持て余しくるくる回しながら、思う。
世界は終わり、また始まるらしい。パソコンを買い替える時、必要でないデータを消すように。世界が再起動される前に、人類は一度全て滅びるらしい。そして、私たちは概ねそれを受け入れた。
もちろん、個人一人一人は困惑や怒りがあるだろう。何故滅びなければいけないのかという不条理に対する反発は強いだろう。しかしこれ以上何かするには、人類はこの激動の64日に疲れすぎたし、何より世界を再起動できるという安堵を強く感じている、から。だから私達は、とうとう明日に来たる終わりに向け、それぞれ最期の準備をしている。準備なんて言っても、やれることは別にないのだが。
目を瞑り、潮の音に耳を澄ませる。他には誰もいないから、海と自分以外ここには何もない。一応親しい友人を誘ってみたものの、誰からも返信は来ず、結局一人でこの砂浜を踏んでいる。寂しいが、どこかでこうなることを望んでいた自分もいたと思う。彼らも私も、世界が終わる時は寂しくいたかったのかもしれない。
書きたいことも特にないけれど、インクと紙とペンはいっとう良いものを用意してしまった。磯の岩場に腰掛けて、水平線まで世界が広がっていることを確認する。足元に寄せて返す波の冷たさは確かな実感を持っていて、世界は広くて。終わる訳がないと、今更考えてしまいそうになる。
遺書を書くつもりも、遺作を書くつもりもない。いつかの誰かと違い、私は世界が終わる前の日に、実らぬ林檎を植えたくはない。だから持ってきたのは原稿用紙ではなく、羊皮紙をただ一枚だけ。白紙のままでも良い。この準備は、これまで何かを書いていた私の習慣と矜持だ。大した意味はないし、意味なんて必要がない。明日で終わる寂しい世界と、明日で終わる寂しい自分がいるだけ。
新しい世界で、新しい人類が地球を再び覆うとして。この今日という日の寂しさなど、理解できないのだろうなと思う。世界が一日きりしかないという寂しさなんて、世界が突然打ち切られた哀しさなんて、残してもどうせ誰も理解しないのだろう。
それで、いい。その方がいいと思った。だから私は遺すものではなく、ただ己の心を褪せた羊皮紙に記す。乾いた岩を下敷きに、一文字ずつ、やれるだけ丁寧に。
最期の一文字、クエスチョンマークを書き終える。まず間違いなくこれは残らないし、仮に次の人類まで残っても、誰も意味はわからないだろう。悪戯めいた気分で、四つ折りの羊皮紙を砂浜に突き刺す。自己満足ほど心地よいことはないからこそ、これをやってよかった。
どこまでも広がっているような、海と空、世界を見渡す。見渡せるだけを見渡し、名残惜しくも私は海に背を向ける。相変わらず一人で、相変わらず寂しいまま。
私と人類は、とりあえずは世界を去った。
説明: 「終わりとは寂しいものだよ、そう思わないかい?」と[編集済]社のインクで書かれた羊皮紙。当該インクの開発は19██年だが、鑑定では文章は200年以上前に書かれたものという結果が出ている。
回収日: 2010/██/██
回収場所: ████県██市の博物館倉庫
現状: サイト-81██の低危険物ロッカーで保管。