遂に大脱走劇は幕を開けた。
また今月もあの時期がやってきて、自分の収容房中に鼻を突く激臭を放つ汚物を撒き散らかすと、はたしてジャンプスーツを着た3人がやってきた。いつもならばジャンプスーツの1人はモップで部屋中の汚物を綺麗にしなければならない。だが今日は違う。今日はとある計画があった。
収容扉が軋みを上げながら開く。石像はまっしぐらに防護壁横の一角に駆け込んだ。その角はジャンプスーツが入ってくる時の死角だ。しかも、いまだに知られていない。中に誰かが入って居るでもしない限りその場所では見られはしないのだ。
たった一睨の視線にも捉われず石像はその角に潜んだ。いや、SCP-173の物理的存在がその場所に移った。事実、SCP-173は現実に動くわけでも、動かされるわけでもない。むしろ方程式を解くことに近い。「もし俺の速度がこうで、もし俺があの方向に向かうなら、俺はその場所にいる」という理屈が通れば、慣性の法則を無視して、SCP-173はあるべき場所に出現するのだ。
開き始めこそ重々しくあれど、収容扉はたったの3秒で完全に開いた。部屋に入る前に、3人のD-Classは部屋の中を見渡した。しかし、SCP-173が居るものだと思って見渡した目々がそれを捉えることはなかった。おかしいぞ、部屋は全くの空だ。事態はSCP-173の狙い通りに進んでいた。
3人いて誰も収容扉横をチェックせずに入ってきた。石像は連中に飛びついた。
筈だったのに、SCP-173はちっとも動いていない。
誰かの視線に邪魔されてしまった。誰かが部屋の外から3人のD-Classが入っていくのを見ていた。人知れず、奴らは入ってきていたのだった。
「ヘ〜〜イ、みんな〜〜!」
「こ〜ん〜に〜ち〜わ〜」
(あぁクソ!余計なことをしやがって!)
動くことができない — 毅然とした視線に氷漬けにされている。石像は憎悪の視線を2体の一ツ目の涙型の生物に向けた。単輪で動く一ツ目は、石像から視線を逸らさずに、だんだんと近づいてきた。
「とっとと失せろ!ああ?」
「ヘ〜〜イ、そいつは、いまいち〜イケて〜な〜いね〜」
「イェ〜〜ア、そいつは、めっっっちゃ、ひきょ〜〜だね〜」
「ごちゃごちゃ言ってんじゃねーぞ!てめえら俺の計画をめちゃくちゃに……」
3人のD-Classが振り向くと、2体のちっちゃいアイ・ポッズがSCP-173が隠れている場所を見つめていることに気がついた。ようやく、D-Classのうち2人はSCP-173の方に視線を固定し、3人目はモップ拭きを始めた。
「こんちくしょう、台無しにしてくれたな!」
「おやおや〜〜、それは〜〜ご〜めんね〜、せきぞ〜〜」
「イェ〜ア、めっっっちゃ、ご〜めんね〜」
「ゴメンで済ますかボケ!次やるまでに2週間も待たねえとならねえんだぞ、その前に連中はこの角をチェックしやがる。見事なもんだよクソ!」
「だっっって、キ〜〜ミ〜〜が何だか〜〜かんだか〜〜やって〜〜いる〜〜なんて〜〜知らなかった〜〜んだ〜〜」
「イェ〜〜ア、ぜ〜んぜ〜ん〜〜〜」
「黙ってくれねえか?アア?てめえらの声は今まで聞いた中で一番クソ耳障りなんだよ。黙れ。」
アイ・ポッズは義理堅い。数分間も沈黙を守った。部屋はモップがびちゃびちゃいうより他、物音一つしない。
「ヘ〜〜イ、せきぞ〜〜」
「黙れって言ったの覚えていねえのかクソ!」
「だ〜〜いニュ〜〜スだよ〜〜な〜〜にかな〜〜」
「失せろ」
「お〜〜い、だ〜〜いニュ〜〜スだよ〜〜当てて〜〜見て〜〜!」
「イェ〜〜ア、な〜〜にかな〜〜!」
「くだらない。うるせー!黙れ」
「え〜〜っっとね〜〜、ス〜〜ツニンゲンがね〜〜、ポッズを〜〜見〜〜つけた〜〜場〜〜所に〜〜行って〜〜きたんだ〜〜」
「で、てめえらを置き去りにすることを忘れて帰ってきたってか?んなわけねーか」
「違〜〜うよ〜〜……」
「みんな〜〜を〜〜連れて〜〜くるよ〜〜」
アイ・ポッズ-B(からし色)は収容房から出て行き、声も聞こえない場所に行ってしまった。もう一方は、石像を黙って見ていた。
「……何しようってんだ」
「じきに〜〜わかるよ〜〜」
「だめだ今教えろチビゴミ野郎。あいつは何を連れてこようとしてやがる?」
アイ・ポッドは何も答えない。アイ・ポッドはそれが驚きであると約束した、だから何を言われても沈黙を破らないだろう。お互い沈黙のまま、D-Classのモップ拭きが終わるのを待っていた。
ほどなくしてD-ClassはSCP-173の周りのモップ拭きを終えて、ホッとため息をつくと、血と糞に塗れたモップをバケツに投げ入れ、残りの二人に終わったことを合図した。
「おら、残念だったな、サヨナラの時間だ。なんだ、お前のサプライズとやらは見れずじまいだな。クソお気の毒だな。」
D-Classは収容房から出て行った。ただアイ・ポッドは動くことなく、まだ石像を見つめていた。防護壁も移動しなかった。
「ヘイ、ファックボール。あいつらモップ終わったぞ。てめえも出て行く時間だ。」
アイ・ポッドは答えなかった。動きもしなかった。
まさに石像が怒りの長広舌を開陳しようとしたその時、非常に幽かだが、物音が聞こえた。
車が殺到しているような音、数千の車輪が回転するような音が、一斉に、収容房に向かってきている。石像の背筋に悪寒が走った。もう何が起こるのかわかってしまった。からし色のアイ・ポッドが部屋に戻ってきた。
そして青色のアイ・ポッドも入ってきたのだ。
「ヘ〜〜イ、みんな〜〜」ポッズは涙声をあげた。
そのあとにライムグリーンのアイ・ポッドが入ってきた。
「ヘ〜〜ロ〜〜!」
それから紫色したのが。
そして赤色が。
灰色。
それから白。
次から次にやってくる。それぞれ別の色合いをした、瞬きすることのない瞳が入ってくる。
それぞれが癪に障る涙声で喋り、やってくるたびに石像に挨拶をするのだ。
そして、次々にやってくる。
「よ〜〜ろ〜〜し〜〜く〜〜!」
「ヘ〜〜イ、みんな〜〜!」
「ホ〜〜ラ!(スペイン語)」
「G'デェ〜〜イ(オーストラリア/ニュージーランド方言)」
「ボ〜〜ンジュ〜〜ル!」
1分も経たずに、部屋の床一面がアイ・ポッズの虹に覆われた。そして一体一体が石像を直視していた。
「ニンゲンは〜〜ポッズの〜〜ト〜〜モダチを〜〜見〜〜つけたんだ〜〜」からし色が誇らしげに宣言した。
「へ、へえ……そいつはご機嫌なこったな、じゃ、じゃあもう出る時間だよな、うん?ほら……あいつらモップ拭き終わったぞ、だからさ……もうてめーらも出ていかないとだな。」
「い〜〜や〜〜、出〜〜ていかな〜〜い!」
「は……はあ?なんで出ていかねえんだ?」
「ス〜〜ツニンゲン〜〜には〜〜部〜〜屋〜〜が〜〜ない〜〜から〜〜、ボ〜〜ッックスにポッズを〜〜入れる〜〜ことに〜〜したって〜〜」
「ボ、ボックスって?」
防護壁が軋む音をあげる。見られている以上、石像にそれを止めるすべはない。千もの瞬きすることのない瞳が石像を見つめている。防御壁が閉じるのも、錠が閉められるのも止めようがなかった。
「ポッズは〜〜、今日から〜〜、コ〜〜コ〜〜に〜〜住む〜〜。」