東京都地下鉄網現実分離事件 第一次捜査報告書
評価: +13+x

通達

生存確認のとれたすべての特事課捜査員が目下、警視庁本部およびJAGPATOと連絡が取れないことを鑑み、本課は連絡の取れた他部署の職員とともに、臨時地下鉄異常事態対策係を設置した。以下は、東京都地下鉄網現実分離事件についての、現在に至るまでの捜査報告書である。


USDLogo.svg

Metro%E5%AF%B9%E7%AD%96.svg

基礎情報


事件番号: H29-578

事件種別: 壬種五類(超常現象/現実解離)

捜査担当: 特事第二課 先島班

発報日時: 平成29(2017)年12月17日 09:03

事件概要

12月17日午前9時頃、都内地下鉄網において不審な通報が相次ぐ。音声はいずれも、強い無線干渉を受けたかのように不鮮明であった。通報の多くは数十秒で途切れ、逆探知の試みは等しく失敗に終わった。分析可能な情報は、都内の一部地下鉄駅で空間異常が生じていることを示した。報告はただちに特事案件として認定され、当直の特事第二課先島班が臨場した。

下達を受けた先島班は霞ヶ関駅に急行し、地下鉄網の捜査を求めるも、現場の駅員に阻まれる。許可状を提示すると、駅員は捜査への同行を要求した。この間、御茶ノ水駅の出入り口付近で大規模な空間歪曲現象が生じているとの新たな報告が入る。事態の緊急性を鑑み、捜査班は暫時妥協し、駅員の同行を受け入れた。

初動捜査では、霞ヶ関駅周辺に異常存在は認められなかった。特筆すべきことに、大規模な特事案件が生じているにもかかわらず、わずかな路線が「人身事故」を理由に遅れているのみで、市民の大半は事件を知らない状況にあった。先島班は本部に状況を伝え、東京メトロおよび都営地下鉄との連携を要請。丸ノ内線は運行を続けていたことから、先島班はそのまま御茶ノ水駅に向かうことを決定した。

池袋方面に移動中、東京駅から約200メートルの地点で、先島班は通信シグナルの急変動と、電子機器の異常を報告。9時25分頃、通信が寸断され、先島班は本部と連絡が取れなくなった。

関係者ファイル

portrait-secret.svg

名前: 先島 霧良(さきしま むりょう)

特徴: 日本人男性、33歳

身元情報: 警視庁公安部特事第二課先島班班長、警部

活動状況: 特事課捜査員。時空間異常関連の特事案件が専門。経験豊富。

portrait-secret.svg

名前: 神水流 篤志(かみづる あつし)

特徴: 日本人男性、26歳

身元情報: 警視庁公安部特事第二課先島班捜査員、警部補

活動状況: 特事課捜査員。コンピューターサイエンスおよびネットワークセキュリティの訓練を経験。オンライン上の特事案件に対処してきた。

portrait-secret.svg

名前: 辿保見 紫歩(たどほみ しほ)

特徴: 日本人女性、27歳

身元情報: 警視庁公安部特事第二課先島班捜査員、警部補

活動状況: 特事課捜査員。

portrait-noimage.svg

名前: 真 栞(さな しおり)

特徴: 日本人女性、24歳

身元情報: 東京メトロ霞ケ関駅駅員

活動状況: 一般人。上長の要求を受け、特事課職員の捜査に同行するも、先島班とともに消息を絶つ。

第一部

神水流篤志の口述記録

それじゃあ、僕から行きますよ。音、拾えてます?機器は……問題ないですね。よし。

あの時、僕らは御茶ノ水駅に向かってました。聞いた話じゃ、一番酷いことになってたんで。先島班長は、本部と無線でやり取りしてました。東京駅に差し掛かったところで、みんな「何かおかしいぞ」って空気になったんです。言葉だとちょっと、表しにくいな……色んな現場を渡ってきましたけど、異常に理屈もへったくれも無いってのは、しみじみ思います。ただ、災難の前ってたいてい、予兆的なものを感じ取るもんです。突然、数秒ほど、辺りがシーンとなりました。班長が無線で喋ってるのに、その声が聞こえなくなったんです。それからほどなくして、眩しい光に晒されました。

気付くと、自分は床に倒れていました。下側の面がズキズキ痛んで、激しい耳鳴りもしていました。なんとか身体を起こしたところで、ようやく、目が見えなくなったわけじゃないことに気づいたんです。若干ぼやけていたのは確かですが、腕時計の数字ははっきりと読み取れました。目の前が真っ暗だったのは、本当に辺り一帯、闇の中だったからです。しばらく手探りして、ようやく腰に下げていた懐中電灯を見つけ、ライトを点けました。

メトロの車体は傾き、窓ガラスが割れ、床に散らばっていました。そばに辿保見先輩が倒れてて、光を当てると苦しそうに体を起こしました。見た感じ、大きな怪我は無く、僕と似たような様子です。装備は2人とも無傷で、まだ楽観できる状況にありました。

「先島さんと駅員は?」先輩が聞いてきます。

班長と真さんだけじゃない。壊れた車輌にはバッグやトランクが散らばり、衝撃で飛び出たと思しい小物が、いたるところに転がってましたが、人っ子一人いませんでした。乗客全員が消えてたんです。片方のドアは、強引に引き千切られたように見えました。そんな馬鹿力を持つのがいったい何なのか、分からなかったけど……。ドアに向かって伸びる赤黒い跡が、それが残酷な答えであろうことを、暗に物語っていました。

血痕を調べると、血はすでに乾いていて、最近のものではありませんでした。どうも不自然です。

腕時計は11時過ぎを示してたんで、僕と先輩はいずれも、2時間ほど気を失っていたとばかり思い込んでました。けれど、日付のことを忘れていました。大きい数字の下に、小さい文字が並んでて、そっちを見ると「12月18日」を示していたんです。

26時間も過ぎていたことになります。

この26時間に、いったい何が起こったのか?どうして乗客がみんな消え、班長もいなくなって、2人だけが残ったのか?攻撃を受けたのは明らかで、大量の血痕が残ってるのに、どうして僕たちは無傷なのか?通信機器はすべて圏外です。2人は完全に孤立していました。

自分は少々、慌ててましたけど、辿保見さんはビックリするくらい冷静でした。彼女は、血痕がドアの外、東京駅の方向へ伸びていることに目をつけました。ここから東京駅までは近く、トンネルに沿って進んでいけば、どんなに慎重な捜査員だって、5分もかからない距離にありました。

トンネルの縁には点検用の通路があって、幅もそれなりに確保されていました。外から見ると、車輌はかなり激しく損傷していて、衝撃が一度だけじゃなかったことを物語っていました。千切れて歪んだドアの周りに、爪痕のような傷が残っています。本当に爪痕だとしたら、そのサイズはあまりにもデカすぎます。今回の特案に関しては、時空の乱れ以外に、別の何かも関わっているような気がしました。

トンネル内は風が強く、唸り声のような音を立てていました。思わず、ブルっちゃいましたよ。なんとも不気味な雰囲気で、懐中電灯の光もあまり助けにはならず、ただ道を見せてくれるだけでした。

確かに駅は近いんですが、僕らの歩みは恐ろしくゆっくりでした。トンネルには瓦礫が散らばり、ほとんどは列車由来ですが、判別のしようがないくらい、ぺちゃんこな破片も中にはありました。先輩は破壊現場の処理に詳しかったものの、それでもかなりの残骸を特定できずにいました。一部は生物由来に見えましたが、僕らが扱ったことのあるどんな生物とも違いました。正体不明の生き物……これが、引き千切られたドアや、その近くの爪痕を思い出させました。関係が無いことを願いましたけど、たいていの場合、否定しようとすればするほど、その可能性が高まってしまうものです。

遠くのホームで、動いてる人影が見えました。僕らは瓦礫を盾にして、望遠装備で観察しました。用心に越したことはありません。駅の照明は消えていて、代わりの光源として、外した非常灯を使っているようです。ホーム脇にはメトロが停まってて、箱詰めの荷物を上げ下げしていました。

「アイツら……」

マルボウ暴力団ね。」先輩が呟きます。レンズを拡大すると、辿保見さんの言う通りでした。腕にはお揃いのスミが見え、何人かはスーツの襟に菱形の装飾――家紋――をつけていました。ちょうど、複数人で木箱を運んでいるところで、箱に書かれた「東弊重工」の四文字が、望遠レンズを横切っていきました。

Fig_Touhei.jpg

辿保見紫歩の口述記録


神水流君ってば、ホラーチックに話そうとするあまり、ウチらの装備のこと、説明するのをすっかり忘れてるのよねぇ。

特事課の標準捜査装備は、消音拳銃、スプレー、懐中電灯、手錠、それにトランシーバーよ。ウチのチームは主に、時空系の特案を扱ってるから、望遠機能と解像度を高めた暗視ゴーグルも所持してる。他の細々した装備は、各自の裁量で選んでるわ。普段は全部、ベルトにぶらさげて、コートで隠してるの。夏はちょっと、変に思われるかもしれないけど、冬ならしっくり馴染んでるわ。

隠れるのに使ったのは、車輌側壁の破片ね。東京駅から来たヤーさんには、ウチらの姿は見えてなかったわ。けど、ホーム柵はハーフハイト腰高式で、ホームと線路を完全には遮っていない。少しして、連中がホーム側のスライドドアを外したみたいで、視界が開けてきた。このまま進めば見つかりかねない。全員倒すなんて、無茶な話よ。数人やっつけて駅に乗り込んでも、遅かれ早かれバレる——人が減れば、必ず気づかれるものだしね。強行突破を除くと、取るべき手段は一つだけだった。

ブツに夢中のヤーさんが見落とした、唯一のルート……ホーム両端の、作業通路よ。

作業通路の鉄扉は、ホーム端のドアの外、トンネルの壁に直に取り付けられてる。出入りしたことはないけど、ホーム後方に抜けられるだろうって、勘で思ったの。扉を開けとけば、ほとんどの視線を避けられるわ。’98年以降、ヴェール外の技術のおかげで、公共管理システムは完全な電子化を果たした。この手の専用扉には電子ロックが付いてるけど——幸い、ウチにはメカに強い奴がいるのよねぇ。

神水流に作戦を話したら、ちょっぴりビビり顔で、開けるのに数分かかると言い出した。こんなにホームに近いと、すぐバレるかもしれないって。けど、先島班長が消え、乗客も全員行方不明な以上、捜査を諦める理由も余地もない。私に言わせれば、前進がベストな選択だった。試してみなきゃ、分からないじゃない?奴らに見つからなければ、最小のコストで捜査を続けられる。失敗したって、こっちにゃ武器がある。ヤーさん数人シメるくらいなら、大事にはならない——捕虜にだってできるしね。特事課のスプレーなら、音もなく深い昏睡状態にできる。死んだも同然、後処理が若干面倒なだけね。仲間が減ったのに気づかれる方が、よっぽど面倒だわ。

「神水流、サイバーパンク2020って知ってる?」

「……なんすかそれ?ゲーム?」

「一種のボドゲー、正確にはTRPG」彼の反応、まったく予想通りだった。TRPGで有名なのは、だいたいCoCかD&D、その派生だけで、サイバーパンクシリーズみたいなほとんど絶版の骨董品に、今どき触れる人なんてそうそういないもの。それに、神水流はまず間違いなく、TRPGをプレイしたことすらないだろうけど、んなこたぁどうでもいい。「大事なのは、その中にネットランナーって職業があるってことよ」

私は彼に、サイバーパンクシリーズのハッカーがどうやってネットワークで戦うかを説明した。ドアの解錠なんて朝飯前だし、他人のバイオ義体やバックアップ意識をハックすることだってできる。いわゆる、ヤバイ級のハッカーってわけ。「カッコいいでしょ?アンタならもっとクールにできるはずよ」

「一応、『スノウ・クラッシュ』は読んでるんすよ、本官。SFのステレオタイプなハッカーでおだてようたって、そうはいきませんからね」神水流君もけっこう本読んでるんだって、ちょっとビックリ。彼はまだ、渋ってるみたいだったけど、結局、ほかにいい方法がないってことは認めてくれたわ。

「そんじゃ、解錠お願いね。サポは任せて。私の合図で、同時にドアへ移動するわよ」

ヤーさんはひとしきりブツを運び終わったみたい。トンネルの向こうから、ライトの光とゴーって音が聞こえてきた。帰る気はないみたいだけど、ほとんどの奴がライトの方を向いて、待ち構えてる。多分、次の搬入があるのね——何をどれだけ運んでるにせよ、チャンスよ。私は神水流に合図して、小走りで作業通路へ向かった。ホームが近づくにつれ、瓦礫がぐっと減って、隠れるのが難しくなった。神水流はすぐに、ドア脇の小さな端末に飛びついた。私は彼を体で隠しつつ、ピストルを構えたわ。

「どれくらいかかりそう?」小声で、彼に聞いてみたの。

「5分以内……ですかねぇ」

神水流篤志の口述記録

一つはっきりさせておかないと。何年か前、CD Projektの予告編を見たことがあって、サイバーパンクシリーズには若干知識があったんですよ。でも、彼らはどうやら『ウィッチャー3』の開発に集中してたらしく、何年も続報がなくて、だんだん頭から離れちゃって。辿保見先輩に聞かれて、ようやく思い出したんです。

作業通路の扉には、顔認証と虹彩認証を合わせたセキュリティシステムが使われていました。この手のシステムは一般的だけど、僕は普段、こういうのを扱いません。というのも、これは主に、公的機関で使われる技術で、特事課の捜査員なら基本、フリーパスですから。2004年に東京メトロが完全民営化して以来、運行システムは公開された新技術をどんどん取り込んで、認証システムもたちまち、公的機関のそれから派生していった。目の前にあるのはまさにそんなやつでした。一つ一つの部品は見覚えがあるのに、組み合わさると、全然知らない物に見えてしまうんです。

仕事道具はいつも持ち歩いてます。セキュリティ端末のインターフェースは扉の横にあって、ネジを外してカバーを取れば、引き出すことができます。僕はポータブル端末を取り出し、データ線を繋ぎました。

よくよく考えてみると、相当な思い違いをしていました。いま大事なのは、扉のロックを外して、中に入ることだけで、東京メトロにバレないようにする必要はない。どんなに痕跡を残したって、壊したって、たいした問題にはなりません。だって、ヤクザがメトロのシステム内で、出入りを逐一チェックしてるわけがない。機械的に引っかかったとしても、間近でサイレンが鳴ったり、ランプが点かない限り、僕らに影響はない。つまり、認証システムを丁重に扱う必要は、ほとんどなかったんです。解除の方法を見つけて、強引に扉を開ければ、それでOKでした。

この手のシステムの解除コマンドは、だいたい似通ってます。ロック機構とモーターを探し、配線をチェックしました。企業は強力なAIとかパラテックを使いがちですが、この扉のロック自体は普通の構造で、モーターで開閉する仕組みでした。お次は突破です。ポータブル端末のツールキットを開いて、作業を始めました。順調に行けば、セキュリティ端末から解除コマンドを送れるはずです。

「5分以内」って言ったのは、ちょっと控えめだったかも。数十秒後、カチッと軽い音がして、ロックが外れました。小さな音ですが、はっきり聞こえましたよ。振り返った先輩に、僕はうなずいて見せました。

それから、僕たちは素早く動きました。従業員通路に入り、先輩が扉を閉めようとした時、一段と重々しい轟音が聞こえてきました。扉の隙間から外を見ると、ヤクザの次の「荷物」——いや、荷物だと思っていたものが、到着していました。動きを止めた僕に気づいたのか、先輩は横で立ち止まります。

端的に言えば、ホームにメトロの客車が入ってきたわけですが、最初に目に入ったのは、疑問の答えでした。バラした客車を、ヤクザはどうやって動かしてるのか?ドアを引き千切って、傷をつけたのは何か? ——その答えが、ソイツだったんです。

「石は流れる、木の葉は沈む、牛は嘶く、馬は吼える……」ボソッと、先輩が呟きました。

車輌の連結器に鎖が取り付けられ、それを引いてるのは……巨大な、蜘蛛のような生き物でした。全長2~3メートルくらい、大きく丸い腹部を持ち、脚は胸部に集中。どの脚も、先が鋭い爪になっています。一歩進むごとに、地面をガリガリ擦る音が響きました。震える体は、ダークグレーの毛に覆われていて、縮れて絡み合い、見てるだけで気持ち悪くなりました。でも、一番ゾッとしたのは、昆虫恐怖症の僕でもなんとか耐えられそうな体ではなく、頭の方です。牛みたいな角が生えてるのに、顔は妙にのっぺりで——言いたかないけど、まるで人の顔みたいでした。

その生き物は、1匹だけじゃありませんでした。もう1匹、同じやつが車輌の後ろに付けていました。どっちも、体に何本ものロープを取り付けられてて、なんというか、馬具みたいでした……後ろのやつには鞍まであって、ヤクザらしき男が跨っていました。

角の生えた人のような顔が、荒々しい息を吐きながら、黒い瞳でこっちを見てきます。先輩が手を伸ばして、音を立てずにドアを閉めました。

「急いで」先輩が言い放ちます。

辿保見紫歩の口述記録

去り際に、ヤーさんの襟の模様を観察してみた。東栄会傘下・有村組——特事課がずっと追っている、指定暴力団の一つよ。

「あれは……何なんです?」慌てた様子で、神水流が聞いてきた。

「牛鬼。少なくとも、牛鬼に似た何か。連中が運んでる箱、何か引っかからない?」

「東弊重工って書いてあった——あっ、例の共同研究プロジェクトですか?」

「当たり。東弊とニッソは昔、深い繋がりがあった。マルボウが異常生物を手懐けて、東弊の荷を運んでるとなれば、その線を疑うのが自然だわ。ニッソの改造プロジェクトは、財団がほとんど解明してるし、ウチらの手元にもいくらかデータはある……でも、こんなのは見たことがない。まだ何か、秘密が残ってるってこと。班長なら、何かしら知ってるかも。彼の失踪には、マルボウが一枚噛んでるように思えるの」

「こいつら、地下鉄全体の騒ぎと関係ありますかね?」

「無かったとしても、関連付けるしかない。ウチらは特事案件を調べに来たんだから。目の前に明らかな特案がある以上、やるっきゃないでしょうよ。さ、行きましょう」

周りは見慣れない機器や計器だらけ。全部が全部、金属の箱に入ってて、こういうのには興味ないんだけど、神水流の目はしょっちゅう、そっちに吸い寄せられてたわ。突き当りのドアは、出入口の階段近くに繋がってて、見える範囲に人影はなかった。階段を上がると、視界がパッと開けた。——東京駅、地下1階。相当広い空間だった。電力は生きてるらしく、照明はいつもより若干暗いけど、安定してる。いくつかの店の看板は、まだ明かりが点いてたけど、店内にはやっぱり、誰もいなかった。真向かいには、グランスタ丸の内のショッピングエリアがあって——普段はこんなとこ、滅多に来ないんだけど、今回は入らざるを得ない理由があった。

——遠くから、乱雑な足音と、いくつもの叫び声が聞こえてきたの。ヤーさんの声だって、一発で分かったわ。通路に長居はできない。

私たちは弁当屋に身を潜めた。テーブルとか椅子とか、物陰がたくさんあって、隠れるのにちょうど良かったの。もちろんここも、無人だったわ。私はテーブルに腰かけて、キョトンとした神水流に声をかけた。「何突っ立てんの、立つのがお好き?」

「いや……だって先輩、ここ安全ですか?」

「とりあえず、一息はつけるでしょ」彼は気付いてなかったようだけど、ここが実際、一番安全な場所だった。姿勢を調整すれば、柱や他のテーブル、椅子で体を隠せる。どの角度からも完全に見えないわけじゃないけど、外から私たちを見つけるのは難しいはず。……もちろん、ヤーさんが急に背後に現れるなんてことがない限りは、ね。その辺の警戒は神水流に任せたわ。

しばらく待ってると、ようやく連中が視界に見えてきた。妙なことに、連中はマルボウだけじゃなかった。有村組の若い衆が、まるで軍の将校みたいに、何人もの市民を連れて、観光案内所の方からやってきたの。黒のスーツでバッチリ決めたヤクザと、薄汚れた普段着のカタギ、一目瞭然だったわ。角を曲がって階段を少し降りると、ヤーさんは市民を5、6人ずつの列に並ばせた。その時、集団の中から1人、中年の男が進み出てきたの。

「若頭?」

すぐにピンときたわ。この親父、ただのチンピラじゃない。スーツの隙間から覗き見えるモンモン、歩く時の貫禄。裏社会で長年生き抜いた証よ。有村組の資料で見た、幹部の誰かを思い出すけど、あの顔はどうも、組長じゃなさそうだった。お偉方なのは間違いないけど、名前がパッと出てこない。先島班長なら分かるかもしれない。

親父が何か言うと、ヤーさんは市民を列ごとに分けて、四方八方に散らばっていった。私は神水流に、物陰から身を晒さないよう念押ししたわ。

神水流篤志の口述記録

いやあもう、見間違いじゃないかと思って、何度も目を擦りましたよ。

連中は小隊みたいになって、丸ノ内線の3つの入り口に分かれて進んで行きました。その視線の死角、グランスタの斜め向かいにあるユニクロで、チラチラと顔が見えたんです。子どものようでした。その目は明らかに、こっち……僕らがいる方をじっと見つめていました。

「先輩、見つかったかも」

辿保見さんがパッと振り向きます。その時の表情、なかなか見ものでしたよ。僕がユニクロの方を指すと、驚きと苛立ちが入り混じった感じでしたけど、たちまち訝しみ10割の顔に変わっていきました。

その子はうなずくと、口の前に指を立て「しーっ」のジェスチャーをしました。2人のヤクザが人を連れ、通り過ぎると、その子はおもむろにサムズアップし、それから「こっちに来て」と、手をヒラヒラさせました。先輩にアイコンタクトします。先輩が何か言いたげなところ、僕は先取りしてうなずき、立ち上がりました。別の一団が角に現れた瞬間、腹を括って、通路の向かいに走り込みました。先輩も後ろから付いてきます。ヤクザが通路に入ってきたとき、僕らはもうユニクロの中に隠れていました。

ようやく、その子をちゃんと見ることができました。子ども——いや、少年だな。15、6歳くらい。UTコラボシャツを着て、iPadを抱えて、見た目は普通。でも、ほかの誰もがヤクザに捕まってる状況なんで、彼の存在はかなり目立っていました。

「君、どうやって…?」

「一旦、俺の話を聞いてください。アイツら、2組に分かれて地下に降りてます。つまりですよ、案内所側の通路は今、誰もいない。このルートなら、避けられる……」少年はiPadに図を描き、こちらに見せました。「青が、アイツらのルート、緑が、アンタらの辿った——そして、これから行くルートです」

Fig_Map.jpg

「大手町に行くってこと?そこには何が?」先輩が尋ねます。

「行けば分かりますよ。付いてきて」

少年の言う通りでした。角をいくつか曲がって、店を避けながら案内所の方に走ったけど、通りには本当に、誰もいませんでした。そのまま直進して、大手町駅に繋がる地下通路に入り、やっと緊張が少し解けました。東京駅の圏内を出たことで、なんとなく安心感が出たんです。少年も少し落ち着いたみたいで、ペースを落としていました。

大手町駅は駅構内だけを見ても、東京駅より複雑な構造をしていました。構内に入って右折、そのまま右方向に進んで、コインロッカー、サービスカウンター、駅務室を通過。券売機からまっすぐ十数メートル進み、左折してエスカレーターを降りると、千代田線のホームに着きました。降りた瞬間、ちょっとビックリ。何人もの人があちこちでダベってて、ドクペを飲んでる人すらいました。特案の気配はまるで見られない。東京駅でヤクザに捕まった人たちとは、まるで大違いでした。

何人かが、少年に声をかけました。その時、凛々しい見た目の男が下から——多分、半蔵門線の乗り換え通路あたり——上がってきて、少年に挨拶をしつつ、チラッと僕らを見やりました。一瞬視線を交わしただけなのに、どうにも胸騒ぎがしました。こいつ、パンピーじゃねぇな。目つきも歩き方も、なんだか……自衛官っぽい?

「お疲れさんね、フク」男が少年に呼びかけました。ちょっと変わった喋り方です。少年が手を差し出すと、男はポッケから飴玉を取り出して、ポンと投げ渡しました。少年は会釈して、そのままどっかに行ってしまいました。

「説明しよう」少年が遠ざかると、男は僕らの方に目を向けました。「さっきの子どもは裾野富久。東京駅で捕まってない人をここに連れてくる役目だ。俺は施友し ゆう、中国人。今はここの臨時リーダーってとこね。何故かと言われれば……これが答えよ」男はポッケから身分証を出し、こちらにかざしました。黒色のデカデカとした、五芒星のマーク——世界オカルト連合、極東支部。GOCのエージェントでした。

呆気に取られた僕の横で、辿保見先輩も手帳を取り出しました。「私たち、特事課の捜査員です。よければ、情報共有してもらえますか?」

第二部

裾野富久への聴取記録

portrait-noimage.svg

名前: 裾野 富久(すその ふく)

特徴: 日本人男性、16歳

身元情報: 一般人、高校生

活動状況: 高校1年生。特事課捜査員との接触時は大手町駅に避難しており、東京駅で有村組に捕まっていない市民を大手町駅に誘導する役割を担っていた。現在も大手町駅に長期滞在中。


本件は、東京都地下鉄網現実分離事件の初動捜査が概ね終了した後、臨時地下鉄異常事態対策係が、関心人物・裾野富久に対して行った聴取の記録である。本次聴取は臨時地下鉄異常事態対策係の暫定責任者・先島霧良が担当した。

先島: こんにちは。まず始めに、名前と職業を言ってくれるかな。

裾野: 裾野富久、学生です。

先島: 災害が起きた時、裾野君は大手町駅で電車に乗るところだったの?

裾野: いえ、ちょうど電車を降りたばかりでした。駅のそばにあるくまざわ書店に寄って、ブラブラするつもりだったんです。でも、降りた途端に、ものすっごい揺れがきて、ひっくり返っちゃって。で、なんかキーンって耳鳴りまでしてきたんです。数分後、やっと立てたんで、すぐ出入口に向かったんすけど——ほら、地震かと思ったんで。けど、出入口に着いたら、地上に続く階段が、なんか……無限に伸びてるみたいで、終わりが見えなかったんです。特事案件とか超常現象の記録は、本で読んだことがありますけど、自分で経験するのは初めてで。しばらくして、ようやく気づいたんです。閉じ込められたんだって。

先島: その後、何が起こったの?君たちはどうやって、駅の秩序を取り戻したのかな。

裾野: あの時、あらゆる通信機器がダメになってました。正確には、外との連絡がまるで取れないって感じ。乗客はめっちゃパニクってて、泣き叫ぶ人もいたし、多くの人は、外からの救助に望みをかけていました。そんな時、施さんが進み出たんです。

先島: 施さんというのは、施友氏のことだね?

裾野: そうです!施さんがGOC極東支部の身分証を見せて、皆をまとめ始めました。なんというか、えらい落ち着いてて、信じて良さそうな雰囲気だったんすよね。数時間で大手町駅の秩序が戻りました。施さんはお年寄りとか、体の弱い人を一番高い場所に集めて、駅の電源がまだ生きてるうちに、電子機器やモバイルバッテリーを充電するように言ってました。念のためだって。あと、大手町駅と東京駅の間の通路が、まだ普通に通れそうだったんで、施さん、東京駅の様子を見に行くって決めたんです。

先島: 裾野君も一緒に行ったんだね。

裾野: はい。俺、若干の鉄オタってか、ここいらの駅の構造には詳しかったんで、進んで手を挙げました。出発の時、施さんは乗客の中で一番ガタイの良いおじさんに——たぶん空手家かなあ——、駅の治安を任せていました。それで、通路を通って東京駅に行ったら、構内にさしかかった時点で、駅がヤクザの縄張りになってることに気付きました。施さんはすぐに、連中が有村組だと見抜きました。アイツら、すっげー残忍だけど、普段は一応、極道の一線みたいなのを守ってるらしいんです。なのに、この時は何故か、たくさんの市民をこき使っていました。

先島: 君はどういう経緯で、東京駅から市民を連れ出す役目を引き受けたの?

裾野: まだ有村組に見つかってない人もいて、全員が全員、捕まってるわけじゃないことに気が付いたんです。それで、その人たちをできるだけ、大手町に連れていこうってなって。施さん、最初は「学生に危ないことさせられないよ!」って、すっごい反対してましたけど、他に適任がいなかったんですよ。俺、この辺の駅にめっちゃ詳しいし。あと、店の中に隠れてヤクザをやり過ごす程度なら、バレない自信あったんです。背も小さいから、近づくのも楽だったし。

先島: なるほど。それからしばらくずっと、その仕事を続けてたわけだ。有村組について、他に気づいたことはある?

裾野: 俺、東京駅と大手町駅をひたすら往復してたんで、ヤクザの行動パターンが掴めてきたんです。アイツらは2~3時間ごとに、グループ分けした市民を決まったルートに連れて行きます。この時、通路には誰もいなくなるんです。ヤクザは配給らしきことをやってるみたいで、「俺たちが守ってやってんだから、言うこと聞け」とか、「トンネルを調べて資源を探す」みたいなことを言ってました。めちゃくちゃ嘘臭いですよね。あっ、そういえば、例のリーダーっぽい爺さんが、誰かの名前を呟いてたっけ。

先島: それは、どんな名前だった?

裾野: アソダ。施さんにそれ伝えたら、むっちゃ顔色変えてましたよ。後で知ったんすけど、この人って……。

先島: そこまでで良いよ。ありがとう、裾野君。君の話はとても参考になったよ。

関連組織資料

%E6%9C%89%E6%9D%91%E7%BB%84.svg

名称: 東栄会傘下 有村組

データ: 主に関西で活動する暴力団。長年にわたり、超常的な物品・人物・事件に関与し、超常事物を積極的に掌握、利用する傾向にあると推測される。その犯罪活動は広範に及び、常習的に繰り返すことから、特事課の重点的処理対象となっている。2016年以降、有村組の構成員が東京都内の各地、とりわけ地下鉄での出没を頻繁に目撃されているが、理由は不明。複数のパラテック組織と接触し、庇護の見返りに金銭を受け取っていることが疑われている。

%E9%98%BF%E5%83%A7%E7%94%B0.svg

名称: 五代目 阿僧田一家

データ: その歴史は戦前の的屋系暴力団に遡る。長年にわたり、超常的な物品・人物・事件に関与し、超常事物を宗教的目的のために利用しようとしている可能性がある。一般的な暴力団と比べ、組織構造は宗教団体に近い特徴を持ち、家長(組長格)が宗教的指導者としての役割も担っていると疑われる。ただし、特事課はこれまで、その宗教活動の明確な証拠を掴めていない。組織の中核は、戦後に失踪した旧大日本帝国陸軍特別医療部隊(通称「負号部隊」)と関連があるとみられ、負号部隊から引き継いだ資料が、所有する一部超常物品の起源を解明する可能性がある。

関連人物資料

portrait-arimura.jpg

名前: 有村 仁栄(ありむら ひとえ)

特徴: 日本人男性、55歳前後。あらゆる場面でサングラスを着用。添付の画像は、2001年頃に撮影された最も鮮明な顔写真である。

身元情報: 有村組の若頭。長年にわたり、組のナンバー2の地位にあり、東京都地下鉄網現実分離事件の後、地下鉄内に所在する唯一の中心幹部として、組内で絶対的な権力を振るっている。

活動状況: 先代組長の次男。有村組の情報収集と指揮調達を長年担当。幹部の中でも情報が少なく、消息は不定で、内偵への警戒意識が極めて強い。有村組の内部通信記録によると、直近では都内周辺に出没していたとみられる。

portrait-noimage.svg

名前: 阿僧田 阿由多(あそだ あゆた)

特徴: 女性、年齢不詳、推定日本人。身長2メートル以上、広範囲な身体改造を受けていると思われ、四肢が異常に長い。

身元情報: 阿僧田一家の五代目理事長。信仰指導者「司祭」を兼任している疑い有り。

活動状況: 身体改造の形跡が明確に記録されており、超常対象として指定されている。頻繁に一家の活動拠点への視察を行うが、組織を代表して表に出ることはなく、すべての組織業務は代理人に委任されている。現在、非合法パラテック所持の疑い以外に、他の犯罪活動の証拠は確認されていない。

真栞の口述記録

私は真栞。東京メトロ霞ケ関駅で働く、ヒラの駅員です。あの日が来るまでは、なんていうか、平凡で退屈な人生でした。特別なこともなく、ただ流れに身を任せて生きてきました。成績は可もなく不可もなく、駅員の職に就いたのだって、特別苦労したわけじゃありません。独り身で、借りているアパートもごく普通、唯一、ちょっと変わってるかなと言えるのは、漢字二文字の名前くらいでしょうか。

でも、2017年12月17日、すべてが変わってしまいました。

その日もいつも通り、朝の9時過ぎに出勤しました。続いて、乗客らしき人たちが入ってきたんですけど、どうも雰囲気が違ってて。そのうちの一人が突然、駅務室の前まで来ると、身分証を見せてきたんです。聞けば、警視庁公安部特事課の捜査員で、地下鉄で起きている超常事件を調査しているそう。超常事件なんて初耳で、ひとまず上司に連絡すると、物凄い速さで返事が来ました。「特事課の捜査は拒否するように」と。なんで警察に協力しちゃダメなの?って思いましたけど、捜査員の方々には上司の指示通り、お伝えしました。

すると、捜査員は「あなたが一介の従業員として職務を全うしているのは理解している。しかし、許可状は上司の指示より優先される」と告げてきました。それなのに、上司の方は「絶対に捜査を阻止しろ、さもなきゃクビだ」って脅してきて。もう板挟みで、パニックでしたけど、なんとか落とし所が見つかりました。特事課の捜査を上司が認める代わりに、東京メトロの職員が同行するって条件を付けたんです。その役目は当然のように、私に回ってきました。その上、捜査の状況を逐一報告しろって、上司に命じられたんです。

どうして警視庁と対立しているのか、さっぱり分からなかったんですけど、指示に従って、捜査員に付いていきました。彼らも時間が惜しいと思ったのか、それ以上は揉めずに、私が同行するって状況を受け入れてくれました。

……あ、ごめんなさい、ちょっと話しすぎちゃいました。それで、東京駅に向かい、もうすぐ着くって時に、事件が起きました。初めは、突風が車輌を巻き上げたみたいな感じで、続けて、途轍もない浮遊感に襲われました。放り投げられ、自由落下しているような——でも、そんなのありえないですよね。メトロはトンネル内で走ってるんですから。大きな崩落があっても、こんな感覚に陥るはずがないんです。

その時の私、全然冷静じゃなくて——正直、怖すぎておかしくなってました。どうして良いか分からず、そばの人に思わず、ぎゅっとしがみついちゃって。確か、先島っていう捜査員の方だったと思います。彼は私の様子に気づくと、腕で支えてくれて、おかげでなんとか——あの、車体を縦に走ってるポール、名前分からないですけど——それを掴むことができました。

そしたら、またガタガタって揺れがきて、車体が上下に揺れ始めて、どんどん激しくなりました。周りから悲鳴や、混乱した叫び声が聞こえてきました。先島さん、とても青ざめてて、「頭を守れ」みたいなことを何回か叫んでたのだけ覚えてます。その後は、もう天地がひっくり返る感じで、私、何かにおでこをぶつけたらしく、痛みがズーンと広がって、そこで気を失ってしまいました。

私の怪我、たぶん軽い方だったと思います。先島さんの叫びを聞いて、無意識に頭を守ったのかもしれません。目を覚ますと、先島さんは立ち上がってて、じっとドアの方を見つめていました。私、彼の視線を追って——また気絶しそうになりました。

車体のドアが、その、無くなってたんです。それで、ドアの外に、怪獣がいて、息をハァハァさせてるんです。怖くて不気味な顔で、なんて言ったら良いか分からないんですけど、悪霊に取り憑かれた牛みたいな……。私、思わず叫んじゃいました。その時やっと、怪獣のそばに人が立っていることに気付いたんです。みんな、いかつい顔をしてて、良い人たちには見えませんでした。

「まだ生きとるやつ、並んで一人ずつ出てきい」

真ん中の人がそう言いました。白いスーツを着て、髪もキッチリ整えてたけど、ぜんぜん上品には見えなくて。スーツが破けちゃいそうな体格で、声も低く、かすれた感じなのに、ものすっごく通るんですよ。

車内は静まり返っていました。床に何人か倒れてて、血の跡もありました。心臓が跳ね回ってるところに、急にキンキンと高い声が響いてきました。

「どうして言うこと聞かなきゃいけないの?何なのよこれ?地下鉄に乗っただけなのに、この仕打ちは何?私訴えるから!警察呼ぶ!アンタら、メトロの人でしょ?全部アンタらのせいよ!賠償なさい!」

年配の女性が手を振り上げ、白スーツの人を指して怒鳴りました。すると、白スーツの人が眉をひそめて、ベルトから銃を取り出すと、天井に向けて2発撃ったんです。

「またギャアギャア騒いだら、もう天井には撃たへんで。生きとるやつ、並んで一人ずつ出てきい。三度は言わへんぞ」

乗客たちは黙って、おそるおそる外に降り始めました。先島さんは最後まで残ってました。私、周りを見渡して、ゾッとしました。倒れてる人の中に、捜査員の方が2人いて。真っ青な顔で、死んでるようでした。まさか、特事課の捜査員がこんな風にやられるなんて。それなのに、先島さん、何の反応もないんです。ただ小さくため息をついて、ベルトに小さな缶——喘息用のスプレーみたいなやつ——を、カチャカチャと仕舞っていました。

ドアをくぐってる最中、誰かが白スーツの人に報告しているのを聞きました。後で、ギュウキに死体を片付けさせる……とか、ギュウキは生者に興味がないとか、そんなことを言ってた気がします。話がよく分からなくて、ふと横を見たら、

……怪獣が、そこにいたんです。私のすぐ目の前で、熱い息を吐き出して。その怪獣……頭は牛みたいで、体は巨大な蜘蛛!もう、頭真っ白になっちゃって、また気絶してしまいました。

辿保見紫歩の勤務報告(抜粋)

大手町駅到着後まもなく、世界オカルト連合極東支部のエージェントを名乗る施友が当方に接触。施友は相応の専門的素養を有しており、同駅の秩序維持に寄与していた。しかしながら、当方はある点について疑念を抱いている。それは、過去に接触したGOCやJAGPATOの職員と異なり、官僚的な気質が皆無であったことだ。彼の振る舞いはむしろ、純粋な技術要員、もしくは作業者に近い印象を受けた。とりわけ、行動様式は暴力団の指導者に近く、危険を冒すことを厭わないが、彼独自の原則のみを遵守する傾向が見られる。彼が当方と協調関係にあることは、現時点では僥倖と言えよう。

施友はまず、空腹かどうか、食べたいものはないかと尋ね、駅のコンビニは品揃えが良いものの、ケチャップが品切れのため、フライドポテトはお勧めしないと述べた。それを第一に知らせた意図は不明だが、食料の情報自体は有益であったため、彼の厚意の甘え、多めに食料を確保した。

次に、施友から現況についての概略説明を受けた。明白な事実として、東京駅は有村組の支配下にあり、彼らは市民を大規模に動員し、東京駅の地下深部に存在する「地下鉄の地下」と呼ばれる構造を探索させている。東京駅構内には未だ、有村組に発見・支配されていない市民が少数残っている可能性があるも、大半は裾野富久の協力により、大手町駅に避難済みである。「地下鉄の地下」に関して、施友は詳細な情報を把握していないとし、特事課がより多くの情報を持っている可能性を示唆した。しかしながら、私および神水流は、該当する記録を一切認知していない。

当方からは施友に、有村組が保有する民間伝承の牛鬼に類似した超常生物の情報を共有した。彼よりもたらされた情報は、現状判断に資するものの、当方の警戒を解くには不十分であった。そこで、別の質問を投げかけた。コートを着た男性と、駅員制服の女性を目撃有無を尋ね、先島霧良と真栞の人相を伝えたのである。

予期に反し、施友は肯定的な返答を示した。特徴に合致する2名が、有村組の厳重な監視下に置かれているという。当情報が真実なら、先島と真は他の市民とともに、東京駅に連行されたものの、探索部隊への編入は免れていることになる。有村組が両名を警戒する合理的な理由は、彼らが先島の身元を把握したからだろう。先島は経験豊富な特事課捜査員であり、暴力団が彼に対し、最大限の注意を払うことは十分理解できる。

先島に関する手がかりを得たことで、さらなる情報が必要となった。「地下鉄の地下」の性質、位置、進入経路、内部状況、ならびに、先島との接触手段である。

施友にこれらの点を尋ねるも、彼は「地下鉄の地下」という名称以外、一切の情報を有していないと表明した。これについては、施友の話しぶりを鑑みるに、GOCの作戦機密として詳細を秘匿している可能性がある。したがって、本件は当方による独自捜査が必要と判断される。幸い、有村組の直近の活動は極めて規則的である。裾野が東京駅と大手町駅を安全に往復できたのもそのためだ。通路への出現時刻、人員の移動経路と時間間隔は、数時間ごとに繰り返されている。この周期性を利用すれば、彼らを尾行する機会も生まれるだろう。

偵察および救出作戦の立案が急務となった。継続的な監視により、先島との接触機会を確保できると確信する。私と神水流のみが、生存者として車輌に残されたのは不可解であるが、先島がこの事態を予見し、何らかの手段で当方を幇助した可能性も考えられる。

久藤典侍への聴取記録

portrait-noimage.svg

名前: 久藤 典侍(くとう てんじ)

特徴: 日本人男性、42歳

身元情報: 有村組所属暴力団員

活動状況: 有村組幹部。専門的な格闘訓練を受けた形跡があり、身体機能は常人を超えるが、超常事物との直接的な関連は確認されていない。


本件は、東京都地下鉄網現実分離事件の初動捜査が概ね終了した後、臨時地下鉄異常事態対策係が、関心人物・久藤典侍に対して行った聴取の記録である。本次聴取は臨時地下鉄異常事態対策係の暫定責任者・先島霧良が担当した。

先島: 名前と、職業は?

久藤: 久藤典侍、前は暴力団員。今はプーや。

先島: 久藤さん、今回の取り調べでは、この間発生した出来事を振り返ってもらいます。数日経ちましたが、記憶は明確ですか?

久藤: 忘れるわけないわ。ぶっちゃけ、しんどいんはしんどいけど、そんなんお互い様やん。ここ数日の激動っぷりは、たぶん一生忘れられへんやろな。

先島: 重傷を負ったようですが、頭部に影響がなくて良かったです。本題に入りますが、災害の数週間前から、有村組は地下鉄の探索を始めていたんですね?

久藤: もっとずっと前からや。仁栄が阿僧田一家と付き合い始めたんが、いつやったかは知らんけど、奴が持ってた情報は、十中八九アイツらが出所や。組長の指示で仁栄の仕事手伝うようになって、初めて「地下鉄の地下」っちゅうのを知ったんや。こいつも、災害が起こる前の話やで。

先島: 今回の現実分離事件について、有村組は事前に何か掴んでいましたか?

久藤: いいや。組の内部じゃあ、誰も知らんかった。災害は完全に不意打ちやった——いや、ちゃうな。仁栄だけは何か知ってたはずや。災害が起きた後、俺らも大混乱やったけど、仁栄は驚いたそぶりも見せんと、すぐ牛鬼部隊いうもん組織して、東京駅周辺のカタギを集めさせた。アイツ、牛鬼で電車引っ張って、組の物資を全部東京駅に集めたんや。あのレベルの段取り、事前の計画なしやったら絶対に無理やろ。

先島: つまり、有村仁栄は現実分離事件の情報を、事前に把握していたと。情報源として考えられるものは?

久藤: 昔から、仁栄は組に忠義が無いんちゃうかと思てた。アイツ、「任侠主義」とか「昭和の精神」とか、戦前の栄光を取り戻せとか、大げさにほざくけど、ただの空っぽなモットーで、現実的なものは何も出せへん。そのくせ、手口はどんどんエグなってきとる。仁栄の下に付いてから、ずっと阿僧田と裏で繋がってるんやないかと睨んでたんや。偶然かもしれんけど、阿僧田はもっと前から、この災害のことを知ってたらしい。ただ、正確な時期までは分からんかった——お前さんもその辺は知ってるやろ。そう考えたら、仁栄と阿僧田がグルやったんは間違いないわ、もう。

先島: 有村仁栄に情報を提供していたのが、阿僧田一家だと言うんですね。しかし、どうして災害後、有村組と阿僧田一家の対立が激化したんです?

久藤: 仁栄には野心がある。阿僧田が持ってる情報は、俺らよりずっと多いけど、仁栄はいっつも先手打とうとしてたわ。……俺、最初は仁栄がホンマにカタギ守ろうとしとるんか思てたけど、甘かったな。秩序の維持いうて、カタギを班に分けてトンネル探検させたけど、あれ、ただの使い捨てや。なんの意味もあらへん。そんで、気付いたら阿僧田のモンが俺らの動きを見張ってて、中にはカタギに紛れてる奴もおった。仁栄の狙いはなぁ、たくさんのカタギで阿僧田の目をそらし、奴がホンマに大事にしてるもんを隠すことやったんや。

先島: 本当に大事にしてるもの?

久藤: あの「取引」のこと、覚えてるやろ?仁栄は俺が心から従ってへんと見抜いて、わざと俺を遠ざけたんや。

先島: そして、阿僧田一家の者が現れた。

久藤: その通り。お前さんを狙ってな。

第三部

真栞の口述記録

「俺は久藤、久藤典侍や。この先、俺と部下がアンタらを……守ったるで」

「白スーツ」の人が言いました。「守ったる」って言葉を、なんかこう、強調してたんです。皮肉を込めた感じで。私、初めてこの人を見たときから、ずっと怖かったんです。情け容赦ない、ケダモノみたいだったんで。でも、この名乗りを聞いてから、何故だかちょっとだけ人間味を感じてきたんですよね。皮肉っぽい言い方が、逆に親しみやすくて。私たちの自由を縛ってる人が、まるっきり冷酷なわけじゃなかったんだって。少なくとも、先島さんよりは人間らしい、なんて思っちゃいました。

私と先島さんは、観光案内所に留め置かれました。時々、久藤さんが様子を見に来て、体調を聞いてくるんです。その間私は、市民が連れてこられたり、連れていかれたりするのを、眺めるしかありませんでした。周りの人の声が聞けたんで、だんだん分かってきたんですけど、東京駅の秩序を握ってるのは、有村組っていうヤクザで、ほとんどの人がトンネル探索に駆り出され、物資を探したり、地図を作ったりしていたみたいです。トンネルでいったいどんな物資が見つかるのか、見当もつきませんが。食事は、まぁ悪くはなかったんですけど、どう見てもコンビニ弁当で。グランスタにはもっと美味しいグルメがいっぱいあるのに、ヤクザの人たち、市民をここに集めっきりで、どういうわけか、そっちのエリアには全然行かないんですよね。

私と先島さんは「仕事」に駆り出されませんでした。きっと、先島さんのおかげですよね。私、ただの駅員だし、ヤクザが私を特別扱いする理由なんてないんです。特事課捜査員のおこぼれで助かったと思うと、ちょっぴり複雑な気持ちになりました。

周りでは、いろんな名前が飛び交ってました。手をしょっちゅう後ろに組んで、スローガンっぽいのを唱えて回ってるご年配が、ヤクザのボスで、有村仁栄っていうらしいです。有村組が探索してるのは、実はトンネルそのものじゃなくて、トンネルの奥にある「地下鉄の地下」って場所なんだそうです。いったい、何をしようとしてるんだろう?あの人たちにとって、先島さんは何の役に立つんだろう?それに、あの、文字通りの怪獣……これ以上考えるのは怖いんで、リフレッシュがてら、外の人たちを眺めました。——けれど、あの苦しそうな、あるいは、感情を失った人たちを見てたら、もっと辛くなって。結局、天井のまだ明るい照明を、ひたすらボーッと見つめていました。

1日目は、ぼんやりしたまま終わってしまいました。笑っちゃうんですけど、男の人と同室で一晩過ごしたの、これが初めてだったんです。それから、目が覚めて、痛んだ腰をさすりつつ、水を飲もうとしたんですけど、部屋に水はありませんでした。先島さんを見たら、ポケットサイズの本を夢中で読みふけっていました。同僚のこと、私のこと、なんとも気にしてないみたい。こんなに冷たい人が、この世にいるんだ……もう、何が起きてるのか、周りの人が何考えてるのか、さっぱり分からなくなっちゃいました。

しばらくして、久藤さんがまたやって来たんですけど、今度はすっごく渋い顔をしていました。入ってくるなり、先島さんにまっすぐ向かい、尋ねたんです。

「アンタ、隠し玉持ってんやろ?」

「何をおっしゃりたいのか。恐れ入りますが、私には理解できません」先島さん、本から目を離さずに言いました。

「おもろいやっちゃなあ。ほらこれ、アンタのチャカと、スプレーや。特にこいつ、一噴きで深い昏睡状態にできる、ごっつええ武器やん。相手が息止めたら効かへんけどな、惜しいわあ」久藤さんは珍しく笑みを浮かべ、先島さんに2つとも押し付けました。「隠しときや。今おる見張り以外には内緒やで」

「これはいったい、何をお考えで?」先島さん、ちょっと困惑した様子で、初めて顔を上げました。

「仁栄に、下を見に行けって言われたわ。なんか嫌な予感すんねん。——ん、せや、お嬢ちゃん、アンタも怪我せんときや。気ぃつけや」久藤さんはそう言うと、先島さんの耳元に近づき、一言二言、小声で囁きました。それから立ち上がり、そそくさと出て行っちゃいました。

お嬢ちゃんって……久藤さんの話し方、あんまり好きじゃないんですけど、冗談じゃなく、何かが起こりそうな空気を感じました。

特別関心領域資料: 地下鉄の地下

概説: 「地下鉄の地下」は、都内地下鉄網の下層に広がる巨大地下構造であり、その中心部は銀座線および東京駅の真下付近に位置すると推定される。これまで、「地下鉄の地下」の大部分はポケット宇宙に存在し、基底現実との相互作用が限定的だったため、非ユークリッド的な構造が多く、詳細な探査が困難であった。しかし、地下鉄網現実分離事件の発生以降、地下鉄網全体が大規模な時空異常の影響を受けており、「地下鉄の地下」の異常性と区別することが難しい状況にある。目下の状態が「地下鉄の地下」の異常性が消失したことによるものか、異常性が地下鉄網へ拡散したことによるものかについて、依然として議論が続いている。

「地下鉄の地下」は極めて複雑な多層構造を持つ。トンネルの壁には一定間隔で数字が記されており、これにより所在の階層を特定できる。数字は1から始まり、深層にかけて増加する。階層間は階段や踊り場といった構造で繋がれ、各層は地下鉄のトンネルやホームがランダムに組み合わさった構造を呈する。その高い反復性により、内部での正確な位置測位は困難である。浅層から深層へ進むにつれ、建造物の分布がより密になる傾向が見られ、これらの建造物は廃墟となった研究施設に類似している。

「地下鉄の地下」は人為的な起源を有する可能性が極めて高い。推測では、大正4年(1915年)から昭和2年(1927年)にかけて建設された秘密研究施設に端を発し、当時の東京地下貨物輸送路線に通じていたとされる。戦時中、帝都高速度交通営団が都内地下鉄網を掌握するのに伴い、当該施設は旧大日本帝国陸軍特別医療部隊(”負号部隊”)の接収を受け、関連文書では「特別医療施設」と記載された。戦後、当該施設は記録上、複数回にわたり所有者が変わっており、最終的に日本生類創研に買収されたが、内部の詳細に関する記録は得られていない。特事課は以前より、当該施設の存在を認識していたものの、「地下鉄の地下」の構造複雑性に関する情報は欠如していた。[疑義あり]

現在、少なくとも2つの暴力団組織(有村組・阿僧田一家)が「地下鉄の地下」の探索活動を実施、または過去に行っていたことが確認されている。有村組は多数の市民を拉致し、浅層部のローラー式調査にあたらせており、最初の数階層のマッピングを完了させたとみられている。

「地下鉄の地下」深層にある研究施設については、有村組と阿僧田一家が明確に占有を試みているほか、異常文化習俗追跡ユニット、神々廻工業、大黒重工、東弊重工、日本生類創研などの組織の関連文書、および活動の痕跡が見つかっている。このうち一部の組織は、研究施設に直接関与しておらず、対象の制作物が研究に利用されたに過ぎない可能性もある。一方で、東弊重工と日生研が研究に直接関与していたことは確実視されている。

当該施設における生物工学研究は、負号部隊の残党が創始し、東弊重工や日生研などにより継続され、倫理に反する手段が多数用いられた。現在、施設は壊滅的な損壊を受けており、資料および保管物資の大部分は不詳な団体によって持ち去られている。残存資料は特事課の臨時チームが保管している。

発見: 「地下鉄の地下」は特事二課・先島班により捕捉された。同班は有村組組員を追ううちに当該区域に進入。既知のなかで最深の階層に到達した。[疑義あり]

ハンディカメラの記録(文字転写)

摘要: 本報告書は、先島霧良が携行していた法執行記録カメラの映像から抜粋した部分の転写である。マルチベルトに装着されたカメラは当時、暴力団・有村組の押収を免れていた。バッテリー温存のため、先島が暴力団の拘束下にあったほとんどの時間、電源オフの状態にあった。本転写は連続した記録のうち、最長の部分の一つである。


映像記録開始。記録者は薄暗い空間におり、壁の特徴から地下鉄トンネルのどこかと推測される。記録者は男性1名に追従しており、安定した足取りと軽快な速度から、対象の身体状態は良好とみられる。前方の男性は時折立ち止まり、振り返って記録者の様子を確認している。カメラの位置が低いため、男の顔は映らず、身元は特定できないものの、暴力団員と考えられる。歩行は約30分間続き、周辺環境の変化から察するに、記録開始時点から約2キロメートル移動したものとみられる。この時、記録者が休息の必要性を訴えた。

先島: あとどれくらい歩くんだ?真さんはもう限界だ。体力の酷使は得策じゃない。

暴力団員: もうちょいや。そろそろホームが見える……茅場町の下1層……駅の真下にあたる構造で、上と繋がっとる。そこが待ち合わせ場所や。

先島: 待ち合わせ?誰と会うつもりだ?

暴力団員: それは言えへん。

記録者がわずかに体をよじり、特事課の捜査に同行していた駅員・真栞と、暴力団員と推定される男性2名が映る。記録者は相手の言い分を受け入れ、それ以上の意見は述べなかった。小休止の後、一行は歩行を再開。数分後、映像に地下鉄ホームに似た構造が映るも、著しく老朽化しており、ガード柵やホームドアは無く、床は激しい風化を見せている。一行は階段を通過し、ホームに到達した。

暴力団員: ここや。連中はもうすぐ来る。

光源が不足しているため、暴力団員がヘッドライトを点灯させる。これにより、ホームの構造がはっきりと視認できるようになった。当ホームは現代の地下鉄駅とは異なり、地下鉄網建造初期の様式を示している。壁の端には突き出た支柱があり、地面に近い部分に薄い色のペンキで「01」と書かれている。ホーム両端には門があり、その先は踊り場と推測される。電子機器は一切確認できない。床には「東弊重工」と記された木箱が数個置かれている。一行の滞在中、不明瞭な騒音が発生。暴力団員の反応から、騒音は踊り場から発せられたものと推測される。

数名の暴力団員が警戒態勢を取る。

暴力団員: 何や?

複数の超常生物が門から出現。牛様の頭部と蜘蛛様の胴体を持ち、民間伝承の牛鬼に類似(詳細は先島班の任務報告書参照)。生物は両側から記録者らを包囲する。乱れた物音がし、記録者が振り返ると、真栞が驚愕のあまり倒れる様子が映る。門から身元不詳の人物が複数出現し、超常生物の後方に散開。全員が白衣と白いフードを着用しており、頭部が異常に大きく、フード内に何か物品を装着している可能性がある。記録者らが完全に包囲された後、異なる服装の男が画面に現れ、暴力団員に向かって歩み寄る。

暴力団員: アンタが受け渡しの相手か?交換で話つけとったはずや。アンタらの……

男: 交換する物は無い。先島霧良を引き渡せば、命だけは助けてやる。

暴力団員: 話がちゃうやないか!若頭がとっくに話つけたはずやろ……

男: それなら、お頭に聞いてみると良い。

暴力団員: ……裏切ったらタダじゃすまへんぞ!

暴力団員が改造済みとみられるトランシーバーを取り出す。いくつかのボタンを押し、口元に当てて小声で何語か発すると、徐々に困惑した表情に変わっていく。対象はトランシーバーを注意深く調べ、カバーを開けた。

暴力団員: ざっけんなコラ!なんでバッテリー入ってへんねん?出発前、若頭が直々に……まさか……

男: やれ。

白衣の人物が超常生物に攻撃を指示し、包囲網が狭まる。暴力団員1名が銃を抜き、発砲を試みるが、投げ飛ばされて気絶する。別の暴力団員がホーム外縁へ移動し始める。

暴力団員: 売られた!逃げろ!

記録者が振り返ると、1体の超常生物がホーム下に立ちはだかり、通路を閉塞していた。記録者が銃を抜き、レンズの前方で構えたため、視界の大半が遮られる。発砲音が連続し、人間のうめき声や、超常生物のものと思しき咆哮が聞こえる。続いて、先端が鋭い爪状になった蜘蛛の脚が画面の大部分を塞ぎ、しばらくの間、映像が不明瞭となる。この時、記録者は地面に倒れ、銃を弾き飛ばされたものと推測される。記録者は体勢を整え、起き上がろうとする。男が画面に入り込み、微笑みながら近づいてくる。

男: 面白い抵抗だな。

先島: お前らは、俺に何をさせたい?

男: ノー、先島さん、誤解だよ。有村からアンタを引き取ったのは、何かをさせるためじゃあない。簡単さ、訓練された捜査員は最高の養分……いや、供物だからな。

先島: 阿僧田の者か?やはり、カルト活動をしていたのか。

男: 良い勘して——

銃声。男の胸に銃創が生じ、よろめきながら後退する。さらに数発の銃声。記録者が向きを変えると、真栞が体を起こし、弾き飛ばされた記録者の銃を手にしている。男は複数の弾丸を浴び、胸元を押さえ、真栞を睨みつけている。脇にいた白衣の人物が、男を支えようとする。他の白衣たちも反応し、超常生物に攻撃を命じる。しかし、ここでさらなる銃声が響く。ホーム外からの発砲で、白衣の2名が被弾。超常生物にも銃弾が当たり、苦しげに痙攣する。ホーム下に現れた2名は、特事課捜査員の辿保見紫歩と神水流篤志と確認された。

男: 退くぞ。摩睺羅伽まごらが——

男の声が酷くかすれる。白衣の1人が、男を超常生物の鞍に座らせ、自身も後ろに乗り上げる。他の白衣たちも鞍に乗り、ホームを飛び降りて迅速に移動していく。

辿保見: 施友、やっぱりアンタか。

捜査員2名がホームに登る。激しい轟音がトンネル内に響き、続いて、高速移動する物体がトンネルに充満する。フレーム解析により、物体は地下鉄車輌に似ているも、内部は肉で満たされ、外側も薄い筋組織に覆われており、腹足類のような構造を持っていた。車輌先頭部にあたる部分は、引き伸ばされた人間の顔に置換されていた。映像記録終了。

真栞の口述記録

物心ついた時から、私は虫が苦手でした……特に蜘蛛は。巨大な蜘蛛の胴を持つ怪獣が現れた時、私の頭は真っ白になりました。前にも見たことがあったのに、やれることと言えば、それを考えないようにするだけ。考えるだけで手足が震えるような怪獣に、囲まれているんです。喧嘩慣れしたヤクザでも、ヒトならざる力の前では全く歯が立ちませんでした。

めまいで立っていられず、私は倒れ込みます。先島さんがチラッとこっちを見て、すぐ、暗闇から現れた人たちに視線を移しました。白衣に白いフード、顔は見えず、フードの下に何か隠しているようでした。それから、あの男の人……施友でしたっけ?彼が真ん中に進み出て、ヤクザと対峙しました。彼も同じ、ヤクザなのかもしれませんが、その時は確信が持てませんでした。死ぬんじゃないかと怖くて、会話がフィルター越しのように、耳を抜けていきます。もはや、息ができなくなっていました。

それから、銃声——先島さんが撃ったんです。くぐもった音が木霊しました。施友が手を振ると、先島さんに一番近い怪獣が脚を振り上げ、襲いかかりました。先島さんは本来、やられるはずは無かったんです。銃を持ってるから、奇襲で包囲を突破できたはず——でも、そこで気付いたんです。もし先島さんがいなかったら、怪獣の脚はきっと、私の体に突き刺さってた。先島さんは地面に叩きつけられ、手から抜け落ちたピストルが、私の前に滑ってきました。

あの人たちの目的は、先島さんだった。私は些末な、取るに足らない存在。その点は重々承知しています。

私はただの駅員だけど、ここで何もせず人生を終えて良いの?先島さんは仲間を見捨てたように見えたけど、久藤さんが去り際に言った言葉を思い出すと、そんな単純な話じゃない気がして——少なくとも、彼は私を、市民の安全を守ろうとした。ヤクザを制圧して立ち去ることもできたのに、私と一緒に捕まってたのは、市民への同情からだったの?……すぐには納得できません。施友はまだ、先島さんをガン見してる。誰もこちらを見ていない。私は、ピストルを掴みました。

トリガーを引くのは初めてです。ピストルは思ったよりずっしりで、震える手で施友を狙い、撃ちました。反動で腕がしびれ、銃が手から飛びそうになったけど、これだけじゃ足りません。撃つ、撃つ、撃つ、当時の私の頭には、最期に足掻く以外、何もなかった。戦って死ねば、ヴァルハラにいけるかなあ?気づいた頃には、カチカチって、弾を全部撃ち尽くしちゃってました。

白衣の人が動き出し——私は目を閉じ、終わりを覚悟しました。でも、物事ってのはそうすんなりとはいきません。別の銃声が響いたんです。とっくに死んだと思ってた、先島さんの同僚たちでした。あの女性捜査員の叫びから、ようやくあの男——施友の名前を知りました。彼らはこちらに駆け寄り、私と先島さんの傷を見てくれました。再びめまいがして、虚空に落ちていくような感覚に陥りました。

——またまた気を失っちゃったんですけど、今回はすぐに目覚めました。そばでは先島さんと他の捜査員たちが話していました。

「やっぱり先輩が、スプレーで僕らを眠らせてたんすね。しっかし、どうしてバレなかったんでしょう?」若い男性が聞きました。

「……あの牛鬼みたいな超常生物は、死体にしか興味を示さない。有村組が運んでた、東弊って書かれた箱だがな、あのほとんどは肉塊で、コイツらの餌にしていたんだ」って、先島さん。

「その習性、班長も最初は知らなかったでしょ?」女性捜査員がニヤニヤと笑います。

「悪いな。君らのプロ意識を信じたんだ。あの時は他に方法もなかった」

「気にしないでください。次はどこに行きます?」と、部下の男性。

「君らが『地下鉄の地下』を調べるうちに、ここに来たのなら、ここが階層構造になってることは周知だろう。奴らのせいで随分遠回りしたが、地下深くに行くなら……有村の幹部が近道を教えてくれた。直上の駅で対応するのは……」先島さんが一息ついて、続けました。「日比谷線、秋葉原だ」

Fig_Hibiya.jpg

第四部

神水流篤志の口述記録

僕らは長いこと待ってましたけど、まさか有村の連中が自分から班長たちを連れてくるとは、思ってもみませんでした。「地下鉄の地下」の地形は複雑で、距離を保ちつつ連中を追うのはホントに難しかったです。到着がやや遅れたのは遺憾ですが、幸い無事だったのでホッとしましたよ。

僕らが歩いてるルートは、上層の地下鉄路線とほぼ完全に一致してました。茅場町、人形町、小伝馬町、秋葉原。東京駅や茅場町駅の線路下みたいに、すべての駅に「地下鉄の地下」への隠し通路があるわけじゃありません。一方で、ここの階層構造は、東京の地下鉄網をほぼそのまま再現していて、高低差のみ省略されていました。……例えばここ、三越前から水天宮前への線路が、茅場町と人形町の線路と直接交差して、十字路になってる。こうした作りが、「地下鉄の地下」を迷宮みたいな場所にさせていました。

施友、有村組、阿僧田一家、現実分離事件……僕はそれらが全部、この迷宮に関係してるんじゃないかと疑いました。答えは地下の最深部にあるはずです。

一行はさらに進みます。ここのトンネルは、普通の地下鉄トンネルに似ているけど、かなり古びた雰囲気になってます。木の枕木に、煙で煤けた天井、レトロなホームは、昔の映画に出てくる地下鉄のようでした。積もった灰の厚さは、黎明期のロンドン地下鉄を思わせました。……それなのに、地形は現代東京の地下鉄そのもの。誰が何のためにこんな場所を作ったのか、僕には理解できませんでした。

定期的に、甲高い音がトンネルに響きます。風音に人間の絶叫が入り混じってる感じです。それが聞こえたら、僕らはトンネル脇に身を寄せ、壁に張り付きます。壁に窪みがあれば、そこに隠れました。アレがいわゆる、ニクデンシャの音です。肉塊と人間の特徴が混ざった地下鉄車輌は、施友が「摩睺羅伽」なんて呼んでましたけど、めちゃくちゃ言いづらいし、天龍八部衆1の一尊ですよ?こんなのに付けるなんて罰当たりすぎる。だから、僕らは単純に、ニクデンシャって呼んでるんです。ソイツらは本物の電車みたいに、アホみたいな速さでトンネルを走ります。安全に乗れたとしても、居心地が良いとはとても思えませんけどね。

ようやく、秋葉原駅のレプリカに辿り着きました。——上のアキバに比べると、「地下鉄の地下」のアキバは光がなく、真っ暗でした。普通の人はこんなところ、入れないはずなのに、ホームには色褪せた落書きがありました。「御免」「昇」といった漢字がかろうじて読み取れますが、意味のある文にはなりません。ホーム脇には、茅場町駅と似たような踊り場があって——ただし、上には換気口しかなく、階段は下にしか続いていません。僕らは下に降りていきます。トンネルにはまだ、非常灯らしき明かりがあったけど、踊り場はマジで真っ暗です。僕と辿保見先輩は、大手町を出るときに持ち出したヘッドライトを点けました。

階段もボロくて、コンクリートなのに踏むとグラグラします。地面にはゴミや砕石が散らばってて、たぶん天井から落ちてきたんでしょう。くしゃくしゃになったメイドカフェのポスターが埃を被ってたり、艦これの響ちゃんのフィギュア……の空き箱が、隅に転がってました。ここが地上に直結してるって可能性もありますけど、ゴミってのは意外なとこに流れ着くもんなんで、ルートを推測してもあんまり意味ないですね。

階段は果てしなく続きました。階数を示す壁面の数字が、どんどん増えていきます。13を過ぎたあたりで、数字が剥がれ始めました。深ければ深いほど、歴史が古いってのは分かりますけど、どうして数字のペイントまで同じなんでしょう。最初に数字を塗った奴は、ここが何階まであるか知ってたってことですかね?JAGPATOでの研修で聞いた言葉を思い出しましたよ。「異常は道理をわきまえない」。

辿保見紫歩の口述記録

階段の底にもまた、秋葉原駅があったわ。でも、ここは空間がずっと広い。「ホーム」の構造は片側が線路で、反対側にはフルシチョフカ2みたいな2階建ての建物があった。ドアに近づくと、横に真鍮のプレートがずらっと並んでた。「大日本帝国異常事例調査局」、「大日本帝国陸軍特別医療部隊」——どっちも、鋭利な物で削られてた。「蒐集院」——これも削られてる。「SCP財団怪奇部門」——同じく削られてる。「日本生類創研」——これは無傷。こいつらの名前が出てきたのは若干意外だけど、まあ笑うしかないわね。

ここの主は何度代替わりしても、古い標識を取り去ることもなければ、未来の主が自分らの標識をズタズタにするのを、防ぐこともできなかった……そういうわけ。

そして、私たちは中に入っていった。

そこで目にしたものは、一切合切、アーカイブにまとめてあるわ。

実験施設から回収された文書の抜粋

IJAMEA2.png

琉璃光計画、昭和十六年

目的: 過日のハワイ作戦を通じて、海軍が戦局に於ける主導的地位を確立したことについて、我が方としては断固として容認できない立場にいる。大陸戦線において、これと同等、或いはそれ以上の成果を獲得するべく、異事調と陸軍特別医療部隊は共同で、生物兵器開発計画を立案した。満洲国熱河省に駐屯する特医部隊が近頃、前線より十分な生物科学の資料を持ち帰ったことで、内地での研究が可能となった。実験が成功した場合、生物兵器を速やかに支那戦線へ投じる次第である。

琉璃光計画の主要目標は以下の通り。

  • 前線の終わりなき遊撃戦に対抗し得る、陸戦汎用の生物兵器を開発する。
  • 奇襲により広大な領土を奪取し、支那を速やかに滅し、大陸での作戦を終結させる。

資産: 本計画の遂行に必要な環境、物資、及び人員を以下に列挙する。

  • 帝都地下に於ける実験場及び錬成陣の構築。
  • 異常事例調査局並びに特別医療部隊の研究者の体系的な配置。
  • 特別医療部隊駐支分隊より、研究資料の取得。
  • 支那人及び帝国臣民、約五十名の被検体。需要増大の場合、必要に応じ追加の徴用を行うこと。

「無量塔」(蒐集物覚書帳目録第一一九九番)

一九五二年捕捉。負号部隊の残党より接収した地下施設にて発見。

「無量塔」は精神制御装置であり、木製の小型仏塔とケーブルで接続された数個の人間の脳から構成される。本装置は、いわゆる「形態形成場」を増幅させる作用を持つとみられ、強力な精神感応効果を有するだけでなく、生物質の融合および変異を加速させる機能を備えている。本装置は、負号部隊が関与した「琉璃光」計画の核心技術と考えられ、地下施設で発見された他の記録文書が当推測を裏付けている。

「無量塔」を媒介とすることで、「琉璃光」計画は正真正銘の「キメラ」を実現したものと推測される。すなわち、異なる種類の生物、さらには生物と非生物の融合・嵌合かんごうである。しかしながら、本装置以外の記録された技術成果は施設内で発見されず、帳簿によれば、成果の一部はアメリカ合衆国に売却された模様。これらの成果の蒐集に向けた取り組みは、今もなお進行中である。

SCP-████-JP

アイテム番号: SCP-████-JP

オブジェクトクラス: 適用外

特別収容プロトコル: SCP-████-JPの収容は放棄されました。

説明: SCP-████-JPは怪奇部門が管理していた地下施設に所在する、延伸構造です。当施設は東京都地下鉄網の下部に位置し、複数の隠し通路を通じ、地下鉄網と接続しています。内部には、生物工学を中心とした複数の研究施設が含まれています。SCP-████-JPはこれらの施設のうち、最深部にある一連の拡張された部屋を指します。部屋は合わせて13室あり、0号室から12号室まで番号が振られています。部屋の鉄扉は鉛で等しく封じられており、真鍮の銘板に「怪奇部門」の文字が刻まれています。扉にはスライド式の観察窓が設けられていますが、1号室から12号室の観察窓はすべて溶接されています。

唯一、0号室の観察窓は開くことが可能です。室内に家具はなく、旭日旗で覆われた長方形の物体が置かれています。その隣には「敗戦」と書かれた書道作品と、整然と重ねられた手書きの文書が見られます。文書の内容は判読困難ですが、署名部分はIJAMEA指導者の花押であることが確認されています。

JOICLE - TOUHEI 共同PJTサンプルメモ

ゑ-Ω-0010 - “牛鬼”

開発はほぼ完了。既存の資料が極めて詳細だったため、当該生物兵器の生体構造を容易く再現できました。各種テスト結果は非常に良好で、とりわけ運動分野に関する指標は、我々の予想を遥かに上回っています。現在のゑ-Ω-0010サンプルはすべて腐肉食性を保持しており、これは実戦における人員の安全確保と、現場の迅速な清掃を鑑みたことによります。しかし、本PJTには顕著な問題が一つあります。ヒトの脳を採用したために、知能レベルの精密な調整がまだできていません。これまでに、知能の高すぎる個体が逃亡を企てる事故が複数発生しています。一方で、他の生物種の脳を採用すると、今度は命令への応答性がネックとなります。PJTの期限内に、問題の解決策を見つけられると良いのですが。


ゑ-Ω-0014 - “摩睺羅伽”

開発はほぼ完了。本PJTは高速移動および鎮圧任務への利用を想定しています。ゑ-Ω-0014は偶然の産物であり、崩落事故でラボに落下した列車の残骸が無量塔に曝露し、事故の犠牲者と融合したものです。事後調査により、この融合方式は非常に高い効率を示し、潜在的な集団意識の影響(仮称: 如月駅効果)を内包する可能性があることが判明しました。前述の事故に関しては、警視庁関連機関「特事課」の仲介のもと、東京メトロ株式会社との間で秘匿協定を締結しました。一部のサンプルおよびデータは、事故後の後続研究の黙認と引き換えに、警察方に無償提供を行いました。本取引については、利益が不利益を上回るものと評価されています。


ゑ-Ω-0016 - “琉璃光”

開発はほぼ完了しましたが、関連する儀式設計の消耗が激しく、完全なテストはまだ実施されていません。研究のさらなる進展が待たれます。

神水流篤志の口述記録

衝撃と困惑、そして吐き気——資料を見た直後の、僕の気持ちです。

実験室はとても綺麗に整理されてて、書類はきちんとファイリングされ、培養装置も丹念に手入れされてました。その培養装置を見た途端、胃の中のものをぶちまけそうになりました。こんなことが許されるなんて、どんな悪魔と契約したんだ?生きてる人をかっさばいて、動物とくっつけるなんて……。そこで、悟ったんです。こういうことは戦前から脈々と受け継がれて、戦争に負けたっていうのに、何ら変わらずに行われてたってことを。その上、特事課の名前まで出るときました。

最初は、特事課を貶めるためのフェイクだと思いました。でも、続けて見つけた契約書の控えに、知ってる警視正のサインがあったんです。よくよく考えると、ニッソの内部向け文書で、官公庁とのやり取りをでっち上げる理由が無い。もう、何て言ったらいいか分かりませんでした。

僕が特事課に入ったのは、正義の担い手になりたかったからです。市民を守るため、体を張って特案に立ち向かうよう教えられました。……正義を忘れた暴力装置に、いったい何が残るっていうんだ。悪行を繰り返すだけじゃない、その罪をひた隠し、地下の奥深くに埋め込んだんです。ましてやその現場が、華やかなアキバの真下にあるなんて。震えが止まりませんでした。

その時、外のホームの方から、ドーンと爆発らしき音が聞こえました。僕らは一番近い窓に駆け寄ったんですが、目の前の光景はもう、カオスの極みでした。

ホームの床には焦げ茶色の液体で、光輪の図案が描かれてて、僕の知らない文字が輪っかの周りに散りばめられていました。光輪のど真ん中には、女の人が立ってて……どうにか「人」って呼べる見た目でした。体は常人より細長く、とりわけ、四肢が異常なほど伸びていました。前腕と下腿部には、骨みたいなトゲが、皮膚を突き破って飛び出しています。他の部分は、大半がウロコっぽいのに覆われていました。それから、男が横切って……施友です。あの女が阿僧田一家のボス・阿僧田阿由多だってことに、そこで初めて気が付きました。

施友が阿由多に会釈して、何か話しています。その横では、白衣の連中がロウソクを置いたり、物資を運んだり、色々……何か、準備している様子でした。整然とした場に見えますが、光輪の外周では、激しい銃撃戦が起きてました。有村の連中です。その中に、あの爺さん——多分、若頭の有村仁栄——の姿が見えました。

二大暴力団がとうとう、実験施設の前でガチンコの抗争を始めたんです。その時、ハッとしました。この施設にある物は、有村と阿僧田、どっちの手に渡ることも許されないと。考えを口にすると、班長がコクリと頷きました。今こそ、僕らの動く時です。

辿保見紫歩の口述記録

神水流は、ラボの制御室に突っ込んでいった。彼、防火ドアだの隔離ドアだの、電気制御のドアを片っ端からロックしてやるって言ってた。そうしておけば、連中の侵入を最大限防げるってわけ。真さん——ここまで付いてきたんだもの、ホント大変だったでしょうね。彼女には、神水流を追ってもらうことにしたわ。少なくとも、建物の外よりは安全だろうから。私と班長は銃を構え、建物の外に移動した。大扉の裏にしゃがんで、銃声の中でもなんとか、外の会話が聞き取れる位置を取ったの。

阿僧田阿由多は儀式の準備をしてる——儀式のコードネームは「琉璃光」。その準備を仕切ってる腹心が、施友。仏道の理論に詳しい中国人よ。IJAMEAのアレ、明らかにそれ系の信仰を歪めたものなのに、その道の中国人に手伝わせるなんて。まったく信じられないわ。

阿僧田一家が予期してなかったのは、ここで有村組が現れたこと。パラテク、特に「地下鉄の地下」で得た生物工学の運用において、有村は阿僧田に遠く及ばないけど、伝統的なマルボウのカチコミは、この宗教じみた集団にかなりの足止めを食らわせてる。このままいけば多分、共倒れね。施友はちょっと心配そうだったけど、阿由多の方はまるで気にしてないみたいだった。

「有村の奴ら、何か掴んでるな……仁栄の野郎にしてやられた。上層での探索は陽動で、こちらの見張りを利用して、ここを見つけるのが目的だったか……」

「ほれ、那由多をお出し」

私たちはバレない範囲で、じりじり外に移動した。遠くで、先陣を切る白スーツのデカブツが見えた——おそらく、真さんが言ってた久藤典侍ね。彼、阿僧田阿由多にメンチ切ってたけど、有村仁栄にも同じくらいの怒りを向けてるようだった。その時、横から怪物が飛び出してきたの。

「怪物」って言葉、これまで何回も使ってきたけど、今回のソイツは本当に「怪物」としか呼べないものだった。阿僧田阿由多の極端バージョンよ。無数のトゲや、触手じみた四肢が絡み合って、とんでもなくヒョロ長の人型を、かろうじて形作ってる。……でも、ソイツの顔は人間のままで、阿由多にいくらか似ている部分があった。

「那由多、こやつを始末しい」阿由多が命令を出した。

「アアアアア——」

ソイツは咆哮して、久藤に襲いかかった。久藤は何発か撃ったけど、まったく効果は無かった。横に転がって触手をかわし、また撃ち続ける。怪物に打ち込んだ弾丸は、まるでゲルに突っ込んだみたいに止まっちゃう。ダメージを与えたようにはてんで見えなかったわ。触手の刺突は強烈だけど、久藤は一つ一つかわしてった。何度か触手が刺さっても、ひたすら後ろに転がるだけ。白いスーツはズタズタで、赤みがかってきたけど、致命傷を受けるまでにはいってなかったわ。

那由多が再び唸り、久藤に向かって突進した。久藤の転がりには、明白な意図がみられた。……今度は触手をかわさずに、そばの人を力ずくで引き寄せ、盾にした。また何発かの銃声。触手は撃とうとする、有村仁栄の胸を突き刺した。仁栄を突き出した久藤も、那由多みたいに叫んでたわ。あんな盾じゃ、触手をそこまで止められなかったようね。

「フン」阿僧田阿由多が笑った。「面白い。妹よ、我が懐にお戻り……儀式を始めようぞ」

まるで火がついたみたいに、阿由多の周りの光輪が、赤い光を帯びてく。那由多は向きを変え、阿由多の元に歩いて——触手で地面を這うのが「歩く」って言えるなら——向かっていった。阿由多が両腕を広げる。那由多が光輪に触れる瞬間、光が彼女をすっぽり飲み込んで、阿由多の方へと流れ込んでいった。

「次は血だ。血は生命の神髄をもたらす。……先島がおらぬとはいえ、すでに満ち足りておる」

阿由多の合図で、施友が白衣の連中に指示を出す。ソイツらは初めの方の光輪に似た、暗紅色の粘っこい液体をバケツでぶちまけた。床に触れた液体も、同じように光り出したの。液体からは鼻がもげそうな匂いが漂ってたわ。数秒後、阿由多を中心に轟音の衝撃波が放たれ、有村方のほとんどがぶっ倒れた。ラボの壁すら揺れたけど、私たちの隠れ場所はなんとか持ちこたえた。

「どうします?」向かいに隠れてる班長に、小声で尋ねた。騒音で彼の声は聞こえないけど、読唇術で読み取れるの。向こうも同じよ。彼の口元を見ると——「光輪を、壊す」。とても単純な一言だった。

ウチらは阿由多の方に突っ込んで、1発目は施友に、2、3、4発目は床のロウソクに、残りは光輪そのものに向けて撃った。けれど、ダメ。弾は光の中でどんどん遅くなって、施友は倒れないし、後の弾は阿由多が素手で受け止めちゃった。彼女、振り返ってまた微笑んでたわ。

「臨兵闘者皆陣列在、藁下天上制御人形」

班長は予備の弾倉で、まだ撃ち続けてる。それでもやっぱり、効果は無し。阿由多の体から2、3本の付属肢が伸びて、ウチらを床に押さえつけた。彼女の体は光って——さっき読んでたファイルの、最後に付いてたメモを思い出したわ。……「琉璃光」の儀は形態形成場を最大化し、作用対象に生命形態上の進化をもたらすって。絶対に成功させちゃいけないけど、光輪はもう完全に活性化しちゃって、打開する方法が何にも思いつかなかったの。

視界がどんどん眩しくなる。2人はもう、身動きが取れなくなった。

「法欲滅時、五逆濁世。殺生貪味、無有慈心」

「法将殄滅、諸天泣涙。日月転促、人命転短」

「法之滅時、亦如灯滅。命数天理、尽帰於我」

呪詛を唱える阿由多の声が、だんだんとかすれていく。

その直後、阿由多の背後で別の光が弾け、歪みきったその体を包み込んだ。それから、大きな轟音が鳴って、周りの光がふっと消えちゃって。灯っていたロウソクも、儀式の光輪も、あらゆる光が消えて、私と班長のヘッドライトだけが光ってた。薄暗い中で、人影が一つ進み出てきたの。

肩にロケットランチャーを担いだ、施友だったわ。

“操你妈的,操你祖宗十八代。要不是老子现在出不去,早就把你们这帮逼养的魔怔人祖坟全都炸上天。”くたばれ、こんちくしょうが!こんなとこに閉じ込められてなけりゃあ、気狂い一家の墓ごと吹き飛ばして、まとめて昇天させてやったのに!

中国語でがなり立ててた。意味は分かんなかったけど、悪口なのは察しがついたわ。施友は空のランチャーをぶん投げ、こっちに向かってきたの。

「終わったぜ」

「あなた、一体全体……さっき胸を撃たれたのに、それに、今の……」

普通なら、完遂された「琉璃光」の儀は覆せないはずよ。阿由多は生命エネルギーの溶け込んだ他者の血を使い、いわゆるアセンション……人智の及ばない「高次の生命形態」に至るはずだった。さっきの儀式、全部がそういう方向に進んでて、どんな攻撃も効かなかったのに……どうして施友はロケラン1発で、人間を辞めかけてるアイツを粉微塵にできたの?どうしても理解できなかった。

「前者についてはまあ、防弾チョッキを着込んでたからな。それで、後者の件だが」施友はため息をついて、床の暗紅色の光輪を指差した。「水銀を混ぜるとな、どんな物でも一定の魔法陣的作用を持つんだよ。大手町駅のケチャップ、どうして消えたと思うね?」

神水流篤志の口述記録

その後、施友はバッジの下にあるもう一つのバッジを掲げました。それはプロヴィデンスの目のシンボルで、見覚えのある3本の矢印が、目の外側に付いていました。GOCのエージェントってのは嘘で、阿僧田一家の構成員でもない——あるいは、潜入捜査官だったのかもしれません。

「財団、なのか?」僕は問いました。

「財団だよ」彼が一言。「異常宗教表現部門3だ。ずっと奴らを見張ってたが、今になってようやく好機を得たってわけだ」

白衣の人たちも、フードを脱いでいきます。頭には白いヘルメットを被ってて、ヘルメットには黒の太字でデカデカと、何か書かれてましたが、やたらテキパキ動くので、はっきり読み取れませんでした。気付くと、彼らは荷物を運んでました。研究施設の資料とかサンプル、持ち運べる機材を、一つ一つ外に運び出してたんです。止める気にはなれませんでした。財団の手に渡れば、跡形もなく消えてしまいかねない。でも、僕らにとってみれば、消えてくれた方が良いように思えたんです。

「忘れちゃあいけない。過去から逃れることはできない。そのことを、誰かが意識してくれることを願うよ」施友は続けます。「端島神化計画落日の悪夢。君たちは常々、過去を封じ込めようとしたがるが、その結果はどうだ?逃げられないんだよ」

彼はそう言い残すと、白衣の連中の後を追い、闇の中に消えていきました。

それがすべての始まりだった——地上で何が起きたのか、我々には知る由もない。だが、少なくとも報いは受けた。研究者たちが何代にもわたり、隠そうとしつつも捨てきれなかった罪深い行いは、地下の現実を侵食しきっていた。地下鉄の地下は瘡蓋の如く、層を重ねて育っていったが、最深部の秘密を完全に覆い隠すことはできなかった。現実の構造が臨界点に達した刹那、東京の地下鉄網全体が、地下鉄の地下と化した——そして、その偽りの表層は、ここにようやく崩れ落ちたのだった。

忘却、拒絶、不承知。そんなことで、罪が本当に消え失せると思うか?明々白々だろう。地下鉄の地下は長らく、かような態度の下で育まれ、遂には地下鉄そのものを巻き込み、現実外の深淵に墜ちていった。可視の未来において、ここから抜け出す希望は未だ見えてこない。それでも、これらの記憶を胸に刻み、その上で、未来へと歩み出すことはできる。

立ち向かうしかないのだ。

臨時地下鉄異常事態対策係
暫定責任者 先島霧良

%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E4%B8%9C%E4%BA%AC-02.svg
特に指定がない限り、このサイトのすべてのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス の元で利用可能です。