復活

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とうとう千段もの階段の末端に広がる、山積みの本の溪谷の底へと辿り着いた。疲労困憊のサミュエルは束の間最下段にて腰を下ろすと、図書館の無明の深淵を見上げた。しかし休んでいる時間などなかったと気付くや、再度備品のランタンを固く握りしめて立ち上がった。

サイト-40の更新を止めるわけにはいかない、そう思った。ウェストバンドに留められた通信機に手を伸ばしたが、頭上の物陰より古ぶるしく、聞き取りづらい声が聞こえてきた。

「ハロー?」

サミュエルはランタンを掲げて慎重に先に進んだ。目の前には年老いた禿頭の男が立っていて、掛けた丸眼鏡から凝視していた。男は古びた黄色のスーツを身に着けていた…履いているのはスリッパだろうか?。

男はサミュエルが困惑気に見ているのに気付くと、一礼をした。「見苦しい格好であったというのなら、すまない。外出するのは稀なものでね。」

「ああ、えーと…大丈夫です。下で誰かに会うなんて考えもしなかったので。」

男の両目は大きく開かれた。サミュエルが額を拭おうとして袖を捲ると、腕に描かれた蛇の手のタトゥーが露わになったのだ。

「ほお、君は協力してくれる友人の1人という事か!多分君はここにいる間、私に協力してくれる人物かね?」男は溜息を吐いて、眼鏡を掛け直した。「視力は昔のままと言えない程悪化していてね、分かるだろう。本を探すには協力者が必要なんだ。一緒に行動しても多分大丈夫だね?」

「俺は…あなた相手なら大丈夫かと。こっちは"ベヒモス族史"のエリアに向かっている所です。」

「ベヒモス族だって?」

「あー…。」任務について漏らすんじゃないよ、サム。「そうです。」

「そうかい、私も本をこの辺りで探していてね。」年老いた男は口元に歯を見せて笑みを浮かべると、回れ右をした。「時間を無駄にするわけにはいかないか。」

「そうですね…。」サミュエルはため息交じりに答えると、男の後に続いて果てしない書棚迷宮へと入っていった。頭上に潜むものの正体は分からないままだった。


2人の男は迷路の行き止まりへと到着した。― 大きく開けた場所で、書棚は空っぽだった。

サミュエルはトーン紙と廃材まみれの床に目を下ろすと、頭を掻いた。「灰や燃えた跡さえもない。火事が起きたなんて考えられない。こんなに散らかっているのは初めて見た。」老人の方に目を向けると、同様の困惑ぶりを見せていた。「あなたにとっても理解不能なんですか?」

「理解不能。」杖を強く握りしめた。「そうでなければ…。」

「そうでなければ?」

突如として老人の顔に理解した表情が浮かび、すぐさま怒りの表情へと変わった。「私の手を掴んでくれ。」

サミュエルは額に皺を寄せて、ぎこちない笑みを浮かべた。「それって一体 ―?」

老人の顔が怒りで歪み、唐突に前方へとよろけ、サミュエルが反応するよりも早くその手を掴んだ。老人はもう一方の手で携えた杖の中心を掴み、宙で回転させると、胸に突き刺した。傷口から血が溢れ出し、濃い緑がかった膿汁も出てきた。サミュエルは嫌悪感を抱きつつも見ている以外に何も出来ず、老人の強固な一握から逃れられなかった。

図書館が揺れて、足元の床が崩れ落ちた。2人は吸い込まれるかのように空隙へと落下していった。


サミュエルが目を開けると、先ほどと同じ場所に立っていた。だが老人は消えていた。床には血痕も膿汁も見当たらなかった。まるで完璧に消え去ってしまったかのようだった。

「ハロー!?」広間へと声を張り上げた。

頭上に飛んでくる物体があり、サミュエルはランタンを掴んで先へと駆け出した。走り出してから数分後、再び彼は書棚に気付いた。けれども頭上で動く何かがいた。高さが2階建ての建物程もある、1匹の巨大なシミだった。そいつは頭を上げるよりも先に、書棚を丸ごと呑み込んでしまった。

真っ直ぐ彼を見て、両足を勢いよく床に叩きつけながら、前方へと突進し始めた。サミュエルは脇へと駆け、そいつがあと一歩で彼を喰らう寸前に飛び込んだ。方向転換しながらサミュエルがピストルを取り出して獣を撃つと、弾丸は頭と身体に命中した。束の間よろめいたように見えたが、青白い緑色の筋肉に塞がれて弾痕は消え失せ、再度後ろ足で立ち上がった。サミュエルはヘッドライトに照らされた鹿の如くその場から動けなくなり、身震いした。

しかしそいつは再び襲い掛かるよりも先に、本棚に叩きつけられた。何者かが乱入したのだ。一瞬のうちに、新たなる捕食者は備えし顎で紙魚を咥えると噛み砕き、新鮮な肉塊へと引き裂いていった。

その間、サミュエルはよろよろと歩き、正体を見定めようとランタンを掲げた。深紅の爬虫類の如き舌が痙攣するベヒモスの胸元に巻き付いていて、舌の持ち主そのものは影に包まれていた。あの虫が甲高い声を発して、痙攣すると舌はきつく締まり、書棚へと獲物をぶつけた。その後で顎が貫き、怪物を真っ二つにした。その上半身は最後に動かなくなる前に弱々しく舌を引っ掻いた。あろうことか捕食者の舌はバケモノの腹へと入っていき、粘液まみれの茶色の本を引っ張り出すと、サミュエルの両腕に放り投げた。

老人の声が聞こえた。「この本がお望みの1冊だね?」視線を下ろして題名を読んでみた。『ベヒモス族の絶滅』だった。

「俺のは ― これです。」サミュエルは口ごもった。見上げた先には影に包まれた怪物より覗く、エメラルド色の蛇のような2つの眼があった。

「ということは帰ってきたんだね?」

サミュエルは束の間躊躇った。「はい。」

「だったら連中の相手をしなければな。」そう答えると、蛇は頭上の闇へと突進し、後には静寂が残された。サミュエルは本を床に投げ返し、束の間頭を抱えていた。財団はベヒモス族が人類誕生以前の遥か昔に闊歩していた証拠を掴んでいたものの、完全に消え去ってしまった原因は分からずにいた。だからこそサミュエルが図書館へと派遣された。彼らは希望を抱いていた。新たに生まれた大型侵略者どもの討伐に助太刀をしてくれる術という希望だ。

サミュエルは備品の通信機に震える手を伸ばした。本に目を通さずとも事の真相は分かり切っていた。

蛇によって滅ぼされたのだ。

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