妻の物を捨てた。一個一個、丁寧に分別もして、細かな金具類やプラスチックだと思われる部品も厳密に仕分けた上で、専門の業者にも相談しながらそれらを分類していった。
化粧台を捨てる時が色々と苦労した。本来はここまでしなくてもよいのだが、接ぎ木の一個に至るまで分解していった事がさらに倍の時間を費やす結果となったのだ。
引き出しを仕分ける作業があれほどの苦労だと知れたのは、ある意味、私の人生における一番の収穫だろう。
早朝ではあったが、回収業者も快く了承してくれた。諸々の事情を察してくれた上での御厚意だったのは、去り際の彼の笑顔からひしひしと伝わってきた。
全てにけりが付いた段階で、私は一通りの物が無くなった家の中を見回した。ここで改めて、自分自身の物々が乏しいことを改めて実感する。
結婚をしてからは勿論のこと、ここまで生きてきた中で趣味らしいものを持ったことがなかったからだ。
没頭していたものがあった訳でもない。仕事を熟し、家長としての稼ぎを安定させることが私にとっての存在意義であったような気がする。
なけなしの私物と言えるのも、三段ほどで収まってしまう酷く隙間の目立つ蔵書ぐらいだ。その中身も一時期話題に上がった小説を認めた文庫本が数冊と、仕事の役に立てばと買ったハウツー本に留まっている。我ながら自分という人間が何の面白味の無い存在だったのだと痛感した。
この家自体も、ローンを組んで手に入れた憧れの一軒家であった。彼女と初めてこの家の門をくぐった時は、日頃無感動なことが多い自分としても心が躍ったのを今になって思い出す。
ついこの間、30後半に差し掛かった人間にしては早々なマイホームの獲得というイベントは自画自賛を述べても許される事象だろう。
ふと、私はほんのり薄暗い様子を呈するリビングに身を置いた。たまの贅沢をと思い立ち、少し予算をオーバーして買った薄型テレビの電源を入れる。そして、これまた彼女と一緒に買った白色のソファーに腰を下ろした。
内ポケットのあるカジュアルタイプの上着の中から紙煙草の箱を取り出す。そのまま、いつもの慣れた動作を以て片手で一本を突出させた。
「中でだけは吸わないでね?」
そう彼女に言われていた事が脳裏をよぎる。だが、今じゃそんな約束事の効力などとうの昔に亡くなってしまった。私はもう何も構わないと言った心持で咥えた煙草の先端に、妻に隠れて買ったジッポライターを用いて火を付けた。
ぶすぶすという紙の燃える音を認識するや否や、私は火種から産まれた煙を一息を吸い込む。それと同時にニコチンの塊が肺をめぐり、脳を犯していく。
今ではそんな感覚すら一瞬で過去っていく事象でしかない筈なのだが、どういう訳か今日だけはそれを良く把握できた。
この家の中を覆っている沈黙がこの研ぎ澄まされた感性を誘発させているのだろうか。はたまた、彼女のいなくなった空間と事実その物が、私にそうさせているのだろうか。
などと考えながら、私は緩む体のままに椅子に腰を沈めていった。
「あんなもの、間違ってるわ」
テレビに映るニュースを見ながら母が私に言った。
「死は、もっと高尚であるべきよ。あんな風に、取ってつけていい物じゃない」
私は母のその話が始まると、そっとご飯を食べていた箸を止め、両手を膝に置く事で傾聴の意を示した。
「隆則。貴方は、あんなものに手を出しては駄目よ。全部、全部、大司教様が見ているんですから」
「はい。おかあさん」
未だに画面から目を離さずに、言葉こそは丁寧ではあるが聞くに堪えない悪態を母は続けていた。こうなってしまった母を差し置いて食事に手を付けるのは、私には一切許されていなかった。
私が物心つく前から私の家庭はある意味歪な形態を帯びていた。正直、これが歪な物だと知ったのは保育園へ入園した時を期に薄々と勘づいたからだ。
他所の家々の話を聞くたびに、自分の家の環境がどれだけ他からは逸脱していて尚且つ極少数に位置する物なのかを実感させられた。
父はとっくの昔に他界しており、母は女手一つで私を育ててくれた。それでも、私と過ごす時間だけは作ってくれていたようで、今も私と夕食を共にしているのがその証左だ。
しかしそれをする目的というのが、彼女が足しげく通っている新興宗教の教えを私に浸透させるために他ならず、そこにあるのは打算と計略であり愛情などは介入する余地すらなかったのだろう。
ある日を境に、人の死と言う物は取捨選択の1つと成り果てた。既に周知の事実ではあるが、人は好きに特定の死を捨てることも出来るし、望めばその死を得ることも可能になったのだ。
今では人という存在は死を一つの娯楽として捉え、死その物が、我々が忌避するものではなくなった。
だが、母はその様な世間からは大きく離反していった。祖母から聞いた話では、父を亡くした時を境に心がどこか別の場所に行ってしまったのだそうだ。
そんな母の心を今もなお満たしているのが、いつも口が乾くほどに繰り返している「大司教様」の教えなのだろう。それが、異常ながらも今の母を間一髪の段階で維持させていたのだ。
「わかる? 隆則。死は、本来は私達人間がもつ普遍的で平等な権利なの。けど、あの悪魔たちはそれを低俗な御伽に貶めてしまったわ。私達はね、そんな物に手を出した時点で地獄に落ちる運命なの。だからこそ、私達はずっと清らかな魂のままに生きて、生きて、そして死に向かわなければならないのよ」
「はい、おかあさん」
「貴方のお父さんは、とても清らかな人だったわ。不幸の内に死んではしまったけど、だからこそあの人の魂は美しかったの。ええ、そうよ。そうなのよ。だから、あの人の死は全然無駄じゃなかった。あの向こう側にいる人達は皆、地獄に落ちるの。私達は違う。だって、正しいんだから。正しい生き方をし続けているんだから。分かるわよね、隆則」
「はい、おかあさん」
そう熱弁する母の顔は今でも鮮明に思い出せる。目は大きく見開かれ、口は笑っているもののその表情全体に愉悦は無い。あるのは羨望の気持ちと恨み、恵まれているであろう人民への嫉妬心でしかないのだ。
「分かったのなら、早く食べてしまいなさい。食は、より良い生への活力よ。これもすべて、大司教様の御心なのだから」
そういう母は、早々に空いた自身の食器を片付け始め無造作にシンクの中へそれらを放り投げた。そして、徐に机の上に何の法則性もなく放り出されている書類や封筒に手を伸ばし、一気にすべてを破り捨てた。
いつか見たその書類には、督促という単語や借用という単語がよく並んでいたのは言うまでもない。
「……何よ」
その様子を見ていた私に向かって、母はどすの掛かった声でそう言った。
「いえ、なんでもありません」
私は急いで残っているご飯と3匹のししゃもを平らげ、直ぐに自身の食器をまとめた。そして、先程母が放っていった食器と共に洗い始め、一刻も早く母の視線から逃れようと動いた。
身長が足りず、堪っているゴミ袋を脚立の変わりにしながらも自分に課せられた勤めを全うする。それさえ守っていれば、私に母からの手は飛んでこない。
体に刻み込まれている痛みという恐怖が、この頃の私を突き動かしていたのだ。
今日も母は、嘗て父の部屋であった場所を改造した祭壇の前で念仏を唱えている。
人が死ななくなった世の中が私に何をもたらしたか。それは、貧困と、苦悩と、差別だろう。
私は、生きながらにして死んでいたのだ。
目の前の液晶は死抽出を煽るCMが継続して流している。
既に10本も私は煙草を吹かしていたようで、追加の一本を消した段階で携帯灰皿の中がぱんぱんに満たされている事に気が付いた。
清美が死ぬ前はここまでのヘビースモーカーっぷりは発揮しなかったのだが、彼女が居なくなった反動からかどうしても手が進んでしまう。
だが、不思議と悲しいという感情は余り湧かなかった。周りにこれを言えば薄情だとか言われそうなものだが、恐らく二言目には決まって、
「死を抜いておけば良かったのに」
「まあ、自業自得だよね」
などと言う一方的な価値観の上から物を言う人間が後を絶たないだろう。
その第三者からの誹謗が予見できたからこそ、逆に私は彼女の最後その物を誇りにさえ思っていたのかもしれない。
私の周りには既に死抽出を済ませている人間が多い。ここ最近になって嘗ては保険会社という死後の保証を売っていた企業が、打って変わって死の切除を売り買いする業態に変わったのだ。
端的に言えば、死抽出の医療費を代行する代わりにその料金分をローン払いにして返済していくというシステムである。
これが世に出回りだした時は、よくやる物だとある意味感心した。
人の恐怖は果てしなく、しかして一度それが取り除かれてしまえば恐怖その物は姿を変え欲望へと転じる。世間の動きは瞬く間に死への克服へと乗り出し、既知となった恐怖は何時しか娯楽と化した。
遊園地に行ってみれば容易にそれを垣間見れる事だろう。落下への恐怖は安全という枷によってジェットコースターという遊具を生み出した。お化け屋敷などそれの最たるものだ。
人の死も、それに漏れる事無く、一時のスリルを味わうための麻薬へと昇華、もとい下落させられた。
これらを謳う広告や広報を見るたびに、あくる日の母の教えが唐突に過る。肉体への痛みと共に刷り込まれた死抽出への嫌悪感と世論の流れに反するこの考えは、今も根深く私の中で息づいている。これはある種の呪いだろうと思う時がある。
その呪いが、今の私を形作っているのは言うまでもない。現に、今もなお私は周囲にいる死抽出を終えた人間に対して負に近い感情を抱いているのが実状だ。
だからこそ、清美を選んだと言っても過言ではなかった。彼女は20代の時点で未だに死抽出を行っていない珍しい人材だった。背景を見れば単純に金銭的な問題の結果だったようだが、このご時世、人生の保険として「事故死」の抽出ぐらいは済ませておくのが当たり前だろう。
にも関わらず、彼女は一切の抽出も行う事無く、その上で己の生を謳歌していた。
私にはその姿がとても美しく見え、眩しかった。というよりは、あの母と比較したうえで同じ生き方を選んだ彼女がここまで違う姿を見せていること自体が奇跡としか思えなかったのだ。
そんな彼女に引かれていったのはやはり自分のエゴなのだろう。まるで人間を付加価値で見定めている下衆でしかない。そう自分を評価していた。
だが、そんな中で彼女は、私にこう言った。
「隆則さんは、人をちゃんと見ててくれるから」
彼女のこの言葉は、きっと大きな誤解の末に出て来た物だったのだろう。普通ならば、死を抽出していない人間が受ける視線と言うのは奇異の眼差しか哀れみの目か、兎にも角にも、今の世の中における普通の人としては決して扱われない。
そんな中で私の様な、死を受け入れている人間を肯定する存在が彼女にとってどの様に映ったのか。今ではそれを訊くことも出来ないが、彼女にとっても私という奇特な存在は別の世界から来た異邦人に見えていたのだろう。
私達はその様にして、互いに互いの人間性を誤解し続けながら、いつしか2人の姓を揃えるに至った。
きっと、その時が私の人生の中で一番に幸福な時間だったのだ。
だが、そんな彼女はもういない。
それを実感すると、私の過去が再び面を上げ始めた。
死は尊いものだ。何人たりともそれを犯す事は許されず、等しく齎される死こそが私達人類に与えられた唯一の救済でかつ安寧であるべきなのだ。
だからこそ、それは誰にも阻害されるべき事柄ではないし、それらを自らで捨て去ってしまったこの世界には、実力行使をもってすれば反逆として成り立つのではないのか。
ある日を境に私はその様な価値観で世界を見ていた。
私はある意味自由であるのだから、自らで死を選ぶことすらも一種の特権なのだ。私にはそれが許される。これは私にだけ許された理なのだ。
周りにいる奴らは、所詮は死から逃亡したに過ぎない臆病者たちだ。そんな奴らが、寄ってたかって私に害をもたらす。私は奴らとは違う。私は、選ばれた存在だ。
暗い部屋の中で、私は闇の向こう側に広がる虚空を見つめていた。そこにある筈もない何かに声を掛けながら、そう言った自問自答を続けていたのだ。
清美が部屋の前に立つ音か聞こえる。食事を持ってきた際に起きる食器の重なる音と、それに続く扉を弱弱しく叩く音が響く。
「隆則さん。食事、ここに置いておくね」
清美の優しい声がドア越しに聞こえ、それに対して私は無言を貫いた。
「……ねえ、隆則さん。ここ1週間、何も食べてないけど、体は大丈夫なの?」
いつもならばこのまま彼女は何も言わずに立ち去るのみなのに、今日に限ってはここで留まる事を選択した。
「食べないと、体に悪いわ」
この彼女の言葉によって、母の言葉が再び私の頭の中を支配した。
食は生への糧である。生は謳歌すべきものである。そして、その生を際立たせるのは純真無垢な死のみである。
死の抽出は邪道。死への冒涜。死。死は救い。私はそれを選べる。
食べなくちゃ。食べなくちゃ。食べなくちゃ食べなくちゃ食べなくちゃ食べなくちゃ。
「……隆則さん?」
「うるさい!!」
気が付けば私は自室の扉を蹴破り、彼女を付き飛ばしていた。彼女が持って来てくれた、お盆の上に載った食事は途端に落下し、割れた食器類が悲痛な金切り声を上げると共に床へと無残に散乱した。
私は興奮しきるままに息を荒げ、弱弱しく倒れ込む彼女を見下ろす。
「た、隆則さん……」
「お前に何が分かる!」
普段の私からは出た事の無い怒声が、私の喉から吐き出された。
結局こうなった。そんな、諦めにも似た感情が私の激情の片隅にポツンと立ち惚け、俯瞰している。
「俺は特別だ! 会社の奴らとは違う! お、俺は! 自分で死を選べる! あんな、臆病者達とは違う! 俺は……! 俺は……!」
ここまで言い切った時、ふと、横にある姿見に視線が移った。そこで改めて自分自身の全身が映し出され、今この時の現状が露となる。
髪は伸び放題で、髭も同じく野放しだ。顔には落とせていない垢が目立ち、何も食べていないが為に酷くやせ細った背格好とやつれこけてしまった頬は私の骨格その物を浮き彫りにさせていた。
これが、私の自負する生か。
途端に私は足に力が入らなくなり、その場で腰を落としてしまった。
「……俺は……。俺は、それでも……死ぬ勇気が、無い。」
か細い声でそう漏らした。
私の存在意義は何処にある。居場所は何処にある。無論、何処にもない。家庭にも、職場にも、そして、あの世にも。
私は自分自身の存在と言う物が心底嫌になったのだ。
私は母とは違う。
あのような詐欺まがいの宗教にかまけ、生活費の全てをお布施として捧げ続けてきたあのいかれた女とは違う。私は私の意思で、死の抽出をしないのだ。決して、強迫観念なんかじゃない。あんな最期だけは遂げない。遂げてなるものか。
彼女のことだって愛している。彼女が、死抽出を行っていない事を愛している訳じゃない。
自分は特別じゃない。だが、彼女は特別だ。彼女は気高い。
違う! それを愛しているんじゃない! 彼女だ! 彼女のことを愛しているんだ! 違う!!
「わかる? 隆則」
母の声がした。
「死は、もっと高尚であるべきよ」
黙れ。
「だから、最後は美しく死になさい」
黙れ!!
「隆則さん!」
私の後方から彼女の声が聞こえる。だが、そんなもの既にどうでも良くなっていた。
今は兎に角この場から逃げ出したい。その一心で、私はただ前へと走り出した。
道中、何があったのか良く分かっていない。扉を開けた気もするし、何も履かずに外に出た気もする。土砂降りの中でだった気もするし、ヘッドライトが目の前てチラついたような気もした。
私の眼前には大きな2つのランプが迫る。遠巻きながらクラクションの様な物が鳴った気がする。
これで仕舞いだ。そう、確信にも似た考えが私の全身を占領した。体が動かなくなった。
が、それは叶わず、変わりに私の体が何らかの力によって横に付き飛ばされた。
勿論、それは私の眼前に迫っていたダンプカーによる物では無い。
「……清美?」
彼女がいた。
しかし、次の瞬間、彼女はーー
「では、この契約書に署名をお願いします」
受付の女性に言われるがまま、私は自身のフルネームをそこに書きしるした。
「それで、希望の抽出事項に関してなんですが。これでお間違え無かったでしょうか?」
多少、訝しげる様な態度で女性は私に問いかける。恐らく、これも業務の一環なのだろう。が、私は確固たる意思のままに彼女の疑問を否定した。
「ええ。これでお願いします」
「畏まりました。……ですが、大変珍しいご要望ですので、施術時間は少し長くなると思います。複合的な死亡ケースの分類もありますので」
「構いません。お願いします」
「畏まりました。整理券を発券しますので少々お待ちください」
そう言うと彼女は受付の奥へと姿を消し、一時の間ではあるが私は1人となった。そして、改めて私の書いた書類の項目へと視線を落とし、私の字で書かれた希望の抽出項目を見つめる。
そこにははっきりと「自死」と書かれていた。
私の権利。私の誇り。それらはもっとも簡単な2文字で片づけられる。
「お待たせしました」
物の数秒で女性は戻ってきた。
「番号でお呼びしますので、呼ばれましたら診察室までお越しください」
そういう彼女の顔は屈託の無い笑顔で彩られていた。
再び私は煙草に手を伸ばす。
事の発端は簡単だった。私が勤めていた会社の死抽出を私が蹴ったからだ。あくまでそれらは人間の自由意志によって決まる物ではあるが、今のご時世は死のストックですら商品価値を持つ。その金になる概念を出し渋った私に対して、企業側は私に制裁を加えた。
あの時、私が単純に意見を曲げてさえいれば清美が死ぬ事は無かった。彼女は、錯乱し道路に飛び出した私の身代わりとなる形で死んだのだ。
彼女の死はとても、美しい最期を遂げた。
鮮血と共に地面の上に横たわり、自己犠牲という尊い行いの末にその生涯を終えた。
その時、私は確信した。これこそ、人が人らしく死ぬ姿そのものであると。
母の死とは大違いだった。その有り様は見るも無残で、生活保護で得たなけなしの生活費を違法薬物に費やし、結果としてゴミ山の中に埋もれながらのオーバードーズが原因で旅立った。
あれが人らしい死に方を説いた女の最期か。皮肉とはあの女の為にある言葉だと、当時の私は思った。
だが、清美は違う。彼女の死こそ、私が追い求めていた物だったのだ。
私はあの瞬間に立ち会ったからこそ、死と言う物の本質を見た気がした。それは何物にも代えがたい感動だった。あの時に、私の中の全てが満たされたのだ。
しかし、それと同時に大きな後悔が私を襲った。
私が、私こそが、彼女を殺した。
私の愚かさが彼女に死を齎した。私のつまらない死への恐怖と、崇拝が最悪の結末を招いてしまったのだ。
だからこそ、私はそれを捨てなければならない。これは私への罰だ。私は、永遠にこの罪悪感の中で苦しみ続け、かつ彼女から私を隔絶させなければならない。最早、私はあの美しかった清美に触れる事すら許されないのだ。
清美の存在は私にとっての死そのものに昇華した。ならば、私は罰として清美との唯一の繋がりを捨て無ければならない。
私は、私の持つ権利を自らの手で剥奪した。私が清美を求め、自らで死を選ぼうとしても私は決して彼女のもとへは行けないのだ。
「……死は、もっと高尚であるべきだ」
私はそう漏らし、あの日の母の顔を思い出した。
今ではもうあの醜悪さが笑えて仕方がない。何故、あんな女に怯えていたのだろうか。
「違う。……死なんて、所詮こんな物だよ」
そう続け、私は過去に対して鼻で笑った。
私は彼女の私物を全て葬り去った。私が、彼女と共に余生を過ごす事すら烏滸がましい。この孤独が、今の私には必要なのだ。
後悔が無いと言えば嘘になる。正直、私の中から「自死」の概念が消えうせるあの瞬間は、半身を削り落とされるような苦痛と嫌悪感が伴う異常事態ではあった。これを人々は嬉々と実行し、快楽として自らに再び取り込む。それを想像しただけで怖気が立つ。今でもそれを思い出すのは変わらない。
だが、これで私は、私の中にある「死への憧れ」という呪縛から開放される。
羨望はより理解から遠い感情である。私は、これでやっと、清美のことを理解できたのだ。
そんな事を考えながら、私は11本目の煙草を口に運んだ。
そこで、ふと思考する。
喫煙は自殺に入るのだろうか。
「吸い過ぎは止めてね?」
清美の声がした気がした。唐突に私は後方へと視線をやる。勿論、そこには誰もいない。何もない。
「……なんてね」
そんな当たり前を実感しながら、私はライターを点火させた。



