呪いの夜道
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ここは雪降る酩酊街。
忘れられた者、誰もが行き着く場所。行き着くのはヒトだけでない。様々なモノ、コト、忘れられていつか辿り着く。


「やってるかい」

常連の男はカウンターの空きを見つけて腰を下ろした。今日も夜の酒場は賑わっている。慌ただしく働く少女がぎこちなさげにおしぼりを差し出した。

「おうおう、新しい店員さんかい?見ない顔だなぁ」
「ええ、そうよ。どうぞご贔屓に」

酒場の女主人が答える。少女はペコリと頭を下げた。肩にまでかかる白い髪が前に垂れる。

「ずいぶんとべっぴんさんじゃないか。女将の娘かい?」
「冗談。でも娘のように大切にしたいとは思ってるわ。彼女は最近この街に来たのよ」
「なるほどなぁ。お嬢、名前は何てぇんだ」

少女は少し困った笑顔を浮かべる。

「名前かぁ。覚えてないんですよね」
「まあよくある話だな。ここは忘却の街……全て忘れていくものさ。でも、何か呼びつけたりするとき不便でねぇか?」
「そういうときは私は"きぃちゃん"って読んでるわ。ここに来たとき、ケヤキの匂いがしたから。でもケヤキちゃんって呼ぶのも何か可愛くないじゃない?」
「なるほどな。よろしく、きぃちゃん」


「きぃちゃん。きぃちゃんはどっちの方から来たんだ?」

徳利が2合空き、酒場の盛りも少し落ち着いた頃に常連客は話しかけた。

「どっちと言われると、なかなか答えづらいですね」
「じゃああれだ、この街に来た時を教えてくれるかい」
「そうですね、私はここには並木道を歩いていたら辿り着いたんです。気づいたら一面雪の街があって。ぷぅんとお酒の匂いがしたのを覚えています。たしか街の入り口には鳥居がありました」
「鳥居か。ははぁそれは西の方だな。まあ、そこらへんは比較的安全だよな」
「安全、ということは危ないところもあるんですか?」
「まあ中にはな。こっから北の方にはあまり行くのはオススメしないね」
「何かあるんですか?」
「あぁ。実はな……」
「ちょっとアンタ、またその話かい?」

女将が熱燗を渡しながらたしなめる。

「新人にはいつもその話ばっかりするんだから」
「いやいや、注意喚起だよ。うっかり危ない目にあったら寝覚めが悪いだろう?」

女将はため息をつく。

「で、きぃちゃん。お前さん呪いってやつは信じるかい?」
「ん?呪い、ですか?」
「唐突ですまんね。で?」
「う~ん、ちょっとよくわからないですね」
「今の若い子はそんなものかねぇ」

口に手を当てて常連客は言う。
「でもな、呪いは確かに存在するんだ」

「呪術師が使うような問答無用のガチヤバ超常なのはほとんどない。俺が知らないだけかもしれねぇけどな。けど軽いのならごまんとある。俺だって使える」
「本当ですか?」
「ああ。呪いっていうのはな、簡単に言えば「呪いをかける」という行為自体が心理的に影響するんだ。呪われてるって聞いて道で転びでもすれば、呪いのせいかもって思うだろ?あの人呪われてるかもって思えば、巻き添えになりたくないからソイツを避ける人も出てくる。呪いをかける人は強く暗い感情を抱き続けなければいけないわけで、いつかココロを病みかねない。そんな感じで「呪いをかける」ということであれこれ悪い結果が出る──これが呪いさ」

常連客はこめかみを指で叩きながら語る。

「そんな小さいことで呪いになるんですか?」
「ああ。豪胆な奴ならそんなのものともしないが、多くの人間は大なり小なり、意識的なり無意識的なり気にしてしまうものさ。しかもタチが悪いことにこの呪いは簡単には解けない。何か劇的な出来事でもない限り呪いっていうのはそれを知ってる、気にする奴がいる限りは終わらねぇんだ」

常連客は一息、とばかりに猪口に日本酒を酌んで飲む。

「なるほど、呪いについてはわかりました。でも、それがさっきの話と何の関係があるんですか?」
「ああ、ここからがさっきの話の続きになるな。呪いは知ってるやつがいれば終わらないと言ったが、裏を返せば呪いを知ってるやつが全員いなくなれば呪いは効果を失くすってわけよ。もしくは豪胆な奴が気にしなくなった場合もか。そんな忘れられた呪いもこの街には集まってくるんだ」

常連客は一呼吸間を置いた。

「さっき言った北の方にはな、何とかとかいう通りがあってそこが呪いの溜まり場なんだ。その道は行かねぇ方が、おめえさんの身のためだ」
「そうですか……。それは何て道なんですか?」
「え?えーと、名前は……何と言ったかな?」

がくっとなる少女。

「名前がわからないんじゃ注意できないじゃないですか」
「いやいやいや!あのーアレだよ、電柱に通りの名前が書いてあるんだ、実際に行けばわかる!……たぶん」
「たぶんて何ですか。思い出してくださいよ」
「いやー……無理だね」

女将はカウンターの影で大きくため息をついた。


「とにかくだ、その通りには呪いが潜んでいる」

常連客の話は続く。

「通りに入ってすぐには何もない。しばらく進むと急に耳元で声がする。「死ね」とか「ちぎれろ」とかな」

いつの間にか酒場には人がまばらになっている。外の風の音がほのかに聞こえる。

「そうするとだんだんと体が重くなってくる。息が苦しくなってくる。血を吐く。お陀仏になるような強い呪いはない。その分何個も何個も呪いが積み重なる。道の出口に向かおうにも辿り着けない」

少女は神妙な顔つきで黙って聞いている。

「いつしか電灯の明かりは消え、暗い暗い闇の中で詰る幻聴は常になり続ける。骨が砕ける。足が捻じ曲がる。頭がすぼむ。動けない肉の塊となって後は街の底に沈むまで苦しみ続けるというわけだ」

常連客は頬をポリポリと掻いた。

「北に行って帰ってこない奴を何人も見た。きぃちゃんは気をつけるんだぜ」
「そうですね。気をつけます。でも……」
「でも?」
「もし、気づかずに通りに入ってしまったらと思うと……」
「なんだそんな事か」

常連客はとっくりを引き寄せて飲み干した。

「そん時はこういう風にドカッと座ってな、酒を浴びるように飲みゃあいいのよ!そうすれば酔っぱらって呪いをかけられたことも忘れちまうさ」

大きくゲップを一息。

「ここは停滞と、酩酊と、忘却の街だからな」

少女はまるで見てきたように語る常連客をいぶかしげに思った。

「……もしかしてあなたもその通りに行ったことが?」
「さあな、忘れちまったよ。女将さん、熱燗おかわり」
「はいよ」


「お待ちどうさま」

女将が熱燗と、おつまみを差し出す。梅ときゅうりの和え物だ。

「おお、いいねぇ。話疲れた口にはさっぱりしたのがあう」

少女は女将に尋ねる。

「女将さんもこの話は知っていたんですか?」
「まあね。でも別に知らなくても良かったのよ」
「どうしてです?知らなかったら呪いにやられていたかもしれないのに」

女将は冷たい目で常連客を見る。常連客は素知らぬ顔で酒をあおっている。

「あのねえ、今の話だと通りの呪いは忘れてしまえば効果は無くなるって話だったでしょ」
「そうですね」
「じゃあ元からこの通りの話を聞かなかったら?知らないんだもの、呪いが効くわけないでしょ」
「……あ!」
「きぃちゃんはある意味通りの呪いをかけられたのよ。あのお客さんにね」
「カッカッカ!俺だって呪いが使えると言ったろ?」

常連客はにんまりと笑う。少女は腕組みをした。

「女将さん、止めてくれたっていいじゃないですか。もう」
「ごめんね。でも北の方に何かあって、戻ってこない人がいるっていうのは本当なの。注意喚起というのはあながち嘘じゃないのよ」
「へっへ。簡単な呪いで大きな災いを止められるなら大したもんだろ?」
「あなたは静かにしていてください!」
「ふふふ。それにね、覚えられている話っていうのはそれがちゃんと伝わる方法があったから覚えられているのよ。本当に怖いのは伝えられなかった、忘れられてしまった話。そしてこの酩酊街には──」

戸の隙間から大きな風が吹き抜けて女将の言葉を遮った。のれんは大きく揺れ、戸がガタガタと音を立てた。

「今夜は風が強いわね。少し冷えたかしら?」
「ああ。熱燗、次のを用意しといてくれ」
「あの……私も暖かいのを貰ってもいいですか?」
「はいはい」


ここは雪降る酩酊街。
忘れられた者、誰もが行き着く場所。そして忘れられたものは、知ることが難しい。

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