余分な生贄、捨てにくい廃棄物
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「匡済部門ってあるよな?」

その部門名には覚えがあった。現場の収容スペシャリストとして働いていれば何度も目にする事だろう。異常物体に対しての安全確保、施設への移送、収容維持にDクラスの運用は欠かせない。だが、その人員の選定に関して匡済部門がしゃしゃり出てくる。選定される人員は事前に訓練指導され扱いやすい。確かに有用なのは認めるが   

「城戸、お前来月からそこに異動らしいな。まぁ、理由は何となく分かるけどよ。」
「……はぁ?」


「いやー珍しい時期だけど新人さんなんて嬉しいね。僕は片嶋、宜しくね。」

車椅子に座った男はそう言ってケラケラ笑っていた。足元に掛けられた布越しに見える膨らみから、両脚は膝辺りで途切れているのが分かった。左手首の先は無く、右手と顔に残る傷跡が凄まじい経験を物語っている。何の事前連絡もなく配属された匡済部門、その指導係がこの片嶋という男らしい。

「今日付けでこちらに配属になりました!城戸と申します。宜しくお願いします。」
「堅苦しい挨拶は抜きにしよう。早速だけど車椅子を押してくれるかい?」

配属初日。オフィスで挨拶や説明がなされるのかと思っていたが、いつのまにか訳も分からず自分は歩かされていた。混乱する自分をよそに、片嶋はしゃべり続ける。

「悪いねぇ、ほら僕ってこんなでしょ。皆と同じように働くってのに限界があるんだよね。あ、でも口は回るほうだからさ、匡済部門に関する相談窓口みたいなのをやってるんだよ。今はヘッドセットとかを使えるから事務所で待ってなくていいのが良いよねぇ。」
「ああ……えっと、そうなんですね、はは。それで、私は何をすれば?」

段差。前輪を上げ、ゆっくりと越える。

「……そうだね。先に軽く説明しておこうか。知っているかもしれないけど、匡済部門の風当たりって未だ強いし、肝心のDクラスからの反発があったりするんだよね。そうなった時の問題を解決するためには、現場を知らなきゃ話にならない。さっきも言ったけど、僕はこんなザマになっても受話器の前で待ってられないんだよね。あ、ここだよ。」

カウンセリングルーム。〈使用中〉というプレートが付けられている。

「でも僕が現場に出るなら相棒が必要だろ?それが君ってワケ。じゃあ、行こうか。」



Case-01 復帰カウンセリング



賑やか過ぎないながらも、財団施設内にしては色合いを感じる室内には、テーブルを挟んで見慣れた橙色のツナギを着た女性が座っていた。だが、カーテンが閉め切られ電灯が消された部屋は暗く、その顔はよく見えない。

「こんにちは、片嶋さん。また、新しい方を連れているんですね。」
「まぁね、城戸君って言うんだ。……それと、電気を付けても良いかな?」
「あれっ!あぁ、ごめんなさいごめんなさい。確認したつもりでした……。」

彼女が真っ暗な画面のスマホを撫でると、〈ライト〉という音声と共にスマホから低い音が流れる。自分が電気のスイッチを付けると、明るさを認識したのか音は高くなった。同時に髪型に隠れて見えにくいが、顔全体が焼けただれているのが分かった。

「あの、彼女は目が……」
「城戸君。彼女は約1ヶ月後、完全な記憶処理を経て社会復帰する事になっている。今日はそのカウンセリングさ。まぁ、初日だし話を聞いておくだけでいいからね。」
「私はD-33091と呼ばれています。よろしくお願いします。城戸さん。」

小さい声で返事をした。親し気な口調から放たれた管理番号に、何故か怯んでしまう自分が居た。

「大分スマホの扱いも上手くなったんじゃない~?」
「音が出るので、何とか少しずつ……。白杖の方も、練習中です。」
「まぁ、今は音声アナウンスとかの普及が凄いからね。意外と大丈夫かもよ?」
「そうかもですね……。だとしても、今の内に出来る事はしておきたいんです。」

前向きな言葉とは裏腹に声質は暗い。片嶋も、それを読み取ったようだった。

「やっぱり不安かい?社会に復帰するのは。」
「……はい。自分の過去の罪とは散々向き合ってきたつもりでした。でも、それを考えていた事すらも、あの実験で盲目になってしまった事への恐怖と今抱いている覚悟も。全てを忘れてしまうのが本当に怖くて。」

こうした時、本当なら一般人やDクラスに対して定型の文句がある。事故や問題が起きた事は無いので安心安全ですよ……と。嘘も方便だが、それを言う気は無いらしい。

「……ハッキリ言ってしまえば、相当の困難が死ぬまで付いてくるだろう。逃げようがない。君はこの先社会に馴染めず、理不尽で不当な待遇を受けるかもしれない。それを自分への罰だとして受け入れる人も居るんだけど、君はそれすら出来ない。覚えていないんだから。自分自身か、世間を恨む事になるんだろう。」
「やっぱり、そうなんですかね……。それにこんな、顔ですし。」
「顔は関係ないよ、なんなら盲目になってしまった事も。元々、配られるカードには差がある。それを理不尽に失う事も普遍的だ。」
「じゃあ!どうすれば良いって言うんですか、私は。私は!」

突然机を叩き叫び出したD-33091をかばうように、片嶋は自分の前に腕を伸ばした。通常なら保安職員が飛んでくる状況である。自分が動くと思ったのだろう。……本当にそうすべきだった。でも制止される前に、既に自分の体は萎縮して動かなかったのだ。

「……僕は記憶が消えても、何もかも一緒に消えるわけじゃないと思っている。全て忘れて社会復帰したDクラスの再犯率が異常に低いというデータは実際にあるしね。白杖の練習みたいに体で覚えた事は簡単に忘れないように、想い続けて心で覚えた事も忘れない。だから、きっと大丈夫。困難も乗り越えられるよ。」
「随分と、簡単に言いますね。」
「そりゃそうさ。君を救えるのは君自身しか居ないんだから。僕は気休めしか言えないよ。君はこの先、周りに存在を否定されて精神を病むかもしれない、ある日あっけらかんと楽な選択肢を選んでしまうかもしれないね。僕の立場では勿論やってほしくないけど、君が救われるなら僕はそれを否定しない。」

D-33091の表情は分かり難かった。だが、笑い出したのは分かった。泣きながら、彼女は爆笑していた。

「アハハハハ!……否定して下さいよ。やっぱり優しくないですね、片嶋さんは。」
「これが僕なんだ、ゴメンね。……話題を変えようか?そういえば   

その後は穏やかな会話が続いた。本当に他愛もない話だった。さっきまでのが嘘のように。

話が終わり、カウンセリングルームを出て少し歩いた所で片嶋は語りだした。

「城戸君、ずいぶん綺麗事を喋るんだなって思っただろう。僕の場合はいつも荒療治気味だけどね。」
「いや、そんな事は……」
「思った事を言ってくれていいよ。実際そうなんだ。彼女は財団にとって実験に使う事も出来ず、面倒を見るにしても相応のリターンを期待できない『再利用できない資源』。彼女が関わってしまったアノマリーは特殊でね、知ってしまった機密的に記憶処理は免れないし、もっともらしい言い回しで”廃棄”するのも許されない。結果、こういう事になった。コストカットのため顔の整形手術すらされずにね。」

片嶋の口調は柔らかだった。それでも、財団の負の側面を言葉を選ばずハッキリ言う様には、何か込められたものがあった。

「通常、業務を終えたDクラスにはいつくかの選択肢がある。でも彼女には何の選択肢も与えられなかった。復帰後のサポートは行うけど、”監視”や”非常時の対応策”といった建前が使えない以上、手厚くは出来ない。どうすれば良かったんだろうね?」
「……私には分かりません。確かに彼女には同情しました。でも、全てのDクラスがああでは無いですよね?本当にそこまで、考えるべきなんでしょうか。」

自分でも不思議だった。誰かとかじゃない。本当は皆が考えるべき事なのくらい、理解できる。絶対に否定される。それが分かっていたのに、考える前に自分でも驚くほど必死にそう言っていた。分からない、酷く恐れている、何に?

「……うん、そうだね。それも本当の所だ。僕らが出来る事は増えてきてるけれど、財団はまだまだ優しい組織と言うわけでは無いんだよ。ホラ、こんな風に。」

段差、かなり高い。力を入れながら前輪を上げ、ゆっくりと越えなければならなかった。



Case-02 選定と説得


「おはよ~、城戸君。昨日はよく眠れたかい?」
「おはようございます。はい、あの、まぁ、それなりに。」

昨日はカウンセリング1件だけで終わりと言われ、片嶋を送った後は匡済部門の当直室で過ごし続ける事になっていた。それは良いのだが、どうにも時間がありすぎた。寝るには寝たが、昨日から感じる心の違和感が何なのかを考え始めてしまい、あまり眠れなかったのが正直な所だった。

「しっかりしてね。今日は昨日よりも重い仕事だから。」
「……今日は、何を。」
「死んできてくれって説得しに行くのさ。はい、ここだよ。」

Dクラス収容房近くの面会室。昨日のDクラスの言葉が思い浮かんだ。本当だ、本当に優しくない。

「じゃあ、今日も張り切って行こうか!」


想像通り、真っ白で何も無い部屋だった。無機質に存在を主張する監視カメラが、昨日のDクラスとの扱われ方の差を示しているようだった。簡素なパイプ椅子に腰かけると、強化アクリル板の向こう側、保安職員と共に橙色のツナギを着た男が現れた。

「……誰だよ、お前ら。」
「初めまして、D-37700。僕は片嶋と言います。こっちは僕の介助者の城戸君。」
「名前なんざ、どうでもいい。何の用で来たかって聞いたんだ。」

自分が何かを言う前に、D-37700と呼ばれた男は声を荒げた。

「D-37700、我々は君たちの支援をしている者です。貴方に1週間ほど、作業前の訓練指導をした者が居ましたよね。その者と同じ部署で、別の仕事をしている人間だと思ってもらえれば。……私たちは、貴方に"同意"を貰いに来たんです。」
「俺はあの実験には参加しない。」
「言いにくい事ですが、少し前のオリエンテーションで、自分がどのような立場に置かれているかは分かっている筈です。あの場で説明された内容に偽りはありません。我々の"試験"に協力してもらえたら恩赦を与える事が可能です。」
「そんな事は分かってるよ!」

声を荒げるD-37700だったが、体は小刻みに震えていた。感じている恐怖が何故だかダイレクトに伝わってくるようで、心が乱される。

「危険な仕事に行くのは覚悟してた。でも、アレは無いだろう。何で、何でわざわざ俺なんだ……!」
「……選んだのは私たちです。Dクラス一人ひとりの罪状や経歴、スキルや適性を加味して選定しています。あくまで候補の提案。最終決定権があるわけではありませんが、多くの場合そのまま通る事が多いです。」
「ゴチャゴチャうるせぇんだよ!要は俺に死ねって言ってるんだろ!?」
そうですね。死んできてほしいと、今日は言いに来ました。

静寂。淀みなく和やかに出てきた言葉はあまりに直接的で、後ろで控えている保安職員まで目を丸くしていた。

「……アンタ、随分ハッキリ言うんだな。」
「回りくどいのは苦手なんです。それに、貴方が本当に恐れているのは死ぬ事ではないですよね。」
「…………」
「私たちは深く深く、人を見ます。訓練を担当した職員からは、貴方は覚悟が決まっている方だとお聞きしましたよ。異常な物が存在するという事実を冷静に受け止めて、適度に死を恐れつつも、全体から見た"役割"を理解している。一番生き残りやすいタイプとの事でしたよ。まぁ、だから危険性が高い任務に配属されてしまう訳ですが。」

片嶋は口が回る。短い付き合いだが、それは良く分かった。よく通る声で相手を見透かしながら喋り続け、いつの間にか主導権を握っている。

「そんな貴方が、ここまで拒否するのはトラウマがあるからですよね。思い出しますか、殺した相手の事を。」
「……気分ワリィ。そこまで全部分かってんなら、なんで2日前に概要を伝えるなんて半端なマネしやがったんだ。使い捨てるつもりなら、当日まで何も知らせず、突っ込ませれば良かったんじゃねぇのか。」
「使い捨てるつもりが無いからです。少なくとも私たちはね。現場で少しでも躊躇すれば死にますよ。賢い貴方の場合は事前に覚悟を決めてもらった方が良い、そう思っただけです。」
「……徹底してやがる、とんでもねぇ所だな、ここは。」

D-37700も不機嫌そうな顔をしているが、大分落ち着いてきたようだ。ただ、自分だけが。何もしていない自分だけが心を乱され続けていた。どうしてだろうか。

「とりあえず、"実験で使用するDクラス職員数の削減要請"という申請を出しておきました。と言っても、こんな直前に出しても却下されるでしょう。承認を遅らせる位しか出来ませんから、稼げて1日という感じですかね。その間にさっさと覚悟を決めてください。じゃないと、寝てる間に記憶処理されますよ。」
「…………メチャクチャな事を言いやがって。…………まぁ、でも分かった。逃げても無駄な事くらいは分かってた。それに、恩赦を貰ってやりたい事も出来た。」
「へぇ、何ですか?」
「テメェに直接文句言ってやる。覚えてろよ。」

それを聞いた片嶋は、ケラケラ笑っていた。

面会時間はあっという間だった。だがその短時間で、確かに片嶋は死んできてくれと頼み納得させた。それは事実だった。

「落ち着かない様子だね、城戸君。何かあったかな?」
「いや、何も。」
「悩んでいる事があったら、いつでも相談してくれていいからね~。」

相談する前に、全部見抜かれているような気すらした。

「……城戸君には言っていいはずだから、言うんだけど。彼昔は保育士だったんだってさぁ。全然、そんな感じしないよねぇ。子供の話を振ると、色々と話してくれるらしいよ。そこを買われたわけだね。」
「買われた、と言うのは……」
「〈人間の幼子みたいなモノ〉の性質調査に行くらしいよ。これ以上は言えないけれど。」
「いや、そんな……。逆に大丈夫なんですか?そんな調査に元保育士を使うなんて。」
「彼は子供を殺して此処に来ているからね。」

重い沈黙が流れた。聞きたくなかった、そんな事。

「……誤解してほしくないから言うけれど、僕が選んだ訳じゃないよ。ちゃんと候補を選定するのを担当する職員が居て、最近は倫理委員会とも連携して、諸々全部ひっくるめて候補を選定しているんだよ。悪趣味とか、そういうのじゃないからね。」
「倫理委員会と、ですか。」
「うん。僕たち匡済部門と似てるようで、意外とやっている事は大分違うんだ。でも、Dクラスをイタズラに死なせたくない。そこは一致しているのさ。といっても選定を連携し始めたのは、本当にごくごく最近の話だけどね。」

片嶋の話によれば、匡済部門はまだまだ一枚岩ではないらしい。Dクラスを『人間』として見るお人好し、『資源』として見るリアリスト。収容活動の助けになるのならと中立な者も多いが、未だに反発心を持つ者、古い価値観にとらわれている者、過激な思想を秘めて動いている者も居るだろう。それ故に、他部門との連携がまだまだ遅れているらしい。

「でも、連携は必要な筈さ。自分にできる事があるならば、積極的にやっていきたい。」

自分には何が出来るだろうか。自然とそう考えていた。



Case-03 死亡事故調査


SCP-████-JP関連 死亡事故調査記録-2

発生日時: 20██年██月██日10:37

発生現場: サイト-81██第4監視室

状況: SCP-████-JPの性質調査を目的とした実験中に発生。D-37700(以下"被害者")は男性、2█歳、本実験への適性を認められ従事中であった。

[中略]

9:09、被害者は実験担当責任者 河井 孝明博士の指示により、第4監視室に入室。SCP-████-JPの遺体は仰向けで寝かされた状態。器具の準備を行い、性質調査を開始。

[中略]

10:09、調査手順-18を完了。ここまで変化の兆候が見られない事を確認。

10:10、調査手順-19を実行。SCP-████-JPの収容以前の名前を呼称。SCP-████-JPの下腹部が急激に膨れていくのを確認。待機していた保安職員の突入準備を開始。

10:11、生命活動が無いSCP-████-JPの頭部が動き、室内の監視カメラの一つを凝視し始める。下腹部は膨張し続けている。

10:12、SCP-████-JPが複数の3~4歳位の男性の形状をしたSCP-████-JP-Aの出産を開始。

10:13、SCP-████-JP-A-15が被害者の右足に抱き着き、泣き始める。河井 孝明博士の指示で被害者はSCP-████-JP-Aの性質調査を試みる。

[中略]

10:16、SCP-████-JPの出産が停止。後の精査により、この時点で室内には97体のSCP-████-JP-Aが記録されていた。

10:20、SCP-████-JP-Aの全個体が泣き続けている。被害者は声をかけながら頭をなでたり、抱き上げるといった行為などを繰り返し行い沈静化を試み続けている。

10:21、寺田研究員が異変を確認。SCP-████-JP-Aが被害者の摂食を開始。頸部を摂食され、頸椎等が露出しているにも拘わらず、出血が見られない。被害者はすぐに脱出を試みたが、活性化したSCP-████-JP-A個体群に飲み込まれる。

10:23、河井博士が保安職員に突入指示を行うが、被害者が実験の継続を希望したため、撤回される。

[中略]

10:26、被害者は状況を連絡し続けている。すでに被害者は頭部は胴体と切り離され、脳の約60%をロストしているにも関わらず、報告を続けていた事から、SCP-████-JP又はSCP-████-JP-A群が、何らかの不死性を付与する性質を持つ可能性が提言される。

10:27、実験中止が河井博士によって宣言される。保安要員によって被害者が救助され、第3救急治療室に搬送される。

10:35、被害者の死亡を確認。

配属されて数日。片嶋は、いつもの調子で明るく世間話をしながら、この書類を渡してきた。自分はそれが信じられなかった。

「これは何の変哲もない財団の日常。そうだろう?むしろ、トリガーと思われる行動と、新しい性質も確認できた。実験は成功に終わったよね。まぁ、だとしても人が死んだのは事実だから、調査委員会は出来るんだけどね。匡済部門も、それに参加するんだけど……。」

音が遠く聞こえる。人が死んだ、そこが問題な訳じゃない。人の道から外れる覚悟は、財団に入った時にもう済ましていたのだから。それよりも、それよりも問題は   



「どう、思い出してきた?」



Case-04 社会復帰支援


片嶋の問いに答える事なく、いつのまにか訳も分からず走り出していた。逃げ出したのだ。二度も三度も、後ろを振り返りながら。誰かに指を差され、責められているような気がした。頭では分かっている、行くところなどない。自分のしてきた事から逃げ出す事は、そもそも出来ない。

思い出してしまった。片嶋の言う通りだった。例え忘れても、何もかも一緒に消えるわけじゃない。心が覚えてしまった事は残り続ける。


異常物体に関わって亡くなった女性。
不測の事態を考えて一時的に収容する。
何度も何度も、やって来た慣れた仕事の筈だった。

トリガーを自分は踏んでしまった。

腐敗も進みつつある遺体の下腹部が膨らみ、胎動している。
むにゅる むにゅる と激しく蠢く細長い肉の塊が、湧いて出る。

死んでいる筈なのに。彼女は何かを叫び出した。
自分はそれに気付いて、恐怖で体が動かなくなった。

次の瞬間、橙色のツナギに突き飛ばされていた。

ほんの十数秒、頭を打って気絶し、目が覚めた自分が見たのは肉と背骨だった。
キャア キャア と楽しそうな子供の笑い声。
助けを呼ぼうとした自分は何かに躓いた。

蹴とばされ転がる人間の頭、上半分。目が動き続けている。
それは、泣きながらこちらを見つめ続けた。

憎悪の感情が、そこにあった。


フラッシュバックに頭を壊されそうになりながら、そこら中を歩き回っていた事だけは分かった。でもそれ以外は、もはや何も分からなかった。自分が何処に居るのか、どうなっているのか、音が、音が聞こえない、何も。

「命を無駄にするっていうのは、匡済部門として一番の禁忌だよ。」

通る声。狭い足場の上で振り向くと、屋上のフェンスの向こう側、よく見知った車椅子の男が笑っていた。

「……一人でどこでも行けるじゃないですか、片嶋さん。」
「そんなわけ無いじゃないか。無理言って運んでもらったんだよ。」
「どうして、ここが?」
「ただの勘、他の場所なら違う者が待機していただけの事さ。」

風が吹く、掴まっているフェンスがギシギシと揺れる。

「飛び降りそうなら物理的に止めるのは危険だ。もしそうなったら、すぐ連絡して飛び降りに備えてもらう。説得も得意分野だから……とそれっぽい事を言ってね。ここには僕一人だ。」
「……確かに適任だ。」
「でも助けは呼んでないからさ。本気で死ぬつもりなら、いつでも死ねばいい。」

緩めかけた手を握り直す。これだ、この流れには覚えがあった。不思議と頭が冷えた。

「……どうして助けを呼んでないんですか。」
「自殺しようとしたってだけでアウトなんだよねぇ。実行しなくても、命が助かったとしても、君は財団職員で居られなくなるだろう。だからだね。さぁ、少し話をしようか。」
「…………」
「まず確認から行こう。全部思い出した。そういう事で良いのかな?」

そうだ、全部思い出した。この男に、無理やり思い出させられた形だが。

「おかげさまで。今思えばおかしかったですね、最初から。あなた以外の匡済部門には接触してませんし、普通に当直室に軟禁されてましたし。」
「君がPTSDになって記憶障害も発症して休職になった時、僕が手を挙げたんだ。こちらで預かり様子を見るとね。」
「……片嶋さんにしては、回りくどい方法だったんじゃないですか。」
「僕だって、段階を踏んだりはするさ。……Dクラスはまだ恐ろしいかい?」

思い出したからこそ、どこか恐れている気持ちは強くなっていた。あの状況自体がトラウマになっているのではない。あの目だ。あの憎悪を向けた目のせいで、自分の中でDクラスが『人間』だと思い出してしまった。麻痺していた感覚が戻ってしまった。

「恐ろしいとは、また違うかもしれません。」
「そうかい、まぁDクラスも僕らと同じ人間だもんねぇ。異常存在の方がよっぽど恐ろしいか。」
「……どこまでもお見通しと言う訳ですか。」
「君が恐れているのは自分自身だ。自分がしてきた事を悔いている。財団職員として何も間違ったことはしていないというのに。元Dクラスの自分としては、何を今更ってぶっちゃけ思うんだけど……」
……はぁ!?

それは流石に聞いていない。Dクラスが財団職員として働いているなんて事が、あり得るなんて。そんな。

「実は結構珍しくないんだよ、元Dクラスの職員。反発とかを考慮して、経歴とか色々な調整が行われるけどさ。だって、一般社会に復帰させているんだよ。優秀な人間を財団が雇用する事もそりゃあるさ。自慢じゃないけど僕みたいにね。」
「その怪我は、その時に?」
「うん。正直、生き残ったのは奇跡だけどね。何か、こうデロデロした悪魔みたいなタコとレスバトルさせられてさぁ。ちょっとブチ切れさせちゃって。」

本当に言っているのか、ジョークなのか分からない。でも、片嶋なら本当にやれるような気もする。

「恨んだりはしてないんですか。財団の事を。」
「僕の場合は、全く無いね。言いたくないけど、僕も罪を犯して此処に来たわけだし、自業自得な部分はやっぱりあるんだよ。」
「それは、片嶋さんが助かったから言えるんじゃないですか。死んでいったDクラスは、やっぱり恨んでいるでしょう。」
「ま~ハッキリ言えば、そうだろうね。恨んでいると思う!D-37700、彼も僕を恨みながら死んだかもしれないね。でも、何回でも言うけどそれは今更の話だ。Dクラスが居ないと財団は回らない。財団が回らないと世界がヤバい。そう割り切るしかない。」

これが片嶋のやり口なのだろう。この流れにも、覚えがあった。

「……簡単に言いますね。」
「そりゃそうさ。自分を救えるのは自分しか居ないんだ。ただ、さっきも言ったけど僕は君がこのまま飛び降りるのを止めたりはしない。君は救われ、元Dクラスが一人責任を取っていなくなる。それだけの事だからさ。」
「…………」
「それに、全てを忘れて財団職員を辞めるっていうのもアリ。匡済部門は社会復帰支援とアフターケアのプロだからね、蓄積されたノウハウがある。君を預かれたのも、それを想定していたからだしね。」

選ぶのは自分なのだ。片嶋は選択肢を用意してくれるだけ。

「最後にDクラスの痛みを理解した上で、財団職員として復帰する。これもまだ選べる。僕、根回しとかちょっとした隠蔽とか悪知恵きかせるの得意なんだよね。さぁ、城戸君はどうしたい?」
「優しくないですね、片嶋さんは……。本当に荒療治だ。」
「う~ん、そう?」

自分でも分かっている。本当は全然立ち直れてない。未だ胸に残る不安はそう簡単に消えそうにない。一度や二度、人と話したくらいで解決する訳が無い。でも選択しなければならない瞬間は、突然訪れる。この財団という特殊な環境では特に。

迷いが無いわけではない。何が正しいのかは分からない。
それでも己が救われるための選択を、自分は選んだ。

「お~紫藤君、どうしたの?」
「……片嶋さん。また、相棒さん卒業させたでしょ。今年に入って何人目っスか。」
「あ~どうだっかなぁ。皆、優秀だったのにね。まぁ今頃、どこかで元気でやってるんじゃないかな。」
「まぁ、アタシはDクラス時代からの付き合いなんで、何をやりたいかは何となく分かるっスよ。今日はこれを渡しに来たんス。成果、出てきてるんじゃないスか。」

相も変わらずケラケラ笑う片嶋に、同僚である紫藤は1枚の紙を差し出した。『工事計画書』と書かれた紙には、新しく収容するオブジェクトのため、片嶋たちが居るサイトを含めての改修工事を行う事が図面と共に書かれていた。責任者の所には、飛び降りそうになっていた"相棒"の名前があった。

「……片嶋さんって、ぶっちゃけサイコパスですけど、実は結構お人好し寄りッスよね。」
「誉め言葉として受け取っておくよ~。」

精神的な疾患を抱えた職員が、治療を受けて復職する。以前は殆どあり得なかった事だが、数多くの社会復帰したDクラスが間接的に噛み合い、より良い収容体制を敷けつつある昨今、そういった復職のようなものも認められやすくなっていた。

「あ、この図面見てよ!付箋が貼ってるから何かな~と思ったらさ。スロープがつくらしいよ。カウンセリングルームの近くに!」

そして、匡済部門に理解を示す職員も徐々に増えつつある。匡済部門は扱っている業務的に風当たりが強い。そこで思考を停止せず、何とかして改善しようとする職員も多い。片嶋もそう考える職員の一人であった。

「嬉しそうっスね。」
「当然じゃないか!だって自分一人で、あそこ越えられなかったんだから。」

問題は未だ山積みだ。それでも逃げずに向き合ってきた成果が、徐々に現れているのかもしれない。勿論、限界もあるだろう。

だが、着実な歩みがそこにはあった。

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