夜を固めて閉じ込めて
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 幼い頃から夜が好きだった。感覚を透かす静けさが、寂しさを吸い込むような暗闇が、世界が狭くなったような感覚が、好きだった。暗闇に一人、近くの自販機まで歩く。たまの夜更かしの最中に、「街灯が全て消えればいいのに」なんて思った。
 街灯が、星明かりが、人の営みが全て消えたら。自分と夜、二人きりの世界なら。僕はきっと、そのまま死んでもいいくらいに、夜を愛せるのだろう。

 そう、思っていた。


 現在の時刻、時計の外の何処か。自分の足音と手元のライト以外、そこは果てのない暗闇だった。

 プロトコル・ヴェルダンディ。一人っきりでこの暗闇に閉じ込められて、世界を救って死ぬ仕事。与えられたプロトコルを読み終えて、僕はすぐに時間を止めた。多くの命を守るために、出来るだけ少ない命を使い次に繋げる。財団とはそういう組織で、僕は既にその覚悟を終えていた。あとは僕の命の終わりをもって、プロトコルを完遂するだけ。

 そのはず、なのに。

……何を、してるんだろうな、僕は」

 止まった世界では言葉も異常性も無く、感染性の宗教に踊っている人々を素通りして、僕は歩いている。
 AK-クラス:世界終焉シナリオに対する対処法は、化合物ENUI-5の散布。簡単な仕事とは言わないが、手間が必要な仕事でも無い。狂気に呑まれた職員たちを素通りして、特別収容室に保存してある化合物を各地のサイトからばら撒くだけ。大陸を歩いて縦断する退屈さすら含めても、体感で半年すらかかりはしない。

 なのに、僕は一体何を  

 止まったままの時計では、どれだけの時間が経ったかはわからない。けれど、仕事を終えたのは随分と昔のように思えることは確かだった。味も温度もない栄養ゼリーを食べながら歩く。虚な味と食感に慣れてしまうほどに、僕はこの夜を長く生き伸びている。

 どうせ死ぬなら、今日じゃなくていい。逃げのような考え一つ引っ提げて、僕は各地を巡っていた。先達が残した、この虚数時間でしか見えない風景を巡った。それが終わったら、写真でしか見たことがないような観光地を回った。そして今は  足を止める。時が止まる前と変わらない、閉園後の美術館。沈黙するセキュリティを素通りし、館内に入る。

 死に場所を探しているわけではない。この美術館で死にたい、そういう思い入れも特にない。たまたま近くにあっただけの場所。入るまで、昔の夢が画家だったことさえ忘れていた。

 じゃあ、何故。僕は足を止めず、ライトを消さず、朝の来ない夜を歩き続けている? まるで止まりたくない、止まる場所を失ったみたいに。

 聞いたことがない芸術家達の、見たことがない作品を見ながら歩く。額縁の中に描かれている世界は、微塵も動かず、何かを伝えようとしている。

 世界が動いていた時から、既に止まっている世界。額縁の中は、この世界が止まっていても何も変わらない。歩く速度を緩めて、一つ一つを見て回り、やがて気がつく。絵画の全ては、その風景は、光に照らされている。

 夜明けの焚き火が、正午の木漏れ日が、真夜中の月でさえも。額縁の中には光があった。
 それらの絵画から目を逸らし、窓の外を見る。月も星も、自販機の一つも光らない世界。描くことのできない絵画は、代わりのように僕を反射している。自分が足を止めていることを、その姿を見て知る。口が動く。

「結局」目を瞑る。「僕たちは、昼行性の生き物なんだろう」

 だから僕は、夜を生きるのが下手で。自分ひとりの灯りでは、歩き方がわからなくて。導く星が、登る太陽が、立ち止まるための自販機がなければ、夜を明かす理由を見失ってしまうのだろう。

 美術館の出口はすぐそこだった。そのまま出ようとしたところで、ふと売店に目が留まる。習慣として持ち歩いていた財布を取り出し、入館料込みの代金をレジ横に置いて、僕はある商品を持ち出した。

 スケッチブックと鉛筆。昔醒めた夢の名残で、ペンの持ち方は覚えていた。

 現在時刻は、時計から外れた虚な夜。手元のペンとライトを握りしめる。
 光なしに、絵画は描けない。けれど、だからこそ。唯一の灯りである僕は、この極夜を額縁に飾り、ただ夜として描ける。

 ……こんなの、プロトコルには存在しない。いつか、朝はやってこなければならない。けれど思い出す。サイト-8101の地下に残された、先輩達の痕跡を。極夜から極夜へと、誰に見られるでもなく運ばれたバトンを。でも、それなら  僕は極夜が明けた後にも、この灯を運び、繋げ、伝えたいと思ったのだ。

 だから、描く。星も月も無い、僕と夜だけの孤独を、額縁に閉じ込めて送る。僕の死に場所は、この絵の虚数空間。

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