姿見ひとつ無い部屋だから

 

12月11日 土曜日、後任者の君へ、初めまして。
私が此度のヒーローです。


 

姿見ひとつ無い部屋だから

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 まずは、私のことをひとつ。君と同じく家族もない、恋人もない、友人もほんの数えるほどしか存在しない、しがない孤独なエージェントです。
 それから、世界の話をひとつ。この部屋を一歩出た先は、SKクラスに見舞われたのち、無限の夜に閉ざされました。
 そして最後に、仕事の話を。今しがた、私は自死を遂げました。プロトコル・ヴェルダンディ。この部屋に至った君ならば、その意味もわかることでしょう。そう、私の役割は、新支配者たる猿どもを殺し、人類の平和を取り戻すこと……そんな風に口にすると、なんだか映画みたいでしょう?

 今までの人生で日記のひとつもつけてこなかった私ですが、前任の英雄たちに倣い、こうしてペンを取りました。別段、君の役に立てられる記述などはないでしょう。私も前任者の日記(遺書、とでも呼ぶ方が適切でしょうか)には一通り目を通しましたが、なんのことはない、どれもこれもがただの日常の記録でした。ではなぜ書かずにいられないのか……君にもじきにわかります。

 今日は記念すべき初仕事の日。なるべく上手くいきますように。
 
 


 
 「これで新支配者を殺し尽くせ」、そう言って渡された武器に、先の私は大いなる不満を覚えていました。どうしてこんなちっぽけなナイフ一本で、世界を救えるってんだ。もっと派手な、大きくて、見目の良い、銃だの鎌だの日本刀だの、英雄に相応しい武器があったんじゃないか。ここへ来て経費の削減か?やめだやめ、帰って転職活動だ、ちくしょう──なんて言えるはずもなく。このナイフが何か特別な力を秘めているという一縷の望みにかけ、大人しく手を伸ばしたのでした。
 結局のところ、初仕事を終えてなお、ナイフが光を放ったり、炎を纏ったり凍ったり、話しかけてきたりはしませんでした。正真正銘ただのナイフというわけです。けれど、私にこれが渡されたわけは、今日一日で嫌というほどわかりました。単に十分だったのです。

 今日は部屋から最も近いエリアを巡りつつ、目についた新支配者を、実際に処理して回りました。初仕事(これは正真正銘の、財団に雇用されて第一回目のミッションのことです)の頃の私は、護身用として渡された銃の引き金ですら嗚咽とともにしか引けなかったものですから、これほど人に近い形をしたものに直にナイフを突き立てるなんて耐えられない、そう思っていたのです。けれど、巡回先で一体目の標的を見つけ、意を決してその喉を刺し貫いたとき、不安はたちどころに消えました。刻が止まった世界では、傷口から血は流れない。死にゆく生命特有の筋肉の強張り、肺の震え、傷口から絞り出される音も、臭いも、全てがその場で留まって、私に届くことはなかった。
 これは殺しじゃない、喩えるならば、本来であれば休日だったある日の終わり……上官の急な呼び出しから帰ってみれば、手間暇かけて用意していた昼食がすっかり腐り果てていたため、袋に詰めて口を縛ったあのときの、懐かしい感覚に近かった。ただの片付けに銃だの鎌だの日本刀だのは必要ない。なるほど非常に合理的だ。

 でもね、やはりこういう仕事には、仰々しい武器の方が相応しいと思うのです。取るに足らない私ごときが英雄の真似事をするのなら、せめて武器くらい立派でなくては。血が流れずとも、呼吸がなくても、まるで蝋人形のような存在に成り下がっていたとしても、ナイフを握るこの手に触れた彼らの毛皮の温みだけは、まごうことなき本物なのだから。
 


 
 頭の整理がてら、少しだけ私が処理すべき人型実体についてここに記しておきましょう。奴らは人と猿を掛け合わせたかのような外見で、大きさや立ち姿こそ人間寄りですが、全身は毛皮で覆われています。知性や生命力は人間以上で、曰くどこかの物好きな研究者が、増え続ける自然災害の脅威に適応すべく、新しい人類として創造したもの……とのことです。結局のところ、生きた彼らと対峙する機会は私にはありませんでしたから、報告書に記されている概要程度の情報しか、私は知りません。その報告書ですら機密機密の黒塗りまみれでしたから、私にわかることといえば、奴らの支配から逃れられなかった人々は皆家畜に成り下がるという事実だけです。
 この国最大の都市と近隣のサイトはすっかり奴らに占拠され、運良く奴らに見つからずに済んだ人々も立てこもりを余儀なくされており、街中で人の姿を見かけることはまずないようです。とはいえ、こちらとしては好都合。外を出歩く人々が少ないということは、カバーストーリーの流布や記憶処理の手間が最低限で済むことを意味します。
それに、暗い街中で突然に守るべき市民を見つけたら、あなたの運命を握るのがこんな私で恥ずかしいと、届かないのは百も承知で謝りたくなるでしょうから。
 本来の彼ら人型実体は、高度な情報伝達手段やら生命維持機能を持つようなのですが、止まった刻の中では何の役にも立ちません。刺して、捌いて、リアカーに積んで、今回のために地下室に据え付けられた炉まで運んで、贅沢に燃して、お終い。それ自体は難しいことではないのですが、明かりが小さなヘッドランプだけなことと、同じような運動ばかりしているので特定の筋肉ばかりが張り続けているのが、少しだけ辛いです。ただ、毎日毎日泥のように眠っても、結局のところ刻は止まったままなので、時間を浪費した感覚がしない。目覚ましをかける必要もない。そのことだけは、この仕事に就けてラッキーな点だと思えます。
 


 
 仕事にもいくらか慣れてきたので、今日(と、いっても刻は止まっているのですから、毎日が変わらず今日なのですが)は部屋に元からあったものと、自分で持ち込んだもの、それぞれの整理をしていました。
 やはり先輩方の差し入れは気が利いています。酒や煙草……は私はあまりやらないけれど、インスタントコーヒーと趣味の良いマグカップだとか、星空の写真が収められたポストカード、それにCDプレイヤー。ひとつひとつに、心底から救われている自分がいる。
 特にCDプレイヤーは良かった。孤独には慣れたつもりでいたけれど、誰にも会えない、姿も見えない、謂わば純粋な孤独というものは、さすがの私も初めて経験しますので、これから他人の声が聞こえるという事実に、ただ癒されていくのを感じます。こうも孤独が続くとね、今まで当たり前にあった人の声とか姿とか、すっかり忘れてしまったんじゃないかって、時折不安になるものですから……。部屋の隅のラックに詰まるCDたちは、ジャンルも年代もまちまちですし、前任者たちも同じように救われては、自身のお気に入りをここへ持ち寄り、後続へ世界を託したのでしょう。私もこの仕事が終わったら、いくつか持ち込むつもりです。君が気にいると良いのだけれど。
 私の荷物といえば、買ったきり使っていなかった万年筆だとか、それに込めるインクだとか、読みかけの小説だとか、どれもこれも刻が止まった後の世界から持ち込むのでも十分に間に合うものばかりで、あまり気の利いたものではなかったようです。まあ、私が仕事を終えれば結局これらは行き場を失うわけですから、後続の皆さんはどうぞお好きに使ってください。これらが上等なことは、私が保証しますから。

 さてさて、今日は西地区の清掃です。新しく覚えた歌でも口ずさみながら行きましょう。街中で声を張り上げるのは、案外気持ちが良いですよ。
 


 
 エージェントという人種は、一体どのような経緯でこの組織に行き着くのが一般的なのでしょう。リクルーターに捕まって?日常に潜む異常存在とうっかり出くわしお偉方の目に留まって?親が組織の人間だから、というのもあり得るでしょうか。実のところ私の周りに一番多いのは、「どうして自分はここにいるのか、経緯を一切覚えていない」と語る人種です。サイト-8101に配属される職員は孤独な人間が多いものですから、覚えてないというのが本当なのか、はたまた辛い過去を詮索されたくないがための言い訳なのかはわかりませんが、少なくとも私は前者でした。つい先ほどまでは。

 今日赴いた地区には、新支配者の居住区がありました。人類の上に立ち得る存在です、中には以前の私より良い暮らしをしているものもいるほどで、乾いた笑いが漏れました。そして彼らの中にはひとつの部屋に複数の個体で暮らしているもの──所謂家族を持つものがあり、それらを処理しながら、なんとなく、私は自身の家族について“思い出して”いました。こういうとき家族のことを考えるのは、珍しいことではないでしょう。けれど私に限っては、いささか事情が違います。私は私の家族のことを、何一つ覚えていないはずなのですから。
 先も申し上げた通り、サイト-8101の人間は、自分の過去を知らないものが多いのです。雇用の際に記憶処理をされたのでしょう、それ自体は珍しいことでもありません。にもかかわらず私は、十数年間気にも留めてこなかった家族の、両親を失った日の記憶を、記憶処理の向こう側に透かし見ていたのです。
 
 
 それは麗かな土曜日の午後で。幼い私と私の父は、ボール遊びに勤しんでいて。
 舞い飛ぶ蝶に気を取られた私の背後で、何かが落ちる、ごとりという音がして。

 振り向けば、父の頭部が転がっていて。
 私の服の肩口は、知らぬ間にびしょびしょに濡れていて。

 崩れ落ちる父の身体のすぐ後ろ、喉を裂かれた母の血が床に広がり始めていて。
 あたりをいくら見回しても、窓ガラスに映る幼い自分の泣き顔の他に、命の気配は見つからなくて。
 
 
 要は、私はアノマリーにより親を失い、財団に保護されたみなしごだったというわけです。どうして今更そのようなことを思い出したのかはわかりませんし、思い出せて良かったとも感じません。思い出せると気づけてしまう。家族を失う悲しみも。誰かの手により奪われる怒りにも。奪われずに済む幸せにも、それを羨む自分にも……もっと違う人生を、知らぬ間に諦めていた平穏な日々とその終わりを、私が歩めた可能性にも。
 もし君の同僚に、失った記憶を取り戻したいというものがいるのなら、悪いことは言わない、止めてあげなさい。と言っても君にはもうそれを伝える術は無いのですね。なら、せめて君は、君がもし私と同じように記憶を失った実感があるのなら、それを思い起こそうとするのはやめなさい。これは君から私への、唯一役に立つアドバイスになるでしょう。

 それにしても……なぜこうも、濡れた服の感触というものは、肌に残って消えないのだろう。
 
 


 
 私は一体何をしている?
 歩いて、見つけて、刺して、捌いて、運んで、拭って、
 燃やして、捨てて、眠って、起きて、また、歩いて。
 より良い世界のために、真っ暗な中、一人で。


 ──より良い世界って、何だ?
 
 


 
 刻が止まった世界では、何もかもが冷たい。それでも不思議なもので、生き物を覆う毛皮は、指に触れるとどこか暖かな感触がする。

 今からゴミになるものを、どう扱おうが私の勝手だ。持ち帰ろうが、抱きしめようが、そのまま共に眠ろうが、誰にも責められる謂れはない。まぁ誰が責めようとしたところで、そいつが動き出せるようになる頃には、私はもうこの世にいないけれどね。ふふ。
 私はとっくにおかしくなってんだ。でも、その私ももうすぐ終わり。寒い寒い夜も、お終い。
 
 


 
 これがきっと最後の記録になります。そう、私はついにやり遂げました。隣人を一人残らず殺し尽くし、人類の支配を取り戻したのです。

 これまでは、お見苦しい泣き言ばかりでごめんなさい。何度覚悟を重ねても、孤独にも、プレッシャーにも、暗闇にも、自分が救ったはずの世界に自分は至れないことにも、どうしたって心がひずんで耐えられなかったのです。でもね、誰かがきっとこれを読むんだと、そうして私のことを思ってくれる誰かがいるんだと無責任に信じられたことで、私は折れずにここまで来られた。本当は人柱になる人間なんてこれっきり増えない方が良いのだけれど、もしまた最悪な事態に陥って、君がこの部屋で英雄の役割を負ったなら、どうか忘れないで。この世界は、君と同じく夜を背負った無数の誰かが繋いだものなのだと。

 さてさて、役目も終えたことですし、私は一度自室に帰ることにします。次の英雄への手土産を用意して、その後は……きっと月並みに、故郷の海ででも死ぬのでしょう。それでは、さようなら。私が守った平穏が、なるべく長く続きますように。
 
 




 
 あり得ない、あり得ないあり得ないあり得ない。

 あれは何だ?どうしてあんなものがいる?彼らの他にもあんなものがいたなんて、それとも彼らが生み出したのか?かつて人類がしたように。
 落ち着け。落ち着いて、何をすべきか考えろ。
 まず、現状分析。私は故郷へ帰る途中、かつてSKクラスを引き起こした存在(私が人柱になった原因だ)の居住区だった地域に通りかかった。一度は通り過ぎたものの、仕事のやり残しがあるかもしれないと気に掛かったため、引き返し、そこを再び見て回った。やり残しなどないことはすぐにわかった。けれど、ああ、私は見つけてしまった。居住区の地下室、シェルターのように閉ざされたそこに、未知の人型実体が群れ成しているのを。あれはきっと……家族、だと思う。私とそう変わらない大きさの個体が二体、腰ほどの背丈のものが一体。

 どうしてもっと早くに気づけなかった?いや、早く気づけたところで何だっていうんだ。私には情報がない。私が一人で隣人を滅ぼせたのも、ひとえに財団の分析と事前準備あってのことだ。やはり私にできることはないのだろうか?次の誰かにバトンを渡すことの他には、何も。


 いや。いや、違う、違う、違う!この夜が続く限り、私にできないことなど何も無い。大丈夫、次の犠牲なんて出させやしない。そのためなら何だってやってやる。
 私はヒーローなのだから!
 
 


 
 
 ああ、坊や。

 君を孤独に追い遣ったのは、私です。
 
 
 




 
 12月11日 土曜日

 これが私の、本当の、最後の記録になるでしょう。格好をつけた手前二度目の“最後”だなんて恥ずかしい限りだけれど、どうか、もう少しだけお付き合いください。
 君には声の出し方がわからなくなった経験はありますか?呼ばれる機会がめっきり減った自分の名前がわからなくなった経験は?外に出ない日が長く長く続いたせいで、身支度のため鏡を見ることも少なくなり、不意に暗くなった液晶画面に映り込んだ自分の顔に、心底驚いた経験は?自分のあるべき正しいかたちを、忘れてしまったことはないでしょうか。私には、それぞれ三度ずつある。一度目は、クラスに馴染めなかった学生時代。二度目はエージェントになりたてのころ。そして最後は、ほんの今し方。

 先日記録に残した通り、私は未知の人型実体を見つけ、私一人で処理することを決意しました。今思えば、迂闊だった。大仕事を終えた直後で自惚れていたのでしょう、学も経験も地頭の良さも何もない私ごときが、一人でできることなど無いのだと、そんな簡単なことにも思い至らないで。
 あの手の生き物を片付けるなど慣れたものです。首を裂いて、頭部を外して、胸部をひと突きした後に、いくつかの部位に分けて運び出すための準備をする。ヘッドランプは消耗していて目の前を照らすのがやっとだったけれど、暗闇に身を置き続けた私にとってその作業は、目を瞑ったままでだって容易かった。大きな二体を解体し終え、小さい方に手をつけようと顔を上げた私の目に、さっきまで存在にさえ気づけなかった四体目の姿が、薄く煙ったガラス板越しに見えました。それ自体には、私はさして驚かなかった。処理のためにそれとの距離を詰めようと身を起こし、そこでようやく、私は違和感を覚えたのです。対象が動いたように見えたから。
 自分以外の動くものを見たのは、本当に久しぶりでした。私は努めて冷静に、それとの距離を詰めていきました。一歩、一歩と進むごとに、それもまた私に近づいてくる。触れ合えるほどまで近づいてようやく、それの顔を見ることが叶いました。何のことはない、今までの人生で最も見慣れている顔が、そこにはあった。どれほどの間そのまま立ち尽くしていたのでしょう。優に半日は過ぎていたかもしれないし、ほんの数回瞬きをしただけだったかもしれない。その意味を理解できた私は、ただ泣いていました。四体目だと思っていたそれも……ただ、泣いていました。
 
 
 ガラス板だと思っていたそれは、姿見だった。
 それ越しに見えた“四体目”は、鏡写しの自分だった。

 直前まで解体に勤しんでいたその生き物は、“人型異常存在”などではなかった。
 正真正銘、“ヒト”でしかなかった。
 
 
 私はこの部屋で唯一残った命を、守るはずだった、守らなければならなかった小さな男の子を抱きしめていました。ごめんなさい、ごめんなさいと、何度も何度も叫びながら。どれほど声を張り上げたって、刻が止まったこの子には届くはずもないのに。どれだけ私が泣いたって、ママのことも、パパのことも、返してやれはしないのに。
 どうして、ヒトの姿形だなんて、大切なことを忘れてしまえたのでしょう。ヒーローだなどと思い上がって、怯える心に蓋をしたから?忌まわしいアノマリーを隣人などと呼び、同情を傾けてしまったから?親の死に様から目を逸らした、不孝ものだからなのでしょうか?何にせよ、私には償いができる余地などない。許して欲しいなんて思わない。あの子にしてやれることがあるのなら、何をしたって構わないのに、私には何もできやしない。じき死ななければならないのだから。

 どうか、君は私を嗤って罵って、この過ちを忘れないでください。愚かなヒーロー気取りの末路を、決して他人事だと思わないで。毎日この部屋を発つ前に、誰にも見られていないだなんて思わずに、身支度をして出てください。そのための姿見を、私はここに遺して逝くから。
 

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