結局、歴史は"殆ど"動かなかった
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「はい、じゃあ授業を始めるぞー。全員席に座れー」

昼休み終了のチャイムと同時に、日本史担当の森内はいつものように大量のプリントを抱えて教室に入ってきた。僕はこの毎週木曜日の5時間目にある日本史があまり好きではなかった。日本史と言う科目の特性上仕方のないことだが、授業はほぼ100%森内が喋ってる間に終わる。そしてさらに悪いことにこの男、喋りがこれっぽっちも面白くないのだ。倫理を教える内藤のようなシャレを効かせられるわけでもなく、国語の島田のようにちょっとした雑学を教えてくれるわけでもなく、ただただ事実を淡々と話していく。抑揚すらないその話方ゆえ、一部生徒の間では実はアンドロイドか何かなんじゃないかと言う噂が流れているくらいだ。

「えーじゃあまぁプリントを配るから、いつものように空欄を埋めるように」

前の席から3枚1束のプリントが回ってくる。そこには相変わらず小さめの文字がびっちりと印刷されており、3枚目のプリントにチラリと見えた[73    ]で、今回もまた途方もない空欄の量だなと思わずため息が漏れる。

「えーと確かこのクラスは前回…太平洋戦争の直前まではやったんだよね。じゃあ今回はその続きから始めよう」

いつもの調子で授業が始まる。だが森内が喋っていることはほとんど教科書に書いてあることと同じだ。だからあいつの授業を聞いてなくとも、後で教科書を読めば勉強は済んでしまう。そんなものに生徒がやる気になれるわけもなく、見渡せばスマホをいじる生徒、他の科目の課題を勧める生徒、机に突っ伏し、涎を垂らしながら寝てるやつなど、見事なまでの無法地帯っぷりを眺めることができる。僕も普段は他の科目の課題をしていることが殆どだが、直近で提出しなければいけない課題は全部終わらせており、ハマっているゲームも朝から緊急メンテナンスをしていたせいで暇を持て余していた。15秒ほど考えた末、ちゃんと授業を受けてる風の雰囲気は作り、7割方聞き流しながらぼーっとしていることにした。

太平洋戦争──1941年に勃発した、第二次世界大戦における日本対アメリカ間の一面の呼称だ。日本は初期こそ戦果を挙げていたものの、徐々に追い詰められていき、ソロモン沖海戦を皮切りに追い詰められていった。最終的に日本は広島と長崎に原子爆弾を落とされ、日本がポツダム宣言を受け入れることで終戦を迎えた。

「それで、まぁみんな知っての通り、日本軍による真珠湾攻撃を受けて日本とアメリカの戦いは始まったわけだ。で、そこから半年後、ある有名な戦いが起こった。誰かこの戦いの名前を答えられる人ー」

そういって森内は教室を見回し始める。パチリ、と目が合った。まずったと思ったときにはすでに遅く、「じゃあ川上」と指名されてしまった。答えが疑いようもないほど有名な言葉だということだけが幸いだった。

「ミッドウェー海戦です」
「その通り、ありがとう。ミッドウェー海戦は1942年6月5日に起きた有名な海戦だ。ここで日本軍は、アメリカ軍に対して劇的な勝利を収めた

空母4隻を中心とした日本の艦隊は、ミッドウェー島を目指して進行途中、雲間から急降下してきたアメリカの航空隊から急襲を受けた。しかし日本軍は対空兵装、戦闘機隊を駆使し、損害を出しながらもこれを全て撃墜。その後アメリカ軍との戦闘になり、さらに被害を出しながらもこれに勝利した。今ではこの戦いは「奇跡の勝利」と呼ばれる世界的に有名な戦いの一つとなっている。まぁ結局、アメリカの物量には敵わず日本は負けたわけだが。

「なぜ圧倒的不利な状況から勝利するまでにこぎつけたのかは今でも多くの議論が交わされている。まぁ中には蒙古襲来よろしく"神風が吹いた"という学者もいるのだがな」

森内独特の引き笑いが死体連なる教室に響き渡る。僕は歴史に興味があるわけではないのだが、この戦いだけはどうにも引っかかることがあり、以前かなり詳しく調べたことがある。個人的な見解を述べるならば、あの状況から敵機を全て撃墜するなど、はっきり言って不可能だ。事実は小説より奇なり、とはよく言ったものだ。いくら考えても勝てるビジョンが見えてこない。そうやってたまに思案していると、時折あまりにも馬鹿らしく、飛躍した考えが頭をよぎる事がある。


とんでもない力を持った何かによって、歴史が書き換えられたのではないか。


自分の思考の飛躍っぷりに、ふふっと笑いが漏れる。ありえない。ここはファンタジーの世界じゃない、現実だ。ゲームと現実の区別ができないほど、僕は馬鹿じゃない。第一、仮に本当の歴史では日本がミッドウェーで負けていたとして、それを勝利にするメリットはどこにあるのか。例えあの戦いで勝ったとしても、日本が勝つ結末など万が一、億が一にもないというのに。だがもしかしたら、それに自分の望みを全て託すしかなかった誰かがいたのかもしれないなどと、事実しか存在しない過去に対して虚構の推測を延々と続ける。

窓の外を眺める。グラウンドでサッカーをする生徒、群れを成して飛ぶ鳥、遠くから聞こえてくる救急車の音。何の変哲もない、いつも通りの光景だ。もしさっきの空想が事実だったら、今の僕はなかったのだろうか。この光景はもっと違うものだったのだろうか。そんな意味のない妄想が頭を駆け巡るが、5分ほどでそれにも飽きてしまった。ポケットのスマホが震える。取り出して見てみれば、ゲームの緊急メンテが明けたようだった。終了予定が夕方となっていたはずだが、今回は珍しく対応が早かったようだ。こうなればやることは一つ。こんなつまらない授業も妄想も忘れて、イベントを周回するのみだ。マナーモードになっていることを確認し、僕はゲームを起動した。

こうして、世界の歯車は今日も狂うことなく、あるがまま動いていく──

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