美食のカルキスト、アディトゥム食べ歩き紀行
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以下の文書は、██████島で発見された紀元前████年頃に死亡したと見られる、非常に高齢であったと推定される男性の遺体の持っていた装飾付き木箱から回収されました。内容としては、サーキック勢力の本拠、アディトゥムでの一部文化に関する「美食のカルキスト・ヘルクリーネ」による評論、紀行文です。この内容の一部にはアディトゥムにおける習俗についての記述が含まれており文書の真贋を含めて検証が進められています。

██████・████博士、歴史部門顧問―宗教的GoI民俗学担当。

やあ、私は美食のカルキスト・ヘルクリーネ。食とは、本来的には生命の営みの中で最も喜ばしいひとときの一つであり、また同時他者の生命を奪う忌むべき行いでもある。

だが、人間であるということはしかし、そうした相反する善と悪を為しながら前進していくことであり、他方のみを捨て去ることはできない。あることを極めるということは、全てを喰らうということであろうと私は思う。人たるを離れ、大いなるものとなるまでは。

そうして、カルマクタマ1の御国で食を追求していった結果、とあるお方に「では君は美食の魔術師、美食のカルキストを名乗るがよい」とこれなる号を名乗る栄誉を賜った。ゼンド2身分の身ながらなんとも過分な栄誉を授かってしまったものだ。

さて前回の内容はアディトゥム3から離れて、海沿いの街に広がったナルカ4の魚介料理を取り上げて好評をいただいた。

して今回は大都アディトゥムに戻り、環状大腸路沿いのいわゆる「下町」のナルカ料理を賞味してきた。

曳熊車の導くまま、アディトゥム心臓部から都の外周、環状大腸路へ出ると、まずは他の都市との交易所の立ち並ぶ一角へ私は出た。食事を必要としないお方々とは違い、我らのような修行の足らぬ身では食はまだ捨てされぬ。そうしたオリン5からゼンドの一部が民を占める割合はいまだ高い。そして、他の都市からの来客もまた食事が必要だ。

到着は心臓部より奏でられる時告げの歌が正午をしらせる頃であった。時告げ歌の巫女、中央キラーク6に縛られたかのダエーワの姫達、彼女らの罪が任の後には清められますよう。

……ともかく交易所や商家が猥雑に乱立するこの都市辺縁部では、洗練こそ見られないものの、ガッツリと腹にたまる、栄養満点の魅力的な労働者の食が楽しめるのである。私は、曳熊から降りてしばらくそうした町並みを散策し、ちょっと暗い一隅に小さな食堂を発見した。こうした店ほどうまい!……のだが、大外れというものもままありうる。だが、アディトゥムの食の現在を伝えるのが我が使命。そうした外れを恐れずに飛び込むのも食の追求には必要だ。

店の間口には、珍しい羽でできた簾がかかっており中からは艶やかな香辛料の香りがぷうんと漂ってきている。これは当たりだ!と私は確信した。この街の交易所から輸入物の香辛料を仕入れている店は多いが、そういうつながりのない店ではまこと味気のない食事を出されるものだ。リハクタァク7の恩恵で犬よりなお鋭くなった我が鼻は、それを完全に嗅ぎ分ける。口の端に笑みを浮かべるのを抑えきれぬまま、私は簾をくぐった。

「いらっしゃい!一人ですか」

「さよう」

鷹揚に答えながら女店主を見れば、背に一対の羽を背負っている。ああ、と私は得心した。簾は店主本人の自製らしい。

「アヒル羽のお方、この簾なかなか風雅だがどうして羽を?」

「ああ、ありがとうございます。羽に虫除けを染ませております。ハエ避けで。他よりも羽のほうが、密で虫を通さぬのです」

「それはありがたい!よい工夫ですな」

実際、アディトゥムにハエは多い。集住用大キラークから出る老廃物は大腸路から下水結腸へ捨てられるが、個人宅は集積キラークへ捨てねばならない。各所の集積キラークにハエ喰らいは備えられているものの、すべてのハエを処理できるわけではない。それに、キラークの表面自体を奴らは食んでいく。今のような夏の盛りには奴らの羽音に気を散らされながら食事を取ることになるわけだが、ここならば落ち着いて食事ができそうだ。心配りに感心しつつ、私は本題を切り出す。

「さて、ここは初めてなのだが、この店に名物などはあるだろうか?」

「それならば、鳥肉の焼き物とパン。それに汁がつきます。いかがでしょう?」

「おお、ではそれを」

「承知しました。お好きな席へどうぞ」

鶏肉の焼き物にパン!前回の海沿いの都市を巡った回では、そこに移住したナルカの漁師たちの優れた魚寄せの分泌物漁法、ハルコスト8の大量投入による追い込み漁とともに、香草と海塩を贅沢に用いた見事な丸焼きについて詳述した。そういう洒落た料理も良いが、こういう庶民!というナルカ飯も実によい!手元に店の様子などを書き付けているうち、店主が夢のようなつやのある茶色や黄色の皿と椀を手に席にやって来る。器もまた優美だ。形は後期のダエーワのような意匠があるものの、素材は恐らく動物の角や骨などに見える……そう思った辺りで、はたとひらめいた。

「おまたせしました、お食事です」

「かたじけない、ところでこの器も店主殿の手製では?」

「あら、分かりますか?」

「この角質の繊維の流れが鳥のくちばしのように見えまして。姿を鳥に模しておられるので、そうではと」

「ええ、肉飼いの師のもとで学んだ技を趣味にしておりまして、こうして皿や食器を育てておりますの」

「それはなんとも高度な技では?どなたに師事を?」

「カルキスト・モオクさまです。彼女の下で恤救院で治療士をしておりました。私も先の戦では兵の方々とともに戦地を転々としたものです」

「なんと、治療士の……」

我が国の治療士は名誉ある職であり、肉飼いの業を高い水準で修めた者ばかりが就くことができる。その力たるや、他国で医者に見放された病者が、こぞって我が国の肉飼いの業を用いた治療にすがるほどだ。すでに、我々の多くは新種のものを除く病を克服し、私が子供の頃に発見された悪性腫瘍の治療法によって、死を超克せずとも以前では考えられぬほどの長寿を得られるようになった。偉大なるかなイオン様!そして優しき治療士様方に誉れのあるように!

「そういう方とは存ぜず、ご無礼をいたした。しかしそれほどのお方が、小料理屋とは。なんとも意外で」

「よく言われます。なんといいましょうか。血が流れるのを見すぎて、心がだんだんと摩耗して来たのを感じて、辞めたのです」

「ああ……」

私も先の戦に従軍し、多くのハルコストを率いてアルコーンの走狗と化した人々と干戈を交えた。そこには多くの血が流れた。我らのものも、あれなる神々の操り糸に縛られた哀れな彼らのものも。そして今も、戦の足音は我らのもとに近づきつつある。

「失礼、つまらないことをお聞かせいたしました。ささ、冷めぬうちにお召し上がりを」

「こちらこそすみませぬ。それではいただきます」

おっと!美しい食器の類に気を取られ、料理を見ておらなんだ。

肉の方は見たところ、やはりアヒル肉のようである。これはもも肉の組織を育てたものであろう。表面を香ばしく焼き上げているが、ソースなどがかかっている様子はない。そこに添えられた小皿には、なにやら黄色く色づいた塩らしきものが入っている。

パンの方は、手で割いてみると柔らかでなんともふかふかとしている。焼きたてのようだ!パン。小麦の首を刈って糧とするのも忍びないという高位のナルカの方々のお考えから、賢者たちが微生物を用いて小麦の粉と似たようなものを作り出し、これを一般に供している。こうした「不殺生」のパンは大都アディトゥムを中心に広がってはいるが、これの味が良くない!なんというか、にちゃにちゃとして歯ざわりがよくないのもさることながら、小麦のような良い香りがしないのである。ここのパンは、どうやら「殺生」のもののようだ。おお、小麦たちよ許したまえよ。

さてスープはといえば、薄い色のスープの中にちょろりと短い尾のような肉が入っている。これはアディトゥムより南方の地域、牧畜が盛んな都城に見られるテールスープの類であろうか。しかし鼻を近づけても牛のような匂いはしない。ハーブのような優しげな香りが立っているのみ。これにもなにやら工夫がありそうだ。

そんな時、もう一組の客が入ってくる。若い男と、頭から立派な角をはやしたダエーワの婦人であった。実に微笑ましく、手などをつないでいる。ああ民族融和とは、こうでなくては。

そんなスパイスが加わったところで、私はまず鶏肉の焼き物に手を付ける。これも店主の手製という飴色のナイフとフォークを肉に差し入れると、それが驚くほど柔らかであるのに気がつく。そしてそのまま口に入れ、静かに噛む。

「おお、これは……」

思わず感嘆の声が漏れる。何もかかっていないように見えたその焼き物、なんとあでやかな香り!漬け込んでいるようにも見えぬのだが、幾種類もの香辛料のハーモニーが感じられる。まずニンニクの活力、弾ける胡椒、そして爽やかな生姜の後味がスーッと鼻を抜けていく。もも肉ゆえ旨味ある脂はジューシーではあるが、まるでしつこくない!上に挙げたもの以外にも何らかのハーブが混ぜられているのか、実に爽やかである。

そのままパンにかじりつくと、予想通り香ばしい小麦の香り、ふわふわの食感にこの時点で舌がとろけそうであった。パンはほんのりと甘く、この肉との相性も抜群。

しばらく夢中で肉とパンとをぱくついていたが、ようやくそこでスープの存在を思い出し、一口すすってみる。しかしこの味には驚いた。塩気控えめで香草の香りがぷんと漂っていたこのスープ、まず感じたのは苦味であった。意外な味にうっ、と舌が驚き戸惑っていると、今度はぴりりとした辛味が感ぜられ、しかし次の瞬間には強烈な旨味が口全体に広がっていくのである。それをこくりと飲み込むと口の中がスッとする感じがして、また他の料理がすすむことといったら!

そうして肉を半分ほど食べた辺りで、小皿に盛られた黄色い塩のことを思い出し、ぱらっと少しかけて食べてみる。今度のこれは柑橘の皮をおろして塩と混ぜたものであったようで、これがなんとも上品な風味である。なんとまあ、品数は少ないものの実にどの料理も手が込んでいる。良い店に当たれたようだ!

はふうとため息をつき、周囲を見渡すとすでに店の中は多くの客が入っている。それはそう、これほど美味ければ繁盛せねば嘘というものだろう。

こうして、一人で食事を楽しみつつも、周囲の人々の会話に耳を傾けるのが私の一番の楽しみだ。先ほどの若い夫婦(雰囲気で丸わかりだ)の会話が芳しい料理の香りとともにこちらに漂ってきている。

「あなた、こうして街に降りてくるのも久しぶりですわね」

「ええ、このところ忙しかったですからね。今日は思い切り息抜きをしよう。どこへ行こう?」

「あなたがいるところなら、どこでもイクナーン9の花園ですわよ」

「……おいおい、困ったなぁ。それじゃあ、決められないよ」

「ふふ、ごめんなさい。あなたを困らせたかったのですよ……」

「おや、優しい君が珍しい。ああひどいなあ」

「ふっ、じゃあそうですねえ、この前呼んだ家具職人の店に行きませんか?お椅子の作り方、見てみたいんですの」

「うん?椅子かい」

「ええ、あなたのために何か差し上げたいと思って。いつも広くて寒々しい広間においでなんですもの。せめて椅子くらいいいものをと思って」

「ああ、やはり君は優しい……ひどいなんて言ってすまなかったね」

「あなた……」

おお!なんという、その、惚気ぶりだろうか……胸焼けがしてくる。私は、残ったスープを一口する。うむ、やはりミントのようにスッとする。こころなしか胃の辺りも軽くなるようだ。最後に残った尾のような肉を食べると味気なく、フニャフニャとしている。だが、口に残った風味からしてこのスープはこの肉の出汁であったようだ。なんの肉であるのだろうか。店主殿に聞いてみることにしようか。

そこで料理は完食!実によい食事であった!

心ばかりの感謝の印に食器を自ら下げに店主のもとに行くと、店主はニコニコとそれを受け取ってくれる。

「どうもわざわざありがとうございます。食事はお気に召しましたか?」

「もちろん。まこと素晴らしい料理でしたぞ!シンプルな見た目にもかかわらず、工夫が随所に凝らされておいでだ!」

「あら!それは嬉しいお言葉ですね」

「して……実を言えば私、ヘルクリーネと申しまして」

私の名前を聞くと、店主は目をパチクリと瞬かせ私の名前を繰り返した。

「ヘルクリーネさん!あの美食のカルキストの!あらあ、そうでしたのねえ!」

「ははは……すみませぬなあ、最初に名乗ってしまうと皆さん身構えてしまわれるので」

私の著作はそこそこに名が通っており、カルマクタマでは少しばかり知られている。だから料理人たちに最初に身分を明かしてしまって変に気を使われないよう、著作への掲載許可は最後に取るようにしている。

「それで、このお店の紹介やお料理の話を本に載せたいのですがよろしいかな?」

「ええ、あらあら、恥ずかしいですわ。いや、ええ、大丈夫ですよ、もちろん!ほほほ!」

見た目はアヒル羽の翼人だが、なんだかフクロウのような調子である。

「それで少しばかり、お伺いを……まず肉はなんとも素晴らしいお味でしたが、直接は肉に調味料はかけていないご様子ですな。あれは」

「はい、私の肉なのですがすこしリハクタァクにて細工を。成長過程で肉の中の脂肪胞にニンニクなどの香油成分を生成させておりますの」

「なんと!?」

これには驚いた!肉の中に植物由来の成分を生成するなどとは、とんでもない肉飼いの技巧である。人の中に別種の生き物を埋め込む技術は確立されているものの(合成生物ハルコストについてはご存知のとおりである)植物と動物の合成技術とは、全く革新的ではないか!

「それは、なんととてつもないことを。一体どうやって」

「恤救院時代の杵柄でして、薬草の成分を患者様に継続的に投与するための技術の転用ですわ。中央恤救院ではすでに周知の技ですのよ」

「ははあ、これはなんとそういうわけでしたか!経歴が生きてくるというわけだ!」

「そうそう、あの頃の苦労も無駄じゃなかったんですよ!ふふ」

急いでメモを取る私を、店主は面白そうに眺めている。そうしているうちに、今度は店主から私に話を振ってきていた。

「パンは美味しかったでしょう?」

「ええ、ええふんわりと柔らかくて、小麦のパンなど久しぶりで」

「ああ、すみません。それ、小麦じゃないです」

「……は」

おもわず、間抜けな吐息が私の口から漏れる。

「あれは不殺生の小麦。微小ハルコストに生成させた穀粘類を乾燥させた粉末を用いたものです」

「いやしかし、それは食べたことがありますが、あれは実に……」

「美味しくないですよねえ。でも小麦のあの香りの成分を特定して、それ含めて生成できるようハルコストを改良できたとしたら?」

「……」

私はつい絶句してしまう。そんな高等技術を、料理のために?それではもはや狂気の沙汰である。私を超える食道楽、美食の探求者が、目の前に立っている!

「それだけじゃあありません。さらに作ったパン種に、作成した特殊な菌類を植え込みます。これを放置しておけば発酵が始まり、ガスが発生して中がふんわりと膨らみます」

「菌類?」

「ええこれも私の独自開発でして、塔の賢者様方にもう共有させていただきましたので……これからの不殺生パンはもっと美味しくなりますよ」

「おお、おお……」

オジルモークよ!照覧あれ!天才だ!天才がこんな、下町の小料理屋に居られる!もう涙が出そうであった。

「ああ、そうそう。あのスープはいかがでして?」

「あ、ええ、ええ、すこし面食らいましたが、なにやら薬を飲んでいるような気分でした。それもうまい薬を」

「そのご指摘はぴったりです。あれは実験的に製造したハルコストの触手なのですが、そこに薬効成分を込めております」

「薬効成分!驚くのに慣れ始めてきましたぞ……してその薬効というのはどういった」

「まず、胃粘膜の保護ですねえ。これからしばらく胃もたれには無縁でしょう。あとは食欲増進、寄生虫の防除。それに旨味の種を加えております」

「これは、なんとも。ここに通えば治療院いらずですな……」

「まあ、そういう狙いもありましたね」

店主は、そこで物憂げな笑みを浮かべる。

「ここは、中央から少し離れているでしょう?我らなら、点在する診療所にかんたんにたどり着けますが、旅人はそうはいきません」

「ははあ、確かに……」

「そういった他国の方や、アディトゥムに不慣れなナルカのためそうした、いわば薬膳をメニューに組み込んでいるのです」

「ああ、それはなんとも慈悲深い。あなたにイオンの寵があるように!」

「ふふ、あなたにもオロクの健啖がありますように」

店主がふぁさ、と羽を広げて一礼するのに応え、私も手を合わせて深々と頭を下げる。そこでふと、私は支払いのことを忘れていたのを思い出した。

「おっと、長話になってしまいましたな……お勘定を」

「はいはい、では……」

……ここを直截に書いてしまうのは品性に欠ける。だが、内容に比しても極めて安価であったことは付け加えておこう!

さて、それでだが読者諸君には贈り物がある。なんと、店主のダヤアルタ殿より上に書かれた「不殺生の小麦」の生成方法と、ふっくらとパンを仕上げるための菌類「膨らしの精」の培養方法を伝授していただいた!これの手引を下記に記すので、ご家庭で再現されたいという読者は、是非挑戦してみてほしい!特に「膨らしの精」の方は微生物などの影響を受けやすく、殺菌は十分に行った上で挑戦されたし。


[以下、サーキックにおけるリハクタァクによる、イースト菌類似の菌類の作成、パンを焼いた際に生じる香気成分を含むグルテン塊を高効率で生成する微生物の作成方法が詳述される。これはこの紀行文の4 割を占めている]


さて、後に彼女と再訪の約束を交わし、約束を果たして上記のレシピを伝授していただいたのだが、その詳しい様子はまたの回に紹介しよう。そうしてこの店を知れたという大収穫を得てほくほくで店を出た私は、曳熊を呼んですぐに帰る気にはならず、大腸路の交易所街をしばし散策することとした。

この街は相も変わらず凄まじい賑わいである。
ここではアディトゥムに不足しがちな金属製の器具やその他の物資を、我が国の医薬品や生ける雑貨と交換することで得ているわけだが、その収益はかなりのものであるという。先だって我らが戦勝を飾った対ミケーネの小競り合いの後などは、ちいさなパレードがこの大路で催された。彼らをこころよく許したイオンの寛容もあり、ミケーネの商人も少しづつ戻ってきているようである。

ぶらぶらとあの温暖な内海の国からの品々、特にガラス製品を目当てとして街路を散策していたときのことだった。突如として怒声が響き渡り、食事処の看板のかかったキラークから外国人が一人飛び出してくるのが見えた。その後を、ぬるりとした肌を持つタコじみた店主が追いかけている。

「待ちおれ!代金は払って帰らんか!」

『ふざけるな!あんな生肉を突き出されたうえ、蝿がうるさくて落ち着いて食えたもんじゃねえ!帰らせてもらう!』

「何を言っておる!アディトゥムではアディトゥムの舌で話さぬか!」

店主も外国人も興奮していて、特に外国人、ミケーネの言葉で捲したてている。これはいけないと、私は彼らに割って入った。

「まあまあ!二人とも落ち着かれよ!」

『ちくしょう!今度は触手の生えた狼の化け物かよ!』

『ああ、外国の方。この姿は我らの魂の反映。醜くとも許されよ』

『あ、あんた。俺のところの言葉が分かるのか……』

『ある程度、旅慣れておりますので。よければ、そちらとお話をしてみても?』

『お、うん、すまないな。ありがとう。その、俺は悪くない……と思うんだ』

『ええ、落ち着いて話し合ってみましょう』

ミケーネ人らしき若者を落ち着かせ、食事処の店主に私は水を向けた。

「なんとも災難でしたな。こちらの方、どうされたのです」

「どうしたもなにも料理を出した瞬間、逃げ出したんだ。他国のものは口に合わないかも知れないが、だからって逃げなくても!」

「そうですねえ、それで、こちらの方には何をお出しに?」

「俺の肉だ、シコシコと歯ごたえがあってしかし、とろりとしてる……食いでがあるのでうちは有名なんだよ」

そう言いながら店主は店内に戻って、青く、爽やかな印象を受けるガラスの椀を一つ抱えて戻ってくる。そこにはタコのような海産物を思わせる肉に、香辛料とリーキを細かく刻んで乗せたもの盛ってあった。たしかにブンブンと蝿が集まってきており、店主は大儀そうにそれを手で追っていた。

「ははあ、美味そうですな。海沿いの街でよく見たものに似ています」

「そうだろ?どうだ、一口」

「おお、よろしいか。ではお言葉に甘えて」

私はその椀から一切れの肉を取ると、口に運ぶ。
うむ、たしかに弾力があり、しかし外皮の部分はとろりとしていて、食感は変化に富んでいる。効かせてある辛味のある粉とリーキによる味付けは、大味であると言わざるを得ないがまあ悪くはない。好きな部類だ。

その様子を、若きミケーネ人はぞっとした表情で見つめていた。

「いやあ、酒が欲しくなりますなあ。ははは」

「そうだろうそうだろう。ほら、お前も食べてみろと言うんだ!ほらほら!」

『来るんじゃねえ!』

『若者よ、落ち着きたまえよ。外国の方にも食べられるものしかこの街には置いていないのだから』

『なんだと?あれを食えと?頼むから助けてくれ。ちょっと無理だよあれは!』

『分かった分かった……』

まあ、食べ物の好みというものは人それぞれあるし、挑戦してみようという気概も各個人で異なるものだ。私は先ほどの
アヒル羽のダヤアルタ殿のことを思い出し、若きミケーネ人に一つおすすめをすることにした。

『ミケーネの友よ、この先の街路に羽の簾のかかった店がある。そこなら、君も落ち着いて食べられるものが出る』

『なんだ、今度は虫やトカゲでも出てくるのか?』

『いいや、上質のアヒル肉だとも。その焼き物にパンとスープが付く』

『ほ、本当かあ!?いや、あんたは信用できそうだ……じゃあ、俺はこれで……』

「だから、代金だよ、代金!」

さっさと逃げ帰ろうとする若者に突進しようとするタコ店主を制し、私はその持っている椀を拝借する。

「おい!なんのつもりだあんた!」

「いえいえ、一切れいただいて気に入ってしまいましてなぁ!ぜひこちら貰い受けたい!」

「あ、あんたが払ってくれるってことかい?いや、別にあんたが払うこたあねえよ……」

「いいんですいいんです。私、食道楽でしてなあ」

「あーまあ、そういうことなら……お人好しだねえあんた」

『お、俺はもう行っても?』

『ああ、私が代わりにこれをいただくことにしたよ』

『そうか、いやすまなかった!恩に着るよ!じゃあ、これで失礼する!』

『ああ、気をつけてなお若い旅の方!』

こちらを時折振り返りつつ、ペコペコと頭を振って若いミケーネの友は去っていった。迅速に。まあ、これでよかった。サアルン様麾下の警邏隊になど今の様子を見つかったら、タコ風の生肉を食べるだけでは済まないところだ。

「はあ、じゃあ、席へ案内しますよ……お代は安くしますんでね。なんだか俺のほうが申し訳ない」

「いえいえ、この間海沿いを回ってうまいものを食べてきたところでして、それが恋しくなってきたところでしたから」

「そうですかい!俺は海沿いの出身でねえ」

……と、世間話をしながらこの店でしばしの歓待を受けた。紙面に限りあるため詳しくは書けないものの、店主のムステカラ殿もこだわりのタコ風料理を環状大腸路にある、大きなパピルス問屋の隣で振る舞われている。頼めばタコ肉は生ではなく湯通ししてから提供してくれるので、生はやめておきたい方にも安心である。

そうしてムステカラ殿に別れを告げた頃には、辺りはもう暗くなってきていた。街明かりの街頭発光器がポツポツと灯り始めるのを見るのは、なんだか子供時代に遊びに出歩いてから、夕方に家に帰るときのことを思い出す。街路の柱に備えられた曳熊車を呼ぶ結節を押して、彼らが来るまでの時間には少しくもの思いに沈んでしまうのは私だけであろうか。こうして壮年を迎えた今、各国情勢について不安なこともあるが我らにはこの頼もしき大都アディトゥムと、このカルマクタマをしろしめす我らがイオン様がついておられる。ナルカの皆々様に置かれましても、心穏やかな日々が一日でも長く続くことをお祈りいたすところ。

さて、ともかくも今日は充実の食道楽日和であった!

次回は足を伸ばして地中海に浮かぶアンドロス島にある、カルマクタマの植民都市へ向かおうと思う!聞いた話によれば、当地に独特の野菜類をふんだんに使用する創作料理が名高く、さらには自慢の肉質を誇る有名店が多数存在するという。

取材を終えてから次回の刊行まで、半年ほどあとになるだろうが気長にお待ちいただきたい。

それでは、皆様にもすばらしき美味とよき出会いがありますように!

美食のカルキスト・ヘルクリーネがこのように祈念いたします。

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