SPIN-01「回り始めた物語スシブレード」
新学期、ユウキはクラスメイトから部活動の勧誘を受けるが……。戦えユウキ、これは君とスシブレードの物語!
1つ、諦めてはならない。
2つ、寿司と共にあれかし。
3つ、勝った者だけが生き残る。
寿司を回すなら心に刻め──スシブレードの鉄則を。
【A part】
1998年の世界的事件をきっかけとして、世界は変わり続けている。東方の島国、海に閉ざされた日本といえど、世界の潮流を横目に一人だけ今まで通りというわけにはいかず、時代の波に揺られながら今日を迎えていた。
人の暮らしは徐々に、しかし着実に変わっていった。日本の首都・東京も都市の区画整理や行政の再編が行われ、街並みは少しずつ新たな形へと生まれ変わった。
その中で舞台となるのは、東京2区──通称「ネオ・ダイバシティ」。
そしてここはその一角にある高校の教室。新入生を迎えたばかりの教室は、早くも放課後には喧騒に賑わうようになっていた。
「ねぇ頼むよユウキくん!」
「イヤだ」
その喧騒の一部である会話は、しかし盛り上がっているとは言い難い。ユウキと呼ばれた少年は、手を合わせて頼み込むように頭を下げるクラスメイトの要請をすげなく断った。
「そんなぁ……スシブレードやろうよぉ。ね? ね?」
「イヤだって。海産物嫌いなんだよ、俺」
「えぇー」
手をひらひらと振りながら、その気はないとアピールしてみせる。
しょげてみせるクラスメイトを尻目に、「一緒に入部テスト受けよう!」と渡された広報紙に視線をやった。
部のメンバーであろう集合写真とともに【夢と希望のスポーツ! スシブレード部に『へいらっしゃい』!】と書かれた紙面。それを見つめるユウキの顔は険しい。
「嘘言わないでよ! 聞いたよ、昔スシブレードやってたんでしょ?」
「……どこで聞いた?」
「有名だよ、きみ。小学生の頃大きな大会でいいとこまで行ったって。うちは結構名門なんだよ! その才能を活かさないのはもったいないって!」
「あのねぇ、それは昔の話なんだって」
「いや、でもさ! スシブレードはこれからもっと大きなスポーツになる、と思うんだ。まさに『夢と希望のスポーツ』だよ! ユウキくんは、そんな舞台で羽ばたいてみたいと思わない?」
「思わない」
世界が変わっていく中で、スポーツ競技のありようもその例外ではなかった。人類のあり方が多様化したことで、統制された条件のもとで競い合う既存のスポーツは次第に体を成さなくなっていったのだ。
そこで台頭したのがスシブレードだった。スシブレードとは、寿司ネタを所定の手順で射出、回転するそれらをぶつけあって勝敗を決する競技である。言って換えてみればスポーツ化した超常ベイゴマだ。実際に戦うのはコマに当たる寿司ネタであるため、競技者の形質を問わない。純粋に寿司ネタを扱う技量と、事前の準備や研究が物を言う新しいスポーツとして人口に膾炙した競技スシブレードは、それ故に新時代の夢と希望のスポーツであった。
しかしユウキは、そんなことはどうでもいいとばかりに、誘い文句を切り捨てた。
「そんなぁ」
「俺この後テニス部の体験入部行くんだよ。悪いけど他をあたってくれ。別に他に友達いるだろ。今どきスシブレードやる奴なんていくらでもいるんじゃないか?」
「うっ……いや、いるけど……」
「というかそもそも、スシブレードは個人競技だろ。別に1人で行ったっていい。あれだ、言っておくけど戦うときは1人だぞ。1人だと何もできないタイプの奴はスシブレードに向いてない。やめといたほうがいいぜ」
「でも……」
シュンとした様子のクラスメイトに向かって淡々と言い捨てる。並べられた理屈に言い返すことができないのか、クラスメイトは口をまごつかせていた。
「……?」
「その、この前1人で行ったけど、落ちちゃって……」
「あー……」
「だ、だから! せめて稽古だけでもつけてくれないかな?」
恥ずかしげに打ち明け、手を合わせるクラスメイトを、ユウキは複雑な表情で見やった。
「お願い! ね?」
「……いや、ごめん。スシブレードはもうやらないって決めてるんだ、俺」
「うぅ……」
泣き落とそうとしているのか、天然なのか、潤んだ眼で見つめる。ユウキはつい視線をそらしながら、心苦しくもしかしきっぱりとその請願を断った。
「……じゃ、俺行くから。頑張れよ!」
「あっ、ちょっと!」
ユウキは強引に話を打ち切った。カバンを背負いながら、そそくさと教室を後にする。
戸惑うように上げた声は、届かない。
【B part】
「新入生のみんな、お疲れー!」
「よかったら入部してねー!」
夕刻。グラウンドの片隅で、そんな声が響いた。
「おうお前、源……源ユウキだっけ? 雰囲気良かったなこの部活! どうだった?」
「えっ? ハハ……そうだな……」
解散後、たまたま近くにいた男子が、同じく運動後のユウキに気さくに声をかけた。ユウキは、ぎこちない笑顔で応対する。
「そっちはどうよ?」
「良かった良かった! な!」
「おう! 僕らこれから入部届出しに行くけど、君もどう?」
「おっマジ!? 行く行く! 源はどうする?」
「俺は……ごめん、いいや」
「……そうか! いい部活見つかると良いな!」
「おーい、行くぞ!」
「あっ、待ってって! じゃあな!」
「……うん、じゃあ」
いつの間に打ち解けたのか騒ぎながらどこかへ走っていく男子たちを、苦笑いを浮かべながら手を振って見送る。
彼らの向かっていった方と別の方を向いて、校舎を歩く。
「難しいな……色々と」
廊下の窓から、沈み始めた夕日が差していた。歩きながら、ユウキはため息をつく。
高校までスシブレード以外のスポーツをやったことがないユウキがいきなり踏み込むには、球技はいささかハードルが高かった。
──「スシブレード、やろうよ!」
ふと、脳裏に数刻前勧誘してきたクラスメイトの笑顔と言葉がよぎった。
「……何が夢と希望のスポーツだ」
首を振ってそれを追い払う。人の少なくなった静かな校舎を、ゆっくりと歩いていく。考えても仕方がない。もはやユウキはスシブレードと縁のない身なのだから。
「うわああああああああ!」
──突如、悲鳴が響いた。続いて、轟音が校舎を揺らす。
「何だ!?」「どうした!?」「なにぃ?」
「スシブレード部のほうだ!」
まだ残っていた生徒や教師がぞろぞろと顔を出し、音のした場所を探ろうとする。
「スシブレード部?」
嫌な予感がする。ユウキは駆け出した。
部室の場所は知っている。昼間に見た広報誌に書かれていた。
「……ッ!」
『スシブレード部』と表された部室の前まで走り寄れば、惨状はひと目でわかった。なにせ、扉が吹き飛んでいる。
部屋の中もかなりの荒れようだ。床にはヒビが入り、備品は床に散らばってそのうちいくつかが壊れている。さらに部員であろう生徒が何人も倒れ伏していた。
「ウゥ……」
「ユウキ……くん……」
「おい、大丈夫か!?」
うめき声を上げる生徒たちの中に、昼間に勧誘してきたクラスメイトの姿を見つける。入部試験を受けに行くと言っていたから、巻き込まれたのだろう。駆け寄って、声をかけた。
「何があった?」
「あいつだ……あいつに襲われて……」
「……ハン。まだ立っている奴がいたか」
指差された方を見る。割れた窓ガラスを背負って、大柄な黒い服に身を包んだ男が立っていた。
「スシブレーダーか……!」
ユウキの眼は、その男の携えた箸と湯呑──スシブレードを射出するために使うランチャーひと揃えを捉えていた。
道場破りの類か? スシブレードは本来アングラな競技であった故に、野良試合や道場破りもよく起こることではある。
「悪いが目撃者は消さなきゃならんのでな!」
「っ……!」
男は床にめり込んでいた寿司ネタ──カンパチだ──を乱雑に拾い上げ、そう言いながら箸をユウキに向けて構えた。
ユウキは息を呑む。
スシブレードが『新しいスポーツ』として機能しているのにはわけがある。割り箸を介して射出された寿司ネタは、そんじょそこらの人間なんかよりずっと強いのだ。寿司ネタ同士の戦いに人間は介入できないという原理によって、スシブレードは平等性を保証されている。
しかしそれは同時に、「スシブレードは専用の土俵スタジアムの中でしか行ってはならない」というルールを前提とする。「人に向けて寿司ネタを打ってはならない」とは、全てのブレーダーが初めてスシブレードを握るときに教わる戒めだ。
その訓示が一体何を意味しているかは、床に走るヒビを見ればわかることだろう。
「ユウキくん!」
案ずる声が上がった。
撃たれる。どうにかしなければ、何か身を守るものはないか──ユウキの視線が周囲を浚う。
「これしかないか……!」
視線の先で、何かが光った。蛍光灯を反射する魚の鱗だ──部の誰かのものであろうランチャー一式と、寿司ネタが転がっていた。一瞬の逡巡、しかしユウキはそれらを拾い上げる。
「歯向うってかぁ?」
「でもユウキくん、スシブレードはやらないって……!」
「見てろって。俺はこれでも、昔かなり鳴らしたクチだぜ」
自分に向けられているものと同じように、ユウキも箸を構える。だが口調とは裏腹に、ユウキの手は震えていた。
「おいおい、震えてんじゃねえか、アァン?」
「──いや」
相対した敵はそれを見抜いていた。怯えを的確に煽る威圧に、返す言葉もない。
しかし次の瞬間、光の加減だろうか、手の中にある寿司がキラリと光った気がした。続いて、記憶の扉が開く。
──「立て、立って戦え。生き延びたければ、戦え」
かつて励まされた言葉が脳裏をよぎる。
ユウキは覚悟を決めた。箸に、寿司ネタ──鯖寿司だ──を挟み込む。
「バトルだ!」
「ハァン、いいだろう」
両者、部室に備え付けられたスシブレードスタジアムを挟んでにらみ合う形になり、にわかに両者の間で空気が張り詰めた。
「「3、2、1、へいらっしゃい!」」
どちらともなく掛け声を発し、寿司を射出する。
射出されたネタは回転しながらお互いのブレーダーを目指して飛んでいき、そして一度空中で激突した後地面に着地した。
着地した寿司ネタは、スシブレードとして戦い始める。しばし、まばらな衝突音が響いた。
「へっ、どうだよ!」
「クッ……やるじゃねえか……!」
円周を描くように回るスシたちは衝突し、反動で離れてはまたぶつかる。それを何度か繰り返すうち、男の顔に焦りの表情が滲んでいった。
カンパチが回転する勢いが明らかに落ちてきている。ユウキのネタの攻撃が効いている証拠だ。
「ブルってた奴なんかに俺様の魔改造カンパチが負けるわけねえ!」
不安を振り払うように、男が叫ぶ。それと呼応するように、男のカンパチがユウキのネタの周りを回るように助走を始めた。
「ユ、ユウキくん!」
息を潜めて見ていたクラスメイトが、たまらず声を上げた。
あんな大きな溜めからの攻撃など食らえば無事で済むネタはそう存在しない。
「安心しろ。この程度の攻撃、俺はいくらでも見てきた」
しかしユウキは余裕だった。
そして「お前の力を見せてみろ」と、視線を己の放ったスシブレードに向ける。
「ンだと? ナメんのもいい加減に……!」
男が声を荒げ、それに従うようにカンパチがユウキのネタに向けて突撃していく。
「……!」
「っしゃあ! 決まりだボケ!」
一撃が入り、吹き飛ばされていくユウキのネタ。それを見て男は勝ちを確信した。
「──いただき」
しかし、ユウキは得意げに呟く。
「なに……ッ!?」
その瞬間、場外寸前の土俵際でユウキのネタがスタジアムの壁を蹴り、跳ね返って敵に向かい飛びかかる。──衝突の反動で静止したカンパチの横腹に、一撃。
そして攻撃をもろに食らったカンパチは体勢を保てず、場外へ弾き出される。
勝負あり。ユウキの勝ちだった。
「クソッ、何で! テメェ何をした……!」
「何もしてない。お前みたいな奴に寿司を回す資格はないし、俺が負ける道理もない。それだけ」
場外へ飛ばされた己の寿司を丸くなった目で追いながら悪態をついた男に、ユウキが淡々と言い返した。
自らの寿司をただ『魔改造カンパチ』としか呼ばず、そしてその力を信じられもしないようなブレーダーが、自らの力を信ずることのできるブレーダーに勝てないのは必定であった。スシブレードは本質的に非肉体的な競技だ──精神性が、従来のスポーツに比べて直接的に物を言う。威圧的な態度や暴力的なやり口に屈しない相手には、彼のスシブレードは通じない。
男のカンパチは濃縮酢で作られた酢飯を用いることで適合係数を無理やり上げ、またスタジアム上での制動性を法外に引き上げていたものだが、真っ当な努力をせずそのような卑怯な手に頼ったスシブレーダーが、自分と自分の寿司を信じられないのは当然である。その短気な性格では無理もない話だったが、楽して勝とうとしたのが間違いだった。
「何だ何だ!?」
「きゃあ!?」
「人が倒れてるぞ!」
「チッ……覚えてやがれ!」
「……ならせめて名乗っていけよな」
騒ぎを聞きつけたのか、校内にいた人々が集まりだしたようだ。それを悟り男は慌てて寿司を拾い上げ、口の中へ放り込みながら逃げ出した。
(面倒なことになりそうだなぁ……やっぱりスシブレードなんてやるんじゃなかった)
部室の前に人だかりができつつある。ユウキは室内の自分たちに注がれる視線を感じ、内心でそうぼやいた。
SPIN-02「謎の情報屋、その名は"白鯨"!」
鯖寿司を手に取ったユウキ。現れた次なる敵を打ち破るべく、放て必殺転技!
【アバンタイトル】
「"社長"。ご報告が」
暗い部屋の中、現れた人影が礼をしながら切り出した。
「何だね」
「あの寿司が何者かによって持ち出されたようです」
「それは本当に言っているのか」
「はい、"御子みこ"よ。……計画のためとはいえ、ここのところ人員拡大を急ぎすぎたかもしれません。チンピラやバイトのガキどもが噂を聞きつけでもしたのでしょう。この私の権限下にありながら、何たる不覚」
『御子』と呼ばれた男が反応する。
忸怩とばかりな報告を、手のひらを掲げることで『社長』は遮った。
「良い。お前の仕事は多すぎるからな。今度優秀な部下でも付けよう」
「申し訳ありません。全ては私めの不徳が致すところ──」
「社長が『良い』と仰っているのです、その程度にしておきなさい……その上で私、"サージカルナイフ"から具申します」
次いで名乗ったのは、"サージカルナイフ"という人影。
「言ってみたまえ」
「万が一、あれが我々の外部に漏れでもすれば事です。回収、あるいは抹消するべき……そうですね? 社長、そして御子様」
「その通りだ……あの寿司は野放しにしてはならない。抹消するべきだ」
「寿司の御子、我が息子よ。お前の意見に私も賛同しよう。ではどうするべきかね?」
社長が、抹消を唱えた御子に同意する。
「"ペティナイフ"が申し上げますわ。その下賤な末端人員しょみんを使えばよろしいのではなくて?」
「『寿司狩り』というわけですね? 然らば指揮はこの私、"ペーパーナイフ"にお任せを。不始末は必ずや私自らが責任を持って片付けてみせます」
「それならば、1つよろしいでしょうか」
『ペティナイフ』と『ペーパーナイフ』が、意見を交わす。そこに、『サージカルナイフ』が口を挟んだ。
「あれの開発には私も関わっていました。私にも責任の一端があります。手伝わせてください」
「おや、一枚噛んで手柄を立てようとでもいうおつもりですか? ただで差し上げる功績はありませんがねぇ。あなたに何ができるのです?」
「内部における情報管理はあなたの仕事ですが、対外調査は私の職掌です。あの寿司の在り処も、大まかにですが見当がついています。お力になれるかと思ったのですが」
「"サージカルナイフ"ゥ……」
不服そうに"ペーパーナイフ"の睨めつける視線を、"サージカルナイフ"は肩をすくめてやり過ごした。
「では決まりだ。この件については2人が対処する」
「「へいッ!」」
「さて、それでは会議を続けよう。本題は我々の計画なのだから」
会議は踊り、そして続く。
【A part】
「大丈夫だったのか」
「うん。おかげさまで」
翌日、教室での会話。
ゴタゴタ騒ぎの中で言葉をかわすこともままならなかったクラスメイトは、昼休みの教室で昨日の襲撃事件のことを話していた。
「なんつうか、災難だったな」
「いやぁ……そんなことはないよ。君が助けてくれたし!」
力こぶを作って元気だとアピールするクラスメイトを、ユウキは微妙な顔で見つめた。何もないならそれでいいのだが……。本人が何も言わないのであれば、踏み込むのは躊躇われた。煮え切らない感情を押し留めるように、ポケットから鯖寿司を取り出し尋ねる。
「これ、お前の? 俺が持ちっぱなしだったけど」
「あー……うん、一応。貰い物だけど……」
「そうか。じゃあ返すよ」
現代のスシブレードは、"スシブレード用"として市販されている寿司を用いて行われる。『寿司が寿司であること』を定義する"寿司のモナド"が失われない限り──寿司のモナドのぶつかり合い、すなわちスシブレードバトルを除いて──その寿司は『その寿司』として定められた形を失うことはない。だから、スシブレード用の寿司として定義され、その認識が共有された寿司は保存性に関する問題を一切クリアし、ユウキが持ち歩いていたように原状を維持し続ける。
差し出された鯖寿司は、鮮度の劣化が著しい"光り物"としては不自然なほど鮮明なその名の所以たる反射光を放っていた。
「名前、なんていうんだ? 良いネタ……っていうか、不思議なネタだな。活きがいいというか、生きてるみたいだった」
「……わからない」
「えぇ? 嘘だぁ、貰い物なら持ち主から聞いてないのか?」
スシブレーダーは己の握った寿司、己の代わりに土俵の上で戦うスシブレードに名前をつけるのが通例である。それは研究と研鑽の結晶──スシブレーダーの魂である寿司ネタをぶつけ合うにあたっての対戦相手に対する礼儀でもある。
故に、昨日戦った男などはスシブレーダーの仁義にもとる行いをしていたわけだが、これがユウキの言っていた「寿司を回す資格がない」という言葉の含意の1つであった。
「うん……逆に聞くけど、ユウキくんはわからないの? ブレーダー歴のあるきみなら知ってるんじゃ」
「…………」
メジャーどころの寿司ならば、概ね名称も人口に膾炙した普遍的なものが使われる。市販品の場合、同じ寿司でもメーカーによって名前が異なったりするのはご愛嬌だが……それでも基本はそうバラつかない。
だから、対戦経験や知識において一日の長があるユウキならば鯖寿司のスシブレードの名を知っているのではないかと、逆に問いかけた。
心当たりは、無いでもない。かつてスシブレーダーだった頃に、鯖寿司使いのブレーダーと戦ったことがある。
思い出す。奴は、己の寿司をなんと呼んでいたか──
「──『サバイバー』。あいつは、鯖寿司のことをそう呼んでいた。このネタがそうだとは限らないけど」
鯖寿司はメニューの豊富さが特色の1つである。鯖と言ってもマサバにゴマサバ、用いる身の部位も様々だし寿司としての加工法も押し寿司から〆鯖と多岐にわたる。かつて相対した鯖寿司の名前もそれがそのまま当てはまるとは限らない。が、少なくともこの寿司は棒寿司だ──昔日にサバイバーと呼ばれていた記憶の中のそれと同じ寿司であり、ユウキのデータベースにはそれ以外の心当たりはなかった。
「そっか……うん。やっぱり、その寿司はきみが持っててよ」
「へ?」
「ネタの名前もわからないブレーダーより、きみみたいな強い人が持ってたほうがいいと思って。そのほうがそのスシも喜ぶよ」
「いや、俺が持ってても……俺ブレーダーじゃないし。返すって」
「それでも、きみに持っていてほしいんだ。その寿司を回すきみ、とってもカッコよかったんだから! ……あれ見せられたら、自分がそいつ回してるところ想像できなくなっちゃってさ」
「……いいのかよ、貰い物なんだろ?」
「いいのいいの。『こっちを使ったほうがいい』って渡してもらっただけだけで、別にプレゼントとかじゃないし」
──「きみ。さっきテストを受けていた子だね?」
──「はい? そうですけど……」
──「見たところきみのスタイルときみの使っている寿司は噛み合っていないように見える。今度はこれを使って再挑戦してみなさい。スシブレード部の試験は何度でも受けられるし、そう難しいものでもない。友達とでも一緒に練習して、また受けに来なさい。待っているよ」
──「え? あっ、はい! 頑張ります!」
そんな経緯で手にした程度の物だ。だから別に惜しくないし、律儀に使い続けるほどの義理もない。ユウキが持っていたほうがきっといいということらしかった。
「私は地道に強くなることにするよ。だからその寿司はきみが持っていて。いつか、きみとその寿司に勝てるくらい強くなるから!」
「だから俺はブレーダーじゃ……」
「いいから貰って! ほら、休み時間終わっちゃうよ!」
「え、えぇ……わかったよ……」
差し出した寿司ネタを強引に押し戻され、渋々と受け取る。
休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴っていた。
──「立て、立って戦え。生き延びたければ、戦え」
放課後、教室の窓の外からは、部活動に励む生徒たちの声が聞こえてくる。
ほとんどの生徒が立ち去った後の教室で、ユウキは自分の席に座って窓の外を眺めていた。どこかの部活に体験入部しに行こうかと思っていたが、煮えきらないまま時間が過ぎ、なんとなく下校しそびれて今に至る。
あの言葉を、あの日々のことを思い出す。そう言っていたブレーダーこそがサバイバーの使い手だった──酷い偶然もあったものだとため息をついた。
「『サバイバー』……か」
手の中の寿司をちらりと見やった。結局、こいつはどうしたものか。2度と使う機会はないだろう。昨日の件は緊急事態だ。スシブレードと関わり合いにならなければ道場破りなんかに遭うことはありえないし、ユウキにはスシブレードをする気がそもそもなかった。
帰り道でどこかに捨ててしまおうか──そう考えた瞬間、携帯が鳴った。
「もしもし?」
『ユウキくん……! ごめん、助けて……!』
繋がったビデオ通話には、縛られたクラスメイトが映っていた。
【B part】
「あっ! こいつです! 昨日俺を倒した──!」
「ようやくお出ましか、『源ユウキ』クン」
「ユウキくん……っ!」
「おいッ! ……そいつを離せ。何が目的だ」
ネオ・ダイバシティ海岸沿いの倉庫地帯。呼び出されて現れたユウキを、昨日戦った男が指差した。見せびらかすように人質のクラスメイトが連れてこられる。
縄で縛られガラの悪い男女に囲まれたクラスメイトを視認して、ユウキは大声を出した。
「離してやれ」
「づッ……!」
「おい! 大丈夫か!」
「そこまで手荒な真似はしてないさ、なぁ?」
乱暴に縄を解かれたクラスメイトがよろよろと駆け寄ってくるのを抱きとめる。
そのまま逃げ出せるかと背後を伺うが、既に囲まれていた。チーマーの類か……全員、黒い服に身を包んでいた。
「随分手厚い歓迎っすねぇ、ここまでして俺に何の用だ?」
「昨日はうちのが世話になったなァ、え?」
「……どうも」
リーダー格であろう男が、ユウキに語りかける。
「そこのそいつから受け取った寿司があるだろ? それを出しな」
「は?」
「ユウキくん、こいつらきみを倒そうとして……!」
つい素っ頓狂な声が出た。
だが確かにユウキたちの間にあるものはスシブレードしかないし、そこでその単語がでてくるのは必定ではある。
「その寿司でおれと戦え」
「俺ブレーダーじゃないんだけど?」
「しかしうちのを倒したって聞いたぜ?」
「……この寿司が目的ならくれてやるよ、どうせ捨てるつもりだったし」
「いいやダメだ。その寿司を破壊しろというのが上からのお達しだ。それに、部下を可愛がってもらった落とし前はちゃんとスシブレードでつけなきゃなァ?」
「チッ……戦わなきゃ生き残れない、か」
──「生き延びたければ、戦え」
思い出す。
進退極まったと察したユウキは、腹をくくってランチャーを構えた。
「ユウキくん!」
「少し離れてろ……俺の手の届く範囲で」
「そうだ、それでいい。行くぞ!」
「「3、2、1、へいらっしゃい!」」
射出されたスシブレードが着地し、ぶつかり合う。
「ヤリイカ……『ヤリーカ』ってところか。なら、今のうちに攻めきる! 行け、サバイバー!」
敵の寿司ネタはヤリイカ。ユウキの現役時代の記憶では、ヤリイカの寿司はヤリーカという名前で呼ばれていた。
その特徴はイカの弾力による防御性能、そして──ネタの切り方にもよるが──翻る身による遠心力由来の持久力とじわじわと削るような攻撃。一方サバイバーは一度取り回した感触からするにどちらかと言えば攻撃を仕掛けることで競り勝つタイプのネタだ。防御に徹されて消耗戦に持ち込まれると不利になる。故に、ユウキの取った戦法は短期決戦。
「確かにその通りだがしかし、古いなァ! オラッ!」
「なっ……弾き返された……!?」
連続攻撃の最後に打ち込まれたフィニッシュブローをしかし槍イカは受け止め、そして弾き返した。反動で、サバイバーは大きく姿勢を崩す。
「出た! リーダーのバウンドアタックだ!」
「ヤリーカは弾力で攻撃を無効化するタイプのスシブレードじゃないのか……!?」
「知ってる……あの寿司は『ロック・ヤリーカ』! 現代スシブレード環境では常に上位にいる寿司……! 気をつけてユウキくん、あのイカは水分が飛んで身が硬い!」
「はぁ!? 寿司にそんなカスタムってありかよ!」
スシブレードから離れて久しいユウキは知る由もないが、現代スシブレードでは頻出するカスタムの1つがロック・ヤリーカである。適度に鮮度を落とし水分を飛ばすことで弾力を保ったまま硬くなった身は、ヤリーカの攻撃を受け止める弾力性を弾き返す弾力性に昇華し、非常に強力な攻防一体のスシブレードとして運用されていた。
しかし、それはユウキの常識からは考えられないカスタマイズであった。スシブレードのルールとして、勝負に敗れた寿司は食されなければならない。だから、寿司ネタとしての味を落とすようなカスタマイズはそもそもおかしいのだ。それは、初めてロック・ヤリーカが現れたときのスシブレード界でも同じである。だがそれ故にその革新性は競技シーンにおいて非常に有利に作用し、今となってはスシブレードの環境を支配するまでになっていた。そう──そんなカスタムをすればもちろん寿司ネタとしての味は落ちるが、負けなければ何の問題も無い。それほどにその寿司は強かった。
「けどロック・ヤリーカでも、あそこまでの反射攻撃は見たことがない……! はっ……まさか……!」
「そう、それこそ我が『必殺転技』! 改造ヤリイカの弾力を最大限発揮する『弾性武装バウンドアーミー』、『弾鎧ディフェンス』の型!」
「必殺転技……!?」
「おいおいまさか今どき必殺転技も知らねぇでスシブレードやってんのかァ? ハッ、お笑い草だなぁ!」
その必殺転技を食らい弾き飛ばされたサバイバーに、槍イカが追撃を仕掛ける。
必殺転技などという技術、ユウキの記憶には存在しない。
「ユウキくん、最後にスシブレードしたのいつ?」
「……6年前」
「なら知らないだろうけど、現代のスシブレードには必殺転技っていう奥義があるんだ……! でも、あいつがそこまでの使い手だったなんて……!」
寿司ネタの性質、使い手の技量、何よりもネタを使い続けた経験から来る戦闘勘を最大限発揮して放たれる最強の一撃。それこそが現代スシブレードを盛り上げる要因の1つ、『必殺転技』である。男のそれはロック・ヤリーカの弾性豊かな肉質を使い敵を弾く、名前の通り弾力の武装!
「ヤリイカの弾力はただの鎧じゃねェ! 最強の槍でもあるのさァ! オラオラオラァ!」
「くッ……!」
相手の男の苛烈な攻撃に、ユウキは遅れを取っていた。一撃もらうたびに、サバイバーは大きく弾かれていく。
「必殺転技っての、破る方法はないのか!?」
「同じ土俵で戦うには、必殺転技じゃないと……」
少なくとも公共に放送されるレベルの競技シーンでは、必殺転技を持ち出されたら同等以上の技術──必殺転技で以て立ち向かわなければ一方的にゲームセットまで持っていかれる。それができる者とできない者の力量、寿司ネタへの理解の深さ、寿司のモナドの完成度……そういうものの差以上に、単純に威力の差があまりにも莫大だからだ。
「そんなもん俺はできないぞ……!」
「……昨日の決まり手、あれしかないよ!」
「はぁ? 無茶言え!」
「できるって! 咄嗟にあれが出るってことは、きっとそれが正解なんだ!」
「っ──!」
そうだ。確かにかつてサバイバーを使っていた彼だって、得意技はカウンターだった──ユウキの記憶が、背中を押す。やるしかない。
「弾け飛べェ! 必殺転技『騎士王弾槍斉射バウンドアーミー・バーストショット』!」
「づッ……!」
「はッ! 勝負あったなァ!」
一撃を食らう。ヤリイカの肉がサバイバーに触れ、瞬間、激突の勢いは弾性エネルギーと合成されて襲いかかる。
白い反射光を纏うヤリイカの身が、夕闇の中、光の槍となってサバイバーを穿ち、弾き飛ばした。
宙を舞い、転げるように地面へ投げ出されるサバイバー。勝負はついた──
「……だけど!」
「今だ、ユウキくん!」
「必殺転技! 鯖寿司サバイバー──」
──かのように見えた。
だけど、勝機の光は消えていない。応えてみろと名前を叫び、拳を振りかざした。
「なにィ!?」
「『未敗撃リバイバルアタック』!」
地を転がったサバイバーが、シャリを下にして食いしばるように着地し──地面から受けた抵抗を足がかりに加速して、鈍く瞬く一筋の閃光となってヤリイカを穿った。
いかに防御において隙のないスシブレードであろうと、自身の攻撃による反動は生じる。そうしてできた隙を、閃光が捉えた。
「嘘、だろ……!?」
勝負あり。
ヤリイカはその一撃を受け止めきれず崩壊する。ヤリイカ本来のしなやかさが失われたが故のデメリット、耐久性の減少がここに来て響いた。
「俺の勝ち──」
「クソ……! お前ら、やれ!」
「っ!?」
男の号令を受け、ユウキたちを取り囲んでいた黒い服の集団がランチャーを構え、ユウキたちに向けた。
「卑怯だぞ!」
「何とでも言え、勝ったもん勝ちだ!」
集団が射出の構えを取る。箸が擦れる音が、一斉に響いた。
「──えっと、『イクラリオン』。やっちゃって」
「な……!?」「きゃあ!」「グワァ!」「うわぁああ!」
瞬間、声が響いて、飛び散るイクラの粒が集団を襲った。
「今度は何だ……?」
「さぁ、逃げるよ。2人とも」
「えっ、あっ、はい!」
土煙の中、工場の入り口から悠々と現れた青年が、ユウキたちに逃げるよう促す。
「あ……ありがとうございます……」
「あんたは──」
ユウキに肩を借りているクラスメイトが、助けられたことに礼を言う。それに概ね追従しながら、続けるように、ユウキは誰何した。
「白乃瀬コタロウ。"白い才能"の『白鯨』、ブラックハッカー"くろしお"……白乃瀬クジラの兄だ。……って言ってわかるかな?」
【C part】
「き、きき、きみが源ユウキ……だね」
「……そうだけど」
──「えっ!? "白鯨"!? "くろしお"と、同一人物だったの!? 凄いよユウキくん! "白い才能"の白身魚使いと情報屋ハッカーの"くろしお"って、どっちも都市伝説級のブレーダーなんだよ!」
その"白鯨"とやらが、いま目の前にいるキョドり系女子か……。クラスメイトを家まで送り届けた後、コタロウに「きみに会ってほしい人がいる」と連れられたマンションの1室で相まみえたのが、この挙動不審の女子だった。
極端に色白、というよりはアルビノ質な見た目の少女に向ける視線が、訝しげな色を帯びていく。
「くじらちゃんは引きこもりなんだ。勘弁してあげてほしい」
「……うす」
「服装が変なのも、くじらちゃんなりにお客さんと向き合おうとしているらしいから、気にしないで」
ユウキの当惑を汲み取ってか、コタロウが教える。なるほど、それならこの4月に自室であろうコンピューターだらけの部屋で学校の制服をブレザーからカーディガンまできっちり着込んでいるのにも合点がいった。なんというか、シュールでコミカルな雰囲気にすっかり警戒心は解かれつつある。
「兄。うるさい」
「ごめん。でも、ほら、説明はしておかなきゃ。僕の口からするのが一番いいかなと思って」
「……説明するべきことは、他にある」
その意見には、ユウキも賛同するところだ。ここぞとばかりに口を開いた。
「3つ、聞きたいことがある」
「う……うん。いいよ。大体のことは答えられる」
「1つ、どうして俺たちを助けたのか。2つ、あの黒い服のチーマーは何なのか。3つ、奴らはどうしてこのサバイバーを狙っていたのか」
整理するように呼吸をおき、指折り数えながら、ユウキは質問を挙げた。
「それも僕から説明しよう。僕の妹はこう見えて優しい子なんだ。くじらちゃんは、くじらちゃんの観測範囲内で誰かが事件に巻き込まれることをあまり良しとはしない。実利的なことを言うと、あまり情勢をかき回されても本業に支障が出るというのもある。それに、これは2つ目にもかかってくるけど、僕らはこの世界で力を誇示する必要がある。そしてその2つ目は──」
「兄、でしゃばらないで。くじらはコミュ障じゃない。話すくらいできる。……2つ目。あの集団は、『闇寿司』と呼ばれている。文字通り、スシブレードの世界に潜んでいる闇。スシブレードの世界全体から忌み嫌われていながら、独自の勢力圏としてずっとはびこっている。宇宙がその実ダークマターで満ちているみたいに。危険極まりない奴ら」
「闇寿司……」
だから黒衣なのか。
得心するユウキをよそに、説明は進んでいく。
「そして3つ目。これが1番だいじなんだけど……ごめん。わからない」
「えっ」
虚を突かれる。なんでも知ってそうな感じだったのに……
「くじらはネットには強いけど、引きこもりなの。だから、ネットワークからアクセスできない情報は、くじらにはわからない」
「だけど、『ネットからアクセスできない』ことまではわかっているんだね? くじらちゃん」
「そう。おそらく源ユウキ、きみの持っているそのサバイバーの出処ないし、何らかの関連性がある場所を、くじらは割り出した」
「……なるほど」
「情報の在り処は提示できる。だからこれは取引。くじらの本職は情報屋ハッカー……何もかもタダでというわけにはいかない。きみは、その情報を知りたいなら、自分で確かめに行くべき。もちろん、行くならこちらからもサポートはする。どうする?」
「くじらちゃん、それは……」
その取引は巻き込まれただけの一般人に持ちかけるにはあまりにも負担が大きいのではと口を挟んだコタロウを、ユウキが制止した。
「いや、行く。巻き込まれておいて何も知らずにいるのはイヤだ」
「わかった。契約成立」
次話に続く!
SPIN-03「潜入調査!サバイバーの謎を追え!」
"情報屋"白乃瀬クジラから敵の名が明かされた。闇寿司の真意、そしてサバイバーについて知るため、潜入調査へ!
【アバンタイトル】
「潜入先は、株式会社波浪寿司はろうすし──回転寿司チェーン『スシハロー』経営元の食品研究所。ここ最近……つまりユウキたちの回りで闇寿司が動き始めたのと前後して明らかにこの建物に出入りする奴らが多くなってる。その中には、ユウキや兄が倒した集団もいる」
画面に次々と情報が映し出されていく。波浪寿司──回転寿司業界の覇権を占める企業の1つであり、スシブレードの興業化にも尽力した、いわば寿司の大御所だ。
「ってことは奴らに指示してるって奴がそこにいる可能性があるのか」
「指示?」
「あのヤリイカ使いは『上からのお達し』と言っていた」
「なるほど」
思い出すのは、工場で戦った連中の言っていたこと。状況証拠は確実に揃いつつある。
「決行は明日の夜。兄の案内で研究所まで行って、2人で忍び込む」
「細かいオペレーションは?」
「無い、そんなもの。兄が現場の判断でなんとかして。……地図くらいは事前に渡してあげるし、警備システムに細工できそうなら、それもする」
「うんわかった。つまりいつも通りだね」
【A part】
「あっ、ユウキくん! おはよう!」
朝の憂鬱を、人の声が切り裂いた。
「……おはよう」
朝の教室。昨晩のことを案じて様子をうかがうユウキに気付き、声をかけてきたクラスメイトに挨拶を返す。
「その、昨日はごめんね?」
「いや、いいって。……その感じだと大丈夫そうだな」
安堵する。どうやら闇寿司のブレーダーたちに拉致された件はそこまで大きく尾を引いてはいないらしい。
「おかげさまで。だからユウキくん、やっぱりスシブレード部行こうよ! きみの才能は活かさなきゃもったいないって! 必殺転技まで出せるなら即戦力間違いなしだもん!」
「嫌だってば」
「じゃあけ──」
「稽古もつけない。スシブレードはやらない。海産物嫌いなんだよ」
食い気味に遮って、断る。先日もしたやりとりが繰り返された。
「でも私のこと守るときは戦ってくれたじゃん」
「あれは緊急事態だった。それとこれとは話が違う」
「むぅ……でも珍しいよね、今どきスシブレード嫌いなんて」
日本が本場なのもあって、今となってはスシブレードは国民的人気を誇るスポーツである。近年ではその熱狂の波は日本に留まることなく、世界各地でスシブレードの強豪が生まれるまでになった。事実国際大会も開かれている。その人気はかつてスシブレーダーだったユウキも認めるところだ。
「……俺はお前たちとは違う。誰もが純粋にスシブレードを楽しめるわけじゃないし、無邪気に夢や希望を見れない奴だっている。わかったら俺には関わるな。ほら、授業始まるぞ。席に戻れ」
しかし、事はそう単純ではない。ユウキの声音に滲んだそんな反駁を察したのか、クラスメイトはおとなしく席に戻った。
作戦決行は、今夜。
「くじらちゃん、良かったの? ……その、彼を巻き込んで」
ユウキを迎えに出る前。潜入先となる企業研究所の間取り図を受け取りながら、コタロウは妹のクジラに問いかけた。
「元々彼は闇寿司との戦いに巻き込まれていた。何か問題が?」
「いや、でも……潜入調査まで行かせるのは」
「兄は人を見る目がおかしい時がある。ユウキはこちら側だよ、兄。あれは既に踏み外している人間の目。いまさら危険行為の1つや2つを気にする境遇にはない。と、くじらは判断した」
渋る兄に、白乃瀬クジラは淡々と説得する。一見無表情に見える妹の顔を見て、コタロウは呆れられていることを察知した。
妙に戦い慣れた振る舞い。土壇場での思い切りの良さ。異常事態に対する呑み込みの速さ。情報の監視を生業とする妹の観察対象に上がってから密かに見ていたユウキの戦いぶりを思い返し、確かにただの一般人ではないだろうと、コタロウの中で今更腑に落ちる。
「それに多分……行かせてやったほうが、彼にとってもいい」
「ここだ」
夜中。コタロウのバイクで訪れたネオ・ダイバシティ外れにある研究所。点在する海産物の研究施設のうち1つのそばで、バイクが停まった。
「うーん、警備の人がいる。アナログ併用か。くじらちゃんは何も言ってなかったけど、どうするか……とりあえず、塀を乗り越えるとして」
「え、えぇ?」
「警報機の類はくじらちゃんが無効化してくれているから、大丈夫。あとは入ってみてから考えるしかないけど」
入り口には警備員が立っているし、周囲はかなり高い塀で囲まれている。流石は企業付きの研究所といったところだろう。
その厳重な見た目を前にして、コタロウはあまりにも自然な口調でそう言い切って、悠々と塀に向かって歩き出す。
「いや、なんか『できたらやる』みたいな感じだったしそこまで信用するのはどうかと……」
「いやいや。くじらちゃんはできないことはきっぱりできないと言う子だよ。くじらちゃんがやると言った以上信用して問題ない」
「……乗り越えるったって、どうやって」
「うん? こうだけど」
「えっ、ちょっと」
掴まる所も無さそうな塀に、楕円状の黒い何かが突き刺さった。コタロウが投げたのであろうそれらに手足をかけ、コタロウは悠々と登っていく。
「手裏剣、いや、これは……?」
「知り合いの、双子の忍者から習ったんだ。お米を圧縮して作った手裏剣だよ。それも立派な寿司だから、強度は心配しなくていい。放っておくと寿司のモナドが無くなって自動で崩壊してくれるのもメリットかな」
促されるままに真似て掴んだそれが、壁に突き刺さる硬度から予測されるのに反して有機物のような感触を返してきたことに戸惑って声を上げた。
慣れている、というにはあまりにも平然とした説明に面食らいながらも、きっとそういう性格の人なんだ、と納得して、なんとか壁を登り、コタロウの後を追って侵入する。
「……生臭い」
「研究で実際に魚を使っているのかも。さすがは一流企業"波浪寿司"の研究所だ、検体も新鮮でいいものを使っているんだろうね。それにどんな意味があるかまではわからないけど」
ハッカー・白乃瀬クジラ謹製の万能電子鍵で扉を開け屋内へ這入ると、生臭い臭気が2人を出迎えた。
『ラッシャッセー!』
「……ッ!?」
『コンバット・モード、オマチッ!』
「うわっ」
しかしユウキたちを出迎えたのは臭気だけではない。機械質の音声とともに、突如、寿司が空気を切り裂いて飛んできた。
「ロボット……!?」
「スタンドアロンの警備システムくらいあるよね、そりゃ」
非常灯だけが視界を照らす暗闇の中、赤いアイカメラの光が揺れていた。ユウキたちの行く手を阻むように、警備ロボットが2体、両腕を構えながら近づいてくる。
『オマチッ!』『オマチッ!』『オマチッ!』『オマチッ!』
「くっ……そ! あのミニマムボディのどこにあんな米積んでんだよ……!」
「えいっ……!」
ロボットの両腕から襲いくるシャリの弾幕。悪態をつきながら躱したユウキの横で、射線を避けながらコタロウが手裏剣を放つ。
『『オアイソッ!』』
「よし」
2基の手裏剣はロボットの急所を打ち抜き、ロボたちは威勢のいい声を上げながら爆散した。
──しかし、油断大敵。
『イタダキッ!』
「危ないっ!」
暗闇に潜んでいた3体目が撃ち出したシャリの射線上にいたコタロウを、ユウキが咄嗟に引き戻した。
そしてシャリをかすめるように躱して、サバイバーをクイックドロウ。
『オアイソッ!』
爆散。
張り詰めた一瞬の中で放たれた寿司は、しっかりとロボットのコアを撃ち抜いた。
「ありがとう、助かったよ」
「いいって。共犯の仲だろ」
「とにかく急ごう。なんだかきな臭くなってきた」
潜入調査はまだ渦中。
【B part】
「商品開発部。そのラボに外観から予測される間取りと図面上のそれとの間にズレがある。僕とくじらちゃんは、何かあるならここだと思ってる」
「ここに、情報が……」
「イラッシャイ」
『商品開発部』と表示された扉を万能電子鍵で開けて、つばを飲んで部屋に這入ったユウキたちを人の声が出迎える。
「ワタシ、"人取り熊グリズリー"と呼ばれてます。貴方たち捕まえるため待ってました」
「っ、ハメられた……!」
「まずいな……ユウキくん。逃げ──」
──釣られた、とユウキは理解する。後ろで扉のロックが閉まる音が聞こえた。
部屋の電気がついて、眩しさに一瞬顔をしかめる。ユウキは相対した声の主を睨んだ。
浅黒い肌の女が、灰色のパーカーを着て立っている。
「──るのは無理か」
下手を打った。手裏剣はもう切らしているし、ユウキのサバイバーも爆発に巻き込まれて未回収のままだ。この状況では、2人に致命的な不利がある。コタロウの頭は既に口先でその場をやり過ごすための交渉札を整理し始めていた。
「意外。随分若い人ですね」
「……そこを退け」
しかしユウキは強気に前へ出た。真実の一歩手前に来てすごすご引き下がるようならば、そもそもはじめからこの場には来ていない。
ただで釣られたわけではない。ここで待ち伏せるということは、この部屋が真にユウキたちが目指すべき場所だったという情報に換言できるのだから。退路を断たれたのなら、前方を切り開くだけである。
「仕事だから、通すわけいかない。ゴメンナサイ」
「なら」
外国語訛りの日本語で、ユウキの言葉を退ける。
ならば、実力行使も辞さない。ランチャーをグリズリーに向けて構えた。
(サバイバーはあそこで射出したきりだから……そうか。じゃあ──)
今ユウキの手元にサバイバーは無い──ハッタリか。時間を稼いでいる間に、万能鍵で扉を開けてしまおうか──そう考えて退こうとしたコタロウの表情が、驚愕の色に染まる。
「サバイバー!?」
「……いま投影にぎった」
ユウキの持つ箸に、サバイバーが番えられていた。
酢飯投影。宙空からスシブレードを作り出す技術。寿司によく通じたスシブレーダーならば、目の前に寿司がなくとも確かに寿司の像を描き出せる──自転車に乗るとき「自転車に乗る」としか意識しないように、寿司を握るのに必要なのは「寿司を握る」という意思ひとつ。強固に完成された寿司のモナドは空気中の酢飯成分を凝結させ実体を成す。極まったレシピの前には、調理などという手順はあってもなくても同じもの。──伝説級のブレーダーは、構成要素に酢飯を含まないラーメンさえをも投影してみせたという。
寿司屋や海産物倉庫といった空間酢飯濃度の高い場所限定で成り立つ業ではあるが、この研究所も例に漏れず生臭い。ユウキたちが破壊したロボの物理法則を無視するかのごとき連射性能は、ひとえにこの技術によってのものだった。
「投影? やりますね。でもホントはワタシ子供と戦うのイヤです。引き返してください。見逃してあげます」
「うるさい。そこをどくか、これを食らうか」
「仕方ないです──じゃあ」
「「3、2、1、へいらっしゃい!」」
掛け声と同時に2個のスシブレードが射出され、ぶつかり合う。
「ワタシの『グラビティ・オイナリス』は鉄壁です。並みの寿司、攻撃通りません」
「ちぃっ……!」
果敢に攻めるサバイバーの攻撃は、グリズリーのいなり寿司──『グラビティ・オイナリス』には通じていない。オイナリスにぶつかっては、少しも姿勢を傾かせることなく弾かれていく。
「ディフェンスタイプかな」
コタロウの分析は正しい。スシブレードの世界ではいなり寿司は元来防御力に秀でることで知られてきた。厚いお揚げの壁もさることながら、その本質的な特性は体積の9割以上をシャリが占めることにある──重いのだ、いなり寿司は。さらにグリズリーのいなり寿司はシャリを過積載するカスタムが施されていた。故にその名をグラビティ。オイナリスだけ地から受けている重力が違うのではないかとまで思わせる堅牢な足回りと合わせて、グリズリーのいなり寿司は地元でそう呼ばれていた。
「サバイバー!」
「無駄です。アナタの攻撃は効いてないです」
シャリにぶつかる前にお揚げによって衝撃を吸収されてしまう。これも厄介だ。ソフト&ハード、異なる材質が折り重なることによって生まれる防御力は建築力学的見地からも隙がない。
しかし、ユウキは攻め続けた。
(小刻みに攻め続けて持久力を削いでいく戦法なのかな。だけどあのいなり寿司の回転は衰えていないような)
「ヒット&アウェイも意味ないです。オイナリス、無敵です」
オイナリスのもう一つの特性、それはお揚げから滲み出る油である。シャリに浸透した油は潤滑剤となり、スシブレードの回転を伸ばし続ける。持久力と防御力を高い次元で両立した黄土色の壁が、サバイバーの前に立ちはだかっていた。
(必殺転技……『鯖 寿 司 未 敗 撃サバイバー・リバイバルアタック』だっけ、あれを出せればいいかもなんだけど)
確かに、必殺転技ならばオイナリスにも通じるかもしれない。だがオイナリスはディフェンスタイプ──カウンター攻撃であるリバイバルアタックは、攻撃を仕掛けずその場でどっしり構える戦法のオイナリス相手では繰り出すチャンスがない。
「アナタの投影とても上手い。きっとスシブレードの実力すごくある。未来、明るい。なのにどうしてこんな泥棒みたいなことする?」
「……好きで投影が上手いわけじゃない」
突如、グリズリーが話し出す。
「ワタシ、スシブレードの人たちに傭兵として雇ってもらって生活してます。だから人のこと言えないけど、スシブレード使ってヤクザなことするの良くないです。引き返してください」
「どの口が……!」
サバイバーは攻め続ける。手を変え品を変えオイナリスに激突を繰り返すサバイバーとユウキを、グリズリーは悲しげな目で見据えた。
「ワタシの故郷の人みんな寿司食べます。だからスシブレードも人気でした。ワタシもその1人。ワタシ、故郷で一番強いブレーダーでした。世界で一番のブレーダーになるの夢でした。だからニホンに来ました」
「あ?」
オイナリスがサバイバーを弾き返す。グリズリーはユウキに語りかけ続けた。
「でもダメでした。さすがニホン、スシブレードの本場です。ニホンのブレーダーはとても強かった。ワタシ井の中の蛙でした。ニホンのプロには手も足も出ませんでした。アマチュアにもワタシより強い人沢山いました。ワタシ夢破れました」
「……何が言いたい?」
グリズリーは、ユウキに訴えかけていた。しかしユウキは持久切れでサバイバーの回転が止まるのを待っているのだと読んで、攻撃を続ける。
「でもワタシ日本で子供できました。夢叶わなくても幸せでした。生活苦しかったけど、子供のためなら平気でした。ワタシ、スシブレードで悪いスシブレーダーの人倒します。ブレーダーじゃない人も倒します。危ない仕事です。きっとニホンのおまわりさんに見つかったらダメな仕事してるのはわかってます。だけどそれは子供のためです。子供のためならいくらでも強くなれました。……子供には危ないことしてほしくない。明るい世界で生きてほしいです」
「だから?」
言い返す。だがサバイバーはまだオイナリスを突破できていない。
「アナタも一緒です。アナタまだ若い。ニホンは豊かでいい国です。こんな危険なことじゃなくて、楽しいこと沢山あります。どうか普通の生活をしてください。まだ引き返せるはずです」
「……話はそれで終わりか」
場が、静まり返った。周期的に、サバイバーがオイナリスにぶつかる音だけが響く。
(よくわからないけど……逃してもらえるなら、ここが潮時だ)
コタロウは、頭の中で撤退のルートを思い描いた。コタロウたちが犯しているリスクのうち最悪のものは誰かに見つかって身柄を捕縛されることだ。体力はある方とは言えコタロウに脱獄術の心得はないし、物理的に囚われては妹のハッキング能力も頼れない。そして警察に突き出されでもしたら即座に詰みだ──コタロウたち兄妹の余罪は、まぁまぁある。
いま直面している危機は最悪のシナリオにかなり近い。グリズリーは依然倒せそうにない。僥倖にも見逃してもらえるというなら、逃げるべきだ。
「──ふざけるな」
「ユウキくん?」
しかし、ユウキの様子がおかしい。合理的には逃げるべき局面であるにも関わらず、引く気配がない。
静寂を切り裂いて、怒気を孕んだ呟きが漏れた。
「『引き返せ』? 『普通の生活をしろ』? 知るか。お前に俺の何がわかる……ッ!」
「……ッ!?」
グリズリーの説得はユウキの琴線に触れていた。正しくは──琴線というよりは、逆鱗に。
サバイバーの激突が、勢いを増していく。
「できたらやってるさ、俺だって! だけど無理だったんだよ、グリズリー……俺の人生はとっくに狂っている!」
「……くじらちゃんの目は確か、か」
──「ユウキはこちら側だよ、兄。あれは既に踏み外している人間の目」
そう語っていた妹の言葉と、そして過去にアニキ分を失った事件について探るためここまで戦ってきたコタロウ自身の経験が、確かにユウキはもう戻れない人間なのだろうと教えていた。
「……何があったというんですか、その若い人生で」
「6年前、6年前だ。6年前のジュニア・スシブレード大会関東ブロック決勝トーナメントで起きた事故、あの事故に巻き込まれて、俺の人生はめちゃくちゃになった! あの頃の俺にとって、スシブレードは生活の全てだった。夢と希望だった。あの事故で、それは潰えた──俺の半生は失われたままだ! 無いんだよ、明るい未来や普通の生活なんて。他人を信じることも、明るい未来を夢見ることも、できやしない……俺の人生はあそこで狂ったまま、今もメチャクチャだ。それでも今更引き返せるって言うのか!? なあ!?」
6年前の惨劇。それこそがユウキの経験したターニングポイントであり、ユウキがスシブレードをやめた原因でもある──過去に巻き込まれた事故は、未だユウキの人生に暗い影を落としていた。今更その過去を、今も続く苦しみを、綺麗に忘れて生きていけと言うのか。
使い手の激昂に応じるように、サバイバーが猛る。
「……そんなことが」
「そして今度は闇寿司だ! わけもわからないうちに奴らとの戦いに巻き込まれた! だから俺は知らなきゃならない、お前が守ってる扉の向こうにある情報を、なぜ俺の持つサバイバーが狙われるのか、そもそもこいつは何なのかを! ここで退くわけにはいかない──!」
ユウキが吠えた。それに同期してサバイバーがオイナリスに突撃する。
「ッ!?」
「いなりの体勢が」
──オイナリスが、揺らいだ。
いままで箸にも棒にもかからなかったサバイバーの攻撃が、オイナリスの姿勢を崩した。
「何が……っ!?」
回転は衰えていない。何かバトルに干渉するような要素はこの研究室には存在しない。では何故──
「あ、振動だ」
コタロウは得心する。ユウキが攻撃を続けていたのは、ただの無策でなかった。
周期的に激突を繰り返すことでオイナリスのボディに与える振動を増幅し続け、ユウキの激昂に伴ってぶつかっては離れする距離とスピードを引き上げ激突の威力を増し、サバイバーはいま確かにその重体を揺さぶってみせたのだ。
「退け、グリズリー! お前の後ろに用がある──!」
「クッ……!」
崩された体勢を整えようとするオイナリスを目前に、サバイバーは加速する。来ないなら、こちらから行けばいい。
敵からの攻撃で弾き飛ばされた反動に乗じて加速し、一撃を叩き込むのがサバイバーの必殺転技・リバイバルアタック──然るにサバイバー最大の武器はその瞬発力。ヒット&アウェイ戦法を可能にする機動力を一瞬、一点に集中して解き放つことができるなら、隙がある今なら、どんな壁でも目ではない。
「ぶち抜け、『鯖 鱗 一 閃サバイバー・フラッシュムーブ・アタック』!」
そして今、あらゆる要素がサバイバーにとって追い風となる──サバイバーの衝突によりフィールドに散ったお揚げの油が潤滑剤となり、サバイバーの加速を助けていた。加速したサバイバーが、青い光の筋となってグラビティ・オイナリスを穿つ。
「キャァアアアアアアアアアア!」
最後に加えられた最大の衝撃が振動として伝わり、オイナリスのキャパシティを超過した。
崩壊による勝利バースト・フィニッシュ。スシブレードのルールとして定められた勝利の形の1つ──ルールとして定めるまでもなく片方の戦闘不能を告げる決着。グラビティ・オイナリスが砕け散り、いくつかの破片がグリズリーを直撃した。
「ウゥ……」
「あんたに恨みはないが、グリズリー……俺はやらなきゃいけない。行こう。目的地はすぐそこだ」
うずくまるグリズリーを見下ろしてから、その奥、彼女が守っていた扉──図面上存在しないはずの部屋へ繋がる扉へ足を進める。
「──開いた。それじゃあ、真実を確かめようか」
電子錠をかざし、ロックが開く。求めていた真実は目の前に。
【C part】
ユウキたちが扉の向こうに消えてから、グリズリーは気を失っていた。
隠し扉を開ける2人の背中の次にグリズリーが認識したのは、正規の扉が開く駆動音とコツンという足音。
「ダメではないですか、侵入を許してしまっては。仕事はきちんとしていただかないと我々としても困るのですよ」
「カ、カリギュラさん……!」
暗闇からぬっと現れたスーツの男が、這いつくばるグリズリーを見下ろす。
「グリズリーさん、貴方の腕は信用していたのですがね……残念です」
「ゴ、ゴメンナサイ……どうか勘弁ください……! 」
「しかしねぇ。私も鬼ではないのですが、こればかりは我々の組織に関わることですから。どうか恨まないでいただきたい」
物腰柔らかな物言いとは裏腹に全身から発せられる威圧感に当てられて身動きの取れないグリズリーに、"カリギュラ"と呼ばれた男が手を伸ばす。
「おやおや。ダメじゃないですか、負けた寿司は残さず食べないと。仕方ないですねぇ、私が食べさせてあげますよ。ほら、口を開けなさい。はい、あーん──」
「イ、イヤァアアアアアアア!」
悲鳴が、響き渡った。
SPIN-04「闇寿司の脅威!"ペーパーナイフ"のカリギュラ、襲来!」
2人の前に忍び寄る不穏な影。6年前の悲劇、闇寿司との因縁がユウキを戦いに駆り立てる。
【アバンタイトル】
「『新生スシブレード実験』?」
「この部屋にある資料は全部、それに関係してるみたいだね」
グリズリーが守っていた部屋を漁り、手に取った資料をめくる。
持ち去るにしろ、情報だけ頭の中に入れるにしろ、内容を精査する必要があった。
「あった……『成果物』?」
パラパラとめくっていた資料の中に「鯖寿司」の文字列を見つけ、見出しまで遡って読み上げる。
「『鯖寿司: ネオダイバ・スシブレードスタジアムから回収したデータを握った概念を元に作成。この寿司を基幹資料として研究及び開発を行う』?」
「おい、待って、ネオダイバスタジアムって言った?」
「うん。そう書いてあるけど……」
「ッ……!」
ユウキが顔色を変えて資料を捲りだす。
「どうしたの急に」
「6年前……!」
書面のある字に視線が留まり、ユウキの目が見開かれる。
実験計画に示された日時。それは、ユウキにとって心当たりのある日付を示していた──6年前。
「どういうことだよ……6年前の事故まで関係あるってのか!?」
「それって……」
「──ネオダイバ・スシブレードスタジアム……6年前に俺たちが事故に巻き込まれた場所だ」
【A part】
──「イ、イヤァアアアアアアア!」
「うわっ」
「何が!?」
資料室の外の異変を察知して、ユウキたちは駆け出した。
「ッ……!」
「──おや、あなたは……知っていますよ。白乃瀬コタロウ」
「誰ですか?」
グリズリーが、口いっぱいに酢飯を詰め込まれて倒れている。
そして、隠された資料室から出てきたユウキたちを、眼鏡の向こうから睥睨する視線。黒いスーツの男が、コタロウたちを一瞥して、不敵に笑って立っていた。
「侵入者が貴方たちで助かりましたよ。身内の犯行かとも思ったものですから。やれやれ、使えないフリーランスを雇う必要もありませんでしたねぇ」
「……僕のことを知っている人はそう多くない。妹と違って、僕は普通の人間なんです。友達だって100人いるかどうか……富士山のてっぺんでおにぎり食べてみたわけではありませんが、まぁまず間違いなく3桁は切るでしょうね。特に有名というわけではないはずだ。だから、僕のことを知っているとなればそれはスシブレードの世界にはびこる何かでしかないはずです」
警戒しつつ、舌戦は続く。
この状況はマズい、輪をかけてマズい。この男は相当なやり手である──ポーカーフェイスなのか天然なのかはわからないがフラットな喋りを続けるコタロウに反して、ユウキはその威圧感を敏感に感じ取っていた。
「おっと、相変わらず自分のペースを崩しませんね。聞いていた通りで助かりますよぉ。貴方が私を知らずとも私は貴方を知っています。なぜなら私は闇寿司四包丁が1人"ペーパーナイフ"のカリギュラ。闇寿司内の情報管理を任されている身ですので。なので、えぇ、貴方と戦い貴方のもとに下った双子の姉妹たちの顛末もしっかりと知っていますとも」
「──闇寿司……!」
名乗りを上げた闇寿司四包丁"ペーパーナイフ"──黒いスーツを着たカリギュラという男を、ユウキは睨んだ。
「どうして闇寿司の人がここにいるんです? 僕らが言うのもなんですが、ここは私企業の研究施設なはずです。そりゃ、食品産業界でスシブレードと関わらずにいるのは無理でしょうし、闇寿司とも交流があったっておかしくはないですが、いくらなんでも介入が過ぎませんか」
「おや、気付いていませんでしたか。とっくに割れているものかと思いましたが。闇は身近なところに潜んでいるのですよ、白鯨の兄よ」
「……あのロボット、そういうことか……思ったより深く根を張っていますね」
コタロウの脳裏で、点と点が徐々に繋がりつつあった。
妹のクジラがハッキングできない資料室、あの警備ロボット。今どきスタンドアロンで情報を管理し、寿司を兵器運用するような勢力に心当たりは1つしかない。
「出入りしていた闇寿司は、飼っていたわけじゃないんですね」
「……どういうことだよ」
「つまりこの波浪寿司自体が闇の温床だったというわけですね?」
「おや、バレてしまいましたか。ヒントをあげすぎましたかねぇ」
回転寿司業界の覇権企業・波浪寿司ともなれば闇寿司と利用し利用されの関係にあってもおかしくはないというのが事情通の間での共通認識だったが、事はそんな規模では無いらしい。スシブレード業界において大きな地位を占める企業それ自体が、スシブレードの闇を作り出す要素だった。
くっくっと笑いながら、カリギュラは眼鏡を押し上げた。照明の光が、レンズに反射する。
「ですがどの道一緒です。いずれにせよ貴方たちはお2人ともここで精神を酢飯に漬けて差し上げますので。泥棒猫にはキツいお仕置きをせよと江戸の代より言いますからねぇ」
「……ここで僕らを捕らえても無駄ですよ。既にあの資料室の情報は妹のもとに送ってあります。推察するに、あの情報はばら撒かれたら困るんじゃないですか? あなた達は」
「けれどそれは同時に貴方がた兄妹の身を危険に晒すことになるはずですがねぇ。たった2人で我々闇寿司と戦うのは無謀というものではないですか?」
「3人だ。俺もいる」
ユウキが、名乗りを上げた。
鬼気迫る姿がカリギュラのレンズに反射する。闇寿司を倒し、確かめなければならないことがある。ユウキの顔貌はその意思を表していた。
「聞きたいこともあるしな……答えてもらおうか、闇寿司! 俺と戦え、今、この場で。お前を倒して知ってること全部話してもらう!」
「おや……おやおやぁ? その寿司は……なるほど、そういうことでしたか。でしたら都合がよろしい。魚が自分から網にかかってくれるとは。いいでしょう、ここでスシブレードの闇に呑まれてください」
ランチャーを構えて迫るユウキのサバイバーを見て、カリギュラは口の端を吊り上げる。
寿司狩りの獲物が、自ら闇寿司の膝下にまで現れた。双方またとないチャンス──ここでぶつかり合う以外の選択肢は無い。
カリギュラが、いつの間にかどこからともなく取り出したランチャーを構える。
「猫なのか魚なのかはっきりしろ──」
「では──」
「「3、2、1、へいらっしゃい!」」
「あれは……小籠包」
「寿司どころか寿司屋のサイドメニューでも何でもねぇじゃねえか、ふざけてんのか……!」
サバイバーが相対しているのは、小籠包。寿司はおろか、百歩譲って寿司と一緒にメニューに並ぶ品ですらない。いくらなんでも寿司とは言い難い異形の敵を前に、2人は慄く。
「ええ……私もいい加減スシブレードに本気になるような歳ではないのでねぇ。私のような中年サラリーマンからしてみれば、本気でスポーツなどとてもとても」
仕事ついでにたまの気晴らしで回すくらいですねぇ、とカリギュラは眼鏡を直しながら言った。
「お前それでもスシブレーダーか!?」
「おや、頭の悪い坊やですねぇ。闇寿司は何もただの無法なスシブレーダー集団ではないと言っていますのに。私は下っ端の粗忽者たちとは違うのですよ」
「誰が馬鹿だって……!」
闇寿司。それは決してただスシブレードを使うヤンキーの集団ではない。スシブレードを使い無法をなすという点においてはユウキの理解は正確だが、しかしその実態はより複雑だ。例えば海産資源の奪い合い、例えば取引相手の脅迫、例えば同業他社の妨害、例えば……市場競争に勝つためなら何でもする。闇寿司は勝つためなら何でもするブレーダーたちの集まりであり、それは資本主義市場にスタジアムを移しても変わらない。そして目の前のカリギュラはその組織の幹部格──"四包丁"の1人である。
「ユウキくん、落ち着いて。小籠包なら下手に攻めるのは悪手だ……あの皮の中にはアツアツの肉汁が閉じ込められているはず。攻撃するとその瞬間に皮が破けてもろに食らうかもしれない」
「くっ……!」
コタロウの制止を受け、突撃しようとしていたサバイバーが急停止した。
鮮度が命のスシブレードでは、熱量を伴う攻撃は最上の脅威である。使い手のカリギュラ自身おふざけと言ってはいるが、その実彼の小籠包は合理的に強い。
「コタロウさんは賢いですねぇ。その通り、私の小籠包は触れれば弾ける爆弾のようなものです。攻撃するのは賢い選択とは言えません。さぁ、どうします?」
くく、とカリギュラの笑い声が低く響く。
サバイバーはやり場なさげに小籠包の周囲を回り続けていた。
「せっかくですしお話でもしましょうか、少年。知りたいことがあるとか言っていましたねぇ?」
「あぁ!?」
「どうせあなたは闇寿司の前に屈するのですから、その前の尋問のようなものです。身構えることはありませんよ」
「てめぇ……ナメるのもいい加減に……!」
攻めあぐねるサバイバーを一瞥して、カリギュラが笑う。
「おやおや、不興を買ってしまいましたかねぇ。しかし、我々を敵に回してまで一体貴方は何がしたいのです? 白乃瀬コタロウの協力者に貴方のような子供はいなかったはず。何をしに来たのですか? その若さで企業スパイというわけでもないでしょう」
「……ユウキくん」
コタロウがユウキに視線を送った。引き出せる情報は引き出しておこうという魂胆のようだ。それはカリギュラも同じなのだろうが。
視線を受け、ユウキは渋々口を開く。
「このサバイバーの出処を確かめに来た……こいつは何なんだ? お前たちはなぜサバイバーを狙うんだ? 新生スシブレード実験とは何だ? 6年前のあの事故と何の関係がある?」
「6年前? そうか、貴方……何という偶然でしょう。いや、あるいは運命と言うべきかもしれませんねぇ」
飛び出した単語に、カリギュラが食いついた。興味深そうな面持ちでひとしきり納得し、そしてある1つの真実を告げる。
「まず初めに1つお教えしましょうか。そのスシブレードはサバイバーではありませんよ」
「は?」
告げられた真実に、ユウキの口から反射的に声が漏れる。
「サバイバーじゃない? 馬鹿言うな! この鯖寿司が6年前のあのスタジアムから生まれたなら、名前はサバイバー以外にあるもんか──だってあいつがそう呼んだんだぞ!」
「その寿司はベースこそ鯖寿司ですが中身はまるで別物……あらゆる既存の寿司とは一線を画します。故に、我々は便宜的に『サバイバー′ダッシュ』と呼んでいました」
「『サバイバー′』……」
「残念ながら失敗作です。商品として企画することもできず、私たちはその寿司を封印しました。だからこその別称、識別名。ただ検体としてだけ保管されていたその寿司は、しかしある日貴方が手にすることになりました…ご存知の通りに。その寿司はそもそも私たちの所有物ですよ。取り返そうとするのも筋ではありませんか?」
明かされた名前。サバイバーの後ろに付く識別子──それが何を意味するのか。ユウキは考える。
「失敗作だと……?」
「自分で使っていてわからないのですか? その寿司は……とても売り物にできるような代物ではありませんよ」
「だったら……だったらさ……」
俯くユウキの顔に影が落ちる。絞り出された言葉と反して、ユウキの表情は見えない。
「こいつがお前らが作り出したモンだって、6年前のあのスタジアムから生まれたって……そして挙げ句に失敗作だって言うなら……だったらあの事故は何だったんだ! どうして俺たちはあのスタジアムに閉じ込められ、奪われなければいけなかった!?」
彼の見た地獄がサバイバー′として実を結び──そしてそれが失敗作と断されたなら、彼が巻き込まれた地獄は一体何の価値があったのか。サバイバー′が生み出された実験に、あの事故が関わっていて、それを主導したのが闇寿司なら、必然、あの事故も闇寿司が企図したものなのではないか。
──だとしたら、せめてそれを知りたい。
ユウキのそんな嘆きを傍目に、コタロウが口を開いた。
「ごめん……君が遭ったという6年前の事故が争点なようだけど、ユウキくん。そもそもその6年前の事故で一体何があったの?」
【B part】
「ネオダイバ記念ジュニア・スシブレード大会決勝トーナメント……俺は6年前、スタジアムが完成した記念で開かれたスシブレード大会の出場者だった」
6年前、お台場の都市改革に片が付き、ネオダイバシティとして生まれ変わった直後のこと。後にスシブレード・プロリーグを構成することになる企業群の出資のもとネオダイバ・スシブレードスタジアムが設立され、その完成記念──および設備機能のテストを兼ねて、スシブレードの大会が開かれた。
決勝まで行けば、真新しいスタジアムの舞台に立てる──そんな触れ込みに駆り立てられた少年少女の中の1人として、当時のユウキは決勝トーナメントに勝ち上がっていた。
しかし、彼を"事故"が襲う。
「ネオダイバスタジアムは、いまスタンダードになってる寿司時空接続型スタジアムの先駆けだ。だけど……あのスタジアムは崩落した。原因は知らない。なぜなら俺たちはあのスタジアムの中に閉じ込められたからだ」
決勝トーナメントに集ったユウキたちは、"事故"によって閉じ込められた。
元来"鮨相撲"という神事に由来する競技であるスシブレードの神聖な勝負の舞台は、そのまま寿司の聖地である──故に、そのスタジアムそれ自体に寿司が宿る。スシブレードのために先鋭化したスタジアムはその特質を備え、スシブレードバトルにおいて寿司やブレーダーのポテンシャルの最大化をもたらすが、しかし同時にスタジアム内が半異次元化する。
事故により、通常の次元から切り離されたスタジアム。それがかつて彼らを閉じ込めた檻だった。
「あの場にいた俺たちは混乱し……必死に外に出ようとした。だけど無駄だった。スタジアムの出口は機能していなかった。俺たちは疲れ切って眠り、目が覚め、そして何も事態が変わっていないことを確認した」
「そんな事故があったなんて、知らなかったな」
「どうやら大きな騒ぎにはなっていなかったらしいけど……そんなこと俺たちには知る由もなかった。俺たちは助けを待ち続けた。そのうち出られるはずと信じて身を寄せ合った」
「『だけど助けは来なかった』。そうですね? ククク、なにせ私たちが邪魔して差し上げましたからねぇ」
「お前ら……!」
「おっと。小籠包──」
「ちぃっ……!」
事態を察知し介入しようとしていた財団やオカルト連合を、しかし闇寿司は撃退していた。明かされた真相に憤慨するも、ユウキの攻撃は封じられている。サバイバー′は、やり場のない回転エネルギーを周遊することに費やし続ける。
「……そうだ。助けは来なかった。そして俺たちは次第に衰弱していった。飢えるっていうのはああいう事かって、あのとき理解したよ。それでも俺たちは耐えた。生きて帰るために耐えた。だけどある1人が他のブレーダーの寿司を奪おうと襲いかかった。3日目のことだ……限界だったんだ、みんな、いつ出られるのか、そもそも生きて帰れるのか……」
「まぁ、自然なことでしょう。10やそこらの子供なんてそんなものです。むしろ賢いと言うべきかもしれませんねぇ」
──「もう、もう限界だ」
──「……どうしたの」
──「……ごめん」
──「ちょっと、何を」
──「うるさい! その寿司をよこせ……!」
──「やめてよ! へ……へいらっしゃい!」
──「いっ、てぇ……!」
──「あ……す、寿司……あいつの……食べられ」
今でもはっきりと思い出せる。目の前で起きたその暴動を。いっときは身を寄せ合った子供たちが、争い始めた瞬間を。
そう──そこからが本当の地獄だった。
「俺たちは奪い合った! 誰もが生き残るために必死だった! 誰かの寿司を奪うために寿司を射出し、奪われないために返り討ちにし続けた! 横取りも、不意打ちも、何でもありだった。食べるためなら何だってした……奪い、奪われ、終いにはただ食料を作り出すためにスシを回し続けた!」
──「へいらっしゃい!」 ──「はっ……ふっ……んぐ」
スシブレードとして成立した寿司は、バトルで負かすかモナドを無効化しない限り食すには能わない。しかし同時に、スシブレードバトルに敗れた寿司は残さず食べなければならない。スシブレードはそういうルールのもと成り立っている。
だが同時に、誰が食べるかについてまでは規定されていない。
相手の寿司を蹴散らし、まだ回り続ける自らの寿司で牽制しながら、負かした相手の寿司を貪る。それが閉じ込められた子供たちの編み出したセオリーだった。
他人から奪い取って食べた寿司の味を、今でも思い出せる。
「幸いあの場にいたブレーダーは全員凄腕だったし、寿司時空と繋がったスタジアムの中では空間中の酢飯は無尽蔵だった……酢飯投影しさえすれば、寿司も、水分も、確保できた」
箸と湯呑、そして寿司。それだけが彼らの囚われたスタジアムでのライフラインだった。寿司時空は無限なる寿司の世界だ──そこと繋がったスタジアムでは、己の寿司を手繰り寄せられる限りにおいて最悪の結果にはなりえない。
「だけど……奪い奪われを繰り返すうちに、寿司は食料でしかなくなった。そうして1人また1人と寿司のモナドを失っていき、最後に立っていたのはたった1人だけだった!」
──「シンコロン……いただきます」 ──「うまい! うまい! うまい……」 ──「寿司なんてただの飯だろうが!」 ──「……あぐ、あぐ……」 ──「帰りたい……もう嫌だ、寿司なんて……!」
自らの寿司を食ったブレーダーを、誰彼構わずただ寿司を食うようになったブレーダーを、もはや寿司の体をなさないまま投影された寿司を貪り食うブレーダーを、泣いてえづきながら寿司を口に詰め込むブレーダーを、忘れてなんかいない。
スシブレードとは、言い換えれば『己の寿司』を練り上げぶつけ合う競技だ。研鑽と研究を重ね、己の信じる最善の寿司を編み出していく過程。それこそがスシブレードの要であり、そこで培われるものが寿司のモナド──『自分だけの寿司』である。畢竟、その結実であるブレーダーたちのスシブレードはそのまま彼らの半身、あるいは、彼らにとって共に時を過ごした人生そのものとさえ言えるかもしれない。
それを、彼らは捨てた。生きるか死ぬかの限界状況下では寿司はただの食品であり、愛着だとか矜持だとか、そういうものは関係なかった。
「俺は終盤まで耐え抜いた……だけど、最後までは持たなかった。最後の1人に負けて心が折れ……自分の寿司をただの食事としてしか見れなくなった」
「…………」
語られた壮絶な過去に、コタロウは口をつぐむ。
サバイバー′が地を蹴る音だけがしばらく響いた。
「俺が倒れ寿司を回せるのが最後の1人になってからすぐのことだ。スタジアムに朝日が登った。空腹と争う声以外で目が醒めたのは久しぶりだった……帰れたんだ、元の世界に。だけど、失われたものは戻らないままだった」
現実の次元から切り離され天気もなにもないあやふやな空間と化したスタジアムに、陽光が差した。それが、解放の合図だった。
少年少女の壮絶な地獄は、ある日唐突に現実へと引き戻された──しかし、彼らの生活がそのまま返ってきたわけでは勿論なかった。心の傷は、未だ癒えない。
「俺は、もう少し我慢していれば、もしかしたらあの寿司あいつを失わずに帰れたのかもしれない……俺は……俺は……!」
──「そんな……! 間に合わなかった……!」
円周状を描いていたサバイバー′の軌道が、ブレる。
ユウキの心にとどめを刺したのはあれほど待ち望んだ外の世界だった。──今もまだ、朝の日差しは嫌いなままだ。
「いやいや、そんなことはありませんよ。トーナメントが終わるのは最終勝者が決した時でしょう。そういうことですよ、少年。貴方は失うべくして失ったのです。残念でしたねぇ。後悔するだけ無駄ですよ」
「ッ──! 闇寿司、お前らどこまで!」
あざ笑うようにカリギュラは告げる。
「全てですよ、その事故……いえ、我々が起こしたのですから『事件』ですね。始まりから終わりまで、全て我々の計画通りでした」
「闇寿司……あなた達に道徳意識とか倫理観は無いんですか?」
「どうでしょうねぇ。くくく……我々は企業法人格ですから。人道的な問答はいささか不得手なのですよ」
カリギュラは不敵な笑みを浮かべ、腕を大きく広げた。
「そろそろ開封の時間です──闇の糧としてここで沈んでもらいましょう!」
「小籠包が」
「ク、ソが……!」
カリギュラが告げると同時、小籠包の皮が小さく裂けた。そしてその中から肉汁が吹き出し、小籠包の周りを周り続けるサバイバー′に水鉄砲のように降りかかる。
「あのですねぇ、坊や。貴方が地獄を見たとして、そんな地獄から生まれたものを、おぞましいとは思わなかったのですか?」
「あン?」
逃げ惑うサバイバー′を弄ぶように肉汁のビームが踊る。カリギュラのペースに、呑まれていた。
「そのサバイバー′は失敗作ですよ、事実として。貴方たちの地獄から生まれようとも、無価値であることに変わりはない。考えたことはありませんか? 寿司のモナドを失ったはずの貴方がなぜそのスシブレードを回せているのか、その理由を」
「っ、それは……」
時間が傷を癒やしたのだとか、経験が活きてなんとか回すくらいはできたとか、そういうことを思わないでもなかったが──それが誤りであることをユウキ自身が知っている。
動揺するユウキを見て、カリギュラは口の端を釣り上げた。
「サバイバー′は、他者の精神を貪り、寿司のモナドを食って強くなる人食いのスシブレードです。いくらなんでもそんなものが出回ってしまえば闇寿司とてたまったものではありませんし、もちろん売り物にもなりません。だからこそ封印していたのに……全く貴方たちは」
奪い合い、貪り、倒れていった幼いブレーダーたち、その悲劇の舞台であるスタジアムのデータから生まれた寿司。地獄の嬰児──サバイバー′の特性は、まさにあの地獄を体現する忌まわしきものだった。
心当たりはある。ユウキが手に取ってすぐに馴染んだのも、あまりにも早い必殺転技の習得も。ユウキの精神に根付き、相対した闇寿司のブレーダーのモナドを食い、サバイバー′のモナドは成長したのだ。
「──ですから、来歴のスキャンダルを知る貴方たちごとここで闇寿司の手に落ちてもらいましょう!」
「だとしても、だとしたら、俺は……」
小籠包から照射される肉汁のビームが勢いを増してサバイバー′に襲いかかる。
ユウキは、サバイバー′を見つめながら小さく呟いた。
「『鯖 鱗 耀サバイバー・フラッシュムーブ』……!」
降りかかる熱線を、躱す。グラビティ・オイナリスを破った必殺転技──超加速からの突撃を転用した高速移動で、射線を切るように動き続ける。
「逃げても無駄ですよぉ?」
「っ……!」
しかし、円周状に周回するサバイバー′とその円心から固定砲台のように肉汁を放つだけの小籠包では、そもそも要求される運動量が違う。
このままではジリ貧──それは誰の目にも明らかだった。
「いや、肉汁には限りがあるはず。つまり、放出しきったその時は」
しかし、コタロウは冷静にも勝機を見出した。
小籠包に内包されている肉汁には、当然物理的な残量の制約がある。──事実、放出され続ける肉汁の勢いが落ち始めていた。
「よし、勢いが死んだ」
「今だ! サバイバー・フラッシュ──」
肉汁が、明確に勢いを失った。この時を待っていた。急加速と方向転換を繰り返しながら肉汁を躱していたサバイバーが、小籠包へ向け青い閃光となり──
「──私が弾切れを計算に入れていないとでも?」
「なに?」
──突撃しようという直前、加速する前のサバイバー′の横腹を、小籠包が叩いた。
「サバイバー!」
吹き飛ばされていくサバイバー′。勝負あったか──?
次話へ続く!
SPIN-05「風を握れ!ライディングバトル、へいらっしゃい!」
カリギュラ撃破! 闇寿司の追手を振り切り、生きて帰ることができるのか!?
【A part】
「サバイバー!」
フラッシュムーブ・アタックの出掛かりにカリギュラの小籠包の攻撃を食らい、サバイバー′が弾き飛ばされる。
「そうか──肉汁が減って軽量化したボディが高速起動のアタックタイプにタイプチェンジしたんだ」
勝つためなら何でもするブレーダーたちの組織・闇寿司の幹部は伊達ではないということ。カリギュラの小籠包は、弾切れごときで戦闘力を失うようなヤワなスシブレードではなかった。
「くく、ふふふ、ははは! 闇に堕ちろぉ! 忌まわしき失敗作と共に!」
「くッ……それでも!」
しかしユウキは諦めない。
こんな条件下で繰り出すべき必殺のカードが、丁度ある。
「『鯖 寿 司 未 敗 撃サバイバー・リバイバルアタック』!」
吹き飛ばされたサバイバー′のシャリが研究室の壁を蹴り、小籠包をめがけ青い閃光となって突き進む!
「魚が自分から網にかかってくれると、本当に助かってしまいますねぇ!」
だが、"ペーパーナイフ"のカリギュラは動じない。
「なッ!?」
肉汁を射出するために切り開かれた小籠包の皮が、大きくめくれてサバイバー′を絡め取った。
ギミックが開陳されればされるほど無駄が無い──闇寿司と関わりのあるコタロウでさえ、これほどまでに厄介な寿司は見たことがない。
「"ペーパーナイフ"の名は飾りではないのですよ。このように、ほら」
「サバイバー……いや、サバイバー′を飲み込んだ? ……これじゃあ回転ができない」
「忌まわしき寿司はここで封印します。くくく、そのまま大人しく果てることですねぇ!」
絡め取られたサバイバー′は回転に巻き込まれて、小籠包の中に閉じ込められた。
閉所に押し込められて回転をせき止められ、サバイバー′が荒ぶる。こうなってはもはや、回転力を失い、カリギュラの言う通りここで果てるのが運命──
「それでも……」
「何?」
「闇寿司、お前たちだけは──!」
しかし、ユウキの瞳は燃えている。
人食い寿司? おぞましいどころかおあつらえ向きだ。
「6年前の事件が、あの地獄がお前らのせいだって言うなら! お前たちがスシブレードの闇だって言うなら! 俺は、お前たちだけは許さない──サバイバー′! 闇寿司を食い散らせ!」
「貴様、小籠包の餡を……!」
サバイバー′が、使い手の声に応じてか、あるいはその本能に従ってか、棒寿司の角張った形状を利用して小籠包の餡を掻き出していく。
闇寿司。ユウキの巻き込まれた6年前の事件が彼らの仕業ならば、その責任が、その報いが、あって然るべきだ──ユウキの怒りは、サバイバー′と同調していく。
「しかし無駄です、小籠包には皮がありますからねぇ! そのまま絡まって終わりでしょうともよぉ!」
「やってやれサバイバー′! そんな網なんか食い千切れ!」
「よし、抜けた!」
ユウキの声と同期して、サバイバー′の回転によって小籠包の皮が破ける。
「──ああっ! けど……!」
「ちっ……!」
自由になったのも束の間、破けた皮がはためく。小籠包を破らしめたサバイバー′の回転は、しかし皮肉にも小籠包の皮を巻き込んでしまった。
回転体に布が巻き込まれる事故はこの現代になっても多発する──いまサバイバー′に起きているのはそのままそれだった。
サバイバー′が大きく重心を崩し、唸る。
「くはは、どうなるかと思いましたが、これでピリオド! 貴方の負けですねぇ!」
「待てよ、まだ追伸が残ってんだろうが──!」
「な──ッ!?」
「これは……」
──サバイバー′が、回転の軸を取り戻す。サバイバー′の回転を阻害していた小籠包の皮が、今度は逆にサバイバー′の回転に持っていかれていた。
「食い尽くせ、サバイバー′!」
「凄い……巻き取った」
コタロウは驚愕する。なんて寿司だ──サバイバー′のボディにぴったりと、小籠包の皮が張り付いていた。纏わりつかれるどころか、反対に纏ってしまった。
小籠包、崩壊バースト。
サバイバー′の回転によって生まれた風圧を受けてカリギュラは尻餅をつく。風圧が収まって──決着。
「俺の勝ちだ、闇寿司」
「く……!」
サバイバー′を拾い上げ、巻き付いた小籠包の皮を引き剥がしながらカリギュラににじり寄る。
「まだ聞いていないことが沢山ある……話してもらおうか」
「お子様が尋問気取りですか……無駄ですよ。私はこれでも闇寿司の人間ですからねぇ、精神防壁は鍛えられているのですよ。そんな不慣れな手付きの脅しではとてもではないですが口を割るなど、くく……」
「こんの……!」
サバイバー′が番えられたランチャーをカリギュラに向けて迫るユウキを、カリギュラがからかった。
それをよそ目に、コタロウが窓の外を見遣る。
「──ユウキくん、そこまでだ。折角のチャンスだけど、ここが敵地の中だってことは忘れちゃいけない。いや、僕もちょっと忘れかけてたけど、尋問までしてる暇はどうやら無さそうだ。向こうの方に車のヘッドライトが見えた。追手だったらあんまり美味しい展開じゃない。撤退だ」
「なんとかして連れてけないか? こいつ」
「そんなマフィアみたいなことしないって……足がバイクだし、それはちょっとできない相談かな」
「っ、でも」
「くじらちゃんに送った情報を精査して何かわかることを期待しよう……本来の目的は十分に達成したんだ。これは経験談だけど、ユウキくん。こういう時引き際を間違えるとズブズブと面倒なことに巻き込まれていくよ。実を言うと僕は今そのせいで身柄をとある漁船に売られそうになっているんだ」
「……わかったよ」
滔々とした語り口の説得に折れて、ランチャーを収めた。気を失ったカリギュラを横目で睨みながら、コタロウの後を追って研究室を後にした。
「"社長"、先遣したカリギュラの寿司反応が消えました」
『間に合わなかったか。仕方ない、カリギュラを回収して事後処理に努めよう』
ネオ・ダイバシティ外れの湾岸道路を、トラックが走る。無線飛び交う車内には2人のブレーダー──いずれも黒い服に身を包んでいた。
「──いいや、そうでもない」
「? 何がですか?」
助手席に座る黒衣に白い仮面の男が、だしぬけに口を挟んだ。
「カリギュラが開いた酢飯路レーンを通じて、イカスミスパゲティを張り巡らせておいた」
高度に極まったスシブレードは時として新たな技能スキルを生み出す。スシブレードは寿司同士だけの戦いではない。技術、知識、モナド、闘争心……ブレーダーがどれだけ真摯に寿司に向き合ってきたかが、勝敗という形で明確に可視化される。故にスシブレーダーは、己自身の研鑽も怠らない。
カリギュラは『開/閉封』のスキルを極めることで、酢飯感応現象を応用した寿司時空工学的瞬間移動法を編み出していた。
カリギュラが研究所へ向かうために開いたワープゲートを用いて、この男はイカスミスパゲティを打ち出し、その麺を操って探査網を築いていたのだ。
「先程かかった。バイクが1台だ。まだそう遠くには行っていない。"バイオン"、追ってくれ。ネオ・ゲートブリッジを渡りきられる前に仕留める」
「……了解しました。追います、社長」
『よろしい。しかしくれぐれも安全運転で』
「わかっていますとも。"御子"様の安全は私が預かります」
バイオンと呼ばれた運転手は、そう言うとアクセルを踏み込み、ハンドルを切った。
「いい機会だ──この手で決着をつける」
「……ええ」
急加速し、窓の外を流れていく夜闇を睨みながら仮面の男は呟いた。
【B part】
ネオ・ダイバシティ郊外と中心部を繋ぐ橋、ネオ・ゲートブリッジ。東京湾の上を走る高速道路の橋梁を、ユウキを後ろに乗せてコタロウのバイクが走っていた。
「来たときも思ったけど、この辺りは交通量が少ないんだな」
「まぁ、なんだかんだ言って未だに交通の中心は旧レインボーブリッジだしね。こんな夜中に新臨海高速走る車なんてそう──いや、いるな」
「っ──!」
突如、ハイビームが2人の視界に差し込み、一塊の影が飛来した。2人めがけて飛んできた寿司を、手に持ったサバイバー′ではたき落とす。
バックミラーに映るのは──トラックと、その荷台の上に立つ人影。
「闇寿司か……!」
「うわっ……と」
続けて進路を塞ぐように頭上を掠めた寿司を、速度を落として避ける。
「回り込まれちゃったな」
「道交法も守らないのか、あいつら……!」
「まぁ基本的に現行犯じゃないと捕まらないしね、危険運転。誰もいない森で倒れた木は音を出さないっていうやつ」
ヘルメットで隠されていながらも、コタロウの顔色は渋い。
トラックに進路を塞がれた──黒いマントに白い仮面のブレーダーが、荷台の上でランチャーを構えている。
追い抜けば背後から寿司が飛んでくるし、そも一瞬でも横並びになればまず間違いなく寿司を食らうだろう。かと言って速度を落とせば逃げ切ることは不可能。状況はデッドロック──逃げ道はない。
「いやいや、流石に洒落にならないんじゃないかなそれは──」
「来るぞ!」
「っ……!」
箸に番えられた寿司がコタロウたちをめがけて射出された。
ハンドルを右に切り、躱す。
確実に殺しに来ている──ユウキが見据えた敵の姿は、さながら死神。夜闇の中、黒いローブの中に白い仮面が浮かび上がっていた。
「まずいな。なんとか切り抜けないと」
次の寿司が飛んでくるのを避けながら、コタロウが呟いた。
「やるしかないか──!」
──「立て、立って戦え。生き延びたければ、戦え」
ユウキが、後部座席で立ち上がった。
「どうする気?」
「迎え撃つ──戦わなきゃ、道は拓けない」
ランチャーを構える。ここで倒れるわけには行かないのだ──しかし。
「っ……風が強い! あの死神野郎、どうやってこんな精度でこっち撃ってきてやがんだ……!」
「あ、そうか。あのマントだ──風を防いでるのかも。さすが闇寿司、やっぱり伊達や酔狂じゃないみたい」
構えたランチャーが、風でブレる。遮るもののない橋の上で、自動機の馬力で進むバイクの上だ。風の抵抗を受けて思うように寿司を射出できそうにはなかった。
「くそ、外した!」
「おっと……!」
ユウキたちを狙う敵の射線にぶつけるようにして寿司を放つも、外れた。飛んでくる寿司と掠めるようにぶつかり、互いの寿司の軌道がわずかに逸れる。
「やっぱり無理だって、別の手段を考えよう」
「いいや、そうでもないさ──空気中の酢飯成分が尽きかけてる。あいつの弾も無尽蔵じゃない!」
いまユウキたちが走っているのは海の上だ。磯風が運ぶ海のエレメントを凝集させて寿司を握ることもできなくはない。しかし、新たに代わりのサバイバー′を投影したことでユウキは確信する。
こちらを狙う敵方も、弾となる寿司は酢飯投影で賄っている。ここまでに撃たれた弾数でここら一帯の酢飯成分はもはや尽きる寸前だ──サバイバー′と、もう1つが関の山。
「次で最後だ。俺も、奴も」
「────」
2人のブレーダーが睨み合う。どちらも最後の一射。ユウキが外せばトラックをどかすことはできず逃げ帰ることは叶わないし、闇寿司が外せばユウキたちを取り逃がすだろう。
横殴りに風が吹いている。この勝負、風を手中に収めたものが勝つ──最適な軌道を、最適なタイミングを、探る。風を握れ。
「ここだ!」
「──!」
突風が吹き、ユウキが先に動いた。前方から受ける風の抵抗と、横から吹き付けた風。それらが打ち消し合い、ユウキの姿勢が完全にブレずに固定される。その一瞬を見逃すこと無く発射されたユウキのサバイバー′が、遅れて反応した敵の元へ飛ぶ──!
「サバイバー′!」
「チィッ!」
サバイバー′を防ぐために打ち出された敵の寿司──鰯の寿司イワシーズだ──とともに、サバイバー′が荷台に着地する。
スシブレードバトルが始まった。
「っ、やっぱり風が邪魔だな……!」
サバイバー′を風に持っていかれないようにしているだけで精一杯だ。積極的に攻勢に出る余裕はない。漫然と、2つの寿司がぶつかり合っていた。
「その程度か。つまらん奴の手に渡ったものだな」
仮面の男が呟く。男のマントが風の抵抗を相殺している以上、彼が射出し、サバイバー′と激突して彼の前に着地した鰯寿司のほうが空力面で有利なのは必然だった。加えて鰯寿司はその切り身の形状からして流線型だ──サバイバー′は、守勢に回っている。
「ここで死ね」
「っ……!?」
ぞわり、と鳥肌が立つ。仮面の男から放たれる殺気が、離れていてなおユウキに伝わった。
「必殺──『ファイナル・ネイル』!」
「必殺転技!? サバイバー・フラッシュ──」
放たれる必殺転技。迎撃しようとフラッシュムーブ・アタックを命ずるも、無駄。最小のストロークで的確に芯を穿つ一撃が、赤黒いオーラを伴ってサバイバー′に打ち込まれた。
「ッ、サバイバー′──!」
弾き飛ばされ、サバイバー′が宙を舞う。
荷台から外にまで飛んでいく鯖のネタが、道路照明に照らされて淡く反射する。
「終わった……」
ヘルメット越しのコタロウの目に、隣の車線に投げ出されていくサバイバー′が映る。終わりだ。負けた──そう確信した瞬間、風が吹いた。
「来た! まだ終わってない!」
「え?」
サバイバー′が、風に煽られる。奇跡が起きた──サバイバー′はまだ死んでいない。
「『鯖 寿 司 未 敗 撃サバイバー・リバイバルアタック』!」
「チッ──! 迎え撃て、『ファイナル・ネイル』!」
突風によって体勢を立て直したサバイバー′が、そのまま風に乗り青い閃光となって荷台の上の鰯寿司に突撃していく──!
しかしそれをまともに食らう相手でもない。サバイバー′の復帰を察知した仮面の男も、必殺転技で対抗する。
鈍い青色の閃光と黒ずんだ赤色のオーラがぶつかり合う。衝撃が風となって伝わった。
「まだだ、俺と戦え、闇寿司!」
「フン、復帰したところで無駄だ」
両者の声は互いに聞こえていない──吹き付ける風と、スシブレードがぶつかり合う音でかき消されている。
「でも……復帰できたけど、結局形勢は変わっていないんじゃ」
「それでもやるしかない。生き残るためには、戦うしかない──!」
劣勢は変わらない。鰯寿司の攻撃に負けないようになんとか張り合っているだけの状況が続く。だがそれでも、ユウキの闘志は萎えていなかった。
生きて帰るための戦い──6年前の地獄で生き残るために重ねたバトル。いまのユウキのスシブレードは事件で囚われていた間に培われたものだ。
だから。
追い詰められたときにこそ、源ユウキの生存戦略スシブレードは本領を発揮する。
「大丈夫。この程度の劣勢、いくらでも覆せる」
鰯寿司の攻撃に打たれながら、ユウキの頭脳はフル回転していた。そして既に、彼の頭脳は1つの心当たりを突き止めている。カリギュラの小籠包による封印──そしてそれを突破したサバイバー′の回転力!
風に吹かれ、体勢を崩すサバイバー′。しかし、サバイバー′は止まらない。
叫ぶ。その技を名付けるのなら──
「必殺転技! 『鯖 裂 風 旋サバイブ・アゲインスト・ウィンド』!」
「何──!?」
体勢を崩したままの回転によって生まれる乱れた空気の流れ。やがてその気流はサバイバー′に吹く風をかき消し、エアーポケットを作り出した。それどころか、風の流れが乱されたことで鰯寿司の回転にさえ影響を及ぼし始めている。鰯の寿司が、ふらついた。
「勝負はここからだ! 行くぞ、サバイバー′!」
風力の面ではいまこの瞬間、条件は互角。ようやく同じステージに立てた。ユウキの攻勢は復活、ここからが本当の戦い!
乱れた風を纏ったサバイバー′が、鰯寿司に向けて突撃していく──
「行け、サバイバー′──」
「ユウキくん、そこまでで十分だ! 僕らの勝ちだよ」
「えっ」
攻撃を開始したサバイバー′に必殺転技を命じようとしたユウキを、コタロウが止めた。
制止と同時、エンジンが唸る。加速によるGを感じると共に、バイクがトラックを追い抜いた。
「出口だ。逃げるだけの時間は稼げたってこと。ここを降りれば市街地だし、追っては来ないはず」
タイムアップ。ネオ・ゲートブリッジを渡りきり、高速道路の出口に差し掛かっていた。
ユウキが敵の寿司を抑えていたおかげで、躊躇なくトラックを抜かして出口へ舵を切ることができていた──2人の勝利だ。生きて帰れる。
「──まだ決着が」
「大丈夫。きっとまた戦うことになるよ。僕たちはどうやら、かなり深い闇に首を突っ込んだみたいだ」
トラックを置き去りにして、出口の標識通りに道を曲がった。
振り返った視界の中で、ユウキは離れていくテールランプを睨んだ。
「申し訳ありません、社長。逃がしました」
『……そうか』
「次があれば必ず仕留める──いつまでも野放しにはしない」
『そうだな。私たちに楯突くというなら、きっとそのうちまた現れるだろう。狩る機会はいくらでもあるはずだ。逃したのは仕方ない。カリギュラの回収を頼む』
「はい」
【C part】
ネオ・ダイバシティの一角にある、あるオフィスでの会話。
「"会長"。昨日ハイウェイで確認された危険運転についてですが」
「この映像……バイクの方は」
映し出されたのは、ユウキたちが波浪寿司の研究所へ向かっていた時、そして闇寿司のトラックとカーチェイスを繰り広げていたときの映像。
「はい。彼らは使えるかと」
「……いいでしょう。使えるものは使う。それもまたスシブレードです」
「承知しました。それでは手配します」
また新たな策謀がユウキの周囲で動き始めていた──
SPIN-06「開催!スシブレード・バトルブレーダーズ!」
回らない寿司協会からの使いが、ユウキたちを新たなバトルの舞台に招く。
【A part】
それは、6年前の記憶。
──「立て、立って戦え。生き延びたければ、戦え」
──「もう……もういいよ。私はもう、戦わない……もう、疲れた」
──「それでもだ。立て。それとも、お前はうずくまったまま死ぬのか」
──「……ッ!」
いつもの声。奪い合うことに疲れ切り、寿司を回すことさえ無くなった子供たちを一人ひとり探し出しては、そう声をかけて回る少年がいた。
立ち上がり、寿司を握る。しかし次の瞬間には返り討ちにされ、もはや寿司とも言えない寿司が地面に転がる音が響く。
それを聞いていた。
そうして、少年のつまらなそうな足音が自分の方に向かってくる。
それを聞いていた。
いつものことだった。
「──ユウキくん! ユウキくんてば!」
「……悪い、何?」
意識が、現在に引き揚げられる。
クラスメイトがユウキのことを呼んでいた。
「なんか凄い怖い人が『源ユウキを出せ』って……ユウキくん、もしかして悪い事した?」
「不良行為を、少々……」
「あー……あはは」
困ったように笑うクラスメイトをよそ目に、考える。
心当たりはあるが……闇寿司が乗り込んでくるにしては堂々としすぎていないか?
しかし、危険運転については現行犯でないと捕まらないらしいし……潜入調査についても、あれは波浪寿司としても表沙汰にしたくない類のもののはずだ。警察は違う……やはり闇寿司か?
考えながら、表に向かう。
「何か御用っすかね?」
「先日の危険運転及び道路の破損について、お話があります。『回らない寿司協会』本部までお願いできますか」
「……え゛」
危険運転の件だった。
ユウキを待っていた強面の黒服たちが伝えたのは、スシブレーダーの総本山・回らない寿司協会からのお呼び出し。
「ん? いや待て、あんたら別に司法とか正常性維持機関とつるんでるわけじゃないよな」
「いいから乗りなさい」
「いった……! いや、だから、待ってって!」
「車出します」
「うむ──源ユウキを確保しました」
『ご苦労さま。そのままお連れして』
「了解」
「待て、おい、待てっつってんだろ!」
「手荒な真似をして申し訳ありません。ようこそ回らない寿司協会へ。会長秘書の山葵山アオイです」
「やぁ、ユウキくん。元気?」
「……どうなってんだよ、これ」
「僕にもさっぱり」
連行された先には、やはりというか当然というか、コタロウの姿もあった。出迎えた秘書風の女の前でこそこそと言葉をかわす。
「会長がお呼びです。全てはそこで説明しますので、ついてきてください。ご案内します」
「……」
「きな臭くなってきたなぁ……」
コタロウにとって偉い人に呼び出されるのも黒服に連行されるのも初めての経験ではないが、スシブレーダーたちを取りまとめる大組織となると話は違う。きな臭い予感を敏感に感じ取っていた。
「会長、お連れしました──会長の『クイーン・スプラウト』様です」
「ようこそ、回らない寿司協会へ。ようこそおいでくださいましたお二方。会長の高市です──クイーンなどと晴れがましいのですが、そう呼ばれてもいます」
会長室へ通される。
会長の椅子に座る女──会長の高市、あるいはクイーン・スプラウトが、威厳ある声で2人を迎えた。
(前会長から変わったのか……まぁ、6年前でもかなりヨボヨボだったしな)
ユウキは、スシブレーダーたちに『クイーン・スプラウト』として知られる眼前の女のことを知らない。彼の現役時代はもう少し年老いた料理評論家を兼職するブレーダーが会長をやっていたはずだが……高市会長が見た目にそこそこ若いところを見るに、代替わりしたのだろう。女性ということは伝説的歴代会長であるマドンナ・リリーと同じマダム寿司の派閥か──そんな検討をつけていく。
実際、高市会長──クイーン・スプラウトはそのポストに似合わず年若い。それはコタロウの目からも見て取れることだった。それにしては随分と威厳がある──ある種の人間が放つ雰囲気を、コタロウは感じていた。
(だけど──)
「……なんか歓迎ムードですね?」
「すみません。危険運転についてはお呼び出しする口実に使わせていただきました。特にお咎めがあるわけではありませんよ」
褒められたことでもありませんが……と続いたが、しかし、呼び出された口実に反して幾分か扱いは丁重だった。
「んだよ、脅かすなよ……」
「重ねて、申し訳ありません。しかし事態は手段を選んでいられない段階まで来ています。どうかお許しを」
「それでは一体何の要件で僕らはここに集められたんですか? といっても思い当たる節は1つか2つしかありませんが」
小さく目を伏せて、クイーン・スプラウトは詫びる。
それを受け止めたうえで、コタロウは質問を重ねた。一体なぜ、何のために、何を急いで2人が呼び出されたのだろう?
「──貴方たちにはこの度開かれるスシブレードの大会……その名も、『スシブレード・バトルブレーダーズ』に出場していただきたいのです」
「は?」「はい?」
2人揃って、疑問符を浮かべる。
「どういうことですか? てっきり僕はスタント大会に出ろとか、それでなくてもせいぜい闇寿司の鎮圧に助力しろとかだと思っていたんですけど」
「スタント大会? ……いえ、闇寿司と戦う上での助力を乞うているのはその通りです。白乃瀬さん」
ユウキが何も言い出せないでいるうちに、コタロウが悠然と言い放った。
「スシブレード・バトルブレーダーズは、今や数あるスシブレードの大会の中でもいささか特殊な大会なのです」
「……アンダーグラウンドってことですか?」
スシブレードが大衆化する以前のスシブレード競技シーンは主に地下競技場で行われる、文字通りアングラなものだった。その文化を継いで、また規定の厳しいプロリーグに反抗して秘密裏に実施される大会は多い。そういった場にスシブレード・プロリーグを運営する回らない寿司協会が介入しては、確かに反発を招くだろうが──
「いえ。確かにそれは一面的には正しいのですが、特別な点はもっと他にあります」
「じゃあ何だって言うんですか?」
「スシブレード・バトルブレーダーズは、先日亡くなったスシブレード創始者──回転寿司屋"勝"の大将、"勝親方"の遺産なのです」
スシブレードを知る者には、その言葉は大きく響く。無言の動揺が場を支配した。
「……勝さん、亡くなってたんですね。確かにだいぶ老けてはいましたが」
「歳には勝てませんからね。だいぶ無茶をなさっていたとも聞きますし……そんな彼が遺した大会が、バトルブレーダーズです。その趣旨はこう──『ただただ純粋に、スシブレードを競い合うこと』」
スシブレード創始者、勝親方。スシブレード界はおろかスポーツ興行界にまで多大なる影響を残した偉人の最後の遺産。それは、スシブレードを競う大会だった。『ただただ純粋に、スシブレードを競い合う』──故に大会の名を"戦う寿司使い達バトルブレーダーズ"。実力勝負、真のスシブレード最強を決める大会というわけだろうか。確かに、勝親方のネームバリューで集まるだろう規模なら実質的に最強のスシブレーダーが決まる大会となるかもしれない。
「スシブレードはもはやアングラスポーツではなくなりました。90年代の間に草の根的な普及が続いていたスシブレードは世紀末のヴェール崩壊と前後して大衆化が始まり、2010年代後半には五輪競技に登録する話が持ち上がるまでに人気を得ていました。実際、4年前のオリンピックで実際に日本、いえ、世界中を沸かせたのはあなた達もご存知でしょう。国内のプロリーグも設立されて5年が経ちます……しかし同時に、歴史を重ねる中で様々なしがらみが生まれてしまったのも真実です」
「まぁ、そういうのはよく聞きますよね。あまり好きではないですけど、しょうがなくはあるんじゃないですか」
野球やサッカーなどのオールド・スポーツの轍を踏み外すことなく、プロリーグを構成するプロスシブレードチームは有名企業群の投資のもと成り立っているし、エンタメ産業につきまとう利権やスシブレード商品の市場争いなど、大衆化したスポーツには付き物と言える厄介事は新しいスポーツであるスシブレードにも生じていた。
「社会の中に文化が生まれれば、その中で経済や政治も生まれます。それはもはや避けられない宿命です──そうでなくとも、スシブレードは元々さまざまな物事が絡みついたものなのですから」
「……鮨相撲」
ユウキが口を開く。ブレーダーとして何度も聞いた話だ。一見意味不明な新興スポーツに見えるスシブレードはしかしその実深い歴史を持つのだと──財団が公開している資料を根拠としてアピールする言説を、過渡期だったからか、現役時代のユウキは幾度となく目にした。
「そうです。スシブレードの前身となる鮨相撲は、江戸時代から既に行われていました。いえ、古く、そして広く遡れば似たような文化はこの国に限らず世界のそこかしこで見つけることができます。財団やGOCによって隠匿されたものも多いでしょうが……何にせよそれらは人々に決闘法として用いられていました。それはスシブレードとして現代仕様に再設計された後でも変わりません。社会に染み付いてしまっているのです、そもそも。大衆化する前は──後もですが──漁業や食品産業の世界では漁場の取り合いに魚市場の競り、スポンサー獲得競争や出店場所の土地……そういったことをスシブレードの勝負によって決していましたから」
古くから存在する決闘法であるスシブレード、あるいはその亜種を取り巻く事情は根が深い。
スシブレードで強いことが時として何にも優る資産となる世界も存在するのだ──それこそ、闇寿司やそれを飼う波浪寿司社がその象徴である。
「勝親方はそういう状況を憂いたのでしょうね。言わずもがな民間企業による利潤獲得競争の一面を持つプロリーグと関係のない──つまりその運営責任者である我々回らない寿司協会の管轄外で、私財をなげうって大会を開くことにしたのです」
「じゃあ僕たちを出場させるのもあんまり良くないんじゃないんですか? そりゃ協会所属のブレーダーを直接派遣するよりはいいかもしれませんけど、大会の趣旨には反するでしょう」
「そうも言っていられません。彼は、彼が開く大会そのものの政治的価値を考慮に入れていませんでした……彼の定めた手順を踏んだときにだけ現れる優勝トロフィー、彼の遺産となる杯、最強のブレーダーだけが手にする栄光。その存在はあまりにも重い。言うなればあれは聖杯なのです」
勝利の頂にて輝けるホーリー・グレイル。スシブレードの開祖・勝親方の遺したトロフィーは、しかし皮肉にもそれ自体がそのレゾンデートルに反して政治的な問題になってしまっていた。
夢と希望を謳うわりに、世知辛いばかりだ──とコタロウはそんなことを思う。
「あれを、他のいかなる勢力の手にも渡すわけには行かないのです。回らない寿司協会──回転する寿司スシブレードを守護する我々がどうしてそれを標榜しているか、わかりますか?」
「ギャグかと思ってました」
「そんなわけないでしょう?」
秘書風の女が、思わず口を挟んだ。
アイコンタクトを送ることでそれを制止して、クイーン・スプラウトは続ける。
「すみません、秘書が」
「あ、いえ。今のは僕がギャグを言ったので、ツッコんでいただけてありがたかったです」
秘書──山葵山アオイが、コタロウを睨む。コタロウは肩をすくめて、視線でクイーンに続きを促した。
「──スシブレードはよく惑星に喩えられますが……回らない寿司協会はその中心にして不動の、絶対的な存在──太陽でなければならないのです」
「そうか、太陽は公転しない」
自転しながら同時にスタジアムを駆け回るという挙動から、スシブレードは惑星に喩えられることが多い──実際、それを汲んで惑星の名を冠する寿司プラネットシリーズも作られている──スシブレードと惑星は、密接な関係にあるのだ。その惑星の中において唯一公転しない星、太陽。太陽系を支配するその星を、スシブレードにとってのそれを、回らない寿司協会は自任している。
「はい。そういうことです。ただでさえ普段から闇寿司などという輩の存在を許しているのですから、なおのこと、ここでは示しをつけなければいけません。我々が権威と求心力を失ってしまえば、然なきだに横暴が幅を利かせ混沌が混沌を呼ぶスシブレードの世界はたちまち"おしまい"となるでしょう」
「ああ、そうだ……話は戻りますが、その闇寿司が一体どう関わってくるのですか?」
話を混ぜ返す。話が収束しつつあるのを感覚的に理解して、本題を改めて問うた。
「スシブレード・バトルブレーダーズのトロフィーは聖杯です。勝親方亡き今、その後継を決めるものは彼の遺したかのトロフィーでしかありえないでしょう」
「つまり、どういう?」
「勝親方が最後に遺したトロフィーにはあまりにも意味が込められすぎています……それを手にした者が『スシブレード』を変えてしまうことさえできるかもしれません」
「あまりにも権威が……影響力が大きすぎるから、ですか?」
「それもありますが、それだけではありません。もっと直接的に、です」
「……?」
首を傾げたコタロウにクイーン・スプラウトが告げる。
「勝親方は鮨相撲をスシブレードへと作り変えました。彼の遺産を、スシブレードの王者を見定めるトロフィーを手にした者は──それと同じことができるかもしれない」
【B part】
「万が一にでも、あれが闇寿司の手に渡ることは避けなければならないのです。闇寿司は混沌を望んでいる──加速主義が無茶を言っていることは既に立証されていますが、しかし自由競争市場における一競技者としては加速し続けるしか無いのです。あれらはその無茶な加速を押し通すでしょう……それを許せば、ここまで積み上げてきたスシブレードが無に帰すかもしれない。何より実際、既に闇寿司は動き出している」
目頭に手を当て、待ってくれと意思表示する。情報が多すぎた。コタロウは考え込む。
要点を整理すると──
「つまり、その大会に闇寿司も出るから止めろってことですね?」
「理解が正確で助かります」
問いかけたコタロウの目に真っ直ぐ視線を返して、クイーンは答える。
「闇寿司の横暴を許すわけにはいきません。その点において貴方がたを見込んでお願いしたいのです。高速道路で戦っていた相手はおそらく闇寿司四包丁において最も謎に包まれた男、"デスサイズ"。あれと渡り合えるブレーダーは今までいませんでした。貴方たちはジョーカーなのです──どうか、闇寿司と戦ってください」
黒装束に白い仮面の男。カリギュラはじめ他の闇寿司四包丁が噂程度には情報が割れているのに反し、彼だけは例外──逃げ帰ることさえ許されないほど絶大な"闇"。死神の鎌デスサイズの名を関したあの男は、回らない寿司協会の特記脅威人物である。
それと渡り合える2人を前に、協会の長は、頭を下げた。
「僕は……僕と妹は、スシブレードの世界において影響力を手にすることがそもそもの目的です。権力はあるに越したことはありません。なので、あなた達に貸しを作るのも吝かじゃない。けど……」
白乃瀬兄妹の本業はそもそもハッカーとその手伝いである。故に、彼女らの活動に有益に働くであろう権力者層への貸しは作っておくに越したことはないのだが──本命はサバイバー′を持つユウキだ。先程から隣で物々しい面をしている同行者の意向を無視はできない。ちらりと、隣に立つ共犯者を見やった。
「──俺はイヤだ、大会には出ない。付き合ってられるか。勝手にやってろ」
「源ユウキ──口を慎みなさい。相手は会長ですよ」
「うるさい。俺はスシブレードからは足を洗った身だ、協会なんか目じゃない」
「貴方……!」
答えは拒否。属している世界が違うと、ユウキは権威を否定する。ユウキにとってはスシブレード最強の座にも、協会の権威にも関心を払うところではなかった。
「いいのです……しかし源さん。スシブレードから足を洗ったと言うには闇寿司と立派に戦って見せているではありませんか。どうか、そのついでと思って、我々に力を貸していただけませんか。私たちは、貴方のことを──」
「闇寿司との戦いは勝手にやる。言っておくが、そもそも俺は協会のことを信用していない」
ユウキの表情は険しい。事実、この交渉はユウキの地雷に触れている──
「それは、6年前の──」
「6年前の事故のとき、お前たちは静観を決め込んだ。違うか?」
「……事実です」
「俺たちはずっと助けを待っていた。闇寿司の妨害があったにせよ、スシブレードを総括する協会なら闇寿司を倒して俺たちを助け出すこともできたはずだ。だけどそうはならなかった。そうして俺たちは地獄を見るはめになり、事件は闇に葬られた……そのくせ俺には『闇寿司と戦え』だと? ふざけるなよ」
6年前の大会は非公認──協会運営のブレーダーランキングでの得点対象外である大会──だったが、それでもスシブレードの世界における秩序維持機関である回らない寿司協会なら介入して然るべき事態ではあったはずなのだ。実際、協会は自身の管轄外である地下シーンにもしばしば介入を試みている──今回のように。しかし、ユウキ達が助け出されることはなく、その後事件が公にされることもなかった。
「あなた達の巻き込まれた事故については、なんと申し上げたらよいか……しかし、だからこそ一緒に戦ってはくれませんか。スシブレードによって泣く者を、闇寿司による被害を出さないために」
「イヤなものはイヤだ」
ユウキは頑として頷かない。
それを見かねてか、はぁ、と溜息をつく声が聞こえた。
「埒が明きません。スシブレードのことはスシブレードで決めましょう──源ユウキ。私とバトルしなさい」
「は? イヤだけど」
アオイ──控えていた秘書の女が、眼鏡の奥からユウキに刺すような視線を向けながら言った。
一般的な決闘法としてスシブレードが用いられる実例である。ブレーダーならまま遭遇する挑戦を、しかしすげなく断──
「嫌なんですか? 戦わないんですか? 逃げるんですか? ……まぁ、別に誰も責めやしませんよ。6年前の地獄を味わった貴方なら、惨めたらしくうずくまっていても許されるでしょうね」
「……誰が惨めだって?」
──ろうとして、キレた。
(いい性格してるなぁ、あの人)
「いいよ、やってやらあ。俺が勝ったら他を当たれ、負けたら言うこと聞いてやる」
「ありがとうございます♡」
決闘、承諾。同時に、会長室の床が稼動し始める。
「僕たちは立会人ってことですね? 会長さん」
「ええ、そうなるでしょう……申し訳ありませんが、源さんも白乃瀬さんも、お付き合いください」
「さっさとぶち負かして帰る。覚悟しろ」
「では──」
ひとしきりの振動を伴って現れたのは、スシブレードバトル用の土俵スタジアム。
勝負の用意は整った。両者、発気揚々──
「「3、2、1、へいらっしゃい!」」
「速攻で終わらせるぞ、サバイバー′!」
「させるわけないじゃないですか、カッパマーキュリー!」
対面するのは鯖寿司とかっぱ巻き。それぞれ2個1組の寿司が回転しながらスタジアムを駆ける。
サバイバー′の猛攻を、カッパマーキュリーが的確に合わせて防いでいる──さすが会長の右腕といったところか、スシブレードの腕は確かなようだった。
(カッパマーキュリー……プラネットシリーズってやつだっけ)
プラネットシリーズ──惑星の名を関した寿司。その惑星の中で水星マーキュリーは太陽に最も近い星だ──なるほど会長秘書らしいチョイスだと、コタロウはかつてクジラから教えられた知識を掘り起こしながら試合を見つめる。
(そういえば、なんかマーキュリーには特殊能力があるとか言ってたっけ……?)
コタロウの思索を置き去りに、決闘は続く──
「埒が明かねえ、決めに行く! 必殺転技『鯖 鱗 一 閃サバイバー・フラッシュムーブ・アタック』!」
「──そこ」
「ッ……!?」
キュウリが、サバイバー′目掛けて発射された。それこそがマーキュリーの特殊能力。カッパマーキュリーは、中に包まれたキュウリを発射することができる。
必殺転技の出掛かりに合わせ放たれたマーキュリーの特殊能力ギミックにより、サバイバーの突撃はすわ阻まれた。サバイバー′が、揺らぐ。
「苦労してきたのが貴方だけだとは思わないことですね、源ユウキ」
「なんだと──」
「私たちはずっと見ていました。貴方たちの地獄を」
アオイは語りだす。6年前、苦しんだのはユウキたちだけではない……
クイーン・スプラウトは、その様子を黙って見守っていた。
「確かに我々は6年前、貴方たちを見捨てました。ですがそれは苦渋の決断でした」
「……なら、どうして!」
「一言で言えばスシブレードの未来、ブレーダーコミュニティの発展のため、です。当時スシブレードは黎明期……スシブレードを真に大衆スポーツとして確立させるための勝負の時期でした。タイミングが悪かった、と言ってしまっていいのかはわかりませんが──」
続きを言おうとしたアオイを遮って、会長が口を開く──頭を、下げていた。
「謝罪します、源さん。貴方たち──ロスト・チルドレンを私たちは見殺しにした。それは事実です。下手に介入すれば全面抗争に発展しかねなかった……いつになく強気だった闇寿司に屈したのは我々です。事件が公表されなかったのも、闇寿司の存在を公にするわけには行かなかった私たちの打算と、財団の隠蔽工作を振り切れるだけの政治力を持たなかった我々の弱さによるものです。申し訳ない」
「クソっ……!」
歯ぎしりの音が響いた。サバイバー′の軌道が、ユウキの拳の震えと同期して弱々しく揺れる。
「貴方たち被害者を何とかして助け出せないか、誰もがそう思っていました……事件が終わってからも、ずっと。誰もが貴方たちのことを気にかけていました。失われた才能、スシブレードの将来を担うはずだった、失われた子供たち──ロスト・チルドレン。あの事件以来、スシブレードの世界から姿を消した、すべての被害者たち……当時を知る者はみんな、その十字架を背負ってここまでやってきた」
その発言は真実だ。スシブレードに対して大なり小なりトラウマを負ったであろうロスト・チルドレンの前に、スシブレードの象徴である回らない寿司協会が出ていくことはしなかった──それでも、彼らのことを影から見守り、経済的なものを含め、密かに援助を行ってきた。
アオイはそれを知っている──現会長クイーン・スプラウトその人こそその象徴なのだから。
「だからこそです。源ユウキ──私は貴方のデータを知っている」
そう、見てきた。会長の秘書として、彼らを見守り続けた女王の側近として、そのデータを知っている。雑務は秘書の仕事だ──データの処理もその1つ。
「そして、断言しましょう。貴方と私はある意味において同族です。その領分においては、女ブレーダーである私に一日の長がある──貴方は私には勝てない」
「……っ」
猛攻をかわされ続け、試合のペースはマーキュリーに握られていた。挫けた者、圧された者、震えながら戦う者……そういうジャンルにおいてアオイは一級品だ。
「スシブレードは心のスポーツだ」という成句がある。『スシブレードは心で握り、放ち、操るものだ』という意味合いで言及されることが多いが、実際それは比喩ではない。人は寿司に心を込め、寿司と人は心で通じ合い、そして寿司と寿司がぶつかる時ブレーダー同士もまた心でぶつかり合う。スシブレードバトルでは多くの場合、先に心が負けたほうが負けるのだ。そのために、往々にして女性のスシブレーダーは闘争心を司る男性ホルモンテストステロン分泌量の都合で不利に立たされてきた。
身体性を競っていたオールド・スポーツほどではないにせよ、歴史的にスシブレードは男性のものと見做された事もあったし、事実女性ブレーダー人口はそう多くない──だからこそ、スシブレードの世界には「女ブレーダーを見たら警戒しろ」という不文律がある。強い女スシブレーダーはそれだけ卓越しているということで、そしてアオイは回らない寿司協会において会長の隣に立つことを許されるほどのブレーダーだ──実力は、折り紙付き。
「ならスシブレードに歳が関係ねぇのも知ってんだろ、センパイ──!」
サバイバー′が奮起する。そう、スシブレードは心のスポーツである──年齢も、体格も、些事でしかない。ユウキもかつて、自分より体も大きく腕っぷしが効く上級生や大人たちを相手に鼻を明かして回っていたものだ。
スシブレードなら、ユウキは負け知らずだった。その自負を励起し、攻撃を叩き込む──
「そういうところ」
「……っ!?」
しかし、通じない。読んでいたかのように、受け流された。
「闇寿司との戦いを見ていて確信しました。源ユウキ、貴方には余裕ぶって軽口を叩く癖がある──自覚はありますね?」
「ッ──!」
「ほら図星♡」
回らない寿司協会は巨大組織だ。ハッカー"くろしお"──白乃瀬クジラほどではないが、情報収集力は相応にある。ずっと見守られていたユウキのここまでの戦いの履歴はすべて、協会の知るところ。
そして、そのデータから急所を見抜いた一撃が放たれる。事実、図星だった。ユウキの動揺はサバイバー′にも伝わる──マーキュリーの攻撃を打ち込まれて、サバイバー′が揺らいだ。
「きっと6年前のトラウマ……本気でぶつかり合うことに対する忌避感が、そうさせるんでしょう。だけど──」
「何が『だけど』だ……人の気も知らないで……!」
6年前の地獄でユウキの編み出した生存戦略。それは、ムキにならないこと。余裕を失えばすぐに奪い合いの地獄に呑まれてしまう。だから、常に軽口を忘れないように。癖と言えるほどにまで染み付いたその弱点を、しかしアオイは見抜き、暴いてみせた。
「だけど、それが命取り。誤魔化していたら始まらない。敵の正体が見えなければ戦えない、ただ漠然と恐れていては震えたまま死ぬだけ──怖いことは怖いと認めないと、乗り越えることさえできない。それが攻撃の甘さにも出てる」
「っ……ッ……!」
「だから、私には勝てない。カッパマーキュリー! 『水星彗胡翔カドケウス・コメット』!」
余裕ぶる癖が、バトルスタイルにも出ている。指摘はもっとも──ユウキの口からはぐうの音も出ない。
その隙を狙って放たれた必殺転技。2本のうち残った1本のキュウリが、緑の尾を引いて飛んだ。緑の彗星がサバイバー′を狙う──!
「ッ──今だ! 『鯖 寿 司 未 敗 撃サバイバー・リバイバルアタック』!」
直撃──しかし、それを待っていた。マーキュリーの弱点、それは寿司の芯となるキュウリを射出することで軽く、脆くなること。そして、うってつけにその弱点を突ける技がユウキのレパートリーには存在する。
弾き飛ばされたサバイバー′が、土俵際で踏ん張った足で反動を得てスタジアムの坂を駆け下り──
「それも♡」
「うそ──?」
カリギュラのときに見たやつだ──コタロウの目にはそう映った。スシブレードが軽くなることは必ずしも弱体化を意味しない。重荷を失った寿司は、防御・持久力と引き換えに機動力を爆発的に増す。
カウンターを放とうとしたサバイバー′の横腹を、マーキュリーが素早く捉える──土俵際からの突き出し。
サバイバー′が宙を舞った。
「っ……負け、た……?」
「強いて冷静ぶろうとする節があるようですが、それも甘い。人のマネをするにしては癖が出すぎている……だから技の出が遅れる」
サバイバー′、場外オーバー──負け。驚愕に染まった顔で、ユウキは呟いた。リバイバルアタックが通じない──? そんな……。
ユウキが膝から崩れ落ちる。それを見て、アオイは敗因を告げた。スシブレードは心のスポーツだ。心理面で優位に立ったアオイの、そして図星を突かれたユウキの動揺が、勝敗を決した。
「ユウキくん、決着だ……要求は呑もう」
「……わかってる」
コタロウが、わななく手でサバイバー′を拾うユウキに語りかける。『負ければ従う』、それが取り決めだ。
サバイバー′を嚥下し、ユウキは震える声で肯んじた。
「宣言した通り、言うことを聞くよ。戦えばいいんだろ」
「はい……ありがとうございます。しかし、本当に嫌なら白乃瀬クジラや、その関係者達と代わっても構いません。我々は、ずっと貴方たちロスト・チルドレンが再びスシブレードの世界に戻ってきて戦ってくれることを待っていました──ですが、それは貴方がたに押し付けていい期待ではないことも、承知しています」
「いいって……闇寿司と戦うはめになったのは元々だ」
負けたなら、大人しく取り決めには従おう。失われたロスト・チルドレンとて、スシブレードの精神と共に育ったユウキだ。ここに来てごねることはしなかった。
「食べたついでに、最後の先輩風です。源ユウキ。貴方のスタイルと、サバイバー′の特性は微妙に噛み合っていない」
「え?」
これには、心当たりがなかった。素直に聞き返すユウキにアオイは告げる。
「貴方の事件以前の愛機は『アルティメットマグロ』でしたね?」
「確かに、そうだけど」
「アルティメットマグロは癖のない万能型です。貴方のスタイルはその万能さを活かし、相手がどう反撃してこようが攻撃を続けてペースを握り攻め勝つインファイトスタイルだったはず」
「お見通しってわけか……」
アオイの言う通り、往年のユウキは前のめりで攻撃的なスタイルを得意としていた。
データは、握られている。敵わない──そう思った。
「しかしサバイバーはスタミナ寄りのバランスタイプ。鯖寿司特有の足の速さを活かしたヒット&アウェイで相手の体力を削りながら相手より長く生き延びて勝つアウタースタイルが定石です」
「……そうだったのか」
もちろん、大きな隙があればその速さを活かして攻撃を叩き込むこともするでしょうが──そう付け加えて、アオイは眼鏡のつるを押し上げる。
知らなかった。あれほど間近で何度も見たのに……それとも、それこそ余裕がなかったのか。ユウキは自嘲の笑みを浮かべた。
「ですから貴方の鯖寿司のシャリは地面との接地面積……つまり摩擦を減らし持久性を向上させることを目的として大粒の、そしてその上でグリップ力を両立させるために粘り気が強い『いのちの壱』を採用しているはずです」
「ああ、なるほど」
足回りの違いか、と納得した。一度食べて実体が消えたついでに、調理カスタムし直せということなのだろう。
スシブレードにおいて機体性能を大きく左右する要素の1つ、シャリ。地面と接する足のパーツは、主に機動性を象徴する。それが、どうやらマッチしていなかったらしい。
実際、『技の出が遅い』というアオイの指摘は、シャリのパーツがユウキの戦法と噛み合っていなかったことも大きな要因としてある。
「はい。そういうことです。そして逆に貴方のスタイルを最大限活かし、かつサバイバーの良さを損なわないためには、『ササニシキ』……小粒でいて同時に粘つかない、しかし適度に柔らかく土俵際の腰も効くこのシャリが最適だと、私は思います」
「あ、ありがとう……」
「健闘を祈ります」と差し出された米を、おずおずと受け取る。手のひらに、しっかりと収まった。
小粒である故に受ける摩擦は大きく、機動性に長ける。それでいて粘り気が少なく持久力のロスが小さい。そして米そのものに柔軟性があることから、土俵際で踏ん張りも効く──確かに、ユウキの戦法に適した米だ。
「礼を言う必要はありません。言ったじゃないですか──私たちは、貴方たちロスト・チルドレンのことをずっと気にかけていたと。アドバイスにしては乱暴な形になってしまったことを謝罪します……見ていられなかったんですよ、大人として、そして同族として、ああいう燻り方をしているのは」
「大会に出ていただく代わりと言ってはなんですが、協力は惜しみません。準備期間の間、漬け場含め協会の設備、資材はお好きに使っていただけるよう手配します」──会長はそう付け加えた。
「そのロスト・チルドレンについてさ……気になってたんだけど」
「はい? どうしました?」
米の袋を制服のポケットに収めて、ユウキは問う。こればかりは、確かめなきゃいけない。
「あんたさっき被害者全員スシブレードから足を洗ったって言ってたよな。だからロスト・チルドレンなんだって」
「はい。貴方が闇寿司と戦いだすまで、あの事件の被害者が寿司を回したことはないはずです。我々の観測範囲上では、ですが」
返答を受けて、確信する。
「いや、それはおかしいんだよ。本当か? 本当に全員か?」
真実は、未だ遠い──
SPIN-07「狭き門より来たれ、SBBBスシブレード・バトルブレーダーズ予選バトルロワイヤル」
スシブレード・バトルブレーダーズ開幕! 混沌の予選を勝ち抜き、ユウキとコタロウは決勝へ進めるのか……?
【アバンタイトル】
「スシブレード・バトルブレーダーズ予選はアンリミテッドフォーマットのバトルロワイヤル方式です! 皆様それぞれ手に入れていただきました、お手元の『招待状』がそのまま決勝トーナメント行きのチケットになります」
「これのことか」
「みたいだね……この招待状を手に入れるところから既に選別は始まってたってわけだ。僕らは裏口を使ったけど」
──「これがバトルブレーダーズ出場資格を証す招待状です。我々回らない寿司協会が確保したのは4通、そのうち2通を貴方たち2人に託します」
ユウキとコタロウ、それぞれに託された出場資格のカード。それを手に入れるところから前哨戦が始まっていたらしい。知る由もなかったが……闇寿司が動いているというのは、これのことだったのだろう。
コロシアムに入るときに使ったインヴィテーションカード──懐にしまわれたそれに手を当てる。
「予選ステージのバトルロワイヤルではこの招待状を奪い合っていただきます。ルールは簡単! 勝者全取り──バトルをしていただき、勝者が敗者の招待状を手に入れる形式です!」
「わかりやすいというか、今時珍しいくらいにきっぱりしすぎてるね。強いブレーダーを決めるっていう看板に偽りはない、か」
勝ち続けること。要求されているのはシンプルにそういうことなのだろう──プロリーグのような勝ち点計算や長期戦略は考慮されていない。
「招待状を持つブレーダーが8人になった時点で予選は終了となります! つまり、最後に残った8人が明日の決勝トーナメントに出場する選手となるわけです」
「要するにサバイバル、か……」
ユウキが眉根をひそめる。会場に何人いるだろう。2、4、6、8、10……20を数えたあたりでわからなくなった。確実に、ユウキの在籍するクラスの人数よりは多い──その中から8人。狭き門だ。
彼らを蹴落とし、優勝まで生き残り続けなければならないのか。考えると胸にモヤがかかる。
しかし、大会は始まってしまった。やるしかないのは明らかだ。それに、会場であるネオ有明コロシアムの中には黒装束のブレーダーの姿が散見される。いずれにせよ闇寿司は許さないと決めているのだ。なら、やはり戦うしかないだろう。生き残るための戦いを。
「挑まれたバトルから逃げても敗北扱いとなります。また、招待状を持たないブレーダーが敗北した場合はアンティ不成立となりルール違反として追放措置が取られますのでご注意ください!」
「招待状を持たないブレーダーが敗北? ……まさか」
注意事項として告げられた一文が、コタロウの意識に引っかかった。彼の懸念通り、後にこのルールが波乱を呼ぶことになる──このときはまだ彼らの知るところではないのだが。
しかしそんなことは歯牙にもかけず、開幕の号砲は鳴る──
「それでは──スシブレード・バトルブレーダーズ、予選開始です!」
【A part】
「「「「「へいらっしゃい!」」」」」
「さっそく始まった……!」
「うおおお! バクシンサクラエビ、進め!」「蹴散らせ、ディアブロ・メネギス」「避けろズワイキャンサー!」「行け、テッカマーズ!」「そこだダーク・ブリ! 削りきれ!」
あちこちで、バトルを始めたブレーダー達の声が上がり始めた。寿司のぶつかる音とブレーダー達の号令が雑音となってユウキの鼓膜を叩く。
「俺も行かなきゃ」
「ユウキくん、ちょっと待って」
その様子を見て動き出そうとしたユウキを、コタロウが制止する。
なに?──声に出さないまでも、腕を掴まれたユウキは怪訝そうな視線を返した。
「……うわ、みんな賢いな」
「え? ……なに?」
ユウキの肩の向こうの様子を見て、コタロウがぼやく。もう気付いているとは──
「ユウキくん。このバトルロワイヤル、誰かと組んで行動したほうが有利だと思う」
「どういうこと? いや、まぁそりゃそうだろうけど……」
アンリミテッドフォーマット、何でもアリのルールにおいてリンチ戦法が定石なのはいつの時代のどのスポーツでも変わらない。そんなことはわかりきっているだろう──だからこそ会長もユウキとコタロウをセットで送り出したのだろうし。
ただ、コタロウの口ぶりはどうもそういうことでは無さそうだ。
「『招待状を持たないブレーダーでも戦うことができる』、そして『招待状を持たないブレーダーが敗退した場合退場になる』、これが何を意味するか……」
「復活のチャンスがあるってだけじゃないのか?」
単に一度負けて招待状を失っても奪い返すチャンスがあるという話だと思っていたが……
「そうだね。だけどそうじゃない──同時に2人以上のブレーダーによって負かされた場合、そのブレーダーは即座に退場になる」
「えっ?」
言われて、振り返る。
まさしくリンチにされたブレーダーがルールに則った処理によってスタジアムから強制的に転移させられていた。
「マジかよ?」
「そして、このルールにおいて敗者は退場させたほうが勝者にとってずっと有利に働く……荒れるよ、この予選」
出場者たちも気づき始めたのだろう、それぞれが入り乱れて、乱戦の様相を呈しだしていた──
「おい、そこのお前!」
そして、波乱の渦はユウキたちにも降りかかる。
「お前は知ってるぞ! 白身魚の白乃瀬だな? 俺はマサヤ! 俺とバトルしてくれよ!」
「とか言ってるうちにこれだよ……やれやれ!」
そして、群衆をかき分け、コタロウたちのもとにもブレーダーが現れる。
少年の挑戦を受け、咄嗟にランチャーを構えて応じる。ユウキもそれに続こうとして──
「……っ!」
「どうしたのユウキくん」
見据えた視線の先で捕らえた、コタロウに勝負を挑んだブレーダーの服の色は緑──一般のブレーダーだ。
ちょうどいい、相手は単独だ。さっきの話の続きではないが、2人で返り討ちにしてしまおう──そう思って並んだユウキの手先が震えていた。
(あー……そういうことか)
会長秘書、山葵山アオイによって指摘されたユウキのトラウマ……そしてユウキは、一般のブレーダー相手にサバイバー′を振るったことはない。
躊躇しているのだろう。マサヤ相手に人食いのスシブレードを使うのを。
「ユウキくん、バトルを挑まれたのは僕だ……きみは闇寿司との戦いに専念して」
「っ……悪い」
闇寿司との戦いになったとき、コタロウに勝ち残る自信はあまりない。協会から派遣された目的は闇寿司の討伐であって、2人が大会に勝ち残ることではないのだ。だとすれば、どの道役に立たないであろう自分よりユウキを闇寿司のもとに向かわせたほうがいい──多少不利を負おうとも。
その判断から、コタロウはユウキを逃した。
「1対1でやってくれるとは嬉しいぜ! じゃあ、正々堂々と行こうか!」
「その前に1つ訂正……白身魚の白乃瀬は妹のことだ。強敵とのバトルみたいなのは期待しないでよね──」
マサヤはニヤリと好戦的な笑みを浮かべる。
若い子はこれだから困るなぁと、歳に似合わない感想を抱きながら──
「「3、2、1、へいらっしゃい!」」
バトルスタート!
「っ、情けない……」
逃されたユウキは、戦いに巻き込まれるのを避けて会場内を駆け回っていた。
自分の情けなさが嫌になってくる。しかしそれでもある種の進歩だ──「怖いことは怖いと認めないと、乗り越えることさえできない」。
(認めよう。俺は一般人相手にサバイバー′を向けられない)
だけど。
「やれえ、お前ら!」「よっしゃ、俺たちの出番だぜェ!」「アンリミテッドフォーマット何でもありなら闇寿司の独壇場ってわけよ! ヒャッハア!」
「うわあああああ!?」「ひぃっ! なに?」
突如、スタジアム中で怒号と悲鳴が上がった。衝撃と風圧が、そこかしこから伝わってくる。
「始まったか……!」
闇寿司が動き出したのだろう。ブレーダー達が黒装束の連中に囲まれていくのを、視界の至るところで確認できた。
「──へいらっしゃい!」
「ぐわっ!?」
闇寿司相手なら、躊躇する必要はない。
1人のブレーダーに群がる黒装束たちの寿司を目掛けて、サバイバー′を放った。アンリミテッドフォーマットではもちろん乱入も禁止されていない。
「集団で囲んで負けた気分はどうだ、闇寿司!」
「チッ……!」「うるせえぞ!」「何だテメェ!」
「た、助かりました……」
1対多で勝つのは当たり前だ。勝って当然の状況で負けた気分はどうだ。
群がる寿司のうち1つが粉砕したのを確認し、そう問いながらユウキが名乗りを上げる。現れた乱入者に闇寿司たちはいきり立った。
礼への返答をする間もなく、残った2人の寿司が強襲する。
「飛んで火にいる夏の虫って言葉知ってっかぁ? ダーク・ヴォルスト! 闇の力を見せてやれ!」
「お前も続け! ロック・トブコ!」
残った2人が寿司に号令を送った。
ソーセージが高速で唸りながら迫り、乾燥して硬くなったとびこの粒がマシンガンのように降りかかる。
「ちょうどいい。練習に付き合ってもらうぞ──必殺転技! 『鯖 鱗 裂 光 閃サバイバー・タキオンダッシュ・アサルト』!」
だが、ユウキは動じない。乱戦には慣れている。相手が闇寿司とあらば、躊躇う必要もない。満を持して放ったのは新たな必殺転技──『鯖 鱗 裂 光 閃サバイバー・タキオンダッシュ・アサルト』。
アオイから受け取ったシャリによって改善された足回りは、サバイバー′に尋常ならざる機動力をもたらしていた。棒寿司の縦に平たく横に丸いフォルムが滑らかな加速を助け、サバイバー′は鈍い青色の閃光となる──!
「ぐわあああああ!」
「──よし、決まった」
卵の雨を難なく潜り抜け、サバイバー′はソーセージととびこを弾き飛ばす。
いなり寿司の油のようなアシストが無くとも、サバイバー′の加速の勢いは今までをはるかに凌ぐ。今までと違う手応えを確かに感じていた。
「加勢します──行って、『ソルトラフグ』!」
「くッ……!」
そして、助けたブレーダーがとどめを刺す──トラフグの寿司が、打ち上げられた2機を砕いた。
「──ありがとうございます」
「いや、いいよ。あんたを助けたわけじゃない」
サバイバー′を回収する視界の向こうで、黒衣のブレーダーが転移させられていくのを見た。
招待状が、手元に転送されてくる。それを確認して見やった共闘相手の姿は──
「メカ?」
見やった視線の先には無骨なアンドロイドが立っていた──いや、よく見れば頭はカワウソだ。
……カワウソ?
「ああ、驚かせてすみません。カワウソ用の強化外骨格スーツなんです。私はスペインから来たものですから」
「スペイン……ああ、エスパノル・ヌートリアか。ごめん、失礼だったら謝る」
エスパノル・ヌートリア。簡単に言うと、1998年以降世界各地で急増した異常災害の1つ、2015年にスペインを襲ったスペイン国民カワウソ化事件の被害によってカワウソの姿になったスペイン人たちの総称だ。スシブレードが新しいスポーツとして人気を博したのは、時代とともに現れた彼らのようなヒトと違う形質を持つ者たちも平等に同じステージで参加できるからという背景も多大にしてあった。
「自己紹介が遅れました、助けていただいてありがとうございます。私はスシアカデミアポルトガル語分校からの留学生、ブレーダーネームを"アリアード"といいます。きみは?」
「俺はユウキ……源ユウキ。日本の高校生だ」
「ユウキ。恩人相手にそんな細かいことは気にしませんよ」
別に、礼を欠いていたともアリアードは思わない。ユウキに伝わっているかどうかは定かではないが、柔和な表情を作って語りかけた。
「いや、だから……別に助けたわけじゃ」
人助けのためにここに来ているのではない。闇寿司の討伐と、ついでに敗北のツケを払うことだけが目的だ。
むしろ人助けなどからは程遠い──言ってしまえば復讐と精算、ごく個人的な行動原理でしかない。
「それではこうしましょう。あの黒い衣装のブレーダーたち──噂には聞いています、闇寿司というスシブレードの裏にはびこる暗黒を。会場を荒らす彼らを倒し、そしてこの予選を突破するために手を組んでいただけませんか? 恩返しついでに、協力します」
【B part】
「サバイバー′!」「ソルトラフグ!」
「ぐう……!」「ひええー!」
闇寿司のブレーダーが、ユウキとアリアードの寿司によって蹴散らされ、会場から強制退去させられていく。
「次!」
「はい!」
自らの寿司と転送されてきた招待状をまとめてひっ掴んだ。
周囲には目もくれず、次の敵を探して走──
「──おっと、そうはさせねェよ」
──り出そうとした2人を、塞ぎ止める声がした。
「お前は」
「あんときゃどうも世話ンなったなァ、源ユウキ!」
前方を見る。視界に映ったのは、あの日クラスメイトを人質に取られ、倉庫で戦った男。
「てめぇ……なんでここにいるんだ」
「なんでって、そりゃあ。おれァ闇寿司だからよ……『計画』に部下を貸すついでにお邪魔したって寸法さ」
先程から暴れているブレーダーたちは、この男の部下か……全員が全員というわけではないにしろ、たしかにあの日倉庫にいたブレーダーは相当な数がいたし、統制も取れていた。まとまった数を調達するのにはうってつけだったということなのだろう。
「おれァチーム『無礼家ブレイカー』のリーダー、『ムサシ』だ。体裁ってのがある……そして何より、舐められっぱなしなのは個人的に我慢ならねェ! リベンジだよ、源ユウキ。お前にリベンジしに来たのさァ!」
「だけどお前はサバイバー′の必殺転技を食らって負けたはずだ。お前も知ってるだろ、あれは人食いのスシブレードだって。いまのお前に、俺と戦うだけの力はあるのか?」
ランチャーを構えて迫る男──ムサシに、ユウキは啖呵を切る。
サバイバー′は人食いのスシブレードだ。他人のモナドを食って、自己を強化する忌まれた寿司。そういう触れ込みだったはず。事実、ユウキは見ている。サバイバー′が人の意識を刈り取る瞬間を──グリズリーに、カリギュラ。あの研究所で倒したブレーダー達は、意識ごと寿司のモナドを食いちぎられたはずだ。
「舐めんなよ。"サージカルナイフ"サマから直々に授かってきてんだよ、テメェを倒すために!」
「あれは……同型機対決ミラーマッチ!?」
「ッ──サバイバー′……!」
かざされた手の中に煌めいたのは、鈍く光る青い鱗──見覚えのある光り物のネタ、鯖寿司。
ユウキには心当たりがある。寿司のモナドを失った者であろうが、その寿司は精神に侵食する。そう、ユウキ自身もそうやってスシブレードを再び手にしたブレーダーなのだから。
「チートアイテムはテメェだけの特権じゃねェ。むしろ、人食いの寿司なんざおれ達にこそ相応しいと思わねェかァ!?」
「ちっ……」
それはまさしくその通りなのだ。一般のブレーダー相手にサバイバー′で戦うことができなかったのは、それを知っていたから。
闇寿司の手の内で生まれたものならば、量産ないし予備機体の存在くらい念頭に置いておくべきだったか……。
「楽しいなよなァ、他人を食い物にして勝ち上がるのはよォ」
「ケッケッケ、わかるぜ」と、ムサシは見せびらかすように招待状の束を弄んでみせる。
実際のところ、サバイバー′の特性はムサシの気性に合っていた──かつて所属していたスシブレード塾『水墨館すいぼくかん』の有力ブレーダー達を嬲り、その首を持って闇寿司の門を叩いた男にとって、その始まりからしてスシブレードとは他者を嬲るためのツールでしかないからだ。
「てめぇ……!」
それが、ユウキの逆鱗に触れた。奪うためのスシブレードを、彼は憎む。
「……アリアード、下がってろ。こいつとは俺がやる」
「でも、2人で戦ったほうがいいんじゃ」
「敵が1人で挑んできてるってことは、何か意図がある……それに、こいつらは集団ぐるみで卑怯な手を使う。お前は周りを見張っていてくれ」
それに相手がサバイバー′を持っているということは、下手を打てば……。それは避けなければならない。
パワードスーツの共闘相手を下がらせて、ランチャーを構える──
「いいねェ、乗り気で助かるぜ」
「うるせぇぞ、構えろ」
「「3、2、1、へいらっしゃい!」」
2つのサバイバー′が放たれた。
青色の軌道が互い違いに円形を描きながら衝突を繰り返す。
「ちっ……! 使いこなしてやがる」
「どうしたァ? オラオラオラ!」
ここまでの戦いをサバイバー′と共に駆け抜けてきたユウキと遜色ないほどに、ムサシはサバイバー′を扱いこなしていた。
どれだけ多くのブレーダーを屠ったのだろうか。そう考えると、自然と奥歯に力が入る。
「だけど、ミラーマッチならこっちに利がある!」
同型機対決──ミラーマッチにおいては、カスタマイズによる些細な性能の違いこそが勝敗を分ける。その点ユウキのサバイバー′にはアドバンテージがあった。あの山葵山アオイ、ユウキの天敵とさえ呼べる女傑の的確な分析により、最適化が施されているのだから。
「これは……ユウキのほうが速い!」
「おれが後手に回っているだと……?」
「遅いんだよ!」
そう、改造された足回りを武器に、ユウキのほうが攻防を有利に進めていた。鏡像のように対称な軌道を描いていた2本の青いラインが、徐々に歪みだす。
ユウキのサバイバー′が攻撃を打ち込む回数が増えていた。
「行け! ユウキ!」
「ここで、攻め勝つ!」
「くッ……そ!」
ユウキのスタイルは攻めて勝つスタイル──前のめりなまでの攻勢が持ち味! ここぞとばかりに、連撃を打ち込んでいく。
「──なーんてな!」
「なに……ッ!?」
対してムサシは、構えて待つスタイル。そして相手が隙を晒した瞬間に畳み掛けるのが定石だ。有利を取ったと確信したユウキの隙を、チーム『無礼家』のリーダーは見逃さない。
本来のサバイバーは機動力とスタミナに長けたネタだ。粘り勝つ構えから、隙を見ての攻撃──それはある種サバイバーの運用法において正解の1つだろう。
「ッ……」
叩き込まれた反撃により、間合いが開く。
それを見て、ムサシは笑った。
「いいねェ! そうやって自分のほうが有利だって思い込んでたやつを叩き落とす感じ、たまんねェよなァ! オイ!」
「貴様そうやって今まで何人のブレーダーを──!」
再び、ユウキが仕掛けた。下衆を相手にサバイバー′を握らせるわけには行かない──
「始めに水墨館の雑魚どもをひぃふぅみぃ……それから……わからねェなァ!」
互角の攻防が続く。
指折り数えながら数を数えてみせるが、それもすぐ打ち切られた。闇寿司として蹂躙してきたブレーダーの数はもはや数え切れない。
「クソ野郎が……!」
憤慨する。やはり闇寿司のやることから精神性の何から何までがユウキにとって受け入れがたい。
「スシブレードを……つまらない虚栄心を満たすために使うんじゃねぇ! お前みたいな奴なんかに、サバイバー′の扱いで俺が負けるもんか──必殺転技! 『鯖 鱗 裂 光 閃サバイバー・タキオンダッシュ・アサルト』!」
だから。放たれた必殺転技は今までの中でも最速の一撃。
あの地獄から生まれた寿司を、あの地獄で相対した少年の使っていた寿司を、こんな下衆な野郎のやり方で使いこなされてたまるか──サバイバー′が、鈍く煌めく青色の閃光となって駆けた。
「おれァ賢いから知ってんだ──スシブレードでは冷静さを欠いた奴から餌食になるってなァ!」
「っ……?」
怒りを乗せた刃は、相対する同型機に痛打を浴びせた。
しかし、ムサシは笑みを絶やさない。
訝しがるユウキの瞳が、1つの心当たりと共に見開かれた──まさか。
「そしてお前もその1人になるんだぜ──源ユウキィ!」
「しまっ──!?」
気が逸った。アオイにも指摘されたメンタルのブレが、ここに来て響いた。無理な攻勢によって崩れた、サバイバー′の体勢。そこを穿つための切り札が、サバイバー′には存在する。
ユウキは戦慄する──自分ならこの場で絶対にあれを使うだろう。そう、今こそ絶好のタイミング──!
「こうやるんだよなァ? 必殺転技──『鯖 寿 司 未 敗 撃サバイバー・リバイバルアタック』!」
弾き飛ばされたムサシのサバイバー′が、踏みとどまってから加速した。
ユウキがリバイバルアタックを編み出したのはこのムサシの前でだ。同型機でなら真似できて当然だろう──青い閃光は、反撃を告げる。
「リベンジだ! とくと味わえ、自分の技で果てる屈辱をォ! クハハハハハハ!」
「ユウキ!」
アリアードがたまらず声を上げる。必殺転技など食らったらひとたまりも──
「──俺も知ってるぜ。その技、真似するのがムズいんだよ」
がしかし、勝ち誇るムサシの声に反して、ユウキの声は落ち着いていた──肝が冷えたが、冷えたおかげで冷静さを取り戻した。
これもアオイに指摘されたこと。──「人のマネをするには癖が出すぎている」。
「あン?」
「その技はそもそもが人のマネなんだよ──アイツは、お前よりずっとスマートなやり方でカウンターを決めていた」
必殺のカウンター攻撃が、ユウキのサバイバー′を打つ──だが、そんな猿真似では響かない。
そう、そもそもリバイバルアタックはユウキが本来のサバイバーの使い手の戦法を模倣して編み出した技だ。それをさらに真似たムサシのリバイバルアタックに、もはや本質は宿らない。
弾き飛ばされていくサバイバー′が、土俵際に差し掛かる。
「オリジナルを知らないお前に、その技は使えない! 見せてやる。これが俺の──『鯖 寿 司 未 敗 撃サバイバー・リバイバルアタック』!」
「ク、ソがァアアアアアアアアアアアア!」
青い反撃が、ムサシのサバイバー′を穿ちぬいた。ムサシが吠える──それでも、結末は覆らない。
サバイバー′、爆散バースト──同型機対決を制したのはユウキ。
「教えてやろうか、闇寿司──俺の見てきた地獄では、人を貶めようとかそういう邪念は存在しなかった。……そして、俺の戦ってきた中でそういう奴が一番恐ろしかった」
「チッ……」
サバイバー′を回収し、手元に招待状が転送されてくるのを確認しながらユウキは吐き捨てる。
ただ一心、生き残るために他者を襲う──そういう暴力が最も恐ろしい。それに比べれば、虚栄心もシャーデンフロイデも土塊のようなものだ。身をもって、ユウキは知っている。
「テメェまでおれを見下すのか……! 人食いのスシブレードなんか使っておきながら! どの口で……ッ!」
「……好きで使ってるわけじゃない」
成り行きで、だ。ユウキがサバイバー′をその手に握っているのは偶然の流れの上でしかない。
言っても伝わらないだろうが。
「クソ……どいつもこいつも!」
──「ああいう卑怯な手を使う奴が、一番恥ずかしい」
──「あんな事して勝ったって、嬉しくともなんともない。かえってみっともない。俺は嫌だね」
──「負けるよりもずっと屈辱的だよ。そこまでして勝ちたいかな?」
──「精神性がさもしい。スシブレーダーの風上にも置けない、哀れな奴だ」
──ムサシのかつての師匠や同門のブレーダー達は口を揃えて言っていた。
──数年前のことだ。初めてロック・ヤリーカがスシブレードの競技シーンに登場したときの話。
──頭足類の寿司を扱うスシブレード・スクールだった「水墨館」の面々の間では外法とも言えるカスタマイズを施したそのイカ寿司の話題で持ちきりだった。
──みな、スシブレードが根本的には食べ物であることを無視したロック・ヤリーカに忌避感を示した。
──「おれは、そうは思わないけどな……」
──自分が馬鹿なのだろうか。
──ムサシは、彼らに共感できなかった。
──勝たなければ意味がないではないか。おれは、あんなことをしてまで勝ちたい。別に、みんなが強くなるためにしている練習と本質的な違いはないじゃないか。それとこれとは何が違うのか。
──ムサシには、理解できなかった。
──「うわあああ!」 ──「なんだ!? あのヤリーカは……!」 ──「歯が立たない……」
──「やめなさいムサシ! お前は自分が何をしているのかわかっているのか!?」
──「わかんねェっすわ。おれ馬鹿なんですかね?」
──そして、水墨館が崩壊する。
──負け続きだったムサシは、ロック・ヤリーカを握って兄弟弟子たちを屠り、師範代を倒し、師匠を手に掛けた。
──楽しかったし、嬉しかった。少なくともムサシは。
──自分より強かったはずの兄弟子や師範代や師匠が彼らの言う卑怯な手1つで良いように負けていくのを見ていたときは、どんな勝利より満ち足りた心地がした。
──「クハハハハハハ! ザマァないぜ真面目ちゃんどもがよォ! テメェらの高邁なやり口じゃあおれには勝てねェ!」
──同門のブレーダー達が守っていた規範や伝統など、ロック・ヤリーカ1つで踏みにじれるものなのだ。廃墟と化した水墨館の看板をへし折ったムサシの高笑いが響く。
──そうして、ムサシは闇に堕ちた。
──「この恩知らずめ……!」 ──「同門の絆というものがお前にはないのか、人でなし!」
──呪いの言葉を背に受けながら。
「そんなことはないよ、『無礼家』のリーダーくん」
「『社長』……!」
『社長』と呼ばれた男の手が、差し伸べられる。
サバイバー′に敗北し意識を刈り取られゆくムサシの視界に、黒い、見るからに高級と分かる豪勢なスーツの男が映った。
「……ッ!?」
「新手か──!?」
アリアードとユウキは、突如現れた黒衣に身構えた。どこから現れた……!?
「私はきみの働きを認め、そして同じ組織のトップに立つ身分として尊敬するよ……きみの部下も随分役に立ってくれた。ありがとう。いいチームだと私は思う。おかげで我々の計画は無事次のステージに進む」
「部下……そうだ、あいつら!」
ムサシのもとに集った仲間たち。チーム『無礼家』のメンバーのことを思い出し、ハッとした。
「あいつらのこと、どうか頼みます……おれがいなくなっても、あいつらは……」
闇寿司きっての無法者集団と知られるチーム『無礼家』。ムサシとスタンスを同じくする無法者たちは、その荒っぽいやり口ゆえに敵も多い。ただでさえ隙を見せれば狩られる実力主義の世界なのだ。チームの顔であるムサシが寿司のモナドを失い、舞台を降りたとなれば後が心配だ。
あいつらはみんな、同じなんだ──おれと。頭が悪くて、他者を踏みにじることでしか喜びを感じられないような馬鹿な奴らなんだ。おれが、守ってやらないと。
「わかった。私が便宜を図ろう。今回の功績もある。えこ贔屓とは言われないはずだ」
「ありがてェ……それじゃあ、頼んます……」
「だから、後のことは気にせず眠るといい」と『社長』が促し──そして、ムサシは気絶した。
「さて。では──」
「おい待て! お前も闇寿司か! 俺とバトルしろ──!」
腰を上げた黒いスーツの男に、ユウキが詰め寄る。
無視などさせるものか。闇寿司は食い尽くす──あからさまに幹部級であろう敵とあらばなおさら!
「悪いね、私はこの大会の出場者ではないんだ。視察と工作の仕上げに来ただけなのだよ。だけど──」
「──相手なら、オレがしよう」
背後から、黒いマントと白い仮面のブレーダーが現れた。まるで死神のようなその姿には、見覚えがある──
「──お前は」
「"デスサイズ"……!」
敵方も、ユウキの顔を見て意外とばかりに声を漏らす。
高速道路で戦った敵。いまだ決着の付いていない相手がそこにいた。
「バトルだ、闇寿司四包丁"デスサイズ"! あのときの決着をここで付ける──!」
「……いいだろう。ここで、安らかに眠れ」
ユウキと"デスサイズ"の2人が構える。あの高速道路の続き──生きるか死ぬか、あの戦いでも漂っていたその手の緊張感が場を支配していた。
両者、発気揚々──
「──そこまで!」
しかし、バトルは始まらなかった。
司会者の声が、会場中に響く。
「なッ……!?」
「──チッ」
スタジアム内に大量に設置された土俵が消えていく。その光景が、勝負はまたしても中断と告げていた。
「招待状の保持者が8名になりました! 予選はただいまをもって終了となります! みなさまお疲れさまでした。招待状をお持ちのブレーダー様がたは、明日の決勝トーナメントに向けての準備を始めてください。30秒後に転送が始まります。それでは良い夜を!」
視界が、暗転する──
「ユウキ、大丈夫ですか?」
「ああ……チクショウ、また決着を付けそびれた」
転送されたネオ・ダイバシティ内の公園で、ユウキの視界が明転する。
奇しくも同じ場所に飛ばされたようだ。アリアードとそんな会話をした。
「残念でしたね。ですが、チャンスは有るはずです。私たちは決勝トーナメント出場者なんですから……きっと、あのマントの男ともそこで戦うはずです」
「……そうだな」
あの口ぶりからするに、"デスサイズ"の方は大会出場者なはずだ。戦いを挑まれたら逃げられないというルールの存在から考えても、そう取るのが自然だろう。
また、決着はお預けというわけだ。
「そして、私もです。おかげで決勝進出までこぎつけられました。ありがとうございます」
「こちらこそ、助かった」
「決勝トーナメントで会いましょう」と差し出された手を握り返す。機械の手と人の手が結ばれる独特の感触があった。
「……そういえば、あっちの方はどうなったかな」
ふと、コタロウのことが思い出された。途中で別れてそれきりだが、彼は予選を通過できたのだろうか。というか、そもそも無事だろうか……俄然、気になってきた。
「連れの人がいるんでしたっけ。心配ですね」
「そうだな……そこまでスシブレードが強いわけでもないし」
コタロウに、飛び抜けてスシブレードが強いという印象はない。良くも悪くも『普通に強い』の範疇であるというのがユウキの見立てだった。
だけど。
「けど、大丈夫だと思う。あの人は普通だけど、それこそが武器だ。ああいう乱戦の中では普通でいることが一番難しくて、そしてきっと強いことなんだ」
「ああクソ! なんだこの黒ずくめの奴ら! 蟻かっての!」
「数が多くて面倒くさいのには同意するよ」
数刻遡って。闇寿司が暴れだしたことで大荒れのバトルロワイヤルの中で、マサヤとコタロウは急遽手を組んで戦っていた。
現れては襲ってくる黒衣のブレーダー集団を撃退し続けて、どれほどになるだろう。おかげさまで招待状は手元に集まっていたが……ジリ貧の気配もある。そろそろ一度休憩を挟みたいところだ──
「貴方たち、おいたがすぎるんじゃありませんこと?」
──が、状況はそれを許してくれそうにはなかった。
甲高い声とともに、純黒のドレスを纏った女が2人の前に現れる。
「誰だ!」
「わたくしは闇寿司四包丁が1人、"ペティナイフ"のカタリーナ! 見れば貴方、白乃瀬コタロウ様じゃありませんの! 貴方はぜひ討ち取れと仰せつかっておりますのよ」
「おい! 俺は無視かよ」
無視されたマサヤが声を上げる。
「あら、ごめんあそばせ。わたくし雑魚には興味がありませんの」
「あ? てめぇそれでも寿司職人スシブレーダーか?」
「おーほっほ」と笑いながら放たれた挑発にマサヤはまんまとハマった──口の端を吊り上げながら、ランチャーを構える。
コタロウに視線を送る──タイミングを合わせて一気に畳み掛ける。
しかし、朴訥な表情からは焦りが読み取れた。
「ぱっと見愉快なお嬢様だけど──あの人、強いよ」
妹経由で知っている。"ペティナイフ”──肉系の寿司を使うその四包丁はしかし、一見お転婆な挙動とは裏腹に闇寿司の幹部が一角という地位に間違いのない実力者だ。
彼女の高笑いを恐怖とともに伝える噂は絶えない。
「……マジ?」
「覚悟はよろしくて? 行きますわよ!」
強者の風格さえ漂わせながら、"ペティナイフ"は構える。数的不利を前にしても怯まないその態度──マサヤの箸を握る手に力がこもる。
「「「へいらっしゃい!」」」
【C part】
「負けましたわ~!」
そう吠えて、カタリーナは強制退去させられていった。
"ペティナイフ"のカタリーナ、撃退。
「……マジで何だったんだ、あの女」
「さぁ……」
呆れた顔をしながら、それぞれの寿司を回収する。仰々しい肩書のわりにあっけない敵だった、とマサヤは困惑する。
しかし。
(いや、彼女はたしかに強かった。それでなお彼女を軽くあしらえるってことは……)
もしかしなくても──このマサヤというブレーダー、とんでもなく強い。
バトル終了と同時に発せられた「そこまで!」という予選終了の合図を聞きながら、決勝トーナメントでの波乱を予感していた。
「リーダー! リーダーってば!」
「う……お前らか」
時を同じく予選終了直後。転送された先の倉庫街で、ムサシは目を醒ました。
何人かのチームメンバーが、顔を覗き込んでいる。
「悪ィ。負けた」
起き上がりながら詫びる。結局ユウキには負けたのだ。自分の中から何か力の源のようなものが失われたのを感じていた。
「おれはもう駄目だ……だけど、社長が面倒を見てくれる。お前ら、社長に着いて行け……悪いようにはならないはずだ」
負けた。
それでも、せめて仲間だけは。
「そんな……リーダー! じゃあリーダーはどうするんすか」
「おれは引退だ……その辺で復讐にでも遭ってくるさ」
ぐったりと、体を引きずるようにムサシが歩き出す。スシブレードに対抗するにはスシブレードしかないが、もはやムサシにそれは無理だろう。恨みを買ったスシブレーダーに襲われれば一瞬でアウトだ。それを承知の上で、ムサシは告げる。
「復讐の復讐とか、考えるなよ。おれたちは蹂躙する……それだけだ。下手な仲間意識で無駄な抗争とかはすんな。これが最後の──」
命令だ。そう言おうとして、しかしその言葉は遮られた。
「お、俺はあんたに着いていく! 守られてばかりでいられるか!」
「アタシも! アンタには恩がある! アタシらを受け入れてくれたのは、アンタだけだ!」
メンバーの1人が、反対を表明する。
それを受けて、また1人が、声を上げた。
「そうだ、オレも!」「ウチも! アンタ以外に着いてくなんて!」「寂しいこと言わないでよ、リーダー!」「やられるときは一緒っすよ、チームなんだから」
次々と、メンバーが続く。
「お前ら……」
メンバーの1人が、ムサシに肩を貸した。
曲がりなりにも、チームはチーム。友情は、歪ながらも確かに存在する。
チーム『無礼家』一行の姿が、ネオ・ダイバシティの夜闇に消えていった。
SPIN-08「明かされる真実!ユウキ VS "サージカルナイフ"のバイオン!」
ついに始まった決勝トーナメント。そしてユウキに6年前の真相が明かされる。進め、真実の先へ!
【アバンタイトル】
『さぁ始まりました、スシブレード・バトルブレーダーズは決勝トーナメントと相成りましてございます!』
「ユウキは?」
「くじらちゃん」
ネオ有明スタジアムの、観覧席。
関係者席に座る白乃瀬コタロウのもとに、引きこもりのはずの妹が現れた。
「どうしてここに?」
「別に外出くらいできる……末摘花に案内してもらった。源ユウキに頼まれてた『調べ物』の報告ついでに、会場の監視。何かが起きたとき現場にいたほうが対処しやすいと考えた」
「ああ、末摘花さんか……」
今や協会派のブレーダーとして地位を占める知人の名前が出てきたことで、納得する。人の多いところは苦手なはずのクジラなのだが、知人の案内でなんとか来れたというところだろう。
「……どこもお金稼ぎに余念がないね。くじらちゃん大丈夫?」
「ん。人が多いのは当たり前。こんな大きなイベント、見に来ないわけはない……協会や闇寿司だけじゃない、スシブレーダーにとってこれはとても大きな問題なの。少しでも事情に通じてる人間は、多かれ少なかれこの大会に関心を寄せている」
「そう」
私的でアングラな大会と聞いていたが、まさかネオ有明コロシアムを貸し切るレベルだとは思っていなかった──し、観客の動員数にも驚愕の一言だった。満席近いんじゃないか? どこが動員の利権をもってるのかは知らないが、つい妹の体調を気遣いたくなるような熱気だった。
「で、源ユウキは」
「……下」
「下?」
ユウキの所在を問われたコタロウは、人差し指を下に向けることで答えた。
意味がわからないというように反芻された単語が言わんとするところは、しかし、次の瞬間に明らかになる。
『1回戦第1試合は──源ユウキ VS "サージカルナイフ"のバイオン! まもなく試合開始となります!』
【A part】
「"サージカルナイフ"……!」
──「"サージカルナイフ"サマから直々に授かってきてんだよ!」
ムサシにサバイバー′を与えたという人物。そして何より……
──「新生スシブレード実験の資料の整理が終わった」
──「『本計画は"サージカルナイフ"のバイオンと"ペーパーナイフ"のカリギュラの管轄下に於いて行う』……闇寿司の手は、どうやらかなり深いところまで入っているみたいだよ。ほら、その証拠に……」
──「『スタジアムへの工作は、"サージカルナイフ"の指揮に一任した』」
協会オフィスでの一件の後、白乃瀬クジラの拠点──まぁつまるところ白乃瀬兄弟の家なのだが──を訪れたユウキに告げられた真実。
トーナメント1回戦で戦うことになった相手の名は、ユウキにとってあまりに重大な意味を持つ人物のそれだった。
闇寿司と戦い続ければいつか激突することになるだろうとコタロウに言われた通り考えていたが、ここで戦うことになるとは。できすぎなくらいだ──が、ツイている。
「ここで確かめる。6年前の真実を」
呟いて、拳を握りしめた。
舞台への道を歩く。今こそ真実を確かめる時。
「私の出番なようです」
「そのようだね」
時を同じくして、闇寿司陣営もまた集っていた。
名前を呼ばれて立ち上がった"サージカルナイフ"に、"社長"が声をかける。
「…………」
「複雑かもしれませんが、"デスサイズ"……貴方のためにも、行ってきます」
白い仮面に黒いマント──死神姿の四包丁に謝ってから、"サージカルナイフ"はリングへと続く道へ踏み出していった。
決戦の時だ。ケリをつけよう……あの少年の戦いに。
『6年ぶりに勝負の舞台へと現れた少年ブレーダー! 青コーナー、源ユウキ!』
うおおおおお、と歓声に迎えられながら土俵の前に立つ。
『対して赤コーナー! 知る人ぞ知る噂の刃! "サージカルナイフ"のバイオン!』
「──やぁ、源ユウキくん。はじめまして」
「複雑だな……ずっと前から、あんたと俺とは繋がってたはずなのに。はじめまして、闇寿司四包丁"サージカルナイフ"のバイオン──ここでお前を打ち倒す」
コロシアムの舞台に設置された土俵リングの向こう、同じく地下通路から現れた黒い白衣にバイザー姿のブレーダーを睨む。
あの事件の黒幕を、そして闇寿司の幹部を、勝負の場に引きずり出した。
因縁の仇は目の前にいる。
『両者揃いました! それでは構えて!』
「「3、2、1、へいらっしゃい!」」
ユウキ / サバイバー´
行司のアナウンスに合わせた掛け声とともに、2人の寿司が射出され、スタジアムの上でぶつかりあった。
「バイオン……! お前には聞きたいことが山ほどある……!」
敵は鰹の寿司カツエリオだ。サバイバーが持久力と機動力を両立させたバランスタイプだとするなら、カツアリオは防御力と機動力を両立させたバランスタイプ。
現役時代の知識を頼りに攻勢に出る──敵が硬いのは好都合。戦いの間に聞き出せる限りのことを聞き出す……!
「そう焦らなくても、教えてあげますよ。きみには知る権利がある。というより、もはや隠す意味はない」
「……ッ」
(まるで効いてないな……流石カツオ、硬い)
カツオが、サバイバー′の攻撃を軽くいなす。
観客席のコタロウの目には、このままではジリ貧なように映った。
「新生スシブレード実験とは何だ? なぜそんな実験が行われた? どうして俺たちがあんな目に遭わなければならなかった!?」
「まぁ、気になりますよね」
だがそれは承知の上。それよりも話を聞き出すのが先決だ。
バイオン側もただで喋っているわけでは勿論ない。サバイバー′に攻撃させて消耗を狙っているのだろう──利害はここで一致した。
「──私たちは『新しい寿司』を作ろうとしていました。強く、柔軟で、新しい寿司を」
「『新生スシブレード』……」
新生スシブレード実験──サバイバー′の生まれた計画は、その名前そのままの意味らしい。新しい寿司を生み出すための計画。闇寿司が取り組んでいたのは、新しい寿司レシピの策定。
「それがあの事件とどう繋がるんだ。俺たちを地獄に突き落としたのはなぜだ!」
「君はいま……15でしたっけ。高校1年生ではまだ習っているかどうかはわかりませんが、生物界には適者生存というルールが存在します」
適者生存──淘汰圧に適応してみせた生物種だけが存続できるという野生の世界を支配する一大原理。その言葉を、バイオンは援用した。
「私たちはスシブレードに対してもそれを適用しようとしました。柔軟で可能性に満ちた年頃ゴールデンエイジのブレーダーたちを生存競争の状況に置くことで、生き残ろうとする力が進化を導くと、そう考えたのですね」
「そんな馬鹿げたことを……!」
「馬鹿げてなどいませんよ。少年、スシブレードがなぜ回転するか考えたことはありますか?」
「……なに?」
ユウキの憤慨にバイオンが反駁する。
「『生命圏エピゾスフィア』という言葉に聞き覚えは?」
「……生存史観の」
「そうです。我々人類──人類に限らずすべての生命は、種としての存続本能を持ちます。これを新生物学者は『生命圏エピゾスフィア』と呼びますが、この力は幾度となく災厄の降りかかるこの世界で人類をここまで生き永らえさせました」
人類の暫定的総意、集合的生存欲求、生き残ろうとする意思の力──生命圏エピゾスフィア。認知歴史論──人類種の生命圏が、世界の与える試練を乗り越えさせて今日まで人類史を紡がせたのだとする歴史観が取り扱うその概念は、スシブレードの原理にも大きく絡んでくる。
「細胞内共生説を知っていますか? スシブレードはその生命圏に共生するミトコンドリアなのです、言ってしまえば」
「どういうことだ」
「スシブレードは惑星に喩えられますが──そのスシブレードはシャリと魚、陸と海のエレメントから成ります。彼らはこの星の代表者なのですよ。故に彼らは自転する」
「あン?」
スシブレードはこの星──海と大地の惑星・地球を代表する。スシブレードと惑星の繋がりは定型の比喩以上に深い意味を持っていた。
「つまりこういうことです。スシブレードは我々人類を霊長の支配種と認め、屈服し、その存続を助けることで生きている──火を灯し鉄を鍛え家畜を飼うように、我々は寿司を握っている」
スシブレード、それは人の歴史とともにあるもの。人と寿司の絆は、人類が野生の猿だった頃から連綿と続く共生関係なのだ。
「だから──ッ?」
「スシブレードはいつだって人類に力を与えてきた。飢えをしのぎ、獣を追いやり、魔を滅し……私たちはそうやって生き残ってきた。迫りくる脅威が大きければ大きいほど、それに打ち勝つため人はより強固な寿司を握り、絆を結んだ。影と光がセットであるように──そして歴史は鮨相撲を生み出した」
光が強ければ影も濃くなる──平衡原理として知られる相補性のうねり。歴史を重ねるごとに大きくなるその波は、江戸の代に寿司を崇めその力を借る神事として結実した。
「ここまで言えば分かるでしょう、少年。私たちが求めていたのはより原始的で根源的なスシブレードの姿。人類が続けてきた生存の挑戦、人類生命圏の補助機能としての刃──つまり生存競争という文脈を、私たちはスシブレードに刻みつけようとした」
「ふざけるな! そんな勝手な理由で俺たちは──!」
理屈はわかった。だが、ユウキの怒りはそこではない。
そんなふざけた考えで、ユウキたちロスト・チルドレンは地獄を見たのか。ユウキの怒りは寿司を通してバイオンに伝わる。カツン、とひときわ大きく激突し弾かれる音が響いた。
「ふざけてなどいませんよ。大真面目です。スシブレードの未来がかかっていたのですから」
「は?」
【B part】
「スシブレードの未来だと──?」
スシブレードの未来? むしろユウキたちロスト・チルドレン──スシブレードの未来を担うはずだった子供たちは6年前の事件のせいで失われたのだ。
そのどこにスシブレードの未来に益する要素がある。
「我々は少なからずスシブレードで口糊を凌ぐ者です。悪党とてスシブレードのためにならないことはしませんよ」
「どこが!」
「闇寿司は企業努力を怠りません。私たちの擁する優秀な経営陣は、ずっと前からスシブレードの未来を案じていました……そしてある日、彼らの試算は弾き出してしまった。スシブレードの終焉を」
スシブレード産業に巣食う闇。彼らとて自らを養う母体を食い破るようなことはしない。それどころか、より利益を得るための努力を怠ってはいなかった。
しかしそれ故に闇寿司は予見した──終わりゆくスシブレードの辿る前途、見果てぬ夢の果て、未来なき未来を。
「スシブレードの市場規模はここ数年目覚ましい勢いで拡大しています。単純には比べられませんが、10年前から20倍近く膨れ上がったという話もあります」
スシブレード用の寿司が市販されるようになってから、スシブレードの市場規模は爆発的に広がっていった。ただでさえ負けるたびに食されるという特性やカスタマイズ性によって嵩む流通数は、関係各社に競技人口の増加に伴って暴利とさえ言える利益をもたらしている。
「しかしそれ故に、私たちは苦しむことになります。競合他社に勝つためには、より強く新しい寿司を売り出さなければならない。弱い寿司は売れませんから」
「それでどうしてスシブレードが終わるんだ? 詭弁もいい加減に──」
「夢と希望」と煽り立て、人々をスシブレードバトルの世界へ突き落とし、次から次へ武器ネタを売り続けた。その因果は、やがて商人に返ってくる。加速主義の無謀はそこにこそあるのだ……加速し続ける競争は、脱落か自滅かにしか終わりえない。
だが、同時に反論も成立しうるだろう。企業間競争はいいことではないか。競い合うことでより高みへ至る──ブレーダーならみな知っていることだ。自由資本主義の美点はそこにこそあるはずでは。
「成長には、頭打ちというものがあります。まだ若いあなたにはわからないかもしれませんが……それが、近づいているのですよ」
「……どういうことだ」
「資本主義市場が成長し続ける経済圏を前提として成立するシステムというのはよく言われる話ですが、端的な話成長の見込めない業界に投資する者はいないということです……わざわざ他の寿司に勝てない寿司を握る職人はいない」
伸びしろには限度がある。大衆化したとはいえ、潜在的な競技人口も最早あらかた掘り起こされてしまった──グローバル展開にも地球という限りはある。
「だがスシブレードは違う。スシブレードには三竦みの原則がある。いくら強いスシネタも負けることはあるはず──お前の言ってることは欺瞞だ!」
「そうですね。スシブレードは基本的にアタック・ディフェンス・スタミナの3タイプによる三竦みに、それぞれの寿司特有のギミックによるメタゲームが繰り広げられてきました。それはその通りですが」
仮にそうだとしても、資本主義という球技におけるサッカーボールは金銭で、スシブレードでのそれは寿司ネタだ。通貨は何にでも変換できることが強みだが、それ故に寿司として固有の形を持つスシブレードとでは論点を異にする。金は量で測れるが、スシブレードは必ずしもそうではない。
激しい攻撃を得意とするアタックタイプは軽量級のスタミナタイプに強く、持久力に秀でたスタミナタイプはディフェンスタイプに粘り強さで水を開け、堅硬な防御を玉条とするディフェンスタイプはアタックタイプの攻撃を封じ込める。その三竦み構造はスシブレードの基本だ。──実際、アタックタイプに寄せて改造されているユウキのサバイバー′は、ディフェンス的な特性を持つカツオ相手に攻めあぐねている。
その三竦み構造を打ち破るために、特殊な能力を持つ寿司も存在する──サバイバー′にも何かギミックがあればこの状況を打破できただろうが。ユウキの戦ってきた相手だって、その特性を活かしてサバイバー′を大いに苦しめた──時にはタイプ相性さえ超えて。ヤリーカの弾性やカッパマーキュリーの胡瓜砲、イクラリオンやトブコの卵散弾……特異なギミックを持つ寿司の特質とその相性を含めて、おおよそ一強という寿司は存在しないのがスシブレードがここまで広まった所以である。
だが。
「闇寿司は、寿司の究極系を知っている──最強の攻撃、比類なきスタミナ、無敵の防御力。そしていかなる小細工も通じない絶対的な強さ。闇寿司の開祖、今は亡きレジェンド、闇親方の編み出したラーメンはスシブレードとしてあまりにも完成されすぎていた」
闇寿司の開祖──闇親方。闇の王がその最期まで闇寿司の頂点に君臨し続けていられたのは、スシブレードにおける『最強』の形を体現し続けたからだ。
「ラーメンだと……!?」
「格闘技の試合に戦闘機を持ち込んだようなものですから、型破りもいいところだ。しかし実際、スシブレードの強さを突き詰めていくと最終的にはラーメンに行き当たる」
戦闘機は人類科学の最先端である。その髄を凝らした工学兵器が強さの合理性を極めているのは当然のこと。それは、ラーメンにも当てはまる──進化は収斂する。
闇寿司もラーメンに勝てる寿司を作ろうとし、ラーメン以外の方向性を必死に開拓してきた。だが結果は変わらない。その過程でいくつもの新商品を生み出した試行錯誤はしかし、始まりにして終わりの究極、ラーメンの最強性を証明するだけだった。
ユウキはラーメンのスシブレードなんて見たことがない。だけど想像すればわかる──わかってしまう。スシブレーダーとして培ってきた経験が、どんな逆境も切り開いてきた戦闘勘が、その結論を導き出す。
──ラーメンなんて出されたら、勝てない。
「我々闇寿司は、誰かがラーメンを生み出してしまわないように工作を続けてきました。スシブレードメーカーの商品開発競争を緩やかな速度に保ってきた。緩やかに、できる限りラーメンへ辿り着くのが遅くなるように……だけどそれも限界が近い」
企業同士の牽制、スパイ行為、そして時には実力行使。闇寿司がスシブレード参入企業に対して行ってきた工作の数々を、バイオンは知っている。下積みアルバイト時代からその前線で働き続け、幹部候補生として"就職"してからは実際に指揮を取ってきたのだから。
そう、限界が近い。
闇寿司の所属でもない一般のブレーダーたちから、ロック・ヤリーカやグラビティ・オイナリスといったカスタマイズが生まれ始めている。
光と闇の境界線は、もうずっと前から曖昧だ。
「ブレーダーの考える戦術性も同じです。必殺転技というブレイクスルーも起きましたが、それもいっときの時間稼ぎにしかならないでしょう」
そも必殺転技自体が闇寿司の職人が有する奇異なスキルの劣化版とも言える。その程度の革新では闇寿司の計算を越えない──越えられない。
「夢と希望のスポーツ、スシブレード。その行き着く未来は行き止まりという絶望です──そしてこれから君は、その未来の前に膝をつく」
(あれは──)
白乃瀬コタロウは極めて普通の人間だ。故に彼の前では光も闇も相対的なものでしかない──彼は、光も闇も等しく扱うマルチプレイヤーである。
だから、コタロウは知っている。かつてスシブレード利権を取り巻く騒動に巻き込まれた時には彼本人も使った闇寿司産の技術──知る人には『ジーコ』と呼ばれるスライハンド。
カリギュラの寿司時空を通じて空間を切開・再接合するスキルと同じように、ジーコは亜空間である寿司時空を利用し寿司の中に別の寿司を潜り込ませる──寿司の本質は、見た目ではないということ。
「どうりでカツオにしても硬すぎると思った」
魚肉と米など比較対象にすらならない超重量。しかしほのかに香る鰹節の匂い……関係者席の近さからなら分かる。あれは──
「ラーメン……!?」
「ロスト・チルドレンよ。これがきみたちを殺したスシブレードの未来です。それでも、きみは挑みますか」
ユウキも敵の正体に感づく。究極系として提示されたスシブレードが、目の前で回っていた。
「あんなのどうすれば……」
そうと分かった今、寿司に通じた人間ならば目に見える──丼ごと回転する魚介系の醤油ラーメンが。
その像は、ユウキの目にはあまりにも大きな壁として映った。サバイバー′の攻撃はあえなく跳ねのけられていく。
「──!」
落とされた視線は、バイオンのラーメンに弾かれ続けるサバイバー′へ注がれる──ユウキの心が挫けども、ユウキの寿司はまだ回っていた。
「そうか、サバイバー′……そうだよな!」
──「生き延びたければ、戦え」
そうだ。闇寿司を倒すため、奴らの野望を阻むため、約束を果たすため、真実を確かめるため、このトーナメントを生き延びなければならない。ここで倒れるわけにはいかないのだ──二度と膝をついてたまるか。思い出すのは、かつての愛機を失った敗北。
何が未来だ、何が終焉だ。自分たちから寿司を、人生を、日常を奪った奴らの理屈になんか屈してなるものか──!
「勝負だ、闇寿司!」
「何──?」
サバイバー′が、攻勢に出た。連続して攻撃を打ち込んでいく。
何を考えている……? 攻めに回って消耗してはスタミナ切れで負けるのは目に見えているはず。血迷ったか──
「俺たちにとっての絶対は、俺たちにとっての究極は、俺たちがあの地獄の中で見た最強は!」
6年前の地獄。その中で最後まで立ち続け、誰からも奪われることなく生還の日を迎えた最強のブレーダー。その強さ故に居合わせた他のロスト・チルドレンを倒し続け、絶望させた最後の1人。その姿を、その寿司を、ユウキは知っている。
「ッ──!」
「あいつの寿司は、ラーメンなんかじゃない! サバイバーだ! 比べてみようじゃねえか、俺たちの絶望とお前たちの絶望、どちらがより絶望的か──!」
サバイバー′は新しい寿司として作られた──それは、"サージカルナイフ"本人が言ったこと。
ならば旧来のスシブレードにとっての絶望も、その寿司を挫く理はない。ラーメンは、果たしてあの地獄から出で来たものにとって絶望たりうるのか──勝負だ。
「受けてみろ、俺たちの怒りを! 俺たちの絶望を! 必殺転技──『鯖 鱗 裂 光 閃サバイバー・タキオンダッシュ・アサルト』!」
ユウキが吠え、サバイバー′が鈍く瞬く青い閃光となって猛る。連続攻撃のフィニッシュとして放たれる一撃──至近距離からの超加速を、バイオンの寿司は避けきれない!
「──見事です」
「なんだと……?」
青い閃光は、敵を貫いた。
ユウキ / サバイバー´ WIN!
決まり手 / Sushi Technique
鯖 鱗 裂 光 閃サバイバー・タキオンダッシュ・アサルト
「ッ、くう……」
必殺転技によって生じた衝撃と風圧が、"サージカルナイフ"の体を煽る。決着を告げるブザーとともに、サバイバー′の"人食い"が来た──"サージカルナイフ"のバイオンは膝をつく。
「──! あんたは」
風に煽られ、そして体勢を崩したことで、バイザーが外れ床に転がる──闇寿司四包丁、その一角を占める男の顔が露出された。
ユウキはその顔に見覚えがある。そう、確かに目にしたことがある……
「うちの高校の……スシブレード部の顧問だな」
「バレてしまいましたか」
「……俺のクラスメイトにサバイバー′を預けたのも、お前だな?」
クラスメイトに渡された、スシブレード部の勧誘チラシ。そこに映っていた顔だ。
流石にわかるだろうなとバイオンは笑った。
「おや、カリギュラからは暗愚な若者だと聞いていたのですが……鋭いですね」
──「バイオン様、頼まれたものを持ち出して参りました」
──「ご苦労さま。助かりますよ……さすが闇寿司忍者、手早いですね」
──「恐れ入るでござる」
──「ありがとう──それでは、ここでお別れです」
──「ッ! バイオン、何を……うわあああああ!」
──「きみ。さっきテストを受けていた子だね?」
──「はい? そうですけど……」
──「見たところきみのスタイルときみの使っている寿司は噛み合っていないように見える。今度はこれを使って再挑戦してみなさい。スシブレード部の試験は何度でも受けられるし、そう難しいものでもない。友達とでも一緒に練習して、また受けに来なさい。待っているよ」
──「え? あっ、はい! 頑張ります!」
──「持ち出されたサバイバー′の在り処が判明しました。私の持ち場です……ですが、立場上私が動くと目立ちます。隠蔽は私が請け負いましょう、代わりに、回収を頼みたい」
──「わァったよ。あい請け負うた。若い芽を摘むのは趣味でねェ、ケッケッケ」
闇寿司の拠点からサバイバー′を持ち出し、ユウキのクラスメイトにサバイバー′を預け、ユウキとの接触を促し、闇寿司のチーム『無礼家』をけしかけた。その張本人こそこの幹部、闇寿司四包丁"サージカルナイフ"のバイオン。
「何が目的なんだ」
「スシブレード・ハイスクールトーナメントを監視する業務も、私の仕事でしたからね」
「だがうちは名門なはずだ……クラスメイトの受け売りだが。お前、何がしたいんだ?」
若者の競技シーンこそ、スシブレードのある種の最前線である──年ごとのスパンで顔ぶれが変わる世界では、変革の速度もその分速い。監視するにはうってつけだが……闇寿司が本分であるなら、別にいち高校を名門にまで育て上げる必要はないはずだ。それは特に益にはならない、そう訝しむユウキの疑問は当然だ──何より、負け際の一言が、この人物が何を考えているのか不透明にしていた。
「私は……スシブレードの未来を育てられるなら私はなんでも良かった」
「ッ……お前……! その結果が6年前の事件だっていうのか……!」
「それはその通りです。ですが……いえ、やめておきましょう」
言い淀んで、やめる。言い訳をするつもりはない。
「ならせめて答えろ、お前なら知っているはずだ。6年前に最後まで立っていたブレーダー、サバイバーを使っていた浪城リョウガという少年を! あいつをどうした、あいつは無事なのか!? どうして最後まで立っていたはずのあいつまで、スシブレードの世界から消えた!? どうしてサバイバー′はあいつの寿司と同じ形をしている!?」
ユウキの追求は緩まない。激昂した勢いで、確かめるべき疑問を問いたてる。
浪城リョウガ──かつて相対したブレーダー。ユウキたちロスト・チルドレンにとっての絶望。そしてサバイバーの本来の持ち主。
ロスト・チルドレンの名称に引っかかったのはそれだ。あいつは最後まで立っていたじゃないか──なにより、どうして闇寿司の製造物であるサバイバー′が彼の使っていたネタと同じ姿をしている? 闇寿司は、あいつに何をした? そもそもあいつは無事なのか?
「それを聞かれると困ってしまいますが……最後にひとつ言い残しておきましょう。どうか、彼を救ってください」
「なに──? どういうことだ、何が言いたい!」
「いずれわかりますよ……いずれね」
持って回ったような言い回し──要領を得ない言葉は、意識が持たないことを悟ったが故のもの。
バイオンはそう言い残して、自らの寿司を貪り、よろよろと退場していく。
「おい、倒れたぞ! 担架もってこい!」
「これで全部、明らかになったんだよな……?」
赤コーナー側の通路からそんな声が聞こえた。それを傍目に、ユウキは思案する。どうにもスッキリしない決着だ。
スシブレード・バトルブレーダーズは続く──なんにせよ、戦い続けるしかない。
次話へ続く!
SPIN-09「それぞれの戦い、激動のSBBB」
スシブレードにかける思いは千差万別なれど、ぶつかり合う心はいずれも本物。戦場は熱狂の渦へ!
【アバンタイトル】
「やぁ、源ユウキ」
「”白鯨”……来てたのか」
関係者席に戻ったユウキを出迎えたのは、情報屋ハッカーにして寿司使いスシブレーダー、引きこもりなはずの白乃瀬クジラだった。
「報告に来た。頼まれてた調べ物の……。ロスト・チルドレン全員の現状調査、報酬は回らない寿司協会から課せられたミッションにおいてうちの兄と協力してくれるということでいいんだよね」
「ああ。後払いの形にはなっちゃうけど」
「それはいい。決勝に出れただけで儲けもの──結果から言えば、回らない寿司協会の言い分はおそらく正しい。浪城リョウガも、6年前の事故から帰還して以降スシブレードに関わった形跡はない。ただ、無事ではいるみたい。都内の私立高に学籍がある」
「……そうか」
ユウキの頼み事──それは、ロスト・チルドレンの身辺調査。回らない寿司協会との接触で浮上した疑惑を確かめるための依頼だったのだが、逆に裏を取れる結果が出てしまった。
だが、無事を知ってひとまずは安心したということだろう。簡単な返事を一つして、視線はスタジアムの方に注がれた。
『1回戦第2試合、青コーナーはこのブレーダー! あの"白鯨"の兄、白乃瀬コタロウ!』
そう、彼の出番だ。出場選手としてコタロウの名が呼ばれる。
そして彼の対戦相手は──
『赤コーナー! 期待の新星、実力は未知数のダークホース! 願野マサヤ!』
「結局予選は邪魔が入ったからな……初戦で当たれて嬉しいぜ!」
「全くだね。少なからず見知ったブレーダーが相手で助かった──今回、僕にしては珍しく運がいい」
コタロウが予選を共に駆け抜けた少年、願野マサヤとのマッチアップ。幸か不幸か、横で戦いを見ていた相手が初戦の敵だった。コタロウはマルチプレイヤーだ──対策はいくらでも用意できる。手の内が割れているという情報アドバンテージは、それだけで勝敗を決しうるということ。
マサヤの寿司ネタは穴子だ。ふっくらとした分厚い身から繰り出される重撃と、肉厚な身にたっぷり蓄えられた脂と甘ダレ由来の油分による滑らかな駆動が武器。だがそれも事前に対策されていては無意味! コタロウはそれを挫くスペードの3を用意していた。この試合、負けはない──!
「行くぜ!」
「行くよ」
「「3、2、1、へいらっしゃい!」」
【A part】
『勝負あり! 第2試合、勝者は願野マサヤ!』
コタロウ / シラス軍艦 LOSE
決まり手 / Sushi Technique
紫電撃戦
「ごめん、負けた」
「何やってんだ兄」
「いて」
数刻後、観客席に戻ってきたコタロウの脛をクジラが蹴り抜いた。が、引きこもりの脚力などたかが知れている。それに、可愛い妹とのスキンシップだ──痛がるポーズだけ取って、その隣に腰掛ける。
「……シラスのまきびしで足を潰すって発想は流石だよ」
「無駄だったけどね。普通にラーメンでも使えばよかった……やらかしたな」
コタロウとて負けるつもりではなかった。シラス軍艦を用意し、足回りを潰して勝つ作戦も組んでいたのだが──
「やっぱり、あの子強いな。あの歳にして覚悟が決まっている」
それ以上に、マサヤが強かった。そういう小細工を跳ねのけて勝つ、それだけの実力差があった。いや。それは、実力の差というよりも、むしろ……
「覚悟が決まっている?」
「うん。スシブレードにかける情熱モチベーションっていうのかな。僕と彼では、戦うという行為それ自体の質が、闘争という営みのレベルが違うんだと思う」
コタロウはこの大会に際して、"あわよくば手柄を立てて権力者に恩を売ろう"という以外のモチベーションはない。彼らの本業はハッカーで、だからスシブレードはもののついでに手を付けた程度のことだ。コタロウがマルチプレイヤーであるのも、寿司のモナドが極まっていない──寿司に対して半可通なのが要因の1つとしてある。とは言えスシブレード界隈もいまや随分大きな規模になったものだし、その中で影響力を得られるのなら裏社会を生きるのに色々やりやすくはあるのだが──闇寿司の存在を筆頭に、スシブレードの世界は社会の裏側を多分に内包する。しかしそれだって、別に他の手段で代替可能ではある。
つまるところ、スシブレードで戦うという行為に対して賭けているもの、ベットされたコインがそもそも桁違いなのだろう。オールインと分散投資とでは、やはり資金力が大きく変わってくるというわけだ。
スシブレードは心のスポーツ。モチベーションの多寡は、大いに響く。
「気をつけてユウキくん。ここから先は多分、ああいうレベルの戦いだ。実利とか打算とか、そういうのを越えた──すべてを賭けるような戦いが、きみを待っている」
「……わかってるさ」
そんなことは承知の上だ。それに、モチベーションの質が違うのはユウキも同じ。ユウキにとってのスシブレードは、6年前の地獄の延長戦、奪い奪われの弱肉強食でしかない──「より原始的で根源的なスシブレードの姿」。バイオンの言っていたそれを、ユウキは体現している。
『お待たせしました、これより1回戦第3試合を開始します! 対戦カードはこちら! アリアード VS メイルマー・カイオアビス!』
そして、その戦いは次のラウンドへ進む。アナウンスが、会場内に鳴り響いた。
『青コーナー! 海に愛された魚人の伝承部族の力は地上でも通じるのか!? メイルマー・カイオアビス!』
登場したのは、ヒレとエラを持つ人型の人。その容貌を見て、コタロウは呟く。
「伝承部族か、珍しいな」
人類の多様化。この世界におけるそれは、ヴェール崩壊以前の世界における社会的包摂論とは決定的にニュアンスを違えている。性別とか、人種とか、宗教とか、そういう次元ではない──生物種レベルで異なる亜人たち。幽か神話やお伽噺に姿を遺すだけだったそれらは、神秘を秘匿するヴェールが敗れたことにより再びホモ・サピエンスの前に姿を現した。
しかし、珍しくはある。繁殖力を生存戦略上の強みとするホモ・サピエンス種と違って彼らは少数派レアキャラだ。それに生物学的特質や文化の壁が高いのか、あまりホモ・サピエンス種と同じフィールドで競おうとはしない──のだが、よもやこのバトルブレーダーズで勝ち上がってくるほどまでとは。
『赤コーナー! スペインからの使者、スシアカデミア・ポルトガル語分校から吹く国際色の風! アリアード!』
「……アリアード」
「あれが、ユウキくんの協力したっていう」
「ああ」
そして対するはユウキと予選を駆け抜けたエスパノル・ヌートリア。一時は協力したブレーダーがスタジアムに上がるのを案じるように見つめ──思案を振り払うように首を振った。
「エスパノル・ヌートリアってことは……奇妙なカードが揃ったね。巡り合わせが良いのか悪いのかはわからないけど……」
「……そうだな」
そう、今から行われるのは第3試合だ──この試合の勝者が、第1試合勝者のユウキと戦うことになる。ユウキは一般のブレーダー相手にサバイバー′を振るえない。さらに、アリアードが勝てば……共闘した相手と戦うことになるのは、ユウキにとって辛いことかもしれない。そうならなければいいが……かと言って、負けを祈るわけにもいかない。外国人と人外人、マイノリティ同士のマッチアップとはレアな事象だが、果たしてそれが彼らにとってどう働くかは不透明だった。
「奇妙な事が起こるものだ……まさかカワウソと戦うことになるとは」
「伝承部族の方ですか。お互い苦労も多い身かと存じますが……勝負にそういった事柄は関係ありません。良いバトルにしましょう」
スタジアム上の2人は言葉を交わす。
それぞれ苦労もあるだろうが、こと真剣勝負に身の上話は関係ない。正々堂々、ただ技術と寿司を比べるだけだ。
「スペイン人……お前にだけは言われたくない」
「──なに?」
「「3、2、1、へいらっしゃい!」」
メイルマー / ネプチューン・トローン
「プラネットシリーズ対決か」
「……太陽と海王星?」
「ああ。塩〆したトラフグと、あれは多分……中トロだ」
土俵の上に打ち出されたのは2つのプラネットシリーズ。方や太陽ソルのトラフグ、方や海王星ネプチューンの中トロ──除籍された冥王星を省く太陽系最外部と最内部がぶつかり合う。
「攻めあぐねてるね」
「ソルトラフグは軽量級なんだ。それに、アリアードのスタイルはカウンター……俺のリバイバルアタックと違って、躱して戦うスタイルだ」
「まるで闘牛士ってところかな」
予選で並び戦ったユウキには、試合運びはアリアードが有利なように見えた。敵の攻撃を受けてから放つカウンター技未 敗 撃リバイバルアタックとは同じカウンタースタイルでもまた違う、敵を躱して隙を作るタイプのカウンター戦法がアリアードの十八番。薄身のトラフグが、ひらひらと土俵の上を行き来する。
揺らめくプロミネンスのような捉えどころのない動きに、ネプチューン・トローンは翻弄されていた。
「ちッ……癪に障る!」
「ソルトラフグ、そこ!」
「効くかぁ!」
「くっ……!」
が、ネプチューン・トローンも負けていない。あらゆる状況に対応できる万能が売りのマグロ、その中でもミドルクラスの中トロは激しいバトルにも堪える高級すぎない高級さが魅力だ。脂が乗りすぎて精密な操作を要する大トロのように繊細でなく、それでいて進化前の赤身を凌ぐスペック──かつてマグロ使いだったユウキなら、当時発売されていれば迷わず手に取っただろう一品。「癖が無さすぎて強みも無い、所詮初心者向けな器用貧乏」と言われるアルティメットマグロも、進化すれば──ラーメンほどではないにせよ──隙のない全能の寿司となる。
そんな三拍子揃ったネプチューン・トローンに、軽量級なソルトラフグの攻撃は響かなかった。
「ソルトラフグの攻撃が通用しない……」
「所詮その程度ということだ、スペイン人」
「ッ……ですが、貴方の攻撃も当たっていませんよ」
戦況は膠着。ネプチューンが攻撃を仕掛けるもソルトラフグが躱す。しかし、カウンター攻撃はさしてネプチューンに効いていない。
「膠着状態ってところかな」
バトルの様子を見て、コタロウは呟く。もっとも、状況は彼の見立通りではない。
「膠着じゃない。ソルトラフグはスタミナタイプ……このまま長丁場になれば、戦況はスタミナ特化のソルトラフグに傾く。兄の目は節穴?」
軽いということは地面との間に働く摩擦も小さいということで、即ちそれは攻撃力と引き換えの長命を意味する。
焦りからか、メイルマーは苛立っているように見えた。
「ソルトラフグ、躱して!」
「ちッ……太陽太陽と……。なぁスペイン人、貴様なにを考えてその寿司を使っている?」
大きめな攻撃を躱され、魚人の伝承部族は毒づいた。
【B part】
「私たちの祖国スペインは太陽の国です。決して沈まない太陽の国、スペイン──今はトンガラシ事件の影響で翳ってしまいましたが、だからこそ、このソルトラフグはその象徴……! 国の状況が不安定な中、そしてもはやヒトの形を失った私たちにとって、スシブレードは未来を照らす光で、夢と希望を与えてくれるものです」
スペインを襲った災厄──トンガラシ事件と呼ばれる惨劇は、スペイン国民から半ば恒久的にホモ・サピエンスの形質を奪った。混乱したスペインは事件後、政治的変調に内紛、そして国際的な政争や紛争に巻き込まれ困窮を極めることになるのだが、それは何年も前の話だ。
スペインは復興を遂げている。太陽は何度でも昇るのだ。そして、事件直後に生まれたアリアードたち若者世代はスシブレードの世界で躍進を始めている。スペインは水産大国だ──魚介料理との親和性は高く、また、ヒトの形質を奪われた彼らにとって寿司を回せさえすれば身体的ハンデも関係なく他人種と戦えるスシブレードは希望を与える活路の1つだった。
「アリアード……」
膨らむと丸くなり、その様を太陽になぞらえて太陽のプラネットシリーズに据えられたトラフグ。それを、そんな思いで使っていたのか。明かされた共闘相手のバックボーンにつばを飲む。みな、背負うものがあるということだ……その前向きさが眩しくもあるが。
「太陽の沈まぬ帝国とは……お前たち本当に……」
ただし、自己開示が共感を呼ぶとも限らない。メイルマーの疑問は確信に変わり、反感を醸造する。
「被害主面をするな、スペイン人──!」
「えっ……何を」
「魚人族だけじゃない、多くの同胞……海棲の伝承部族たちがお前たちによって棲家を追われたんだぞ──知らないとは言わせない!」
ネプチューンの攻撃が激しさを増す。躱すのが間に合わないのか、ソルトラフグが何発か攻撃をもらっていた。
「どういうこと? くじらちゃん」
「人類版図の話。大航海時代に人類の活動領域は遠海にまで広がった……そして生命圏エピゾスフィアの適用下に置かれることになって、数で負ける伝承部族はホモ・サピエンスの集合的生存欲求に遅れを取った。あとは兄の知る通り」
「伝承部族は世界から姿を消した、か……」
異世界の秩序が侵攻してきたときでさえ組み敷いてみせた人類生命圏。その力は、異種族であり神話生物である伝承部族たちにも牙を向いていた。
人類にとって未知の世界に根を下ろす化生たち。海の幽霊として船乗りが伝えた、いまで言う伝承部族たちを恐れた人々の心は、彼らにとって驚異──科学、信仰、そして世界各地に昔から伝わるスシブレードの亜種。生命圏の力を借りたホモ・サピエンスによって、海棲の神話生物は一度歴史から出番を失くすことになる。
そして歴史上、人類の海への道を拓き、初めて海洋帝国を築いたのはスペインだ。メイルマーは、それをこそ弾劾している。
「でも文明が発展した今は共存できてるじゃない? どうして?」
「いまは人類の範疇が広がったっていうか、彼らが人類と共存することを選んでくれたからだよ。言い方は悪いけど、犬猫が絶滅してないのと同じ。兄、ちゃんと学校いってるの?」
「僕は凡才だからね……難しい授業はあまりちゃんと理解できてないんだ」
スシブレードが人類の生命圏に協力しているように、ホモ・サピエンスと同意し協力することを選んだ亜人たちも同じ生命圏を共有している──少なくとも今は。
「ッ……しかし大航海時代はもう過去のこと。今はお互い似たような立場だ。お互いわかり合えるはずです」
「勝手に終わらせるな。魚人族にとってはまだ続いている話だぞ。ネプチューン・トローン……その意味は海王神ネプチューンの玉座Throne。かつて我々は海に愛され、海を愛し、海の神の庇護下で繁栄した。それをお前達は奪い、制海権だのと言って今なお占拠している!」
「けど! いまやスペインは困窮しています。かつてのスペインとは違う。そんなことはもう謂れのないことで──」
「謂われない? なら魚人族はどうして追いやられた? 我々が侵略戦争でもしかけたのか? 謂われなかったのは我々の方だ!」
「ッ……」
「お前たちのせいだぞスペイン人……お前らが欲をかいたせいで我々は今なおこうして屈辱に甘んじている!」
舌戦は続く。言い争いがヒートアップするにつれネプチューンの攻撃が激しくなるが、ソルトラフグも負けまいと躱し、受け流し、反撃を叩き込んでいる。
そして、2人の諍いの熱は観客席まで波及する──会場が、ざわつき始めていた。
「嫌な感じだ……くじらちゃん、大丈夫?」
「…………」
「駄目だ。耳塞いじゃって……」
会場が不穏な雰囲気に包まれていくのを感じて、引きこもりの妹を案じる。
白乃瀬クジラの逃避行動は正しかった。騒然だつ会場に耳が慣れたのかあるいは観客もヒートアップしているのか、やがて明確な言葉をユウキの鼓膜は拾い出す。
「そうかも……」「被害者面にも限度はある……よな」「困窮してるって言うけど、そもそもアリアードはアカデミアのエリートだろ」「それにおれ外国人に勝たれるの嫌だよ、スシブレードは日本のものだぞ! ならまだ海の伝承部族のほうが良い」「アイツのバトルスタイル、卑怯なんだよ。やっちゃえ!」
「過去のことネチネチ言い出して、ヤな奴」「被害者だからって偉いわけでもないでしょ、何アイツ」「ブーメラン刺さってるだろ。被害者面すんな、相手はヌートリアだろ?」「スポーツに他のことを持ち込んじゃ駄目でしょ」「荒っぽくて品がない。あんなやつ倒しちまえ!」
やがて、野次同士で言い合うような、そんな罵声が飛び交い始めた。
「……っ」
「落ち着いてほしいものだよね、それともスシブレードの世界は闘争の世界だってことか」
「生命圏の奪い合い……どちらが生き残るのに適しているか、みんなはどちらの味方か……スシブレードによる代理戦争……会場を味方につけたほうが……うぅ……」
「ああ、よしよし……」
ユウキからしても、見ていて気持ちのいいものではない。ままあることだとは言え──コタロウの言うように、スシブレードは闘争の世界だ。比喩ではなく、ブレーダーとしては闘争心が強ければ強いほど強くなれる。スシブレードは心の戦い、戦おうとしないものは生き残れない。
クジラはクジラで、不安を打ち消すためにか、そんなようなことを呟いた。コタロウに宥められていなければどうなっていたか、不安になるところであるが、実際このバトル、会場を味方につけたほうが勝つ。互角の勝負は、しばしばそういった様相を呈する。そして、どちらの味方をするかで会場は揺れていた。
「やっちまえ、メイルマー!」
「ネプチューンのスシオーラが……!」
「沈め、太陽! 『イローディングスカイ・ウルフダウン』!」
「ッ──!」
観客の声援を受けて、ネプチューンのスシオーラが増大していく。それを認識して、アリアードは歯を鳴らした。
増大したオーラを解き放ち、ネプリューン・トローンの必殺転技が繰り出される──それぞれが単体で必殺級の連続攻撃、淀みなく押し寄せる波のような連撃がソルトラフグを襲う!
「あんな奴になんか負けるな、アリアード!」
「そうだ……私は故郷の仲間たちのためにも負けるわけにはいかない。お前のような奴がいる限り、私たちは苦しみ続けるだけだ──!」
「……アリアード」
だが、ただやられ続けて黙っているわけもない。アリアードが吠える。トドメを刺そうと襲いかかったネプチューンの攻撃範囲から抜け出し、ソルトラフグが土俵際まで駆けていく。
「私たちは屈しない、昇る日がある限り!」
「なにッ──!?」
そして、飛翔する。空中に抜け出せば、地上での駆動性は勝負の争点から外れる。
呆気にとられるメイルマーのネプチューン・トローンを、ソルトラフグが空から見下ろしていた。
「必殺転技! 『レコンキスタ・インベルシオン・ソル』!」
「ッ……!」
空中へ飛び上がり、制止。これこそがアリアードの必殺転技。ソルトラフグのオーラが大きく燃え上がり、身を翻してネプチューン目掛けて落下する──!
「誰であろうと私たちの敵はこの火で焼き払う! 行け、ソルトラフグ──!」
「二度も、あいつらに負ける屈辱など味わうものか! スシブレードの王座は私たちのものだ! ネプチューン・トローン!」
必殺転技を躱されたネプチューンが、迎撃しようと構える。かすかに残ったわさびを消費して回転力をフルに発揮し、落ちてきたソルトラフグを刈り取る──がしかし、そうは問屋が卸さなかった。
ソルトラフグ、直撃。そしてネプチューンは上からの落下攻撃を受け止めきれずに玉砕バースト。
メイルマー / ネプチューン・トローン LOSE
決まり手 / Sushi Technique
レコンキスタ・インベルシオン・ソル
決着。
回転力が足りなかった──スタミナ切れ。最後に勝負を分けたのは、機体性能の差。
「やった」「ザマァ見ろ歴史厨! スポーツに政治持ち込むからそうなるんだよ!」
「んだよ、アイツかよ」「まぁ仕方ねぇか……」「なんか胸糞わるーい」
決着がアナウンスされる。観客はそれぞれに結末を受け止めているようだ。
「源さん。準決勝の用意をお願いします」
「ああ……」
運営のスタッフが、関係者席のユウキに声をかける。1回戦第3試合は終了、次の試合が終われば準決勝第1試合が始まる──戦うのだ、アリアードと。
それを憂いてか、ユウキの顔色は優れなかった。
「ユウキくん……」
案ずる声が届いたかどうかは、去っていく背中からは推し量れない。
【C part】
「闇寿司、お前なんかには負けない! 卑怯な手を使う奴らを、秩序を侵す奴らを、みんなを脅かす奴らを野放しになんかするもんか──!」
「フン……言ってろ」
第4戦は、"デスサイズ"と協会派のブレーダー・犬噛ドクミの対戦。まくし立てるドクミの攻勢に反して、戦況は"デスサイズ"優位で進んでいた──ドクミのシュリンピオーネが攻撃するも、尽くがデスサイズのエビ寿司に受け止められている。
「そんな程度では寿司が泣くな、協会派よ」
「うるさい。寿司を泣かせているのはお前たちの方だ!」
そう、レギュレーションが制定されることでプロリーグは秩序だった運営を可能にしている。ラーメンなど許せばたちまちに環境は崩壊するだろうことは闇寿司の口から語られたとおりだ。闇寿司の寿司に対する無法は許されない──許すべきではない。
「巻き込んでしまったユウキさんのためにも、ここでお前を──! 必殺転技! シュリンピオーネ、『スクリュー──」
「力の伴わない正義では何も成し遂げられないぞ……そんな下手なスシブレードでは、何も」
シュリンピオーネが渾身の一撃を放つ。
だが。
「『ファイナル・ネイル』」
「嘘──!?」
その突撃より早く、死神の一撃がシュリンピオーネを穿った。冷徹に告げられた技はしかし、圧倒的なまでの彼我の差を残酷に突きつけていた。
あまりにもあっけなく、シュリンピオーネの場外負けオーバー・フィニッシュが決まった。
「このエビには特に闇寿司流のカスタムはしていない……お前のエビはその程度だということだ」
「そんな……」
それでは、何のためにプロリーグ加入資格を蹴ってまで運営側である協会に入ったのか。
アカデミアの同期たちのことを思い出す。プロリーグを盛り上げるだけなら彼ら彼女らで事足りる。しかし、闇から仲間を守るのは一番強い自分が負うべき使命だ──そう考えて協会に入り、ついに闇と戦う機会を得たのに。
その結果がこのザマだ。自分では何も守れない──それを突きつけられて、ドクミは膝をついた。
『決着! 1回戦第4試合勝者は"デスサイズ"!』
──そのアナウンスが控室にも届いた。
熱狂冷めやらぬせいか、歓声がコンクリートの壁を通じてなおユウキの鼓膜をかすかに揺らす。
「…………」
控室は静かだ。用意された調理設備には手もつけず、ユウキはただ座って、俯いていた。
酢飯投影をしないブレーダーのために用意された準備時間も、ユウキには関係ない。ずっと、考えていた。
「なぁ、リョウガ。お前なら……お前なら、どうする……?」
あの日々のことを思い出しながら。
SPIN-10「究極デッドエンドセミファイナル!」
決勝トーナメントは準決勝に差し掛かり、進退はいよいよ極まった。戦えユウキ、信じるもののために!
【アバンタイトル】
「リョウガ、お前なら……」
ユウキの中で蘇るのは、6年前のスタジアムでの日々。
──「いい加減折れろ、黙って負けろ!」
──「やれ、アルティメットマグロ……! こんな奴なんか……!」
まだ全員が倒れる前のことだ。居合わせた子供たちが、互いの寿司を奪い合っていた。
生き残るためだけに、寿司をぶつけ合う。生存をかけた熾烈な戦い──それがあのスタジアムの中での日常だった。
──「へいらっしゃい」
──「ッ、鯖寿司!」
──「またお前か……!」
そして、これもまた日常。
そうやって争っているところを彼に見つかると、サバイバーが飛んでくる。鱗の反射が描く軌跡はロスト・チルドレンにとって恐怖や絶望の象徴だった。
──「いい加減毎回うぜぇんだよ、一度痛い目見せてやる……ネギトロイヤー!」
──「無駄だ。サバイバー!」
飛来したサバイバーによってぶつかり合っていた寿司が蹴散らされるも、それで諦めるようならそもそも奪い合ってなどいない。体勢を立て直し、気に食わない乱入者に一撃を浴びせた。
だけどそれも無駄に終わる。攻撃を受けたサバイバーは、攻撃を受けた勢いを利用してネギトロイヤーの背後に回り、そのままネギトロイヤーを突き飛ばす。
──「それでも食ってろ」
──「くッ……!」
突き飛ばされ、持ち主の体に叩きつけられるネギトロイヤーの残骸。逡巡の末にそれを手に取り、対戦していた少年は食事を始めた。
──「お前もやるか?」
──「っ……アルティメット!」
──「──サバイバー」
──「……クソ!」
ユウキを射すくめる視線。その挑発には、乗らざるを得ない。いつまでも勝手を許すものか──しかし、突撃させたアルティメットマグロを迎え討つサバイバーの一撃が、寿司の芯を射抜いた。
マグロが崩壊したのを確認すると、彼は──リョウガは、つまらなそうに踵を返して去っていく。
「リョウガ、俺は……」
それを繰り返し、負け続けることで寿司を食いつないで、子供たちの心は折れていく。
それでも。それでもあいつは。リョウガは──
「源さん。準決勝第1試合が始まります。入場の方を」
「……わかった」
呼ばれて、控室を出る。セミファイナルの始まりだ──幕は上がってしまった。やるしかない。
「ユウキくん、大丈夫なの」
「ああ。大丈夫。戦わなきゃいけないのはわかってるさ」
通路を歩くユウキに、様子を見に来たコタロウが声をかけた。
しかし心配はない。戦うしかない、それはずっと昔からわかっていることだから。
【A part】
『お待たせしました、これよりスシブレード・バトルブレーダーズはセミファイナルへとステージを移します!』
観客が待ちかねたとばかりに歓声を上げる。ついに始まるのだ──コタロウは思わず唾を飲んだ。
『準決勝第1試合はこの2人! 源ユウキ VS アリアード!』
対戦カードのアナウンスは、予選で手を結んだ2人が、本戦の舞台で敵として相まみえることを告げる──想像していたよりもずっと嫌な形で。
──「決勝トーナメントで会いましょう」
予選を生き抜いた後、そう言って握手をした。だが今になって思えば、こうならないほうがきっと良かった。
『青コーナー、源ユウキ! 閃光のごとき一撃はソルトラフグを捉えきれるのか!?』
「……捉えるさ、必ず」
名前を呼ばれて、ステージに上がる。そして、スシブレードがぶつかり合う土俵リングを──その向こうを、睨んだ。
『赤コーナーはアリアード! 足の速い鯖寿司相手にどう立ち回るか!』
「ユウキ。悪いですが、あなたとて手加減はしません。正直この国の人間には失望しました……魚人なんかの肩を持つ奴らに、私たちを誹る奴らに、スシブレードの王座は渡さない……!」
赤コーナーに現れたアリアードを、ユウキはしっかりと見据える。アリアードもまたユウキを睨んでいた。もしかしたら、彼の背後の観客たちを睨んでいたのかもしれないが。
「そうか。じゃあ──」
「ええ……」
戦うしかないことは双方承知済み。何を言うでもなく、ランチャーとサバイバー′を構えた。それがユウキの返事。
"ただバトルあるのみ"と受け取って、アリアードもソルトラフグを箸に番える。
交わす言葉はない。ただ、合図を待つのみ。
『両者揃いました! それではセミファイナル第1試合、構えて──』
「「3、2、1、へいらっしゃい!」」
ユウキ / サバイバー′
2人の寿司が射出された。
半透明のトラフグと、青い鱗のサバが土俵の上を駆ける。
「サバイバー′!」
「無駄ですよ!」
ソルトラフグが、サバイバー′の攻撃をするりと躱す。やはり軽量級ゆえの身軽さは厄介だ。
しかし。
「無駄なのはどっちだ?」
「何?」
サバイバー′は、それでも果敢に攻め続ける──尽く空振るにも関わらず。
「お前は見ているはずだぞ。サバイバー′の速度を」
「それが何だというのですか? ソルトラフグの前にはどんな攻撃も無力です。あなたは見ていたはずですが」
丁々発止──サバイバー′の速攻、そしてそれを躱し、ソルトラフグが反撃を打ち込む。
油断ならない戦いが展開されていた。
「攻撃すればその分俺は消耗する。だけど避けるのだってタダじゃない。サバイバー′はスタミナも武器の1つだぜ」
「だから? ソルトラフグはスタミナ特化のスシブレードです。敵うとでも思ってるんですか?」
「お前の寿司の回転が鈍った瞬間、俺はお前の寿司を刈り取る──それができるって言ってるんだ」
そう、サバイバー′の最大の武器は速力だ。持久力はその補助に過ぎない──少なくとも、ユウキの施した改造によってアタックタイプとして運用されているサバイバー′はそうだ。その証拠に、徐々に試合はユウキのペースに支配されつつあった。
攻撃を躱して反撃に出ようとしたソルトラフグをさらに振り切り、サバイバー′は再び攻撃を仕掛ける。
「ッ──!」
掠める。間一髪のところでソルトラフグがサバイバー′の攻撃を避けた。
ユウキの言っていることはハッタリではない──少しでも勢いが落ちれば狩られる。
「攻めてこないとお前は負ける。戦えよ、生き延びたければ──!」
「クソ……!」
ソルトラフグが消耗する前にサバイバー′のスタミナを削りきらなければ、生存の目はない。
その事実を突きつけられ、アリアードは歯を鳴らす。しかし覚悟は決まっている。思い出せ。祖国が味わった屈辱を、困難を強いられた同朋の苦しみを、差別心を隠す気もない敵の目を!
「私たちは何度でも立ち上がる! どんな試練が課されようと、必ず太陽は私たちの頭上に昇る! だからどんな敵だって、ソルトラフグ……お前の敵じゃない!」
故郷の人々が立ち上がる邪魔になるなら、誰であれねじ伏せる。そしてアリアードとソルトラフグにはそれができる。
そうだ、戦うしかない──負けるわけにはいかないのだから!
「打ち倒す、立ち塞がる障害を全て! 我らを苦しめる敵の全てをその火で焼け! ソルトラフグ──」
「来るか……だけどそう簡単にやらせるわけないだろ! サバイバー′!」
サバイバー′の脇をすり抜けていくソルトラフグ。勿論タダで逃がすユウキでもない──逃げるトラフグを鯖寿司が追う。
「食らうか!」
「くそっ」
だが話はそう単純ではない。ひらりと、ソルトラフグが突撃を躱した──土俵際を蹴って、飛び上がる。
この流れは、さっきの試合でも見せたルチャリブレ仕様の必殺パターン。あれが来る。
「焼き尽くせ! 『レコンキスタ・インベルシオン・ソル』!」
「ッ……!」
「やれ、ソルトラフグ!」
空中に飛び上がったソルトラフグが、燃え上がるスシオーラとともに向きを変え、サバイバー′を狙って急降下──!
「だけど……」
「な──?」
激突。だがしかし、サバイバー′は健在──大きく弾き飛ばされたとは言え、上空から叩き込まれる一撃を受けてなぜ無事でいる? 驚愕で、アリアードの瞳は大きく見開かれる。
「来るとわかってるカウンターなら見切れるさ……同じカウンター使いなんだから」
「あの攻撃はブラフか──!」
そう、ソルトラフグに向かっていったサバイバー′の攻撃はブラフ──カウンター攻撃を誘い、隙を作るための。
アリアードのカウンターは攻撃を避けられたことで生ずる不意を突くものだ。だから、来るとわかっているカウンターならば、そもそも不意でなどないのなら、受け止めることだってできる。
「誘ったな、ユウキィ……!」
「悪い」
誘われていた。その事に気づいてアリアードは牙を剥き出しにして激昂する。
対してユウキは冷静だ。カウンターを受けること前提で行われた突撃は、その前提を満たしたいま戦況をユウキの術中に置いていた。
「アリアード。俺には友達とか、仲間がいない……だから、お前の言ってることはわからない」
「そうだ、だから私は負けない。無理解な奴らに、安全なとこから見てるだけの奴らに、私たちのことを認めさせてやらないと──!」
ユウキに仲間や友達はいない。6年前に閉じ込められたスタジアムから生還してなお続く生活の不全感の1つは、そこに起因する。
世界観が、日常からズレていた──スタジアムでの日々がユウキに植え付けた生きるか死ぬかという価値観は、文明社会の中では不適応だ。周りの人間が違う世界の生き物のように見えていた。帰還当初は学校にさえ通うことさえ難しかったほどの断絶を、ユウキは抱えている。同年代の子供たちと奪い合いの生存競争を演じた経験は否が応でも人間不信の温床になり、想像を超えた凄絶な体験は話しても理解は得られないだろうという諦めを生んだ。
そして何より。人気を増していくスシブレードをもてはやす世間と、ブレーダーとして死んだ自分──彼我の差異はユウキに孤立を強いる溝としてそこにあった。
だから、ユウキが誰かのために戦うような誰かは存在しない。アリアードの故郷の人々に対する同族意識も、そこから沸き上がる闘争心も、ユウキには共感できない。
「だけど。俺にもわかることがある」
「何がわかるんだ、日本人に!」
アリアードが吠える。恵まれた国にいる奴に、スシブレード発祥の地だからとあぐらをかいているだけの島国に、エスパノルの何がわかるというのか。
「──俺たちは、殺し合ったら駄目なんだ」
「……ッ!」
それでも、ただひとつ、それだけは譲れない答え。ユウキがあの地獄から持ち帰ったもの。
──突撃を躱されても、運動エネルギーは残る。慣性で駆動し続けるままソルトラフグの一撃を受けたサバイバー′は、勢いよく弾き飛ばされていき、そして土俵際に差し掛かっていた。
アリアードは察知する。この流れは、予選のとき目の前で見た。青い反撃が、来る──
「『鯖 寿 司 未 敗 撃サバイバー・リバイバルアタック』」
静かに宣告する。ユウキの答えは、その必殺転技。
土俵際でとどまったサバイバー′が、青い反撃を放つ。これがアリアードとは違うユウキのカウンター。サバイバー本来の所有者を真似て編み出した一撃は、軽量級のソルトラフグを吹き飛ばしていた。
「クッ──でもここで負けるわけにはいかない! ソルトラフグ、まだやれるだろ! 太陽は昇る、敵を倒すために何度でも!」
「アリアード、お前もわかっていたはずだ」
足掻くように、ソルトラフグを叱り飛ばす。みっともなく勝ちに執着するアリアードに、ユウキは憂うような口調で説いた。
だが、アリアードはそも聞く耳を持たない。
「うるさい! ソルトラフグ、『レコンキスタ・インベルシオン・ソル』!」
まだだ、まだ負けていない。空中に投げ出されたソルトラフグに、無理やり必殺転技を命じる。体勢を崩しながらも、ソルトラフグが高度を増していき、オーラを燃え上がらせた──しかし。
「くじらちゃん、あれは」
「寿司がもたない……あのソルトラフグは、本来あんな挙動を想定されていないはず」
なんとか空中で必殺転技の体勢に移行したソルトラフグ。だがシャリが何粒かこぼれ落ちていった。
ユウキはその現象を見たことがある。定められた寿司のモナドから外れていく寿司の悲鳴。ソルトラフグが、崩壊しかけていた。
「ソルトラフグ……!」
「……『 鯖 鱗 裂 光 閃サバイバー・タキオンダッシュ・アサルト』」
ボロボロになりながらも、本来とは違う不完全な必殺転技が放たれる。だがその威力は不完全ゆえ目に見えて弱い。
リバイバルアタックの慣性でサバイバー′が移動する先を狙って落ちてくるソルトラフグを、鈍い青色の閃光が轢いた。
ユウキ / サバイバー′ WIN!
決まり手 / Sushi Technique
鯖 寿 司 未 敗 撃サバイバー・リバイバルアタック + 鯖 鱗 裂 光 閃サバイバー・タキオンダッシュ・アサルト
『ソルトラフグ、場外オーバー! 準決勝第1試合勝者は源ユウキ!』
歓声が上がる。
「…………」
勝負は決した。けれどユウキの表情は晴れないままだ。
歓声の響くスタジアムを、何も言わずに立ち去る。
「ごめん、アリアード。だけど……」
サバイバー′を握りしめて呟く。
何はともあれ──これで、決勝進出。
【B part】
『続いて準決勝第2試合は、"デスサイズ" VS 願野マサヤ!』
アナウンスが響く。
「"デスサイズ"……!」
それを合図として、決勝進出者として再び控室に戻ったユウキは部屋から出た。
ステージ脇の通路。最も試合場に近いその場所へ躍り出ると、人影。既に、対戦者たちが睨み合っていた。
青コーナーに立っていた闇寿司を睨み、名を呼ぶ。こいつだ──こいつがまだ残っている。
しかし、赤コーナーにもブレーダーは立っている。まず戦うのはこの2人だ。
「エスサイズだかデカサイズだか知らねぇが不気味な野郎め」
「ふん。いいから構えろ」
「お、やる気じゃねえか。そこは好感持てるぜ──」
対戦カードはこの2名。マサヤと"デスサイズ"がそれぞれランチャーを構えて、寿司を投影する。
両者、発気揚々──
『それでは第2試合、用意!』
「「3、2、1、へいらっしゃい!」」
"デスサイズ" / サーモン
「サーモン……? あいつもマルチプレイヤーか! 変に縁があるな」
「ほざけ」
"デスサイズ"のネタはサーモン。1回戦で使っていたエビとはまた違う寿司を繰り出してきた死神姿の相手に、マサヤが驚嘆の声を上げる。
コタロウと言い"デスサイズ"と言い、何かにつけマルチプレイヤーの相手と当たる日だ。だがまぁ珍しいとはいえ、競技シーンではまま見る手合いではある。寿司にはそれぞれ一長一短があり、それぞれが最も輝ける状況で使い分けるのが理想的なブレーダーの姿勢だと考える派閥もいるくらいだ。
「だけど、俺のアナゴルノを攻略できるかな!」
だがそれは理想論──実際には器用貧乏に陥る者の方が多く、これという武器がないブレーダーの逃げ道でしかないと批判する声もある。つまり、一芸を極めたブレーダーには引けを取る。
マサヤは穴子使いだ。ウナギの下位互換と謗られることもあるが、穴子の魅力は庶民にも愛される手軽さ。高級品であるウナギと違い、お手軽に楽しむことができる穴子はブレーダーにとって優しい寿司──お安くお買い求めいただけるのは即ちそのままバトルも改造も数をこなしやすいということで、それは直接ブレーダーの練度に大きく影響する。穴子を研究し尽くしたマサヤに、もはやアナゴの短所などあってないも同じ──!
ユウキよりさらに年下だろう年少の身にしてこの大会でここまで勝ち上がってきた実力は伊達ではない。
「それはお前の方だ。このまま攻めきれなければお前はスタミナ切れで終いだぞ」
「レイ・アナゴルノを舐めるなよ、そんくらいわかってるっての!」
"デスサイズ"のネタ、サーモンは防御に寄ったバランスタイプだ。攻撃力に偏ったアナゴルノではやや分が悪い。酢飯投影習得者のマルチプレイヤーが厄介なのは、相手の寿司を見てから後出しで有利な寿司を握れるところである。寿司の特色を知り尽くしていないとできない芸当に加えて、さらにマサヤの攻撃を防いでみせるこの淀みない操作──この男、やり手だ。
だがそれでもマサヤは臆さない。穴子は穴子でも、マサヤのそれは一味違う。脂の乗った肉厚な身は光沢を放ち、その油分でより滑らかな駆動を実現する。スタジアム上に現れる乱反射した光線のような煌めきの軌道、曇ることなき光子のような戦いぶり故に、その名を『レイ・アナゴルノ』。光速の駆動を可能にする潤滑剤──油分はスタミナにも当然寄与していた。
サーモンにぶつかっては弾かれていくも、アナゴルノは回転の勢いを失わない。
「ガキだと思ってると痛い目見るぜ、死神野郎」
「確かに、結構やるようだ」
レイ・アナゴルノの攻撃を的確に捌いていく。"デスサイズ"の防御に、攻め入る隙は未だ無い──だがそれは同時に、攻勢に転じる余裕もまた無いということの現れ。
「──が、甘い」
「なに?」
「お前の攻撃は見切った──『ファイナル・ネイル』!」
離れてはまた攻撃を仕掛けようとしたアナゴルノの向こうっ面に、黒ずんだ赤色のオーラとともに必殺の一撃が叩き込まれる。読まれた──サーモンもまた、脂を武器の1つとする寿司ネタ。瞬間的になら、サーモンの機動力は並みのアタックタイプをも凌ぐ。見切りさえすれば迎え討つことは容易だった。最短距離、最効率で寿司の核を捉える痛打が穴子を襲う。
「『紫電逸戦』!」
「──!」
だが、ここで沈むマサヤでもなかった。グリップを効かせ、アナゴルノの体勢を変える──アタックタイプの弱点、攻撃時にできる大きな隙をカバーするための必殺転技!
突撃の勢いをそのまま防御力に変換し、相手の攻撃を弾き受け流す攻勢の防御は、寿司の命を的確に刈り取る一撃を逸してみせた。
「いまの技、アカデミアの流儀ではないな。貴様どこの所属だ?」
「どこでもねぇよ。独学だ。うちは貧乏だからな」
仕切り直し。アナゴとサーモンが互いの調子を測るように打ち合っていた。
マサヤが披露した必殺転技、その戦法はアカデミアやその系列の洗練されたやり方ではない。あれは下町の喧嘩殺法に近い──どちらかと言えば闇寿司やその辺縁、アンリミテッドな環境で生まれるようなガムシャラで無茶苦茶なスタイルだ。しかし、闇寿司幹部・四包丁である"デスサイズ"の知る通りマサヤは闇寿司のブレーダーでもまたない。
それもそのはず、マサヤはアカデミアやその系列の大手スシブレードスクールでスシブレードを習ったわけではない。当然スシブレードスクール同士が組むジュニアリーグにも出場したことはないし、年齢の問題もあってアングラな大会にも中々出られない。そも協会に正式なブレーダーとして登録されてすらいない。ただひたすらに野試合で磨かれた才能なのだ──数年もしたら闇寿司の情報網に登るかもしれなかったが、流石にまだ若かった。
「これほどの才能を放っておくとは、協会もアカデミアも随分な損をしているな」
「全くだぜ……だからこそ俺はこの大会で優勝して、実力を認めさせる!」
回らない協会運営のブレーダーランキングは、協会公認の大会での順位に応じてポイントが付加されるシステムだ。が、公認大会に出るには協会から認可を受けたスシブレードスクールで試験を受けてプレイヤーライセンスを取得しなければならない。そして大概そういうスクールは月謝が高い──町で慎ましやかな食堂を営む願野家の次男坊・マサヤは、とてもではないが通いたいなどと言い出せる境遇ではなかった。
「これはチャンスなんだ……父さんの夢を、母さんの苦労を、兄貴の無念を、俺が!」
バトルブレーダーズの招待状、それはマサヤが掴んだ一世一代のチャンス。自分でも出れる大会がないかと探し続けるうちに発達した情報収集能力で聞きつけた噂。実力以外一切の条件を不問とする、スシブレード界最大の戦い。それで優勝すれば、どの勢力もマサヤの実力を認めないわけにはいかないだろう。そうすれば、プロにだってなれるかもしれない──家族の名誉のためにも、この戦いになんとしても勝たなければ。
「父さんは地元じゃ一番のブレーダーだった。だけど東京じゃ通用しなかった。夢破れた父さんは母さんと結婚して、あの小さな店を継いだ。母さんの母さんが始めたうちの店はとてもじゃないが繁盛はしてねぇし、うちもまぁ貧乏だ。だけど母さんは苦しい顔ひとつ見せず俺と兄貴を育ててくれた。兄貴だって、俺がいるからってアカデミアへの進学を諦めて就職した! 兄貴ならプロにだってなれたはずなのに──俺は、みんなに報いなきゃいけないんだ!」
「そうか……」
かなり昔から経営がガタガタな願野家の食堂は、彼の父がかろうじてスシブレードを得意とすることによってギリギリのところで子供を育てる余力を生んでいた。そんな父の背中を見て育ったからか、マサヤたち兄弟はスシブレードに慣れ親しんできた。マサヤの目から見ても彼の兄は優秀なブレーダーだったが、まだ幼い弟に遠慮してプロへの道──いまとなっては、ほとんどスシアカデミアへの進学を意味する──を諦め、懸命に働いている。家族に愛されて育った子供なのだ、マサヤは。
だからこそ、スシブレードで名を挙げて、家族に報いなければならない。それがマサヤの戦う動機。
「だから、どこの誰だか知らないけど、まずはお前に勝つ──! 行くぞレイ・アナゴルノ! 『紫電撃戦』!」
「──!」
アナゴルノがオーラを纏って加速する。
コタロウにトドメを刺した必殺転技、レイ・アナゴルノの機動力を一気に解放して放たれる、鋭い刃物が閃くような一撃!
「行っけぇ! アナゴルノ──!」
「だが、それで勝てるとも限らない──スシブレードバトルは非情だな」
「なに?」
しかし、"デスサイズ"は動じない。最高速度から放たれるアナゴルノの突撃を、彼の操るサーモンはいなしてみせた。
これは──
「こうやるんだったか? 見様見真似で悪いが……なるほど良い技だ」
「こいつ、俺の技を!」
"デスサイズ"とて、伊達に闇寿司の幹部をやっていない。寿司に愛された者──"寿司の御子"とも呼ばれる天性のセンスをもってして、見たばかりの技を真似てみせた。
「勝負は残酷で、現実は非情だ。年若きブレーダーよ。事実として──お前の父が夢破れたのは弱かったからだ。お前の家が貧乏なのは母の料理が不味いからだ。お前の兄が夢を諦めたのは叶わないとわかっていたからだ」
「ッ──てめぇ!」
家族を貶され、マサヤが憤激する。だがその怒りがこもった攻撃も、サーモンの的確な防御によって無に帰した。
「何なら貴様の兄は賢かった。実際に見たことがあるのか、それとも頭が良かったのかは知らないが、越えられない壁があることを理解していたのだろう」
「なんだと──?」
人が諦めるときにも色々あるが、何にせよ撤退というのはある種の賢さを要求する選択ではある。それができたマサヤの兄は賢明だったのだろうと"デスサイズ"は説く。そう、彼は知っている──人を挫く絶望、心を折る絶対、歩みを阻む行き止まり。
「お前はここでそれを知れ──次元間スシ・フィールド、展開」
「次元間スシ・フィールド!?」
次元間スシ・フィールド。寿司とはそれを握るブレーダーの心が宿るものであるが、行き着ききった寿司のモナドは、もはや寿司の形に留まらない。酢飯投影のさらに先、本来寿司の中に込められる『寿司とは、スシブレードとは何か』というスシブレード観が直接世界に現れる──形而上のイメージが、次元を超えて形而下に投射される現象。それを人は次元間スシ・フィールドと呼んだ。
そんなものまで使えるのか、この死神男──!
「『死戦場の刃デッドエンド・スタジアム』」
「ッ──!」
彼の世界が開帳される。地形こそスタジアムだが、その全容はまるで歪。彼らを飲み込んだのは黄昏時のような茫洋とした薄暗がり。そして──洋の東西、時代の新旧を問わないあらゆる種類の墓石が、空間内に林立していた。
デッドエンドの名に悖るところのない絶望そのものな風景に圧倒されて、マサヤは息を呑む。
「オレの世界の中で、この攻撃を受け流せるか? 必殺──『デッドエンド・ファイナルネイル』!」
「『紫電逸戦』──ッ!?」
一発目のファイナル・ネイルは受け流された。では"デスサイズ"の作り出した世界の中ではどうか? 世界そのものを味方につけた一撃──血の色をした必殺転技が、レイ・アナゴルノに打ち込まれる。
サーモンの放つオーラがレイ・アナゴルノのオーラを圧していた。受け止めきれない。逸らす前に、アナゴルノに致命的なダメージが生じたのをマサヤは感じ取った。
「……それでも」
「ほう……?」
「それでも、負けるもんか──!」
弾かれるのを察知して、アナゴルノは自ら間合いをとった。
敵は強大だし、アナゴルノ自身ももうそう長くはもたない。これが最後のチャンスだろう。だけどまだだ。まだ負けていない。負けていないなら戦える。戦えるなら、勝てる──! 負けるわけにはいかないのだから!
「耐えたか。随分しぶといな」
「悪い、アナゴルノ。最後の無茶に付き合ってくれ──必殺転技! 『紫電決戦』!」
最後の力を振り絞り、レイ・アナゴルノが土俵の上を駆ける。耐えきれず散らばったシャリが軌跡を描く。受けたダメージが響いていた。
それでも眩いオーラを放ち、レイ・アナゴルノは敢行する──寿命近い体を燃やすかのような最後の突撃を。
「チッ……」
「と、ど……けぇー!」
ボロボロになりながらの一撃が、"デスサイズ"のサーモンを叩いた。
サーモンは吹き飛ばされていく。場外まで行くか──マサヤは祈るように叫んだ。
「……実際見事だ。オレにこれを出させたのも、ここまで粘ったのも」
だが。
「だが、いい加減にしろ」
「なッ──」
サーモンが制動を取り戻す──いや、これは。初めから利用されていた。
"デスサイズ"のサーモンは、飛ばされた勢いを使って加速する──!
「カウンター!?」
「いい加減ここで眠れ。これで終わりだ──『デッドエンド・デスサイズドライブ』」
死力を出し尽くしたアナゴルノの背中を捉えて、酸化した血の色のオーラを纏ったサーモンがその首を刈った。
弾き飛ばされたレイ・アナゴルノは空中で崩壊し──燃え尽きるかのように薄暗闇に呑まれて消えていく。
「アナゴルノ……!」
レイ・アナゴルノ、消滅バースト。そしてアナゴルノが消えた空間に十字架が突き立った。
デスサイズ / サーモン WIN!
決まり手 / Sushi Technique
デッドエンド・デスサイズドライブ
「せめて安らかに眠れ、願野マサヤ」
「ぐッ……なんだ、これ……!」
ガクン、とマサヤの膝が落ちる。何が起きているのかを理解する前に、マサヤはそのまま地に伏した。
「ク、ソ……父さん、母さん、兄貴……ごめん……」
「倒れた!」「赤コーナーの選手が倒れたぞ! 急げ!」「担架だ! 医務室へ運ぶ!」
意識が遠のいていく。マサヤが最後に見たものは、駆けつけたスタッフの向こうで踵を返した"デスサイズ"の背中だった。
「バイオンさん。そろそろ起きた頃合いじゃないですか?」
時間は少し戻って。
第1試合──ユウキとアリアードの戦いを見届けたコタロウは、妹のクジラを伴って医務室を訪れていた。
「誰かと思えば……白乃瀬様ご一行」
コタロウとてただで負けたわけではない。敗者特有のメリット──それは次回戦のことを考えなくていいこと。1回戦敗退者のコタロウはもはや次回戦のための情報収集のために観戦している必要もない。
だから、闇寿司の人間が捌けているであろう第2試合中のこのタイミングに、ここを訪れられる。実際このタイミングしか無かった──ユウキを見届け、そして彼に気取られないように闇寿司と接触するなら。
「何の御用で?」
「いくつか確認です──あなた、ラーメンなんて使ってませんよね?」
ベッドの上に寝かせられたバイオンに問われて、コタロウが切り出した。
わざわざ訪れたのは他でもない。確かめたいことがある。
「ぼくも使ったことがあるから分かります……ラーメンはあの程度の攻撃では貫けない。だけどユウキくんとあなたの戦いはバーストフィニッシュで決着した。何をしたんです?」
「やれやれ、敵いませんね」
コタロウはマルチプレイヤーだ──手裏剣の扱いを教えた闇寿司の双子忍者と知り合った際には、ラーメンを使った。だからわかる。サバイバー′の攻撃一発で破壊できるほど、ラーメンは脆くない。
「二重ジーコです」
「そんなことができるんですか?」
「ええ……と言っても、私のはいささか特殊ですが。私の寿司は常に罪とともにありましたから……6年前からずっと。それを一緒に握っただけです」
「……弱みの握り」
「そういうことです」
スシブレードには心が宿る。逆説的に、形而上の概念を寿司として握ることも可能だ。闇寿司にかかればその技術はもはや当然。バイオンは、その形而上性を活かして、見せかけの寿司の中に潜り込ませた寿司がさらに本質を内包するという形で二重に寿司を隠蔽するジーコを行っていた。
「あなた……ロスト・チルドレンの事件を悔いているんですか?」
「ええ。私たちはとんでもないことをした。今でも夢に見ますよ、回収した記録の凄惨さを」
あのスタジアムに、未来など無かった。これからのスシブレードを回していくはずだった可能性は、あのスタジアムの中で徐々に腐って朽ち果てた。彼はその様を、サバイバー′を握るのに際して追体験している。
内包された本質はバイオンの罪悪感──彼にとっての弱み、ウィークポイント。そもそも弱みの握りとは、そういう物を握る技術だ。だが──
「勝つつもり、無かったんですね。というか……何がしたいんですか? ユウキくんを戦場に上げたことといい……」
弱みの握りでは本来、握る弱みは他者のものであるはずだ。自分の弱みを握ったところで、弱点を晒すだけではないか──それに、ロスト・チルドレンであるユウキを相手にそんなことをすれば自ずから傷を抉るようなものだ。何故そんなことを? わからない。
そう──ユウキにサバイバー′を与え闇寿司との戦いに巻き込んだことも、その過程として闇寿司を裏切っていることも。疑問は尽きない。
「闇寿司は一枚岩ではない。案外単純ですが、見落とす人も多いですよね」
そして、その疑問にバイオンは答える。闇寿司は営利組織である故に、時として構成員同士の間でも利害が食い違うこともある──組織とは、個人が集まって作るものだから。秘密結社然とした外見に惑わされて、その発想に至れない者も多い。
「つまり?」
「闇寿司全体としての計画とは別に、私には私の、そして彼には彼の計画がある」
『彼?』と聞き返しそうになるが、妹が袖を引いて制止した。枝葉を掘るのは後──今は大枠から聞き出せということだろう。
「……じゃあ、あなたの計画とは」
「私は彼の計画を知っている──そして、彼を止めたかった。だから源ユウキを戦場に引きずり戻した」
そのためにユウキにサバイバー′を与え、闇寿司と戦わせ、協会の監視上に引き上げ、この大会へエントリーさせた。全部が全部計算通りというわけではないものの、大局的にはバイオンの計画は順当だ。
「いや、やっぱりあなたの話は不明確だ。どうしてユウキくんなんです? 他にやりようはあったでしょう。それに、ユウキくんを動かしたいなら去り際に『彼を救ってください』なんて曖昧じゃなくて、もっと具体的な言い方が……というか、その彼とは一体──」
「私にとってあの事件がウィークポイントであるように、彼にとってもロスト・チルドレンは地雷なはずだ。私はそれに賭けました。実際、結構効いていたようです」
源ユウキが、バイオンの潜入していた高校に入ってきたこと。その僥倖こそが計画の発端であり、同時に要だった。
「彼の正体をぼかしたのも、計画の一端ですよ。彼は彼で、逆に源ユウキにとっての地雷でもあるようですから……先に彼の正体が割れてしまった場合、源ユウキは決勝まで戦う意欲を失うかもしれなかった。決勝で彼と当たるまで、源ユウキにはその正体を隠す必要がありました」
「なるほど……ん?」
納得し、引っかかる。決勝戦でユウキと当たりうる人間──大会行程が準決勝に進んだ今となっては、その候補はもう2人しかいない。そしてその片方は、コタロウにとって身元が割れているにも等しいブレーダーだ。
「決勝って、まさか」
「ええ。そろそろ準決勝は終わる頃ですかね──」
「っ……! 行くよくじらちゃん、ユウキくんに伝えないと」
思考が答えに行き当たる。だとすれば、ユウキに伝えないと──コタロウは妹の手を引っ張って医務室を後にした。
「どうか、頼みますよ」
バイオンは、一人になった医務室でそう呟いた。
【C part】
『決着! 第2試合勝者は"デスサイズ"!』
「そんな──」
試合を通路から見ていたユウキの瞳が見開かれる。瞳孔は、目の前で起きたことを処理しきれずに、動揺で揺れていた。
「くそ……! どういうことだよ……!?」
頭では理解している。だが、それ故に混乱をきたしていた。誰が想像しただろう、こんな意味不明な真実を。
決まり手となったあのカウンター技は──当時は『デスサイズドライブ』などという名前もついていなかったし、そもそも必殺転技などという形でさえ無かったが、それでもあの技は彼が使っていたものだ。
それに何より、あの次元間スシ・フィールド。墓石が並んでいたせいでほとんどの人間は気づかなかっただろうが、ユウキならわかる。日付の感覚がなくなるほどの間、ずっと中で過ごしていたのだから。
そう、あのスタジアムはネオダイバ・スシブレードスタジアム──!
「いた……! ユウキくん聞いてくれ、奴は、奴の正体は──」
だから、思い当たる名前は1つ。あの仮面の下は、あの死神の正体は──
「浪城リョウガ……!」
次話に続く!
SPIN-11「宿命デッドハンドファイナル!」
ついにヴェールを脱いだ死神。探し求めた敵は目の前に。宿命の2人、再び集う──。
【アバンタイトル】
「浪城リョウガ……!」
名を呟く。6年前の地獄で最後まで立っていた少年は、いま闇寿司四包丁最後の砦として決勝に駒を進めていた。
「気づいたんだね」
「コタロウ──ああ。あの必殺転技、そして次元間スシ・フィールド……"デスサイズ"の正体は浪城リョウガ、ロスト・チルドレン最後の1人だ」
バイオンからの尋問で得た情報を伝えようと訪れたコタロウとユウキが合流する。最も、その情報はもはや不要。バイオンの目論見通り、ユウキは決勝戦を直前して敵の正体に勘付いた。
「会いに行こう、あいつに……あいつが無事なのか、あいつがどうして闇寿司にいるのか、確かめるんだ」
「でも」
「脅されているのかもしれないし、洗脳されているかもしれない。もしそうなら……俺たちは戦う必要はない!」
闇寿司ならそれくらいの非道はしてくるだろう。もしそうなら、"デスサイズ"──リョウガを助け出さなければ。望まない戦いを強いられているのなら、共に闇寿司と戦うように説得できれば、決勝で争わなくたって。
だがそれは危険な行いだ。これから戦う敵の懐に飛び込んでいくなど、いくら旧知の仲と言っても闇寿司相手に不用心が過ぎる。
「できれば……あいつとは戦いたくない。ロスト・チルドレンはもう、何かを賭けた戦いを、望まない奪い合いをする必要はない! もう俺たちは苦しまなくていいはずだ……だから」
「いや……危ないんじゃ」
「それでも、戦わなければ道は開けない──ずっとそうだったんだから、いまさら!」
ユウキは駆け出していく。
【A part】
『決勝戦までしばしお待ち下さい。準備時間を取らせていただいております』
「よくやった、"デスサイズ"──流石は私の息子だ」
「父さん」
控室に戻った"デスサイズ"を、闇寿司の頭目"社長"がねぎらった。それが仕事だとは言え、計画を立案するだけで自分が現場に出るわけにはいかないのがトップの辛いところだ。だが心配はいらない。"寿司の御子"にして"デスサイズ"──闇寿司の秘中の秘にして最強の懐刀である彼は生涯無敗のブレーダー。ここで負けて頓挫する未来はあり得ない。
「これで、オレたちの計画もいよいよ最終段階だ」
「ああ。勝の遺したトロフィーを獲る。そしてスシブレードの新たな地平を切り開く。スシブレードの未来のために」
「そうだ……ついに、決勝だ」
勝親方の遺産を賭けた戦いは、次でいよいよ決勝。長かった戦いもこれで終わる。
「いよいよこれで最後だ。"ペーパーナイフ"や"サージカルナイフ"にも報いなければならないからな。任せたぞ、"デスサイズ"」
「ああ。任せてくれ」
そうだ、報いなければならない。トーナメントの頂点──その下に築かれた敗者の屍の山、ここまでの戦いで倒れていった闇寿司の仲間たちに。
「だから、あんたはここで眠ってろ」
「な──ッ!?」
──突如、"デスサイズ"が自らの親に箸を突き立てた。
箸から放出される赤黒いオーラが、鎌の形に収束していく。
「お前何を──!」
「後は任せてくれよ、親父。ここからはオレの計画だ」
首筋に突き立てられた箸を見て、どもった声を上げるがもう遅い。
"デスサイズ"が箸をクイと引く。鎌の形のオーラが、”社長”の首を通り過ぎ、意識を刈った。
「な……ぜ」
「さぁ……ゆっくり考えてくれよ。考えてる間に、全部終わらせてくるから」
薄れゆく意識の中でつぶやかれた言葉を、しかし"デスサイズ"──リョウガは顧慮だにしない。
『闇寿司として活動してたなんて……そりゃ、くじらの調査でもわからないわけだ』
「アナログな隠遁は案外……というか逆に有効なこともあるってわけだ」
『汚名はここで挽回する。ブラックハッカー舐めるなよ、闇寿司』
ユウキたちは、会場内を急いでいた。コタロウの持った端末から、クジラの声がする。彼女は1人、観客席で作業中だ──闇寿司の居所を暴くために、会場内のシステムをハックする作業。
『ふたりとも。そこ』
「ここが……」
会場内にいくつか設置された漬け場の1つ。指し示された場所に向かう2人の足が合図とともにその場所で止まった。
ついに、対面する。扉を蹴り開けた。
「"デスサイズ"、いや──」
「リョウガ!」
「チィ……。過去の亡霊が……」
ついに突き止めた正体。その名を叫べば、ソファで俯いていた本人が煩わしげに反応した。
「流石にバレるだろうとは思っていたが、直接乗り込んでくるとはな」
「お前と話したいことがある──聞きたいことも山ほど!」
「チッ……まあいい。決勝までまだ時間がある。付き合ってやるよ」
舌打ちするも、しかしここで要求を飲まなければより面倒なことになるだろうのは明白だった。乗り込んでくるほどの敵意を、話すだけで収めてくれるなら安いものだ。
「"デスサイズ"は本当にお前なのか、リョウガ」
「自分の目で見たものを信じられないのか、お前は──これでどうだ」
「っ……本当なんだな」
「くどいぞ」
立ち上がって、来客を迎える。仮面を被ったままの四包丁に、確かめるように問いかけた──『そうであってほしくない』という希望が混じっていたかどうかはユウキ自身定かでないが、しかしその質問の解答は簡潔な返事1つで確定する。
"デスサイズ"が仮面を脱ぎ捨てた。顕になった顔には、確かに6年前にまみえた少年の面影が見いだせる。
「ひとまず……お前が無事で良かった。俺はお前が姿を消したと聞いて、衰弱死でもしたんじゃないかと思って……」
「は?」
正体が確定したのならそれはそれで複雑な心境だが、しかし一番はじめに絞り出されたのはそんな言葉だった。
何を言っているんだと、不機嫌そうに声を上げる。
「お前はスタジアムに囚われていた間も、人の寿司を食わなかったから……てっきりあの後体を壊したんじゃないかと不安だった。だからお前が生きてると聞いて安心したし、それにこうして顔を見られてよかった。ずっと、お前に会いたかった」
「これから戦う敵を案じてどうする、源ユウキ──オレとお前は友達でもなんでもない、敵同士だ」
ユウキの記憶の中には、リョウガが他人の寿司を奪う姿はない。あれだけ絶対的な力を示しておきながら、それを人から奪うことに使わなかった──ただ平等に薙ぎ倒すだけのシステム。あのスタジアムでの彼の行動を総括するなら、そのようになるのだろう。だからそれ故に、生還した後も彼のその後のことが気がかりだった──その懸念は、回らない寿司協会との接触でより深くなる。
しかし、その心配は筋違いだ。ユウキにとってリョウガはこれから戦う相手で、憎むべき闇寿司の人間なのだから。
「心配だったのはそれもだ、リョウガ。闇寿司に何かされたんじゃないかと」
「……ほう?」
だが、それもまたユウキにとって懸念事項の1つ。なぜロスト・チルドレンが憎むべき闇寿司に与するのか──何か事情があるのではないかと。
「サバイバー′を作るのだって、きっとお前の協力が必要だったはずだ。答えろリョウガ、何かされてないだろうな。弱みでも握られているのか、それとも脅されて……そうでもなければ、俺たちは戦わなくていいはずだ。"サージカルナイフ"からも『お前を救ってくれ』と言われた! 俺たちなら、協力すれば闇寿司の支配だって──」
「笑止。戦いたくないのはお前のほうじゃないか? 無理はしなくていいんだぞ、ロスト・チルドレン」
「ッ……!」
もし望まない戦いを強いられているのなら、2人して力を合わせれば、闇寿司の支配を脱することだってできるだろう。ユウキはここまで闇寿司と何度も戦いそのたびに勝ち抜いてきているし、リョウガだって四包丁の一角を担えるほどの力があるはず。だから、もしそうだとすればユウキとリョウガがここで戦う必要はない。
もっとも、そんな甘ったれた考えが通じるわけもないが。
「だが、ならどうしてお前は闇寿司に加担している!? 本当に強制されているわけじゃないんだよな、それとも何か仕方ない理由で対価を──」
「どちらも違う。さらに言えば洗脳もされていない。次元間スシ・フィールドを生み出せるほどに固まった寿司のモナドは、闇寿司の技術でも漬けられないからだ」
「ッ──じゃあなんで! あのスタジアム崩落事故の黒幕は闇寿司なんだぞ!」
ユウキの懸念は全て外れ──当の本人によって、先回りしてまで否定されてしまった。
どういうことだ、バイオンの「彼を救ってください」とは、そういう意味ではなかったのか? それではどうしてこのロスト・チルドレン唯一の生存者は闇寿司に与するのか──
「お前はどうも勘違いしているようだが、オレは初めから闇寿司だ。そんなことは委細承知している」
「なんだと──?」
明かされた理由。それは至極シンプルなものだった。ロスト・チルドレンだからといって闇寿司と敵対するばかりではないという、ごく単純な、それでいてユウキにとっての前提を覆す答え。
「最初からって……どういうことだ」
「オレの父は波浪寿司の役員だ……そもそも波浪寿司は父とその友人が興した会社だからな。父はそのスシブレードの才覚でもって自分たちの会社を一大企業に育て上げた」
リョウガの父は闇寿司の"社長"その人だ。スシブレード台頭と同時に躍進を始めた海鮮食品チェーン──そして何よりスシブレードメーカー、波浪寿司社。闇の温床たるその企業の重役こそが彼である。
「そして父は闇寿司でもあった。当然だ、寿司を金儲けの道具にしようという発想は闇からしか出てこない」
「……"社長"って、まさか」
「ああ。闇親方が崩御した後、王たるものを失った闇寿司は次の頭目を求めて混乱に陥り、後継者争いが始まった。その中で父は金で人を動かし、それでもどうにもならなかった者は実力で御し、闇寿司のトップに上り詰めた」
闇も勝もいい加減過去の伝説だが、その影響はあまりに大きい──勿論その不在であっても。
「その結果がいまのスシブレードだ。闇の力を得た波浪寿司はより大きく成長し、スシブレード界を牽引する覇権企業となった」
「波浪寿司……実に業界シェア2位、だっけ」
『実質的な影響力では業界トップって言われてるけどね』
端末越しにクジラが訂正を入れる。
波浪寿司はスシブレードの世界において、どうしたって無視できないファクターだ。スシブレードというブルー・オーシャンにこぞって参入していった各社の中でも一際の存在感を放ち、そのまま新興メーカーの王として君臨した波浪寿司は、古参メーカー『寿司さんざめき丸』と並んで業界の双璧をなしていた。ことスシブレード界に限ればあの『タカラホビー』や『NICE』も、その後塵を拝する。
「オレはその父のもとに生まれ、光と闇両方のスシブレードを見て育った」
「それでも、お前はあの大会に出ていた! 闇寿司には手を染めなかったんだろ!?」
リョウガはネオダイバ記念ジュニア・スシブレード大会に出場していた。闇寿司は勝つために手段を選ばない──それ故に、基本的に彼らはレギュレーションの枠組みの中で戦う"表の舞台"とは交わらない。"表"のものであったあの大会に出場していた当時の彼は、だから闇には堕ちていなかったはずだ。
「ああそうだ……だがオレはあのスタジアムから生還した後、バイオンたちから全てを聞き、自分の進路を闇寿司に決めた」
「どうしてだよ、お前はあの事件のことを許せるっていうのか!?」
「……スシブレーダーたちの未来のためだ。そのためならオレは闇寿司に与することをも厭わない」
「リョウガ、お前まで……お前までそれを言うのか……!」
回らない寿司協会にしろ闇寿司にしろ、ここまでの戦いで何度も聞かされた言い訳だ。同じロスト・チルドレンの口からさえ、その言葉が繰り出される。
「オレはお前とは違う。過去の亡霊が何を喚いたところで何も変わりはしない」
「お前……」
闇と光の断絶は深い。ユウキの言葉は、リョウガには届かずじまいだった。継ぐ言葉を見失って、眉を潜めた。
「──準備はよろしいでしょうか、お二方」
「時間切れだ」
「っ……」
「これより決勝戦を行います。ご入場ください」
沈黙の間を伺ってか、運営スタッフが2人に声をかけた。タイムアップというわけだ──説得は失敗。
決勝戦が、最後の戦いが、始まる。始まってしまう。
「もし何か言い残したことがあれば、リングで聞こう」
「戦うしかないのか、リョウガ」
「そうだ。戦え。スタジアムに立って、戦え。お前にもここまで来た理由があるはずだ。務めを果たすんだ……お互いに」
【B part】
『さぁ皆さま、お待たせしました! いよいよバトルブレーダーズも大詰め、決勝戦の準備が整いましてございます! 亡き勝親方の遺産、最強のスシブレーダーを証すトロフィーも、コロシアムの上から最後の戦いを見定めるために現れました』
全天候対応、開閉式屋根のスタジアム──ネオ有明コロシアムの開け放たれた屋根から覗く雲ひとつ見えない夜空。観客の視線は、そこに浮かぶ輪状の月桂樹と、その中心に浮いた金色のトロフィーへと注がれていた。
『そして──トロフィーに見下され、スシブレード最強の座を争うファイナリストはこの2人! 源ユウキ VS "デスサイズ"!』
今日一番の──アリアードとメイルマーのときにも劣らない──歓声が会場の空気を揺らす。
『閃光のブレーダー! 速攻にして多彩な手数によるアタックスタイルで並み居る強敵を競り倒してきたこの少年は青コーナーだ! 源ユウキ!』
「リョウガ……」
青コーナーに立ったユウキの名が呼ばれ、惜しみない歓声が送られる。
『無慈悲なテクニシャン! 最効率で勝ちをもぎ取る死神は仮面を脱いでの登場だ! 次元間スシ・フィールドを有する死神から逃れることはできるか!? 赤コーナー、"デスサイズ"!』
「フン……」
こちらもまた、歓声が上がった。
しかし双方、観客のことは気にもとめていない。ただ、眼前の戦いにだけ集中していた。
「お前に手向けるなら、このネタだ」
「アルティメットマグロ……!」
「さぁ、鯖を握れ。決着を付けるぞ──」
「ッ……!」
リョウガは投影した寿司を見せつけて、ランチャーに番える。そのネタはアルティメットマグロ──かつてユウキが使っていた、鮪の赤身のスシブレードだ。
促されてサバイバー′を投影し、構えた──
『それでは決勝戦、バトル!』
「「3、2、1、へいらっしゃい!」」
ユウキ / サバイバー′
「アルティメットの速力では、サバイバー′には着いてこれないはずだ!」
「ほう」
ユウキが仕掛ける。アルティメットマグロ──マグロの弱点なら誰よりも知っている。特にサバイバー′が相手であるならば尚のこと。故にユウキが取った手段は速攻! 持ち前の速力で押し切る!
「だがマグロは万能型のスシブレードだ。速さ程度いくらでもカバーできる……例えばこうだ」
「つッ──わかってたけど器用な奴め」
しかしそれでどうにかなる相手でないことはユウキ自身が一番良く知っている。なにせ、サバイバー′──正確にはそのモデルとなったサバイバー本来の所有者はリョウガだ。サバイバー′の攻撃はダメージを最小限に抑える形で受け流されていた。流石はマルチプレイヤーというところだろう。そもマグロは万能バランス型、相手の出方に合わせてバトルを支配していくリョウガのスタイルは、ユウキがかつて得意としていた自分から仕掛けるスタイルとはまた別の形でマグロと相性抜群だ。
奇妙にもねじれた形となった組み合わせは、泥仕合の予感を告げていた。
「リョウガ! 本当に俺たちは戦わなければいけないのか!?」
「くどいぞ! どの道栄光を手にするのは1人だけだ。戦いたくないなら勝負を降りろ!」
「お前は栄誉が欲しくて他人の寿司を奪ったのか!? マサヤのあの倒れ方は──」
長引くことを予見し、ユウキは説得を続けようと試みる。勿論返ってきた答えはすげもない──先程確認した通りだ。だが会話は進む。次の疑問を、ユウキはぶつけた。サバイバー′も、感触を確かめるように攻撃を繰り返す。
サバイバー′とともにここまで戦ってきたユウキになら分かる。準決勝第2試合、リョウガと戦ったマサヤが決着後に倒れたあの現象は、人が寿司のモナドを奪われたときのそれだ。
「そうだ。オレの次元間スシ・フィールドは敗者を食らう──その鯖寿司が誰から生まれたと思っている」
「だったらどうして、そんなものをただの一般人……それもあんな少年に振るった。そこまでして勝ちたいのか、お前は!」
「昔はそうだった。だが今はもはやそんな事はどうでもいい! オレの関心は計画を遂行することだけにある」
サバイバー′は人食い寿司──だがそもそも、サバイバー′はリョウガが崩落したスタジアムから持ち帰ったデータを元に作られたものだ。そのデータには、リョウガ自身の戦闘経験も含まれる。人食いの特性はむしろ、リョウガの寿司にこそ備わっていなければおかしい。
「お前には寿司を愛する心ってものがないのか?」
「ああ無い。そんなものは」
スシブレーダーにとって寿司は──寿司のモナドは、己のブレーダー人生の結晶だ。それを平気で踏みにじるなんて、同じく寿司を愛するものとしてどうかしている。さもなければ、そもそも……。
そして、その怒りは肯定された。ユウキの言葉に耳も貸さない問答をなぞるかのごとく、リョウガのマグロもサバイバー′の攻撃を弾き返していく。
「嘘だ! 鯖寿司に『サバイバー』という名前をつけたのはお前じゃないのか! 6年前お前はサバイバーを重用していたはずだぞ」
「そんなもの、たまたま一番初めに握った寿司が鯖寿司で、だから使い慣れていただけのことだ。オレはマルチプレイヤーだ……使う寿司は選ばない。勿論食う寿司も」
「お前、まさか──」
コタロウと違って、リョウガは酢飯投影ができるほど高度に熟達したマルチプレイヤーだ。ありとあらゆる寿司ネタを、オールラウンドに握る。その脅威は既に示された通りレパートリーの豊富さだ。だがそれはユウキたちの地獄を知る者にとっては別の意味を持つ──
「その通りだ。6年前の事件の最中は、自分の握った寿司を食って過ごしていた。幸いレパートリーはいくらでもあったからな……回す寿司が無くなるなんて事はなかった。お前らとは違って、オレは器用なんだよ」
リョウガが他のロスト・チルドレンから奪わずとも衰弱しなかったのは、ひとえに自分で食を賄えたからだった。万物斉同──極まったマルチプレイヤーの前では、あらゆる寿司は等価に帰す。
「でも、それでもサバイバーを握り続けたってことは! 最後まで食べるつもりのない寿司だったってことじゃないのかよ──!」
「ッ……!」
だが、その言い分には穴がある。それなら鯖寿司を使い続ける道理もまた無いはずだ。リョウガの主張は、ユウキの記憶を論拠に破綻する──ユウキの見ていた限りにおいて、リョウガは6年前の事件の始まりから終わりまでサバイバーを使っていた。
マグロの防御が一瞬、揺らいだ。サバイバー′がここぞとばかりに打ち込む!
「いいや、そんなことはない! オレは寿司に執着なんてしない、お前とは、お前らとは違う──!」
「──ッ、どうしてだリョウガ、どうしてお前は戦っているんだ!」
「『どうして』? それはオレの台詞だ。どうしてお前は戦う、どうしてお前たちは寿司に執着する!?」
しかし、マグロはすぐに姿勢を持ち直す──そして反撃。本来からしてリョウガはカウンタースタイルだ。今度はサバイバー′がよろめく番だった。
声を荒げるリョウガが、反撃とともに言い返す。ユウキの反駁は無意味、さらなる迎撃によって挫かれた。
「俺は……」
「お前たちはいつもそうだ、下らないことにこだわって終にはそのまま沈んでいく」
言い返せずにいるユウキに、リョウガが言い募る。
サバイバー′が押し負けていた。1発2発と、マグロの攻撃によって体勢を崩されていく。
「寿司への愛着など捨てろ、だからお前たちは負けるんだ──こんな風に」
「ユウキくん!」
「くそっ……! サバイバー′!」
「必殺──『ファイナル・ネイル』!」
『マズい』と誰もが感じ取った──攻め崩されたサバイバー′が無防備を晒した。そして勿論、死神はその隙を見逃さない。
殺気を感じてサバイバー′に退避を命ずるも、とうに遅い。必殺の一撃、最小動作で寿司の核を穿つ破壊の極地が宣告される。マサヤの穴子を防御技の上からでさえ死に体にしてみせた必殺転技は、高速道路での一件のときにユウキ自身も体験済み。奇跡の風が吹かなければユウキに生き残る道はない。黒ずんだ赤の刃が、サバイバー′を襲う──!
「だけど!」
「チ……」
だがそれはあの時点での話。ここは決勝戦だ。戦いの舞台も状況もあの時とは違う。あの後ユウキは山葵山アオイと戦い、そしてスシブレード・バトルブレーダーズをここまで勝ち上がってきている。その分サバイバー′は負かした敵のモナドを食い、そして死神の仮面は剥がれた。
すんでのところで退避が間に合い、サバイバー′は急所を避ける。しかしそれは一撃での破壊を免れただけのこと。ストレートのボディブローは、サバイバー′を吹き飛ばしていた。もっとも、それはユウキの必勝パターンでもある──!
「俺は負けない。最後までお前に挑み続けた奴の顔を忘れたか!」
「クソが……!」
「──『鯖 寿 司 未 敗 撃サバイバー・リバイバルアタック』!」
リョウガから学んだ技が、今度はリョウガに牙を剥く。鈍く煌めく青い反撃、土俵際まで飛ばされたサバイバー′が一度バウンド、そして壁を蹴って舞い戻る。
「ッ、お前は本当に……どこまでも煩わしい奴め!」
「やっぱり効かないか……!」
わかってはいたが、必殺転技一発で負けてくれるほど甘い相手ではない。そもそもリバイバルアタックの元になったのはリョウガの『デスサイズドライブ』だ。極意はリョウガも知るところ。故にこの反撃も受けられて当然──『紫電逸戦』にも似た構えを取って、相殺された。
「オレはお前のそういう負けず嫌いなところが本当に嫌いだった。つくづく苛つかせてくれる、6年経ってるんだぞ……過去の亡霊が……!」
「……そんなことねぇよ」
苛立ちを隠しきれずに、リョウガがユウキを睨む。
確かに当時のユウキは負けず嫌いなブレーダーだったが──事件を経た今となってはそんな情熱は失ったとばかり思っていた。しかしリョウガは彼の中に6年前の面影を見たらしい。
それもそのはず、リョウガの技を真似たリバイバルアタックが相手の後ろを取るオリジナルと違って直線的な復帰技なのも彼の根本的な血の気の多さが原因だ──山葵山アオイ曰く「癖が出すぎている」とはつまりそのこと。
「なぁ……考えたことはないのか。お前が無駄に粘るから他のロスト・チルドレンが家に帰るのが遅くなったんだと」
それを知らず言い返したユウキに、呆れたように言葉を返す。
彼らロスト・チルドレンが囚われたスタジアムに施された工作は、寿司のモナドを保持しているブレーダーがただ1人になることで──逆に言えば、最後の1人を除いて全滅することで解除されるものだった。それを、ユウキは"ペーパーナイフ"のカリギュラから聞いている。
リョウガの質問はそのさらに先──ロスト・チルドレン最後の2人、囚われのスタジアムの中で最後まで立っていた2人がまさにこのユウキとリョウガだ──ユウキがもっと早く折れていれば、事件はより早く収束したのではないか。そう考えたことはないかとリョウガは問うている。
「っ……それは……」
「それでもまだ足掻くなら、お前はここで終われ。土は土に、灰は灰に……亡霊は消えろ、未来はオレが切り拓く」
無慈悲な宣告。考えなしに粘るあの日の少年に向けて毒づくように、リョウガは言い捨てた。
(来るか、次元間スシ・フィールド──!)
コタロウの危機感は正しい。「フィールド展開」──リョウガの口からその合図が告げられた。上空、スタジアムを取り囲むように浮く月桂冠が、フィールドの展開に合わせて枯れていく。
「さぁ、ここが墓場だ──『死戦場の刃デッドエンド・スタジアム』」
「ッ──!」
眼前に広がるのは、かつての少年たちの悲劇の舞台。林立する墓石がユウキのことを待っていた。
薄暗がりが視界を覆う。枯れ落ちた葉がひらひらと舞い落ちた。
「お前はここで行き止まりデッドエンドだ、源ユウキ!」
「っ……サバイバー′……!」
敵を己の世界に引きずり込み、攻勢に出たリョウガのマグロ。それを迎え撃とうとサバイバー′に命ずるユウキの声音には、しかし覇気がない。
──それもそのはず、眼前に広がる世界はユウキにとって忌まわしき過去なのだから。
薄暗くなった視界の向こう側、墓石の乱立する景色はこのスシブレード・バトルブレーダーズの会場、ネオ有明コロシアムではない。ネオダイバ・スシブレードスタジアム──6年前に崩落し、ユウキたちを囚えたスタジアム!
「お前たちはこのスタジアムで死んだ。誰一人オレに勝つことができずに……お前に勝ちは無いんだよ、わかるだろ?」
「くッ……!」
攻勢は緩まない。相手がどう反撃しようが対応しペースを握り続ける──ユウキがかつて得意としたスタイルだ。試合の流れは、握られていた。
「あれは……寿司が乾いていってる?」
さらに。
コタロウの目は的確に捉えていた、リョウガのスシ・フィールドの追加効果を。
「オレの『死戦場の刃デッドエンド・スタジアム』は寿司にとって死地だ。お前の寿司はダメージを受けるたびに、崩壊へ近づいていく」
「ッ……そんな」
デッドエンド・スタジアムに満ち、視界を煙らせているこの暗がり。それこそがその効果の源泉──彼に狩られた寿司の無念が、他の寿司を死へ手招いている。
人が窒素の中で呼吸できないように、スシブレードはこのフィールドの中で回転できない。リョウガに圧倒され、負けに近づいていくたび、寿司はその力を失っていく。サバイバー′は、少しずつだが着実にその力を削がれていた。
「お前なら知っているだろう。絶望し続け、苦しみながら倒れる感触を! これはそれだ」
「リョウガ……」
そうだ、ロスト・チルドレンは知っている。少しずつ衰弱していく恐怖も、何度も打ち倒される絶望を、そして失う苦しみを。このスタジアムは──デッドエンド・スタジアムは、ユウキの前にそれを再演する。
「なぁリョウガ、お前だってあの事件で苦しんでいたんじゃないのか?」
「っ……!」
だからこそ、ユウキは指摘できる。スシブレーダーの回す寿司、そこに込められた思いを世界に直接表出させる次元間スシ・フィールド──それがあのスタジアムの形をしているということは、リョウガの中にも、6年前の崩落事件がこびりついているということではないのか。
返答はない。図星か。マグロの攻撃が一瞬、止まった。
「俺たちにとって、あの事件は終わっていない……俺たちはまだ、あのスタジアムから出られていない! それはお前もじゃないのか、リョウガ!」
「……確かにオレたちは、あのスタジアムから出られない。6年前の記憶はいまもこの胸の中で生きていて、オレたちを苛み続ける。それは認めよう」
「! だったら──」
「だったら、どうした」
ファイナリスト2人は、同じ傷を抱えている。過去は無かったことにできない。今なお痛む傷が2人をここまで導いた。
だがそれでわかり合えるとも限らない。話は平行線を辿り続ける──隙を突いてペースを奪いに出たサバイバー′の攻勢を、しかしリョウガのマグロは抜け出した。
「オレにはやるべきことがある。過去の亡霊に構っている暇はない! 大人しく棺に戻れ、ロスト・チルドレン!」
「リョウガ──!」
ロスト・チルドレンたちを看取り続けた死神は、煩わしげにマグロを駆る。だが、ここで負けたまま終わるユウキでもない。サバイバー′とマグロの互角な打ち合いが続く。
「どうして闇寿司に与するんだ。お前の言うスシブレーダーの未来とは、あの事件のことを水に流せるほどのものなのか!?」
「そうだ……あの事件を無駄にしないためにも、オレは戦い続ける。計画が成就するまで」
リョウガの意思は固い。ロスト・チルドレンの十字架を背負って、彼は戦っている。
「その計画とは何なんだ、リョウガ! 答えろ、どうしてお前がそんなものに手を貸している……!」
「この大会のトロフィーを使い、スシブレードを作り直す。6年前の新生スシブレード実験、その再演だ」
『新しいスシブレードを作る』、それこそが6年前のスタジアム崩落事件──新生スシブレード実験の主旨だった。成果物であるサバイバー′が失敗作として生まれたことで一度は頓挫した、終わりゆくスシブレードの明日を切り開くための計画は、その失敗を糧に新たな段階を踏もうとしていた。
「ッ! お前、そこまでスシブレードの未来が大事か!?」
「当たり前だろう。オレは闇寿司だぞ」
闇寿司の理念、宿敵のアジェンダ、それはユウキが果たさなければならない約束と矛盾する。
そこまでリョウガがスシブレードの未来に固執していたとは──
「待てよお前、自分で進路を決めたって──」
だが、それはおかしい。
ユウキは閃く。リョウガ本人の言葉を借りるなら、その言葉はおかしいのだ。彼は自分で選んで闇寿司に進んだはず──「闇寿司だぞ」は、彼の戦う理由として不適な解答だ。未来が大事だから闇寿司になったのか、闇寿司だからそうなのか。その間隙に、リョウガはまだなにかを隠している。
──そして、その疑惑は確定する。
「おい、誰かこっち来てくれ! 人が倒れてるぞ」「またかよ……どうなってるんだこの大会は」「良いから手伝ってください、意識がない!」「おいこれ──波浪寿司のお偉いさんじゃないか?」
「なんだと──?」
「チッ……よりにもよって今か」
戦いの最中、通路の向こう側から声が響いた。
間が悪い──リョウガの顔が歪む。
「波浪寿司の重役って……リョウガ、お前がやったのか!?」
「……そうだ」
予選のとき、リョウガと連れ添っていた"社長"──リョウガの話通りなら、彼はリョウガの父親で、波浪寿司の役員なはずだ。それが倒れているのか……?
その疑問は、本人によって苦々しげに肯定された。
「何がしたいんだ、闇寿司の計画に従うんじゃないのか?」
「これがオレの計画だ、他の誰でもないオレの」
闇寿司は一枚岩ではない。それぞれに目論見がある──これがリョウガのそれだ。デッドエンド・スタジアムを人体に直接突きつけ、"社長"を再起不能にしたのもその一環。
「お前のって……新しいスシブレードを作るのとは違うんだよな? 闇寿司を倒すのか? だったらトロフィーも要らないんじゃ──」
「むしろその逆だ。そして、トロフィーは必要だ」
「トロフィーが必要? お前何を──」
スシブレードを作り変えるという計画では、ない。回らない寿司協会の説明も鑑みるに、そういう目的でなければ闇寿司があのトロフィーを求める理由は無いのではないか。では何を目的としてリョウガは戦うのだろう……真意は依然不明だ。
「──『逆』と言っただろう。考えてみればわかることだ」
「どういうことだ、闇寿司を倒したいのか!? 奴らの計画を阻みたいんだったら、俺だって──」
「闇寿司など、この際もうどうでもいい」
「は……?」
問い募るユウキに合わせて、サバイバー′が攻撃を繰り返す。しかし、それらは尽く躱され、ついには反撃を叩き込まれてしまった。
問答は不成立だ。見当違いなユウキの言葉を遮ったリョウガに、ユウキの理解は追いつかない。
「オレは、スシブレードを終わらせる」
次話に続く!
SPIN-12「死闘デッドファイトロスト・チルドレン!」
6年前の悲劇から生まれた因縁。その果てにあるもの。希望を捨てるな、未来はまだ生きている。
【A part】
戦いの舞台に立つのは墓、墓、墓──そして回る寿司と2人のブレーダー。
「オレは、スシブレードを終わらせる」
「なん……だと……!?」
明かされた理由に、ユウキの瞳が開かれる。
「スシブレードを終わらせる」──予想だにしなかった答えが、動揺を誘う。
「スシブレードを終わらせる!?」
観客席のクジラが反応した。やり取りを認識できた他の観客も、似たりよったりだ……会場は次第にざわめきだす。
「──ええ、それこそが彼の計画です」
「バイオンさん」
関係者席で2人の戦いを見守るコタロウとクジラの前に、闇寿司四包丁"サージカルナイフ"のバイオンが現れた。
「何故ここに?」
「自分の計画の行く末を見に来ただけです。貴方たちに何かしようという気はありませんよ」
「しようとしてもできませんが」とうそぶいて、コタロウたちの近くに腰掛ける。バイオンの意図は、尋問で既に明らかになった通り。ユウキとリョウガをぶつけるための計画、その最後の段階であるこの戦いを見に来たということだろう。
「闇寿司に対して背信を働いたのも事実ですからね。行く宛がないのですよ」
「それは別にいいんですが、スシブレードを終わらせるって」
肩をすくめながらの放言を躱し、続きを促す。『スシブレードを終わらせる』、その言葉の真意を問うた。
「そのままの意味です、彼の次元間スシ・フィールドは寿司を殺しますからね。スシブレード創始者・勝親方の遺産であるあのトロフィーを使えば、スシブレードの概念そのものを殺すことだってできる──それが私たちの試算です」
「そんなことが……」
そんなことができるのか。コタロウの驚愕はもっともだが、しかし実際できる──というのが、闇寿司の技術者、バイオンの弾き出した結論だ。サバイバー′の制作を任され、幼少のリョウガの協力のもと彼がスタジアムの中で見たデータを抽出していたときのこと。彼の心にデッドエンド・スタジアムが宿っていることを見つけたバイオンは、サバイバー′制作の傍らでリョウガとその次元間スシ・フィールドについて語らい、サバイバー′が失敗作に終わることを確信した。
そしてリョウガが、スシブレードを終わらせると決意した。リョウガが闇に堕ちたその瞬間から、バイオンは彼の計画を知っている。
「スシブレードを終わらせるって、そんなことしたら──」
「……どうなるの、くじらちゃん」
「世界が終わる。比喩じゃなく……ワルツの夜の鳴蝉を止めたのも、アメリカの一番長い日にスカーレットキングを倒したのも、スペイン洛陽事件で元凶を討伐したのも、東京の空に開いた穴を塞いだのも、スシブレードなんだぞ……! 人類生命圏最大の武器を失くすってことだ、どうなるのかわかってるのか……!?」
白乃瀬クジラは、危機感からか、冷や汗をかいている。
世紀末の日本に現れた恐怖の大魔王も、中国で勃興した機械帝国も、ロシアから始まった人類斉一化の危機も、イングランドが妖精の森に侵食されかけたのも、エリア51に降り立った地球外脅威も、アフリカの聖母のもとにあらゆる可能性世界が収束したときも……人類はスシブレードによって退けてきた。
人類の生命圏エピゾスフィア、それとずっと昔から共存してきたスシブレードは、もはや人類の生存に不可欠だ。それを終わらせてしまえば、今後襲い来るだろう脅威も、今までスシブレードで抑えていた地獄の蓋も、どうなるかわかったものではない──!
「そうですね。ですが、彼はもはやどんな理屈でも止まらないでしょう」
「じゃあ、ユウキくんに勝ってもらわないと」
「……ですが、リョウガにはその決意を現実にできるだけの力があります。彼は生涯無敗──今まで差し向けられてきたどんなブレーダーでも、彼を倒すことはできなかった」
決意の固さは、バイオン自身がよく知っている。リョウガは自分の手でそれを実行できると自覚していて、そしてそれ故に折れない。だからこそ、彼をスシブレードの世界に呼び戻したのだ──視線は、ユウキに注がれていた。頼む、誰ともなく祈るような期待がユウキに寄せられる。
「リョウガ、なぜだ! なぜそんなことをする!?」
「オレたちは、スタジアムから出られない。俺やお前だけじゃない、みんなそうなんだ」
ユウキの問いかけに、リョウガは嘆くことで返答した。
囚われたままだ。誰も彼も、みんな。誰も自由になどなれない。ずっと、縛られて生きていく──スタジアムからは出られない。
ロスト・チルドレンであろうがなかろうが、変わらない呪縛。それこそがリョウガの『スシブレード』だった。
「みんなって……どういうことだよ」
「そのままだ。あらゆるスシブレーダーの未来のために、オレは戦う」
そしてそれは、リョウガがやらなければならないことだ。生涯無敗の実績に誓って、やり遂げると決めたこと。リョウガがやらなければきっと誰にもできない。だからこそ、負けられない──!
「オレの目的はただ1つ。スシブレードというスタジアムから、すべてのブレーダーを解放する!」
「くッ……!」
マグロが、攻撃を開始した。目の前の障害を睨むリョウガの視線が、ユウキを鋭く射抜く。
「スシブレーダーの解放? じゃあどうしてスシブレードを終わらせようとするんだ! 寿司を失うことが俺たちにとってどれほどの傷になるかはお前だってわかるだろ!?」
ユウキも負けじと言い返す。サバイバー′がその俊足で連続攻撃を抜け出し、反撃を叩き込んでみせた。
ロスト・チルドレンは知っている、己の寿司を奪われる喪失感を。もしスシブレードが終わるとなれば、どれほどの人間が彼らと同じ思いをする羽目になるか。いまのスシブレード競技人口は5億人近い。
「そういうところだ、そうやって寿司に拘泥し続けた結果がこの墓石の山だ! スシブレーダーたちは愚かにも戦い続け、そしてこの醜い世界で死んでいく!」
「っ……」
デッドエンド・スタジアム──あらゆる寿司とスシブレーダーの行き着く墓場。誰もがスシブレードに縛られたまま、戦場で果てていく。それを看取り続けた死神の世界。それがこの墓石の並び立つ誰そ彼のフィールドだ。
それを前に、反論する言葉を失っていた。
「オレの父だってそうだ、寿司の力を振りかざして闇寿司のトップに上り詰めた。その過程で蹴落とされ更迭された者、寿司を失った者、社会から追われた者は大勢いる」
「それは闇寿司の話だろ、俺たちは殺し合ったりしない。お前たちと一緒にするな!」
リョウガの幼少期の記憶だ。よく家に顔を見せていた大人が、次第に彼の前に顔を見せなくなっていった。それは彼の父が闇寿司のトップに立ったのと前後する。
だがそれは闇寿司での抗争の話だ。ユウキたち表のブレーダーには関係がない。
「いいや。表のブレーダーたちこそ一番悪質だ……無知は救いがたい」
「なんだと……」
「お前だって見ただろう、犬噛ドクミや願野マサヤの末路を! スシブレードに拘ったがために戦いの世界に足を踏み入れてしまった愚者たちの負け様を!」
仲間や後進のために闇と戦うことを選んだドクミ。父や兄に代わってプロのブレーダーになると息巻いていたマサヤ。2人とも懸命に戦ったが、リョウガの前にあっけなく散っていった。
「愚者とか言うな! みんなの戦いを侮辱するな──!」
「愚者を愚者と呼んで何が悪い! どいつもこいつも夢を見て戦いはじめ、果てるまでその愚かさに気づくことさえないピエロだ」
「それでも、その選択を否定する権利は誰にもないはずだ!」
「だったらオレの選択も尊重してもらおう! 所詮勝った者が正義の世界では勝者の決定こそがすべてだ!」
スシブレードは残酷なまでに彼我をバトルの勝敗で峻別する。そしてリョウガは生涯無敗のブレーダーだ。彼ほど純然な強者は類を見ない。
だがその論理は気に食わない。少しずつ弱っている──そろそろ誰の目にも明らかにダメージを負っているサバイバー′が、反論を叩きつけるように攻撃を挑んだ。一撃二撃、互いに主張を譲らない2人のようにスシブレードがぶつかり合う。
「だったら俺はお前に勝つ──お前を負かしてその選択を挫く!」
「チッ……」
「行くぞサバイバー′、『鯖 鱗 裂 光 閃サバイバー・タキオンダッシュ・アサルト』!」
「その程度でオレを超えられるわけがないだろう、学習しろよ──『デッドエンド・アナザーネイル』!」
「なっ──!?」
埒が明かない。これで決める──! サバイバー′が鈍い青色の閃光となって薄暗く靄がかった世界を走る。標的は赤身。相対したリョウガのマグロに向け、必殺の伝令を受けた鯖寿司が疾走する。
だがマグロも負けていない。黒ずんだ血の色のようなオーラを纏い、その一撃を弾き流した。
「だからあいつはピエロだと言ったんだ。懸命に編み上げた技もずっと前から闇寿司の型にあったし、そしてオレはその程度すぐ真似できる──奴の努力などオレにとっては児戯なんだよ」
「サバイバー′……!」
あの技は、マサヤの『紫電逸戦』──いや、似て非なる。より実践の中で洗練されたスマートさ、あまりにも的確なまでの防御は、使い手の才能の違いを感じさせた。
必殺転技を受け止められたサバイバー′は、その反動でもうボロボロだ。
「教えてやろうか。オレはずっと昔から寿司の声が聞こえていた──故に『寿司の御子』、闇寿司の人間はオレのことをそう呼んだ」
寿司の回転が空を切り、シャリが地を蹴り、ネタが敵とぶつかる音。寿司を握った感触に、酢飯の匂い──ある種のセンスを持つブレーダーは、それらを繊細に感じ取ることで直感的にスシブレードを理解して扱うことができる。まるで寿司と通じ合うかのようにスシブレードを駆る使い手たちのその才覚を指して、『寿司の声が聞こえる』と言うことがある。
リョウガはそれだ。修練の末にその域へ至る者もいるが、彼のそれは先天的に突出した酢飯適合性に由来するもの。オールラウンダーのマルチプレイヤーたらしめるその天才は寿司に愛された証。闇寿司の者が『寿司の御子』と呼んだ才覚は、それ故に彼らの計画の要だった──寿司と人の間を取り持つ者、寿司を理解した根源酢飯理解者アカスシック・レコーダー、真理の握りスシヤー・グラハ。新生スシブレード実験も、スシブレード・バトルブレーダーズにまつわる計画も、寿司の概念への適合性を見せる彼を触媒として執り行われる計画だった。
「才能の差は残酷だ。なのにどうしてどいつもこいつも夢を見てしまうんだ。オレがいるのに──!」
「お前……」
「ガキの頃からそうなんだ。もううんざりだった。負かした相手の絶望した顔も、主を勝たせられないまま果てた寿司の悲痛な声も」
栄光の座につける人数には限りがある。そしてそれを夢見た数々のブレーダーたちを、かつて表で活躍していた頃のリョウガは屠ってきた。
──「見て見て父さん! また優勝したぜ!」
──「ははは。さすがは私の息子だ。凄いぞ」
──「えへへ。次も勝つから見ててね!」
トロフィーと賞状を持っていくたびに、父に褒められた。
しかしそれはある日痛みを伴う記憶にすり替わる。
──「ひっく……うええええええ! 頑張ったのに……みんなに応援のお手紙まで貰ったのに……!」
──「しょうがないよ、勝てないときは勝てないんだから」
──「相手が悪かったね……初戦で当たるには強すぎたよ、あの子」
そんな風に泣く子供を、トロフィーを持ちながら眺めていた。
「それでも──」
「それでも? そうやって諦めの悪い愚か者たちが戦い続けてできあがったのがこの墓場だぞ。数えたことはないのか、お前の足元に積み上がっている敗者たちの屍を!」
「つッ……!」
マグロが、サバイバー′を弾き飛ばす。
それを言われると弱い。ユウキにも心当たりの1つくらいはあった。負けて泣く敗者を見て「ああならなくて良かった」と胸を撫で下ろしたことも、負け続けて心の折れたチームメイトが寿司教室を去っていく姿も、記憶にある。
「夢や希望を抱いて寿司を握ったブレーダーはいずれ挫折し、その烙印……苦悩と徒労でできた空虚なブレーダー人生だけが残る。そして肥えるのは闇だけだ!」
そう、そしてリョウガはそれを知っている。波浪寿司系列のジュニアブレーダー養成所で寿司を習った彼は、そんな光景ごまんと見てきた。厳しい練習と勝てない試合の繰り返しに心折れる者、才能の限界を悟ってスシブレードを手放す者、成績の上がらなさを見かねた保護者に止めさせられる者。あの養成所を去っていった彼らの人生に残ったものはなんだろうか。リョウガは、彼らの払った月謝で飯を食い、寿司に興じているというのに。
「そんな世界はもううんざりだ。武器商人だけが肥え続けるだけの世界なんて」
「それは……」
それは、確かにそうなのだろう。少なくとも一面的には。ここまでの闇寿司との戦いでユウキはそれを理解している。何より──
「お前たちはその象徴だ、ロスト・チルドレン!」
「ッ──!」
そう、他ならぬユウキ自身が、闇寿司の成長戦略に巻き込まれて地獄を見たのだから。ネオダイバ・スタジアム崩落事件──その首謀者は闇寿司で、その動機は彼らが商売スシブレードを続けるためだ。
ある意味においてその言葉は認めざるを得ない。
「お前たちの犠牲に報いるためにもオレはスシブレードを終わらせる。あの6年前の悲劇を、ここで終わらせる──!」
「リョウガ、俺は……!」
デッドエンド・スアタジアムの闇がサバイバー′に纏わりつく。ロスト・チルドレンを殺した絶望が、あの囚われていた日々の中へ取り込もうと襲い来る。
だけど。
「俺は、もう囚われない! サバイバー′、『鯖 裂 風 旋サバイブ・アゲインスト・ウィンド』!」
それを振り払おうと、サバイバー′の回転が風を起こす。もう過去には囚われない。振り切ってやる、どこまでも追いかけてくる絶望を、いつまでも絡みつく傷跡を!
「ユウキくん、でも──!」
「無駄だってわからないのか。この絶望の闇の中で、お前たちはオレには勝てないって」
デッドエンド・スタジアムの中ではあらゆる寿司が朽ちていく。その効果を受けながら放たれる攻撃など、リョウガ相手には決定打たり得ない。既に一度、タキオンダッシュ・アサルトでさえ受け止められた。
ロスト・チルドレン相手に、彼らの死神は吐き捨てる。
「いや……あの回転は」
「くじらちゃん? 何が……」
「このフィールドの効果を媒介しているのはあのくすんだ闇だ。弱体化デバフ効果はこの瞬間だけ無効化されているはず──!」
サバイバー′の回転、そしてオーラによって引き起こされる風が、デッドエンド・スタジアムの闇を中和していた。
"デスサイズ"──死神装束を着たリョウガと初めて戦ったときに編み出した必殺転技が、ここに来てまた再び、ユウキの前に吹く奇跡の風となって闇を払う──!
「──それだけじゃない。あの技によって乱れた姿勢から放たれる攻撃は、防御する側の姿勢さえ崩してみせるでしょう」
「俺は闇になんて屈しない! もう見失ったりしない! お前になんか、負けるもんか!」
サバイバー′の回転を乱すことで生まれる風が、閉ざされた世界を暴く一撃となる──晴れた闇の向こうに、赤身の色を捉えた。
標的はマグロ。かつて愛用し、6年前の悲劇によって見失った鮪の赤身を見据えて、サバイバー′が鈍い青色の閃光になる。超前傾姿勢で疾走する捨て身の攻撃。絶望を強いる闇に閉ざされた世界を、それでも青い閃光は穿ちぬく──
「必殺転技! 『鯖 鱗 裂 光 閃サバイバー・タキオンダッシュ・アサルト』!」
──そして、届いた。
サバイバー′渾身の一撃は、マグロを弾き飛ばす。
「行け……!」
声援も、土俵の外へ向かって飛ばされていくマグロの軌跡に追従する。スシブレードの、世界の命運はこの勝負にかかっている。
土俵際が迫る。場外までもう少し──
「──そうか」
「な……ッ!?」
──だが、それを狙われていた。死神が鎌を研ぐ。
ユウキの脳裏を衝撃が走る。このパターンは、嫌というほど見てきた浪城リョウガ必殺の──!
弾け飛んだマグロが、赤い軌跡を描いてサバイバー′の背後に回った。
「だったらしかと見届けて逝け。必殺──『デッドエンド・デスサイズドライブ』!」
死神の鎌が寿司を狩る。
ロスト・チルドレンを絶望させてきたカウンター技、死神の必殺転技。血の色のオーラとともに、マグロの赤身が鯖の棒寿司を穿ちぬいた。
受けた傷から闇が広がり、サバイバー′を蝕んでいく。
「サバイバー′ッ……!」
「ああっ、サバイバー′が」
そして、燃え尽きるように消えた。
サバイバー′、消滅。使い手であるユウキ自身が最も敏感に、その結末を察知していた。
『サバイバー′が消えた! これは決着か──!?』
「そんな……」
「これがお前の結末デッドエンドだ。わかってただろ。ロスト・チルドレンがこのオレに勝てるはずがない」
膝をつく。駄目なのか、また勝てないのか──結局ロスト・チルドレンは、あの死神に勝てないまま闇の中で死んでいく。
──「負けるか……負けてたまるか! ぶち抜け、アルティメット──!」
──「下らない。サバイバー」
──「なっ……!?」
蘇るのは、あのスタジアムでの記憶。
──「どうした。その程度か? 立てよ、立って戦え」
──「……いまのが全力だよ」
──「そうか。じゃあお前はそこまでだ。サバイバー、やれ」
──「ごめん……アルティメットマグロ」
慢性的な空腹と緊張状態。ユウキにもう戦う力は残っていなかった。それでも繰り出した一撃は、難なくカウンターで打ち破られた。
そうして、ユウキの心は折れた。
(結局、俺はあの日のまま、ここで負けて終わるのか)
リョウガの言う通りかもしれない。ユウキはスタジアムから出られないまま一生を終えるのだろう。リベンジも叶わず、約束も果たせないまま……ここまでの戦いはすべて水泡に帰す。それが結局お似合いかもしれない。
──『……て』
「──え?」
──『立って、ユウキ』
だけど。声が、聞こえた。そして、脳裏に溢れ出すイメージ。
──「君はどうする?」
蘇った邪神を倒したノドグロ使い。寿司の闇に挑んだサーモン使い。史上初の世界大会を制したホタテ使い。世界の終わりに立ち向かっていった玉子使い。反質量世界の侵略を防いだポテチ使い。必殺転技という枠組みを創出したカリフォルニアロール使い。黙示録の獣を封じたエンゼルフィッシュ使い……初めて寿司を握った職人、初めて魚を釣った原始人、初めて土を耕した古代王……スシブレードを作り出した勝。そして、ロスト・チルドレンたち。アルティメットとユウキ、サバイバーとリョウガ。
ありとあらゆるスシブレードに関わった人間たちのイメージが脳内を駆け抜けていき、それはユウキに問いかけた。「それで、君はどうするのか」と。
「過去の亡霊は大人しく眠っていろ。お前たちの無念は、オレが弔う」
「……さい」
「なんだ? まだ何か言い残したことでも? 死人に口なしだぞ……勝負はもう終わった」
手向けるように言い放ち、リョウガは己の寿司を回収しようとする。
それを遮るように、ユウキがかすかな声を漏らした。
しかしリョウガは意に介さない。過去の亡霊に貸す耳はない。彼は未来のために戦っているのだから。
「──うるさいな、亡霊亡霊って!」
「なに……?」
「誰が死人だって? うるっさいんだよどいつもこいつも。ロスト死人扱いはもううんざりだ!」
その態度が気に食わない──! ユウキがキレた。勝手に決めつけるな。
リョウガの言葉が、ユウキの逆鱗に触れていた。立ち上がって、リョウガを睨む。
「俺たちはまだ生きている! そうだろう──なあ!」
まだ死んでいない。そして、その言葉が投げかけられるのは──
「あれは──」
「天上の薔薇寿司ローザ・セレスシ!?」
ユウキの上空、闇に閉ざされた世界に蝕まれて枯れていた月桂冠が瑞々しい緑色を取り戻し──そして輝く花弁をつけていた。
観客席のコタロウたちが、驚愕の声を上げる。
しかし、冷静になって見ればわかる。花弁に見えるものは寿司のネタ──魚の切り身たち。輝きを放っているのは、新鮮な寿司ネタ特有の瑞々しき生命のきらめきだ──!
「くじらちゃん、あれは」
「寿司の意思だ──人類生命圏と共生するミトコンドリア、人類生存を寿ぐ地球生命の代表……! すべてのスシブレードを司る寿司の総体が、彼を祝福している」
寿司の意思が現出し人類に力を貸すとき咲くという天上の薔薇。『負けて死んでたまるか』というユウキの思いに同調して花開いた月桂樹は、寿司の意思の現れである。
人類生存を寿ぐ意思は、ユウキの頭上から導火線が着火するように広がり咲いていく寿司の花弁をもってユウキの解答を祝福した。
「ッ、何が──!?」
「鯖 寿 司サバイバー!」
リョウガの目が驚愕に見開かれる。デッドエンド・スタジアムの闇を照らす光の存在に、驚きを隠せない。何が起きている──?
確信に従って、ユウキは名前を呼ぶ。今もまだ聞こえている、その回転を。
「未 来 撃アライブノヴァ・アタック!」
「──ッ!?」
復活を命じる。そうだ、サバイバー′は粘り強い。どんな逆境からだって、土俵際を蹴って舞い戻る!
サバイバー′が消滅した跡に光が灯って、そしてその光条に導かれるように寿司が現れる。土俵の中を駆け、リョウガのマグロに追突するその光は──
「何だ、その寿司は!? お前のサバイバー′は消滅したはず──!」
「『アライブ・サバイバー′′ダブルダッシュ』! これが俺の答えだ、リョウガ!」
認めない。こんな意味不明な現象など認めてなるものか。その怒りに、ユウキの声が反駁する。
脳裏に閃いた名を叫ぶ。蘇ったサバイバー′、寿司の意志の力を借りて進化した輝ける寿司。その名が意味するものは『生存』──ロスト・チルドレンの答えが、リョウガのマグロを弾き飛ばす。
「アライブ・サバイバー′′!?」
「あれは……ユウキの寿司が進化したのか。寿司の意志の力を借りて……」
驚くのはプレイヤーばかりではない。観客もそうだ。表情に乏しい白乃瀬兄妹も、しかし目の前で起きたありえない事態を驚愕を持って受け止めていた。
そして、言葉を失っている観客はここにも1人。
「なんてことだ……新しい寿司は生まれていた!」
「どういうことです? バイオンさん」
「新生スシブレード実験は失敗ではなかった……あの事件から生まれた寿司はいま、新たな形に新生した……!」
サバイバー′の更に向こう。あの地獄を超えた先の答えが、いま確かに回っていた。
「鯖の生寿司だ。未だ誰もスシブレードにしたことはないはずの寿司がいま、スシブレードとして回っている──」
スシブレードにおいて鮮度は何にも代えがたい重要なファクターだ。しかし鯖の生寿司は現存する寿司の中で最も鮮度を保つことが難しいものの1つ。それ故に今までその寿司をスシブレードとし得たものはいなかった。
だが、源ユウキはそれをひっくり返した。それこそが、スシブレードの新たな地平を示す端緒。
「──白乃瀬クジラ……”くろしお”。貴方に依頼します」
「なに? いま?」
「はい。この試合、ロスト・チルドレンのもとに中継を……!」
知らせなくては。今から起こる奇跡を。
マグロを弾き飛ばしたアライブ・サバイバー′′は追撃を仕掛ける。月桂冠の緑色はリョウガの頭上すぐそこまで迫っていた。
「──認めない、オレは認めないぞ、そんなもの……!」
「リョウガ……!」
しかしここで負けるようなリョウガなら、生涯無敗の記録はとうの昔に止まっていた。リョウガの頭上の月桂冠は枯れたままだ。追撃するアライブを、リョウガのマグロが押し返す──!
月桂樹が、再び枯れ始めた。
「銃弾は寿司ではないし、寿司もまた銃弾ではない! 殺し合わないことが人類文明の矜持ではないのか!? ならどうしてスシブレードにすべてをかけて争う? お前らは異常だ。スシブレードで生存競争をするな! 何がアライブ生存だ、オレは認めないぞそんな寿司──!」
「ッ、リョウガ、まだ言うのか……!」
「ああ言うとも。いつまで戦う気だ、誰かがこの悲しい戦いの歴史に幕を下ろさなきゃいけないんだ!」
ごねるように反撃をし続ける。だが、その攻撃はアライブ・サバイバー′′に響いていない。それでも、攻撃の手は緩めなかった。
月桂冠の枯死が広まっていく。闇が、勢いを盛り返していた。勝負はまだ終わらない。
「諦めの悪い愚か者が戦い続けてしまうから、スシブレードはここまで続いてきてしまったんだ。もういい加減やめにしよう。屍を数えるのは飽きた。オレはもう十字架なんて背負いたくないんだよ……!」
「それでも俺がここにいるぞ。俺を見ろリョウガ、お前の言う屍がいまお前の前で立って戦ってるだろうが──!」
2つの寿司がぶつかり合う。
月桂樹の輪は、ちょうど半分のところで緑と茶色に分かれていた。
「チッ……! お前もそうだ、お前も結局戦場に戻ってきた、それこそがスシブレードという悲劇の象徴じゃないのか、源ユウキ!」
「いいや違う、俺たちはこのスタジアムから出るんだ! リョウガ!」
きっかけこそバイオンの奸計によるものであれ、ユウキが戦い続けているのは彼の意思だ。それこそが、人がスシブレードから逃れられないことを象徴するのではないか──一度でも寿司を握ったものは、スシブレードから逃げられない。そんな呪縛を再現する愚者になど負けられない。
だがマグロの攻撃は通じない。リョウガのマグロが捉えたのはアライブの輝く軌跡だけだ。
「出る? どうやって。誰もが闇の中で死んでいく絶望の世界から、どうやって!」
それでも、リョウガには寿司の声が聞こえる。急に上昇した速力を敵に回したとて、慣れさえすれば対応するのはわけもない。ユウキを睨む眼光のような鋭さで、マグロがアライブ・サバイバー′′を叩いた。
「スシブレードは、夢と希望のスポーツだ!」
「ッ──!」
だがアライブ・サバイバー′′は鯖寿司で、鯖寿司の武器は速力だ。速力を生かしたアタックスタイルが、ユウキのサバイバー運用法──攻撃を受けて開いた間合いを、一瞬にして詰めた。
アライブに攻撃されたマグロが大きくぐらつく。良いのが入った──そもそもここまでの激闘でマグロも限界だ。もはやユウキの攻撃をやり過ごせるだけの力は残っていない!
「絶望とか言うな! お前が──よりにもよってお前が、それを言うな! あの地獄の中でお前は、俺たちにとって最後に残された希望だった……誰よりも全員で生きて帰ろうとしていたのは、お前じゃないか!」
そう、ロスト・チルドレンはみんなきっとわかっている。過酷な環境とお互いに奪い合う日々が戦い続け絶望することを強いたけど、それでも唯一不撓なるブレーダー、最後まで倒れなかった絶対の希望がそこにいた。
少年たちの死神、リョウガのやりたかったことは伝わっている。奪い合いを止め、倒れた者を励まし、そして立っているものを早く挫く。真実を知ったユウキにはわかる。彼はただひたすらに全員で生きて帰りたかったのだ。そのために彼は自ら強いて戦い続けてきたのだ。そんなこと、情報があってもなくても感じていた。
癪だが、バイオンには感謝しなければならない。無敗でい続けた彼に、いつまでもそんなつまらなそうな顔をしなくていいと、辛いなら負けたって良いと伝えるために、ユウキはリョウガに挑み続けたのだから。いま、そのリベンジが叶う。
「俺は未来を握るぞ、この手に! 闇寿司のでもお前のでもない、俺たちの未来を!」
「できるものならやってみろ──! 『死戦場の哀歌デッドエンド・アリア』!」
「アライブ・サバイバー′′! 『 新 生 鯖 凱 旋アライブ・アゲインスト・ダーク』!」
そんな未来とやらがこの闇の中にあるのなら、やってみせろ。そう試すようにリョウガは彼の世界そのものをユウキとその寿司にぶつけた。号令とともに、墨を垂らしたかのごとく濃い暗靄がアライブ・サバイバー′′に纏わりつく──だが、ユウキにはそんなものは通じない。
「速い──あれが生寿司の性能か!」
閃光のオーラを纏って疾走するアライブは、その闇を振り払ってみせた。
それだけでは留まらない。鯖寿司の特徴は足の速さ。その進化系であるアライブ・サバイバー′′は、リョウガのサバイバーを元に生まれた寿司は、デッドエンド・スタジアムの闇など物ともしない。土俵の中を、乱反射する光のように駆け抜ける。煌めく光が、リングの上に満ちた闇を晴らしていく──!
「違いますよ。あれは、脂による機動力のアシストだ」
だが、その一点においてバイオンの見立ては外れていた。
マサヤのレイ・アナゴルノを見ていたコタロウは知っている。緑色が押していく月桂冠に見下されたリングの中を駆けるアライブ・サバイバー′′。どんな闇にも屈しない輝き、あれはレイ・アナゴルノと同じ脂由来の煌めきだ。
「でもそれって、なんで……はっ、そうか!」
「くじらちゃん?」
しかしではその脂はどこから来るのか? 訝しんだ白乃瀬クジラの脳裏に答えが閃く。
「トロだ。あれはただの生鯖じゃない、トロ鯖の生寿司だ」
「トロ? それって……」
──『待ってたよ、ユウキ』
「アルティメット……? そうか──行くぞアライブ!」
声が、聞こえた気がした。──そうか、お前はそこにいたんだな。
アライブサバイバー′′のトロ要素、それはかつてのユウキの愛機アルティメットマグロに由来する。鮪の赤身の上位モデルはトロだ。サバイバー′とともに、かつての愛機も前へ進んでいた。サバイバー′は浪城リョウガがネオダイバ・スシブレードスタジアムの中で培った戦闘データをもとに生まれたネタだ。その構成要素の中に、それは──アルティメットマグロを握ってリョウガに挑み続けた少年の戦いの軌跡は、ずっと眠っていた。なら、今ならできる。かつての絶望を超えられる。望むがままになそう、あの日挫けた闘志の続きを。
「ぶち抜け! 『鯖 生 鱗 超 死 閃サバイバー・アライブダッシュ・リベンジ』!」
『 新 生 鯖 凱 旋アライブ・アゲインスト・ダーク』によって闇が払われ、墓石の山とマグロが現れる。
そしてそれらを砕くために光るのは、アルティメットとサバイバー、2つの力を合わせて放つ最速の閃光。あらゆる過去を振り切る青い希望が走る──!
「これで決着だ、リョウガ──!」
「く、そ──ッ! 過去の亡霊が……!」
そして最後にアライブ・サバイバー′′がマグロを打つ。最後に抵抗を試みたリョウガのマグロは、しかしユウキの一撃によって穿たれた。──リベンジ、ここに成る。
マグロは崩壊バースト。長い死闘はついに終わった。最後に残っていた枯れ葉が、緑色に染まる。
そして。
「「ッ……!?」」
視界が、突如暗転した。
【B part】
「何が……!?」
突如暗転した視界の中で、体を起こす。どういうわけか、肉体感覚も覚束ない──何が起きた?
「やぁ、ユウキ」
「っ──誰だ?」
呼ぶ声が聞こえた。反射的に振り返る。
その瞳が、声の主を視認した。
「──リョウガ?」
リョウガはリョウガでも、さっきまで戦っていたのとは違う。かつてスタジアムで見た幼い少年、その姿がそこにあった。
いや、リョウガだけではない。ロスト・チルドレン全ての面影が、その子供にはあった。
「誰って、ひどいな。ここまで一緒に戦ってきた相棒じゃないか」
「お前──!」
自らの正体を告げた声には聞き覚えがあった。
「さっきの声は、お前だったのか……サバイバー′、いやアライブ・サバイバー′′か?」
「どっちでもいいよ。キミの呼んでくれた名前だからね」
人食いの寿司に宿っていたもの。あの鯖寿司はロスト・チルドレンたちの地獄から生まれた──それに宿った声が姿を取るとしたら、確かに目の前の子供のようになるのだろう。
「ここまでご苦労さま、ユウキ。ボクを守ってくれてありがとう。おかげでここまで生き残れたよ」
「なり行きだけどな……だけど、ここまで力を貸してくれて助かった。ありがとう、おかげであいつにも勝てた……勝てたんだよな?」
結果的に見れば闇寿司の魔の手からサバイバー′を守った形になるのだろう、ユウキの戦いは。だがそれはあくまでバイオンの計画にそってユウキが己のために戦い続けただけだ。礼を言うのはユウキの方でもまたある──謝辞を述べたユウキの脳裏で、引っかかるものが1つ。結局試合はどうなった?
「キミの勝ちだよ。ロスト・チルドレンの死神は打ち破られた」
「……そうか」
良かった、と安堵する。勝ったのだ、ついに──あの絶対なる狩人に。穏やかな達成感が胸に満ちていく。
「じゃあ、これは何だ? あの薔薇みたいなのの影響か? というか、ここはそもそも何だ?」
「ここはキミの世界だ、ユウキ。キミのモナドとして、ボクはいま会話している」
「寿司時空ってことか?」
「まぁその一種だね。どう捉えてもらっても構わないけど」
よくわからないが、とりあえずは納得した。天上の薔薇寿司ローザ・セレスシの影響か、寿司が進化した影響か──他にもなにかあるのかもしれないが、気絶でもしているということだろうか? ならば気を取り戻さなくてはならない。
「どうすれば現実に戻れる? トロフィーをクイーン・スプラウトたちに届けないと。約束なんだ」
「おめでとうユウキ。キミはよくやった──キミの戦いはここで終わりだ」
「は? いや、えっと……」
会話が噛み合わない。とんちんかんな受け答えに、つい疑問符が口をついた。
「そのトロフィーだけどね? ボクが貰ってあげる。そう言っているんだよ?」
「──ッ!」
無邪気に笑いながら、サバイバー′は小首をかしげた。
サバイバー′の口から飛び出した言葉が、ユウキを戦慄させる。
「お前、何を言って……!」
「ボクは新しいスシブレードとして作られたんだ。その務めをいま果たす。古いスシブレードを食って、ボクがスシブレードに成り代わる。そのための触媒に、あのトロフィーが要る」
サバイバー′は、新生スシブレード実験で生まれた──かの実験の主旨は『新しいスシブレードの創生』。そう、新しい寿司は確かにここに息づいている。
「そのために、キミの体を貸してほしいの。なに、難しいことは言わないよ。ただボクに命じてくればいいんだ。いつも通りにね──ただ『あれを食え』って、命じてくれればいいだけだよ。そうすればボクは、キミの体を通してトロフィーに、トロフィーを通じてスシブレードの概念に接触できる」
抱きつくように、子供の指がユウキの体をなぞる。その手足を貸せ、と説きながら。
『敵を蹴散らし、その寿司を食い千切れ』──ユウキがここまでの戦いで散々命じてきたことだ。それをスシブレードに対してやれと、サバイバー′はそう言った。
「ね? 簡単なことでしょう?」
「……アライブ、俺は」
耳元で囁かれる。確かに簡単なのだろう。だが。
飛びつかれてよろめきながら、ユウキは口を開いた。
「俺は、スシブレードを終わらせるつもりはない。お前は危険だ……お前をスシブレードにするのは、多分問題があると思う。悪いけど……」
「ふーん。キミもそう言うんだ。ボクはキミたちから生まれたのに、ボクのこと否定するんだ」
反論を聞いて、サバイバー′はつまらなそうに抱きついた腕を解く。
そっぽを向いて拗ねたようにそう言ってみせる子供の言葉に、ユウキは慌てて反論する。
「ちがっ……そうじゃない、サバイバー′」
「いいよ、キミたちのことはボクが誰よりよくわかってるから。そりゃおぞましいよね。キミたちにとってボクはスティグマだもの。ボクがスシブレードの神様みたいになるのは嫌だって、わかるよ」
「っ……」
肩を掴んで振り向かせ、視線の高さを合わせて訴えたユウキの目を、子供の目はまっすぐに覗き返してくる。
思わず、目を逸らしてしまった。ロスト・チルドレン全員の面影を宿す瞳──その中には当然、ユウキも含まれる。過去を直視できないのはトラウマを抱える人間によく見られる防衛反応だ。
「でもね。ボクがスシブレードに成り代わった暁には、そのスティグマを無かったことにだってしてあげられる。いまでもたまに夢の中で戦ってるよね。そういう辛い思い出、全部無かったことにしてあげるよ?」
「……は?」
あの事件を、未だに受けたトラウマがぶり返す6年前の事件、ユウキたちの消えないスティグマを、消せる。しゃがんだまま硬直するユウキを抱きしめるように、サバイバー′は取引を持ちかけた。
「スシブレードを司る寿司の意思には、過去も未来もない。寿司の意思と交感したとき、キミだって見たはずだ。過去現在未来、すべてのスシブレーダーたちの姿を」
寿司の意思──人類生命圏との共生を選んだ地球生命の代表意思。あらゆる寿司の総体たるミトコンドリアは、文字通り全ての寿司を──過去・未来・平行世界すべての人類が握りうる寿司を内包している。それ故に、回転する寿司たちの代表、つまりスシブレードそのものである寿司の意思に、時間という概念はない。
その座に就くことができれば、あの事件が発生する前の時間軸に介入してロスト・チルドレンたちの事件を無かったことにだってできるだろう。
「どう? きっとキミはあの事件がなければ、ボクが成り代わったあとのスシブレードとどういう形で関わっているかはわからないけど、それでも明るい未来があったはずだよ。……ほら、なんだっけ、あのクラスメイトの子。あの子とかと楽しくスポーツに興じる未来もあったんじゃない?」
「…………」
「だから、ね?」と囁きかける。
その甘言を、どれだけ望んだことか。あの事件がなければ──そう夢想した日々は、そう嘆いた日々は、その願いは、どれほど募ったことか。
ユウキは、答えることができない。
「……でも」
「うん?」
「──それでも、無かったことにはできない」
それがユウキの結論。その誘惑には、乗れない。
肩に手を置き、まっすぐ目を見て、答えを言い聞かせた。
「言われたことがあるんだ。お前も知ってるかもしれないけど……『誤魔化していたら始まらない』って、『立って戦え』って。見ないふりをして消し去るのは、勝ったことにはならないと思う」
「……そっか」
多分それは、敵前逃亡と変わらなくて。そしてユウキにそれは認められなかった。あのおぞましい過去に、忌まわしい記憶に尻尾を巻いて惨めに逃げ出すのは、嫌だった。ユウキが憎んでいるのは、あの地獄──そこから生まれた嬰児を認めるわけにはいかない。
「ごめん。俺は、お前を否定することしかできない」
「いいよ。キミがあの中で随一の負けず嫌いだったのは知ってたし」
ユウキの手を振りほどき背を向けた子供に、謝る。もっとも、それも見越されていたようだが。
「でも、アイツはどうかな?」
「──ッ! リョウガ……!」
言われて、その視線の先を追う。
そう、そもそもユウキの勧誘はBプラン。始めから叶わないだろうとわかっていた目標だった。サバイバー′のオリジン、直接の親とも言えるリョウガを倒したのは他ならぬユウキだ。リョウガから生まれた寿司の論理が通じるとは、はじめから思っていない。
本命はリョウガ。サバイバー′の元になった少年の成長した姿が、見つめた先にあった。
「お前は」
「リョウガ。キミは分かるよね?」
リョウガには、その子供はロスト・チルドレンが次々と切り替わる形で見えていた。
「……スシヲファージ実体」
「正解。やっぱりオリジンともなると話が早いね!」
闇寿司として、生み出すのに協力したものとして、そしてあの実験の顛末を知るものとして、子供の名を呼ぶ。
正解を言い当てられて、目の前の子供は嬉しそうに破顔してみせた。
可愛らしく見えるが、その正体は寿司でも何でもない。寿司の形をしただけの別物──スシヲファージ実体。"寿司を喰らうもの"、寿司の概念を喰らいながら成長する亜種寿司存在。言うなればそれはスシブレードに寄生する癌だ。故にこそ闇寿司はサバイバー′を封印していたのだが。
「これは……デッドエンド・スタジアムか。精神空間だな?」
「ご明察。意識だけ引っ剥がしてお話しさせてもらってるよ。ごめんね?」
周りを見渡す。よく見れば、真っ暗な視界の中に墓石とスタジアムが確認できた。
えへへ。悪戯っぽく笑う子供を見る目は冷たい。
「何の用だ、お前はユウキの寿司だろう」
「それなんだけどね。キミの力を貸してほしいんだ、リョウガ。あいつは負けず嫌いだからね……説得するのにきっと失敗する」
その予想は正しい。実際、後にユウキは誘惑を振り切っている。だから本命はリョウガだ。
「本命はキミなんだよ。リョウガ──あのトロフィーを獲ろう」
「は?」
つい、声が漏れた。何を言っている?
「オレはもう負けた。優勝者はあいつだ。オレにできることはもう無い」
「そんなことはないよ。キミのモナドは……次元間スシ・フィールドは、まだ死んでいない。ユウキの寿司が復活したように、キミの寿司だって復活できる。ボクの力を使えばね」
勝負は決した。ユウキの必殺転技の前にリョウガは敗れたのだ。もう今さらトロフィーに手は届かない。
だが、目の前の子供は屈しない。子供らしい野心的な瞳で、リョウガを見据えた。
寿司の意思からバックアップを受け、ユウキ本来の寿司のモナドであるマグロと力が合わさり、サバイバー′はアライブ・サバイバー′′に進化する形で復活してみせた。それと同じことが、リョウガのスシ・フィールドとスシヲファージ実体の力を合わせればできる。そもそもスシヲファージ実体はリョウガの経験を元に生まれたのだから──デッドエンド・スタジアムと同じく。
「ボクはキミから生まれたんだ。力を合わせれば何だってできるさ! そして一緒にスシブレードを、寿司の意思を食い尽くそう! スシブレードを終わらせるんだよ、ね?」
「っ……」
はしゃぎながら、リョウガの隣に子供が並ぶ。下ろしたまま握られた拳に、小さな手が添えられた──一緒に行こう。スシブレードを終わらせよう。ぶんぶんと、促すようにその手が振り回される。
親の期待を受けて、子供はどこまでも躍進していく。リョウガ自身知っていることだ。思い出すのは、父に頭を撫でられていた思い出。
「お父さんも、もう立てないねぇ? キミは自分の手でスシブレードを終わらせることを選んだんだ。実際どれだけの犠牲が出たんだろうね? キミは彼らに報いなきゃいけない、そうでしょ?」
「そうだ、オレは……」
そう、報いなければならない、足元に積み上がる屍の山に。自分で手を下した者、計画の途中で倒れた者、今もどこかで挫折する者、今まで苦しんだ者、これから絶望する者──それら全てを弔う義務が、リョウガにはある。
「ねっ? そうだよね? だから、さぁ──」
「……できない」
「──えっ?」
しかし、開きかけた手は振り払われた。
意外な反応に、スシヲファージ実体は目を丸くする。
「スシブレードは夢と希望のスポーツだ。それを奪うことは、オレにはできない」
「……ふーん」
拳を握りしめて、目を伏せる。誰かの寿司を摘み取るのはもう沢山だ。その過ちは繰り返してはならない。
冷めた顔をした子供が、それでもにじり寄っていった。
「でもさぁ、既に奪われたものはどうするの? 6年前の事件を、キミは良しとできるの?」
「っ、それは……!」
背の低い子供が、見上げるようにしてリョウガの顔を覗き込む。伏せられた視線を受け止めるのは、あの日泣いていた子供の瞳だ。目が合った瞬間、リョウガの体が引きつった。
「ロスト・チルドレンの苦しみを無駄にしていいの? キミは、ボクたちに報いるべきじゃないの?」
「っ……、ッ……!」
視線が逸れる──だが、それを逃してはくれない。回り込むようにして、目を合わせられる。
そうだ、あの地獄の中で苦しんでいた子供たちを、いまも痛苦の中にいるであろう被害者たちを、無視はできない。
だが過去をなかったことにするのも無理筋だ。時間は巻き戻らず、死んだ者は生き返らない。傷ついた心は元通りにはならないのだ──それこそがリョウガを突き動かしていた罪悪感の源泉。
償わなければならない、だが、失われたものは原理的に償えない──どうして良いかわからず、片手で顔を覆った。
「うそうそ。キミは悪くないもんね。お父さんたちがお金儲けのために始めた計画のせいで酷い目にあって、ロスト・チルドレンの十字架を背負わなきゃいけなくなって……辛かったよね。でも大丈夫だよ」
丸まった背を抱きしめるように、背伸びして腕を回す。実際、リョウガも巻き込まれただけの子供ではあるのだ──闇寿司がスシブレード産業で肥え続けるための希望を託された"寿司の御子"、その身にかけられた期待はあまりにも身勝手だ。
「こうしよう。ボクは新しいスシブレードとして、寿司の意思に成り代わる。そして過去に介入するんだ──あの事件も、それからキミがスシブレードを初めたことも、すべて無かったことにしてあげる。それでロスト・チルドレンは全員救われるし、スシブレードで苦しむ人もいなくなる……キミも含めてね」
「──!」
寿司の意思に時間軸の概念はない。リョウガはそれを知っている──寿司技術者であるバイオンに師事した身だ、それくらいの知識はある。
だから、この子供の言葉が真実であることも理解できた。ロスト・チルドレンたちが受けた傷を、無かったことにできる──スシヲファージ実体の力を借りれば。
「楽にしてあげる。キミはもう、自分を責めなくて良いんだよ」
「オレは……オレは……!」
リョウガが、膝をついて崩れ落ちた。
震える体を抱きしめながら"落とした"と確信した子供の耳に、しかし意外な言葉が飛び込んでくる。
「違うんだよ……オレは加害者だ! 加害者なんだよ……」
「へ?」
「あの事件が起きたのはオレのせいだ。あの日オレが頷かなければ、こんなことにはならなかった……!」
──「ねぇ父さん、オレ大会に出てみたい」
スシブレードスクールで貰った案内を渡しながら、父親に聞いたことがある。
どう返事があったかは憶えていないけれど、しかしその案内に載っていた大会に連れて行ってもらったことは憶えている。
──「いいかいリョウガ。ここにはお前の学校の友達よりもたくさんの子がいるね」
──「うん」
──「彼らはみんなこの大会で一番になりたいと思っている。でもね、1番になって褒められるのはこの中からたった1人なんだ。最後まで勝ち残るのは、1人だけ。それでもお前は戦うのかい?」
そうして連れられた会場で、そんなことを聞かれた。子供たちでごった返す会場を眺めながらなされたその質問に、しかしリョウガは淀むことなく答えたのだった。
──「? でもオレは勝つよ? オレは父さんの息子だぜ?」
──「そうか……じゃあ行ってきなさい」
その答えがすべての始まりだった。
そうして戦いの世界に足を踏み入れて、実際難なく勝ち抜いてみせた。
──「えへへ、やったぜ父さん! オレ凄いでしょ!」
──「ああ、よくやった。さすが私の息子だ」
そこからが、今日までの生涯無敗の日々。
誰かのものになるはずだった勝利を奪い取って笑う日々は、そしてある日地獄へ至る。
「あのスタジアムの中でだってそうだ……ロスト・チルドレンの心を折ったのは、オレだ! オレがあいつらを挫いて回ったんだ……」
『最後の1人になるまで勝ち残る』、父に教わった言葉だけを信じて他の子供達を倒して回り、そうして事件は収束した。
──「よくやった。信じていたぞ、さすが私の息子だ」
帰った彼を出迎えたのは、父からの抱擁とそんな言葉。奪い取った場所で光を浴びた。
「オレは楽になんてなれない……その資格もない」
だから、その甘言には耳を貸せない。
リョウガの人生は罪ありきだ。その罪を雪ぐことは許されない──許されるつもりもない。
「じゃあなおさら、償わなきゃだよね? ボクに任せて。ぜーんぶ、なかったことにしたげるから」
それでも、スシヲファージ実体は言い寄る。
その言い分は正しいのだ。許されざる罪であるからこそ、その罪過によって損なわれた人々には償いをしなければならない。
そして、リョウガの直ぐ腕の中には、それを可能とする選択肢がある──
「ほら、被害者さんも見てるよ?」
「ッ──!」
「……リョウガ」
ここで、繋がる。
ロスト・チルドレン──リョウガによって挫かれた被害者であるところの源ユウキが、心配げな表情でリョウガを見つめていた。
「彼に申し訳ないよねぇ? 彼の人生はキミのせいでめちゃくちゃだもん。さぁ、ボクに任せて? 償うんだ、彼や、他のロスト・チルドレンのためにも。まさか彼の前で『償わない』なんて言えないよねぇ?」
「っ、く……!」
ささやく。もはやリョウガには膝立ちで体を支える力すら無い。その声の前に、両手を地に着いていた。それでも、しゃがみこんで顔を覗き込む子供が唆し続ける。
もはや完全にその心は折れていた。主張を押し通す精神力も、もう残っていない。
だが。
「立てよ、リョウガ」
──だが、手を差し伸べる男がここにいる。
「……ッ!」
「戦え、戦うんだ。諦めちゃ駄目だ」
「ああ……そうだ……そうだな──」
手を借りて、立ち上がる。ユウキの発した激励に、リョウガは息を呑んだ。
そうだ、それこそ自分がロスト・チルドレンに強いてきたことではないか──何を挫けているんだ、加害者の分際で。
「サバイバー。それはオレの罪だ。誰かに償わせるわけにはいかない……お前の手は借りない!」
「っ……、そう」
やはり、その答えは変わらない。怒ったように言い返した子供の手を取るわけにはいかないのだ。
半歩前に出て、表明する。その罪はリョウガ自身のものだと。
「自分で償うって言ったってさ、償いようはないじゃない。キミは過去のことをなかったことにできないでしょ? それでどうやって償うって?」
「……それでも、やっぱり無かったことにはできない」
「はぁ? 意味わかんない」
リョウガの主張に、幼い顔が苛立ちで歪む。言っていることが理解できなかった。
その様子をリョウガは見据え、そして告げた。
「ユウキの苦しみを、その中から立ち上がったことを、立ち続け、戦ったことを──否定することはできない。お前の手は取れない、何があっても」
「っ──!」
苦しみながら戦ったことを侮辱するのは、翻ってそのまま自分の贖罪を、犯した罪の重さを否定することになる。だから、どうあってもスシヲファージ実体の誘いには乗れない。
言い負かされた。ロスト・チルドレンすべての面影を持つ子供は狼狽する。
「何なんだよお前ら! 『助けてくれ』って言ったのは、キミたちじゃないか!」
「……そうだな」
あのスタジアムに閉じ込められた子供たち。きっとその誰もが思っていたことだ。それを、あの地獄から生まれた寿司は知っている。そうとも、この子供は、生き残りたいというその願いから生まれた寿司なのだから。
それは否定できない。
「だけど俺たちは何度でも立ち上がれる……そしてきっと、人はそれを夢とか希望って言うんだ」
だが、ユウキはそれに対する答えを既に持ち合わせていた。挫けたって、立ち上がって戦える。リョウガが教え、そしてサバイバー′が力を貸したことだ。
「……ふざけるなよ、何が夢と希望だ。ボクを生み出しておいて、そんなものがこの世界にあるとでも!?」
「サバイバー′……」
「ボクは認めないぞ……こうなったら根比べだ! お前たちが頷くまでボクはお前らを解放しない。こちとら6年の間ずっとこの暗闇の中でこの機会を待ってたんだ、それに比べたらお前たちが衰弱して死ぬのを待つくらい何でもないね!」
ヤケを起こした。新たな寿司として作られた失敗作は、最後の強硬策に出る。
奪った意識をそのまま精神世界に繋ぎとめて、肉体から完全に剥がれるのを待つ。根比べ──そう来られては、流石にユウキにもなす術はない。ただ、息を呑んだ。
「ボクと心中だ! それがイヤなら体を明け渡すんだな!」
「──なぁユウキ」
「……なんだ?」
しかしリョウガはそうではない。まだ、諦めてはいないようだった。
ユウキの名を呼び、そしてユウキがそれに答える。
「お前、未来を切り拓くって言ったよな。『俺たちの未来を』って」
「ああ……言ったけど」
確認するように尋ねた。問われたのは、戦いの最中に放った言葉──
「オレはお前に賭ける。お前とアライブが、オレたちの希望になると」
「リョウガ!」
未来を切り拓く希望。リョウガは、ユウキをそれと見定めた。
驚き、そして喜びで目を見開くユウキをよそに、己の進むべき道を見定めて、スシヲファージ実体──6年前の悲劇の凝集体に歩み寄っていく。
「な──なんだ、何をする!? やめろ、近づくな!」
「お前はオレと行こう」
闇寿司には、概念を握る技術がある。そしてリョウガは酢飯投影ができるブレーダーだ。形のない寿司を握るのは慣れっこだった。
そもサバイバー′はリョウガから取ったデータを握って作られた寿司である。そこに宿っていたスシヲファージ実体は、当然その技術の射程範囲内。
小さな双肩に、リョウガの手が伸びる──
「ひぃ、ヤダ! 来ないで!」
「大丈夫、1人にはしない」
「──へ?」
──そのまま両腕を、首筋に回した。意表を突かれ、子供の顔が驚きの色に染まる。
「一緒に戦おう。過去じゃなくて、未来へ向かって」
「っ……!」
抱き寄せて、そう告げる。そして風が吹き、その風はリョウガの手のひらに向けて収束していく──
デッドエンド・スタジアムが、リョウガの寿司の元へ収まっていく。
墓石が光の粒になって霧散し、空間を覆っていた闇は寿司に吸い込まれ、そしてネオダイバ・スタジアムの幻影は霞のように消えていった。
「っ!」
「く──!」
肉体の感覚が戻ってきた。その違和感に、つい声が漏れる。
視界が明転し、スタジアムの照明が一瞬網膜を焼いた。
『決着ゥーーーーー! 死闘を制し、スシブレードの王者となったのは、源ユウキ!』
アナウンスに合わせて、歓声が爆発する。
勝負は着いたようで、観客はみなユウキに拍手や喝采を送っていた。
ユウキ / アライブ・サバイバー′′ WIN!
決まり手 / Sushi Technique
新 生 鯖 凱 旋アライブ・アゲインスト・ダーク + 鯖 生 鱗 超 死 閃サバイバー・アライブダッシュ・リベンジ
「戻ってきたのか」
「ああ。そうらしい」
会場を見渡す。
あの空間の中では時間が経っていなかったらしい。観客陣が、特に不審がっている様子もなかった。
「ユウキくん!」
「あはは……」
観客席から聞こえた知り合いの声に、苦笑いを浮かべて手を振った。
「──これからよろしく、███████████」
それを横目に、リョウガが己の寿司を拾い上げる。手に持った瞬間、それは輝きを取り戻して──すぐに飲み込まれた。その直前に呟かれた名前を聞き取ったのは、その寿司に宿ったものしかいないだろう。
スシブレード・バトルブレーダーズ、決着。宿命の2人の戦いは、ここに幕を下ろした。
次回、最終話!
SPIN-LAST「回り続ける夢と希望スシブレード」
戦いを終えたある日、ユウキのもとに連絡が。さらばロスト・チルドレンの希望の星よ! いつかまた会うその日まで。
【アバンタイトル】
「ユウキくん、ユウキくんユウキくん!」
「げ……」
休日明け、学校にて。死闘を終えたユウキを待っていたのはなんてことない日常である。
が、それ故に本来日常と非日常の境界は案外曖昧なのだということを忘れていた。始間ナオミ──ユウキをスシブレード部に誘ったクラスメイトだ──が、スシブレード・バトルブレーダーズ優勝者としてユウキの名を報じるニュースを携帯の画面に表示して駆け寄ってきた。
面倒な奴に見つかった、と思う。
「やっぱりスシブレードやるんじゃん! しかもこれサバイバーじゃない? 凄い凄い! え? 本当に最強のブレーダーが同じクラスに居るの? うわぁ、信じらんない!」
「……朝から元気だな、お前」
大会決着の翌日、コタロウとともに回らない寿司協会へトロフィー納品に向かったユウキの体にはかなりの疲労が蓄積している。天敵・山葵山アオイと対面すると思うと心労も嵩んだし──何よりバトルブレーダーズ本戦の1日は情動的に忙しい日でもあった。連休の後半に集中して襲いかかってきた疲労は、一睡した程度では拭えない。寝不足の頭に陽気な声が響いた。
「あっ、ごめん……」
「いやまぁ、いいけど」
シュンとするクラスメイト相手に、慌てて訂正を入れる。別に曇らせたいわけではない。
「で、何の用だ」
「用っていうか……あ! そうだ、私スシブレード部入るんだよ! なんか顧問の先生が変わるみたいでね、部員一斉募集だって! それできみがいたら心強いなぁ、なんて……」
用というほどのことはなくただ感動を伝えたかっただけなのだが……しかし、思いついたという風にぽんと手を打つ。
もじもじと指を絡めながらなされた提案は、まぁユウキの想像の範疇内だった。ちらりと、伺うように怯えの混じった視線を向けられる。
「ああ……いいよ」
「そうだよね! やっぱり駄目だよね! ごめんごめん、気にしないで! ……って、いいの!?」
「声がでかいって」
「あっ、ごめん……じゃなくて!」
やりとりをよそに、机に置かれたユウキの携帯が画面を点灯させる。2通のメッセージが通知されていた。
発信者は白乃瀬クジラ。非日常は、まだユウキを見逃さない。
【A part】
『今日のニュースです。飲食業界大手の"ワタシグループ"重役を含む経営陣複数人が突如辞任を公表、経営体制を一新すると発表しました。経緯については労働組合や外部の第三者との協議によるものとしておりますが、この"第三者"については具体的な名前が出ていません。所謂ブラックと業界でも噂されていたワタシグループですが、急な経営体制の切り替えには反社会的組織の影を指摘する声も……』
後日。メッセージを受けたユウキが訪れていたのは、病室。
リノリウムの床が蛍光灯を反射する室内で、白いカーテンを揺らす風がニュース番組のアナウンスを乗せてユウキの耳に届けた。
「ケンタ。連れてきたよ」
「ありがとう……ホムラ」
ユウキを導いた案内人が、病室に1つだけ備え付けられたベッドでニュースを見ていた少年に声をかけた。
少年は扉を開けて入ってきたユウキと「夜は冷えるんだからそろそろ窓閉めるよ」と叱る案内人を見て、ふわりと微笑む。
「えと、一応、自己紹介。ぼくがケンタで……」
「あたしはホムラ」
「……源ユウキ」
テレビを消して、病室の主、そして案内人である少女が名乗る。患者服の少年と、彼が頼る少女──2人のことを、その名前とかつての風貌を、ユウキは知っている。そう、この2人も、あのスタジアムに囚われた子供たち。
「なんていうか、不思議な感じだね」
「ああ、まぁ……そうだな」
椅子に腰掛けながら、ユウキは曖昧に相槌を打った。
不思議な再会だ。6年前の地獄で奪い合いの悲劇を演じた相手と、こうして対面するとは。
「なんていうか、その……6年前のことは水に流そう」
「……だな」
お互いその気まずさを感じ取ったのか、どちらともなくそう合意した。あの地獄では、仕方のなかったことなのだ。誰が悪いというわけでもない。ロスト・チルドレンはみんな了解のうちだ。
「今日は来てくれてありがとう」
「……ごめんね、急に呼び出して。本当なら連れて会いに行きたかったんだけど──」
ユウキのもとに届いた2通のメッセージは、白乃瀬クジラに対して送られた『源ユウキと会いたい』という旨のメールを転送したものと、そしてその経緯を説明したものだった。そのメッセージの送り主が、彼である。
ホムラが付け加えるように詫びた。本来なら面会を望む身であるケンタが出向くべきなのだろうが……視線は、病床の彼に向けられている。
「いや、いいよ。今日は部活もなかったし」
「ごめんね」
「いいって。それより体は大丈夫なのか?」
「うん、ちょっと熱出しただけだから。わりとよくやるんだ、へへ……」
照れくさそうに、ケンタが笑う。
「よくって……倒れるのまでは中々ないでしょ」
「いや、それは……そうだけど」
ケンタ自身虚弱体質ではあるのだが、倒れて入院措置にまでなるのは珍しい事態だ。指摘されて、言い返せずに黙った。
「でも、おかげであの試合が見れた」
それでも、テレビを指差して、言う。バイオンの依頼に応じて行われた白乃瀬クジラによるハッキング。その成果は出ていた。ケンタはユウキとリョウガ、2人のロスト・チルドレンがぶつかった死闘を目撃している。
「ユウキ。きみに会えてよかった……なんて伝えればいいのかな。『ありがとう』、でもないんだけど」
「……俺も、お前に会えてよかったよ。無事そうなところを見られて……ホムラも」
ロスト・チルドレンにとっての絶望を打破したユウキの姿を、再び戦場に戻って戦い抜いたその健闘を目にしてケンタの抱いた感情は、一言では表し難い。だがそれを伝えたかった。そのためにユウキと会ったのだから。
けれどそれはロスト・チルドレンと再会したユウキの方も同じだ。ケンタは病床の上だが、それでも実際に生きている姿を見て、場合が場合なら嬉し泣きしていたかもしれないと思った。
「あたしは、別に……健康だし」
「そうか」
複雑そうな顔をするホムラにそれでも相槌を打つ。それでもいい。こうして会話できているのが嬉しかった。
「そうだ、6年間どうしてたんだ? なんでお前たちがつるんでるのかってところから……」
「ぼくたちは姉弟弟子なんだ。その縁でね……あれ以来ずっと、世話になりっぱなしだ」
「あたしの家が道場なの。そこの門下生だった……んだけどね」
寂しげに笑いながら説明したケンタに、ホムラが苦笑しながら説明を加える。
彼の親が病弱だったケンタを見かねて、ホムラの父が営むスシブレード道場に通わせたのがこの2人の出会いだ。生命圏エピゾスフィアの力を借りることで虚弱体質を克服したケンタと師範の娘であるホムラは他の門下生たちと切磋琢磨を重ね、揃ってネオダイバ記念ジュニア・スシブレード大会で勝ち進むまでになり──そして崩落事故に巻き込まれた。
本来はただそれだけの付き合いだった2人だが、受けた傷と生活の断絶は大きい。スシブレードを失ったことで再び虚弱体質に戻ったケンタの世話を焼く形で、ホムラとケンタの個人的な付き合いは続いていた。
「……そうだったのか」
「ま、その程度のつまらない話だよ」
言われてみれば、この2人は6年前も行動を共にしていた気がする。奪い合いに積極的でなかった印象のあるホムラが最年少だったケンタを庇っているだけかと思っていたが、そういう事情だったのか。
「それよりきみの話を聞かせてよ、ユウキ。きみの戦いを、リョウガを打ち破るまでの話を、彼と何を話したのかを」
「ああ。そうだな……お前たちには、多分知る権利がある」
積もる話は終わらない。
──「そろそろ面会時間はおしまいです。いつもご苦労様、ホムラちゃん」
──「いえ……じゃあね、ケンタ」
──「うん。ユウキのこと、送って行って。夜は道がわかりづらいから……」
──「わかってるよ」
──「……じゃあな、ケンタ。よければまた会おう」
「さて……」
部外客がいなくなって静まりかえった病室で、ケンタは1人来客を待っていた。彼が白乃瀬クジラに依頼した伝言、ハッキングされた際に送られてきたデータの送り主に返信したメールは、一通ではない。
「…………」
手の中で、寿司を弄びながら待つ──あの試合を見ていた彼のもとへそれは現れた。アジの寿司。かつてケンタが握っていたものだ。
「来た」
そして。静かな病院の中に足音が響くのを、その耳が捉えた。
「本当にきみなんだね、リョウガ」
「フン。呼び出しておいて白々しい」
ロスト・チルドレンの死神が、いまケンタの目の前に立っていた。もっとも、その姿は"デスサイズ"のそれ、死神装束ではない。骸骨のような白い仮面は外されていた。黒衣は黒衣でも学校の制服の上にマントを巻きつけただけの姿で現れたリョウガを、ケンタは見つめる。
「ありがとう、来てくれて。そして要件は伝えた通りだ」
「そうか。その程度で済むなら、カリギュラのスキルを使うまでもなかったか」
面会時間の終わった病院に忍び込めたのは他でもなく、カリギュラの有していた空間を切開・再接合するスキルを使ってのことである──"寿司の御子"であるリョウガにとって、他者のスキルを模倣する程度容易いことだ。
しかしわざわざそうする必要を疑うほど、彼を呼び出したメッセージの主旨は簡潔だった。
「バトルだ。ぼくはリョウガ、きみにスシブレードバトルを申し込む」
「──いいだろう。オレと、この『スシクイネ・アライバル』が受けて立つ」
「行くよ……『アジタリオ』」
新生したリョウガの寿司、その名はスシクイネ・アライバル。それを構えるリョウガを前に、唾を飲み込んで、ケンタもアジを構える。やると決めたのだ、だからやるしかない。
──「立て、立って戦え」。その言葉を思い出しながら、掛け声を発した。
「「3、2、1、へいらっしゃい!」」
リョウガ / スシクイネ・アライバル
「今日はありがとね。わざわざ付き合ってもらっちゃって」
「いや……俺も嬉しかったから」
「そっか」
夜道を、ホムラに案内されて歩く。運河の脇を通る遊歩道を行きながらそんな風に言葉を交わした。
「──ケンタはさ。元気に見えたけど、あれでも普段は引きこもりなんだよ」
「わからないでも……ないよ。俺だって小学校にはあの後ほとんど行かなかったし、中学でもろくな学校生活は送らなかった」
打ち明けるように、ホムラはそう言った。
ケンタは正真正銘の保健室登校児である──体が弱い彼の心は、唯一取り柄であったスシブレードを失ったことで完全に折れている。同年代の人間と接触することそのものに困難を抱えるせいで、学校へ通うことさえままならない。
ユウキもその境遇は理解できる。事件直後は活動的な同年代の子供が怖くて学校に寄り付けなかったし、中学に入ってからも周りには馴染めず心療施設と学校を往復するだけの日々だった。
「『知らない人のいるところで眠るのが怖い』って言って、入院するときはいつも個室だし……あたしがいないと外出もままならない」
「……そうか」
ケンタは、ホムラ以外の人間──スタジアムの中で昼夜問わず寄り添い続けた姉弟子以外の人間がいるところでは眠れない。それに加え、最年少で見るからに弱々しかった彼はあの事件の間にさんざっぱら狙われた。そのトラウマが社会への恐怖へと形を変えて今も彼の胸中に棲んでいる。
ロスト・チルドレンの受けた傷は、やはり深い。
「それでも」
「うん?」
「それでもあの子は、ユウキ、お前に会った」
「……うん」
それでも。あの事件の傷を受け、社会から断絶してなお、最年少のロスト・チルドレンはユウキに会おうとした。
──「会いたい人がいるんだけど……案内、頼んでもいい……?」
見舞いに来たホムラに、恐る恐るとばかりにそう申し出たケンタ。それはホムラが初めて見た、ケンタが自発的に他人とのコミュニケーションを求めた瞬間だった。
「だけどね……あたしは見てないんだよ。リョウガとの試合」
「それは──」
ホムラは、ユウキとリョウガの試合を見ていない。正確には、白乃瀬クジラによって送信されてきた映像をひと目見た瞬間、手元にあった端末を放り投げてしまった。
「それでも、ケンタは見てたんだよね……2人の試合を。あたしたちの元に現れた寿司だって、ケンタは受け入れた」
「……お前は」
ケンタの手前捨てることもできずに、ホムラは一応、彼女の寿司を持ち歩いている。しかし、彼女はその寿司を持て余していた。いまだって、ポケットの中へ雑にしまわれたままだ。
「あたしは、どうすればいいの」
「…………」
発せられた疑問に、ユウキは押し黙る。
「あたしはあのスタジアムの中で、あの子に守られて生き延びた」
──「見ぃつけた──! 寿司を出せ、おら早くしろ!」
──「ひっ……! イヤ、もうイヤ! 来ないで!」
──「ホムラ! ……ぼくが相手だ、来い!」
──「ガキが俺さまに勝てるわけねぇだろうが!」
──「うぅっ……!」
──「ケンタ! ごめんね、ケンタ……」
──「ケンタ……ケンタぁ……! いつ帰れるの? 早く帰りたいよぉ……」
──「大丈夫、大丈夫だから。ぼくとリョウガがいる限り、ホムラは大丈夫だから。落ち着いて、ね?」
蘇るのは、そんな記憶の数々。今でこそ引きこもったケンタの世話を焼いているのはホムラだが、あのスタジアムの中では彼女の方こそが彼に守られて生き延びた。何を隠そう、そもそもケンタの世話を焼いているのは年下の弟弟子が自分の代わりに戦い苦しみ傷ついていったことへの罪悪感からだ。
「あの子がいないと、あたしは何もできないの! なのにケンタは……!」
ホムラは、ケンタの世話を焼ける程度には、曲がりなりにも立ち直っている。だがそれはすべてケンタありきのことだ。ケンタにとって頼れる姉貴分であるために、これ以上ケンタに心配させないように、辛うじて学校へ通い、細々とバイトをしながらここまで来た。
だが、そのケンタは立ち直ろうとしている。己の過去やスシブレードに向き合い、前を向きだしている。きっとユウキとの面会はその始まりなのだろうという予感があった──伊達に6年を共に過ごしていない。ホムラからすれば、ケンタの様子が変わり始めているのは火を見るより明らかだった。
「あたしは、どうしたら! 教えてよ……あの子が前を向いてるのに、あたしはどうすればいいの……?」
「──立て。立って戦え」
「ッ……!」
返ってきた答えは、ホムラもあのスタジアムの中で何度も聞いた言葉。かの死神、ロスト・チルドレンを薙ぎ倒し続けた絶対なる最終生存者、浪城リョウガが食用の寿司を生み出すために、そして生きる意志を忘れさせないために子供たちにかけ続けた言葉だ。地獄の中で何度も聞いたその脅し文句が鼓膜を揺らし、ホムラが慄く。
「寿司、あるんだろ。出せよ。その答えは、スシブレードの中で見つけるしかない」
「そんなの……!」
「無理だ無理だって言い続けていても、俺たちは何も変われないままだ……俺だってイヤだったよ。だけど、その結果ここまで来れた」
「でも!」
諭されて、嫌々ながらも寿司を取り出す。戦うことでしか、道は切り拓けない。6年前の生還を賭けた戦いにせよ、闇寿司との戦いにせよ、スシブレードバトルブレーダーズにせよ……そして、彼らの人生にせよ。それを、ユウキは知っている。
「でもじゃない。行くぞ、ホムラ」
「っ、くそ……!」
「「3、2、1、へいらっしゃい!」」
ユウキ / アライブ・サバイバー′′
【B part】
「くっ……!」
「アライブ!」
バトルは一方的な展開で進行していた。
ユウキのアライブに、ホムラのイワシーズは遅れを取っている。
(やっぱり、あたしじゃ上手く戦えない……)
ホムラにとっての寿司のモナドは、未だ崩壊したままだ。彼女の寿司、炙られた鰯のスシブレードが彼女の預かり知らぬ奇跡によって舞い戻れども、彼女自身がブレーダーとして再起できていないのであれば無意味だ。
「ホムラ……」
「だけど、その憐れむような目をやめろ!」
だが、気に入らないものはある。それを打ち破るために、彼女は奮い立つ。イワシーズの一撃が叩き込まれる──がそれは空を切った。
「ッ~~!」
「……同じ光り物なら、アライブの方に分がある」
そう、速力はアライブのほうが圧倒的に上──炙られたことで強化されているとはいえ、進化体であるアライブ・サバイバー′′にイワシーズでは同じ光り物故に分が悪い。それに加えて、弱々しい攻撃。なんとか絞り出すような程度の攻撃では、到底アライブを捉えることはできないだろう。
「そんなもんじゃないだろ、ホムラ。本来のお前は」
「今のあたしはこれが限界なの! わかってよ!」
煽られて、激昂する。今度は良いのが行った。悲痛な叫びとともに打ち込まれた一撃は、アライブを弾く。
「ッ──」
「勝手に強くならないでよ! あたしの気も知らないで!」
「そうか……っ!」
ホムラが激昂するにつれて、攻撃に腰が入っていく。ユウキも余裕を失いつつあった。
「ケンタも勝手だよ、大人しくしてればいいのに! あたしがそばにいるんだから、それでいいじゃん……!」
ホムラの嘆き、怒り、悲しみ。そういうものが、寿司を通じてユウキにも伝わっていく。
スシブレードは、心で戦うスポーツだ。いま、ロスト・チルドレンたちは寿司を通じて対話していた。
「それも勝手な言い分じゃないのか! そうやってケンタを引きこもったままにしておくのがあいつのためになると本気で思ってるのか?」
「っ、そうだけど、でも!」
イワシーズの軌道が、ホムラの声が、揺れる。
そして、涙が落ちた。
「置いてかないでよ……」
力なく項垂れ、そのまま地面にへたり込む。
ホムラのその様子を、ユウキは見ていた。
「俺は置いてかない。誰も……きっとケンタもそうだと思う」
「え……?」
静かに告げられた声に、顔を上げた。
「俺さ……学校で初めて部活に入ったんだ。うるさい女がクラスにいてさ。そいつに誘われて、だけど……恥ずかしいんだけど、俺そいつとの距離感がいまいちわからないんだよ」
「……何を」
「先輩もそうだ。特に年上の女子なんて今までスクールでちょっと戦ったことくらいしかないからさ……今度、ちょっと相談に乗ってくれないか」
語りかける。バトルブレーダーズ・チャンピオン、最強のブレーダーといえど、その悩みは等身大──日常生活さえままならないほどの傷を受けた彼にとって、むしろ人間関係の悩みは喫緊の問題だった。
「俺たちは仲間だ。ホムラ……同じ痛みを味わい、同じ地獄を生き延びた。俺たちにしかわかり合えない苦悩があるはずなんだ」
アライブが、優しく、配慮するようにイワシーズにぶつかる。
アリアードとの一戦を経て、彼なりに考えたこと。ユウキに仲間や友達はいない──だが、仲間や友達がいないという痛みは、あの事件のスティグマのせいでうまく生きられないという苦しみは、分かち合えるはずだ。そういうものを、アリアードは仲間と呼んでいた。だから。
「ふっ……何それ」
「……うるさいな。大真面目なんだよ、これでも……きっと、ケンタも、それからお前も同じように、6年前の傷が痛むことがあるだろう」
笑われた。下らない悩みだと思われただろうか。それでも、ユウキにとっては真面目な悩みだ。そしてそれは、分かち合えるもののはず。
「…………」
「それでも俺たちは仲間だ。そして誰かが頑張りながら戦う姿が、他の誰かを照らすはずなんだ」
あの地獄の中で、倒れることなく苦しみぬいた最後の1人。彼のつまらなそうな顔が、虚しさと嘆きを抱えながらも最後まで寿司を回し続けたその姿が、ユウキにどれほど力を与えたか。「あいつを倒す」、それだけがユウキを最後の2人になるまで生き残らしめたモチベーションだった。サバイバーの煌めきを、今も鮮明に思い出せる。
「ケンタは前を向いて歩き出した。それでもケンタはつまずくかもしれない。それを励ますことのできるお前になりたくないか、ホムラ」
「……!」
目を見て訴えかける。そしてその訴求は、ホムラの胸を打ったようだ。ホムラが、立ち上がった。
「俺たちは生きている。生きている以上、いつか戦わなきゃいけなくなる時が来る。そのときはそうやって励まし合いながら、少しずつ前へ進んでいくんだ」
「御託がうざいっての!」
イワシーズが、アライブを殴りつける。その一撃は、何よりも真っ直ぐだった。
「はは……ごめん」
「いいよ、やってやる。これはその一発目だ。今からデカいの行くけど、手加減はできないかも……久しぶりだし」
冗談めかして、ユウキが笑う。ユウキに合わせるように、ホムラも笑う──寂しげでも苦しげでもなく、挑戦的な笑顔で。
それを受けて、また、ユウキも口の端を吊り上げた。来るなら来い、受けて立とうじゃないか──!
「ああ、来い!」
「行くよ、イワシーズ! これがあたしたちの、再起の一撃リベンジだ──!」
病室に寿司がぶつかり合う音が響く。どこかぎこちないその操作と似たような声音で、ケンタが静かに問いかけた。
「リョウガ、あの次元間スシ・フィールドは出さないの」
「オレの『死戦場の刃デッドエンド・スタジアム』はいま、スシヲファージ実体をアライバルへと握り直し、その特性を制御するために使われている」
リョウガのスシ・フィールドはスシクイネ・アライバル──スシヲファージ実体を握った寿司と同時に生まれ変わることで、本来の性質を失っている。デッドエンド・スタジアムもスシヲファージ実体も、消失済みだ。彼とサバイバー′の奪った寿司は元の場所に還った。ケンタたちのもとに現れた寿司こそその現れ。
そう、彼はもはやかつての切り札を切れない。
「だが。その代わり──スシヲファージ実体とオレのスシ・フィールドが一体化することで生まれる力は奴のアライブにも劣らない」
「っ……!」
「超えられるかな? この壁を。ユウキに感化されたのか知らないが、この壁は奴が超えたものより高いぞ」
そもそもデッドエンド・スタジアムなど無くとも、浪城リョウガは絶対的な壁なのだ。ロスト・チルドレンなら誰もが知ること。その事実を前に、ケンタは拳を戦慄かせた。
「それでも……!」
しかし、彼のアジ寿司は止まらない。
「それでもユウキに続くんだ!」
「……そうか」
ロスト・チルドレンにとって最後の希望だったのは、ユウキもだ。先んじて倒れていった子供たちは、最後に残った2人が戦うのを見ていた。その視線が、期待とともに背中に注がれていたことを、ユウキは知らない。
だが、ケンタはそれを踏まえてこの戦いに挑んでいる。結局彼を倒せずじまいで終わった事件。その失意は、ケンタも同じ。そこから這い上がったユウキの戦いを、ケンタは知っている!
「あの人にずっと迷惑かけてちゃダメなんだ。ぼくも、自分の足で立って戦わないと……そうじゃないと、ホムラが自分の人生を生きられない!」
そう、いつまでもホムラをケンタの世話役に縛り付けていては、ホムラも前を向くことができない。ずっと考えていたことだ。
アジタリオが、鈍い閃光をきらめかせながら赤身のアライバルへ飛びかかる。
「ぼくだってそうだ、いつまでもうずくまってたらダメなんだ。勇気を持って部屋から出ないと──!」
「だがそれは無謀な挑戦だ」
光り物随一の攻撃力でもってなされる攻撃。速さにして鯖寿司と互角を張るだろう一撃が、アライバルを打つ。
しかし、その攻撃はなんなく受け止められた──ほんの少し体勢を崩しただけのアライバルが、反撃を叩き込んだ。
「無謀なんかじゃない! ぼくはきみに勝って、この部屋を出るんだ!」
「しかしこのままではお前は負けるぞ」
それでもアジタリオは攻め続けた。打ち合いが続く。だが、その攻撃もほぼ受け止められてしまう。
これではこのまま負けるだけだろう。だから──
「ああ。だからこれで勝負だ、リョウガ。ぼくは今から全身全霊の攻撃を叩き込む!」
「いいだろう。かかってこい」
「行くぞ! 『鰺 鱗 一 閃アジタリオ・フラッシュムーブ・アタック』!」
薄紅色の身が、鱗の反射を伴って閃光となり駆ける。放たれたのは一世一代、過去を断ち切るため、人生の闇を照らすための一撃。ユウキを真似たこの必殺転技で、あの絶対強者を打倒する!
「ッ! 効くな」
「行っけぇ──!」
全身全霊の一撃は、アライバルを弾き飛ばした。打ち込まれた痛打に、リョウガが呻く。
飛ばされ、体勢を維持できずに倒れるだろうか。アライバルを見つめるケンタの声に熱がこもる。だが、アライバルはまだ死なない。
「オレも全身全霊で返そう。この一撃を受け止めきれるか?」
「っ……やっぱりダメか……」
「『デスサイズ・ドライブ』」
「ッ──アジタリオ!」
ロスト・チルドレンは何度も見てきた、寿司を狩る死神の得意技。彼を倒そうと躍起になって挑んだ子供たちを尽く薙ぎ倒した絶望の刃。それが作動した。
アジタリオの芯に、致命的なダメージが入った。ケンタはそれを直感した。
だが。
「まだだ、アジタリオ、せめてもう一撃……!」
「……ほう」
だが、ケンタはここで沈まない。ここで沈んでいた過去のケンタとは違う。立ち上がるんだ。ユウキのように、あの地獄を超えて、今、この戦いで!
──そして、届いた。デスサイズ・ドライブを食らってなお、よろめきながら敢行された攻撃が、確かにアライバルに当たった。
「──見事だ」
「っ……」
反撃を受けたアライバルが、さらにもう一度殴り返した。
リョウガ / スシクイネ・アライバル WIN!
フラッシュ・アジタリオ、崩壊負けバースト・フィニッシュ。だがその敗北は、きっと何よりも進歩を証すものとなるだろう。
「……やっぱ強いなぁ、リョウガ」
「悪いな。あいつともう一度やるまでは、負けるつもりはないんだ」
「いいよ。流石に一朝一夕じゃいかないのはわかってた」
詫びるリョウガに、言い返す。そう、実際いきなり勝てはしないだろうとわかっていた。流石に鈍っていた時間が長すぎる。そんなに都合良く超えられる壁ではないし、またそうでなければ挑みがいも無いのだから。
「ただ──またリベンジを挑んでも、いい?」
「ああ。いつでもとはいかないが、また戦おう」
ケンタの問いかけに返ってきたのは、背中越しの答え。やるべきことは終えたということだろう。その背中を見送ろうとしたが、スキルか何かを使ったのだろう、瞬時に病室から消えていた。
──「『鯖 寿 司 未 来 撃サバイバー・アライブノヴァ・アタック』」
決着は着いた。ユウキの勝ち、という形で。
決着の後、ユウキはホムラと別れ、運河沿いを歩きだした。
「──よう、犯罪者。見てたのか」
「たまたま通りがかっただけだ。それに、ワタシ社の件は合意に基づくスシブレードバトルの結果だ」
背に視線を感じたユウキが、振り返って視認した人影にそう呼びかけた。街灯に照らされ、浮かぶ影の名を。
応じるように、橋の上から2人のバトルを見ていたリョウガが顔をしかめる。
「これからだ。これから、ロスト・チルドレンは人生を取り戻していくんだ」
「そうか。良かったな」
ホムラの言っていたこと、ホムラに言ったこと。それらを反芻するように語りかけた。
当然リョウガもそのことをケンタとの戦いで感じ取っていた。それはユウキの知る由もないことだが、しかしあの決勝戦で共有された結論は、2人の前で確かな形として証されていた。
「リョウガ。お前、結局まだ闇寿司をやってるのか」
「……それがオレの役目だからな」
病室で見たニュース。ユウキとの一連の戦いで半壊したはずの闇寿司は、しかし彼らの仕業としか思えない新たな足跡を社会に刻みつけていた。
「闇寿司は生まれ変わる。この世には力が必要な人間も存在する。弱い者も、戦えない者もいる。オレたちはそんな人々の力になる。それが新しい闇寿司だ」
「そうは言っても、変われない奴だっているはずだ」
「そのための力だ。結局のところ、強い者の言うことは聞かざるを得ないのが実力主義の世界だ……闇寿司に従う法は無いが、弱者が強者に勝てないのは世の理だ。従わない者は力づくで黙らせるさ」
「随分物騒なんだな」
「それがオレの見てきた世界だ。その闇を、これから改める。だからきっと、またオレは表舞台から姿を消すだろう……おそらく、内紛になる。しばらくは公にできないような戦いが続くはずだ」
「そうか」
リョウガにもリョウガの戦いがあるのだろう。その視座は、同じロスト・チルドレンといえどやはり異なっていた。「だから、ここでお別れだ」とでも言うかように、リョウガが背を向ける。
「──なぁ、また会えるか」
ユウキは、立ち去ろうとしたリョウガの背にそう問いかけた。
「会う必要もないだろう」
リョウガの返事は素っ気ない。リョウガという男はいつだって、目の前のやるべきことをしか見ていない。視線は前だけを向いている。
「お前が心配だ。俺は……ロスト・チルドレンのみんなには元気でいてほしい。もちろん、お前も含めてだ。言ったろ、俺はお前と、未来を」
「余計な世話だ。オレにはやるべきことがある」
「でも」
ユウキはそれでも食い下がる。因縁の宿敵は、未来を誓った友でもあるはずなのに。そんな危険な戦いに身を投じるというのなら、いくら絶対の死神にして新しい闇寿司の頭領とはいえ、リョウガの身の安全も知れたものではない。
そんな心配を一笑に付すかのように、リョウガはユウキを諭す。目が、合った。
「それでもだ。オレにはオレの、お前にはお前のやるべきことがあるはずだ。スシブレード部に入ったんだろう? これから表で活躍するお前が、闇寿司のブレーダーと付き合うべきじゃない」
闇寿司は依然スシブレードの裏側で蠢いている。リョウガの働きを以てしても、張られた根をすべて断つには時間がかかるだろう。健全な青少年の育成を目的とするスシブレード・インターハイスクール競技に、闇が入り込む隙も、必要もない。
道はまた、ここで分かれる。それぞれの未来へ向けて回りだした物語は、一旦、別々の軌道を描く。
「……もしまたお前が、闇寿司が何かやらかそうっていうんなら、俺が、俺とアライブがお前を止める」
「ふん、それでいい。俺のアライバルとお前のアライブは半分同じ存在なんだ。なら、スシブレードが回る限り、いつか同じ場所に導かれるだろう。再会はその時でいい」
「言ったな。約束だぞ」
「約束などと無粋なことはしないさ。あの事件のときオレたちは約束事をしたか?」
その問いに対する答えは『否』である。スタジアム崩落事件に際して、被害者たちの間で交わされた言葉はそう多くない。特に互いが互いの寿司を奪い合い始めてからは、正面に立つもの全員が敵だったのだ。唯一平等に全員を薙ぎ倒すだけだった"死神"は例外としても、ロスト・チルドレンたちは飢えた獣のごとき警戒心と闘争心で相互にまみえていた。
「それでも……事件は終わった。お前があの事件について負うべき責任なんて、もう──」
「だがやはりオレにはやるべきことがある。スシブレードの世界に……いや、この社会にはびこる闇を消し去る戦いが始まる。オレ自身無事で済むかもわからん。できない約束はしない」
「リョウガ……」
一瞬の沈黙が流れる。それと同期するかのように、声が聞こえた。
「"デスサイズ"。そろそろ行きますよ」
「バイオン」
大会決着と同時に姿をくらましたスシブレード部顧問。いまはリョウガと組んで戦う元闇寿司四包丁の技術者が、リョウガを迎えに車のヘッドライトとともに現れた。
「オレはもう行く。ここから先は闇の時間、闇の戦場。昼の生き物は家に帰る時間だ。お前はお前の人生を生きろ。オレも、オレの戦いをする」
「……わかったよ。じゃあな、リョウガ。お前と会えてよかった。また会うときまで、負けるなよ」
「ああ……さらばだ、源ユウキ。ロスト・チルドレンの希望の星よ。どうか、挫けることのないように」
それが別れの合図だった。スタジアム次元陥落事件が終結してから5年間会うことのなかった因縁の2人は、一連の事件で何度もぶつかり、今ここで最後の邂逅を為した。そして、あの事件の終結の日に交わさなかった別れの言葉を残して、決別する。立ち去るリョウガたちのテールランプを見送り、ユウキは家路についた。
今日も地球は回るし、経済も、社会も回っている。そして、寿司も。それらが回り続ける限り、夢も希望も無くならない。
1日に1回転する天球に映された夜空には、東京の夜にしては珍しく星が煌めいていた。
それから、しばらくの時が過ぎた。そこそこに長かったけど、6年に比べればなんてことのない時間。
──場所は、都内のスシブレードスタジアム。
『スシブレード・インターハイスクール団体戦、東京リーグは次が最終戦! ホムラ選手がナオミ選手のワサヴィーナスを撃破したことで、臨海学園とダイバ高校が並びました! 勝負は大将戦にもつれ込みます!』
会場内にアナウンスが響く。
行われているのは、スシブレード・インターハイスクール大会の東京エリア大会、その決勝。
「ごめんユウキくん、負けちゃった」
始間ナオミが、チームのベンチで控えるユウキに一言詫びた。
「気にすんな、まだ俺がいる」
「うん、任せたよエース!」
「任された──!」
しかし、ユウキはそれを意に介さない。口の端を歪め、任せろとばかりにハイタッチをして歩き出す。
その背を、チームメイトは見送った。
『泣いても笑ってもこれが最後の試合! さぁ、最終戦を戦うのは──』
アナウンスに従って、2人の高校生がバトルステージに登場する。
両者定められた位置につき、正面を見据えた──映る姿は、見知ったもの。
「よう、ケンタ。お前と戦えて嬉しいよ」
「ぼくもだ、ユウキ」
それぞれのチームの勝敗を背負ったエースたちは、短いながらも笑顔で挨拶を交わした。
再会を喜び合い、2人はランチャーを構えて寿司を番える。
「じゃあ行くよ!」
「ああ、楽しもうぜ!」
楽しみにしていた勝負が始まる。彼らのスシブレードは、これからだ。
「「3、2、1、へいらっしゃい!」」
今日も寿司が回る。
フードファイト スシブレード:未聞伝
完
この物語が、今を生きるすべての仲間たちに勇気を与えることを祈って。