SCP-003-H - 正常性こそ至上なれ
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「スティーヴ。」男は芝庭にて草刈りをしつつ隣人にそう呼びかけた。恰幅が良く首太で、快活な印象を与えていた。そして続けて問いかけた。「昨日の試合は観てたか?」

スティーヴ・コネリーは犬にドッグフードをやり終えると、背筋を伸ばして問いに応えた。

「ハンクか。いやあ仕事が本当にしんどくて。最終イニングには間に合ったんだけど、テレビの前で寝落ちしちゃったよ」

「本当に? 今回のレッドソックスの活躍を見逃すとはねえ、勿体なさすぎるよ。境界警備ってそんなに辛いのか?」

「まあね。でもまた3人越境者を捕まえてやったよ」

「すげえな。」ハンクは感嘆に思わず口笛を鳴らした。「難民め……。じゃあもし君らがそこに居てくれなかったら、そいつらが街中に解き放たれてたってことだよな。空恐ろしい話だよ……」

「そういうことになるな、考えたくもない話だけども。主よ、マサチューセッツを護り給え。」口に馴染んだ祈りの句を唱え、そしてスティーヴは見上げたのだった。風の中で、軽快に靡く国旗を。

「主よ、マサチューセッツを護り給え。」眉間に皺寄せ些か敬虔な声調で、ハンクもそう復唱した。「そういえばスティーヴ。君、今日娘さんを学校に送って行くよな。ついでにウチのガキも連れて行ってくれよ。どうも車のエンジンの調子がおかしいんだよ、原因がわかるまでオレは徒歩通勤だから」

「わかった、大丈夫だよ。くれぐれも働き過ぎには気をつけてな!」そう云って笑いスティーヴは自分の家のベランダに向かった。ベランダの脇では妻がもう待っている。隣人に愛想よく手を振りながら。

「ベティが学校の先生に、『わたしの警察パパを授業に連れてきてあげる』って約束しちゃったんだって。“国 旗 忠 誓プレッジ・オブ・アレジアンス1” の披露とか、お仕事の紹介も約束したみたいよ。」妻のエリザベス・コネリーは夫をテーブルへ導きながら話しかけた。その声はころころと、歌のように奏でられた。続けて問いかけた。「コーヒーでいい?」

スティーヴはテーブルに着きリモコンを手に取り、テレビをアニメからニュースに替えた。娘の「えーっ!」という不服の叫声を聞きながら。そうして彼は朝食にとりかかった。

「まあベティが約束しちゃったなら顔出してみるか。僕も色々あってね、オープンデーの招待券を配らなきゃいけないんだよ」

14歳になるコネリー家の長男のビルは、練乳掛けのパンケーキを味わいながら、頬張ったままの口で父に尋ねた。

「パパ、僕もオープンデー行っていい?」

「何言ってるの。あなた謹慎中だったでしょ」エリザベスが叱る。「先生からもう何度も何度も注意されてるの。あなたの愛国サークル欠席の件で。ちょっとはあのを見習ってよ、あの娘はもう……」

「エリザベス、」スティーヴは夫人の言葉を慎重に遮りテレビを指差した。スクリーンに表示された『緊急速報 生中継』の文字。黒い上着に身を包む若いアナウンサーがボストン議事堂改築寄金のローカルニュースを中断し、プロンプターのメッセージを読み上げ始めた。

「たった今、映像が届きました。ご覧ください、こちらが嘗て『カリフォルニア州・サンフランシスコ』と呼ばれていた場所です」

スクリーンでは映像が不定間隔で切り替わった。映像は主に公園や高い建物に吊るされた定点カメラで撮影されたものである。
トランスアメリカ・ピラミッド” の摩天楼は、溶けたアイスクリームのような有様だった。その白い壁と窓はトロトロと流れ落ち、在りし日の壮麗なピラミッドの縁を伝って、あちこちで大きな雫を成していた。尖塔は横に折れ曲って、隣接する建物の上に垂れていた。
それら建物のいくつかは互いに重なり合い、土台の上で徐々にひとつのモノへと溶け合っていく。叫びまどう人々の波がストリートを散っていく。溶け落ちた家々が成す幾流もの泥河が、アスファルトの大地を流れていく……道にある自動車も、路面電車も、バスも、その一切を捲き込みながら。そして泥河は人々に迫りゆき、捲き込まれた物体は徐々にプラスチックの不定形の、縮小する小塊へと変わっていく。
取り残された者たちは足を取られ溺れ始める。ぬかるむアスファルトとコンクリートの沼は、彼らの脚を、そして胴体も飲み込んでいく。
消えた信号機の光、絶えず鳴っているサイレン。
大型旅客機が空から道路へと落ちた。落ちて、乳白色の飛沫へと砕け、それは道を乳白色のシミで覆った。
そして須臾……見えざる脚本家がパチンと指を鳴らしたかのように、空を覆うまばらな雲が地上に向けて突然白い濃密な奔流となって発出し、後には清快な青空が残された。小鳥たちが巨大な群れとなって飛び去った。
街には終焉が訪れた。
市中で最後まで持ちこたえているのはゴールデンゲート・ブリッジである。橋塔が傾斜し塔頭が下を向いてなおケーブルが粘り強く、倒壊すまいと耐えている。だが結局その鉄の巨人もまた斃れた — 折れも砕けもせず、しずかに海峡の底へ沈む。撒積貨物船バ ル カ ーが海原にたった1隻飛び出ていった。
チョコレート色の濁流と成り果てて海原に流れ出ていくのは、かつての都市、サンフランシスコ。すなわち旧・正常性領域SCP-006-Hである。

「はい、たった今確認された情報です。正常性領域 “SCP-006-H” 一帯におけるXau-Stormク サ ウ の 嵐がピークに達しXau-Catastropheク   サ   ウ   の   禍   難級に移行しました。近隣セクター2ではアノマリーによる損傷はありません。私達はたった今、約100万人の死の目撃者となってしまいました。ですが、それでも。足下の困難な現況において、嘆き伏しているなどという選択肢は存在しないのです」

スクリーンには明々と『一同起立。マサチューセッツ自由正常州歌斉唱』の文字が映し出された。風の中で靡く国旗の写真を背景に、鳴り響くファンファーレの音のもと、男女混声団が州歌を斉唱し始めた。

猛きマサチューセッツ いざ讃えん
州旗たなびかせ ほめ歌わん

主は昼に在りて 此の地照らし
星なき宵闇は 財団がまもらん

われら集めり 不朽の希望
此処に確保せり 世譜の故郷

いざみな集えよ 敵をはらわん
埒外なるもの 此処に保護せん

み神に誓いて 収容せり
まこときよきなる 正常性

アメリカの夢が みちびく子よ
国富がために われら尽くさん

海より海まで われらの名は
あまねく常理に 聞こえわたらん

猛きマサチューセッツ 肥美をたたえ
勇士はぐくめる 楽園たれ

主は昼に在りて 此の地照らし
星なき宵闇は 財団がまもらん

スクリーンが今一度アナウンサーを映し出した。

彼は述べた。「正常性こそ至上なれ。主よ、マサチューセッツを護り給え」と。

「正常性こそ至上なれ。主よ、マサチューセッツを護り給え。」スティーヴ、エリザベス、ベティも声を揃え復唱した。

「パパ、私たちもああなっちゃうのかな。」そう云うベティの声は震えていた。

「ベティ! 口には気をつけなさい!」娘にそう叫んだのはエリザベスだった。

「大丈夫だよ、」スティーヴが割って入った。「あんな目に遭うはずがないんだ。マサチューセッツに限って、そんなこと起こるはずがない」

「なんでそう言い切れるの?」

「だって俺たちはノーマリアック正 常 性 維 持 者だからね」


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SCP-003-H
正常性領域 マサチューセッツ
正常性・警務執行局

内部通達

全局員、全エージェントならびに全インフォーマントに通達する。

旧・サンフランシスコにて過日発生した出来事によりMNZ3境界にも状況悪化が波及することは確定的に明らかである。近隣セクターにおける奇象4概況は比較的良好 (Tela-Bending水準にして毎時18単位Tela量以下) であるが、しかしながら難民の爆発的増加が予想される。よって彼らを受け入れられる状態を、可及的速やかに整備することが急務である。

しかるに、次の通り令達する。

— 長期休暇中ないし計画短期休の局員は出勤するものとする。

— MNZ境界における哨戒を強化、徒歩巡回人員を増員するものとする。

ノンノーマリアック正  常  性  逸  失  者のうち受入許諾可能性が最も高い者らを受け入れるための、難民キャンプを設置するものとする。

— 後方支援部門に以下の支給の準備をさせるものとする。

  • レーション。30,000食を14日分。
  • 飲料水の備蓄。タンク6基、坑井掘削用設備
  • 家具付きの生活居住用プレハブ (添付の仕様書に従うものとする)
  • 家庭用化学製品および家庭用繊維製品 (添付の仕様書に従うものとする)
  • リストに記載の衛生用品および医薬品
  • 標準的有刺鉄線26巻
  • 高さ2.5mの鉄柱300本
  • オートマチック銃450丁。各丁に最低5個の挿弾子を用意
  • 連絡発信システム (添付の仕様書に従うものとする)
  • ドッグフードの備蓄。1日あたり30食として14日分
  • サーチライト25基

正常性・警務執行局
局長

ヘンリー・ブレントン


「私は、自由なマサチューセッツの正常なる市民を自覚し、以下を宣誓します!
私はここに、
わが国旗と、それが象徴する、共和国および古き善き生活に、忠誠を誓います。
私はここに、
主のお創りになったこの世界を、原初の聖なる姿のまま、保ちまもることを誓います。
私はここに、
マサチューセッツをすべてのわざわいからまもり、われらの地の敷居を “ハルマゲドン黙 示 の 終 焉” に跨がせないことを誓います。
以上、宣誓いたします!」

最後の行を朗唱したところで子どもたちは、ベラミー式敬礼5に則り腕を掲げた。こうして “国 旗 忠 誓プレッジ・オブ・アレジアンス” が終わった。伝統的に、学校の授業はこの暗誦とともに始業されるのだ。フルトン先生と、彼女の隣に立っている警察服の長身の男性が、胸に当てていた手を下ろした。彼の式典用の将校服を彩るのは古びたアメリカの名誉勲章と “パープルハート章”。そしてまだ制度化されて間もない勲章 “正常性防衛者章” であった。

「生徒の皆さん、着席していいですよ。コネリーさん、ご一緒に宣誓していただきありがとうございました!」

「いえ、大変光栄です」

「さて皆さん、こちらは皆さんのクラスメイトのベティさんのお父さん、スティーヴ・コネリー警部です。マサチューセッツ正常性・警務執行局から来てくださいました。境界警備に就いていらっしゃいます。
今回、警部のお仕事についてお話しいただく機会を作っていただけました。何か知りたいことがあれば後ほど質問しましょう。
ではコネリーさん、どうぞ」

「ご紹介いただき感謝いたします。さて話を始める前に。ここに集まった若きマサチューセッツ市民の皆さんにお聞きしましょう。皆さんの中に、『大きくなったら警察になりたい』という方はいますか?」

およそ4分の1の子どもたちが手を挙げた。
「おお、結構いますね……。さっきの忠 誓プレッジからもひしひしと伝わってきましたよ。皆さんがここで学んでいる、真の愛国心が。こんな皆さんがいればアメリカはこの先千年でも安泰でしょう。
実は私も警察官になることを決めたのは皆さんくらいの歳でした。……正直言えばきっかけは、警察官の格好とか警察モノの名作映画に惹かれたことだったんですが。
でも大きくなって理解するようになりました。警察の仕事というのは重大な責任を伴うものであることを。警察官は真のアメリカ人の模範たらねば……善良で勇敢で公正な人間たらねばならない。警察は善をまもり、が為されるのを看過してはならない、と」

「警部さん、その勲章はアノマリアック異 常 性 呈 発 者との戦いで授与されたものなんですか?」二列目の少年が尋ねた。

「これですね、」スティーヴは “正常性防衛者章” を指した。「そうです。他のはだいぶ前に授かったものですが。警務に就く前、私は昔のアメリカ合衆国軍で戦っていました。アフガニスタン、その後はベネズエラ。あの頃は相手に不足のない敵と……私たちと同じ、正常な人間と戦っていたんです。今ではもちろん状況はすっかり変わってしまいましたが。

先ほどフルトン先生がお話ししてくださったように、私は正常性領域の境界地帯で勤務しています。
財団職員が参画してくれてから、私たちも異常性保持者を感知できるようになりました。おかげで彼らが隔離地帯境界を突破してしまうのを防げています。
サンフランシスコの悲劇が起きてからというもの難民の増加が予想されています。言うまでもないですが、西海岸側から東海岸側までの道のりを辿ってきた人間が、自分の正常性を保護できているはずなどない。自由ボストン灯台が、己の火を灯し続けるべく難民たちを惹き寄せてしまったとしても、彼らを私たちの街に迎えることはできない。
ホープタウンは先般私たちの “正常性領域” ステータスを取り消し、リソース供給も取り止めてしまいました。それを受けて私たちが至った最も合理的で人道的な決断……それは、アノマリアックのために隔離地帯に快適な難民キャンプを設営したことでした。
キャンプでは、彼らは安全な生活が送れるのは勿論、工場・坑場での労働もできるのです……アメリカの国富のため尽くせるのですよ。また、彼らの中でも秀でた勇敢さを示してくれた者には、異常領域調査も割り当てられているんです。

警察で働きたいと思ってくださる少年少女の皆さん。その第一歩は今からでも踏み出せます! 弊局はボーイ&ガールスカウト団体と綿密に連携を取っています。皆さんは14歳で青年警務執行隊に加わり、警務局の私や他の局員と肩を並べて善を守ることができます。それにあと1ヶ月もすれば共同でオープンデーが開催されますから、そこで局の職務を内側から勉強することもできますよ。授業が終わったら先生が参加チケットを配ってくれます」

「ありがとうございました、コネリーさん! では皆さん、質問はありますか」

最初の挙手は、最前列の太った少年だった。フルトン先生が頷いて手で彼を指した。

「警察さん、ピストル見たいです。いいですか?」

クラス中に軽い笑いが起こった。

「私のピストルは今は署にあるんです。
だけどまたオープンデーに来てくださいね。射撃場でトレーニングウェポンを試し撃ちできますよ……危険なアノマリアックどもに! 触手や牙が生えてるアイツら人でなしどもに撃ち込んでやるんです」ニタニタと冷ややかな笑みを浮かべながらスティーヴが云った。

クラス中の抑えきれない興奮が吐息となって漏れた。フルトン先生から咎めるような視線を向けられ、警察官は慌てて付け足した。

「いや冗談! 冗談ですよ。そんな奴らがこちらに侵入するような事態は私たちが許さないですから。
でも一応、射撃場で使うターゲットにはアノマリアックに似せて作ったものもあります。これは本当です」

次の質問は赤毛の背の低い少年だった。

「警部が見た中で一番やばいアノマリアックってどんな奴でしたか?」

「なかなか難しいことを聞きますね。最初の頃はアノマリーと会うこと自体やばいと感じていましたが、そのうち慣れてしまったんですよ。
でも去年、境界地帯で出会ったアノマリアック……。アイツの身体はまるで……そう、宇宙空間のようだった。でも私たちはそいつを捕まえ損なってしまいました。そのままどこかに行ってしまいました、一言も発さずに」

最後の質問希望者は、将来、警察に関わる仕事がしたいという少年だった。

「警部さん、『アノマリアックは1体たりともマサチューセッツ内は、おろか隔離地帯にも存在してはならない』……と僕は理解しているんですが、この認識は合っているでしょうか?」

「その通りです。アノマリアックの多くはこの地の民主主義の存続を脅かしています。アノマリアックは異常性を呈する者であったり、隔離地帯の境界を越境してくる者であったりします。」

「警察の皆さんはそういう奴らにどう対応してるんですか?」

「私たちは……私たちは、彼らを強制送還しています。」口籠ったのち、スティーヴは答えた。

「皆さん、まだ質問はありますか?」先生が話題を変えようと、焦って教室に問いかけた。

クラスに沈黙が訪れて数秒、それを破ったのは一人の挙手だった……ベティの手だった。
彼女を見た父の表情は、思わず笑顔にほころんだ。

「マサチューセッツ市民は自分がアノマリアックになった時、どうしたらいいでしょうか?」


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SCP-003-H
正常性領域 マサチューセッツ
正常性・警務執行局

教育用資料。対象年齢6歳以上


けんつけかた

せいじょうせいみんみなさんの “” です。をつくるのはわたしたちひとひとりだということをわすれないようにしよう。せいじょうせいりょういきへのしんにゅうぼうしているひとはたくさんいますが、ー・6れてくれるのはほんものじんだけです。

もちろん、まれて、それからずっとここでらしたみんみなさんは、間違まちがいなくせいじょうです。でもせいじょうせいけいしっこうきょくは、はじまるまでにがっしゅうこくみんがどれくらいりしたか、かんぜんにはあくしていません。しかもがいつはじまったのかたいせいかくにはわかっていないのです。ですので、わたしたちのなかからも、このただしきしゃかいに、かんくぐってしんとうしたはっけんされることがあるかもしれません。

わたしたちのしゃかいにとってけんです。そんざいしているだけでの、ゆうみんしゅしゅささえられたせいじょうせいそのもののそんぞくおびやかされるのです。

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よくをつけて。きみどうりょうともだち、となりひとや、きみさえもになるかもしれません。この「3つの “か”」のさえおぼえておけば、つけせます。

1. “か” らだのしょうがいかもしれないひとがいけんをよくてみましょう。は、そのからだからしてそうだとわかるあいもあります。つぎてんちゅうしてみましょう。

  • はいりんらんじょうからだこうぞう
  • からだけいがあること
  • せいじょうからだがないこと
  • ぜんなところがおおわれていること
  • ふやいろぜんであること
  • みょうなほくろ

2. “か” つどうのけいこうかもしれないひとこうどうたいをよくてみましょう。けつじょが、おもとくちょうのひとつです。つぎてんちゅうしてみましょう。

  • ひょうじゅんてきこう
  • くちであること
  • いんとんしてせいかつしていること
  • ぶんはげしくわること
  • からていきたいとおもっていること
  • はんてきであること
  • じんけんせんきょけんなどのけんみとめてあげたいとおもっていること

3. ほかひとへの “か” かわりかたきみかんがかたこころえいきょうあたえてくることもあります。かもしれないひとにいるときには、つぎてんちゅうしてみましょう。

  • みょうぶんになること
  • はいりんらんじょうこうをしてしまうこと
  • つうじんならしないようなこうどうをしたいとおもってしまうこと
  • つうじんならするようなこうどうをしたくないとおもってしまうこと

かもしれないひとつけしたら、りのけいさつれんらくしましょう。もしだれみんのようにふるまっているだれかがあやしいとおもったら、そのことをとうきょくほうこくするまでは、あいきみが「あやしい」とおもっていることをづかれないようにすること。

そして、さいに4つです。いちばんかんたんけられるです。

4. MNZのぼうぎょせんそとからひとぜんいんれいがいなくです。
うえいたようなとくちょうがいくつかてはまらなかったからといって、けいかいをやめるべきではありません。それはかくされているだけかもしれない、すぐにはせてこないかもしれない。こういうのことはびます。、つまりけんせいさいしょうならば、みんけんみとめられませんが、のためにちゅうじつしゅてきに、かつねっしんきんろうするかぎり、このこころやさしいかんげいします (もちろんじょうせいはつげんするまでのあいだだけですが)。

非 国 民あのまりあっくたら、ちからずにせいじょうせいけいしっこうきょくんで、どのほうこうげたかつたえましょう。

せいじょうせいこそじょうなれ。しゅよ、まもたまえ!

ボストン市憲法記念中央印刷所
発行部数 2,000,000部


公用の黒いフォード車が1台、検問所の遮断機に接近した。運転席の窓に近寄った取調兵が腕を前に掲げた。その手には何やらマイクに似た、コードに繋がれたデバイスが握られていた。
財団のロゴがこの兵の袖を栄々しく飾っていた。そしてその紋章は、合衆国旗に縁取られていた。
兵士から “マイク” を顔に向けられて、運転手は窓に目をやった。カチッという短い音が鳴った後、兵服のベルトに提げられた小箱がライトを瞬かせた。計器の針は微動だにしない。

「正常デス。」女性の金切り声がデバイスから発された。

「ジョーンズ、何か変わったことはないか?」スティーヴ・コネリーが尋ねた。

「警部、万事いつも通りです。」兵士はスキャナーを叩きながら答えた。「越境者2名を第38前哨地にて射殺、加えて2名が地雷により爆死しました。またロイヤルストン付近で捕縛された者が1名。この者を通報してくれたのは、夜に畑から帰ってきた現地の農民でした。彼もまさかあんな夜遅くにそんな場所で誰かに遭うなんて思わなかったでしょうね」

「ロイヤルストン……。防御線から15km圏内じゃないか!」

「ええ警部、その通りです。ですので尋問室に回して貴方がいらっしゃるまで待つことにしました。」兵士はここで沈黙し口籠った。「……あの、警部。日曜にお暇をいただけないでしょうか。家族と一緒にフェアへ買い物に行くと約束してしまいまして、その……」

「行ってやれ、ジョーンズ。蜂蜜酒ミードが美味すぎるからって飲み過ぎないようにしろよ。」コネリーは笑い、差し出された紙面にサインを書き入れた。「月曜には遅刻せずにちゃんと出勤しろよな。正常性こそ至上なれ7

アノマリアックが防御線を掻い潜りおおせた例は過去にも複数ある。ボストンに入り込むことに成功した “幸運なヤツ” らもいる。
他にも、一定期間、正常な市民の中で潜伏生活していた者もごく僅かだが存在する。たいていの場合、ヤツらの正体を暴き出すのはその反社会的な生活様式だ。どんな職に就くにせよ雇用時には、必要書類とFithaPhoneデバイスによるチェックが求められる。
しかしFithaPhoneが暴き出せるのはアクティヴ・アノマリアックだけ、すなわちその異常性を既に発露した者だけしか暴けない。けれどもパッシヴ・アノマリアックはそんな実情を知らない。それゆえ彼らは職を探すという営為から全力で逃避し、些細な窃盗あるいは強盗を生業としている。ヤツらの足が付くことになった原因は、むしろそちらの方だった。
だが。“今現在ヤツらは何名この州に居るのか。社会に忍び込むべく、必要書類を獲得しFithaPhoneチェックに臨むというリスクを取った者もいるのではないか?” この点が、依然として謎のままである。

これは監督当局によってのみ解かれうる謎である。

スティーヴは自分の公用フォードを境界前哨本部付近に停め、妻が丹精込めて用意してくれた切り身チョップや野菜入りの弁当箱を持って尋問室へ向かった。
尋問室は机1台と2脚の椅子を備えた小さな部屋で、片方の椅子は机のそばで壁に立てかけられ、もう片方は部屋の真ん中にポツンと置かれていた。そしてまさしくこの椅子に、捕縛された越境者が座っていた。
これが尋問すべき相手である。格子窓に掛けられたブラインドが暗闇を作り出しており、それゆえスティーヴは、尋問室のその椅子に、12歳の少年が座っていることにすぐには気づけなかった。

「おい少年、こんな場所で何やってるんだ」とコネリーは云った……そしてその時、あまりの驚きから茫然自失の状態に陥った。
声に応じて少年が、肩越しに振り向いたのだ。彼が警部に向ける怯えきった視線。その始点には、当然少年の瞳があった。そしてその瞳が、菫色に明々と輝いていたのである。

「ええと、君が越境者なんだよね?」コネリーは持ち場に座り、逮捕報告書に目を通すことにした。「君の名前は?」

「フランシスです。フランシス・デレイン。僕は悪いことなんてしていない」

「それはこれからわかるさ」とコネリーは答えて書類にいくつか印を付けた。「出身は何処なの?」

「カンカキーです。イリノイ州の。旧・イリノイ州です」

Xau-Stormク サ ウ の 嵐か?」

「そうです、おじさん」とフランシスは項垂れて答えた。

「Xau-Storm発生後からそうなったのか?」コネリーが指差したのは少年の菫色の両眼だった。

「いいえ、おじさん。もうだいぶ前からずっとです。物心ついた時からこの眼で生活してきました。夜目が効くんですよ」

「他に異常性はあるのか?」コネリーが尋ねた。少年は床を見続けたまま頭を振った。

「ずいぶん遠くから来たもんだな。フランシス、君のご両親はどこにいるんだ?」

「ビンガムトンの辺りで死にました」

「アノマリーに殺された?」

「いいえ。強盗目的のゴロツキみたいな奴らにやられました。ボロボロの兵服を着てました。脱走兵だったのかな」

「そこから先の道のりは自分で切り抜けてきたのか?どこでMNZのことを知ったんだ?」

あなた方の街マサチューセッツに行こうとしていた浮浪者たちのグループに入りました。みんなホープタウンを夢見てましたが、とはいえ海を越えての旅が実現可能だとも思ってなかった。そこで誰かが言い出したんです。マサチューセッツも万事正常だぞ、と」

「フランシス、君はどうやって防御線を突破したんだ?」

「ただ……歩いて来ただけです。暗闇で、あなた方の街マサチューセッツの人が射撃を始めて……。僕たちは散り散りに逃げました。殺された人もいたと思います。爆発音も聞こえてきました。完全に静かになるまで僕は丸太か何かの後ろに隠れていました。それからそこを抜け出て、平野を駆け出しました。その後車が来て、ここに連れてこられました」

「そりゃなんとまあラッキーなこともあったもんだな。」コネリーが窶れた様子でそう答えた。「君と別れる前にお願いしたいことがあるんだが。君がイリノイからMNZまでどんなルートを辿ってきたか、巡査部長サ ー ジ ェ ン トに説明してやってくれないか。仔細までよく思い出してくれ、外の世界のことを知るのに大変重要なんだ」

「じゃあその代わりに滞在を許可してもらえますか?」フランシスは笑顔になって尋ねた。その声は希望に満ちていた。

「いや。滞在許可はできないが、帰宅許可は出してやろう」

少年がびくびくと震えだした。

「じゃ……じゃあ、僕はどうしたら……。あんなに、あんなに長い道のりを歩いてきたのに。ここなら平和に暮らせると思って……」

「実際ここは万事平和だよ」とコネリーは穏やかに答えた。「だってここに暮らしているのは正常人類だけだからね」

「僕の眼が問題なんですか?」不服を露わにフランシスは叫び問うた。「この眼がどうしたっていうんだ」

「異常形質だ。我々はそれを看過できない。隔離地帯内にアノマリアックは侵入してはならない。社会全体の利益のために」

少し考えて、コネリーはこう付け足した。

「君の気持ちもわかるよ、でも私にも家族がいる。だから私は万難を排して家族の安全を保障する」

「僕は道中いろんな人たちに会いました。」込み上げる涙の中で、フランシスは声を絞り出すように云った。「重傷者たちであったり、障害を負った人たちであったり。あの場所で起きたことと比べたら……。どうかよく見てください、僕を! 僕はただどうにかして住むべき場所を見つけたいだけなんだ! あなた方に危害を加えたりなんかしない! わかりますよね? 僕のこの異常性のどこに危険があるっていうんだ?」

「確かに有害性なんてないのかもしれないが」コネリーは身を乗り出し、声を潜め堂々と云った。「すまないね、君。君らは強制送還されるんだ。危険性の有りや無しやだけが問題なのではない。私たちはね、ただシンプルに、君らみたいなのが近くに居るということ自体を好ましく思っていないんだ」

「あなたの仰りたいことはわかりましたよ、おじさん。」フランシスの回答にはわずかに鬼気が篭っていた。彼の顔をつたっていた涙は一瞬にして乾いてしまった。一縷の希望をかけて若者はこう続けた。

「僕が出てきたセクターではXau-Windク サ ウ の 風が起こっていました。だからあなたが僕を向かわせるその先は、僕の死地に他なりません。ねえおじさん、あなたにもきっとお子さんがいるでしょう」

コネリーは一瞬、心が揺らいだ。少しの間じっと立っていた後、大声で巡査部長サージェントを喚び付けた。部屋に入ってきた兵士がフランシスの肩に手を置き警部の指示を仰いだ。「この若者が釈明書を書いたら、その後、第63前哨地に連れて行ってください。防御線を通過させる時には “Wind” から離れた場所を歩かせてあげてください」

「了解しました!」巡査部長サ ー ジ ェ ン トはフランシスを立たせ部屋の出口へ連れて行った。少年は振り返って最後にこう言い放った。

「僕がこんな風になったのは、僕のせいじゃないのに」


窓の向こうに車が停まり、車扉がバタンと音を立てた。コネリー家の飼い犬が吠えだした。

「ベティ、窓を見てくれない? 誰かしら」

「正警局8の人たちだよ、ママ。」カーテンを開け、ベティは家の前の芝庭を見た。ドアがノックされた。

「ああ、お父さんを迎えに来たのかな。じゃあ今あの人は署にいますって伝えてあげて」

「違うよ、ママ。この人たちが連れに来たのは、あたし」と声を潜めて云った。玄関のドアを開きながら。

そこに立っていたのは正常性・警務執行局の兵服に身を包んだ3名の警官。それに加えて道に停められた真っ白なバンの周りで、ドクターウェアを着た人物2名がソワソワしていた。バンには財団のシンボルが描かれている。

「ベティ・コネリーさんですね? 私は警視監コロネルオリバー・グレイン、アノマリアック鑑定課の責任者です。さて貴女は、ご自身にアノマリアック形質があるのをご発見された由で、弊局にお電話を下さいましたね?」真ん中に立っていた長身の男が首を下に傾けて落ち着いた声で云った。

「はい、警視監さん。これはあたしが見つけてしまった形質です。報告するのはあたし自身の義務だと思います。見つけた後すぐに電話しました。」警視監の眼をしかと見据えてベティが答えた。そしてキッチンの方に視線を密かに投げかけて、少女はこう付け足した。「あたしの両親はこのことを何も知りません。あの人たちは正真正銘ノーマリアックです。もし2人があたしが本当はどんな子だったのか知ったら、一つ屋根の下にアノマライアシーア ノ マ リ ア ッ ク な 子9を匿うだなんて、しないと思います。お願い、あたしを早く連れてってください。あたしの家族は本当にいい家族なんです、それにお父さんは名誉ある警官なんですよ。お父さんの顔に泥を塗るようなこと、あたしは絶対したくないの」

警官たちは目配せし合った。彼らのうち最若年の男が手帳を開き何かを警視監に見せた。彼は頷き会話を続けた。

お嬢さんヤング・レディ、貴女にはどんな異常性が出たのですか?」

「はい、これです」

か細い涙が少女の頬を伝った。
ベティは両手をお椀の形に丸めた。その両掌の上の空気は、俄かに揺れだし闇夜の色になった。
警官たちは恐怖にたじろいだ。娘は顔を上に向け、涙で潤む目で警視監を見つめた。
手上に生じた暗闇の中で、色とりどりに光り輝く複数の光体が生じ始めた。それらは蛍のように行ったり来たり飛び交っていた。光体のひとつが膨張し始め、遂にはそれは1個のリングに囲まれた、浅紫色の球体になった。この “土星” は瞬く星々に囲まれて律動的に浮遊していた。
若い警官は眼鏡を上げて異常性をよく観察すべく接近し、他の警官はポケットに手を入れカメラを探した。

「ベティ?」母は再び、今回は慎重に、キッチンからそう呼びかけた。

少女が手と手を離した。星々を映した幻影は、ゆっくりと溶けた。

「お母さんにはこんなあたしを見られたくないの。」ベティが静かに囁いた。警視監は同情し頷いて少女の肩に手を回し、出発に導いた。

「待ってください! 何があったの!? 貴方がたはどなたですか、私の娘をどこに連れて行くつもりなんですか?」エリザベス・コネリーはキッチンの戸口から出ながら声を張り上げた。彼女の顔に読み取れた恐怖は徐々に、事態を察した険しい表情に変わった。その後に訪れたのは戦慄だった。「やめて。やめてやめて。やめて!」

「ごめんね。」少女は立ち止まって云った。「あたしはアノマライアシーなの。でも皆に迷惑かけなかったよ。国旗への忠誓も守り通せた。パパにはこう伝えて。『あたしはパパを誇りに思います。どうか、パパもあたしを誇りに思ってください』って」

ベティは毅然と母親に背を向け警視監に率いられてストリートに出た。エリザベスは張り裂けんばかりの叫びを上げながら少女の背に追い縋らんとしたが、警官たちに腕を掴まれ止められた。

「ベティ!ベティィィィィッッ!あんたは正常!正常なのよ!警官の皆さん、貴方がたにそんな権利はないでしょう!私の夫は正警局員なのよ!私たちはマサチューセッツで生まれて、一生マサチューセッツで生きてきたの!私たちは正常よ!こんなのあり得ない!私の愛娘の!ベティに限って!」

エリザベスの叫びを聞いて隣人たちの好奇の顔がストリートに面した窓を覗き込んだ。
女は必死にもがいていたが警官たちの拘束は堅固だった。警視監の制服を着た長身の男がベティの肩を抑えながら、庭の長い砂利道をバンへとゆっくり導いた。ドクターウェアの局員たちが車のドアを開けてからこちらに向かって来た。
遠ざかっていく少女の姿がエリザベスが見た最後の光景だった。そして彼女の膝は崩れ落ち、その意識も暗い闇の中へと消えていった。


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THE ANCHOR OF FREEDOM
Saturday, 28 July 2029


わが国民ネイションの悲報

7月27日、ボストン近郊にて重大極まる悲劇が起こった。マサチューセッツから一人の若き市民、11歳のベティ・コネリー氏が異常化の犠牲者となり喪われたのだ。『自 由 の 錨THE ANCHOR OF FREEDOM』誌はこの幼く純朴な少女の半生と、真のアメリカ愛国者として生きてきたそのか弱い身体を襲った悲劇の経緯について至急お伝えする。

ベティ氏は2018年5月12日、コネリー家のスティーヴ氏、そしてエリザベス氏の夫妻のもとに生を受けた。父はマサチューセッツ自由正常州の正常性・警務執行局にその設立時から勤務する警官で、母は幸福な主婦である。5歳にしてベティ氏は小学校に入学、同年ガールスカウトにその身を捧げた。学業優秀かつクラスの社会政治生活を主導し、7月4日の “愛国行進10” への参加を果たした由で然るべき記章も獲得した。件の悲劇の少し前にはベティは学校のアンチ・アノマリー青年同盟に参加しており、その新たな立場から “国 旗 忠 誓プレッジ・オブ・アレジアンス” を述べ上げてもいる。

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国 旗 忠 誓プレッジ・オブ・アレジアンス” を行うベティ・コネリー氏
2018年5月12日 — 2029年7月27日

うら若き愛国少女の生に暗雲をもたらしたのは一件の奇禍であった。2029年7月29日、彼女は自分に異常形質があることを自己診断した。その心中や察するに余りある。それでも彼女は勇敢毅然に行動した。市民としての自身の “義務” を果たし、異常の情報を正警局に報告したのだ。他でもない、自分自身の身に起きたそれを。警察はただ己の職務を遂行した。少女の父も通報を受けて喚ばれ、真のアメリカ人として精神的に衝撃を受け、同僚の職務を妨害せず見届けた。同僚のうち本件を目撃した者らの証言によれば、まごう事なき私たちの国家ネイションの息子たるスティーヴ・コネリー氏は然るべき選択をした娘に感謝し、ベティの弟たるビル・コネリー氏にもそのように、献身的な正常性愛国者に成長してほしいと希望を語ったという。

家族も友人も、彼女が如何に積極的で、善良で、勇敢な少女であったかをいつまでも記憶しているだろう。アメリカの全市民にとって彼女は、真の英雄、真の愛国者、全米人の真の規範としていつまでも在り続けるだろう。ベティ・コネリー氏の自己犠牲精神により私たちの心臓は、異常に対し立ち向かわんとする決意に滾った。彼女の功績は、その父の功績同様、マサチューセッツ自由正常州の精神を体現している。このような人々が私たちの内にいる限り、アメリカ国家ネイション黙示録アポカリプスに立ち向かい続けるだろう。その終わりの日まで。私たちは正常で在り続けるだろう。何があったとしても。

ベティ・コネリー氏の追悼記念日は明日正午、オールド・サウス教会11で執り行われる。多数の市民が集うことに伴う混乱を防止するため、警察は近接するストリートを封鎖する予定である。


無事である者などいないのではないか

不随意異常化という現象自体は、潜在アノマリアックに認定された他の市民らにも起こっていた。ベティ・コネリー氏の事例には、それらとは異なる特筆すべき点がある。ベティ氏はマサチューセッツで生まれ生涯をマサチューセッツで生きてきたし、彼女の母も当州を一度として離れたことはない。父も正警局員であって、行える限りのあらゆる異常形質判定試験をパスしているし、当州での永住を始めたのも黙示録アポカリプス開始のはるか前のことである。このことはすなわち、かの若きアメリカの少女がアノマリアックになるはずなどなかったことを意味する。にも関わらず彼女は不随意にアノマリアックになった、という点である。『自 由 の 錨THE ANCHOR OF FREEDOM』誌編集部は局長に対し、説明を求め問い合わせた。

「本事例については弊局が調査中です。もしかするとコネリー氏のご一家は黙示録アポカリプス開始時点でもう異常性を有していたのかもしれません、まだ確かなことは言えませんが。調査が終わるまではコメントは差し控えさせていただきたい」 — ヘンリー・ブレントン正警局長

一方『自 由 の 錨THE ANCHOR OF FREEDOM』誌特派員らは正警局のとある筋 (その氏名を当誌が具体的に挙げることはない) から、ベティ氏のような事例はマサチューセッツ史において初めてのことではないという事実を突き止めた。このインタビュイーによれば本件のように善き市民がアノマリアック化した事例が少なくとも6件知られているという。

何故私たちはこのことを知らなかったのだろうか? その答えは単純だ。警察の特別機関が事件の全情報を大衆から隠蔽していたのだ。記録や報告、情報、それら一切が新聞雑誌やアンチ・アノマリー同盟に伝えられてこなかったのだ。人々は跡形もなく消されてきたのだ……彼らの血縁者、近しい友人、隣人そして同僚に記憶処理が適用されてきたのだ。言うに及ばず当誌は、私たちの社会の正しい在り方を保護せんとする警務に敬意を払っているし、彼らの艱難辛苦を非難しているわけでもない。だがあの人々とて、嘗ては正常であったし愛国者でもあった……この点において彼らは、当記事執筆者やあなたや弊誌読者諸氏、そして他ならぬ警官の方々と同様だ。きっと、不幸に見舞われたあの人々もベティ・コネリー氏同様に自ら正警局に通報し自己申告したのだろう。にも関わらず警察は彼らの功績を隠蔽し、歴史から、そして彼らと友情を育んだ人々の記憶から、それを抹消してしまったのだろう。たとえ彼らが私たちと共に生きられなかったとしても……彼らの記憶を保護し続けることが、私たちの義務だった。

幸運にも白日の下に晒されたベティ・コネリー氏の事例がなかったら、果たしてこの欺瞞はいつまで続いたのか知る由もない。欺瞞で編まれたこの蜘蛛の巣12はどこまで広がっていくのだろうか? ヘンリー・ブレントン氏やその代理人は、実際何が起こっているのか把握していたのだろうか? 政府の人々はそれを知らされていたのだろうか?そして最も重要なこととして、あの日以降、実は無事である者などいないのではないか? はっきりとはわかっていない。だが編集部は本件調査に全身全霊を注ぐ所存である。

正常性こそ至上なれ。


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THE ANCHOR OF FREEDOM
Tuesday, 31 July 2029


自然発生したデモがボストンにも波及
フィッチバーグで起きた日曜日の異常インシデントがその原因となった

マサチューセッツが震撼している。7月28日に私たちはベティ・コネリー氏の重大極まる悲劇のこと、そしてアノマリアックは善き市民の中からも発生しうることを知った。主はこのマサチューセッツに十分なほどに試練を課されたように思われたが、しかしまだ足らなかったようだ。7月29日、ボストンにおける追悼式典と事実上同時に、フィッチバーグ市にて異常現象が発生したのである。当局は同市を隔離のため封鎖して住民を最寄りの居住区画に退避させた。当刊執筆時点で数十名もの死者が出ていることがわかっている。当該異常の性質や規模はまだ明らかにされていないが市の西部が著しく損壊したという。これは同市にSCP財団のサイト-71が昔 (財団が政府の構成要素へと組み入れられるより前に) 存在していたことに関係しているのだろうか、あるいは近くにあるパッシヴ・アノマリアックの自主労働ワークキャンプがすべての原因なのだろうか?弊誌はさらなる事実がわかり次第、全情報を読者諸氏にお伝えする所存である。

特に新情報がない状態は社会に騒擾をもたらした。ベティ氏の追悼式典に訪れた怒りに狂う群衆はマサチューセッツ州と財団の旗を手にサウス教会に集い、「正常性! 正常性!」「アノマリアックはこの州から出ていけ!」「我々は皆ベティ氏だ」などとアジテートしつつ、高らかに国歌を歌いながら第17自主労働ワークキャンプへと進んで行った。未確認の情報によれば群衆はキャンプ職員から制止されることがなかったばかりか、警備兵の一部も彼らの側についたという。暴動と混乱は1時間して州兵が現場に到着した際に収束した。州兵の上官も彼らに協調して第17自主労働ワークキャンプの閉鎖要求に賛同した。同ワークキャンプはこの時点までに廃墟と化してしまっていた。ここで労働に従事していたアノマリアックがその後どうなったか、弊誌の情報筋は話してくれていない。

近くマサチューセッツ自由正常州知事は国民に対し、近日発生したあらゆる出来事について演説することを予定している。


正警局長の逝去

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元正警局長ヘンリー・ブレントン

本日午前ボストン・コモンにて元正警局長ヘンリー・ブレントン氏の遺体が発見された。現地住民が彼が縊死しているのを発見し、その後警察に本インシデントを報告した。弊誌は死亡状況について調査している。暫定調査結果は自殺とされる。

遺体のポケットからは死亡前に書かれたメモが見つかっており、そこにはヘンリー・ブレントン氏の悔悟の念が吐露されていた。すなわち数名の、無辜ながらアノマリアックになってしまった善きアメリカ人の悲劇を隠蔽したことに対する悔悟である。元正警局長は「責任の耐えられない重さ」を吐露し、記憶処理による粛清の体系化について全責任を己の身に負ったのである。メモの終わりにブレントン氏は全マサチューセッツに赦しを求め、責めるのは彼一人だけにするよう求めた。

7月31日の夜、当誌刊行の少し前、ヘンリー・ブレントン氏は自ら職を辞した。マサチューセッツ自由正常州知事アンドリュー・クラーク氏は彼の辞職届を受理した。


暗雲立ち込めるホープタウン

暗雲立ち込めるホープタウン。当州の善き正しき市民の中から不随意異常化が起きた、というニュースがマサチューセッツにもたらされた矢先、それに続いて新たなるショックが押し寄せてきた。ホープタウンは、おしなべて (他のセクターから退避してきたアノマリアックも含む) あらゆる者にとっての分け隔てない「聖域」と呼ばれ、誰彼構わず— とされている割に、我らマサチューセッツの正常市民は彼らの眼中にないようだが — を助けているが、突然3時間にも及ぶ沈黙に陥った。このインシデントが発生したのは7月31日である。シグナルが途絶えたことを最初に発見したのは、ホープタウンの無線標識局ビ ー コ ンの信号を除くあらゆる無線シグナルを妨害・フィルタリングしている (編集部注: 異常ミームやその他好ましくない情報を食い止めるのが目的である) 無線局、『チャーリー・エコー-1』の局員たちだった。

他にもそのシグナルの消失に気が付いた者がいた。マサチューセッツの無線愛好家たちである。彼らは酔狂なことに、日頃より海の向こうから40秒ごとにリピートされていた「万事円満なり」という無味乾燥な曼怛羅フレーズに傾耳していたからだ。それから1時間足らずでボストン中に「ホープタウンが (おそらく、ヘルメス号に乗ってきた渡来者が原因で) 落ち、この黙示録アポカリプスを前にマサチューセッツ自由正常州が唯一取り残されてしまった」(著者見解:これまでも私たちは独力で生存してきたはずだが) との噂が広まった。マサチューセッツ自由正常州知事アンドリュー・クラーク氏は外交関係上の対立をさて置き、「希望の街ホープタウン」の知事とただちに連絡を取った。一般的な技術トラブルがあり、それが原因で無線局が一時的に故障していたことがわかった。


「第9カメラ。ちょっと大きすぎるな。よし。カメラ2番、オーケストラ、スタンバイ。ジョン、準備いいか?開始まで……9、8、7……」

スタジオの副調整室を席巻していたのは期待の念であった。初老ではあるがエネルギッシュな男性がスクリーンに大写しになっていた。ジョン・キング氏はカメラから目線を逸らさぬまま、視野の端でステージのスクリーンに自分がどう映っているか確認した。新調した衣装、健美活明なる笑顔ハ リ ウ ッ ド ・ ス マ イ ル、ワックスで固められ見事に整えられた豊かな白い髪。彼の外見はビシッと決まってこそいたが、しかし甚だ時代遅れであった。マサチューセッツ全土にて、そして送信機の電波が及ぶ限りの寂れた遠隔地にて、放送がスタートするまでにはほんの僅かな時間しか残されていなかった。

「カウントダウン。3……2……1。オンエア!」

明るく輝き出した舞台照明の下で、マサチューセッツ州軍儀仗音楽隊が演奏し始めたのは行進曲『星条旗よ永遠なれThe Stars and Stripes Forever』の最後の部分。カメラは一定周期で撮像範囲を切り替えながらホールにいる人々を……曲に伴唱する人々を……胸に手を当て祈りの姿勢を取りながら、感動のあまり硬直する人々を……そして涙を流す人々を……映し出していく。古くより演奏されてきたこのマーチの最後の音が響き終わり、スタジオには盛大な喝采が降り注いだ。指揮者は振り向いて観客に丁重に礼をした。舞台照明の光が消え、観客は各々着席した。数十万もの観客のスクリーンにジョン・キング氏が映し出された。

「ハロー、アメリカ! マサチューセッツ工科大学よりわたくしCNNのジョン・キングから皆様にご挨拶申し上げます。
この度は現職州知事にして正 常 性 永 劫Normalcy Forever党代表であるアンドリュー・クラーク氏と、新 路 線A New Path党代表のジョンソン・キャンベル氏にディベートを執り行っていただきます。これはマサチューセッツ自由正常州知事の新たな任期開始を前にして、最初のディベートとなります。
選挙競争は白熱することが予期されます。特に最近私たちの州を取り巻いている一連の問題に関しては」

司会者の前方で、まだ誰もいないステージに向けられたいくつものカメラのレンズ。ホールは静かな期待感に硬直し、幾百もの視線はただ彼だけを凝視していた。
肺腑に空気を吸い込み、ジョンが続けてこう云った。

「両候補には一般的なテーマに関する問題について考えていただきます。回答の時間は2分です。その後両名にマイクを繋げディスカッション開始です。
ディベート中はお二方ともお互いを妨害しないよう、また礼節を保つようお願い致します。あなた方の言葉はすべて、このアメリカ史という名の堅固なる花崗岩graniteに刻み込まれるのですから!
観客の皆さんは『静かに議論を聴いていますよ』と約束してくれていますね。が、わたくしは皆さんを信じられません。だって私たちは知っているのですから。この空間に沸騰するパッションが、今日もまたこれほどにまで熱く滾っていることを」
聴衆は賛意の笑顔を浮かべ、ジョンも快朗な笑いでそれに応えた。
「何にせよそれこそ民主主義なのです!さて、ではそろそろお迎え致しましょう、候補者のお二人を!」

ステージ右手の入場口から中年の、飾らない暗臙脂色ボルドーレッドの衣装に身を包んだ男性が出てきた。ジョンソン・キャンベル氏は真剣な面持ちで、しかし全身からポジティブな雰囲気が溢れ出ていた。彼は観客へ歯 を 見 せ て 微 笑 むスノー・ホワイト・スマイルを向ける14と、両手で作ったVサインで謝意を示した。
ジョンソン氏の直後に、ステージ左手の入場口からアンドリュー・クラーク氏が現れた。彼は対抗馬に比べると落ち着いていたが、それでもやはり観客に柔らかな笑顔を向け少しだけ手を振って見せた。両代表は降りしきる喝采のもと自分の論壇に歩いて行った。
ステージ中央で向き合い、男たちは礼節深く握手を交わして論壇に座った。

「お二人の準備ができましたら始めましょう。最初の問題は、困難ではあるもののアメリカ人にとって重要なテーマです。
先日のフィッチバーグにおける異常現象急変は、私たちの歴史における最も困難なもののひとつとなりました。正常性・警務執行局のデータによれば全死者数は77人に達し、およそ同数の市民が公的にアノマリアック認定されたとのこと。この街は隔離地帯との往来を断たれましたから、住民は実際あちらで何が起こっているかについて明瞭な情報が得られず動揺しています。結果、誰が扇動するでもなく集会が発生したことについても、お二人とも覚えてらっしゃいますよね。
多数の状況証拠から、フィッチバーグ・インシデントの原因は、正規の手続きを経ずに当地に保管されていた異常アイテムだろうとされています。警察の名誉を棄損する噂も出てきています。この噂によれば本件が起こったのは旧・サイト-71領域内だとのことです。またこのサイトは、『市場流通から排除された異常物品が保管されていた』のだとも噂されています。
まだ異常形質記録・監視部門は異常発展動向予報を出していませんが、独立専門家らの見解はこの州で急活性化が繰り返される可能性がある、ということで一致しています。
こうした異常影響からマサチューセッツを守るためにはどうすればいいでしょうか?
ではミスター・キャンベル、お話しください」

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「ありがとう、キング!
某部門が僕に確証してくれたところによれば、フィッチバーグでのインシデントがもたらした被害は、15日もあれば回復できるようです。『これは我が州のスペシャリストの手にかかれば選挙までには完了できる程度の簡単なミッションだ』とも云っていました。
政府の長になるかもしれない立場で僕が取れる具体的な対応について話させてもらうなら、以下のことを挙げたいです。
僕らは被災者の住居と食事を保障しましょう。
ただ、貴方が提起してくれた問題点もごもっともです。縁起でもない話ではありますが、もしこういった異常急活性化が続くなら、今後の活性化に対して毎回毎回ただ『事後処理する』だけでは不十分なんですよ。
新 路 線A New Path党では、財団が独立活動していた時代に開始していたプロジェクトについての調査を続けています。こうした調査のうち最も有効であるもののひとつについては前にももうお伝えしましたね。わが党では “アメリカの翼Wings of America” を始動する予定です。これは異常活性化に対してのみならず、Xau-Stormク サ ウ の 嵐に対しても耐性を持つ安全な都市の計画です。実証試験施設の第一号は2年もあれば建設できます。アノマリアック化することを厭わない、志願ノーマリアックの方々のお力を借りて、この州の外縁にそれを建てるんです。そして将来は僕らの子孫が、アメリカの荒れ果てた国土の再建に取り掛かることもできるでしょう。本プロジェクトの展望は、異常と障壁によって分断されたこの合衆国を統一することにあります。“アメリカの翼Wings of America” 計画の一部はもうここマサチューセッツにて導入が始まっています。それについてはまた今度お話ししましょう」

「ミスター・クラーク、貴方にも伺います。貴方はマサチューセッツをどうやって異常から守ってくれますか?」

「最初に述べさせていただきたいこととして、MNZで異常物品の保管を禁止している現 状モラトリアムは何者も解除し得ない……ああ、言うまでもないがSRAは例外だ……、だから警察に向けられた非難はいずれも根も葉もないものであると思っている。警察が何が起こったのか、追って調査・解明をしていく予定だ。個人的な推測ではあるが、今回の災害は売国アノマリアックか誰かの手によるものではないだろうか。
まあ、今はそれはさておいて、今回のテーマについてお話ししよう。
安全都市計画、か、空言も良いところだな。貴方のその言葉が実行可能なものであったのなら、そんなものとっくに財団が地球全土に建てたはず。それに加えて当該計画に予定されている投資額は莫大に過ぎる。管見ではあるが、我々のGDPの約240%に及ぶらしいではないか、第1期計画だけで!“Wings” を信用することはすなわちアメリカの救済が後退することを意味する。
私の計画は地に足が着いていてより実行可能性が高い。私たちの戦線たるはこの地なのだ。私たちは市民が、彼らの故郷であるこのマサチューセッツ正常州でアノマリアックに変容してしまうことを防ごう。
神はこの小さな大地に祝福を施されたのだ。故にマサチューセッツは正常なのだ、そしてそれは技術的な小細工を弄さずとも、ヒトの手の介入を経ずとも万全なのだ。それが摂理だ。故に私たちはこの恩寵を最大限活用せねばならない。
そしてもう一つ、古くから知られていることがある……各個人の正常性を保護するという営為は数多くのファクターから影響を受けるが、それらファクターの大半はその人自身に左右されるということだ。各人の身体的特徴に、立ち居振る舞いに、物の考え方に左右されるのだ。だから正 常 性 永 劫Normalcy Forever党の政策では、アメリカン・スピリットの保護を志向していくつもりだ」

「次のテーマの前に補足質問を致しましょうか。ミスター・キャンベル、貴方が安全都市という、財団が棄却しているコンセプトを採用することにしたのは何故でしょう?」

「第一にその前提が正確ではありません。確かに似たような都市がグリーンランドに建てられ、しかし長持ちしなかったのは事実です。設計上の欠陥のせいでね。でもそれ以降プロジェクトは進捗しており、当時とは見違えたものになっています。
いやまあしかし正 常 性 永 劫Normalcy Forever党さんの認識なさっているアメリカン・スピリット説も、僕にはいささか論拠不十分に見えますが」

「いかにも売国奴らしいお言葉だ」

「ミスター・クラーク、礼節から逸脱しないように。さあお相手からの非難に反駁ください。
件のインシデントでは少なくないアメリカ人がご自身の正常性を逸失してしまいました。これはつまり、彼らのスピリットがそうなって当然なほど軟弱だった、ということでしょうか?」

「そうだ。そして私はそれを矯正するつもりである。
この新たなる世界は私たちに嘗てないほど強烈に、『アメリカ人らしくあること』を要求している。私たちは皆ベティ・コネリー氏に範を取らねばならない。彼女はアメリカ人らしく生き、アメリカ人らしく在り続けた。アノマリアック化してなお彼女は私たちの最高規範イ デ ア ルに背くことはなかった、なあ、ミスター・キャンベル。あれぞ私たちの力なのだ、私たちをこの異常な荒野の只中で、10年間も生存せしめた力なのだよ」

「ありがとうございました。
次の質問は広範なテーマに及んでいます。直近のベティ・コネリー氏に関する出来事は、多くの市民のアノマリアックに対する向き合い方を変化させました。大衆の多くは現在彼らの権利拡大を求めて立ち上がっています。これにはもしかすると、いつかは大衆らの親近者や大衆ら自身がアノマリアックになってしまうかもしれないという認識が影響を与えているのかもしれません。
そこでわたくしはお教えいただきたい、お二方はそうした方針を転換するおつもりはあるのでしょうか。ではミスター・キャンベル、お話をどうぞ」

「ああ、ベティ・コネリー氏、哀れなる少女よ!
彼女の悲劇はアメリカ全国土の悲劇です。彼女は僕らの、不完全で、硬直した世界観の規範です。
彼女にせよ、そしてその他の善良なる市民から出た他の者たちにせよ、彼らの顛末は決して彼らのせいではありません。そう、これは……認めるのが恐ろしいことではありますが、ベティ氏の行為は僕らの眼を開かせるため、為されるべくして為されたのです。つまり彼 ら不随意異常化呈発者はアノマリアックになっても、愛国者であることはやめていなかったということです。クラーク氏が欠損している欠損していると繰り返し仰っているそのスピリットは、失われてなどいなかったのです。一体僕らはどういう了見で彼らから市民権を剥奪しているんでしょうか? 昨日の隣人の、昨日の同僚の、昨日の友の市民権を。昨日の自分の子供の市民権を。
僕らはこの社会が内部に抱える差別主義に抗議します。僕の仲間のスローガンのひとつである『それでもみんなアメリカ人S t i l l A m e r i c a n』は、それを体現しています。嘗ての同胞から出たアノマリアックを受け容れることができたなら、或いはもしかするといつの日か、州外から来た人も受け容れられるかもしれません。新 路 線A New Path党の政策は在りし日の世界のアメリカの栄光を取り戻すことができるでしょう。異常だったとしても、それでもみんなアメリカ人S t i l l A m e r i c a nなんです」

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キャンベルが話している間、ホールからは「いいや!マサチューセッツにアノマリアックはいない!」「そいつら全員ベティのように行動すべきだ!」という野次が飛んだ。「アノマリアック粉砕」のプラカードを掲げた者さえもいた。一方で「彼に最後まで話させてやれ」という声も響いた。

「誠にありがとうございました。ミスター・クラーク、今度は貴方の番です。貴方は州知事続投時にはアノマリアックの社会的地位をどう位置づけますか? 2分でお答えください」

「OK、わかったよ。
まず一つ押さえておくべきなのは、“アメリカ” の本質は “広大な領域” ではない、ということだ。“アメリカ” は “人間集団” なのだ。ゆえにアメリカを保護するためには人間性を保護せねばならない。ベティ・コネリー氏はこのことを実によく理解していた。彼女は私たち全員に講釈してくれたのだ。ヒトがヒトで在り続けるために、正常なる者が正常なる者で在り続けるために、私たちは全力を投じる義務がある。
彼女の犠牲ははたして無駄だったのか? 貴方が云わんとしているのはそういうことであろうか。いいや。私たちは私たちの信条を変更しない。隔離地帯を変更しない。まず隔離地帯に居住しているパッシヴ・アノマリアックについてだが、彼らには今もう素晴らしい好待遇が与えられている。彼らには安全が保障されており、食事機会も認められ、アメリカの国富の為の勤労の許可も与えられている。彼らに関する噂など、我が論敵による放言に過ぎない。何ら現実に沿わぬ風説に過ぎない。アノマリアックは現在のような社会的地位下にあっても国益の為に尽くしてくれている。またマサチューセッツ州境の遥か遠くにいる彼らも、私たちのことを理解しており、隔離地帯についても理解している。が、それでもお構いなしにアノマリアックはやってくるのだ……自由ボストン灯台へと。何故なら世界に残された土地の中でも、ここが最もマシな地だからだ。以上の話に関連して私は当ホールより、かの少女に賛意を表しよう。ベティ氏は賢明に行動してくれた……。彼女が体現した規範は、不随意にアクティヴ・アノマリアックになってしまった者すべてが見習う義務がある。私は顕彰したい……。フィッチバーグ・インシデントの不幸なる犠牲者たちが、然るべき行動を取ってくれたことに対して」

キャンベルは唖然とした。聞こえよがしに呻き声を漏らし、目を吊り上げた。

「ミスター・キャンベル、貴方の適応政策にはヒトの、種としての保護は含まれているのでしょうか?」

「僕は財団の倫理委員会でキャリアをスタートさせたので、超常世界については僕の論敵よりも遥かに精通しています。どうか信じてほしい、“異常になること” というのは “ヒトで在ることをやめること” は意味する訳ではないんです。きっとほんの数世代後には Homo sapiens に代わって Homo abnormis を迎え入れることになるでしょう」

「何を馬鹿なことを!」と、暗闇から誰とも知れず叫び声が上がった。「血迷ったか!」と、スタジオの端まで声が轟いた。ここでカメラが切り替わり、最前列で執り行われていた小さな “葬儀” を……一部の人たちがベティ・コネリー氏の遺影を据え、プラスチックのキャンドルホルダーにロウソクの火を灯すのを映した。スタジオでの裸火は慎むようアシスタントが悲しみ悼んでいる彼らに要請すべく近づいた時、カメラは再び両候補を映した。

「ミスター・クラーク、どうお答えになりますか?貴方の未来では、ヒトはどう生きますか?」

「私の論敵が主張している内容はまごうことなきデマであって、科学的調査に立脚するものではない。彼の財団での勤務は権威立てになるようなものではない。彼はアノマリーに対して科学実験を執り行うこともしていなかった、平凡な書記職だったのだから」

「ミスター・クラーク、仰りたいことがあるならはっきり言ったらどうです」

「異常化してしまっては人間性など保護し得ないということだよ、ミスター・キャンベル。まったく、では君が欲しているモノをお見せしようか? ディレクターよ、アレを流していただけるか」

スクリーンには画像と映像が次々に映写された。観客席がざわついた。理外の力により焼け果て、打ち砕かれ、活気を失い、不可解な物質に覆われた街。その間に時おり差し挟まれるのは、障害を負った異常性保持者の図。彼らの中にはかつて人間だったとは到底思えないそ の 容 姿 に も は や 人 間 ら し さ を 見 出 し 得 な いような者もいた。

「何なんだこれは!? 偏向も甚だしい、僕は了承してないぞ……。資料を持ち込めるなんて聞かされてなかった。」キャンベル氏が絶叫した。

「これは人間性保護の問題であるのだ、しかし彼は、」クラーク氏はその指をキャンベル氏に向けた。「公然と語ってくれたな、そんなもの終了してやろうと。古き日々において、そういう営為を私たちはこう呼んだ。“虐 殺ジェノサイド” と」

「“虐 殺ジェノサイド” ですって?それを僕に云うんですか、コンセントレーション・キャンプ強   制   収   容   所の支持者たるあなたが? あそこに収容されている方々には、異常性のたぐいなんて発現してないのに」

「世迷い言を垂れ流すのも大概にしていただきたいところだな!」

「お二人とも!」

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「事実をその眼でよく見ていただきたい!」
ジョンソン・キャンベル氏は仰々しく両手を左右に広げてからホールに向かって呼びかけている。
「マサチューセッツ州が初めてその眼を開き、州境の向こうに広がる荒廃した世界を目の当たりにしたあの時には、隔離地帯なんてありませんでした。
隔離地帯が出来たのはそれから半年後……それは最初、西方に設置されたごく小さな、州外から来た人を留める町だった。その人たちに異常性は見られませんでしたが、それでも僕らは彼らを歓迎しなかった。僕らは彼らを恐れていたからです。
2年後には隔離地帯は街の外周を包み込むほどに成長しました。さらに2年後、それは2倍の大きさに拡大しました。その次の2年間で4倍になりました。
さてここでクラーク氏にお答えいただきたい。州外からやって来たパッシヴ・アノマリアックの何人に、実際に異常性が確認されたのでしょうか? さらにもう一点ご教示いただきたい。僕らの元・同胞たるベティ氏のように、不随意にアノマリアックになった者を……彼らを、貴方がたは何処に片付けてらっしゃるんですか? だってアクティヴ・アノマリアックはマサチューセッツのどこにも見当たらないじゃないですか、隔離地帯にさえ居ない!」

「お前にはアメリカン・スピリットが毛程も備わっていないようだ。」クラーク氏は論敵に反駁し、ボソボソと述べ立てた。「だが正 常 性 永 劫Normalcy Forever党はお前のようなヒトの正常性をも保護していくつもりだよ、お前がそれを望もうが望むまいが。私たちに残された道はただ一つだけだ、私たちは共にそれを歩む義務がある」

「今ではこのことについて語ることが憚られるようになっていますが、」彼は論敵には耳も貸さない。
「それでも僕は覚えています……僕らの街の “正常性領域” ステータスが、今はもうあくまで自称に過ぎないということを。ホープタウンはこのステータスを僕らの街から剥奪しました。何故ならそれは、現在の政府は黙して語りませんが、僕らの領土内にて異常が確認されたからです。隔離地帯やフィッチバーグこそがその証拠です。“正常性領域” ステータスが取り消されたという事実それ自体がXau-Storm発生リスクを示しています。防備が極めて薄い場所に設置されたSRA複数基も、もうその機能を果たしていない!
僕らは自分たちの例外性15をかたる空虚な曼怛羅フレーズで己の不安心を宥めています。しかしそんなもの、この例外性を武器として活かさない限りは僕らを救ってはくれません。例外者になろうじゃありませんか、たとえ異常に改変された肉体であっても!」

「お二人とも、貴方がたのマイクをオフにしております。冷静になっていただくようお願い致します」

キャンベル氏は演説を中断し、しずかに息を吐いた。論壇の後ろからホール中央に躍り出たクラーク氏のその顔には、葛藤と幾ばくかの不安が読み取れた。意を決するように州知事は、肺腑の隅々にまで行き渡らんばかりに息を吸い、そして演説を始めたのだった。大音声でよく通る語りであった……マイクが点いておらずとも最後列まで響き渡るほどに。

「実は、あの論敵の言い分にも一理はある。
私は真理を前に眼を閉ざしていることはできない。マサチューセッツ正常州は危機に瀕している。これは無根拠な虚言ではない、異記監16により為された未公表の予報だ。ホープタウンは間違っていなかったのだ。災厄が私たちの家に降りかかろうとしている……それは何時来てもおかしくはない。私たちはそれを出来る限り先延ばしにしていこうとしている。だがそのまま永久に、とはいくまい。私たちが愛するこの世界のすべては、私たちが今昔にわたり命を賭している森羅万象の一切は……斃れようとしている。
私たちに残された時間がどれほどのものか、私はおろか専門家にもわからない。1年か? 2年か? それとももっと長いのだろうか。
当州に特徴的なTela-動向は、私たちにかくも長きにわたるXau-Calmク サ ウ の 凪をもたらしてくれた。だがもたらされたものはそれだけではない。それはあらゆる奇象予報を歪めてしまってもいるのだ。
それでも現時点ではっきり言えることが一つだけある。それは、Xau-Storm第一号到来がもう……」

どよめきとざわめきがホールに満ちた。キャンベル氏の当惑した視線は、彼さえもがこの急展開に動揺していることを示していた。会場を覆う騒然たる雰囲気に、州知事の言葉が埋もれ始めたのを踏まえて、司会者は彼にマイクを手渡した。そして当惑する会場は気づかなかった。ステージの後ろから2人の人間が走り出てきたことに。彼らはスーツと黒いメガネを身につけていた。特別護衛機関シークレット・サービスのエージェントである。

「だがしかし “正 常 性 永 劫Normalcy Forever” という党名は伊達や酔狂で名乗っているわけではない。私はアメリカに求めたい、その市民たるにふさわしい決断を。それと同時に票を投じようではないか、断固たる決……」エージェントらがクラーク氏を取り囲んだ。彼らはマイクを手で覆い、知事に伝言を試みた。「おい、どうしたんだ。……何だと?ここでか……?今このタイミングで?」

怯えきった知事を遮ったのは壁に取り付けられたサイレンの漸強音クレッシェンドであった。ホールの囁き声が喧騒に代わり、人々は座席から俄かに立ち上がり方々に駆け出した。特別護衛機関シークレット・サービスのエージェントらはクラーク氏の腕を引き出口へと小走りで連れて行った。

「SRA附置特殊地下壕バ ン カ ーへ!急いで!」

「コード-99!道をあけてください!道をあけてください!」

「えっと……。」キング氏は市民防衛パンフレットに書かれていたはずの指示を思い出そうとしていた。「大学地下に避難所があります。参加者の皆さんにおかれては冷静さを保ち、避難所に整列して進んでいただきますよう。落ち着いて、市民の皆さん、落ち着いて!」

誰かがカメラを突き落としてしまい、カメラは床と時折映る人々の脚だけを映していた。その頃にはもうスタジオはほとんど空になってしまっていた。そして静寂が訪れた。サイレンの音に、現実改変雷の轟音が混じり出した。

数十万ものマサチューセッツ人の見るスクリーンに表示された真っ黒な画面。それはXau-Stormが始まってしまったことを伝えていた。MNZ史において前代未聞の事態だった。


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緊急警報システム
正常性・警務執行局
異常形質記録・監視部門


Xau-Storm
これは訓練ではありません




画面の指示に従ってください

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THE ANCHOR OF FREEDOM


40,000人の死者

12,400人が負傷
約10,000人がアノマリアック化

マサチューセッツの暗黒時代が到来した。それについて何か書くべきは私ではない、何故なら弊誌読者諸氏はご自身の目でその一部始終を見届けたからだ。ストリートで、そして家々の内で繰り広げられていた惨状は、脳裏に焼き付き、その理不尽さは受け容れるに余りある。
正常なる生命は終わりを迎えた。

被害状況の推算には未だ終わりが見えず、犠牲者の埋葬も未だ完了せず、異常アイテムの全処理・全廃棄も未だ目処が立っていない。孤独に惑うアノマリアック達はストリートを当て所なく徘徊している……何故なら心苦しいからだ、彼らから逃げていく市民に追い縋ることが。警察は己が業務に不全をきたしており、彼らがアノマリアック捕縛に従事する間、成人男性市民にStorm被害の収拾に協力するとともにアンチ・アノマリーボランティアに加わるよう要請している。

だが堪え難きの至極たる事物は、未だ眼前にあるのだ。当局からの新情報によればあれは、来たる一連のXau-Stormク サ ウ の 嵐先遣隊第一号に過ぎないという。ただただマサチューセッツを。ほんのちょっと耐久試験したに過ぎなかったというわけだ。かつてこのアメリカが至った運命を彷彿とさせる。あらゆるものが一瞬にして、さながら砂 上 の 楼 閣ハウス・オブ・カードのように斃れてしまったことを、思い出さずにはいられない。

アンドリュー・クラーク州知事は今般のディベートで人々に真実を伝えようとしており、またジェネラル・レファレンダムにかかる説明をしようとしていたが、Stormが実行を妨げた。提議は今日ボストン議事堂から生中継で読み上げられた。

今週を全市民の休日とすることが宣言されている。治安維持関連の諸機関職員や医師、そして当局の者以外の、あらゆる市民が休むのだ。州知事は、皆に自分の気持ちを整理し、親族や親しい人々と語り合い、『賛成』『反対』どちらにするか真に熟慮し、1週間後に投票所にまっすぐ向かってきてほしいと思っている。

『賛成』に票を投じることはすなわち、クラーク氏と正 常 性 永 劫Normalcy Forever党の最終決定に票を投じることを意味する。これに際し新 路 線A New Path側は『反対』票を促す活発なアジテーションを開始した。キャンベル氏によれば、生ける者には希望があるのだそうだ……州境の向こう側で、ゼロからすべてをやり直すという希望が。……たとえアノマリアックになってでも。
個人的には (これを読んだ読者諸氏におかれては、どうか私がアジテーションに熱を上げているなどとは思わないでほしいのだが)『賛成』に票を投じる心づもりでいる。アノマリアック達は嫌っているからだ、私たちを。……彼らの受け容れを拒んで、幸福と正常を謳歌する私たちを。そればかりでない、今や私たちは肌で体感してしまったからだ……アノマリアックの何たるかを。25分間におよんで繰り広げられた (今や皆さんご存知の) あの醜穢は、防御線の向こう側で私たちを待ち受ける事物のほんの一部分でしかない。ああキャンベル氏よ、私は貴方の側には立たない。とはいえ、貴方が異常なる異郷へと去り、その身を天運に任せるというのなら、ご健勝を真摯にお祈り申し上げるのも吝かではない。

貴方におかれては、トンボ返りだけは為さらぬようにお願い申し上げたい。

近く行われるレファレンダムの投票用紙の見本が、私たちに委ねられている。そこにはたった一問、次の問いが記されている。

自由マサチューセッツ州の正常市民である私は、覚悟をもって……


ジェネラル・レファレンダムの結果

結果 賛成 反対
第1選挙区 97 % 3 %
第2選挙区 95 % 5 %
第3選挙区 89 % 11%
第4選挙区 94 % 6 %
第5選挙区 96 % 4 %
第6選挙区 99 % 1 %
第7選挙区 88 % 12 %
第8選挙区 93 % 7 %
第9選挙区 91 % 9 %
総計 94 % 6 %
投票率: 91 %

票決


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マサチューセッツ正常性領域の閉鎖宣言

祖地を同じくする、親愛なる同胞諸君。

この日が来た。もうすぐ私たちは凄惨な、想像も絶する出来事の目撃者となろう。真正なるアメリカのスピリットにとって忌まわしきことである。私がお話ししているのは暴嵐テンペストのことだ。それは決定的に終了させるだろう……幾年にもわたり、私たちが愛し私たちが誇ってきたものを。私たちが選び取った正常性を。主の創りたる、聖なる宇宙を。

ハルマゲドン黙 示 の 終 焉” の歩みは速くはないだろうが、しかし執念くそして容赦もないだろう。破壊のStormは私たちの忍耐を永く試し続けるだろう。たとえ私たちのスピリットが強靭であろうとも、終焉の訪れは確定的である。

私は誇りに思う……集団としての貴方がた全員を、そして、貴方がた個々人を。私たちは相共に長き道のりを辿り、そしてひとつの社会を築き上げた。すなわち、正常にして清浄なる市民の住まう社会。そして、誉れある、在りし日の合い集いたる数多の州T h e U n i t e d S t a t e s遺児サンズによる社会である。世界全土が斃れたあの時、私たちは暴嵐テンペストと逆風との只中で、誇りをもって旗を掲げた。だがここで諸君に忘れないでいてほしい者がもう一人いる……その者は私たちと共に手を携えて旗を支える傍ら、マサチューセッツを護ってくれていた。初めのうちは、皆が微睡み夢を見る、暗闇の夜を警備してくれていた。そして後々には、人々が目を覚まし日々の現実に向き合う、白昼においても護ってくれていた。その者たちの名は、SCP財団である。

ベティ・コネリー氏のことを回想させていただきたい。あの幼くもマサチューセッツへの忠愛に満ちた少女を。誇るべき米国少女・ベティ氏はその立派な行動によって私たちひとりひとりに、異常は私たちの身体にも起こりうること、しかしそれでも私たちのスピリットと私たちのハートは決して侵犯され得ないことを示してくれた。悪辣なるアノマリアックとしての惨めな在り方よりも、彼女は、永遠の命と永遠の栄光とを選んだのだ。私たちはベティ、君のことをいつまでも忘れまい。君の功績は私たちの決意に脈々と息づいている。つまり私たちの例外性を、アノマリーになど譲るまいという決意だ。

マサチューセッツの自由市民は民主主義的な選択を果たした。私たちはアノマリアックには成らない。たとえ現在のアメリカが消えゆく運命にあるとしても、私たちとともに消え果てるとしても、それでもなお私たちはアメリカと共に在る。未だ嘗て “We the People我 ら 人 民” というフレーズが、これほどにまで多くの含意を帯びていたことはなかった。アメリカの歴史はこの3語に始まり、そしてこの3語とともに終わりを迎えるのだ。ヒトとして生きた私たちは、ここでヒトとして死のうではないか。

恐れる必要はない、勇敢にそして強く在っていただきたい。親しき人々と手を取り合い、そして彼らと共に事を為していただきたい。皆さんはひとりではない、そして誰一人として孤独にはさせない17。これは終焉ではない。さあ、栄光の道を征こう。そして皆、共に会おう。暗闇など在りはしないかの地にて。

主よ、マサチューセッツを護り給え。

マサチューセッツ自由正常州・最後の州知事
アンドリュー・クラーク

ボストン郊外の小さな広場は瞬く間に人で埋め尽くされた。彼らの多くは旗を携え、子どもたちは風船を握っていた。街灯には星条旗が吊るされ、木々にぐるぐると巻かれたリボンテープが、樹緑に紺・白・赤の彩りを添えていた。青空は雲ひとつなく清浄で、そこに吹く風は温かくそして心地よかった。異常なアーティファクトは尽く解体され、先日の悪夢を想起させるものは最早ひとつとして無かった。そのすべてはまるで目が覚める前に見た鮮明な夢のようだった。

ステージには地元の音楽大学のオーケストラが上がっていた。主に演奏されたのは愛国歌であった。具体的には『モンテズマの間The Halls of Montezuma』『星条旗よ永遠なれThe Stars and Stripes Forever』。『リ パ ブ リ ッ ク 賛 歌The Battle Hymn of the Republic』等。一連の演目を終えて誇らしげに、にっこりと笑うオーケストラには、大衆の拍手喝采が注がれた。そして指揮者は振り向いて、やや語気の落ちた柔らかい声でマイク越しにこう述べた。

「次はマサチューセッツ自由正常州歌です。これが最後の演目となります」

人々は拍手を始めた後、恭しい期待感に一挙に静まり返った。群衆の中の誰かが手から風船を離してしまった。風にさらわれ、風船は何処か遠くに飛び去った。指揮者が拍子を取りオーケストラが州歌を演奏し始めた。

猛きマサチューセッツ いざ讃えん
州旗たなびかせ ほめ歌わん

銃声が響いた。オーケストラは一瞬にして静まり返り、指揮者も肩越しに振り返った。最前列の群衆のひとりが、トロトロと流れ落ちるように、まるでスローモーションのように顔から前に倒れ込んだ。その両腕は地面に大きく広げられていた。敷石の隙間に細く一筋、血が流れ出た。

広場は静かな期待感に硬直した。この静けさを乱していたのは、風の中でバサバサと音を立てながら、軽快に靡く1本の国旗だけだった。指揮者は不安げにオーケストラの方に向き直り、今一度拍子を取った。

猛きマサチューセッツ いざ讃えん
州旗たなびかせ ほめ歌わん

またも銃声。楽隊員たちはちょっとテンポを乱したが、すぐ落ち着いた。

主は昼に在りて 此の地照らし
星なき宵闇は 財団がまもらん

またも銃声。

われら集めり 不朽の希望
此処に確保せり 世譜の故郷

「正常性こそ至上なれ!」という叫び声。銃声。

いざみな集えよ 敵をはらわん
埒外なるもの 此処に保護せん

銃声。銃声。銃声。

み神に誓いて 収容せり
まこときよきなる 正常性

女性の叫び声が響いた。銃声がさらに頻繁に響くようになった。楽隊員たちは脇目も振らず、ただ楽譜を食い入るように見つめていた。群衆の中でどよめきと喧騒が大きくなっていく。

アメリカの夢が みちびく子よ
国富がために われら尽くさん

海より海まで われらの名は
あまねく常理に 聞こえわたらん

入り乱れる銃声はひとつのカコフォニーを織り成した。オーケストラは無意識に、どんどん州歌を演奏するテンポを加速させていった。

猛きマサチューセッツ 肥美をたたえ
勇士はぐくめる 楽園たれ

ファイナル・アコードにて指揮者は思いっきり背中を丸め、ステージ上にて自身の前に嘔吐した。咳払いして深呼吸し、この男性は振り返った。

主は昼に在りて 此の地照らし
星なき宵闇は 財団がまもらん

夏風に乱れる縞模様のリボンテープの下には、もう何者も残されていなかった。広場は隈無く死体に覆われていた。それらは悠久に正常なままであろうと決意した人々のものだった。9人だけが残されたステージは、一瞬空っぽに見えた。

「全部終わったね」と、トロンボニストが溜息をついて云った。「僕たちの番だよ」

「そうだね。」指揮者は震える拳で自身のポケットを漁り始め、そしてそこから小さなリボルバーを取り出した。

「ちょっと待ってください。僕は “為すべき事” は家族と果たすつもりなんです、そのために家族も僕を待ってくれてますし。」ヴァイオリニストが云った。「僕が遠くまで行ってしまうまで、皆さんまだ始めないでいていただけませんか。もう “為すべき事” が為される音を聞くのは耐えられない」

「僕も彼と一緒に行くよ。」同調したのはトランペッターだった。

「そう……だね、わかった。」上の空で云う指揮者。ヴァイオリニストはトランペッターと共に、全員と別れの握手を交わし早足に立ち去った。

2人は広場を一周してから歩き出した。北へ向かう道に沿って。
1階建の家々が並ぶ郊外は愛国心を彩る装飾で埋め尽くされんばかりであったが、しかしそこには誰も見当たらなかった。当然だ。皆、自身の最期の “義務” を共に全うすべく、広場に集った者たちだったのだから。一方そうしなかった者たちも、自身の家族との時間を選んだのだから。
あるいはごく一部、隣人たちとの時間を選んだ者もいた。ある庭からは嬉しげな明るい声が聞こえてきて、バーベキューの良い香りも漂い始めた……このグループは、フィナーレまでの時間を名残惜しんで、正常性領域の閉鎖を一緒に讃えることにした一団だった。

そんな中、広場の向こうから何発かの銃声が続けざまに発された。1発目、2発目、3発目……。6発目……。長い静寂。そしてまた誰かの1発……。これで7発。全員分、果たされた。2人は一瞬固まった。後ろを振り返りたい欲求に駆られて。

「それでも……僕らは進まなきゃいけないんだ」


「エリザベス、おいで!」スティーヴ・コネリーは、デカいリュックサックを肩に背負った。そこには食料品やその他役立ちそうなものが詰められている。「出発の時間だよ、そろそろ出ないと。おいビル、ビル!ちょっと納屋へ行ってバッテリーを取ってきてくれないか!」

エリザベス・コネリーは無反応だった。女はテレビの前に座り続けている。画面にはボストン議事堂からの生放送が映し出されていた。正警局長が、どうすれば最もシンプルかつ最もイデオロギー的に正統に、生を放棄できるかについて読み上げている。流れていくテロップに掲載された番号に問い合わせれば、志願者は正警局員から銃器を受け取ることができるという。

「こうやるか、あるいはこうするのが最も楽ですよ、覚えておいてください。」
正警局長は自身の頭部にリボルバーを突き付けて見せた。そして上げた引金でカチリと音を鳴らして見せた。
「とはいえ弊局はみなさま全員にお配りできるほど銃器を保有しているわけではないこともお忘れなきよう。ですので弊局といたしましては、皆様にもご配慮いただきたく存じます。つまり街中で大規模な愛国式典が執り行われますから、そちらに参加していただいて、そこで “義務” を全うしていただければ大変ありがたいのです。そうすれば貴方が “完遂” なさった後、他の市民も貴方の銃器を拾って使うことができますから。さて、次にお話しさせていただくのは縄についてと、その然るべき使い方についてですが……」

「私は行かないよ、スティーヴ。」エリザベスは云った。放送を見続けながら。彼女の表情は岩の如く硬かった。

「エリザベス……。もういいだろう。
マサチューセッツは間もなく斃れる。もう僕らには時間がない。あと10分もすれば州知事が演説して、セレモニー開始を宣言して、日が暮れる頃にはミサイルサイロにあるミニットマンを爆 轟デトネーションさせるはずなんだ。
だから僕たちがそれまでにすべきは、出来るだけ遠くに行くことだ。放射性物質が及ばないくらい、出来るだけ遠くに。……前にも説明したろ?」

「そうだね、それは前にも聞いたよ。
だけどね、ずっと知らなかったよ。
私の夫が、売国奴だったなんて」

「エリザベス!」

「あなたの娘が此処に居たら、脱州なんて絶対しない。そして、スティーヴ・コネリー。あなたがあの頃のあなただったら、やっぱり脱州なんて考えないはずなのに」

「俺とお前でもう十分話し合ったじゃないか、一緒に “反対” に投票しようって! 新 路 線A New Pathの政策に従って生きよう、って! 違うか?」

「私は “賛成” に投票したよ、スティーヴ。ここにあなたの娘が居たら、やっぱり “賛成” に入れたはず。私はそう確信してる」

あの娘はもう居ないんだよ!」

「それでも “スティーヴ・コネリー” は此処に居る! あなたの誠実さは何処に消えちゃったの? 正常性の理想に身を焦がしたあなたは、何処に行ったの? ねえあんた、今までだって罪もないアノマリアックをきっと何人も殺してきたくせに! “拷問官” として、粛々と!」

スティーヴはエリザベスの顔面を逆手でビンタした。女は怒りを飲み込んだ。起き上がった彼女の顔には、涙の一筋もなかった。スティーヴの声は、震えていた。

「ああ、ごめんよ……、エリザベス、」スティーヴが深く深く溜息を吐いた。彼はソファの肘置きに腰掛け、自分の顔に手を当てた。
「ああ、僕たちは君の言う通り、皆そうやって生きてきた。僕たちが望むものだけを選んできた。君たちは幸福の内に居た。だけどそれを君たちも何ら問い質してくることもなかった。これは全員の責任だ。
僕にも責任はあるかって?
ああもちろんだとも。異常どもア ノ マ リ ーよ、僕もそっちに連れて行ってくれ……。僕の両腕を伝うあの娘の血は、他の何よりも……。彼女を育て上げたのは僕だ。彼女にこの問いの答えを教えてあげたのも僕だ。けれどもそれは、何の解決策にもならない、宙に浮いた答えだったんじゃないだろうか?」

夫妻の間に、ただ沈黙が流れた。正警局長はなおも語り続けている。テレビの電波に乗せて。局員達は日没に原爆が爆発する直前、栄光の道へと向かう殿しんがりを務めるのだという。なぜならば彼らこそが、予期される戦時下略奪犯マ ロ ー ダ ーらや攻撃的なアノマリアックらから、残された市民を守る者なのだから、と。局長はなおも述べた。核ミサイルの爆 轟デトネーションの後、マサチューセッツの大地は決して、アノマリアックの手に落ちることはあるまい、と。

「あなたは出て行きたいんだね。あなたはアノマリアックになるつもりなんだね。そうなんだ。じゃあ、あの娘の死はあなたをマサチューセッツ正 常 な ヒ ト と し て の 半 生に引き止めるに値しなかったってこと? 無意味で、無価値な犠牲だったって。そういうこと?」エリザベスはその眼に自身の夫を映した。

「違うよ。君のその非難そのものが反証だ。あの娘の死は僕らの眼を開かせた」スティーヴは妻の肩を抱き囁く。「君にはもうひとり、息子がいるじゃないか。あの息子のために余生を歩むのは、無価値だとでも思うのか?」

エリザベスは頷き、夫の腕に優しく抱擁されて立ち上がろうとしていたその時、テレビの画面では折悪くもクラーク州知事が登場し、演説を始めた。その演説が纏う言葉は、ベティの英雄譚美ヒ ロ イ ズ ムと彼女に範を取る必要性とを語っていた。女は流涙を止められなかった。

「パパー、バッテリーもう無いよ。あ、でも薬包はまだあったよ。」ビルが出し抜けに部屋に入ってきて話しかけてきた。「ママ、もう出発の時間だよ。泣いてるのか……。またか。お姉ちゃんはもう戻ってこないんだよ、ママ。もし僕たちが……」

「ああ、あんたもそうなのね……。この売国奴ども!あんたたち2人とも!さっさと消え失せなさい!私の家から出て行け、アノマリアックども!『アノマリアックの見つけ方』第2項にも書いてあるわ、『アメリカから出て行きたいと思っていること』って!」エリザベスは枕の下から隠していたリボルバーを取り出した……彼女はこれを昨日最寄りの銃器配給所にて、受け取っていたのだった。涙と憎悪で赤くなったその両眼は、一直線にスティーヴのみに向けられた……、彼は自分の体で息子を覆い隠した。リボルバーの銃口が震えている。

私が、あんたたちを愛国者にしてあげる!

「エリザベス。別に僕を殺しても構わないさ、僕の悔恨が受け容れられないというならね。でもね、僕たちの息子をおびやかすような真似はよすんだ。なあ、ちょっと話し合わないか。一旦落ち着くことが先決だよ……」スティーヴは慎重に息子を隣室へと逃がし、そして妻に躙り寄り始めた。

テレビの画面では州知事の演説が終わった。州歌が流れ出した。エリザベスはゆっくりとソファに腰を下ろし、しずかに歌い出した。

「猛きマサチューセッツ いざ讃えん……。州旗たなびかせ ほめ歌わん……」

クラーク州知事は敬礼し、こめかみにピストルを突きつけた。そして己の頭蓋に銃弾を放った時であった……血が、彼が身につけていた州章を、そして青い幔幕を、染め上げたのは。誰かが泣き叫び、一瞬、幾人かがカメラの前を走って横切るのが映った。さらに幾発か、くぐもった銃声が聞こえた。アナウンサーが震える声でこう実況した。

「神よ……、彼は “為すべき事” を果たしました。州知事は亡くなりました」

エリザベス・コネリーは口を大きく開け自分のリボルバーを挿し込んだ……その直前に彼女が呟いたのは、娘の名前だった。

「ベティ……」

「エリザベス、やめろ!」

その声の後に聞こえたのは2発目の銃声であった……それはテレビ画面を血で覆った。エリザベス・コネリーの死体は音を立ててソファから床へと崩れ落ちた。

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疾駆する車中、スティーヴとビルは道程をずっと黙然として過ごした。ボストン郊外を北から南に駆け抜けた時、コネリー家の車が不意にシューシュー鳴り出して止まってしまった。スティーヴは繰り返し繰り返しキースイッチに挿した鍵を回していたが、しかし始動用電動機ス タ ー タ ーが静かに弱々しい音を出す以外には、何も聞こえてはこなかった。

「スパークプラグが逝ったか」

男はグチグチ言い吐きハンドルを叩き、それから後部座席を見やった。そこには彼の息子が座っていた。ビルは啜り泣いていて、父親の方を見てはいなかった。

「ペースがかなり遅れ気味だな、爆 轟デトネーションまでもう何時間かしかないよ。ここで座って待っててな、父さんはその辺の家の車庫ガレージに何か無いか見てくるよ」

父は車を出て道の端に沿ってのろのろと歩き出した。低層の住宅が立ち並ぶ郊外は旅人たちを、響き渡らんばかりの空虚と、そして先頃までその住民だった人々の新鮮な遺体をもって歓迎した。もしその景色の中に、縄にくくられ揺れている一家が — のびのびと枝を広げた楓に、一家丸ごと吊られていたのである — がいなければ、芝庭に転がっているその他の遺体も、夏の陽光の下で日光浴をして休む人々だと見間違えたかもしれない。不意に、角から2人組の奇妙な青年が現れた。片方の人物はヴァイオリンを携えていた。青年らは大きくはない声で話し合っており、すぐにはコネリー氏の存在に気付かなかった。

「なあ、切実に疑問なんだけど。なんでヴァイオリンそ ん な も の持ってきたんだ」

「いやほら……何だかんだいってもやっぱこれ、僕の楽器だし」

「とはいってもなあ、もう演奏することもないじゃないか」

「それはそうなんだけどね。でも捨てちゃうなんて嫌なんだよ、だって僕の楽器なんだから。」ここで青年らはスティーヴの存在に気付き、立ち止まった。「見ろよ、あれスティーヴ・コネリーじゃないか、ベティのお父さんの。僕、あの人テレビで見たことあるぞ」

ヴァイオリニストは微笑みながらコネリー氏に近づき、彼の手を握った。

「こんなところでお会いできるとは……。あなたもきっと、あんな素晴らしい娘さんを持ってさぞ誇らしいことでしょう」

「すみません、ツレが不躾にベラベラ話しかけてしまって」とトランペッターが云った。「もしや、警務をお務めくださってたのですか。こんな最後の最後までずっと、僕たち市民を守ってくださってたのですか?」

「違うよ。僕と息子で州を脱出するところなんだよ、でもタイミングの悪いことに車が故障してしまって。君たちはこの辺に住んでるのか?ちょっとスパークプラグが必要なんだけどいいかな、型番は……」

音楽家たちの顔にあった笑みがにわかに消えた。ヴァイオリニストが顔を歪め何か尋ねようとしたが、トランペッターは彼の腕を掴み、黙ったままその手を引いて前進し出した。コネリー氏は音楽家らを見送り、そしてまたのろのろと、より遠くへと歩き出した。

「売国奴め!」遥か後方からヴァイオリニストの声が聞こえてきた。

「もうよせよ、あの人はもうそっとしておいてやろう」

「あの男は一体どういう了見であんな……」

コネリー氏は開け放たれた家々のうちのひとつに立ち寄った。客間は寂寥に沈み、点けっ放しのテレビの画面は、死んだ州知事の静止画を映したまま止まっていた。スティーヴは家中を見てまわってから車庫ガレージに行き、そこで棚を漁り始めた。
所望の車用スパークプラグの包みを発見し、スティーヴは踵を返した。それとほぼ同時、銃の引金が引かれる音が鳴った。

「そこから動かないで、アノマリアック。」憤激たぎらせ声を飛ばしたのは、高齢の老婦人であった。「遺体として冷たくなることもままならず、まして自分でその命を断つこともできずに、こうして未だこんなところをうろついてるというわけね! さっさと出て行きなさい!」

「ご婦人。落ち着いてください。僕はアノマリアックじゃない。正常市民です。ただ車のスパークプラグを探してただけ。僕はスティーヴ・コネリーと申します。警察官です。」スティーヴは云った……車庫ガレージの後ろのドアの方に進みながら。銃を携えた老婦人もその足取りをなぞって歩いていった。彼ら2人はこの家の庭へと続く裏口をゆっくりと出た。

「嘘おっしゃい! ああそう、ならワタシはアンドリュー・クラークってところかしら?」老婦人は悪辣に嘲笑し、遠くの方に叫んで呼びかけた。「アール! ねえアール! もう、あなたったら耳が潰れてるんじゃないかしら。ねえ見て頂戴、とうとう我が家の車庫ガレージにもアノマリアックがうろついてるわよ。しかも、あまつさえコネリーの名を騙ってるの」

スティーヴは肩越しに振り返り老いぼれた男性をみとめた。彼は木陰で墓穴はかあなを掘っていた。男性は手のひらを耳に当て、目を細め、そして思わずこう云ったのだった。

「馬鹿、お前こそ目が潰れてるんじゃないのか。そこにいるのは本物のコネリーさんじゃないか!」老人はシャベルを地面に突き刺し、呻きながら墓穴から這い上がってきた。「銃を下ろせ!」

女は信じられないといいたげな顔で夫を見たが、その指示に従った。

「妻を許してやってくれませんか。あの婆さんはもうずっと前から気が触れてしまってるんです。もう、ろくに目も見えやしなくなってしまった。」老人はスティーヴの近くまで来て立ち止まり、しばし手を膝につき呼吸を整えた。「貴方はスパークプラグをお持ちになったんですね。ではつまり、ご決断なさったのですか?他の皆とは違う道を進むことを」

「貴方は僕を軽蔑しますか?」

「私が?何をおっしゃる。そんな風には思いませんよ。こんな状況下で何をしようが大差ないでしょう。私だって出来ることなら何処かへ逃げ出したいと思いましたよ、でもここが私の家なんだ、だからそんな “何処か” なんて私には見当もつかなかったんです。しかもあれも一緒なんだから尚更だ。」老人は口元を緩ませ、煙草を取り出し吸い始めた。「どちらへ向かっているんですか?」

「南へ。最優先事項は爆発から逃げることですが、何がその先に待っているかは……見当もつきません」

「お節介だったら恐縮ですが、海に沿って行かれるといいと思います。それで適当な場所で船を見つけてください。あの大海原に漕ぎ出せる船をです。まだ無傷な船がそう都合よく他の脱州者に使われずに放置されているか、なんて私にはわかりませんが、それでも、やってみる価値はある」

「つまり、ホープタウンに行けと?」

「行くべき場所なんて他に何処にも無いでしょう?」

それからもう半刻が過ぎていた。正警局の局員用フォードは旧・MNZの境界を超え、防衛線も踏破した。列を為す有刺鉄線と防柵と地雷原とを後ろに見送った時、コネリー家の家長たる男は少し安堵し、一方、ビルの驚きに満ちた視線は周囲の風景に釘付けにされていた。取り囲むのは人里から隔絶された手付かずの自然であり、ただ流れる時の中で風化したアスファルトと錆び付いた道路標識だけがかつてこの地に人が住んでいたことを忍ばせた。

「まだ一息つくには早い。この先にあるのは、アノマリーの世界なんだから。ここはまだ旅路の第一歩目に過ぎないんだ。」スティーヴは向き直った。前方を臨むために。「ホープタウンまでは数千kmもある。それでも、僕たちは挑むんだ。ヘルメス号が辿り着けたんだ、僕たちにだってきっと」

局員用のフォード車が道を一直線に加速していく — まるで一本の矢のごとく。日は沈みゆき、後方の水平線には核爆発の炎が燃え上がった。

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