SCP-1009-JP
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アイテム番号: SCP-1009-JP
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SCP-1009-JP-1。

オブジェクトクラス: Keter

特別収容プロトコル: 2017年現在、SCP-1009-JPの完全な収容には至っていません。SCP-1009-JP-1~17が発見された場合、機動部隊を-6"notアンコール"が出動し目標の監視を行ってください。SCP-1009-JP-1~17の集合地点の割り出しは現在██地点にまで絞り込めています。担当班は各国政府の情報を収集し世界情勢の監視と並行してオブジェクトを監視してください。

現在、財団は世界各国の爆発物を取り扱っている企業や工場にエージェントを派遣し監視を行っています。潜入したエージェントは潜入場所の状況や人員などを分析しSCP-1009-JP集合の兆候が無いか調査を行ってください。

説明: SCP-1009-JPは合計17人の人型実体で構成されている異常存在です。これらの実体は全員がフード付きのローブを着用しており、人相の確認などの試みは全て失敗しています。また、外見的特徴として全SCP-1009-JPの右肩には「0027-1」と記載されたタグが巻き付けてあります。

SCP-1009-JPは「楽団」と称される1体の指揮者と16体の奏者で構成されています。指揮者以外のSCP-1009-JPはそれぞれ個別の楽器を所持しており、奏者が単独で演奏を行った場合は通常の楽器音のみが観測されますが合奏の際は各楽器の奏者が単体であるにも関わらず複数の楽器で演奏したものと同様の音量と和音を発生させます。

SCP-1009-JPの大規模な異常性はSCP-1009-JPが集合場所に集合し合奏を開始した際に発生します。この異常性の初期段階として、対象はそれぞれが地球上の様々な地点に突如出現し時折演奏を行いながら徒歩で集合地点に集合します。(この集合地点は出現の度に異なり出現初期段階での特定は困難であると思われます。)集合してからおよそ3分後、SCP-1009-JPはチューニングなどの準備行動を終了した後に合奏を開始します。使用される楽曲は全てチャイコフスキーの「序曲:1812年」で統一されており、楽曲第五部のクライマックスに到達した瞬間に集合地点からおよそ2km離れた地点にて大規模な爆発が発生します1。現在、これらの爆発がSCP-1009-JPによって引き起こされた事象なのか、予知能力による集合なのかは明らかとなっていません。しかし、確認される現象は全て突発的に発生する物ではなく事故や爆発物使用等の人為的事象であると確認されており、これらの出現や集合は爆破実験やビル解体などの事案に関しては行われず多数の死傷者が発生した場合にのみ発生します。

演奏終了後、SCP-1009-JPはそれぞれ徒歩で集合地点から離脱し解散します2。その後、事案発生のおよそ█年前あたりから再び地球上に出現し、後に集合するというサイクルを繰り返します。

SCP-1009-JPを捕獲、攻撃しようとした場合、対象は透過状態へと移行し物理的に接触することが不可能になります3。その為、2017年現在もSCP-1009-JPを捕獲する試みはすべて失敗しており、演奏を中止させる試みも成功していません。

これにより、O5はSCP-1009-JPをKeterに分類。対象の監視、火薬工場や原子力発電所などの関連施設の監視が収容プロトコルに組み込まれました。

補遺1: 以下は現在判明しているSCP-1009-JPのいる地点のまとめです。


2017年現在も各SCP-1009-JPは放浪を続けており、その為財団はそれらへの対応や接触した一般人に対する記憶処理を目的とした機動部隊を-6"notアンコール"を編成し、各対象の監視を決定しました。

補遺2: SCP-1009-JPの存在は1986年4月22日のサイト-333に送付された「音楽会のチケット」と思われる紙を切っ掛けに発覚しました。当時、サイト-333には差出人不明の一通の封筒が送付され、エージェント立会いの下それを開封。中にはドイツ語で以下の内容が記述された一枚のチケットが封入されていました。(文字は粗雑な直筆文字で書かれていました。)

チケット内容

████・████管弦楽団演奏会

場所: 北緯51度 東経30度 日時: 4月26日 演奏楽曲: 大序曲:1812年~時の咆哮~

これにより、財団は指定された地点に4名のエージェントを派遣。結果、 ウクライナ キエフ州 プリピャチの地点にてSCP-1009-JPの集合を観測しました。
発見から3分後、対象は合奏を開始。そして、楽曲第五部のクライマックスに到達した瞬間にチェルノブイリ原子力発電所の4号炉が爆発しました。エージェントはすぐさまサイトにこの事案を報告し、これを受けサイト-333は急遽現地調査の実地を決定しました。しかし当時は広範囲の放射性物質の飛散による汚染の拡大や現地の被害状況の確認、放射線対策の準備が行われたためエージェント4名の救出までにおよそ45日の日数を要しました。

この事案を切っ掛けに財団は本格的なSCP-1009-JPの調査を開始。SCP-1009-JPの調査担当班を二班に分け、第一班は過去のSCP-1009-JPの集合地点・出現地点の発見とそれらの統計から推測される今後の事案発生地点の割り出しを、第二班はSCP-1009-JP出現の原因となった事象や過去の事件等の調査を担当しました。結果、1945年8月6日・8月9日の広島、長崎を皮切りに世界各国の爆発事故地点にてSCP-1009-JPの集合が確認されました。

以下は調査担当第二班から編成された個別調査班の調査経緯です。
第12調査班調査経緯

上記の調査により、SCP-1009-JP発生に関与していたと思われるドイツに存在した██機関という研究機関の存在が明らかとなりました。これに伴い、SCP-1009-JPと関連があると思われる「装置」と呼称される建造物の存在も発覚、その後、そこの研究資料の発見に伴い機関に雇用されていた青年兵士全員の情報の入手にも成功しました。しかし、それら全員を調査した結果一名を除いて全員が戦時中に自殺している事が判明し、詳しい身辺等の記録も抹消されていました。
以下は唯一の生存者であるA███・█████氏の記録です。


発見された資料により「装置」に組み込まれていたと思われる異常体の存在が発覚しました。なお、対象の所在は未だ判明していません。しかし、ドイツ郊外の██████にて「装置」が建設されていたであろう地点の割り出しが行われ、それらしい残骸が発見されました。

追記: 以下は2017年に確認された事案1009-2017-████の記録です


2017年現在もサイト-333にチケットを送付した人物の特定には至っていません。筆跡鑑定もA███・█████氏の物とは一致せず、これに関してA███・█████氏にインタビューを行いましたが回答は得られませんでした。
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