SCP-1390-RU
評価: +13+x

財団管轄外オブジェクト
I・A・スマーギン博士担当
偽情報部門による監督下


S

E

K

T

N

0


活性化なし

Vedist I


Vedist II


Vedist III


Vedist IV


Vedist V


Vedist VI


SCP-1390-RU


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地底ポドゼメレツ
この絵画の作者はわかっていない。

アイテム番号: SCP-1390-RU

SCP-1390-RU-1のオブジェクトクラス: Explained

SCP-1390-RU-2のオブジェクトクラス: Safe

SCP-1390-RU-3のオブジェクトクラス: Neutralized

特別収容プロトコル: SCP-1390-RUのうちExplained指定された全構造物 (以下、SCP-1390-RU-1)の所有権はモスクワ地下鉄公社国防省ロシア連邦警護庁、 連邦政府や市政府の情報通信機関、およびその他のロシア連邦所轄省庁に帰属します。ロシア連邦政府は政府情報機関ならびに法執行機関を行使するなどして、SCP-1390-RU-1を主体的に保護しています。そのため財団職員が常駐する必要はありません。

SCP-1390-RU中の機密指定区画 (以下SCP-1390-RU-2) に繋がるすべての入口はロシア連邦政府の特務エージェントにより警護されています。財団職員は当該区画に対し、連邦異常監督局 (FANA; ФедеральноеFederal'noe агентствоagentstvo поpo надзоруnadzoru заza аномальнымanomal'nɨm) との共同調査目的であれば立ち入ることが許可されています。

 
財団職員を学術機関や歴史研究機関およびディーギル1・コミュニティに潜入させています。モスクワ市の地中に関する考古学等のあらゆる研究を破綻させるべく、潜入職員により継続的な破壊工作が遂行されます。

概要: SCP-1390-RU-1とSCP-1390-RU-2は、構造物群とトンネルの巨大ネットワークを形成しています。これはロシアのモスクワ市およびモスクワ州の地下30~240mの領域に張り巡らされています。以上のオブジェクト群を建造したのは人型生物 (以下SCP-1390-RU-3) の異常コミュニティです。このコミュニティは複数件の歴史的文書において「地底ポドゼメレツ (подземелецpodzemelets) ら」や「地下の国『イアドヴァリヤ (ИадвалияIadvaliya)2」などの呼称で言及されています。身体構造、言語、文化、経済などといったこの種族に関する情報の大半は、学界にも一般大衆にも公開されていない16世紀の年代記や、帝国非常官房3 (17~19世紀) の管理文書アルヒーから取得されました。トンネルや地下都市内部に関する説明、設計図などはほぼすべて "プログレス" 総研 (当時の呼称は「 "プログレス" 研究所」) やメトロストロイ社 (1930年代) の管理文書アルヒーから閲覧可能です。財団は当オブジェクトに関する情報を歴史文献の調査により把握していましたが、その異常性の全容が明らかになったのはソ連崩壊と、SCP財団に対する "情報公開原則アトクルィタス" が確立してからのことでした。

地下の全体構造は、大きく2つに分けることができます。

1) SCP-1390-RU-1。オブジェクトのうち最も浅い領域 (地下90m以浅) にある部分です。これは当初、いわゆる「地下河川宮殿4」同士を結ぶトンネル網でした。天然の洞窟や人工の水平坑道を、石材や金属で補強したものでできていました。そうしたトンネルや洞窟の大部分は地下河川に水没していました。SCP-1390-RU-1の製造者 (地底ポドゼメレツ) はこの地下河川を、「河川宮殿」間を繋ぐ一種の輸送手段として活用していました。各「河川宮殿」には、より深くに存在する地下都市へと続く入口がありました。こうしたトンネルは都市交通手段が必要となったことからソヴィエトのエンジニアにより秘密裏に再建され、モスクワ地下鉄に組み込まれました。以下に示すのはSCP-1390-RU-1にある宮殿の一覧です。これらは地下鉄駅として改装されており、現在は次のような名称で知られています。

Metro_MSK_Line5_Novoslobodskaya_Small.jpg

地底ポドゼメレツによるアーティファクトの鮮やかな実例。
地下鉄 "ノヴォスロボーツカヤ" 駅
(SCP-1390-RU-1-3)

Moscow_MayakovskayaMetroStation_0943_Small.jpg

地下鉄 "マヤコフスカヤ" 駅
(SCP-1390-RU-1-2)

2) SCP-1390-RU-2。 このアイテム番号は、イアドヴァリヤの中でも都市交通網やモスクワ地下鉄とは関係がない領域に付与されます。ここには、一般には非公開の、地下輸送路と同程度の深度にあるトンネルや、それより深く (地表からの深度90~240m) にある空間などが含まれます。オブジェクトの存在はロシア連邦政府と財団により隠蔽されます。SCP-1390-RU-2に関する代表的なものは以下の通りです。

  • 地下治水構造物群。これはダム、水門、排水施設、給水施設、水路、機械式ポンプ、および水車場からなるシステムです。一連の施設により地下水位は一定に保たれ、地底ポドゼメレツの輸送用・工業用運河を満水にし、産業・農業用水を供給していました。
  • 天然の洞窟・地下河川、暗渠。 これらはイアドヴァリヤの輸送システムに活用され、食糧生産 (地底ポドゼメレツの食文化については後述) および産業用・輸送用機器の動力源としての役割も担っていました。また空洞内には強い反射音が残響するため、鐘の音を信号システムとして用いることができました。
  • 地底ポドゼメレツの居住用の小屋と共同墓地。これらはSCP-1390-RU-2の深部にあり、岩盤中に造られた最大高さ170cmの廊下でした。その壁面には2列の水平な溝が睡眠をとる場所としてくり抜かれていました。 一説には、死亡した地底ポドゼメレツの遺体は、その個体が生涯を過ごしたのと同じ溝に埋葬されていたといわれています。遺体を中に納めたあと、石材とモルタルでできた壁で塞がれていたとされています。
  • 祈祷用の小屋。比較的小さな、土製の小屋のような外観で、壁や床、天井は上塗り等されていません。イアドヴァリヤの最深領域にあり、極めて簡素な教会の用具が備え付けられています。具体的には床に置く燭台、木製のイコノスタス (ここに飾られていた絵画は失われています)、石製、鉄製の聖爵などです。
  • 「宮殿」。広々とした空間であり、現在前述した地下鉄駅として利用されている施設と同様の、アーチ状の天井を有します。当オブジェクトの壁および天井は、ガラスと石から成るモザイク画 (現在ではほとんど失われています) に加え、巨大なランプと燭台で装飾されていました。これらの用途は不明です。

SCP-1390-RU-2のより深い領域では教会音楽や聖歌の音色や、様々な機械機器のノイズと思しき音声が周期的に記録されています。これらの音の発生源については現状確認できていません。

以下はSCP-1390-RU-2で録音された音声の一部です。

SCP-1390-RU-3の説明:

SCP-1390-RU-3個体の遺骸 (ミイラ化したものも含む) の特徴から伺えることとして、この種族はHomo Sapiensに対して類縁関係にあるものの決定的な差異があります。地底ポドゼメレツは性別を有さず、生殖様式は (そもそも生殖するかどうかも) 現在は不明です。ですが当実例にはヒト男性の第二次性徴がはっきりと発現していました。SCP-1390-RU-3の身長は154cmを超えませんでした。当対象の無傷のミイラ化遺骸からわかるのは、SCP-1390-RU-3の体内構造には一般的なヒトと比べて決定的な差異は概ね見られないものの、眼球と眼窩、鼻が比較的大きい点、および肺が著しく大きい点で異なっています。多くの専門家の見解では、地底ポドゼメレツのこうした身体構造は地下における生命活動を決定的に有利にしていたとされますが、いずれにせよ、酸素濃度が希薄でありまた重要性の高い様々な微量元素5を摂取できないような環境で長期間生活できていたことについて、十分な説明はなされていません。

SCP-1390-RU-3個体は極めて食事量が少なかったようです。食糧の大半はキノコや植物の、イアドヴァリヤに典型的な品種が占めていました。年代記『秘密と禁断の物語』2巻『地下の不思議な人々について』によると、モスクワの商人や熱心な貴族らは地底ポドゼメレツと積極的に交易しており、タマゴやパンといった食糧などの物品を納品していました。

モスクワ市地下鉄建設に際して "プログレス" 研究所がトンネル壁面の土壌と沈泥を分析しており、これにより複数の未知種の藻類あるいはその他植物の痕跡があったことが判明しました。この種は暗い環境でも生きられるだけでなく、そうした環境下で酸素や (生物発光による) 光を放出する能力があったことがわかっています。食用に適さなかったサンプルは今に至るまでSCP-1390-RU-2の深部に残っており、別個の異常オブジェクトと見なされています。イアドヴァリヤではこうした作物を、食用目的・トンネル内への酸素供給源としてだけでなく、衣類や帯紐、その他生活用品の材料とするためにも栽培していたようです。

SCP-1390-RU-1/2空間内は地下河川の中や鉄製の壁掛け鉢、石製の花壇に植えられた発光植物を活用することで非常に明るく照明されていました。鉄製の燭台が多数あるため、ロウソクも積極利用されていたであろうことが指摘されています。地底ポドゼメレツは生物由来の未知の白い材料でそうしたロウソクを自作していました (ロウソクの灯芯の出所についても不明です)。これら発見済みの物品は通常のロウで作られたロウソクに比べ7~7.5倍長く光り続け、輝度についても3.6~3.8倍に達しており、またこの際の炎色は薄黄色でした。前述の年代記によれば、モスクワ国はこうした製品を地底ポドゼメレツから受け取り、代わりにイアドヴァリヤ側に対して通常のロウ製ロウソクを納品していました。地底ポドゼメレツはこのロウ製ロウソクを、概して宗教的儀礼 (後述) の執行に用いました。また同時に、様々な照明器具や化学反応残留物の痕跡が見られるランプなどの考古学的出土品から、地底ポドゼメレツは化学発光を利用していたのではないかという推測がなされており、またこのことから彼らが化学全般とまでは行かないにせよ、少なくとも化学発光に関しては高度な理解に至っていた可能性も指摘されています。

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SCP-1390-RU-2のトンネル
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SCP-1390-RU-2の異常植物サンプル

地底ポドゼメレツの衣装は、帯紐で締められた、フード付きの黒い祭服リヤサだけで構成されていました。履物、装飾品、鎧、豪華な (あるいは特殊用途の) 服といったものは発見されませんでした。

地下空間におけるSCP-1390-RU-3個体の移動には徒歩、あるいは木製のいかだや小舟が用いられました。これを作る際にはモスクワ・ツァーリ国6から材料を買い付けていました。ロシア人との通商関係が始まる前までは、地底ポドゼメレツはおそらく地下河川の水路に沿って泳いで移動するか水路浅部を歩くかしていたようです。

歴史的証拠によればイアドヴァリヤの住民は非常に秘密主義的でしたが、「河川宮殿」には部外者の立ち入りを認めていました。(まだここに住民がいた時代において) SCP-1390-RU-2の深部および地底ポドゼメレツによる祈祷儀礼を唯一目撃した人物は、[編集済]後の[編集済]という支配階級民ボヤーでした。これほどにまで信用を得ていたモスクワ人は彼をおいて他にはいませんでした。
 
SCP-1390-RU-3のルーツや、彼らが自分たちやイアドヴァリヤのことをどう呼んでいたかは不明であり、異邦人に対してこうした情報を教えていませんでした。この人型生物のコミュニティについて初めて言及されたのはイヴァン4世の治世下のことで、この時代より前にイアドヴァリヤが存在していたかどうかを示すテキストは見つかっていません。ただこの「地下の国」の規模からしてその建設には莫大な時間的コストや膨大な労働力が必要であり、また[編集済]時代に書かれたギリシア語文献の存在も、地底ポドゼメレツが遥かに長きに渡る歴史を持つ集団であるという説を間接的に裏付けうるものとなっています。

彼らが独自の言語を持っていたかどうかという点については疑問が残りますが、モスクワの人々と接触する際にはロシア語を使用していました。当時の証言では「我々の言語を、彼らはまるで自身の母語のように堪能に扱う」とされています。ただしSCP-1390-RU-3は発話時に母音を伸ばす傾向があったようです。こうした傾向について財団の言語学者は、会話事項が部外者に伝わらないようにするため、狭い空間の中でも声が反響しにくいようにしようという条件付けにより獲得されたものと解釈しています。また記録によれば、地底ポドゼメレツは極めて小さな声で会話し、決して叫んだりすることはなく、何か伝える必要がある際には相手に近づいて話したようです。祈りの聖歌を詠唱する時にのみ、SCP-1390-RU-3は自身の発声能力を満足に行使していました。「イアドヴァリヤ」という単語の語源は不明ですが、現代の財団言語学者の見解ではこの呼称は「地下室ポドヴァール (подвалpodval)」に由来しているか、あるいは「私はヤー (яya)」、「2ドヴァ (дваdva)」、「リーク (ликlik)」という3語の統語形態論的合成語に由来していて、すなわち「私は二つの顔を持つ男だヤー・ドヴリキ (яya двулик (-ий)dvulik (-iy))」という意味ではないかとされています。SCP-1390-RU-1/2内で見つかった文献記録はいずれもロシア語やギリシア語で記されたものだけであり、このことから地底ポドゼメレツ独自の書記言語は存在しなかったことが示唆されています。

SCP-1390-RU-3は外界との交流が乏しかったため、その内部にどのような政治社会機構を持っていたかは不明です。中央政府 (ないしその他の政府単位) や司法および/または立法を司る機関の有無が専門家の間で議論の的になっており、イアドヴァリヤにはそういった類の政治機構が一切なかったと主張している者もいます。論を俟たない唯一の事実として、イアドヴァリヤには行政/立法/司法を兼担するような単一の権力機関は存在しませんでした。また、社会分化や社会階級および所有という概念がなかったことが様々な点から間接的に示唆されています。社会的分業はあったもののそれは最低限の形にとどまっており、いわゆる「神殿フラモヴニキ (храмовникиkhramovniki)7」つまり神職者と、イアドヴァリヤの水利用設備を担う「防河使ヴォジャヌィエ (водяныеvosyanɨe)8」が社会から分離されているだけにとどまっていました。他の住民はおそらく手工業労働関連の幅広い職域を担っていたようです。地底ポドゼメレツ社会に補完的役割を担う人々がいたかどうかは不明です。

年代記『地下の不思議な人々について』によるとイアドヴァリヤの住民はその宗教的習慣において彼らの「隣人」、すなわち地上に住む人々と非常に似通っていたとされますが、キリスト教に対して超正統派的でラディカルな見解を堅持したとされ、これについて同年代記の作者からたびたび批判されていました (この作者が誰であるかは不明です)。

地底ポドゼメレツの経済についてはわずかなことしかわかっていません。年代記ではSCP-1390-RU-3にてツァーリや地底ポドゼメレツの存在に強い関心を持つ貴族により、食糧品や材木との交換で購入された様々な加工品について言及されています。イアドヴァリヤの商品の中でも最も人気だったのは鏡、鉄製およびガラス製の装飾品、ロウソク、色々なアミュレットであったと記述されています。同書ではイヴァン4世から個人的に贈られた「妙なる音色の」グースリのことも述べられています。積極的な交易がSCP-1390-RU-1-15 (現在の地下鉄ソコル駅) に指定される「河川宮殿」にて行われていました。これはこの「宮殿」が住宅地から著しく離れた場所にあったためで、この結果、大量の商品が輸送されていたという事実も人目に触れることなく済みました。地底ポドゼメレツ自身は決して地上に出てくることはありませんでした。これは彼らが一瞬にして酸素中毒に陥ってしまうためです。

イアドヴァリヤ国家の衰亡史とその後の出来事:

年代記『地下の不思議な人々について』によるとイアドヴァリヤの衰退が始まったのは1570年代、外界との交流がピークに達し、住民の間で「宗教改革」や「キリスト教を信ずる兄弟との合同」が活発に唱えられていた頃だといいます。一定数のSCP-1390-RU-3がモスクワ・ツァーリ国と最大限に緊密に協力するよう社会改革することを主張しましたが、他の者は地底ポドゼメレツ社会がこれ以上堕落するのを防ぐため、いかなる交流もやめ隠遁すべきだとしました。SCP-1390-RU-3社会が分断され、騒擾と暴動が誘発しました。隠遁派の意見に反対する者は少数派であり、イヴァン4世に援助を求めました。彼はイアドヴァリヤ市民全体との関係を考慮し、当初この請願を拒否しました。しかしながら1572年、地底ポドゼメレツ過激派がSCP-1390-RU-1-10 (現在の地下鉄チェアトラーリナヤ駅) にある居宅にいたモスクワ大使への襲撃を敢行、イヴァン4世の怒りを買いました。ツァーリは改革支持者に火薬やその製法、手榴弾、ピシチャル9、射石砲を供与しました。そしてモスクワ・ツァーリ国の銃兵ストレリツィが進駐可能だったいくつかの「河川宮殿」を掌握、隠遁派住民全員を追放ないし殺害しました。イアドヴァリヤのより深くへの侵攻は不可能でした。深部に続く主要な入口が防衛軍により崩されたためです。この侵攻中に銃兵ストレリツィはSCP-1390-RU-1-10にて大きな舟数隻を鹵獲することに成功し、その後ツァーリ軍はこれに乗船し、南に向かう河流 (現在のモスクワ地下鉄ザモスクヴォレーツカヤ線) に沿って出発しました。SCP-1390-RU-1-16 (現在の地下鉄パヴェレツカヤ駅) への強襲には失敗し、その中で侵攻軍の舟は火炎瓶のような未知の武器により燃やされ、その後少数の生存兵はSCP-1390-RU-1-10に泳いで撤退することになりました。ツァーリ軍は退却、進駐された空間は捨て置かれました。

銃兵ストレリツィが去った後SCP-1390-RU-3社会では内戦が勃発し、その結果として火薬の製法が隠遁派側にも伝わりました。当時の人々の記録には1573年の「ある夏の日」に「大地が揺れた」という記述が見えます。その後「井戸が枯」れたり「家々が地盤沈下し」たりしたようです。イヴァン4世の大使は「同盟者」側の人物と連絡を取ろうとしましたが、彼らも隠遁派側と同様に町への出口をすべて閉鎖し、外界との連絡を絶ってしまっていました。1573~1575年の間モスクワ・ツァーリはイアドヴァリヤに干渉こそしなかったものの、その一方で深部への侵攻を計画し、銃兵ストレリツィを訓練していました。

1575年、銃兵ストレリツィがSCP-1390-RU-1-1 (現在の地下鉄プローシャチ・レヴォリューツィ駅) の石壁を砕きました。地底ポドゼメレツが見つからず、モスクワ・ツァーリ軍は今回も舟を回収、それに乗って地底ポドゼメレツの建造物じゅうに向かいました。その後イヴァン4世が直々に当オブジェクトを訪れました。年代記では内部に何があったのかは言及されていないものの、数日後に彼はイアドヴァリヤを埋め立てることおよびこの国について言及した文献すべてを処分することを命じました。

この後のイアドヴァリヤのトンネル調査に関する記述は帝国非常官房18世紀末の管理文書アルヒー上で確認することができます。官房の高官である現任枢密議官IイーKhハー・アリャビエフ (И.I. Х.Kh. АлябьевAlyab'ev) がSCP-1390-RU-1/2に調査隊を派遣しており、そのことが『地底ポドゼメレツの町・イアドヴァリヤへの秘密遠征にかかる女帝陛下への奏上書』に反映されています。当ドキュメントにおいて地底ポドゼメレツの町は以下の通り描写されています。

[テキストは現代的記法に変換済] 地下の町は納骨所のようでした。生者の気配は我々にはまったく確認できず、代わりにあったのは夥しい数の地底ポドゼメレツの腐り切った死体でした。イヴァン雷帝時代の年代記著者が言及していた河川は、浅くなるか完全に干上がっていました。もはや河を歩いて進むことさえできましたが、数カ所ほど沈泥が深く溜まり進んでいけない場所もありました。浅部のトンネルには光がまったく差し込んでおらず、松明なしに進むことはできませんでした。しかし深部では灯火の必要度は下がりました…そこには不思議な花や草が生えていたからです。これら植物種のサンプルを、当奏上書にて陛下に添付いたします。

地底ポドゼメレツの宮殿の美しさはえも言われぬほどで、建設した人々は最大級の賛辞を受けるに値します。ここの空気は甚だ薄かったものの、不肖私めは地下へと深く深く降り、多くのトンネルや部屋、広間や小屋を巡り歩きました。至る所にダムや水車、昇降機といった技術の粋の、破損してしまった遺物が見られました。また異国風の教会、燭台とボロボロのイコンが置かれた極めて簡素な小屋もありました。壁葬用スペースも壁にくり抜かれていました。奇妙なことに非常に、非常に多くのスペースが空っぽでした。

この地に女帝陛下が踏み入れられるのは危険すぎるものと存じます。というのも丸天井の多くは脆く、階段も不安定かつ踏面が狭く、河の中はぬかるんでいます。それに正直に申し上げまして、まだ見つけることができていない様々な罠が仕込まれているかもしれないからです。陛下の心よりのご関心については存じておりますので、様々な絵画を用意するよう手配いたしました。死せる町、イアドヴァリヤの壮麗さを余すことなく表現できるだけの様々な絵画を、芸術家たちが必ず描いてくれましょう。

謹白
非常官房現任枢密議官イグナーティイ・フリストフォロヴィチ・アリャビエフ (ИгнатийIgnatiy ХристофоровичKhristoforovich АлябьевAlyab'ev)

これ以降も非常官房の官吏は繰り返しSCP-1390-RU-1/2のトンネルを降り、判明したことを記録し、地図や図面を作成し、また貴重な物品を地上に持ち出しました。こうして発見されたものは皇室のコレクションに保管され、ヨーロッパの様々な王室の人々に売られたり贈られたりしました。こうした物品は今でもMC&Dの出品物の中から見つかることがあります。

イアドヴァリヤが調査されることは1917年の十月革命以降なくなりました。ソヴィエト政権は一時SCP-1390-RU-1を秘密首脳部や保管庫として利用し、内戦終了後に放棄しました。

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イアドヴァリヤの主要トンネルの概略図
メトロストロイ社の管理文書アルヒーより

SCP-1390-RU-1の大規模改築は、これを地下鉄として転用すべく "プログレス" 研究所により1925年にはもうソヴィエト政権宛てに提出されていましたが、回答はなされませんでした。1931年1月の交通渋滞発生後、Iイー・スターリン (И.I. СталинStalin)合同国家政治保安部OGPU長官Vヴェー・メンジンスキー (В.V. МенжинскийMenzhinskiy)全連邦共産党 (ボリシェヴィキ) モスクワ市第一書記Lエル・カガノーヴィチ (Л.L. КагановичKaganovich)、"プログレス" 研究所指導者Oオー・アナニエフ (О.O. АнаньевAnan'ev)、モスクワ市ソヴィエト議長Nエヌ・ブルガーニン (Н.N. БулганинBulganin) らの間で秘密会議が持たれ、モスクワ地下鉄建設について取り決められました。議決案では地下鉄駅を複数同時に建造することおよび、異常構造物が存在するという事実自体は完全に秘匿したままSCP-1390-RUが含んでいる建造物を活用することが提案されました。

モスクワ地下鉄の建設について公的な決定がなされたのは全連邦共産党 (ボリシェヴィキ) 中央委員会の、6月の総会であったはずですが、スターリンが秘密指令第104号に署名した直後に事前作業は始まりました。前述の指令に基づきメトロストロイ社が設立され、同社には合同国家政治保安部、全連邦共産党 (ボリシェヴィキ)、"プログレス" 研究所のメンバーからなるソヴィエト政権の被委任者らが加入しました。秘匿原則を担保する必要があったことからメトロストロイ社は、スタンダードから外れた方針をとることを余儀なくされました。工事開始までにプログレス研究所の研究者らがSCP-1390-RUのトンネルや建造物の大部分を探検し終えておくはずだったにもかかわらず、メトロストロイ社はSCP-1390-RU-1を順次稼働し始めてしまったのです。これは、当時の技術水準に見合った地下鉄建設予定を立てるためでした。SCP-1390-RU-1のフル稼働は15年で達成される見込みでしたが、第二次世界大戦によりこの予定は破綻しました。

今のSCP-1390-RU-1において、トンネルが通る場所や地下鉄駅が建つ予定のところには、極めて長い刑期を言い渡された囚人だけが割り当てられました。こうした囚人らは (合同国家政治保安部/内部人民委員部NKVDの監督下で)、当オブジェクトの浸水した部分から水を汲み出し、地底ポドゼメレツが作った品々やレリーフを解体し、また泥水やゴミにまみれていたトンネルを清掃し、階段を (人間の体格に見合うように) 組み直し、整備用のトンネルを斜掘し、パイプを敷設してその下をコンクリートで固めました。これらは地下河川の本来の形状がわからなくなるように行われていきました。一連の作業に並行して、こうした作業は活発なトンネル掘削に付随するものである」との偽装工作が、各情報機関により遂行されました。準備完了後SCP-1390-RU-1には、事情を詳しく知らされていないメトロストロイ社社員が呼ばれ、彼らにより通路やエスカレーター、動力系や照明設備が取り付けられ、外装も整えられました。取り除かれた地底ポドゼメレツの芸術的な品々の代わりに、社会主義を題材とした彫刻や壁画、モザイク画が設置されました。地底ポドゼメレツの一連の照明関連器具はそのまま、電力供給装置に改造され使われることになりました。

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モスクワ地下鉄第1期建設計画図。
SCP-1390-RU-1に丸印を付けてある

SCP-1390-RU-1での作業に並行して、新造された駅やトンネルの稼働もされていきました (いくつかの駅が地底ポドゼメレツの河川があった場所に直接建てられ、一方で複数のトンネルはSCP-1390-RU-1を通るよう、元々そういった河川がなかった場所に掘られました)。そのような区画での作業は極めて遅鈍でしたが、これは必要な技術や専門家が足りていなかったことに起因し、多くのトンネルが開削トンネル工法で掘られていきました。とはいえ施設の大部分で「準備」が整ったのでソヴィエトのプロパガンダは「電撃的なる労働速度」の功績を謳い、シールド工法10が使われたことを報じました (実際に現場でシールド工法が使われたのは早くとも1935年からだったにも関わらず)。1934年半ば、メトロストロイ社は出来上がった通路をSCP-1390-RU-1にすでに存在したトンネルとつなげました。同社の建築家は、新たな駅がSCP-1390-RU-1の雰囲気に合う見た目になるよう限られた財政手段の中でも努力していましたが、やはりそれらは簡素さゆえ、SCP-1390-RU-1の中で浮いてしまっていました。

モスクワ地下鉄が公的に操業されたのは1935年とされます。第1期に建設された中には6つのSCP-1390-RU-1指定駅 (クラースヌィエ・ヴォロータ駅、コムソモーリスカヤ駅、アルバーツカヤ駅、スモレンスカヤ駅、ソヴィエト宮殿駅 (現在のクロポトキンスカヤ駅))、ゴーリキー名称文化公園) と、ソヴィエトのエンジニアにより建てられた7つの駅 (ソコリニキ駅、クラスノセリスカヤ駅、オホートヌィ・リャート駅、ジェルジンスカヤ駅 (現在のルビャンカ駅)、キーロフスカヤ駅 (現在のチーストゥイエ・プルドゥイ駅)、コミンテルン名称駅 (現在のアレクサンドロフスキー庭園駅)、レーニン名称図書館駅) が含まれます。SCP-1390-RU-1指定駅の改装に携わった囚人やアノマリーの存在を知ってしまった可能性の高い囚人は全員銃刑に処され、地底ポドゼメレツのトンネルの行き止まりのひとつに埋められました。合同国家政治保安部/内部人民委員部の監督者の中にも「粛清」を受けた者がいました。

その後すべての「河川宮殿」がモスクワ地下鉄系に組み入れられました。メトロストロイ社は都市の交通需要に基づき、SCP-1390-RUの河川の一部を埋没させたり堰き止めたり、自力で代わりのトンネルを掘ったりすることで地底ポドゼメレツのトンネルを大幅に改変しました。

現在、SCP-1390-RUは歴史上最も訪問者の多い (1日あたり約180万人) 異常オブジェクトとなっています。

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