アイテム番号: SCP-1639-JP
オブジェクトクラス: Keter
特別収容プロトコル: 再出現が確認されたSCP-1639-JP-Aは可及的速やかに終了してください。SCP-1639-JP-Bは低脅威度物品ロッカーに収容されます。PoI-1639-JP-Bの再出現が確認された場合は確保してインタビュー調査を実施し、発生が確認された場合は経過観察を行ってください。
説明: SCP-1639-JPはSCP-1639-JP-A, Bに対する包括的指定です。本稿執筆時点においてPoI-1639-JP-A, Bの関与が確認されています。
SCP-1639-JP-Aは、クラスIII~IV相当の現実改変能力および空間転移能力を有する、全長約20mの大型海棲爬虫類です。水かきの備わった四肢と長大な尾により、平常時は█.█km/hで、瞬間的には最高速度██.█km/hでの遊泳が可能です。頭部および歯の形状は肉食性を示し、大型魚類や鰭脚類・海牛類・鯨類などの海洋生物を捕食する様子が確認されています。また狩猟行動に伴う海面のヒューム変動が記録されており、上述の現実改変能力のクラス分類が推定されています。
SCP-1639-JP-Aは古来シーサーペントとして目撃されていたと推測されています。情報源の保存バイアスに起因する可能性も棄却されませんが、目撃例は中世以降に増加しており、これは9~11世紀頃のヴァイキングの隆盛や15~17世紀の大航海時代において外洋進出が活発化したヨーロッパ人との遭遇確率の上昇に起因すると考えられます。SCP-1639-JP-Aは先述の通り大型海棲動物を捕食対象とし、人間に対し攻撃を加えない場合もありますが、往々にして船舶や沿岸地域に対して現実改変能力を行使します。こうした状況を踏まえ、1954年に最初の終了が世界オカルト連合(GOC)などの機関により試みられましたが、失敗に終わりました。
SCP-1639-JP-Bは1915年にエルンスト・シュトローマー(以下、PoI-1639-JP-A)が発表した、獣脚類恐竜スピノサウルス・エジプティアクス(Spinosaurus aegyptiacus)の原記載論文および非公開補足資料の原本です。SCP-1639-JP-Bは破壊耐性を有するほか、補足資料上には1915年から2022年までのタイムラインと座標が暗号化されています。当該のタイムラインと座標はSCP-1639-JP-Aの時空間分布とほぼ一致することが判明しています。
SCP-1639-JP-Bは1995年にPoI-1639-JP-Aの息子によりミュンヘンの古生物学博物館に寄贈されました。200█年にSCP-4041の調査のため同館に潜入した財団エージェントが破壊耐性を発見し、当該文書はAnomalousアイテムとして回収・保管されていましたが、補足資料のSCP-1639-JP-Aへの言及に基づいてSCP-1639-JP-Bに再分類されました。本稿執筆時点のオブジェクトおよびPoIのナンバリングはこの時点での決定に準拠します。
既知のS. aegyptiacusの骨格の多くは極めて断片的な頭蓋骨であり、また過去の歴代の復元骨格もスピノサウルス科に属する他の恐竜に基づくため、形態形質を元にSCP-1639-JP-Aとスピノサウルスの関係を議論することは困難です1。SCP-1639-JP-Bに記載されたS. aegyptiacusのホロタイプ標本BSP 1912 VIII 19は第二次世界大戦期において破壊されています。当該事案には1943年から1944年にかけて欧州諸国で目撃されたPoI-1639-JP-Bの関与が判明していますが、PoI-1639-JP-Bの身元およびPoI-1639-JP-Aとの関連は不明です。
歴史的経緯: 以下はSCP-1639-JP-A, Bおよびそれらに関連する事案のアーカイブです。
SCP-1639-JP-A: GOCによる抹殺作戦展開以前は技術的問題を理由に積極的な終了の実行に至らず、また特に19世紀以前の文献記録は信憑性・精度が疑問視されています。1954年以前の大規模な現実改変事案としては1776年のボストン、1814年のロンドン、1883年のクラカタウでの事案が記録されており、それぞれ「ボストン茶会事件」、「フロスト・フェア」、「火山島の大規模噴火」としてカバーストーリーが適用されています。完全なSCP-1639-JP-A事案のリストは別途一覧を参照ください。
1954年3月1日、GOCは鯨の大量死や船舶事故の原因がSCP-1639-JP-Aにあることを特定し、またSCP-1639-JP-Aの行動に前後するヒューム変動の発生を観測しました。GOCはビキニ環礁にSCP-1639-JPを誘導し、当該地点をキルポイントとする抹殺作戦を展開しましたが、現実改変により失敗に終わりました。続いて作戦の後方支援にあたっていたアメリカ合衆国国防総省およびアメリカ原子力委員会は高出力熱核爆弾による抹殺を試みました。結果として、SCP-1639-JP-Aへの直接的影響が現実改変により軽減され作戦は失敗に終わり、同時に想定を上回る量の熱エネルギーと放射性降下物は周辺地域および漁船への放射線障害をもたらしました。当該事案にはカバーストーリー「ブラボー実験」が適用されました。
1993年█月██日、財団はSCP-1639-JP-Aの再出現を検出しました。観測されたSCP-1639-JP-Aは背部に中度の熱傷を負っており、これは先述の1954年の熱核攻撃に起因すると推測されています。また、未特定の原因による頭部の重篤な負傷も確認されました。SCP-1639-JP-Aの攻撃性が増していたことから財団は海中への限定的なヒ素投入による毒殺での終了を試みましたが、現実改変によりヒ素が鉄に変換され作戦は失敗に終わりました。改変後、SCP-1639-JP-Aは消失しました。出現した鉄は当初のヒ素よりも分布が広範囲であったため、カバーストーリー「中規模海洋鉄散布実験」が適用されました。
SCP-1639-JP-B: PoI-1639-JP-Aは1910年11月9日に蒸気船でエジプト王国アレキサンドリアに到着したことが記録されています。2日間に亘る検疫を経て上陸したPoI-1639-JP-Aは、エジプト地質学調査委員会の協力を受けて地質図を入手し、現地人の調査隊参入と平行して発掘調査の計画を立案しました。当時、エジプト領サハラ砂漠は大英帝国による植民地支配を受けており、第一次世界大戦が目前に迫る当時の独英関係は悪化の一途を辿っていました。ドイツ帝国民であり同国南部の出身とされるPoI-1639-JP-Aが踏み入るには困難を伴ったことが判明しています。
11月19日に入域を達成したPoI-1639-JP-Aと随伴者は計3回の発掘調査を実施しました。第2次発掘調査において持病による欠員が生じる中、PoI-1639-JP-Aは翌年1月3日に第3次調査を開始しました。PoI-1639-JP-Aの手記には、発掘調査が強烈な直射日光や砂嵐を伴う悪天候に代表される過酷な気象条件に晒されたことが記載されています。天候回復後に調査を開始した調査隊は、1月18日に恐竜の頭蓋骨・脊柱・胸郭の一部を発見しました。当該の恐竜は後にS. aegyptiacusとして知られる獣脚類の恐竜であり、同年2月にドイツへ帰国したPoI-1639-JP-Aが1915年に新属新種として記載・命名しました。
PoI-1639-JP-AはS. aegyptiacusの記載に際してSCP-1639-JP-Bを作成しました。本稿執筆時点で確認されているオンライン上のStromer (1915)には財団のロゴが掲載されておらず、公開にあたって手を加えられたことが示唆されます。破壊耐性は破損・喪失を危惧したPoI-1639-JP-Aによりこの時点で付与されたものと推測されています。
PoI-1639-JP-A, B: 1943年█月██日、財団データベース上で当時未確認の技術による不正アクセスがあったことが確認されています。当該の不正アクセスはPoI-1639-JP-Bによるものと推定されており、各国の諜報機関に関連するデータベースへの侵入が確認されています。そのうち特筆すべき事項はヌーア・イナヤット・カーン関連ファイルの閲覧です。Agt. カーンは枢軸国の占領下に置かれた欧州本土での諜報活動を主要任務とするイギリス連合王国特殊作戦執行部に潜入しており、財団・特殊作戦執行部・ドイツ軍傘下無線通信事業者の3団体間で二重スパイとして活動していました。
PoI-1639-JP-Bは当時全土がナチス・ドイツによる占領下にあったフランス国に出没し、偽装した財団の研究員証を提示してAgt. カーンと接触したことが確認されています。PoI-1639-JP-Bは「O5評議会の指令である」と主張し2、ミュンヘン空襲を指示するよう当時の第61代イギリス首相ウィンストン・チャーチルへの伝言をカーンに伝達しました。当時内閣戦時執務室で全体の指揮を執っていたチャーチルはカーンの進言を採用し、既に進めていたミュンヘンへの空襲を強化しました。
1944年4月24日および25日の空襲において古生物学博物館は破壊され、PoI-1639-JP-Aらが発見したBSP 1912 VIII 19は紛失、その後スピノサウルスの学術研究は半世紀に亘って停滞しました。空襲直前で博物館に働きかけていたPoI-1639-JP-Aは連合国側との関与を疑われました。疑惑の根拠の1つとして、偽装された差出人からPoI-1639-JP-Aが受領した書簡が挙げられました。当該書簡はゲシュタポによる家宅捜索時に検閲を受け発覚したものであり、以下は書簡の内容です。
処置の完了を報告申し上げます。
既にご承知のことと存じますが、貴方のなさった業務はこれより私がお引き継ぎします。
充実した余生をお過ごしください。
PoI-1639-JP-Aは反ナチス勢力としての強制収容を免れたものの、シュトローマー家全体にペナルティが課され、当時ドイツ軍に所属していた3人の息子が激戦地に派遣されました。終戦後PoI-1639-JP-Aは生還した1人の息子と再会した後、1952年12月18日に死去しました。
追記1: 2022年1月15日、SCP-1639-JP-Aがトンガ王国北西沖に再出現しました。SCP-1639-JP-Aは1993年と同様に背部の熱傷が認められた一方、頭部の損傷は確認されませんでした。当時噴火活動を継続していたフンガ・トンガ=フンガ・ハアパイ火山とSCP-1437-JPの関連を調査していた財団船舶が襲撃され、現実改変により船体の78%が損壊、██名が死亡する事態に発展しました。同時に、Agt. カーンの記録と人相の一致する人物の船舶への出現が報告されており、PoI-1639-JP-Bの再出現がこの時点で生じていたことが示唆されます。火山体の大規模噴火を伴ってSCP-1639-JP-AおよびPoI-1639-JP-Bは共に消失し、これ以降の再出現は確認されていません。
調査を行っていた研究員のうち、スミス研究員とミュラー研究員の2名が生還しました。両名はPoI-1639-JP-Bによる救助を受けたことを主張し、後日インタビューが実施されました。
インタビュー記録1
対象: スミス研究員
インタビュアー: 外原首席研究員(以下、簡単のため「外原研究員」と表記)付記: インタビューは英語で行われました。
<記録開始>外原研究員: それでは、貴方が目撃したSCP-1639-JP-AおよびPoI-1639-JP-Bについて、その時の状況も含めてお聞きしたく思います。
スミス研究員: はい。あの時……同僚たちと海洋底のボーリング調査を行っていました。岩体のコアを装置から取り出していた時、船体が大きく揺さぶられました。私は日本に来て何度か地震を経験していますが、それに似た揺れでしたね。機材も崩れ落ちる中、とても立ってはいられず、身を守るのに手一杯でした。
外原研究員: その振動は、噴火活動およびそれに伴う潮位変化によるものではなかったのですね?スミス研究員: 違いますね。轟音は響いていましたが、まだ噴煙が上がっていませんでしたから。
外原研究員: 分かりました。続けてください。
スミス研究員: 机の下に潜って目にしたのは、船体が捻じれていく様子でした。プチプチと嫌な音を立てて支柱や壁が歪んでいき、限界を忘れたように長く引き伸ばされていくのをこの目で見ました。青空に床が照らされる頃には、金属の破砕や木材の歪曲は私の方へ迫っていました。逃げようとしましたが、どうも金属片で足の腱を断裂してしまっていたようで、遅れて感覚がやって来ました。きっと焦燥のおかげで痛みは無かったですが、足は木偶の坊になっていました。
スミス研究員: PoI-1639-JP-Bが現れたのはその時でした。重装備でした。携帯型SRAも持っていたんでしょう。外見は20代後半から30代前半くらいでしょうかね。彼は床の変形を食い止めるように立ち塞がり、周囲を見渡すと ⸺ 現実性のせめぎ合う陽炎の中で、私たちを見つめていました。きっと一瞬程度だったとは思いますが。
外原研究員: そしてPoI-1639-JP-Bは貴方たちを救出したと。
スミス研究員: はい。報告済みではありますが、PoI-1639-JP-Bは私の足に添え木をして、包帯を巻きました。他の怪我にも消毒や止血をしてくれました。まるで知っていたかのように滑らかな手つきでしたよ。そして「この船は沈む」と。持参した救命胴衣を着て海へ飛び込むよう指示して、「皆さんに死なれると全てが終わる」と。
外原研究員: 確かに、この事案を知っていたかのような言動ですね。「全てが終わる」とはどういう意味なのでしょう。
スミス研究員: 分かりかねます。ミュラーはいくらか喋っていたんですが、私は衝撃が抜けなくてですね。発言の意図までは……申し訳ありません。
外原研究員: 分かりました。その後は、ミュラー研究員と共に海に飛び込んだのですね?
スミス研究員: ええ、体を支えてもらって。PoI-1639-JP-Bが浮きになる荷物を渡してくれたので、それにしがみついて、体を投げるようにして。その後はPoI-1639-JP-Bを見ていませんが、靄になって消えてゆく船の向こうに、藻掻くSCP-1639-JP-Aが居ました。内側から頭蓋が熔融しつつあるようでした。それでも、あれが死んだかは確証を持てません。噴火の爆発音と衝撃波にかき消されましたし、目を開いた時には視界に居ませんでした。空間転移で逃れたのかもしれません。
外原研究員: なるほど。状況は掴めました。他に何か特筆すべき出来事などは?
スミス研究員: 特には無かったかと。
外原研究員: 了解しました。それでは、また何か思い出せばまたご連絡ください。
<記録終了>
インタビュー記録2
対象: ミュラー研究員
インタビュアー: 外原首席研究員(以下、簡単のため「外原研究員」と表記)付記: インタビューは英語で行われました。
<記録開始>
外原研究員: それでは、貴女が遭遇したSCP-1639-JP-AおよびPoI-1639-JP-Bについてお聞きしたく思います。
[スミス研究員の証言と重複するため省略]
外原研究員: スミス研究員によると貴女はPoI-1639-JP-Bと会話を交わしたそうですね。
ミュラー研究員: ええ。確かに助けてくれましたが、SCP-1639-JP-Aを前に彼がどうするのか分からなかったもので……。尋ねると曖昧に答えてくれました。一字一句正確には覚えていませんが、確か……「後片付けは私がやります。歴史の表舞台に奴の痕跡を残さず、パラドックスの中で闇に葬ります。世間があれの正体を知る必要はありませんから」と述べていました。
外原研究員: [数秒の沈黙] 意味を取りにくいですが、単なる記録の改竄を示唆するだけとは思えませんね。
████研究員: ええ、私も同じことを。私が、きょとん、としていると彼はすぐに微笑みかけました。「心配しないで。固定された時間軸上で皆さんが築いたレールです。既に答えは見えているのですよ」って。
外原研究員: 既に答えが見えている……?
ミュラー研究員: はい。……真意までは。私はスミスに急かされていましたし、PoI-1639-JP-Bも踵を返していましたから。
外原研究員: 了解しました。……既知のアノマリーを洗う必要があるかもしれませんね。他に何か、PoI-1639-JP-Bに発言などはありましたか?
ミュラー研究員: あ、一つだけ。内容そのものではないのですが。
外原研究員: 何でしょう。
ミュラー研究員: 彼、私にだけはドイツ語で喋ってくれたんですよ。それも南部訛りの。
<記録終了>
終了報告書: スミス研究員およびミュラー研究員の追跡調査・経過観察が予定されています。
追記2: 2022年2月██日、PoI-1639-JP-Aの手記と見られる手帳がバイエルンにて古書店の倉庫から発見されました。手記の末尾にはSCP-1639-JPに関連した遺書と見られる内容が確認されています。以下は内容をドイツ語から翻訳したものです。
先日も曾祖母を見かけた。
やはり年端も行かない少女の体ではしゃいでいる。
進駐軍が軍靴を鳴らし、フォルクスワーゲンが走る横で、膝を土で汚して無邪気に走り回っていた。
何とも奇妙な感覚だ。
写真でしか会ったことのない、それも、歳月を経た肌と白く濁った目が印象的だった曾祖母。
そんな彼女がすくすくと育つ様子を目にしている。
彼女は私よりも長く生き、再び祖国が一つに纏まってゆく時代を迎えるのだろう。
私から手紙を受け取った時、「ついに終わったか」と実感できた。
息子も戦地から戻り、この時代に生きる人間として共に生涯を過ごせた。
史実通りなら、もうじき時が来る。
悪くなかった。