補遺: SCP-1750-JP-2内の記述は西暦21██年のものであると推測されており、タイプ:ノルン年代測定機による計測結果からも、その蓋然性は非常に高いものであると結論されています。SCP-1750-JP-2内の記述はXK-クラス:世界終焉シナリオの██年以内の発生を示唆する予言的内容を含むため、セキュリティクリアランス3以下の全職員に対しては閲覧が許可されないことが決定されました。
また、SCP-1750-JP-3はその大部分が発見時に崩壊していたため詳細は明らかになっていませんが、残留物質による実験から極めて高い致死性を有していることが確認されており、半数致死量は8.0×10-9mg/kg程度と測定されています。なお、後述のSCP-1750-JP-2の内容から、将来的にXK-クラス:世界終焉シナリオの誘引となる物質である可能性が示唆されています。
SCP-1750-JP-2内記述抜粋
21██/01/02
サイト-12のイサナギ・ハトバ研究員が日記帳をくれた。彼とはSCP-█████の研究で一緒になったことがあるだけだが、向こうは私のことをよく覚えているらしかった。
まだこんなものにまわす物資があるのかという私の驚きに、彼は、「他のどんなものだって役に立ったりはしないだろう」と答えた。
不真面目な勤務態度として報告すべきか悩んだが、この日記帳まで取り上げられてしまうかもしれない。
どうせ死にゆく世界だ。これくらいの楽しみは許されるだろう。
21██/01/17
3日ぶりに記す。
日記をつけること、それは思いの外に難しい仕事だ。気をつけないと研究日誌のように観察結果を連ねるだけになってしまう。
芸術……という失われた文化について思い出す。特に単一情報に確定できない感情を表現するものだと語彙データベースは規定するが、その方法までは記されていなかった。
21██/01/28
またサイト-12に立ち寄る機会があったので、ハトバ研究員に芸術について尋ねてみた。
彼の講釈は2時間に及んだが、その時間は彼の知性と、イベント前の世界に対する愛と造詣の深さを証明するに足る時間だったと言える。
特に彼はクラシック音楽(古典という意味ではあらゆる音楽がそうだが、特に西暦1550年代から1900年代のものを指すらしい)というものを好んでいるらしい。
ちなみに、個人的に私が気になったのは「クリスマス」という行事だ。なんでも赤服の聖人が1つだけ願いを叶えてくれるらしい。私だったら、とりあえずSCP-████の安全で確実な収容プロトコルでも願うだろうか。
……くだらない夢物語だ。
ところで日記についてだが、結局のところ私は、ただ思ったことを書けばいいそうだ。
それと、なぜ私に日記帳をくれたのかについては言葉を濁された。
やはり不真面目な勤務態度として報告するべきか?
21██/02/21
███博士が亡くなられた。自殺だったらしい。
上司としては嫌な人だったが、イベント前を知っている老人でもあった。少しくらい話を聞いてみたかったものだが、今更言っても仕方のないことだ。
ちなみに、次のサイト管理官は私らしい。笑える。また仕事が増えるだけだろう。
21██/02/28
サイト-12から弔いとお祝いのメッセージが来た。妙な話だ。
メッセージを持ってきたのはハトバ研究員だった。
初めはご苦労なものだと思ったが、少しして彼は、███博士の遺品整理に協力させてほしいと願いでできた。
呆れた考えだ。ようするに███博士の収集していたイベント前の品々を回収したいだけなのだろう。
とはいえ追い返すわけにもいかない。
遺品整理には私も立ち会うことで許可を出した。
21██/03/01
ハトバはモーツァルトよりバッハの方が崇高だと主張したが、私はそれについての正当性は認めなかった。彼はイベント前への造詣は深いが、センスというものは私の方が上回るように思える。
それにしてもあの蓄音機なるものを処分するのは、なんとも惜しい事だろうか。しばらく私の私有物として保管しておくことにする。
21██/03/03
ハトバがサイト-12に戻ると、途端に私は忙しさに引き裂かれることになった。███博士が自殺したくなるのも無理のない話だ。
21██/03/06
特になし。
21██/03/09
SCP-███の振る舞いは良好だ。
21██/06/02
SCP-███が収容違反を起こした。まあ、いつものことだ。1時間後に鎮圧を完了。
……そこまではよかったのだが、流れ弾が宿舎を損壊させて20名以上の職員が殉職した。流れ弾が直接の原因ではなく、建築物の破片が彼らの服の機能を損なったらしい。殺傷能力の低いSCiPだからという収容チームの油断が悪く出た形だろう。
とはいえ、それは無理もないことだ。いつでも時計の針は我々を追い立てるために存在している。産まれたときからずっと。その中で少しでも手を緩める機会があるのならば、そうしないという理由はない。彼らを責めることはできない。サイト管理官としての仕事は責任への批判ではなく、原因の追求とプロトコルの改定だ。
私はたまたまSCP-███の収容室にいて難を逃れた。それは……幸運なことなのだろうか?
このことをハトバに尋ねてみたい。彼は元気だろうか。
21██/06/05
以前の事故以来、このサイトは随分と閑散としてしまった。殉職者のリストにはおしゃべり好きの███や███も入っていたから、この結果は事故の時点で予測できることだった。
それなのに、今更そんなことに気がつくとは、論理的思考能力が低下しているのかもしれない。
たぶん、そうだ。
21██/06/08
殉職者の遺品と共にあの蓄音機も処分した。
私の不真面目な勤務態度が、サイト管理官の私が、彼らを殺したようなものだ。
私はどうやって責任を取ったらいい?
21██/06/09
今は書く気にならない。
21██/06/30
希死念慮がひどい。
精神安定剤も効果がない。
カウンセリングを予約したが半年待ちだった。予約が多すぎるのではなく、医者が少なすぎるらしい。
21██/07/02
ここのところ毎日のように、この重苦しく忌々しい服を脱ぎさって一呼吸してみたい衝動に駆られる。そして、血と糞尿を撒き散らしながら生き絶える妄想をする。
21██/07/04
もしかすると、財団に入ったのは間違いだったのかもしれない。何も知らない市民として死んでおくべきだったのかもしれない。
そうすれば、彼らは死ななかったのかもしれない。
私は生きていてはいけなかったのかもしれない。
21██/07/05
私は自分がこんなに弱い人間だということを、今まさに、初めて思い知らされている。
21██/07/08
死について考える時、私は代わりにハトバのことを考えることにした。彼と話をした時間のことを思い出すことにした。
単純に、それがここ最近の間で、本当に僅かな、楽しい時間だったからだ。
21██/07/09
彼に会いたい。
21██/07/23
人員不足と安全上の懸念からこのサイトは解体されることになった。そして私を含む職員と全てのSCiPはサイト-12に吸収されるのだそうだ。
あるいは単に経費削減のための口実かもしれないが、最早どうでもいいことだ。私はサイト管理官の職を解任されて一般研究員に降格されたのだから。
皆は惜しむが、これで少しは仕事も減ると思えばありがたい話だろう。
21██/07/28
またあの素晴らしく乗り心地の悪い装甲車に揺られてサイト-12についたが、まあ、ここも似たりよったりな状況だった。
ヒトも、モノも、何もかもが足りていない。
たぶん世界のどこへいったってそうだろう。
21██/08/01
ハトバと話をした。本当に久々に笑ったような気がする。
21██/08/04
サイト-██とサイト-████が、私たちのサイトと同タイミングで解体・吸収されたと聞いた。これと言った理由もなしに、だ。やはり財団は、その運営規模を縮小しにかかっているらしい。いよいよ手持ちの資源も限界ということか。
ハトバにその件を話したら、「倒れるならさっさと倒れちまえばいいのさ」とまた笑っていた。他の職員に聞かれれば不真面目な勤務態度どころの騒ぎではない話だが、今の私には、それを否定することができなかった。
21██/08/10
今日も休憩時間の全てをハトバとの会話に費やした。ほんのささやかな時間だが、イベント前についての彼とのディスカッションは、私を全てのしがらみから解放してくれる。
願わくば永遠に彼と言葉を交わしていたいと思うのに、時計の針はそれを許してくれない。
21██/08/14
ハトバのことを███研究員に話したら、それは「恋」だと笑われた。
恋とは、繁殖のための生殖行為を前提とした意識上の動機付けのことだと語彙データベースは示す。
……ありえない話だ。そもそも繁殖とは、財団の仕事だ。人口培養槽なしでどこから人を産み出すというのか?
21██/08/16
ハトバにも恋の話をしてみたら、驚くことに、彼もそれを恋だと断定した。そして彼もまた、私への恋を有していると告白してきた。
意味がわからない。今、これを書いている最中もまだ頭が混乱している。彼のことが頭から離れない。ある種のミーマチックエフェクトに罹患したかのようだ。しかし簡易ミーム汚染検査キットの結果は陰性だった。
明日、また彼とディスカッションをしなくてはならない。このままだと、眠れないから。
21██/08/17
……原因から書けば、私の出身の養育センターは職員養成を前提とした財団運営であって、つまり、私は、ようするに、彼は……民間の養育センターだから、教育に幅があった。それは良いこと……だと思われる。
つまり、だから、私は彼に恋をしている。少なくともその蓋然性は極めて高い、のだそうだ。
21██/08/21
███に話したのがよくなかった。私とハトバのことはたちまちサイト-12の雑談における主要な話題の提供源となった。何が面白いのだろうか、理解に苦しむ。
彼はまんざらでもないようだったが。
21██/09/02
近頃また、この服を脱いでしまいたいという欲求をおぼえる。けれどそれは、あの冷たくて薄暗い希死念慮のためではない。
服の下の私をハトバに見て欲しい。服の下の私をハトバに触れて欲しい。そんな欲求が私の思考リソースを占有して止まない。
奇妙な話だ。
産まれてから一度だって、私たちはこの服の下を誰かに向けて晒したことなどないというのに。
それなのに、どうしてそんな考えに行き着くのだろう?
21██/09/03
昨日のことをハトバとディスカッションした。私は理解を得た。ようするに私は彼と交尾がしたいらしい。つまり、性的交渉だ。
実に笑える話ではないか。
こんな世界で、こんな体で、服の下の相手の顔がどんな風なのかさえ知らないのに、交尾とは。
こんな状況になってまでも、やはり私はヒトなのだと思わされた。それが少し嬉しくもあった。
最後にハトバは、「もしも君と僕が生き残ることができたのなら、その時は1つ、悪だくみがあるんだ」とだけ仄めかしたが、詳細については口を閉ざしてしまった。
そういえば私はようやくになって、彼の子供っぽい性分を見出だし始めている。それはたぶん、愛嬌というものなのだろうと私は理解している。
21██/09/06
サイト管理官が私とハトバの結婚式を開こうかと提案してきた。馬鹿なことに他の職員の承認付きで。
全員不真面目な勤務態度として報告してやるべきだろうか。
しかし、まあ、今や娯楽は水よりも貴重なものだ。それくらいの提供をすることは、1人の善良な職員としてはやぶさかではないことだろう。
21██/09/09
幸せ。
21██/11/20
西海岸のサイト-███とサイト-███の閉鎖が決定されたという内容が財団本部より発表された。おまけで残る各サイトは以降独自の判断で運営を行うようにとの通達付きで。もちろん運営物資と人材の提供は凍結。そんなものは世界をひっくり返したって出てこないだろうけど。
財団もいよいよ店仕舞いというわけだ。もっとも、もう随分と前からわかっていたことではあったが。それが今日か、それとも明日か、それだけの違いでしかない。
このサイトもだいぶ広々としてきた。私がサイト管理官をやらされてた時の、あの事故の直後のサイト-██のことを思い出す。あの時よりもずっと気分は軽い。現実はより深刻さを増しただけだというのに、奇妙な話だ。
それにしても、私たちの噂を広めた███も、結局あの馬鹿げた結婚式を開いたサイト管理官も、みんないなくなってしまった。
それでも幸か不幸か私はまだ死んではいない。ハトバは1週間前にサイト管理官になった。べつに誰でもよかった。単にもう私と彼しか残ってなかったから、私が辞退して彼になっただけだ。2回目は、もういいだろうさ。
それと、私たちに危害を加えない全てのSCiPを解放してやった。もうここは財団ではないのだから、確保も収容も保護も必要ない。もっとも彼らはべつに喜びはしなかった。多くは私たちへの侮蔑にわずかばかりの憐れみをこめた表情を見せてから、各々が望む場所へと戻っていった。あるいは単に、もうその異常性を向ける相手が死に絶えてしまったのだと知らないまま、鍵のかかっていない収容室で静かにしているだけだった。どちらにせよその総数は大したものじゃない。財団の保護無くしては、もう外では生きていけない存在の方が多数派だったから。
それからようやく私とハトバは最後の仕事にとりかかることにした。彼の言っていた「悪だくみ」に取り掛かることにしたのだ。
いくつかのSCiPと、何人もの人々を生かすことのできるリソースを費やしての大仕事だ。確かにこれは、こんな時にならないとできないだろう。
21██/12/24
あれはとても、とても素晴らしかった。
私たちは、初めて深く愛し合うことができた。この死んだ世界で、ただ2人だけ。
もしも酸素カートリッジが尽きるのがもう少し遅ければ、私たちは全てを忘れてあれに没頭したに違いない。そのことに関しては、少しだけ残念だ。
とはいえ重要なことは、私たちはやったということだ。その経験の数の多寡はもはや重要ではない。
それにまだ仕上げが残っている。私たちの愛を朽ち果てさせないための仕上げが。
たぶん明日が、最後の日記になるだろう。
21██/12/25
私たちはサイト-12メインビルの屋上にいる。ケチな場所だが、とにかくここからは全てが見下ろせる。バッテリー不足で服の内蔵風圧測定器は動いていないが、たぶんとても強い風が吹いているのだろう。それくらいはわかる。装置に投入する前に日記が飛ばされないようにだけ気をつける。
ずっと遠くまで続く世界の亡骸。かっ色の靄に覆われた空。かつてここが美しい青と緑の惑星だったと言って誰が信じるだろうか? かつてここでは多くの愛が育まれ、そして消えていったと誰が信じるだろうか? 私には信じられない。けれど知ってはいる。隣にいる人が教えてくれた。
素顔は、結局最後まで明かさないことにした。そんなことはどうでもいいことだから。
ビービーという、生命維持機能の不全を知らせる服の警告。こんなものがなければ、わざわざあんなものを作る必要もなかったのだけど。まあいい。
死ぬのは怖くない。死への恐れは、もう随分と前に通り過ぎてしまったから。むしろ、やっと死ねるという感覚の方が近い。私たちはよく頑張った。本当に。結局最後まで耐えたのは、恋をしている2人だけだったのだから。
それで、最後にこの墓碑銘を受け取るどこかの誰かへ。
メリークリスマス。
さようなら。