SCP-1840
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アイテム番号: SCP-1840

オブジェクトクラス: Safe

特別収容プロトコル: SCP-1840はサイト-23の中規模安全死体安置所に保管されています。SCP-1840は標準正温度遺体冷凍チャンバーに維持してください。SCP-1840が完全に特質を示す場面は観察されたことはありませんが、蘇生リスク回避プロトコルは予防原則としてこの対象に有効である。

カメラおよびマイクはSCP-1840がある冷凍チャンバーに設置されています。これらの機器は毎月の日程でチェックし、必要に応じてメンテナンスしてください。研究スタッフは分析を目的として6ヶ月以上の期間、映像および音声フィードの記録を保持してください。

少なくとも1名のモン語に堪能なスタッフを常にSCP-1840研究チームに割り当ててください。

説明: SCP-1840は身元不明のモン族男性の遺体で、死亡時の年齢は55~60歳と推定されます。SCP-1840は不均一な方式で様々な速度で連続的に腐敗し、種々の体の部分は様々な速度で様々な方法で腐敗します。温度管理された冷凍チャンバー内で継続的に保存されているにもかかわらず、SCP-1840は温暖で湿度の高い気候において典型的な軟組織の極度に急速な腐敗から、永久凍土に埋まったいくつかの遺体で観察されるような部分的なミイラ化に至るまで、様々な気候に対応した腐敗を示します。

さらに、SCP-1840は部分再生にも類似したプロセスを経ています。腐敗した組織は進行した腐敗と自己分解にまで達した後であっても再形成を開始し、分解の反転を経験します(この間にSCP-1840から染み出した液体が逆流しているのが観察されています)。SCP-1840の様々な部分は、腐敗と再生の間でランダムに変動しているように見えます。その結果としてSCP-1840は通常、一貫性のない腐敗状態にあります。手足は腐敗しているか骨格的な状態ですが、胴体および頭部は最近死亡した標本の状態と一致した状態であることが知られており、その逆の場合もあります。

SCP-1840の一部は時折、生体組織に似た状態に再生します。標本の気管、肺、および/または下頭部は相対的な構造的完全性の状態に達するとわずかながら機能を再開し、その結果として人間の発話に類似した標本から発せられる音が発生します。ほとんどの場合、SCP-1840によって発せられた音は不明瞭な呟きとして特徴付けることができます。しかし、発話に不可欠な組織の状態によってはSCP-1840はモン族の言語で認識可能な発言をすることが観察されています。これらの発声は識別可能なパターンを持っているようには見えず、SCP-1840の現在の環境や状況にも関連していません。むしろ、SCP-1840の発言は最初に回収された地方の住民が通常行うであろう日常会話の観察結果と一致しています(詳細については調査記録-1840を参照)。

神経画像検査では神経組織の状態にかかわらず、SCP-1840は常に脳の活動が再開しないことが示されています。

SCP-1840は1970年の北ベトナム軍侵攻の際の部隊の異常な動きを財団が観察した結果、ラオスのシエンクワーン県の無名の村から回収されました。淡水の泉があり尾根の上に戦略的拠点にあったにもかかわらず、紛争が進行中であった双方の戦闘員が村との接触を避けていたため、結果として近隣の谷間で北ベトナム軍と地元の民兵部隊との間で何度か小戦闘が発生し犠牲者が出ました。この地域に潜入していた財団調査員は、村の敷地が最近放棄されたことを明らかにしました。SCP-1840は村の郊外にある小屋から回収されました。調査チームが到着する約2週間前に、小屋のすぐ近くの構造物が焼失していました。

調査記録-1840: 記録された発言

備考: 全ての発言は█████研究員によって原語であるモン語から英語に翻訳されました。

日付 転写
1971年2月22日 <"今年はモンスーンの季節が早い、そう言ったかなリージ?老人はまだ(判読不能)でヤギを連れてくる。">
1972年1月2日 <"ヴューは悪党で(判読不能)その粗末な(判読不能)ガラクタと交換するのは鶏5羽までだと伝えてくれ。彼は私を誰だと思っているんだ?">
1974年8月30日 <"来年の収穫はもっと良くなるだろう。いつもそうなるんだ。">
1977年11月13日 <"旅立ってくれたことに感謝している。久しぶりだな、旧友よ。(判読不能)させて忘れさせてくれ。">
1978年5月5日 <"約束してくれ、リージよ。昔の習わしを守ると約束してくれ。お前の老父に(判読不能)のことで借りがあるんだな。今でもたまに彼に会うことがあるよ。ジャングルの奥深くで。先祖の習わしを捨て去るのは良くないぞ。">
1980年3月17日 <"これはお前の母のお気に入りだった。まだ育っているのを見るとは嬉しいものだ。">
1981年4月2日 <"この戦争は愚かだ。何週間も離れたところで何が起こるというのか? 兄弟から何か聞いたか教えてくれ、リージ。お願いだ。">
1981年7月29日 <"私は他の誰よりも柵を直すことができるんだよ、スーア。もちろん、その牛には前から目を付けていたよ。">
1981年8月2日 (長期間に渡る解読不能な発声、動揺や叫び声ではないかと推測されている)
1981年8月3日 <(判読不能)目が見えない、私が言えるのは(判読不能)お願いだ、彼を見つけてくれ。誰か見つけてくれ。(判読不能)にはいないんだ。">
1981年9月15日 <"私の人生で一番幸せな日だ。">
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