アイテム番号: SCP-1873-JP
オブジェクトクラス: Keter Safe Neutralized
特別収容プロトコル: N/A
説明: SCP-1873-JPはGOI-012"マーシャル・カーター&ダーク株式会社"、およびGOI-565"無軌条転輪La Roue de Fortune"1によって制作された、全高約1.7mのおおよそ人型の青銅製彫像です。その頭部・胴体部・脚部はかろうじて人の輪郭をとった(おそらくは意図的な)乱雑さで彫り込まれ、年齢・性別・人種などの外見的特徴を推し量ることを不可能としています。対照的にその両腕部は極めて精緻な造形が施され、この対比はモデルとなった人物の技術や業績に対する純粋な礼賛を表していると財団の芸術評論家によって評価されました。
SCP-1873-JPは不明な周期で活性化し、それを可能とする機関や動力の欠如にもかかわらず自律活動を開始します。通常その行動は画一的なジェスチャーの反復や無意味に見える徘徊に留まりますが、近傍に適切な画材が存在した場合に限りそれを用いた創作活動が開始されます。収容後の初期実験で得られた4つのキャンパス油彩画(SCP-1873-JP-4~7)にはいずれも異常性質が認められ、その絵画技法はPoI-4636"カロリーナ・カセレス"のそれと一致します。現時点でSCP-1873-JPとの意思疎通の試みは成功しておらず、オブジェクトが有意な知性を有しているかは不明です。
発見: SCP-1873-JPは2000年、MC&D社の関連施設へ機動部隊μ-3が踏み込んだ際、複数のアナート作品(SCP-1873-JP-1~3)と共に回収されました。現場には無数の未知の紋様で構成された儀式的な形跡が残されており、SCP-1873-JPは異常な手段を用いてPoI-4636の絵画技法を移植されたか、高精度で再現されたものと考えられています。
回収された文書:
以下の文書はSCP-1873-JPの起源に関する言及と推測される、無軌条転輪メンバー"アルバート・フーバー"およびMC&D社員"ルイス・バートン"の間で交わされた書簡の転写です。
ルイスへ
僕がこの旅を行うにあたり、様々な便宜を図ってくれたことに心から感謝している。そして旅についての報告が遅れたことを謝罪したい。帰国してからしばらくはひどく気分が落ち込んで、ペンどころか鑿すら持つ気分になれなかったのだから、どうか容赦願いたい。
結論から言うと、カーラへ最後の別れを告げるという当初の目的を果たすことは叶わなかった。君が指定した教会、その小さな聖堂で見えたもの……それを僕はカーラと見なすことができなかったからだ。そこにはただ聖母像染みた面影があるのみで、それ以外カーラと呼べるものは何一つとして残されていなかった。それは既に形を同じくする肉の塊でしかなく、病に蝕まれていく彼女から目を逸らし、遠ざけ続けた僕はそんな当然のことにも実際目の当たりにするまで気付けなかった。
もはや彼女と想いを交わすことは叶わず、その指先が鮮やかな世界を描き出すこともない。我々にとってそれは耐えがたい痛手だ。世界は色彩の一つを欠き、かつての瑞々しさを失った。若き日に抱いた未来への展望、そして情熱の一部は彼女とともに消え去り、それが戻ることは二度とないだろう。
カーラのいない世界で、僕たちはどこに向かって進めば良い?
親愛なるアルバート君
私が余計な気を回したばかりに、かえって君に辛い思いをさせることになりましたね。我々もまた、偉大な画家の喪失を前に悲しみに暮れるばかりです。心ばかりで恐縮ですが、慰金として小切手を同封させました。僅かでもあなたの心を癒す助けとなれば幸いです。
カーラと初めて出会った日のことは今でも鮮明に思い出せます。1963年の春、カルスの牧羊地 私は小山ほどもある毛玉を見ました。カーラのキャンバスは、完成を目前に周囲の丘陵を丸ごと地に根付く羊毛へと置換したのです。その中に埋もれた女流画家の救出のため若い衆が駆り出され、それが入社したての私の初仕事となりました。高かった太陽が稜線に触れ、そこでの100年分に相当する羊毛が刈り取られ、苦役からの逃亡を私が本気で画策し始めた頃、ようやく我々は目的のものを掘り出しました。そのとき彼女は……信じられますか? 身動きどころか呼吸することすら嫌になる毛玉の中で、作品の仕上げ作業を行っていたのです。その姿を目の当たりにし、噂に聞く美貌がどれほどかと下卑た興味を向けるばかりであった自身を恥じました。そのとき私もまた、その外殻ではなく内なる輝きに心奪われた一人となったのでしょう。その姿は彼女が生涯絵筆を手離すことはないだろうと予感させ、事実彼女は最後まで偉大な画家であり続けましたね。
だからこそ、これを彼女の終わりとするにはあまりに惜しいと考えています。
カーラが入っていた容れ物がありますね? あなたの言う通りそれは今や抜け殻でしかありませんが、そこからかつての輝き、その断片を取り出せるかもしれません。我々にはそれを成すための手段があり、経験を持ちます。あなた方からの賛同を得られたならば、一つの依頼を請け負っていただきたい すなわち、偉大な芸術家一人分の魂を納めることができる器の作製です。
その御霊は肉の軛より解き放たれ、車輪roueは再び回り始めるでしょう。カロリーナ・カセレスはその真なる価値を万人に歪みなく示す機会を得るのです。
ルイス・バートン
MC&D社からのSUSEOCT7に基づく返還要請を躱すため、渉外部門はSCP-1873-JP略取への関与やその所有を一貫して否定し続けました。これにともないSCP-1873-JPに関する情報は機密指定を受けましたが、間もなくMC&D社からSCP-1873-JPの奪還を目的とした攻撃が開始されました。これは収容サイトへの間諜行為や潜入工作に始まり、スタッフに向けた脅迫や買収、そして繋がりを持つ傭兵グループによる武力襲撃と、より直接的な手段へと激化していきました。
O5評議会は高まる緊張の緩和とSUSEOCT継続への懸念を理由に、いくつかの条件付きでSCP-1873-JPをMC&D社へ引き渡すことを決議しました。設けられた会談の場でMC&D社は財団が"SCP-1873-JPの捜索と発見に尽力する"見返りに、複数の収容困難案件に対しその資産とコネクションを運用する取引条項に同意しました。この協力体制が維持される限り、財団はMC&D社がSCP-1873-JPを所有することを認めるとともに、その副産物の売買も容認する協定が取り交わされました。
SCP-1873-JPの引き渡しから87日後、MC&D社から協定を解消する旨が一方的に通知されました。MC&D社はこの理由について表明を避けましたが、後に得られた情報はSCP-1873-JPを巡り無軌条転輪メンバーとの間に何らかのトラブルを生じさせていたことを示唆しました。これが原因でSCP-1873-JPはもはやMC&D社にとって重要な資産として見なされなくなったと考えられています。返還されたSCP-1873-JPは再び財団の管理下に置かれ、以降長期的な不活性状態を保ち続けました。
回収された文書:
以下の文書は無軌条転輪の古参メンバーの一人であり、創作活動から実質的に引退していた8PoI-5222"タデウス・アバカノヴィッチ"から複数のメンバーに宛てて送られた書簡の転写です。PoI-5222は投函から数日後に自宅で独居死しているところを発見され、友人を名乗る人物たち(おそらくは無軌条転輪メンバー)の手によって密葬されました。これらの出来事はMC&D社がSCP-1873-JPの所有権を放棄した時期とおおよそ一致し、その原因となったトラブルに関連すると考えられています。特筆すべき点として、PoI-5222の死後その住居に立ち入った管理人や清掃業者は室内に残された複数のオカルト的紋様跡について言及しています。
この老いぼれがペンを手に縛り付けてまでこれを綴るのは、これから私がとる行動に対する謝罪や弁明や、ましてや悔恨を表明するためじゃない。ただ私が抱いている思いから君たちが離れることで、我々の友情の間に余計なものが横たわるのは惜しいと思ったからだ。
かつて私たちは、カーラの表層的な美点に目を眩ませられ、その芸術を蔑ろにするという愚を犯した蒙昧共の所業に等しく憤った。ゆえに我々は色彩と造形による美の追求に人生を費やす芸術家でありながら……いいやだからこそ、目に見えず、耳に聞こえず、手に触れられないものにこそ彼女の価値を認めた。その人格、知性や気高さ、そして培われた技術と能力……脳内の電気信号と神経伝達物質から生じる化学反応すら超える無形の輝きこそカロリーナ・カセレスという存在の真実であり、すべてであり、それ以外は見る者の目を曇らす欺瞞だと
本当にそうか? 形の無いすべてが移ろい失われたとして、残されたものの中に尊いものは何もないのか? 私はそうは思わない。人間とは、生きるということは、決してそれだけではないはずだ。今もその手は温かく、胸は脈打ち、その双眸は変わらず私たちを見返している。私たちが彼女に寄り添う理由など、それだけで十分なはずだろう。
形あるものはすべて朽ち、魂さえひとところに留まり続けることはない。私も彼女も、いずれは在るべきところへ向かうだろう。だからそれまで どうかお願いだ。彼女から何も奪わないでやってくれ。
後の調査は、PoI-5222が頻繁に訪れていた医療介護施設と、そこでPoI-5222の死に前後し原因不明の昏睡状態から回復を果たした████・███████という名の身分を示す老年女性(PoI-1873-JP)の存在を明らかにしました。PoI-1873-JPの経歴からは異常との関りや目立った瑕疵は見いだせなかったものの、不自然な孤立によってその実在を証明する第三者の存在を欠いていました。その身元の正当性について本人に直接問い質すことも、1998年の施設入所の時点で重度に進行していたアルツハイマー型認知症のため不可能でした。
PoI-1873-JPは以後の施設生活の中で千点を超える絵画作品を制作しましたが、その中から異常性質を示すものは発見されず、また有意な技法的特徴を見いだそうとする試みもその稚拙さゆえに失敗に終わりました。その素性の真偽が確かめられないまま、発見から4年が経過した2005年、PoI-1873-JPは誤嚥性肺炎によって死亡しました。
PoI-1873-JPの死からほどなく、SCP-1873-JPの活性化が再収容以来初めて確認され、観察のため画材の提供が許可されました。SCP-1873-JPは最適化された画材提供との間に頻繁な齟齬を引き起こしつつも、約220時間かけ若干年若いPoI-1873-JPをモデルにしたと思しき肖像画(SCP-1873-JP-8)を描き上げました。SCP-1873-JP-8から見い出された絵画技法はPoI-4636のそれと異なり、むしろPoI-5222との類似が指摘されました。この活性化事例を最後にSCP-1873-JPは如何なる活動の兆候も見せることがなくなり、既定の観察期間を経てNeutralizedクラスへと再分類されました。