通達
1945年実施の第一次SCP-1941-JP収容対策会議に於いて採択された規律文書"零"、及び下に引用されている規律-甲に基づき、現時点での本報告書閲覧はセキュリティクリアランスレベル5/1941-JP及び財団忠誠心評価テストAAAランクを取得した職員に限定されています。下記規律に違反し適切な資格なく指定期間外に本報告書の閲覧を試みた職員には、ミーム抹殺エージェントを含んだ文書提示による即時終了が実施されます。閲覧権限確認のため職員コード及びパスワードを入力し認証を行ってください。
規律-甲: 20██年██月██日以前に本報告書閲覧が許可される職員はセキュリティクリアランスレベル5/1941-JP及び財団忠誠心評価テストAAAランクを取得した者に限定されています。本報告書の特別収容プロトコルについては、20██年██月██日に非活性化プロトコルへの動員が確定しているセキュリティクリアランスレベル3以上の職員へ通達されます。
認証に成功しました。SCP-1941-JP報告書を開示します。
アイテム番号: SCP-1941-JP
オブジェクトクラス: Keter
特別収容プロトコル-甲: SCP-1941-JPは現在サイト-8100の地下に設けられた特別収容室に設置されています。サイト-8100への立ち入りは本報告書を閲覧可能な人物のみに限られ、施設の警備には機動部隊い-0"零号部隊"のみが当たります。未資格者によるサイト-8100への接近が確認された場合、機動部隊い-0には即時終了を含む対抗措置を実施することが許可されています。現在、戦闘事案対策プロトコルに基づき次回のSCP-1941-JP-1発生時に展開する軍備の拡張が進められていますが、現在の研究担当職員を除く本プロトコル実施要員については、情報漏洩防止の為2040年12月08日まで当人が本プロトコル実施に携わるという事実を隠蔽し、2040年12月08日になった時点でSCP-1941-JPの所在に関する偽造情報が含まれた下記の"特別収容プロトコル-乙"を"特別収容プロトコル"として通達してください。
特別収容プロトコル-乙: SCP-1941-JPは現在サイト-8181地下第9層の特別収容室に設置されており、特別収容室にはセキュリティクリアランスレベル5/1941-JPを持つ職員7名の許可が必要となります。本収容プロトコルが通達された職員は別紙に記された部隊に配属された上で、SCP-1941-JP-2の非活性化プロトコルに向けた訓練を実行してください。SCP-1941-JP-1の出現が確認された場合担当職員はSCP-1941-JP-1内部に派遣されプロトコルを実施しますが、詳細については部隊長であるセキュリティクリアランスレベル5/1941-JP所持職員の指示に従って実行してください。
説明: SCP-1941-JPは9つの構成要素が連結された機構です。全ての構成要素は鉄製であり、9つの構成要素のうち棺を象ったと思われる8つの構成要素について、ミイラ化した人体らしき物体が入っていることが非破壊検査により確認されていますが、各構成要素を分解し内部機構を確認する試みは全て失敗に終わっています。残り1つの構成要素は後述する異常性を発現させるための操作機構であると推定されており、外部動力などを必要としないことが確認されています。
SCP-1941-JPの異常性は操作機構で対象日時を設定した上で、操作完了のためのスイッチを押した段階で発現が確定すると推定されています。上述の発現プロセスが完了した場合、対象日時に発生した国家間戦争・内戦等の戦闘行為(以下"対象戦闘"と指定)に関して次に述べる異常プロセスが発生します。この戦闘行為の選定基準に関しては不明な点が多く、2つの戦闘行為が発生した日を設定した場合どのような形で対象戦闘が選ばれるのか、個人間戦闘が対象戦闘に選ばれるのか等の検証パターンが考えられますが、異常プロセス及びそれに起因する大規模過去改変の誘発が考えられため、SCP-1941-JPの起動に関する実験等は全て禁止されています。
異常プロセスの第一現象は対象日時の100年後に、対象戦闘が展開された地域におよそ2箇所の時空間異常が発生するという形で始まります。この時空間異常領域はSCP-1941-JP-1と指定される時空間に接続されており、24時間接続した状態を維持します。この時点では我々の存在する時空間とSCP-1941-JP-1の間は自由に行き来することができ、兵器及び人員を輸送することが可能です。SCP-1941-JP-1内の時空間は対象戦闘直前の状況がそのまま再現されているとみられています。
第二現象は時空間異常が発生してから24時間が経過した段階で開始します。この現象中、対象戦闘に参加したと記録されている軍隊所属の兵器及び人員がSCP-1941-JP-1内に発生し、戦闘を開始します。このうち対象戦闘で本来敗北したと記録されている軍勢をSCP-1941-JP-2と指定します。SCP-1941-JP-2側の兵器及び兵装は全て異常プロセス発現時点、つまり対象日時から100年先の技術で製造された物に換装されており、本来勝利した側の兵器及び兵装は全て対象日時当時の技術で製造された物を維持しています。そのため外部からの助力がない場合、兵器兵装の技術力の差からSCP-1941-JP-2が勝利する可能性は極めて高いと考えられます。
第三現象はSCP-1941-JP-1内での戦闘でSCP-1941-JP-2の勝利/敗北条件が達成された時点で発生します。この時点でSCP-1941-JP-1と我々の存在する時空間を繋ぐ時空間異常領域が再発生し、外部から侵入した人員はこの時点でSCP-1941-JP-1からの脱出が可能となります。再発生した時空間異常領域は24時間その状態を維持し、その後消滅します。SCP-1941-JP-2の敗北条件が達成された場合その後の異常性は確認されていません。一方収容開始時点から現在までSCP-1941-JP-2の勝利条件が達成されたと考えられるケースは1回のみですが、このケースから推察された結果としてSCP-1941-JP-2が勝利条件を達成した場合、我々の存在する時空間において「対象戦闘で勝利したのはSCP-1941-JP-2側である」という大規模過去改変が発生します。本ケースについては後述する収容経緯及び戦闘事案1941-2を確認してください。
収容経緯: SCP-1941-JPの存在については1645年、蒐集院と徳川家による共同作戦実施時に発見されたというものが最古の記録となっています。本共同作戦は「先に行われた"関ヶ原合戦"において敗走した西軍諸武将及びその臣下が異常性のある物品を使用し幕府襲撃を企てている」という情報を得た徳川家が、寺社奉行を通じ蒐集院に協力を要請し実施されたものです。この作戦においてSCP-1941-JPを含む異常性物品の起源及び使用法を聞き出すことも目的の1つとされ、襲撃を企てた人員の捕縛が試みられましたが、関係者全員が捕縛前に自決または失踪したため現時点でもSCP-1941-JPの起源は不明のままです。ただしSCP-1941-JP回収時点で操作機構に表示された対象日時が1600/10/21とされており、調査の結果この日時が太陽暦で関ヶ原合戦が行われた日時を指すと確認されたため、太陽暦を知る人物がSCP-1941-JPの設計に関わったという点はこの時点で確実視されました。
その後数十年SCP-1941-JPとの関連が疑われる異常性は発現されませんでしたが、太陽暦1700年10月21日、関ヶ原で時空間異常領域が確認され、戦闘事案1941-1が発生しました。次の資料は蒐集院によって残された当事案に関する資料から作成されたものです。
戦闘事案1941-1 - 1700/10/21
結果: SCP-1941-JP-2の敗北条件を達成。過去改変の阻止成功。
経緯: 関ヶ原に駐在していた蒐集院構成員及び徳川家家臣が外部からの助力として東軍に加わり、西軍であるSCP-1941-JP-2と対峙。武器については17世紀中大きな技術革新がなかったことから両軍ほぼ同等のものであったと記録されているが、SCP-1941-JP-2の構成人員については当時の西軍諸武将の子孫と思われる人員が加わっていたと記録されているため、他の時空間異常領域から侵入したものと思われる。戦闘開始後に蒐集院構成員が小早川秀秋離反の再現を試みこれに成功、その後石田三成が逃走したとの一報が入った後に時空間異常領域が再出現したと記録されている。
これ以降蒐集院は幕府の援助を受ける形でSCP-1941-JPの収容及び調査を続行しましたが、19世紀中頃に倒幕の動きが見られた段階で蒐集院は倒幕後の徳川家によるSCP-1941-JPの利用を防ぐため、この援助を断ったと蒐集院から回収された資料に記されています。その後政治的中立性を保っていた蒐集院ですが、明治政府が誕生した後はSCP-1941-JPの存在を秘匿した上で改めて政府からの援助を受けオブジェクト収集及び研究を続行していたことが判明しています。
第二のSCP-1941-JP起動事案は1877年に勃発した西南戦争の直後に発生しました。本事案は蒐集院に所属する旧薩摩藩出身の構成員を中心として結成されたグループの襲撃を受け発生したものであり、襲撃に関する報告書では「グループメンバーの一人を該当蒐集物(注:SCP-1941-JP)の収容室で射殺、操作機構には西南戦争発生時の日時が表示されていたが、操作が完了していたか否かは不明」と記されていました。そのため西南戦争に関してSCP-1941-JPによる異常性が発生する可能性が懸念されており、1945年に財団と蒐集院の統合が成された際も本オブジェクトによる過去改変の危険性が提唱され1977年の戦闘事案発生に向けて軍備拡張が行われました。しかし1964年、突如鹿児島湾にSCP-1941-JP-1が発生、戦闘事案が発生しました。
戦闘事案1941-2 - 1964/08/15
結果: 不明。本事案について財団側では薩英戦争の再戦がなされるとして「薩摩藩側に助力せよ」という司令を出したと記録されているが、実際に戦闘を行った部隊及び同行した研究員は「英国側に助力せよとの司令が下されたが、英国側が事実上敗北した」と証言。仮に「薩摩藩側が英国船の撃退に成功する」という我々の知る歴史が正しいものであるとすると、先の起動事案で薩摩藩出身の職員がこの戦争を対象とする理由が考えられないため、起動に関する事実を含め過去改変が発生したと判断された。また発生が確定している2件の戦闘事案について確実に勝利できると断言できないため、オブジェクトクラスのKeterへの再分類が申請・承認された。
経緯: 時空間異常領域は湾内に発生し、全職員は財団所属船に搭乗し進入。戦闘においては薩摩藩側がSCP-1941-JP-2となり、陸上戦闘機・陸上攻撃機を多数展開、湾内に設置された陸上基地からの直接砲撃と合わせ英国船・財団所属船への攻撃を開始。財団所属船も艦上戦闘機及び艦上攻撃機・爆撃機を展開し応戦するが、英国船が被弾・中破した段階で湾外への撤退を開始、戦闘区域を離脱した時点でSCP-1941-JP-1が再発生した。
備考: 我々の知る歴史では「薩摩藩は英国船の撃退に成功するが、武力による攘夷行動の限界をこの時点で認識し倒幕運動に加担する」とされているが、部隊員は「薩摩藩は英国船の撃退に失敗したことで、武力による攘夷行動の限界を認識する」という歴史を辿ると証言。それ以降の歴史について大きな相違は存在しないと部隊員は証言している。また本事案については突発的に発生したものであったため米国本部へ救援を要請、実際に救援部隊が鹿児島湾まで派遣されたが、進入に成功したのは日本支部の船舶及び日本支部職員、及び本部所属の日本人職員のみであった。そのため本オブジェクトで戦闘に参加することができるのは日本人及び日本で生産された兵器に限られている可能性が考えられたが、この点についての実証実験は戦闘事案1941-3で行われた。
上述の戦闘事案は資料中に記された通り薩英戦争の再戦であり、財団が発生を予想していた西南戦争の再戦ではありませんでした。西南戦争の再戦は1977年に予定通り発生しています。
戦闘事案1941-3 - 1977/02/15
結果: SCP-1941-JP-2の敗北条件を達成。過去改変の阻止成功。
経緯: 時空間異常領域は鹿児島及び熊本に1つずつ発生、本戦闘では官軍の保護も優先事項とされていたため熊本からの攻略を開始。SCP-1941-JP-1はおよそ九州全土に渡り、SCP-1941-JP-2が熊本城まで侵攻した状態で戦闘が開始された。戦車・装甲車中心のSCP-1941-JP-2に対し財団部隊は爆撃機による空襲を決行、熊本城周辺地域の奪還に成功する。SCP-1941-JP-2の全軍撃破は困難であると考えた財団部隊は、SCP-1941-JP-2の敗北条件達成のみを目指す方針に切り替える。SCP-1941-JP-2の敗北条件が「西郷隆盛の死」であると予想した財団部隊はSCP-1941-JP-2本営への電撃的襲撃を開始。この時点でSCP-1941-JP-2はゲリラ戦を仕掛けており襲撃部隊は苦戦したものの、官軍による1877年当時の九州地理に関する助言によって本営襲撃に成功、敗北条件を達成した。
備考: 先の戦闘事案で存在が明らかになったSCP-1941-JP-1への進入可能条件について、本事案における実証実験では恐らく日本人・日本製の兵器であることが条件であると考えられたが、国籍や原材料などの条件については不明な点が残った。本オブジェクトは江戸時代、幕府による鎖国政策下で発見されたものであり、この鎖国政策が上述の条件設定の原因となった可能性が考えられたが、これを裏付ける資料は当時の蒐集院資料などからは確認されておらず推測の域を出ていない。
そして第三の起動事案は太平洋戦争終戦直後、蒐集院及び財団を対象とした負号部隊による襲撃中に発生したことが疑われています。終戦直後、蒐集院は財団へ吸収されるにあたり構成員及び収容中オブジェクトの引き渡しを行っていましたが、この際に発生した命令系統の一時的混乱や収集情報の散逸等の事態に乗じ負号部隊の残党による全面的襲撃・本オブジェクトの強奪未遂が発生しています。財団機動部隊によって強奪の阻止は成功しましたが、現在の負号部隊残存勢力の行動及び拠点からの回収文書を見る限り、起動プロセスが既に完了していること、異常プロセス中におけるSCP-1941-JP-2への加担を画策していることはほぼ確実であると考えられます。
日本支部理事"獅子"による提言
諸君、我々は戦わねばならない。
諸君らはもう、何故この日本に日本支部などという大層な機関が生まれたのか、何故財団への忠誠心が報告書の閲覧条件にあるのか、何故大多数の職員に偽装された収容プロトコルが通達されるのか、その理由がわかるだろう。そして困惑している者もいるかもしれない。例え財団に忠誠を誓った者であっても。だが君らの困惑を振り払うために、私はここで改めて宣言しよう。我々は、我々の手で、この国の虚構たる勝利を止めなくてはならないのだ。
諸君らが知っている通り、この国は1945年、戦いに敗れた。それは日本の歴史を最も大きく変え、そして日本の新たな出発点になったと言えるだろう。
負号部隊の連中は、日本の敗北に納得がいかず事を起こしたのだろう。もしも奴らが起動に成功していた場合、我々は恐らく2041年に、少なくとも2045年までに必ず動かなくてはならない。一方で多くの者が一度は「もしも日本があの時勝利していたら」と考えたことがあるだろう。そして恐らくそれは日本が現在よりも栄光たる国であるか、或いは現在よりも恐怖たる国であるかといういずれかの想像に繋げたのではなかろうか。
もし我々が敗れた場合、つまり1945年に日本が勝利したという過去が発生した場合、その後の世界はどうなるだろうか?日本は現在よりも栄えているだろうか?それとも衰えているだろうか?答えは単純だ。"わからない"のだ。
もしかすると日本は栄光たる勝利の恩恵を100年間享受するかもしれない、あるいは日本が別の戦火に巻き込まれ100年後には荒廃しているかもしれない。そして最も恐ろしい未来は、日本が、世界が、文明が崩壊している未来だ。
「文明が崩壊?何を根拠に?」などと思うかもしれないが、歴史の選択に根拠などあるのだろうか?一本の細い白糸のように続いてきた人類の歴史、その白糸の道筋に関して見出だせる根拠など結果論でしかない後付のものであり、所詮その時の運、数多ある選択肢の中から偶然選ばれた道筋の積み重ねこそ我々の知る歴史なのだ。
そう考えれば、1945年に日本に提示されていた数多ある選択肢の中のどれに白糸が導かれるか、そもそも我々の知らない選択肢の先に何があるか、"わからない"と言わざるを得ないだろう。であるならば、最悪のケースとして"K-クラスシナリオが発生した後の2045年"への歴史改変は想定しなくてはならない。先ほど困惑した者がいるだろうと述べたが、それは恐らく「敗戦の歴史を守らなければならない、日本をもう一度敗北の道へ、自らの手で落とさなければならない」という思いからであろう。
だが我々は、財団職員なのだ。SCiPを他の人類から遠ざけ、彼等の知らないうちに彼等を守らなければならない。この世界を守らなければならない。そしてこの"人類が滅びていない歴史"を、守らなければならない。我々は幸運にも未だ滅びていない歴史を歩めている。我々はこの儚くも確固たる一筋の歴史を、絶対に手放す訳にはいかない。日本の敗戦を取り消すという一か八かのギャンブルに、全人類の命運を賭すわけにはいかないのだ。
歴史に"もしも"は許されない。我々には先人が遺したこの歴史を、維持する以外の道はない。
我々の戦いは、既に始まっているのだ。
諸君、勝利せよ。
1945年12月8日
日本支部理事"獅子"、戦闘事案対策プロトコル"再戦"総責任者として、ここに印す。