SCP-1957-JP
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アイテム番号: SCP-1957-JP
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攻撃行動に移ったSCP-1957-JP-A。

オブジェクトクラス: Keter

特別収容プロトコル: SCP-1957-JPに関する情報は、担当研究主任及びアメリカ国防総省情報管理部の担当主事の検閲と決済を受けて開示されます。

アメリカ国防総省と連携し、太平洋に存在する全ての米海軍所属の船舶を監視します。SCP-1957-JP-Aによる被害が発生した場合はカバーストーリー『テロ・海賊の脅威』を流布し、被害を受けた米海軍の船舶に偽装を施すとともに、異常存在を目撃した乗組員に対して記憶処理を施します。また、太平洋上に指定された海域: 1957-JPへのあらゆる船舶・航空機の侵入を阻止するため、哨戒艇2隻による哨戒を常時行います。

毎年8月15日に太平洋上の海域: 1957-JPに11名以上の特殊技能要員を派遣し、SCP-1957-JP-Bに侵入させた後、プロトコル『プレイボール』を実行します。プロトコルの実行を中止することはできません。プロトコルに民間人が参加する場合は担当研究主任とアメリカ国防総省情報管理部の担当主事の決済を受け、実行後に記憶処理を行います。

SCP-1957-JP-B内部での発砲その他火器・兵器類の使用は禁止されています。

説明: SCP-1957-JP-Aは太平洋上の[編集済み]に存在する、海域: 1957-JPから飛来する全長4mから6mのオブジェクトです。SCP-1957-JP-Aは太平洋戦争中に日本が開発した小型の飛行機械に似た形状をとっており、海域: 1957-JPの上空の雲の中から発生します。SCP-1957-JP-Aは海域: 1957-JPから平均120m/sで飛翔し、海域近くで作戦行動中のアメリカ軍所属の船舶に衝突します。偽装船舶などによるSCP-1957-JP-Aの誘導には成功していません。飛行中のSCP-1957-JP-Aを破壊した場合、離散した破片は海上に落下すると同時に消失し、その地点から最も近い雲の中から同一のSCP-1957-JP-Aが出現します。このプロセスはSCP-1957-JP-Aが船舶に衝突するまで繰り返されます。SCP-1957-JP-Aが発生する過程を観察する試みは失敗しています。

海域: 1957-JPからは、毎年8月15日までを1つのサイクルとして、年間1体から最大で250体のSCP-1957-JP-Aが出現しています。SCP-1957-JP-Aの主な攻撃対象はアメリカ軍の作戦活動中の船舶ですが、SCP-1957-JP-Bへのアプローチの結果次第で対象が変化する事が確認されています。現在までに各国の軍・民間船舶・米軍の指揮指令所などがその脅威に曝されていますが、対象の選定基準には不明瞭な点があります。

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SCP-1957-JP-Bの元になったと思われる野球場。写真は1991年に再建された直後のもの。

SCP-1957-JP-Bは海域: 1957-JPに指定された空間内に広がる異空間です。SCP-1957-JP-Bには日本の運動競技場に似た施設が存在しています。施設のすべての出入り口は封鎖されており、施設より5m程度外縁に存在する不可視の壁に阻まれるため、その外部に出る事はできません。高所から施設外部を観測した場合、1940年代と思われる日本の街並みが観測できますが、人が生活している様子はありません。

SCP-1957-JP-Bへは、航空機あるいは船舶を用いて9人以上の人間が同時に海域: 1957-JP内に入る事で侵入できます。海域内に侵入した航空機あるいは船舶は、電子・光学的な探査を阻む霧状の物質に包まれた後、外部からは消失したように見えます。

SCP-1957-JP-CはSCP-1957-JP-B内部に存在する30程の人型実体です。実体は青年の日本人男性に似ており、衣服は作業着・学生服・航空服など様々ですが、全て1940年代に一般的に認知されていた物です。全ての個体は野球・ベースボールと呼称される球技に必要な物品、それぞれ固有のバット・グローブなどを所持し、SCP-1957-JP-Bに侵入した直後では運動競技場中央部に整列しています。SCP-1957-JP-Cは通常顔があるべき部分が黒く変色し、目や鼻などの感覚器が存在しません。意志の疎通を図る試みは現在まで成功しておらず、光刺激や音響刺激にも無反応です。空間内部に侵入した人物がSCP-1957-JP-Cの前に整列すると、SCP-1957-JP-Cが空間各所の野球における選手、審判、控え選手が待機する位置へ移動します。この状態でSCP-1957-JP-Bに侵入した人間の一人がバッターボックスとみられる白線内に入ると、競技場全体にサイレンが鳴り響きイベント『SCP-1957-JP』が開始されます。

イベント『SCP-1957-JP』は20世紀前半における日本の硬式野球の競技規則に準じた試合です。対戦は異空間SCP-1957-JP-Bに侵入した人間と、SCP-1957-JP-Cの間で行われ、SCP-1957-JP-Cの余剰人員が審判など試合進行の補助を行います。イベント『SCP-1957-JP』は8月15日から翌年のその前日までに1回のみ発生し、内部での試合の結果がSCP-1957-JP-Aの脅威度に影響を与えます。詳細は補遺1に示す調査記録を参照して下さい。
 
プロトコル『プレイボール』は米軍の[編集済み]部隊及び財団職員から選抜される、野球に関して専門的な技能を有する人員によって施行されます。当該プロトコルに民間人を参加させる場合は、調査試験の終了後に記憶処理を受けさせます。SCP-1957-JP-Aはイベント『SCP-1957-JP』の結果次第で脅威性を低減させることが可能である事から、当該プロトコルをもってイベントの進行に協力すると同時に、脅威度の低減に貢献する施行方法を調査します。
 
補遺1: これまでのSCP-1957-JP-Bへの調査と、プロトコル『プレイボール』の施行について。
1950年8月18日にアメリカ海軍の駆逐艦[編集済み]が海域: 1957-JPに入り、その乗組員がSCP-1957-JP-B内部に侵入しました。これは意図しなかった接触であり、侵入した翌日に最初のSCP-1957-JP-Aが発生しました。当初はアメリカ国防総省が先にSCP-1957-JPに対する調査を開始し、主導していましたが、1955年以降は財団と国防総省の相互協力の下で調査と封じ込めが行われています。

財団と米国防総省の間で交わされた情報公開規定に基づき、下記以外の調査記録は機密指定され公開が禁じられています。


補遺2: 2010年8月11日、調査試験の前指揮官マクレガー元特任少佐が死去されました。現時点において、財団はSCP-1957-JP-Bに侵入可能な人員を確保できていません。SCP-1957-JP-Bへの侵入方法の研究が現在も続いていますが、有効な手立ては確立されていません。
 
補遺3: 以下は国防総省のSCP-1957-JP関連担当官との、情報共有用アドレスです。以下の回線の使用は、レベル2以上のセキュリティクリアランスを持つ職員が、担当研究主任の許可を受けた場合にのみ許可されます。
 
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      新研究員████様

      *この文書は情報公開規定に基づき、閲覧後自動消去が行われます。

      先日要望を頂いた、1973年以降の試験記録に関わる正式な報告文書についてですが、情報公開規定に抵触するため送付することはできません。
      ただし、調査試験の指揮担当官マクレガー元特任大尉の手記については、軍事的な機密に関わらない部分についてのみ、かつこの回線上においてのみですが、共有の許可が出ていますのでお送りします。
       

      第22回調査における手記:1975年実施

      親愛なる友[編集済み]と[編集済み]へ。ここには正式な報告書に書けなかったことを書く。自分の所感や推測も記すので情報としての正確さに欠ける事に気をつけてほしい。

      まず、私は私の指揮下にある小隊と、例の気味の悪い連中が呼ぶところのSCP-1957-JP-Bとかいう異空間に最初に飛ばされた時、[編集済み]な日本人共の面倒な嫌がらせじゃないかと思っていた。その異空間の中にいる人に良く似た何かはどう見ても日本人だったし、一部は軍服を着ていた。軍の中枢組織からの離脱組織かなんかの仕業だろうと。

      [データ編集済み]

      例の第3回目の調査、例の火力制圧作戦とその後の騒動があって、私と小隊は正式にこの一件の調査員として財団とか言う奴らと連携することになった。連中と調査してようやくこれが異常な現象だと納得した。

      [データ編集済み]

      どうも異空間の中にいる人に似た何かは、████で戦死した奴らだと知って、死んだ後まで面倒な連中だと思っていた。
      戦争が終わってもう10年近く経つのに、やたらこっちの船を燃やしたかと思えば、例の異空間でベースボールをするだけ。その上良い試合ができれば機嫌を良くして次の年は”攻撃”を緩める。自分勝手な連中だと。

      でもそれは多分、思い違いだったんだろう。結局30年経っても奴らは”攻撃”を続け、時には無差別に襲い、例の戦争で自分達を[編集済み]しか相手として認めない。例の異空間に入れる条件が解って、最初の調査試験で奴らをもう一度よく見直して気が付いた。

      誰もベースボールを楽しんじゃいない。

      [以下データ検閲]

      第55回調査における手記:2006年実施

      私は何もしていない。今回の調査の案を出したのもニックだ。勲章だとか特進だとかは、もし送るなら、一昨年死んだニックの墓に供えてやってくれ。

      [データ編集済み]

      気付いたのがニックだった。奴らは話をすることができない。こちらの話を理解しているかも怪しい。だがバッターボックスにどんな奴が立っているのかは把握してるらしい。憎たらしいことに、こっちの苦手なコースに投げ込んできていたからそれは間違いない。
      だから、バッターボックスに立つ人間を選べば、それでメッセージを送れるんじゃないかってな。
      何年か色々試して、上手くいかなかった。勝っても負けても、良いゲームができても次の年には元通り。そしたらニックは孫を連れてくるとかぬかした。
      専門職の一般人はともかく、子供を連れてくるなんてできる訳がない。結局ニックが生きている間その案は実現しなかった。やることになったのは、他に打てる手段が無くなって、軍縮条約で廃棄予定の[編集済み]をSCP-1957-JP-B内部で使うなんて話が持ち上がってた頃だ。結局ニックや私の親類、5歳から18歳まで12人、財団の日本支部でも協力者を募って4人。試験後記憶処理を受けさせる同意書を作成し、特別な練習試合だと嘘をついて連れて入った。

      [データ編集済み]

      最初はいつも通りだった。整列し、サイレンが鳴ると連中はグランドの各所に散らばる。子供をバッターボックスに立たせれば全員三振。マウンドに上がったニックの孫は滅多打ち。3回裏で30点差になった。
      今回も失敗だと思った。
      後の記憶処理の事も考えて早めに切り上げるつもりでいたが、ニックの孫が泣きながら駄々こねたおかげで1回分遅れた。奴の負けず嫌いの血筋に感謝しないとな。

      4回の表から奴らの様子が変わった。マウンド上の奴らの一人が、ボールを下手で投げるようになった。
      ゲーム中、わざとエラーする奴も出てきた。
      走塁はランニングのようにゆっくりになった。
      8回には点差も追いついて、そこからは連れてきた日本人の子供が連中のチームに混ざってゲームをした。
      ニックの孫らも最後の方は楽しそうにやってたよ。連中はどうだったか、よく解らなかったが。
      最後はニックのボール球を、誰が見てもわかるクソボール球を、大仰にフルスイングで打ちに行って、ゲームセットのサイレンが鳴った。
      サイレンは、いつもより長く鳴っていた。それは私たちが外に出されるまでずっと鳴り続けていて、連中は皆、何もない空をずっと眺めていた。

      SCP-1957-JP-Aが攻撃してこないのは別に何かが変わったわけじゃない。何も解決してないし、解消していない。

      ただ、なんとか折り合いがつけられたんだろう。

      SCP-1957-JP-Aは2006年の調査試験以降、攻撃を中止していると見られます。
      現在も年に最低1機はSCP-1957-JP-Aが海域: 1957-JP上に発生しますが、洋上のあらゆる船舶に反応せず海域上空で旋回を続け、1時間以内に消失しています。

 

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