SCP-1976
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アイテム番号: SCP-1976

オブジェクトクラス: Safe

特別収容プロトコル: SCP-1976はサイト77のSafeクラスSCP棟内にある標準的ヒューマノイド収容チャンバーに収容することとします。SCP-1976の収容チャンバーに進入する職員は、偶発的なSCP-1976の視認を防止するため、着色済みゴーグルを着用することとします。SCP-1976を描写したすべての画像および映像はこれまでに破棄されており、新たな画像の生成は小規模収容違反とみなされます。

説明: SCP-1976は身長およそ2メートル、体重およそ120キログラムの人型生物です。間接的に観察した場合、SCP-1976はその生成の要因になったと考えられている人物である████ ██████という名の成人男性に類似した姿で、持続的植物状態にあるように見えます。背中に英語の文章が刺青されています。補遺を参照。

思春期に到達している人間の対象者がSCP-1976を視認した場合、それが物理的な視認であるか写真やビデオのような複写された画像の視認であるかに関わらず、対象者はSCP-1976が自らが父親であるとみなす人物であり、最近重大な事故により負傷したのだという、即時的かつ永続的な確信を持つようになります。対象者らは自らの父親の状態について注目を集めようとするようになり、結果としてより多くの対象者がSCP-1976の影響を受けることとなります。SCP-1976の影響を受けた人物が本当の父親を見せられた場合、それを認識することなく他人であるかのように反応します。父親の姿を知らない、父親が死亡している、もしくは幼児期から父親と暮らしていない対象者は、影響を受けません。

複数の対象者が一度にSCP-1976の影響を受けている場合、対象者らはそれぞれSCP-1976を自分の父親であると信じるようになります。彼らは他のSCP-1976の影響を受けた対象者に対して筋道だった議論をしようとし、SCP-1976の外見に関する自身の理解をもとに説得を試みます。こうした試みは例外なく失敗に終わり、対象者はSCP-1976を実力で獲得しようとし、時にはそれを達成するためにより高位の権力に接触することもあります。

SCP-1976は1976/9/17、ある地方の病院におけるSCP-1976による大規模な騒乱事件を財団職員が察知した際に発見されました。SCP-1976の起源に関する調査において、SCP-1976はウェストバージニア州ハンティントンにある住宅の住所から当該病院に運ばれたことが判明しています。当該住所からは関連文書が回収され、近隣住民および家族には記憶処置が実施されました。

補遺: この文章は、SCP-1976の回収より2か月前、脳腫瘍により死亡した元教員であるアラン██████により作成されたものと考えられています。この個人となんらかの要注意団体との関連についての調査は実質的な証拠を得るに至っていません。しかし██████氏が失神交響楽と関係があった可能性があります。

私は子供たちのためにそこにいたかっただけなのだ。彼らはあまりにも若すぎる。ジェスは13、リズは12になったばかりだ。私は彼らが成長した後も父親のある子であってほしかった、そしてマーガレットには伴侶のある妻であってほしかった。腫瘍について知ってから、私はできるだけ多くの時間を家族と過ごそうとした、そして実際にそうした。この数か月、私たちは今までにないくらい親密になった。だが私の頭の調子は悪くなるばかりで、いっしょにいられる最後の時間が近付いてきていた。彼らには古い思い出や写真よりも価値あるものが残されて然るべきだった。

私はそれを、若い頃から取っておいたものから作り始めた。昔と比べれば十分なものではなかったが、やらねばならなかった。火葬場から死体を持ってきた。そこで働いていたことがあったから、入り込むのは難しくはなかった。待った、これを書いていると頭が痛くなってきた。耳鳴りがする。大きくはっきりと。耳鳴りじゃない。子供たちがどんな風に歌っていたのか聞こえる。

それをやる時間はあまりなかった。おそらくそこが問題だったのだ、あまり時間をかけられなかったことが。それがあるべきものとなったかどうか確認ができなかった。しかしあれ以上時間をかけていたら、破壊されていたかもしれなかったのだ。

それを家に持ってきたとき、私は緊急作業員として、事故現場から「アラン」を連れてきたのだと言った。それはでたらめだったが、あの効果が矛盾を埋め合わせてくれるはずだった。リズとジェスにあれを見せたとき…あの子たちはパパはどこなのかと聞いてきた。そしてマーガレットは、それが彼女の父親であると思っていた。彼らは自分の父親がどこにいるのかと聞いてきた、私は何も言えなかった、そして彼らは泣き始め、私も泣き、立ち去るしかなかった。戻ることはもうない。私は彼らから父親というものを永久に奪い去るつもりなどなかった。ただ子供たちのためにやっただけなのだ。

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