アイテム番号: SCP-2115-JP
オブジェクトクラス: Safe
特別収容プロトコル: SCP-2115-JPはサイト-8149の低脅威度物品収容ロッカーに収容されます。実験にはセキュリティクリアランスレベル3以上の職員1名以上の許可が必要です。
説明: SCP-2115-JPは石膏で作られた男性の胸像です。台座を合わせて高さ1.8mであり、顔の特徴からモンゴロイドの男性をモデルにしていると思われます。また、両目の部分には人間の眼球がはめ込まれていますが、それらは一切死後の人間に見られる症状や劣化の兆候を示していません。
SCP-2115-JPの顔面を視認(写真や映像などの間接的な手段を含む)した人物は能動的に、とりわけ当該人物が趣味として取り組んでいる物事に対して、以前よりも顕著に高い意欲を示すようになります。この影響の強さは時間の経過に伴って増大していくことが明らかになっており、視認から半年から1年ほど経過すると、起床時は常にこれらのことを考えるほどになります。また、影響を受けた人物と1ヶ月程度に渡って継続的に接触することで、SCP-2115-JPを視認する方法によらず他者に伝染することも確認されています。これらの精神影響は全てAクラス記憶処理によって解消することが可能です。
SCP-2115-JPは要注意団体「Are We Cool Yet?」に所属するPoI-81-598(″吉岡譲″)の活動拠点を襲撃した際に回収されました1。しかしながらPoI-81-598の確保には失敗したため、現在も行方を調査中です。
補遺1: SCP-2115-JPの眼球を解析したところ、PoI-81-598を中心とした超常芸術サロンの構成員である成宮雄太氏のものであることが判明しました。以下は成宮氏の自宅を調査した際に押収された、異常物品の抜粋です。
注:それぞれの物品には金属製のプレートが取り付けられており、成宮氏によるものと思われるコメントが付されていました。また、いくつかの物品の付近には別の人物によると思われる作品への評価が記載された手紙が置かれていました。
特徴: 機構自体は市販品と一切の差異が見られない懐中電灯。屋外で地面に照射すると、様々な品種のイエイヌ(Canis lupus familiaris)やイエネコ(Felis catus)の影が現れる。
コメント: 人間のエゴの産物はあなたの足下にも。彼らは何を思う?Are We Cool Yet?
評価: それらしき要素を受け手に押し付けただけ。それこそエゴイスティックだ。
特徴: アルミニウム合金などを素材とする3台の時計と9個の鐘からなるオブジェクト。午後8時ちょうどの鐘の鳴動音を聞いた人物は自身が軽い風邪と脱水症状であると錯覚し、スポーツドリンクや経口補水液を求めて周辺の小売店に殺到する。その際、必ず不要な商品も併せて購入する。
コメント: ほんの小さな出来事から始まる乱痴気騒ぎを遠巻きに眺めるのはなんとも愉快なものだ。Are We Cool Yet?
評価: 食い合わせの良いわけでもない数多くの要素が調和することなく結合している。受け手に乱痴気騒ぎを楽しむ余裕なんてないだろう。
付記: 発見時には既に文字盤1つが鈍器のようなもので破壊され、鐘2つの舌の部分が引きちぎられた状態だった。
特徴: モルタルとコンクリートからなる人型の公園遊具を模した外見のオブジェクト。胸部に刺さる黒い杭を引き抜くと、不明な原理で摂氏およそ800度まで熱せられた水蒸気が噴き出す。
コメント: 真っ白で無味な人形だって中身は熱いかもしれない。見かけなんて露ほどもあてにならないさ。Are We Cool yet?
評価: (発見できず)
5月13日2
今日サロンへの参加が承認されたと連絡が来た。吉岡さんみたいな最高にCoolなアートを作るために頑張っていこうと思う。さしあたって、ここに創作活動関係の日記をつけることにする。5月18日
なかなか良いアイデアが思い浮かばないものだ。異常であろうがなかろうが、芸術とはある時突然降って沸いてくるものなのかもしれないし、気長にデッサンでも頑張っていようと思う。5月27日
今日は██区の図書館まで出向いて西洋美術史の本を2冊とちょっと読んだ。今まで美術に縁のある人生ではなかったから、知らないことだらけで読み進めるのに苦労した。6月2日
今日は吉岡さんの個展にお邪魔させてもらった。作品に込められたメッセージも、その表現方法も、俺の人生を変えてくれたあの日のまま。素晴らしいと言う他ない。いつかああなりたいと切に思う。
しかし、サロンの人間はもっと多いはずなんだが、やけに人が少なかったのはどうしてだ?平日だからか?6月4日
今日はおととい仲良くなった古賀君と██山にスケッチに出かけた。聞けば、俺の1週間ぐらい後にサロンに入ったらしい。年も2コ下だって言うし、これから仲良く出来たらいいな。6月18日
やっとアートのイメージが固まった。明日から早速作り始めよう。6月19日
昨日はイメージが固まったと書いたけど、作り始めると手が止まってしまう。まずどこから始めればいいのかも、表現したいことを表現するのに何が必要なのかもイメージできてはいなかった。もう少しじっくり練ってから再開しよう。7月5日
昨日は休出終わりに古賀と飲みに行った。やっぱり古賀も作品作りには難儀しているみたいだ。それ以外にも熱い語らいをしたはずだが全く覚えていない(でも介抱を俺に丸投げしたのははっきり覚えてるからな)。それはそれとして、気の置けない友達との楽しい飲み会ってのは新鮮でいいもんだ。7月23日
毎日少しずつ、と思って進めてきたが、これは思ったよりも時間がかかるかもしれない。どこかでペースアップしないと。とはいえ残業残業はやっぱり頭が働かないな……。今はしっかり寝て夏季休暇で頑張ろう。8月14日
ちょっと時間はかかってしまったが、おおむね出来てきたと思う。あと少し。8月19日
ついに完成した。日常に見え隠れする物悲しい現実、しっかり表現できているのではないかと思う。来週吉岡さんに見てもらおう。9月12日
やっと気持ちが上向いてきた。日記なのに1ヶ月も開けてしまった。案の定というか、覚悟してはいたけど、想像以上に滅多打ちにされてちょっとばかり傷心していた。エゴイスティックか。まあ、最初はこんなものだろうと割り切るしかない。また明日から頑張るとしよう。9月23日
ブラッシュアップしようにもなかなか進むべき道が見えてこないな……。これはとりあえず寝かせて散歩中に思い浮かんだ別のアイデアに挑戦すべきなのか?10月1日
今度小規模なコンペがあるらしくて、それに参加するよう勧められた。ただ納期は今月末。ちょっと厳しいけど頑張りたいな。10月20日
全然筆が乗らない。なんとかしないと。10月27日
納期までに一定のクオリティに仕上げることが難しいと思い、今回は参加を見送ることにした。
古賀と福山と小関さん3には是非とも良い結果が待っていることを望むばかりだ。11月7日
コンペに間に合わなかったことがやっぱり悔しい。次こそ上手くいくように手の速さを上げないといけない。もっと色んな作品を見て、もっと多くの作品を作らないと。12月3日
何かしなければとは思っているんだが、あれからさっぱりインスピレーションが湧いてこない。とにかくスケッチでもしていよう。12月17日
今日はちょっと良い知らせがあった。この間のコンペで出した小関さんの作品がちょっと良いところまで行ったらしい。聞いた時の小関さんの喜び方が尋常じゃなくてちょっと面白かった。今度サロンの忘年会を兼ねて祝勝会をやろうって誘われたけど、俺はエントリーすらできなかっただけにちょっと気後れしてしまう。まあ祝いの席だし、気にしないが吉か。12月28日
今日はサロンの忘年会だった。小関さんのことで吉岡さんもすごく喜んでたし、俺も直接おめでとうって言えただけやっぱり出席してよかったと思う。
まあそれとは別に鼻につくこともあったんだが、あんまり言うべきじゃないか。今日は楽しい気持ちのまま寝よう。明日で仕事納めだ。1月1日
さて、今日から新年だ。さっき██神社まで初詣に行ってきた。今年こそ良いものを作れますように、なんてお祈りしてきたが、そもそも神頼みなんて行為自体がCoolじゃないか?まあいいさ。寒風に当たってピリッとしたところだし、早速作業に取り掛かろう。1月30日
吉岡さんがしばらく忙しくなるっていうんで作りかけの作品を見てもらったら、致命的な欠点をズバリ突かれてしまった。薄々気付いてた所だし仕方ない。しかし、これといった改善案も浮かんでこない。どうしたもんかな…。3月7日
そろそろサロンに入って1年。この間、完成させた作品が4つ、完成させられなかった作品が7つ。その他形にすることすら出来なかったナンセンスなアイデアが無数。でも評価を得られたものは一つたりとも無い。今度こそはCoolなものが出来たと思っても結果はいつも同じ。こんなんじゃ俺がここに来た意味がない。4月15日
考えれば考えるほど、筆が進まない。古賀は気を遣ってしばらくアートから離れるよう言ってくれるが、どうやらそれも無理らしい。缶コーヒーを買って飲んでいたって作品のことを考えてしまう。頑張って結果を出すしかないんだろう。5月22日
コンペの作品はとりあえず仕上がった。ただ結果が出ることを祈るしか出来ない。7月2日
現実と向き合わされる度に歪んでいく自分の顔を見るのが嫌になる。
補遺2: PoI-081-598の活動拠点襲撃の際に確保されたAre We Cool Yet?構成員3名のうち、古賀夏彦氏がPoI-81-598のサロンに所属していることが判明しました。以下は古賀氏に対して行われたSCP-2115-JPに関するインタビューの記録です。
対象: 古賀夏彦氏
インタビュアー: 氏家博士
<録音開始, 2016/11/14 13:35>
氏家博士(以下、氏家): 体の調子は変わりありませんか?
古賀夏彦氏(以下、古賀): ああ、大丈夫だよ。しっかし気持ち悪いくらいそこらじゅう真っ白だな。もうちっと遊び入れてもいいだろうに。
氏家: お気遣いありがとうございます。では、早速あなたと成宮さんの関係について教えてください。
古賀: 関係ねぇ。ナルとは吉岡さんの個展で初めて会って、あいつもサロンの仲間だってんで知り合ったよ。それからはまあ同門で切磋琢磨する友達兼ライバル、みたいな間柄だったと思うよ。
氏家: 今に至るまで変わらず、ですか?
古賀: 少なくとも俺はそう思ってるよ。一緒に創作やったりとか、月に何回か一緒に飯食いに行ったりもしてたよ。
氏家: では、成宮さん個人のことについてもお聞かせください。
古賀: 良くも悪くも、普通の真面目な奴だったよ。吉岡さんに限らず先輩の展示会とかにはかなりの頻度で顔出してたし、技術的な練習も頑張ってたよ。俺も結構頑張ってたつもりだけど、あいつには敵わなかったな。ま、俺もあいつも、未だ評価を得られるアートの完成には至っていないわけだが。
氏家: ほう。他には何かありませんか?
古賀: そうだな。あいつ、いつか2人で飲んでた時に、吉岡さんのアートに人生を変えられたって言ってた。普段は普通のサラリーマンやってたらしいけど、街中でたまたま吉岡さんの作品を見て4えらく感動したらしくて、それからアートの世界にどんどん傾倒していったらしい。別に芸大通ってたとかでもなし、勤め先も普通の商社だってのに、すげー行動力だよな。まあ奥さんもいなかったし、他に趣味があったみたいな話も聞いてないし、活力みたいなのが有り余ってたってのもあるのかも。
氏家: ありがとうございます。では次に、PoI-81-598…吉岡氏について教えてください。
古賀: お前ら吉岡さんのことそんな長い番号で呼んでんのかよ(手を叩いて笑う)。まあお前らが要注意人物とか呼んでるくらいには、AWCYの組織の中でも目立つ人だったのは間違いないよ。作品数がそこまで多いわけじゃなかったがどれも最高にCoolな一級品で、結構大規模なコンペでも賞取ったりしてた。あと、俺達後輩のこともかなり熱心に面倒見てくれる。サロンの集まりとかで技術的な指導してくれたりもするし、俺たちが作ったアートの批評もしてくれた。そりゃアートの出来不出来に関してはめちゃくちゃ手厳しかったけど、上手くいかないときも励ましてくれたり、アート関係ない相談にも乗ってくれたりして。俺に言わせりゃ要注意なんてとんでもない、人格者と言って差し支えない人だと思うよ。
氏家: そのサロンには成宮さんや古賀さん以外にも多数のメンバーがいるんですか?
古賀: メンバー自体は割といるはずだよ。全部で20…はいなかったかな?そんぐらい。まあそんだけいても講習会に顔出すメンバーなんて10人もいないいつメンだけだけど。
氏家: 半分?なぜそんなに少ないんですか?
古賀: さあ?やる気ないんじゃね?あいつらたまに展覧会に顔出したかと思えば「見識を広げる」とか言って仲間内で延々とどっかで聞いたような話してるだけだし。普段何やってんのかも知らねえ。まあ見る専のつもりでサロンに入ってきた奴もいるみたいだが、アーティストになりたいって言ってる奴にしてもいつ聞いても作品は製作途中、みたいなのは大勢いるな。まあ吉岡さんはそれに関して普段何も言わないけどさ。気にしてないのか諦めてるのかはわかんないけど。
氏家: サロン内でもグループによって活動内容や熱意は千差万別のようですね。
古賀: ま、俺は勝手にしろやとしか思ってないけどさ。奴らがご機嫌に群れてる間に俺はアートを作り続けりゃ差は開く一方だし。
氏家: ふむふむ、ありがとうございます。では最後になりますが、古賀さんは成宮さんの失踪の理由についてはご存じないのですか?
古賀: 失踪じゃねーよ。
氏家: ……やはり、あなたは成宮氏の行方を知っているんですね。
古賀: なんだよ、そこまで掴んでたから俺をとっ捕まえて尋問してんのかと思ってたが。ナルは死んだよ。自殺。そんで死体の処理をしたのが俺だ。
氏家: ……是非とも、詳しくお聞かせください。
古賀: (18秒間の沈黙)俺だってナルが死ぬことを選んだ理由の全てを知ってるわけじゃない。だから俺が知ってることだけを話す。わかったか?
氏家: はい。
古賀: 忘れもしねえ3ヶ月前の8月13日、夜の9時くらいだったか。ナルから電話がかかってきた。そしたら「今までありがとう」とかかしこまったこと抜かしやがって。さすがの俺でも嫌な予感がしたからすぐナルん家に駆け付けたが、そん時にはもう完全に脈も止まってた。愕然としてたら、机の上にメモが置いてあって、あいつの目を抉り取ってそばの石膏像にはめてくれって指示と、ごめん、ありがとうって。コイツ何回ありがとうって言うんだよって笑っちまったよ。一方的に言いたいことだけ言って自殺なんてしやがったのは納得いかねえけど、アイツの最後の願いだと思って完成させて、吉岡さんに送った。それがあんたらがSCP-2115-JPとかって呼んでるアレだよ。
氏家: なるほど…。そうなるとやはり、成宮氏が自決を選んだ理由は不明ですね。
古賀: ……許せなかったんだろうよ。
氏家: 許せなかった……、サロンの人々がですか?
古賀: それもあるんだろうが……。ナルはサバイバルナイフで左胸を深々突き刺して死んでた。最初は不思議だったんだ。死ぬだけなら睡眠薬がぶ飲みでもすした方がずっと楽に死ねるだろうし、失敗したくないってんなら首吊りでもした方が幾分かマシな死に様になるだろう。なんでわざわざごついナイフで心臓一突き、なんて方法を選んだのかなって。
氏家: つまり?
古賀: 気取った言い方をするなら、成宮雄太が許せなかったのは、成宮雄太自身なんだと思うよ。
<録音終了, 2016/11/14 15:06>
終了報告書: 後日実施された残る2名のサロン構成員へのインタビューおよびフィールド調査により、古賀氏の証言の少なくとも大部分は真実であることが確認されました。3名は現在もサイト-81██にて拘留中です。
補遺3: 成宮氏の自宅を再度調査したところ、成宮氏が自殺する直前に書いたと思われる手紙、およびPoI-81-598から成宮氏に宛てた手紙が発見されました5。原本はそれぞれ文書-2115-1、文書-2115-2として保管されています。
今俺は最後の作品を完成させる前にこの手紙を書いている。誰に送るわけでもなくひっそりと引き出しにしまっておくつもりだが。正直何がしたいのかは自分でもわからないが、遺書がてら最後に自分の思いをここに吐き出しておこうと思う。
まずはここに至った経緯から長々と書いていくことにしよう。
全ての始まりは一昨年の12月、あの日いつもの帰り道に見覚えのない男の胸像があった。作り物であるはずの男の目はあまりにも情熱的で、全くの無表情に近いはずの顔は野心に溢れていて、単なるモノでしかないはずのその胸像からは確かな意志のようなものを感じた。芸術とはかくも心を打つのか、白無地と呼ぶに相応しい人生を送ってきた俺にとってはあまりに強い衝撃だった。あれは超常芸術というものを知った今でも本物の俺の感情だったと断言できる。
「Are We Cool Yet?」プレートに書かれていたその言葉だけを頼りに俺は理想郷を探し求め続けた。そして数ヶ月を費やしてついに吉岡さんに辿り着いた。芸術に触れた俺は芸術にのめり込み、やがて芸術のために生きるようになった。それからというもの、俺はCoolを求めて、俺がこの世界に生きた証を、何かを残すために思いつく限りのことをやってきた。
しかし上手くはいかなかった。元よりスケッチや粘土細工すら授業でしかやったことのなかった人間だ。巨匠達の偉大なる傑作を沢山見て心に刻み付けた。技術的な練習だって日々欠かさなかった。それでもたった1年強だ、まだまだ足りなかったのかもしれない。つまるところ、作品が評価されないことはそれ単体では俺が死を選ぶに至ったクリティカルな原因ではない。
作品が扱き下ろされた直後だって、吉岡さんをはじめ偉大なる先輩方は励ましてくれた。「基本的なことは十分にできている」「発想は悪くない」「もうひと踏ん張り」、きっとその言葉に偽りなんてないんだろう。だが自宅に帰ってふと、かつて「傑作」だったモノを目にすると、どうして皆は俺に優しい言葉を掛けてくれたのかどうしてもわからなくなる。それは俺が失敗を乗り越えた末に最高にCoolなアートを生み出す可能性に期待してのことなのか、あるいは単純に落ち込む人間に対する人情なのか。例えどちらであろうとも、これだけ手塩に掛けてくださった吉岡さんの期待に応えることが出来ていない。優しく接してくれる周りに対して何一つ応えることが適っていない。俺はその厳然たる事実に耐えられなかった。
そしてもう一つ、最後の最後に恨み節になってしまうが、サロンの連中に関わる話だ。
結果を出せなかったとはいえ、俺がこの1年強古賀や他の仲間達に負けじと芸術に取り組んできた姿勢は、本気そのものだったと自信を持って言える。しかしとてもそうとは思えない連中もいた。展覧会にもコンペにも顔を出さない。アトリエに置いてある作りかけの作品はいつだって見た目の変わらない作りかけのまま。そのくせ芸術を語る口だけは饒舌で、自分を「アーティスト」だと信じて疑わない。奴らに何度か作品について尋ねたことがある。すると奴らは決まって「まだアイデアを練っている」だとか「機会をうかがっている」だとか言う。次会った時に尋ねると、今度は「もっと良いアイデアが浮かんだ」とか「行き詰ってしまったからもう少し考える」と言ってそれを放り投げている。それを繰り返した挙句、奴らの「最高のアイデア」とやらの完成形は見たことが無い。いわく「アイデアを少しずつ良くしていくこともアートを作り上げるための小さな一歩」「小さな一歩を積み重ねていつか大きな大きな一歩を踏み出す」んだと。
その小さな一歩を何年かけて踏み出すつもりだ?あと何年すれば小さな一歩は大きな一歩になるんだ?ふざけるな。
誰もが最高にCoolなアーティストになるためにこのサロンに入ったはずだ。そして先輩方だってそのための協力は惜しまないとおっしゃってくださっている。なのになぜそうも何かをしないでいられる?「アーティスト」の肩書だけを背負った何者でもない自分の存在に耐えられる?何一つ成し遂げていない奴らがああも嬉々として超常芸術の世界にいるのが恨めしくて仕方ない。
でも、俺だって未だ何かを成し遂げられたことなど無い。来る日も来る日も自分なりのCoolを追求しているはずの俺の作品は悉く評価されず、それでいて奴らのことを見下し続けている。アートへの貢献では俺と奴らに違いなどありはしないのに。そして近頃は勢いだけが自慢だった筆すら止まり、ついにかつてのような駄作すら満足に生み出せない、虚栄心だけの化け物になり果ててしまった。
そんなCoolとは程遠い今の醜い自分の有様に耐えられなくなった。だからここが引き際だと決めつけ、この死を最後の作品として自ら命を絶つことにした。露ほどもCoolではなかった俺の人生、こんな方法でしかアートへ貢献出来ない自分が情けなくて仕方がない。いや、これすらもアートへの貢献になるという自信はない。
願わくば何一つ成し遂げられなかった俺を踏み台にして、才媛たちがアートの世界に更なる繁栄をもたらさんことを。
最後に、少しだけ感謝の言葉を述べて終わりにしようと思う。
古賀、今まで本当にありがとう。最後の最後に死体処理なんか任せといて随分勝手な言い草かもしれないけどさ。でも、お前という友達、お前というライバルがいたからここまで頑張って来られた。(ちょっと月並みか?)
お前ならこの先Coolなアートを沢山作り出して、俺のことなんかまるっきり忘れるくらい輝かしい名声を手に入れられると俺は思ってる。無責任かもしれないけど、是非とも頑張ってくれ。そして何度も言うけど、本当に本当にありがとう。吉岡さん、今まで本当にありがとうございました。あなたに出会ってアートに邁進出来たこの1年、それが成宮雄太が生まれてきた意味だったのかもしれません。それほどまでにあなたの魂の彫刻は私にとって大きなものでした。
あなたはいつだって私に寄り添ってくれていたのに、その期待を裏切るような真似をしてしまって申し訳ありません。こんな心の弱い私をどうか、お許しください。
虫のいい話かもしれませんが、願わくば、また生まれ変わっても最高にCoolなあなたのアートに出会えたらいいなぁ、またあなたの下でCoolを追究出来たらいいなぁ、なんて思っています。本当に本当に、本当にありがとうございました。成宮雄太
親愛なる成宮へ
連絡が遅くなってしまって申し訳ない。随分前になってしまうが、古賀から君の最後の作品を受け取った。正直、こんな結末を選んだ君に対して送る言葉を決めあぐねていたというのが本音だ。事ここに至ってもはや君が読んでくれることは適わないが、その批評を兼ねた君への最後のメッセージをここに記させてもらおう。
まず作品単体の話をしよう。これは一切のお世辞を抜きにして、今までで一番よく出来ていると思う。非常にシンプルな作りでありながら、受け手へのメッセージも心で感じられる。何より不気味なほどの無表情とは裏腹にギラギラと黒く輝くこの目が良い。君のこの作品に対する、あるいはアートそのものに対する執念が伝わってくる。欲を言えば石膏の胸像ではなく絵画というスタイルで表現していた方がより繊細な感情の機微が表現出来ていたかもしれないね。
さて、僕もそんな中で君がわざわざ胸像という方法を選んだ理由を窺い知れない程馬鹿ではない。言うまでもなく、一昨年の僕の作品だろう。つまるところ、君の芸術家人生の始まりであるアートのオマージュを最後の作品のモチーフとして選んだわけだ。
少し長くなるが、最後くらい思い出話をさせてほしい。
君が僕のところにやって来たのはあの像を置いた3ヶ月後くらいだったか。翌朝には公道の不法占拠がよほど気に入らなかったらしい財団に撤去されてしまったようで、置いていた時間は半日にも満たなかったはずだ。その間に君はあの作品に出会い、そしてプレートの文言だけを頼りに僕の元に辿り着いたわけだ。この出会いはまさしく運命に他ならないと今でも思っている。そんな風にして僕に会いに来た奴は初めてだったから大層びっくりした。それと、自分の作品にそんなにも心を動かしてくれる人がいたという事実が、一人の表現者として単純に嬉しかった。
それからというもの、君はいつだって真摯にアートと向き合い、わからないものをわからないなりに解釈しようと努めていた。残業続きだと言っていた去年の夏頃も、大きなプレゼンテーションを控えていると言っていた春先も、たまの休日にアトリエに訪れては時々舟を漕ぎながら僕の話を聞いていた。あの時ばかりは感心すればいいのか心配すればいいのか、あるいは呆れればいいのかわからなかったよ。
つまるところ、君が超常芸術というものに出会ってからの人生は超常芸術一色に染まっていたように見える。これは何も悪いことではない。むしろこれほどまでに熱意をもって取り組む者を僕含めて見たことが無かったからね。純粋に尊敬したいとさえ思っている。しかし、結局のところそれは紛れもなく君の枷となり、呪いとなっていたようだ。君からこれほどの羨望と尊敬を受けていながらそんな単純な呪い一つ解いてやれなかったこと、どうか許してほしい。
君は「アーティストを名乗りながらアートに邁進しないことは悪だ」、そして「アートに邁進しながら評価を得られないことは恥だ」、そう思い詰めていたようだね。これこそが君を死へと駆り立てた大いなる勘違いだ。
まずもって、アーティストというのは肩書以上の意味など持たない。アーティストであるということそれ自体はなんら評価されるべき理由も責任も持たないのだ。そして我々は自らの意志で「アーティストと名乗る」ことを決めた。その時点で君も僕も、他のサロンメンバーも、立派過ぎるほどに立派なアーティストなのだ。その上で何をするか、どんな作品を形にするか、どんな感情をぶつけるか、そしてどんな評価を受けるか、そこから先は自分次第。それだけの話だ。
あと僕は日頃、「アートは心を豊かにするものであるべきだ」と言っている。それは何も受け手だけの話ではない。アートは作り手の心をも豊かにするものであらねばならない。僕が君ほど創作活動に熱心でないサロンのメンバーをも受け入れているのはそういうことだ。そりゃ彼らも彼らなりの感性の結晶を僕に見せてくれれば嬉しいが、義務に駆られた末の成果物なんてものがCoolなはずがない。だから彼らは彼らの気の向くまま創作をする、君は君の気の向くまま創作をする、それでいいんだよ。そういった自由こそが豊かな心とCoolなアートを生むのさ。
そしてもうひとつ。これはアートに邁進すると決めた君へ送る言葉でもあり、僕の胸の内に常にあるべき座右の銘というものでもある。
「歩み続けるという意志を忘れるな」
それは必ずしも前に進むことではない。足踏みを続けてしまうこともあるだろう。足が上がらなくなることも、後ずさりしてしまうことだってあるかもしれない。そんな時は足を伸ばして座り込んだって、共に歩む仲間と無駄話に耽ったっていい。そして重荷が下りたらまた歩み始めればいい。
それを経ても前に進めるかなんてわからない。足踏みし続けて、結局一歩だって進みやしないかもしれない。そしたらまた座って今後を考えればいいんだ。何が言いたいかと言うと、君は君が作り上げた数々の作品を、作り上げられなかった数々のアイデアを、生み出すべきでなかったと考えているのかもしれない。「傑作」だと思っていたはずの努力の結晶が評価されず、駄作だと宣う者もいたかもしれない。悪評を思い出す度、消してしまいたい衝動に駆られるかもしれない。けれど、その作品やアイデア一つ一つは紛れもなく君が歩み続けてきた結果なんだ。それらが生まれた時点で、意味が無いなんてことは万に一つもあり得ないんだよ。
すっかり長くなってしまったね。とどのつまり、僕は君にこれからも作品を作り続けて欲しかった。悩んで、悩んで、打ちひしがれて、報われて。アートに邁進する君の姿はそれそのものが最高にCoolで、そんな君や他の仲間と歩む僕の人生はきっと華やかなものになるだろうと思っていた。
事ここに及んでは、もはや君は帰ってくることはない。でも君が、成宮雄太がそれを望むというのなら、僕はこれから先も宇宙で一番Coolなアートを作り続けて、生まれ変わった君をまた超常芸術の世界に連れてきて見せよう。また会おう。
I continue to walk with Cool.
吉岡譲