未解明アーティファクト2147号-JP
評価: +169+x
blank.png
Dream%20Hotel.jpg

脳情報デコーディング技術を用いて可視化されたアーティファクト2147号-JP-A

目録番号: 2147-JP

収容等級:

保管案内: 本品はセキュアコンパウンド-15の東格納庫に位置する標準人型収容房に保管されます。入眠時の2147号-JPは脳情報デコーディング技術を用いた夢の可視化を受け、セキュアコンパウンド-15に設置された歴史研究課の通信機材と常時交信し、夢の内容を記録されます。

本品は無力化されたため、その収容を必要としません。

梗概: 未解明アーティファクト2147号-JPは20██/██/██に自殺した真桑友梨佳氏の死体です。2147号-JPは全身が炭化し、かつ生体構造が保存されない状態で死亡しており、その異常性は喪失したと推察されます。

生前のアーティファクト2147号-JP(以下、真桑氏)は限定的ながら超高確度の未来予知能力および情報復元能力を持つ人物として知られました。真桑氏の供述によればこれらの能力は当人が睡眠時に経験する夢を経由してもたらされた知見によるものであり、またこの主張は脳情報デコーディング技術を用いた夢の可視化により確認されています。

入眠した真桑氏の夢には、必ず宿泊施設様構造物(以下アーティファクト2147号-JP-Aに指定)が出現しました。2147号-JP-Aに採用されている建築様式は簡素ながら既知の建築様式と一致せず、建設時期や所有者・施工者などの情報は不明です。また2147号-JP-A内に存在する部屋および階層の数は判明しておらず、上端や下端の存在が明らかにされていません。宿泊者・従業員等の施設内の生命体は真桑氏を除いて確認されませんでした。

2147号-JP-A内の個室は地球上の異なる時空間へ接続していました。真桑氏は2147号-JP-A内の扉を開いて入室することで異なる時代への進入が可能でした。個室が接続する時代は真桑氏の個室との物理的距離と相関する傾向があり、また真桑氏の個室が所在する階層(基準階層)から遠隔的であるほど指数関数的に離縁したと推測されます。

真桑氏は2147号-JP-A内で不定の時間が経過した場合、あるいは十分な衝撃を加えられた場合に覚醒し、意識が基底現実へ帰還しました。進入先の時代で目撃した情報は基底現実への持ち帰りが可能であり、真桑氏はこれにより未来予知能力・情報復元能力を再現していました。

以下は2147号-JP-Aに関する真桑氏への聴取記録です。

実施日: 20██/██/██

聴取者: 上級学者 小林昭次(以下、小林)

聴取対象: アーティファクト2147号-JP(以下、真桑)1


<録音開始>

小林: それでは始めていきますか。

真桑: よろしくお願いします。

小林: 真桑友梨佳さん、ですね。未来予知と情報復元の能力者。友人に能力を明かしたところ話題を呼び、得意になってひけらかしていたところを確保されたと。

真桑: あってますよ。耳が痛いですけど。

小林: 君が夢に見る建物について詳細をお聞きしたく思います。君の夢はどこから始まりますか?いつも同じ場所、あるいは違う場所?

真桑: いつも同じ、じゃないですかね。微妙に壁の色や棚の位置とかが変わることはあっても、いつもベッドで目を覚まします。目を覚ますと言ってもそこは夢の中なんですけど。白い布団が敷かれた四つ足のベッドの上で、まだら模様の天井で。

Dream%20Room.jpg

実験時に可視化された個室

小林: ありがとうございます。部屋に窓はありますか?そこから外の様子が見えたりは?

真桑: 窓はありますけど、外は何も見えなかったです。暗い夜、いや、夜なんかじゃなくて、あれはその、何て言うか ⸺

[沈黙]

小林: 虚空、ですか?

真桑: [沈黙] そうかもです。明るくも暗くもないんです。光が無いのに、闇も無いって感じで。変かもしれませんけど。

小林: 絶無の空間、理解しました。建物の中に話を移しましょう。何か目ぼしいものだとか、珍しいものは部屋の中にありますか?

真桑: 特には。日用品みたいなものはあっても、変な物は無いです。あまり豪華な部屋じゃありませんけど、それでも ⸺ 危なかったことはないですね。

小林: ありがとうございます。すると ⸺ 憶測ではありますが、やはりそこは客室なのでしょうね。真桑さんを休ませる部屋、君に与えられた夢世界安住の地といったところでしょうか。

真桑: でも、どうしてそんなものが?

小林: 夢とは、既に脳に蓄積されていた情報が何らかの経路で具象化されるものであり、脳機能の産物です。君の脳は度重なる時間移動という幻影に晒されるうち、いざとなれば自ら閉じこもって身を守ることのできる安全圏を確保したのではないでしょうか。

真桑: その安全圏が安ホテルなんですか?実家とかじゃなくて。

小林: 普段の住まいは馴染みのある環境である反面、脳機能を有効に利用できる場とも限りませんからね。生活音、温度、気流、慣れからくる錯誤 ⸺ そういった不安定な要素が少なくありません。その点で、常に整理整頓がされている清潔な客室は安全です。邪魔な要素の一切を排した環境で精神を研ぎ澄ますことができる。

真桑: それを無意識で?

小林: おそらくは。脳科学が発達した今でも、その全容を明らかにすることはできませんから。どうしても憶測は入ってしまうものです。

真桑: ふうん。なるほどです。

小林: では、話を戻しましょうか。どうやって部屋を出ます?

真桑: ドアノブを回して、腕を引きます。

小林: ドアノブを回して外に出た。そこには何がありますか?

真桑: 廊下です。壁と床はどこまでも規則的な模様が続いていて、終わりがないような感じがします。そんなことは絶対に無いのに、実際、端っこの突き当りの窓も見えているのに。たぶん ⸺ 分かりませんけど、上下の階が多すぎて、そう見えるのかもしれません。

IMG_6019.jpeg

実験時に可視化された階段

小林: 階段を登ったりは?

真桑: ええ、昇り降りもしました。果てしなく感じましたね。どれだけ目を凝らしてみても、階段の終わりが見えてこないんです。どこまでも続いていて、まるで吸い込まれるかのようにずっと繋がっているような。

小林: 夢の中の建築物ですから、物理的にありえない構造 ⸺ 無限に続くということもありうるのでしょうね。外が虚無であることも、中が無限であることも、脳の処理によって生まれている錯覚のようなものでしょう。観測した世界を脳が完璧に再構築できていないからこそ、不具合を伴う世界が生成されているのかもしれません。

真桑: 私が見た過去や未来まで、脳の働きでできたってことですか?

小林: いえ、そこまでは。これまでに君が言い当ててきた事象の数々は、君の意識下にせよ無意識下にせよ、動物はおろか計算機の予測演算能力を超越した精度ですからね。決してそれだけでは説明がつきません。

真桑: じゃあ、他に何か関わってるんでしょうか?

小林: おそらくは。聴取を続けても?

真桑: はい。

小林: 未来や過去を観測するためには、それぞれの部屋の扉を開けて入室する。そうですね?

真桑: そうです。それぞれの部屋に別の時間があって、そこはもうホテルの個室じゃありません。学校、駅、映画館、書店、水族館、道路、野山 ⸺ 外の光景が広がっているんです。私は廊下を歩いて扉を押すだけで、数日から数年の歳月を飛び越えられる。私が1歩踏み出すだけで、時間がどちらかの方へ吹き飛んでいく。歩けば歩くほど、時代はかけ離れてくんです。

小林: 夢の中なら時空を越えられる ⸺ そして時を跳躍する術を持たない我々は、圧縮されていない緩慢とした尋常の歴史を歩まなければならない。変わり映えのしない1秒1秒を刻みながら、頭上を通り過ぎる君の足元で細々と生きていると。

真桑: [沈黙] 自慢に聞こえました?

小林: ああ、いえ、すみません。ただ、ちょっと羨望が漏れてしまいました。

真桑: [微笑む] 羨ましいです?

小林: それはそうです。因果を飛び越えて過去や未来をそのまま目撃できるなんて、喉から手が出るほどに欲しい特性ですからね。夢なら時を超えられる。特に私なら過去が良い。既に失われてしまった、塩漬けもされていない試料に触れられるなんて最高ですよ。まさに夢のようです、夢だけに。

真桑: [沈黙] ああ、そういう。

小林: そうは思いませんか?

真桑: うーんと、そういうのを考えたことは無かったですね。そういう、考古学みたいな?

小林: では、普段はどういった風に夢を使っていたのですか?

真桑: テストの答案を先に見たりとか、クラスメイトや担任のあれやそれやを覗いたりとか、そんなんですかね。すぐ自分の役に立つことにしか使ってないですよ。最近だと、数日後のニュースをネットで予言してバズったりとかもしましたね。実際それでここに捕まったんだと思いますけど。

小林: 随分と俗物的ですね。

真桑: せっかくこんな特性があるんですよ、活かさなきゃって思いません?もっとお金稼いだり、あるいは有名になったり。小林さんは名声が欲しくはないんですか?チヤホヤされたいとか、生きた証を後世に残すっていうか。そういうの考えたりしません?

小林: 否定はしません、が ⸺ 私の興味はそれと全く別のところにありますね。

真桑: ふうん。そんなの、何にもならなくないですか?

小林: まあ、そういう意見もあるかもしれませんが ⸺

真桑: ま、私のホテルもそこまでですけどね。起きたことは変えられないし、これから起こることも避けられません。来週のテストを中止にできなかったし、先月私の陰口言いふらしてた友達をその場で殴ることもできなかったですし。自分の未来の姿だって、なるべく直接見ないようにしてたんですよ。

小林: なるほど、君の夢の中での時間移動とは決定論的なのですね ⸺

[沈黙。小林学者が5秒程度思案する様子を見せる。]

小林: じゃあこうしましょう。どれだけ大昔に遡れるか、どれだけ遠く離れた時代へ辿り着けるか、それを実験してみる。どうです?

[沈黙]

真桑: それは、私にどんな得があるんですか?

小林: 君の個人的な交友関係や血縁関係を超えた時空へ足を運べば、面白くない出来事も待ち受けてはいないでしょう。むしろ純粋な時間旅行が待っているはずです。悠然とした時の流れを今以上に猛然と加速させその身に受ける。つまらない人間関係や退屈の追ってこない遠くへ駆け出せるわけですよ。

真桑: うーん。

[沈黙]

真桑: まあ、やってみますか。どうせ、力関係はそっちのが上でしょうし ⸺ それに、意外と悪くもないかも。

小林: でしょう。我々も君の夢が一体どこまで時空間を再現できるのかが分かります。もし君が知る由もないことを夢の中で見られるのなら、超越的な何かが入れ知恵しているのかもしれないし、あるいは ⸺ 本当に精神が時空間を旅しているのかもしれない。もしそれが分かれば両得です。

<録音終了>


終了報告書: 実験の提案はアーティファクト2147号-JPから快諾を受けた。統括者宛ての申請書類を近日中に提出予定。




小林学者の提案を経て、以下に示すアーティファクト2147号-JP-Aの探査が実施されました。以下の試行では真桑氏と研究所との間での双方向通信が行われ、常時の情報共有経路が確立された状態で探索が実行されました。観測された夢の内容は脳情報デコーディング技術を用いて可視化されました。他の探査試行を含む全ての記録はアーカイブを参照ください。

探査記録2147-01 - 基準階層-10階, 4号室

<記録開始>

小林: 視覚接続よし。音声障害なし。それでは進入してください。

真桑: 了解です。

[真桑氏がドアノブを回し、扉を開放する。扉の向こう側では鬱蒼とした森林が生い茂っている。]

d9lsrkz-6ea1654b-3331-4738-93bc-bdd1deb86840.jpg

真桑: これは ⸺ 熱帯雨林?

小林: 林立する緑の巨塔。原始の世界です、間違いない!本人の認識に拘わらず再現度が高い ⸺

真桑: 小林さん、説明してください。この森は何なんですか?

小林: 申し訳ありません。ですがこれは ⸺

[真桑氏の頭上を大型のトンボが飛翔する。羽音が克明に記録され、真桑氏が悲鳴を上げる。]

真桑: 何、今の!

小林: [笑い声] 凄い!素晴らしい!今のは巨大なトンボの仲間です。君が居るそこは、数千万年に亘って大型の昆虫がうじゃうじゃ生息していた時代なんですよ。小さな翼竜ほどもある巨大なトンボが、他の昆虫を捕食して回る空の支配者として我が物顔で君臨していた時代です。

真桑: 気色わる。

小林: そうですか?この大きさだと逆に気にならないかと思ってました。

真桑: 現物見てないからそんなこと言えるんですよ。

小林: 君が見ているのも夢です。実物ではありませんよ。

真桑: それはそうかもですけど ⸺

[巨大なトンボが森の奥へ消えていく。]

真桑: なんで、あんなにデカいんですか?本当に、私の腕ぐらいありますよ、あれ。

小林: 1つ言われていることは、酸素濃度ですね。昆虫は全身に張り巡らされた器官を通じてガス交換をするわけですが、我々のように能動的に肺やその他の呼吸器官を動かしているわけではないんです。あくまでも受動的に、自然な空気の流れに任せているんです。

真桑: てことは、単に口を開けっぱなしにしてるようなものですか?

小林: 彼らが利用している呼吸器官は口ではありませんが、まあそんなものです。ですがこのやり方は、体が大きすぎると限界が来ます。体の奥まで換気できず、十分量の酸素が届かなくなってしまう、そう考えられているわけです。つまり、我々の時代であれほど大きい昆虫が飛び回っていると、窒息死してしまうと。

真桑: じゃあ、あれはどうして生きてるんですか?

小林: 過去の地球の大気中の酸素濃度は、今よりもずっと高かったんです。特に、約2億3000万年前から1億9000万年前にかけて、その間は特に顕著でした。大気が酸素に富む分、受動的な呼吸様式でも酸素を賄うことができた可能性があると。

真桑: なるほどです。

小林: むしろ、それだけの酸素濃度は我々にとって毒になりえます。具合は悪くありませんか?頭痛や耳鳴りはしませんか?

真桑: いえ、特には感じないですね。

小林: なるほど。となると、大気組成の影響は夢ゆえに度外視されているのかもしれませんね。扉を開いて即有毒ガスを吸って昏倒する夢なんて面白くもなんともな ⸺ ああ、そしてその莫大な酸素を生み出す工場が、今見えている森なわけですよ。水と木、いえ、我々の知る樹木からかけ離れた天を衝くような巨大陸上植物。その群生地です。

真桑: [沈黙] 普通の森とは違うんですか?

小林: まるで違います。近づいてみてください。

La_brea_tarpits_ponds.jpg

[真桑氏が歩きはじめる。茶褐色の水が跳ね、真桑氏の両足が大きくぬかるみに取られる。]

真桑: [悲鳴]

小林: おっと。

真桑: やばいやばい!沈む沈む沈む!

[真桑氏が脚を動かそうとする。粘性のある水音を立てて体が引き込まれ、膝上まで泥中に浸る。]

小林: 慌てないで!藻掻けばさらに沈みます。

真桑: じゃあどうしろって!?

小林: 泥の上に腰かけて、そのまま背中を倒してください。圧のかかる面積を大きくして、分散するんです。泥の方が比重が大きいので、無暗に動かない限りは沈みません。

真桑: 本当に?

小林: 信じてください。

真桑: こ ⸺ こうですか?

[真桑氏が泥に腰を付ける。背中から後頭部までを地面に倒し、泥に浅く浸る。体が水平に保たれる。]

小林: そうです。脚は抜けましたか?

[泥から脚の抜ける鈍い音が生じる。]

真桑: ええ、今、どうにか。

小林: よし。そのまま這って、硬い地面のところまでゆっくり移動してください。泥にまみれますが、それは仕方ありません。汚れるのは気にしないで。

真桑: [舌打ち] ああ、だっる。

[真桑氏がぬかるみの上を滑るように這う。粘性を持つ流体が搔き混ぜられる音、および真桑氏のものと見られる荒い呼吸音が生じる。およそ2分をかけて泥から脱出する。]

真桑: [荒い呼吸音] 抜け出せました。脚がおっもい。

[真桑氏の匍匐によって乱れた泥の表層が重力に従って徐々に均一化する。]

小林: 流石は泥炭林ですね。氷床に覆われていない温暖な地域では、森林の膝元にこうした広大な湿地帯が広がっていたんです。

真桑: [沈黙] 知ってたなら最初に言ってくださいよ。靴とズボンに泥入ってきてすっごい気持ち悪いし、滅茶苦茶重いし。あと、物凄く臭い。

小林: 臭い?[沈黙] ああ、メタンガスが放出されているのでしょう。ドブの臭いです。

真桑: 道理で嗅ぎ覚えがあるわけですね。[舌打ち] きったな……。

小林: 充満する高濃度の酸素を無視できても、泥土から湧き上がるメタンは駄目なんですね。興味深い。脳の処理にも認知バイアスのような限界があるんでしょうか?

[真桑氏の視界が地面の近景から植生の遠景に移る。]

小林: それはそうと、真っ直ぐ進むと確実に底なしですね。気を付けてください、浅く見えても、それは単に泥が堆積しているだけかもしれませんから。

真桑: ちょっと休ませてくれません?

小林: 構いません、休息はしっかり取ってください。時間はたっぷりありますし、そこはあなたの領域ですからね。

真桑: 了解です。そーします。

d8y7844-f6d72790-c60c-4265-a7fb-57c797d8a436.jpg

[真桑氏が休憩を挟みながら巨大な木本に辿り着く。樹皮に手をつき停止する。]

真桑: [荒い呼吸音]

小林: 特徴的でしょう。その樹皮は、現代ではお目にかかれないものです。幹の表面自体が緑色を呈して気孔を持ち、光合成が可能なのです。そして分厚い周皮を構成する高分子化合物からして、既に我々に馴染みのある高等植物と異なります。難分解性の名に恥じない ⸺

真桑: もうちょっと休ませてください。

小林: 申し訳ありません。

[沈黙。呼吸を整え、真桑氏が上を見上げる。]

真桑: でも、確かに不思議ですね。変わった形の木。

小林: 上の方の樹皮はまるで鱗のような模様がついています。動物みたいですね。そして、さらにその上なら、分岐して首を垂れる緑色の葉の裏に、色の違う部分を見出せるのではないでしょうか。黄色か、赤色か、あるいは ⸺

真桑: 見えます。黄色の何かが。

小林: それは胞子嚢です。時が来れば、葉の裏側で後生大事に守られたそれから、微細な胞子が撒き散らされるのです。霧や雲のような胞子が森に漂う時期があるのでしょうね。種子を使う、現存する真の樹木には見られない繁殖様式と言えます。

真桑: シダに近いってことですか。

小林: その通りです。維管束を持つものの種子を作らない、分類上原始的な植物の仲間が巨大化したものです。

真桑: それは、意外ですね。あんな下草がこんな ⸺

小林: 我々の消費する石炭もここに由来しています。これらの聳える木々がやがて倒木となり、泥炭が熟成されて資源になる。君が立っているそこにも、あと2億年もすれば大規模な炭鉱が建つかもしれませんね。科学文明とその発展を支えてきた、そしてこれからも支え続けるだろう、陰の立役者です。

[巨大トンボが羽音を立てながら木本の間を高速で通過する。]

[風圧を受けて真桑氏の髪がなびく。真桑氏の目線が遠ざかるトンボを追う。]

真桑: 小林さん。

小林: ん。ええ、はい。

真桑: ちょっと前に、「1つ言われていることは」と言いましたね。他にもあの大きさを説明する仮説があるんですか?

小林: [沈黙] そうですね。酸素濃度はあくまでも節足動物の体サイズを規定する一要因に過ぎません。より大きな要因と考えられているのが、我々脊椎動物との競合の有無です。内骨格に由来する高度な抗重力機能と運動能力を持つ我々は、節足動物を大型動物相からほぼ一掃したと言ってよいでしょう。ですが、脊椎動物による抑圧が始まる前のこの時代において翼竜や鳥類は不在です。空はまだ彼らの聖域です。

真桑: そういえば確かに、他の動物も見かけませんね。

小林: この時代なら、水辺に適応した両生類には捕食者が居るかもしれませんが ⸺ それも、我々のような大型動物を捕食対象にとるかどうか。警戒して逃げ去っているかもしれませんね。

真桑: 逃げててほしいです!この時代そんなの居るんですか?

小林: 脊椎動物が陸上に進出してもう5000万年はゆうに経ちますからね。

真桑: ずらかります。変なのが来ないうちに。

[真桑氏が幹に触れ、体重を預けながら歩を進める。]

[真桑氏の手の甲に陸棲巻貝が付着する。]

真桑: [悲鳴]

小林: カタツムリですね。気を付けて、この時代でも寄生虫が ⸺

真桑: 痛っ。

[真桑氏が陸棲巻貝を叩き落とす。巻貝と接した部位の皮膚から流血が見られる。]

[巻貝を振り払った反動で真桑氏の重心が崩れる。]

小林: アーティファクト ⸺

[真桑氏が泥炭に倒れ込み、水没する。]

[通信途絶。同時に基底現実の真桑氏が覚醒する。]

<記録終了>


終了報告書: 起床したアーティファクト2147号-JPの手の背側には刺傷と思しき微小な刺創が認められた。当該の刺創は陸棲巻貝が生成する石灰質の鋭利な矢状構造物(恋矢)に由来すると見られる。また2147号-JPは喉の異物感を報告し、発話に咳を伴っていた。咽頭や喉頭に異物は確認されなかったが、夢内で泥炭に倒れ込んだことを踏まえると整合的である。

2147号-JPは高濃度酸素に対する感受性を示さなかった一方、泥炭起源のメタンへの化学的曝露、陸棲巻貝や泥炭への物理的曝露を示した。夢内における明示的な事象は夢内の2147号-JPに影響し、また基底現実にも何らかの反映がなされると見られる。



探査記録2147-03 - 基準階層-10階, 7号室

<記録開始>

小林: 視覚接続よし。音声障害なし。それではお気を付けて。

真桑: 了解です。一応、今回はこれがありますから。

[真桑氏がズボンのポケットからナイフを抜く。]

小林: 刃物ですか。どこでそんなものを?

真桑: 私の夢なんだから、ある程度は私の意思で操作できるみたいなんです。普段記録取ってるならご存じでしょう?

小林: 着替えや沢靴を出していたのは把握していましたが、凶器となると ⸺

真桑: 護身用だから大丈夫です。それにいざとなったら、こう。

[真桑氏が自身の前腕に刃を近づけ、切るジェスチャーを取る。]

真桑: これで無理矢理目を覚ますことだってできますから。安全策ですよ。

小林: [沈黙] なるべく出番が来ないことを祈ります。

[真桑氏がドアノブを回し、扉を開放する。扉の向こう側では荒涼とした砂漠が広がっている。]

Red_Sea_Governorate%2C_Egypt_-_panoramio_-_demonzak_%286%29.jpg

真桑: 砂漠ですね。何もありません。それらしい生き物も。

小林: 樹木の1本も生えていませんか?

真桑: はい。ただ岩と砂だけです。まるで乾燥機の中かってくらい、すっかり乾ききっていますね。カラッとはしていますけど、とにかく日差しが強くて、肌が焼けるような暑さです。

小林: [沈黙] 息苦しかったりはしますか?

真桑: いえ、特には。普段と変わりありません。口の中がパサつきはしますけど。

小林: シダの大森林でもそうでしたからね。酸素分圧からおおよその時代を絞れるかと思いましたが、それも難しいですか。

真桑: ええ、ただ ⸺

小林: ただ?

[真桑氏が頭上を見上げる。巨大な構造物が視界に入る。]

Earth%27s_Rings_over_San_Bernadino_%2823712572304%29.jpg

真桑: 空に何かあります。巨大で、どこか透き通った ⸺ アーチのような。

小林: [沈黙] 地球の環でしょうか。地球の重力圏に捕らわれた小天体が環をなして、ガス惑星の幾つかに見られるように周回している ⸺ ということになりそうです。

真桑: そんなのがあったんですか?地球に?

小林: およそ4億年前には。やがて環を構成する小天体は地球の重力に引かれ、4000万年程度の時間をかけて崩壊し落下しました。あちこちに残された衝突痕は現代でも消え去ってはいません。そして我々が今目にしているのは、まだ形成されて間もない、崩れ落ちる前の環なのでしょう。

真桑: どうやってあんなのができたんですか?

小林: 巨大小惑星の接近です。任意の天体が地球へ十分近づけば、潮汐力がその重力を上回ります。すると、何が起きると思いますか?

真桑: [沈黙] 分かりません。何が起きるんですか?

小林: 星の崩壊です。接近する天体の状態によっては、衝突前に莫大な潮汐力を受けて分裂破砕するわけです。砕け散った破片は地球の重力に捉えられて環として配列するようになるのです。

真桑: そんなことがあの空で?

小林: ええ、数億年に一度しかお目にかかれないくらいのダイナミクスです。我々のスケールを遥かに超えた天のドラマと言えますね。

真桑: ふうん ⸺ なるほど。

小林: ところで2147号-JP。何か聞こえていませんか?

真桑: え?

[真桑氏が環から視線を外し、聴覚に注意を向ける。]

真桑: 確かに、水の音がする気がします。気付かなかった。近くに川が流れてるかも?

小林: 川、あるいは海かもしれません。そちらの方にしばらく歩いてみてもらっていいですか。大森林よりも遥か太古のこの時代、まだ植物も陸上に進出してはいませんが ⸺ 海は生命に溢れていたはずです。

真桑: 分かりました。向かってみます。

[簡単のため省略]

Early_Afternoon_Rings_from_Bldg._321_%2824363713305%29.jpg

真桑: キッツいです。日差しに照らされるだけで体力をゴリゴリ持っていかれます。不思議と喉が渇かないのは、やっぱ夢の中だからなんですかね。もう足が棒ですよ。頭もクラクラする。

[真桑氏が立ち止まる。]

真桑: ああ、立ち止まっててもどうしようもないですね。木陰の1つもありゃしないんですから。

小林: もし危険を感じたら、覚醒の用意を。

真桑: まあ、この分だとそろそろ水場が近いですよ。たぶんこの丘を越えればもう見えてくると思います。[沈黙] 波の音ですね。意外と激しく揺れてるのかな。

[真桑氏が前進を再開する。片脚に体重をかけながら1歩ずつ傾斜を登っていく。]

[大きな吐息]

真桑: かなり火照ってきました。心臓もバクバク言ってますね。さっさと寝っ転がりたいですよ。体が言うことを聞かなくなる前に、どうにかして ⸺

[真桑氏が静止する。真桑氏の視界は丘を越えた先に面する水面を捉えている。反射光に照らされ、真桑氏の瞳孔が縮小する。]

真桑: あった。

[真桑氏が丘を地面を蹴り込んで駆け下り、足元の石礫を飛ばしながら海岸へ到着する。]

%D8%A7%D9%84%D8%A8%D8%AD%D8%B1_%D8%A7%D9%84%D8%A3%D8%AD%D9%85%D8%B1_%D9%85%D9%86_%D8%A7%D9%84%D8%BA%D8%B1%D8%AF%D9%82%D8%A9_10.jpg

小林: 陸が不毛でも、海は違ったはずです。この時代も生物礁は生物多様性の起爆剤として ⸺

[真桑氏が着衣したまま海に駆け込む。腰まで着水したのち、生身での潜水を開始する。]

小林: 聞いちゃいませんか。

[海底は様々な色調のサンゴが礁を形成している。サンゴの間ではウミユリが群生し、触手を複雑にうねらせている。全身を外骨格に被覆された無顎類の魚類がその上位で体を左右に波打たせて遊泳する。真桑氏の存在を察知し、急激な方向転換ののちに去っていく。]

[真桑氏が甲冑魚の群れを追跡する。接近を察知した魚群は加速し、群集の構成要素を連続的に混合するように振る舞いを変化させる。海中に渦を巻きながら礁の陰へ隠れる。]

[真桑氏が息継ぎのため波を立てて勢いよく浮上する。吸気の音。]

真桑: 最ッ高!ああ、これが真水なら!

小林: まるで絨毯のような群れでしたね。あれだけの生物相を緻密に再現できるとは、この世界の現実感たるや。映像越しでも素晴らしいものが見られましたよ。

真桑: もうしばらく泳いでみます。私も楽しみたいので。

小林: こちらとしても助かります。利用可能な情報が増えるのは ⸺

[雑音]

小林: ん?

真桑: どうしました?

小林: 今、音が。少々お待ちを。調整します。

[雑音]

真桑: 不具合ですか?

小林: いや、これは ⸺

[雑音]

小林: 何かが復号過程に干渉しています!別の信号が入って ⸺

[雑音]

真桑: 小林さん?

音声: こんにちは!聞こえてるかな?

[沈黙]

真桑: ええ、聞こえてる。こんにちは。あなたは誰?

音声: 僕はオルト。君は?

真桑: 真桑。真桑友梨佳。

音声: よろしくユリカ。魚たちがやけに慌てふためいた様子だったからさ、浅瀬に何か来たのかなと思って声を飛ばしてみたんだ。

真桑: [沈黙] じゃあ、あなたは魚の様子を見てたってことね。海の中に居るの?

音声: そうだね。[沈黙] 直接目で見てるというよりは、魚たちの意識や思考を感覚で理解している、と言う方が良いかもしれないな。実は、魚は意外と活発で精密な環境応答をしていて、僕らはその活動を知覚できる。さっきそれが突然乱れたから、これは何かあったなと思って。僕の仲間はそこに居なさそうだったし、全く別の動物がそこに居るんだろうってね。

真桑: よく分からないけど ⸺

音声: で、ユリカ。そういう質問をするってことは、やっぱり君は僕らとは全く違う生き物なんだろうね。こうして会話ができるけど、他の動物たちの内在的な信号の変化を感じ取れないみたいだし、そしてそもそも水の外からやってきたんだね。興味深いよ。

真桑: そうね。普段は陸に居て、空気を吸って、ご飯を食べて生きてる。

音声: 空気、か。水の外にはそういうものがあるのかな。

真桑: ええ、空気は水よりもずっと透き通ってる。空だって、そこに浮かぶ星だって、くっきり見られるの。例えば、あの空に架かった小惑星の大きなベルトは、もしかするとあなたたちよりずっと細かく感じ取れるかも。

音声: そうなんだ。それは魅力的だね ⸺ ただそうだね、君がどこから来たのか分からないけど、もう戻った方が良いかもしれない。

真桑: どうして?

音声: 僕たちから見て君は、悪く言ってしまえば異分子だ。慣れた環境も前提も違う。君は物凄く興味深いけれど ⸺ 相容れない存在かもしれないし、分かり合えるとは限らない。君との出会いは僕たちにとてつもなく大きな祝福をもたらしてくれるかもしれないけれど、軋轢や対立を導くことだってありうる。

真桑: [沈黙] それはそう、ね。ありがとう、忠告までしてくれて。

音声: なんのなんの。もしまた機会があれば、誰も居ないときにどこかで会おう。外から来た旅人さん。

真桑: ええ、さようなら、オルト。豊かな海の住人さん。

<記録終了>


終了報告書: 未確認の音声との会話ののち、アーティファクト2147号-JPは基底現実へ帰還した。音声および通信の発信元は特定されていないが、会話内容とそこに示唆される高度な知性より、当時の海域に生息したオウムガイ亜綱の頭足類であると見られる。

アーティファクト2147号-JP-Aを介して未確認の知的種族との接触が発生した場合、研究所に関する情報漏洩が種族に対し致命となりうることが懸念される。ここにおいて、2147号-JPは研究所の情報の一切を秘匿し、また種族に関する情報にも可能な限り制限を課す義務を負う。



探査記録2147-05 - 基準階層+9階, 12号室

<記録開始>

小林: 視覚接続よし。音声障害なし。前にもお伝えしましたが、もし知的生命体に接触した場合は ⸺

真桑: 背景を明かさず、小林さんの存在も悟られないように、ですよね。分かってます。

小林: そうです。頼みます。

真桑: はい、行ってきます。

[真桑氏がドアノブを回し、扉を開放する。扉の向こう側では直方体を基調とした構造物群が広がっている。]

%D0%A3%D0%BB%D0%B0%D0%B0%D0%BD%D0%B1%D0%B0%D0%B0%D1%82%D0%B0%D1%80.jpg

真桑: 建物 ⸺ でしょうか。地面もざらざらとはしていますけど、平らで硬いです。

[真桑氏が爪で地面を3回叩く。鈍い音が生じるが、変形が生じた様子は無い。]

真桑: 舗装されてますね。見慣れない乗り物も並んでいますし、それ用でしょうか。

小林: 陸棲文明ですが ⸺ 特定できませんね。随分時代の離れた未来ではあるはずですが、環境改変を含むこの発展の程度を見るに我々の文明がまだ存続しているとは思います。意外だ。

真桑: [沈黙] まるで、世界が滅びるのを見越したような喋り方ですね。

[真桑氏が歩き始める。]

小林: 必然ですよ。これまでの過去5億年間、いえ、それ以前に遡っても、かつて栄えた先史文明の悉くは崩壊を免れませんでした。種として完全に絶滅を迎えるか、あるいは命脈を保ったまま技術や知性を放棄して地位を譲り渡すか、そこのところには議論の余地があるかもしれませんが ⸺ いずれにせよ激甚な変容というものは避けられません。

真桑: 随分と悲観するんですね。

小林: 悲観ではないでしょう。客観です。巨大火成岩岩石区の形成や大陸の分裂を筆頭に、過去の地球は数多の大変動を繰り返してきました。その営みが今後も少なくとも数億年は途絶えることなく続けば、その時代のあらゆる生命は皆変化に晒され続けるわけです。進化もすれば絶滅もします。進化の到達点、あるいは袋小路に迷い込んだように見える我々でも、例外ではありませんよ。

真桑: 学者ってそうなんですか。

小林: 少なくとも私はそう思います。

真桑: ふうん。[沈黙] でも、確かに、分からなくもないですね。少なくとも私達が生きてる間に起きることじゃないでしょうし。

小林: その通りです。地質学的時間スケールは、生物個体が経験するそれを遥かに超越した雄大なものです。私達の目から見て事実上の永劫に見えるほどの時を経て、生命は、そして地球は変化します。遠い未来の変容と目先の出来事とを同一視すべきではありません。

[沈黙。真桑氏の足音が続く。]

小林: そもそも、遠い過去や未来をこうして見ているのも、君の個人的な時間軸に触れないためですからね。背負い込むことではないです。

真桑: ええ、おかげさまで。最近は結構楽しいですよ。

[沈黙。真桑氏の足音が続く。]

真桑: それにしても、あまり人影を見かけませんね。

小林: 早朝だからですかね。まだ太陽の高度も低そうです。

真桑: そういえば、肌寒くはありますね。どこか日の当たるところにでも ⸺

[扉の開閉音。未知の発声を行う数体の二足歩行実体が出現する。]

[真桑氏が咄嗟に木立に隠れる。]

小林: 見られましたか?

真桑: [小声で] 分かりません。見られたかも。

小林: 隠れたまま様子を窺うことはできますか?

[真桑氏が枝葉の間隙から実体の様子を観察する。実体は音声による相互的な意思疎通を行っており、真桑氏の存在を認識した様子を示さない。実体は宍色の皮膚が露出しているが、頭頂部と顔面下部が体毛に被覆されている。]

真桑: [小声で] 私達じゃないですね。全く別の動物?

小林: そのようですね。体毛が少なく、顔も平たいですが、あの特徴ならおそらく ⸺ 哺乳類から進化した動物ではないでしょうか。進化の過程で体毛を喪失し、我々のような直立二足歩行を獲得したと。

真桑: 一体どれだけの時間が経てば、哺乳類がそんな ⸺

小林: 向かってきます。気を付けて!

[実体群が木立に接近する。真桑氏が息をひそめる。]

[実体群が木立の横を通過し、敷地外へ出る。]

[実体群が真桑氏の存在を認識した様子を示さず、その場を離れていく。]

小林: 行きましたね。

真桑: [小声で] 気付かれなかったようですね。にしたって、哺乳類の文明なんて ⸺

音声: [背後から] ちょっと、君。

真桑: えっ。

[真桑氏が跳び上がり、180°回転して声の方向に向き直って警戒体勢を取る。黒色の車両の横に二足歩行型哺乳類実体が立ち、真桑氏を見つめている。]

真桑: 気付かなかった。後ろに居たなんて ⸺

小林: 全く未知の存在です ⸺

実体: ああー、失礼。そう強張らなくていい。丸腰だ、武器は持ってない。

[真桑氏が警戒したまま鉤爪を展開する。]

実体: 怖い顔をしないでくれ。きっと別の時代の別の場所にやってきて、混乱している最中なんだろう。気も張りつめている。違うかい?

[沈黙。真桑氏が唾を呑む。]

実体: こんな寒い外で立ち話も何だ、中に入って、飲み物でもどうだ?

真桑: 中に?

実体: あそこが私の施設だ。

[実体が直方体の建造物を指差す。建造物は木立を越えた先に所在する。]

実体: 少なくとも暖房設備と、食べ物と椅子もある。この時代に不自由なく生きる上で必要な支援の用意もある。

小林: [沈黙] 従いましょう。現地住民との無暗な対立は避けるべきです。少なくとも、我々が何者かを知っている可能性のある相手とは、特にです。

真桑: [小声で] 分かりました。[沈黙] 何の施設ですか?

実体: ふむ。

[実体が顎に生えた体毛を撫でる。数秒思考する様子を見せた後、指を弾いて破裂音を生じる。]

実体: ま、伝えてもいいだろう。表向きにはモンゴル科学アカデミー古生物センター、関係者向けにはSCP財団モンゴル支部サイト-44UB。私は所長のチンゾリグ・ムフンバトだ。どうぞよろしく。

Institute_of_Plaleontology%2C_Mongolian_academy_of_Science.jpg

[ムフンバトと自称する実体に連れられ、無色透明の扉を通過して真桑氏が施設内に進入する。実体が警備職員らしき別実体と意思疎通を取ったのち、真桑氏は階段を登るよう誘導される。道中には母岩を伴う多数の化石化した爬虫類のほか、哺乳類の派生種族と思われる組立骨格が陳列されている。]

[真桑氏が黒色の扉を敷設された1室に案内される。周囲は白色を基調とした空間であり、実体の眼前には白色の机が位置する。実体が着席し、真桑氏にも着席を促す。]

実体: どうぞ。

[机上には多数の書類の束が積み上げられており、書類の数枚には地球と類似する惑星の地図が掲載されている。実体はそれらを1箇所に集積し、無色透明の円柱状容器を机上に置く。内部には無色透明の液体が封入されている。]

実体: ただの水、それも未開封だ。

[真桑氏が着席する。]

真桑: 失礼します。チンゾリグさん、でよろしいですか。

実体: チンゾリグは父から継いだ名だね。私の名はムフンバトの方だ。

真桑: へえ。哺乳類は、変わった名前の付け方をするんですね。

実体: [笑い声] そうかもな。

[実体が容器を開封する所作を示す。真桑氏がそれに倣って開封し、実体の様子を伺って水を口にする。]

実体: 君達の種族のことは、直接知らなくても何となくわかる。かつてデイル・ラッセルという男が君達の存在を空想した。高度な知能と崇高な文明を持つ種族としてね。まさにその想像図と瓜二つだ。まさかそのものを拝めるとは、天地がひっくり返っても無いと思っていたよ。

真桑: 私の種族自体に会ったことは無いのですか?

実体: その通りだ。君達がこの地球に存在した痕跡は何一つ残されて ⸺ いや、我々が発見に至っていないと言う方が妥当かもしれないな。しかしとにかく、我々人類は君達の実在を示す確たる証拠を見出せていないし、蓋然性は微々たるものと考えていた。我々ホモ・サピエンスとの収斂に到達するには、周囲の気候や環境、植生や相互作用を持つ他の動物といった、無数の偶然が重ならなくてはならないからね。

真桑: 私達の存在は、机上の空論と?

実体: そうとも言える。

[実体が水を口にし、容器を机上に置く。]

実体: しかし論がある以上、推論はできる。ラッセルの見解によれば、私と君とは約3億年も昔に袂を分かった二大有羊膜類のそれぞれ末端の葉に位置する存在だ。私達単弓類と、君達双弓類。そして君達は ⸺ 過ぎ去りし時代の生き残りだ。

真桑: つまりあなたは全く新しい未来の生き物ということ?

実体: そうとも言える。この時代では、君たち、あるいはその祖先は恐竜と呼ばれている。恐ろしい竜を意味する複合語で恐竜だが ⸺ 全くもって偏見に満ちた差別的な物言いだな。未熟な私達を許してほしい。

真桑: いえ。正直なところ、私から見てあなたたち哺乳類は ⸺

実体: 不気味かね?あるいは、忌まわしい?

[沈黙]

実体: 何でもいいさ。初めて会って、君達が私達に好意的な印象を抱くなんて期待しちゃいない。むしろ極めて異質で相容れないものとして、拒絶されて当然とも思っている。気にしなくていい。

真桑: [沈黙] すみません。

実体: 本題に入ろう。なぜここに?

真桑: それは ⸺

小林: 眠っていた、と答えてください。

真桑: [沈黙] 眠っていました。つまり、その、コールドスリープです。

実体: ふむ。なぜこの時代で起きたのかね?

真桑: 分かりません ⸺ 装置の不具合か、何かだと思います。原因も、眠っていた長さも分からなくて、どうしようも。

実体: ご家族やご友人は?

真桑: [沈黙] それも、分からなくて。父と母が居ますけど、2人の休眠装置が見当たらなくて。目を覚ましたら周りもすっかり変わっていて、一体どうしたものか ⸺

小林: 即興にしてはなかなか上手いです。その調子。

実体: [沈黙] なるほど。国内でも土地開発が進んでいるからね。道路工事や水道工事で掘り起こされたり、あるいは、化石となって発掘されたりということもあるだろう。デュオニクスもそうだった。災難だったね。

真桑: 化石、ですか。

実体: ん、ああ、うん。

真桑: [沈黙] あなたの種族は哺乳類、なんですよね。哺乳類がそんなに、私達に似たような姿になるまでには、かなり長い時間が要ると思います。思います、けど ⸺ 「過ぎ去りし時代」ということなら、私達が化石になるほど長い時が過ぎたということなんでしょうか。

実体: [沈黙] 私達の目から見れば、君達は太古の昔から地球に生息していた。恐竜は中生代におけるハーンのような動物群と言っていい。陸上の大型動物相から哺乳類を排斥して席巻し、翼竜との生存競争を繰り広げながら空にも進撃した。だがその猛威は ⸺ 突如として終幕した。

真桑: 何が起きたか、ご存じですか?

実体: 地質学的時間スケールでは一瞬の出来事だった。宇宙から飛来した黙示録的な惨禍、天から舞い降りた殺戮と破滅の使者 ⸺ つまり、直径10km強におよぶ巨大な小惑星が、現在でいうメキシコ合衆国、ユカタン半島に直撃した。

真桑: 小惑星、ですか?

実体: いかにも。衝突地点は当時、水深数百m程度の浅海域だった。大陸地殻を構成する花崗岩質の基盤岩の上に、硫酸塩岩と炭酸塩岩と有機物からなる厚い堆積層が分布していたと見られている。

[実体が水を口にし、大きく息を吐く。]

実体: 言ってみれば、当たり所が悪かったんだ。直径10kmと言っても、この地球に比べれば鼻糞のような小ささの天体だが ⸺ 衝突した隕石は10km以深の岩盤までをも溶融させて地表へ巻き上げた。融けた岩石や液状のガラスが数百から数千km圏内に飛散し、煤がより広範囲にまき散らされたはずだ。それらの物質は大気圏を脱出し、宇宙空間にまで届いたろう。

真桑: 宇宙にまで。

実体: そう。巻き上げられた煤は太陽放射を遮蔽した。日光が遮られると何が起こると思う?

真桑: [沈黙] 森林が枯れる、でしょうか。光合成でしたか、それができなくなります。

実体: その通り。全球的に光合成が停止し、陸上植生が急激に衰退した。生態系の豊かな食物網を根幹から支える生産者が壊滅したんだ、その上位に位置する動物群も軒並み打撃を受けてしまう。[沈黙] ああ、それで、硫酸エアロゾルによる強烈な酸性化も、水質汚濁という形で生命の悉くを蝕み狂わせたはずだ。食餌と水、生命活動の維持に不可欠な要素たちがここで決定的に欠落した。

[沈黙。真桑氏は顔を下げており、視界から実体が消えている。]

実体: 以上が、目下有力視されている大量絶滅事変の筋書きだ。恐竜だけでなく、翼竜も全滅、大多数の海棲爬虫類も死滅、哺乳類と鳥類も相当数が打撃を受けた。熾烈を極めた数年以内の環境変動の中で一連の絶滅はほぼ終わっていたはずだ。この混沌を生き延びた極めて小型の哺乳類は、数百万年もの歳月をかけて世代を重ね、ゆくゆくは私達へ至ることになる再建の道を歩んだ。おそらく君は、食物連鎖の破綻に先駆けて、何かしらの理由で休眠状態に入ったんだ。

[沈黙]

実体: ああ、済まない。いきなりこんなことを聞かせるものじゃなかったかな。落ち着いたら ⸺

真桑: いえ、[真桑氏が顔を上げる。] 興味深いですね。

実体: [沈黙] そうかい?それなら良いが ⸺

真桑: 天体の衝突はいつの出来事ですか?

実体: [沈黙] 今からおよそ6,600万年前の春。白亜紀のうち、マーストリヒチアンという最末期だ。我が国では南西部、ゴビに分布するネメグト層という地層がマーストリヒチアンの層準だが、衝突自体はもう少し遅い時期にあたる。

真桑: ありがとうございます。話が変わりますけど、別の時代についてお尋ねしても?

実体: 別の時代。というと?

真桑: 巨大なトンボが飛び回るシダの大森林の時代は、あなたの時代から見て何億年前ですか?

実体: [沈黙] 本当に話が変わったね。それは石炭紀。3億年前だ。

真桑: じゃあ、地球に環があった頃の、頭足類の時代はどうですか?

実体: オルドビス紀だ。4億6000万か、7000万年だったはずだ。

真桑: [沈黙] ありがとうございました、ムフンバトさん。これで分かりました。

実体: [沈黙] 何が分かったのかね?

真桑: 私達の居る場所が。過去と未来の狭間が、歴史の俯瞰の中でどこに位置するか。

実体: 一体どういう ⸺

真桑: どうせ避けられない必定なら、いっそ。

[真桑氏が右手にナイフを具象化する。]

実体: 馬鹿な、危険物は ⸺

[真桑氏が自身の左腕を切りつける。]

[鮮血が飛散する。]

<記録終了>


終了報告書: アーティファクト2147号-JPは基底現実へ帰還した。左腕は刃物による裂傷と流血が確認され、その形状が夢内で生じたものと一致した。自傷行為による覚醒に成功した事例であると見られる。





事案: 20██/██/██、真桑氏は夢内での探索中に小林学者の指示に反する不安全行動を取り、結果として基底現実において死亡しました。脳情報デコーディング技術を用いて可視化された内容を以下に示します。

<記録開始>

[真桑氏は客室の寝台に座っている。応急処置を受けた傷は塞がり、出血が停止している。]

小林: アーティファクト2147号-JP。今回の探索ですが、行けますか?

真桑: ええ、行けます。どうかしたんですか?

小林: いえ。[沈黙] その、前回の遭遇で、哺乳類型実体にショックを受けたのでは ⸺

真桑: ショック、ですか?

小林: ええ。推定未来生物により提示された未来は、少々刺激が強かったかも、と。その ⸺ 君は、発見に至った経緯からして、自分の生きた証を残したいという願望や自己顕示欲が見え隠れしていました。ですが、あの哺乳類は我々の存在を化石という形でさえ実存として認識していなかった。あなたの思惑に真っ向から反する視座だったのではありませんか?

真桑: うーん、そんなには。むしろ、面白いと思っちゃいましたよ。

小林: 面白い?

[真桑氏が立ち上がり、扉に向かって歩く。]

真桑: ええ。小林さんも仰っていたじゃないですか。「因果を飛び越えて過去や未来をそのまま目撃できるなんて、喉から手が出るほどに欲しい特性だ」って。

小林: [沈黙] ええ、言いましたが。

真桑: 小林さんにとっては過去が良かったようですけど、私は未来だったみたいです。まだ誰も見ていない、本来私が目にするはずの無かった光景。あなたがそれに気づかせてくれたんですよ。

[真桑氏が扉を開き、廊下に出る。]

真桑: 探します。私の行くべき部屋を。見届けるべき時代を。

Dream%20Corridor.png

通路

[真桑氏が大股で歩きはじめる。]

小林: 待って、一体どこに行くと ⸺

真桑: ムフンバトさんが教えてくれた。

小林: 何?

真桑: あの哺乳類の時代から見て、昆虫とシダの大自然は3億年前だった。空に聳える星屑のアーチは4億7000万年前だった。私達の認識からざっと7000万年ぐらいズレてる計算です。7000万年の彼方だったんです。

小林: [沈黙] それが?

真桑: 忘れたんですか?未来の地球で哺乳類が天下を獲る6600万年前、この地球に何が起きたのか。私達爬虫類 ⸺ 彼らの言う恐竜に何が起きたのか。

[真桑氏が階段を登る。]

小林: [沈黙] 止まってください。危険です。

真桑: 私達は首元に死神の鎌を突き付けられてるんです。遥かな遠くの宇宙から訪れた神のような妖星。数億年に一度しか見られないダイナミクス、でしたよね。私達はもちろん、哺乳類にだって直接見ることはできません。どれだけ研究を蓄積しても、彼らの網膜に直接それが焼き付くわけじゃない。衝突の時期を生きた当人でなければ、どんな生き物でもそれは叶わない。

[真桑氏の足音]

真桑: でも私なら見れる。私の夢なら、この世界の行く末を直接知れる。それが今の私の目標 ⸺ 幻ではなく、希望や展望としての夢になりました。

[真桑氏が基準階層+2階に到達する。]

真桑: 小林さんがくれた夢ですよ。

小林: [舌打ち] 今すぐ叩き起す、強制終了だ。

真桑: [大声で] 拘束具に縛られながら過ごす安全なんて求めてない!

小林: ですが ⸺

[真桑氏が歩きはじめる。]

真桑: それに、寝ればまた同じことです。時間の問題ですよ。いつだってこのホテルは夢の中に聳えていたし、いつでも無限の部屋が並んで待ってる。私に扉を開かれる瞬間を、ずっと待ってるんですよ。生き物はいつか必ず眠りに落ちます。昼が来れば夜が来るように、光が当たれば影が落ちるように、私はこのホテルに必ず辿り着く。生きてる以上、必ず。

[真桑氏の足音]

真桑: 時間は私の味方。そしてこの夢もそう。だいたい掴めてきました。

[真桑氏が3号室の前で足を止める。]

真桑: 400万年なんて数字を丸めるだけで誤魔化せます。本当はもっと近く、この階にあるはず。

[真桑氏がドアノブを回し、扉を開放する。扉の向こう側は薄暗く、遺骨の散在する荒廃した光景が広がっている。]

Eugen_Bracht_-_Das_Gestade_der_Vergessenheit_%281889%29_detail.jpg

[風音。その他に音は聴取されない。]

真桑: 静かですね。大いなる静寂が訪れる、ってね。

小林: [沈黙] それは?

[真桑氏が歩きはじめる。]

真桑: 私の好きなテレビドラマの一節です。[沈黙] 世界がこうなれば、もう見られないけれど。

小林: 何度でも言いますが、我々の未来ではありません。
[真桑氏が咳払いをする。]

真桑: でも、私達の友達や子供たちが消えてくことに変わりはありませんよ。私達の受け継いできた文化も、守ってきた土地も、そして私達が存在したという痕跡さえ ⸺ 綺麗に洗い流されてしまうんですよ。今ここに散らばってる骨も、しばらくすれば大地に埋もれて土に還る。違いますか?

小林: [沈黙] 確かに、化石の保存には偏りがあります。鉱物化する以前に分解者が生物体を散逸させてしまったり、あるいは骨や化石が風化侵食で何一つ残さず失われてしまうこともあります。世界の各地に繁栄した文明を構成する、細々としたものまで含めて一切合切の要素が全て地質から剥ぎ取られてしまうというのは、考え難いことではありますが ⸺

真桑: でも実際に起きてる。私はどこにも残らない。種族の興亡なんて、降り積もった星霜の下では押し潰されて消えてしまう。どこの誰にも悟られず、永遠に失われる。

[真桑氏の咳払い]

真桑: 私達にとってのチョッカクガイがそうでした。あれだけの揺るぎない知性を備えたオルドビス紀の彼らを、私達に匹敵する複雑な情緒の持ち主を、私も小林さんも知りませんでしたよね。先の時代に栄華を極めたはずの彼らを。

[真桑氏が立ち止まる。]

真桑: それで、哺乳類にとっては私達がそう。そのプロセスは ⸺ 今、目の前に広がっていますね。

[真桑氏がその場にしゃがみ込み、指で地面に触れて被覆物を摘まみ上げる。]

真桑: カビ ⸺ ですね。死体に纏わりついてる。

Mucor_spec._-_Lindsey_1a.jpg

真桑: 小林さん、さっき、分解者が死体を散逸させるって。

小林: [沈黙] 言いましたね。

真桑: 死体の周りに広がってる白っぽいもののいくつかは、あるいは全ては ⸺

[真桑氏が咳き込む。]

小林: [沈黙] これはひどいですね。真菌が優占する世界ですか。無数の植物が枯死した今、覇権を握るはカビやキノコの仲間。生食連鎖が衰退し、腐食連鎖で世界が駆動されている。死に覆われたこの星で、亡骸の山を大地に還すと。

真桑: でも、興味深くないですか?私たちの居なくなった世界がどうなるのか、あるいは、どうやって誰も ⸺

[真桑氏が激しく咳き込む。]

小林: 2147号-JP、どうしました?

真桑: [咳] 急に、喉が。[咳払い]

小林: 胞子のせいかもしれませんね。それだけカビが密生しているとなると、呼吸器系に影響をおよぼしても奇妙ではありません。私からは見えませんが、空気中に充満している可能性を否めませんね。

真桑: [微笑む。] 胞子ですか。石炭紀では見れなかったですね。運が良い。

小林: 真菌は我々の致命になりえます。成体だけでなく、卵でもただ無防備に転がっているだけに過ぎません。あらゆる年齢層に感染して蝕んでいくことになります。果てしなく腐敗の広がる地獄ですね。

[擦過音。真桑氏から離れる方向に三錐歯類と思われる小型哺乳類が走り去り、暗がりの中に消失する。]

真桑: 居たんですね。気付かなかった。

小林: 小型動物はしぶといですからね。[沈黙] なるほど、哺乳類は卵が菌糸に侵される懸念も無く、母体が無事なら胎児の生存率も高いまま。蔓延する真菌感染症に対し頑健な彼らは、腐敗の渦にも抗って回復と放散を遂げられたのかも ⸺

[真桑氏が激しく咳き込む。]

小林: 逃げましょう、危険です。

真桑: [咳] ええ、そうします。

[真桑氏が立ち上がり、扉に向かって歩きはじめる。扉は陰鬱とした大気の中に支えも無く立っている。]

小林: [沈黙] えらく聞き分けが良いですね。

真桑: 勘違いしないでください。この時代が外れただけです。 ⸺ でも、かなり近づいていますよ。私が見つけるべき本命の扉は。

小林: 何?

真桑: ムフンバトさんが言っていました。数年以内の環境変動で私達は絶滅した。そしてここは既に滅びた世界。つまり ⸺ 隕石が落ちたのはここから過去数年のうち。

小林: だから ⸺ ?

真桑: 近くの扉を開ければいいんです。私にはそれができる。

[真桑氏が扉を開き、通路に帰還する。]

Red%20Corridor.png

通路

[可視化された映像が赤く染まり、かつ安定性を欠いている。]

小林: 2147号-JP。視界が ⸺

[袖で顔を拭う動作に伴う視界の暗転]

真桑: 荒れてますか?

小林: はい。

真桑: 実際、目がゴロゴロしてます。涙も止まらなくて、まともに目も開けてられないのが正直なとこです。さっきのカビのせいかもしれませんし、あるいは ⸺

小林: あるいは?

真桑: 知らず知らずのうちに追い詰められてる。蓋をして隠していたはずの恐怖が、精神の逼迫が ⸺ 後ずさりをさせようとしてる。そういうことなのかもしれません。

[真桑氏が前進する。]

真桑: でも退きません。ここは私の領域だから。

[真桑氏が2号室のドアノブを掴む。]

真桑: これですね。これが正解。私の夢に向かって動く。

小林: 2147号-JP。自暴自棄な真似はやめてください。

真桑: 夢を果たせるなら、もうこのホテルの役目も終わりです。

[真桑氏が扉を開放する。視界が回復する。]

小林: 行くな ⸺

[眩い閃光と衝撃波が直撃する。]

[真桑氏の視界が大きく傾き、天井に向く。天井が崩壊し、破砕された建材が瞬時に発火する。]

[通信途絶]

<記録終了>

上記の探索ののち、基底現実のアーティファクト2147号-JPは全身が炭化・崩壊した状態に遷移しました。これは隕石衝突の際に発生した熱風あるいは大気過熱により2147号-JP-A内の肉体が燃焼し、基底現実に反映されたものと目されます。本事案2147号-JPの生命兆候は喪失しています。

真桑友梨佳氏が死亡したこと、また2147号-JP-Aが夢内で焼失したことから、2147号-JPは無力化されたものと判断されます。





























扉が開く。空気の塊が動かされ、流体が首筋を撫でていく。

目を開く。塩水が頬を伝い、風に揺られて滴り落ちていく。

寒くはない。扉の向こうは紛うことなき春の陽気だ。その温かい日差しは、長きにわたって照らされていれば大きな熱を蓄えるだろう。暖かな大気が生きとし生けるものに活力を漲らせ、青々と茂る葉に陽の光が差し込む。巣立った蟻の群れが空を飛び、小鳥がそれを追って翼をはためかす。

幾度となく繰り返された春の訪れだ。これから気温が上がり、太陽の輝きが増していく。春から夏へ、それが終われば夏から秋へ。脈々と続く循環の1つ。

今まさにそれが終止符を打たれようとしている。太陽よりも遥かに邪悪な輝きを増した、想像の絶する灼熱を伴った、虚空より至る破滅の前兆だ。天空を焼き尽くし、海洋を消し去り、大地を砕き割る ⸺ 破壊の権能を司る化身。


KT_Meteor.jpg

かつてのチョッカクガイたちも、この天変地異を目にしたのだろうか。

石炭を育んだシダの大森林は、これほどの焼失を経験したのだろうか。

未来に生きる哺乳類たちは、これをどこまで復元できるのだろうか。

耳を劈く轟音を置き去りにした衝撃波は、動物と植物の区別無く全てを吹き飛ばす。途轍もない衝撃に貫かれたまま、肉体は泡立ち、蒸気を噴く炭が顔を覗かせる。気体は空気に混ざって消えていく。

あらゆる苦痛は最早この次元に付いてこられない。身体は器官に分かれ、器官は組織に砕け、組織は細胞に剥がれ、細胞はさらに細かい部品へ崩れていく。生命機能が破綻する。痛みという警告機能に出る幕は無い。

やがて、冬が来る。陰鬱にして暗澹とした、衝突の冬が訪れる。

世界は動く。私を知らずとも。

そして、春が来る。草葉の陰に隠れて生きる、小さき者に未来が拓く。

時間は巡る。私が居なくとも。

ああ、眼福だ。






特に指定がない限り、このサイトのすべてのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス の元で利用可能です。