補足資料2218-JP
補足資料2218-JP.1: 81管区設立宣言補足資料第2218号
81管区設立宣言補足資料第2218号
日付: 1945年12月31日
前文: 当該資料は81管区設立宣言附属文書第8号に定められる“八幡大菩薩”の管理方法に関する補足資料として、日本国超常史上における蒐集院による“八幡大菩薩”の作製、拡大、管理方法等について要約したものである。
(1) 神格の作製
(1-a) 作製の目的
西暦672年に発生した壬申の乱の際、支配者層の勢力は大海人皇子(後の天武天皇)及び大友皇子によって完全に分裂した。当該動乱によって、近江の大津宮は荒廃し、宮殿や詩文は“ことごとく煨燼”1に帰し、人民の心は乱れ、皇統の基盤は不安定なものになった。乱が終結し、宮居が飛鳥浄御原宮に移された後、天武天皇は皇族及びその血脈につながる人々に政治の中枢を引き戻し、中央集権化することを画策した。理由は、自身が戦争の勝利という実力行使によって皇位に就き、先述したような不安定な状況を経験する中で、その権力構造を改めて堅牢なものにする必要があったからである。『古事記』及び『日本書紀』の編纂を開始させたのもこの思惑によるものである。これらを用いて“邦家の経緯”及び“王化の鴻基”2を明らかにすることで、天武天皇は天皇による統治の必然性を示し、自身の政権を盤石なものにすることを目指した。
天武天皇の上記の方針は、日本国における超常的権威の管理方法に対しても影響を与えた。そもそも蒐集院は蘇我氏をはじめとした豪族が運営していたため、天皇への集権化を狙う天武天皇にとって蒐集院の勢力削減は重要な課題だった。これを受け、天武天皇5 (676) 年、天武天皇は当院を陰陽寮と蒐集寮(蒐集院のこの時代の異称)に分裂させ、“天皇から独立した機関”から“天皇の管轄下にある機関”に改組することで権力構造の是正を図った。これによって蒐集院は蒐集物第〇〇〇八番・“大八嶋”の14柱の内半数を失い、陰陽寮及び其々の祖神を戴く諸豪族に対する発言権を弱めた。事態を憂慮した蒐集院は、蒐集物第〇〇〇一番・“国津神”に匹敵する霊的威力を有する神格存在を作製し、勢力の後ろ盾にすることを画策した。約半世紀の準備期間を経て、神亀2 (725) 年に蒐集院は神格核の作製に関する儀式を実施した。
(1-b) 作製方法
蒐集院による具体的な“八幡大菩薩”作製方法に関する資料はほとんどが破棄されているため推測の域を出ないが、日奉いさなぎ氏がしばしば有する異常性を利用したという説が有力視されている。
財団の推測では、「自身の存在についての情報をミーム汚染的に人々に伝播させる」という異常性を有する巫女を微弱な神格存在の依坐よりましとして利用し、それを核として大量の“信仰”を摂取させることによって、古来の神格に匹敵する神格存在を擬似的に成長させることに成功したと考えられている。
日奉の姓を有する氏族が“八幡大菩薩”作製の時代まで遡れるかは定かではないが、歴代の日奉氏に連なる人々が有していた異常性を記した資料において「多くの人々に知られ、記憶の中に生き続ける」という意味の記述が発見されており、上記推測は「当時も同様の異常性を有した巫女が存在していた」という仮説を基に考察されたものである。
(2) 神格の拡大
蒐集院は上述した“八幡大菩薩”自体が有するミーム汚染能力に加えて、様々な活動を通じて当該神格による信仰の摂取を促進させた。
蒐集院は仏教が有する教義の民間への浸透力及びそれ自体が持つ潜在的なミーム汚染的特性に注目し、当該神格を仏教に対して積極的に調和させ、「実質的に仏教に属する神道的神格」として存在させることに成功した。この方針決定の結果、日本国では神仏習合3が進み、神道が仏教の影響を受けることで上代と比較して蒐集物第〇〇〇一番・“国津神”の霊的威力が減退した一方で、“八幡大菩薩”の霊的威力は急速に向上したと考えられている。
上記の方針に並行して、蒐集院は“八幡大菩薩”を第15代応神天皇と習合させることを着想した。理由は以下の利点によるものである。
- 応神天皇は皇族の男系祖先にあたり、天照大神や高木神たかぎのかみ4から皇祖神としての地位を簒奪できる可能性がある。
- 応神天皇は武力を用いて各地を平定したことに加え、母親である神功皇后は応神天皇を懐妊した状態で三韓征伐を実施したという歴史を有することから、戦闘の神としての地位を確立することが可能である。
- 応神天皇の父親である第14代仲哀天皇は天照大神による祟りによって死亡していることから、神格の性質上天照大神に対して攻撃性を持ちやすく、霊威による対抗が容易である。
源平合戦の際、蒐集院は“八幡大菩薩”が有する上記の“戦闘の神”としての側面を強調し、騒乱が蔓延する日本国における崇敬を高揚させた。その結果、政権が朝廷から武家に移った後も“八幡大菩薩”は清和源氏の氏神として日本国の中枢神格に留まることに成功した。この影響は政権を担う機関が鎌倉幕府から徳川幕府になるまで継続した。
慶応4 (1868) 年10月、“大八嶋”を用いた儀式実行による後押しもあり、日本国では明治維新が開始された。この際、神仏分離によって日本国の各神格存在は仏教的性質を徹底的に剝奪され、その形而上学的性質を大きく変化させた。特に“八幡大菩薩”はその性質が仏教に大きく依存していたことから霊的威力の大幅な減退が予想されたが、資料によると弱体化の後予想よりも大幅に短い期間での霊力復活が示唆された。蒐集院によるなんらかの工作が介入した可能性が指摘されている。
その後は、軍国主義化する日本国において“八幡大菩薩”の“戦争への勝利に寄与する神である”という側面によって、官民問わず信仰が高揚した。結果、現在に至るまで当該神格は日本国における最も大きな霊的威力の保持に成功している。
(3) 神格の秘匿
日本国民の大半に影響を与え得る神格である“八幡大菩薩”の性質の秘匿は、蒐集院にとっての最重要課題であった。その最たる理由は当該神格の悪用・濫用の防止であり、蒐集院は天皇を含んだ蒐集院以外の全ての勢力に対する切り札として、厳重に隠匿を図った。“八幡大菩薩”を蒐集院が作製し、管理しているという事実は最高幹部である“七哲”及び“八幡大菩薩”の運営を実行する集団である“八幡衆”にのみ開示され、蒐集院内に対しても厳重な機密管理が行われていた。
作製当初、“八幡大菩薩”の存在は削実定偽政策5の対象とされ、大分県宇佐市安心院あじむ町付近の土着神格及び福岡県田川郡香春かわら町付近に降臨した渡来神6を関連させた上で、それらと応神天皇とを習合させた“八幡大菩薩”のプロトタイプが蒐集院によって流布された。その後、当該神格は非異常性かつ大規模な信仰を集める対象として民間人及び権力者に認知され、同時に蒐集院の工作によって先述したような信仰の拡大が行われた。当該神格の性質の秘匿は近代に至るまで成功裏に収まっていたと考えられる。
(4) 戦時中の錯綜

石原莞爾大佐(1934年)
“八幡大菩薩”の濫用が俄かに危惧され始めたのは、明治21 (1888) 年の大日本帝国異常事例調査局 (IJAMEA) の設立及び臥龍事件7の発生を受けてからである。これらを受け、国内における蒐集院の超常的権威は失墜し、当院の軍部及びIJAMEAに対する独立性は低下した。その結果、“八幡大菩薩”に関する技術内容の一部が軍部に露見し、大日本帝国における帝国主義思想の発揚に当該神格の“託宣”が利用されることになった。
また、“八幡大菩薩”の“託宣”は特定人物をIJAMEAの制御下に置くことにも利用されたことが各資料において示唆されている。例えば、石原莞爾による満州事変の実行や宇垣一成8内閣組閣の阻止などにおいてIJAMEAによる“託宣”を通じた指示が影響したことが示唆されている。しかし、後に石原は満州国を対ソ・対米戦に向けた国力充溢のための場と見なし、積極的な帝国主義的侵略には不賛成の立場を取ったため、IJAMEAと対立した後に左遷された。
加えて、相沢事件において永田鉄山9陸軍少将が相沢三郎少佐に暗殺されたこと、盧溝橋事件における蔣介石との和平会談への出発を近衛文麿首相が直前に断念したこと、内大臣・木戸幸一が独断で東条英機を内閣総理大臣に推挙したことなど、大陸侵略及び対米開戦に向かっていく中での複数の事件において、しばしばIJAMEAによる“託宣”を通じた方針決定が介入したことが示唆されている。IJAMEAによる戦時中の“八幡大菩薩”の利用内容については現在調査中である。
また、昭和12 (1937) 年に臥龍事件の首謀者であると目される葦舟龍臣が蒐集院を離反し、大日本帝国陸軍特別医療部隊を設立した際、“八幡衆”構成員1名及び関連資料の大多数が奪取されたが、その後“八幡大菩薩”の性質を改変することで現在は濫用の防止に成功していることが結論付けられている。当該部隊によって“八幡大菩薩”の濫用が過去に発生したかについては現在調査中である。
(5) 神格の管理

石清水社(石清水八幡宮摂社)
蒐集院の資料から、“八幡大菩薩の核”にあたるなんらかの物理的物体が石清水八幡宮摂社の一つである石清水社10の本殿内に所在していることが判明している。当該物体は当初宇佐八幡宮に設置されていたが、貞観年間 (859~876) に奈良大安寺の僧侶である行教を中心として勧請を行うことで当神社に移されたと考えられる。この物体に関する詳細な資料は全て破棄されており、また複数の呪術的操作を通じた蒐集院の厳重な隠蔽工作11によって当該物体に関する直接的な研究は今のところ困難になっている。神籬ひもろぎや磐境いわさかのような自然物的依坐、なんらかの人工的神具、上述した巫女の遺骸など当該物体に関する複数の説が提唱されている。
蒐集院は“八幡大菩薩の核”を用いた儀式によって、複数回その神格的性質に改変を加えたことが示唆されている。蒐集院はこの儀式を用いて、日本国内の情勢が変化した際それに最も適合するように“八幡大菩薩”の性質を適宜修正していたと考えられている。
上述した“八幡大菩薩の修正”を行う権利を有することは、すなわち日本国内で最も大規模な神格存在の一つである“八幡大菩薩”の巫術的戦力、情報災害的ミーム汚染及びその他神学的・奇跡論的・神秘学的影響全てを人為的に制御できることを意味するが、蒐集院との交渉は儀式内容に関する情報の完全な提供を見ずに合意に至った。名古屋協定における蒐集院への譲歩を加味し、財団は“八幡大菩薩”の情報を保持する蒐集院構成員を一部署に集め、懐柔による非強制的な情報提供を目的とした。合意内容は81管区設立宣言附属文書第8号を参照すること。
(6) 信仰者の管理
他の神格存在と同様、“八幡大菩薩”はそれを信仰する人間と契約関係にあり、信仰者は神格存在によって強い精神影響を受ける。“八幡大菩薩”が他の例と異なる点はそれが人工的な神格存在であることであり、したがって信仰者への精神影響をある程度人為的に操作することが可能であることが判明している。蒐集院はこのような方法を用いて、カバーストーリー流布や記憶処理のような民間人への対応を実施したことが示唆されており、当技術は財団の収容体制に多大な利益をもたらすことが期待される。
以上
補足資料2218-JP.2: 蒐集院とSCP-2218-JPとの関係性について
以下に蒐集院が過去にSCP-2218-JPと関わった事例の内、財団が機密指定していない事例(カバーストーリー適用済み事例を含む)に関するものを抜粋して示します。
一般的に認知されているイベント内容 | 蒐集院による活動内容 |
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神亀2 (725) 年、弥勒禅院の別当である法蓮はSCP-2218-JPから日本国の守護をするという託宣を受けた。結果、当院を前身として弥勒寺及び宇佐八幡宮が創建され、SCP-2218-JPに対する祭祀が開始された。 | 蒐集院は現在の宇佐八幡宮周辺において儀式的操作によってSCP-2218-JPの核を作製した上で左記のカバーストーリーを流布し、SCP-2218-JPに対する信仰を拡散するための工作活動を開始した。 |
正和2 (1313) 年に弥勒寺の僧侶である神吽が著した『八幡宇佐宮御託宣集』では、SCP-2218-JPは「辛国からくにの城に始めて八流の幡はたと天降って」日本の神となったと説明された。 | SCP-2218-JPは記紀12に登場しないことなどから、蒐集院はSCP-2218-JPが日本に土着していない神格であることを説明する必要があった。このことから蒐集院はSCP-2218-JPが朝鮮半島から渡来した神格であるというカバーストーリーを適用した。 |
欽明天皇32 (571) 年、SCP-2218-JPは「我は日本の人皇第十六代誉田天皇広幡八幡麻呂13なり」という託宣をした。 | 蒐集院は第15代応神天皇がSCP-2218-JPと同一の存在であると規定する方針を定めた。 |
天平9 (737) 年、大和朝廷は新羅に使節を派遣したが拒絶された。大和朝廷は各地の神社に幣帛14を送り、当該事件の結果を奉告した。 | 蒐集院の工作によって幣帛の送り先にSCP-2218-JPが加えられた。日本国政府がSCP-2218-JPを認知した最初の例である。 |
天平12 (740) 年、藤原広嗣の乱が発生した。大和朝廷はSCP-2218-JPに対して戦勝祈願を行い、勝利後は新羅産の錦の冠や法華経などを奉納した。 | 蒐集院の工作によって祈願先及び奉納先が決定された。 |
天平勝宝元 (749) 年、八幡大神禰宜大神杜女おおみわのもりめはSCP-2218-JPから東大寺の大仏建立に関する守護をするという託宣を受けた。当該大仏は天平勝宝4 (752) 年に開眼供養が行われた。 | 蒐集院は、SCP-2218-JPと今後日本国に広く流布するであろうと考えられる仏教とを積極的に習合することによってSCP-2218-JPの信仰を収集することを方針として定めた。蒐集院は東大寺が総国分寺に指定されるように工作し、各国の国分寺やその他の寺に対して手向山八幡宮15からSCP-2218-JPを勧請することによって、SCP-2218-JPを全国に普及させることに成功した。 |
神護景雲3 (769) 年、称徳天皇の寵愛を受けていた道鏡はSCP-2218-JPから皇位に就くべきであるという託宣を受けたことを述べた。その後、確認のため宇佐八幡宮に派遣された和気清麻呂はSCP-2218-JPから道鏡を皇位に就けるべきではないという託宣を受けた。称徳天皇の怒りを買った和気清麻呂は大隅国に流刑となったが、その翌年に称徳天皇は崩御し、結果道鏡は失脚して和気清麻呂は朝廷に復帰した。 | 前半の託宣は道鏡によって捏造されたものであった。僧職である道鏡が皇位を継いだ場合、SCP-1111-JP継承のための後継者が断絶することが危惧された16。これを回避するため、蒐集院は和気清麻呂を用いて託宣の内容を撤回させ、流刑となった後は同人物を保護した。 |
天応元 (781) 年、託宣によってSCP-2218-JPの菩薩号が「護国霊験威力神通大菩薩」とされた。また、延暦2 (783) 年には「護国霊験威力神通大自在王菩薩」と称するようになった。 | 蒐集院は各地に神宮寺17を積極的に建設するなどの工作によって神仏習合思想の定着を促し、その中でSCP-2218-JPが確固たる地位を保持することを画策した。 |
貞観元 (859) 年、清和天皇即位に関する祈祷の際、大安寺の僧侶である行教はSCP-2218-JPから平安京の裏鬼門を守護するという託宣を受けた。結果、SCP-2218-JPが宇佐八幡宮から勧請され、石清水八幡宮が創建された。この際、SCP-2218-JPは“皇大神18”または“太祖”と呼称された。 | 蒐集院にとって、石清水八幡宮の創建は朝廷に対するSCP-2218-JPの地位を確立するための非常に重要なプロジェクトだった。“皇大神”の地位を伊勢神宮から奪うことによって、蒐集院はSCP-2218-JPが朝廷で最も大きな影響力を持つようになることを画策した。 |
天慶21 (939) 年、乱を起こした平将門はSCP-2218-JPから「朕が位を蔭子平将門に授け奉る」という託宣を受け、「新皇」を称した。一方で朝廷は石清水八幡宮において平将門調伏のための祈祷を実施した。平将門は独立を宣言したが最終的に討伐された。 | 蒐集院はSCP-2218-JPを用いて平将門を朝敵にする一方で平貞盛・藤原秀郷らに援助をし、結果3か月足らずで乱の鎮圧に成功した。あらかじめ実施していた戦勝祈願が成就したため、朝廷におけるSCP-2218-JPの崇敬はさらに高揚した。 |
康平6 (1063) 年、源頼義が石清水八幡宮から由井郷鶴岡にSCP-2218-JPを勧請し、最終的に鶴岡八幡宮が創建された。その後SCP-2218-JPは清和源氏の氏神として源氏、足利氏、徳川氏などの武家政権から篤い崇敬を受けた。 | 蒐集院は武家の台頭を予見し、SCP-2218-JPを氏神とする清和源氏が政権を樹立するように工作した。結果、政権が朝廷から武家に移った後でも、SCP-2218-JPは政権に対して大きな影響力を保つことができた。 |
持統天皇6 (692) 年、伊勢神宮が第一回目の遷宮を実施したことを受けて持統天皇は伊勢神宮の参拝を試みたが、三輪朝臣高市麻呂みわのあそんたけちまろが農事の妨げになるという理由で行幸に強く反対した。この行幸は実施されたが、この後明治2 (1869) 年までの約1,200年間、天皇による伊勢神宮参拝は行われなかった。 | 朝廷におけるSCP-2218-JPの地位を確保するため、明治維新まで蒐集院による伊勢神宮行幸の妨害などの工作活動が継続され、他の神格存在の信仰削減が継続された。 |
補足資料2218-JP.3: 81管区設立宣言附属文書第8号
当文書は1945年12月31日に発布された81管区設立宣言に付随して定められたSCP-2218-JP管理方法に関する資料です。
財団81管区支部設立ニ際スル附属文書 第8号
日付: 1945年12月31日
前文: 当文書は、財団81管区支部の設立に際して日本国の超常機関“蒐集院”が保有していた神格存在“八幡大菩薩”の管理方法について蒐集院・財団間で合意した内容を記録するものである。
第一章: 用語
第一条
神格存在“八幡大菩薩”はSCP-2218-JPと改称され、Thaumiel区分とされる。
第二条
“八幡大菩薩”の分霊が勧請・設置されている領域はLoI-2218-JPに指定される。
第三条
1945年12月現在、京都府八幡市に所在する石清水八幡宮摂社・石清水社本殿内に保管されているSCP-2218-JPの神学的中心核はSCP-2218-JP-COREと呼称される。
第四条
SCP-2218-JP-COREを用いてSCP-2218-JPの性質を変更・修正する、またはSCP-2218-JP信仰者の精神影響を操作するための儀式的手順は儀式2218-JPと呼称される。
第二章: 運用
第五条
(a) 附属文書2号の各部門配置案に基づき、SCP-2218-JP及びその周辺事項に関する研究、利用及び情報管理を担当する部署として、八幡信仰研究所が設置される。
(b) SCP-2218-JPに関する情報は全て八幡信仰研究所によって管理され、機密指定または情報公開の判断が実施される。
第六条
(a) 81管区支部理事及び八幡信仰研究所所属職員はレベル5/2218-JPを保持する。
(b) レベル5/2218-JP保持職員は八幡信仰研究所に配属される。
(c) 新たなレベル5/2218-JP保持職員の任用はO5評議会の過半数による可決を必要とする。
第七条
(a) 全国のLoI-2218-JPの管理は神道指令19及び関係法令の内容から独立し、八幡信仰研究所が担当する。
(b) 儀式2218-JP
(b-i) 儀式2218-JPの内容はレベル5/2218-JP保持職員にのみ公開される。
(b-ii) 儀式2218-JPの実施はO5評議会の過半数による可決を必要とする。
(c) SCP-2218-JP-COREの移動及び使用は儀式2218-JP実施の際を除き原則禁止される。
第八条
機動部隊い-2(“扇の的”)が八幡信仰研究所の管轄下に設置される。当該機動部隊はSCP-2218-JPを利用した呪術的攻撃による敵性実体の無力化を目的とする。当該機動部隊員にはレベル3/2218-JPが付与される。
第三章: 人事
第九条
旧蒐集院“八幡衆”構成員は全て八幡信仰研究所に配属される。
第十条
八幡信仰研究所は、初期配属の際旧蒐集院に所属していた職員と当初から財団に所属していた職員との数が同数になるように職員が配属され、その後は財団から職員が追加される。
第四章: 改正
第十一条
当文書内容によって、SCP-2218-JP及び八幡信仰研究所の管理及び運営方法を定めるものとする。当内容を改正する場合、O5評議会の過半数による可決を必要とする。
以上
追記: 後に第7条b項が改正された結果、儀式2218-JPは八幡信仰研究所所長の許可によって実行が可能になっています。