アイテム番号: SCP-2542-JP
「見たら死ぬ絵」というものをご存じでしょうか?その名前の通りに見たら死んでしまう絵というものです。何処から来たのかも絵師も分かりませんが、大きさは縦が三尺、横幅が四尺六寸ほどの樫の額付きの絵でございます。最初に見付かったとされるのは元禄三年頃の事。気が付いた時には江戸の永見様という画商の下に置かれていたとの話です。ある時丁稚が倉庫にしまわれていた絵を見た途端にまあ、ぽっくりと。丁稚が来ない事を気になった永見様も、その妻もお亡くなりになったとの事。
そこにたまたま蒐集院お抱えの道士様が通り掛かっていなければ、野次馬が何人死んでいたのかも分かりません。絵を見たら死ぬと見抜いた道士様は、帯を用いて目を隠し、件の絵を見付けるとおもむろに筆を懐より取り出して一筆。そこには何と「みたらし・ぬえ」と木簡に名前が書き綴られており、絵を見せると誰も死ななかったのです。
何と言う事はありません、「みたら・しぬ・え」を「みたらし・ぬえ」に変えてしまったという話でございました。元の絵はどうなっていたのか分かりませんが、その絵には確かにみたらし団子が乗った皿の傍らで、ぬえが見る者を見据えている絵が浮かんでいたとの話です。
道士様は野次馬に対してこうおっしゃいました。「この絵は名付けられた通りに動くもの。見たら死ぬ絵と呼べば見たら死ぬ絵になり、みたらしぬえと呼べばみたらし団子と鵺の絵になる。やがて鵺が動き出す事だろう、その時には私が行なった様にまた別の名を付けるべし」と。そして筆を託した後に、富士の山の穢れを祓いに行ったとされています。
それから六年程経つまでその絵は飾られていましたが、ある時鵺の目が動いたと絵を見た方々が言う様になりました。道士様の言葉の通りだと皆が話し合って、丁重に収められていた筆を取り出して新たに絵を名付ける事になりました。皆々で話し合った果てに「みた・らし・ぬえ」で名付けたのですね。すると鵺を見たと語る男の絵に変わり、また数年経つと男は鵺を見たと声を語り、鵺の目は再び動き始めたのですね。
続けて話し合って「みたらし・ぬ・え」になりました。「ぬ」の形をしたみたらし団子の絵に変わりましたが、ある日鼠が絵から滴り始めたタレを舐めている程にみたらしになったのでまた名前を変える事になりました。まだ名前を変える文化が残っていたのですね。
続けては「み・たら・しぬ・え」。三尾の鱈が死んでいる絵になりました。みたらし団子も無く男もおらず鵺も出る事は無いからこれで安心だ、と当時の方々は安堵したのですが、やがて絵の中から魚の腐った匂いが出て来る様になり始めたのでやむなくまた名前を変える事になりました。早々上手くいかないものですね。
続けては「みた・らし・ぬ・え」ぬだけで出来上がっている絵を見たと取り巻きに対して話す男の絵ですね。絵の回りの木目が「ぬ」と読める様に変わっていたので名前が変わりました。その次は「み・たらし・ぬえ」。涎を三滴垂らす鵺ですが、鵺がまた絵の中で動き始め。続けては「み・たら・し・ぬ・え」。一々の説明する程でもないですが「み」と「たら」と「し」と「ぬ」の絵です。
そんな事を道士様が絵の名前を変えてからざっと百年以上は続けて来たでしょうか。やがてここまで振り回された後で絵の名前は「みたら・し・ぬえ」。見たら死んでしまうくらいに恐ろしい形相をした鵺の柄となっていましたが、再び絵の中で鵺が動き始めたので名前が変えられる運びとなりました。
とは言っても名前と言う名前は使い終えた後。最初に管理を始めた者達の孫や全くの新参まで目立った中でありましたから、当然今更新たな名前を付けるのも難儀していたものです。
そこで誰かが言ったのでしょうね。今度の名前は「みたら・しぬ・え」即ち見たら死ぬ絵だと。
すると周りが大いに驚き、合わせて喜び。ええ、最初の名前が「見たら死ぬ絵」だったとは誰もが忘れていたのか、それともこれ以上の名前を変える事に全員が飽きていたのでしょうかね。「その様な名前は思い付きやしなかった」などと誰もが驚いていたと残っています。
ですのでこの絵は「見たら死ぬ絵」となり、盲に木簡を掲げさせ、幾重にも布を被せて誰にも見せずにしまっとけば良いんじゃないか、とのお話になりました。
今でもこの絵は見たら死ぬ絵、それだけの事で後は何にも言えなくなったのですよね。
オブジェクトクラス: Safe
特別収容プロトコル: SCP-2542-JPは反致死性ミームを散布した収容エリア内に非透過性のカバーを装着した状態で保管されます。
説明: SCP-2542-JPは視覚的致死性ミームを有する日本画です。蒐集院の管理下にあった物を譲渡されました。